はてなキーワード: 法則とは
きっと誰かがもう考えてることだと思うけど、人の心もエントロピー増大させようとしてるのでは?
エントロピーって「乱雑さ」と捉える事が多いけど、言い換えれば「偏りなく平均化されているか」みたいなこととも言える(よね?調べたら情報系だと平均情報量をエントロピーというらしい。関係あるか知らんけど)
人類はどんどん住むところを広げて、今は世界中あらゆるところに住んでいる。
ダイバーシティであらゆるタイプの人達が活躍できる世の中にしようとしている。
情報を広げる手段はどんどん発達して、インターネットで世界中に発信できるようになり情報の偏りができにくくなった。
生物が本能で子孫を残そうとするのは、原初の生き物の元になった分子が自己複製の性質を持っていたからだという説があると聞いたことがある。大元の分子が持っていた性質が本能として残っている。
エントロピーだって、物理法則で「エントロピー増大の法則」があるんだから、生物の本能として残っていたっておかしくない。
生き物自体がエントロピーを減らしている存在ではあるけれど(いろんな分子・原子が機能を持つために無理やりその形を取らされている)、もしかしたら分子原子だけではない概念としてエントロピーが増大できるように最適化されているのかもしれない。
人は集落を作り固まって住む性質があるけどそれは生存本能とのトレードオフの結果そちらが採用されているだけで、もし生きるのに支障がなければあらゆるところに偏在して固まることなく孤独に生きたほうが落ち着くのかも。
現代になり生活が楽になるにつれ、核家族化など小クラスタ化して単独で生きる人が増えているのは自然な変化なんじゃないだろうか。
たいから書く。今期アニメの『ID:INVADED イド:インヴェイデッド』って作品が個人的に毎週楽しみすぎるので、ぜひ多くの人に観て欲しいので投稿してみる。
毎週次の展開が楽しみなんだけど、どうにもあまり話題になってない気がする。とてもいい作品なのに、ケムリクサと同じく1話切り上等のスルメ作品なんで辛い…。
展開を端的に説明すると、謎の銃で連続殺人犯の殺意を捉えて、その殺意の思念粒子から創造された意識世界に謎の機械でダイブする。
ダイブした人間は記憶を失うのだけど、「カエルちゃん」に遭遇すると自分が名探偵であることを思い出す。
そして謎を解いていき犯人を見つけ出す。という流れ。文章に書いても全然わからないですよね…。
謎ばっかりだけど、劇中のキャラクターたちも自分たちが使用している機器がどういう原理なのかわかっていないで使っている。そこもまた面白い。
いま佳境に入って来ているけれど、その謎を解くのもストーリーの重要な点になっている。
殺意とか銃とかPSYCHO-PASSを思い浮かべそうだけど全然違う感じ。
謎解き要素の雰囲気が似ているのは、監督のあおきえいさんが関わったこともある『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』が近いのかも。
直接的な描写は少ないけれど、結構メンタル的に猟奇的な話が多いので苦手な人は注意して。
毎週のように頭のネジが3本ぐらい飛んだサイコパス犯人と物理法則が無茶苦茶なSF世界が出てきては使い捨てで、制作はすっごい大変だったはず。
監督のインタビュー見ると少人数スタッフで時間をかけて制作したとのこと。このへんもirodoriっぽい。観ててものすごく丁寧に作っただろうなというのが伝わってくる。
主人公の声優をしている津田健次郎さんの鳥肌モノの演技力もヤバい。声だけでこんなに感情揺さぶっていくるのかっていう。
ここまで読んでちょっと面白そうと思ってくれた人がもしいたら、是非Netflixかdアニメで追いかけてほしい。(追記:アマプラでも観られるようです。ブコメ感謝!)
ちょうど先週ニコ生で一挙放送があったので、プレミアム会員の人はタイムシフトで観るのもいいかも。明日で視聴期限だから急いで!
https://twitter.com/idinvadedanim/status/1236122854699089920
ハマる人は4話くらいで世界設定がわかってきて「おおー?おもしれー!」ってなるんじゃないかな。なってくれるといい。
ちなみに「マヨはない ええよ」ってEDの空耳にも注目。待ち構えてるとクセになる。
【雑な用語集】
名探偵酒井戸:カエルちゃんを見ると自分が名探偵酒井戸であることを思い出す。元警察官の犯罪者。(井戸を誤字ってました。スマン!)
ワクムスビ:PSYCHO-PASSの銃みたいな形状の端末。殺意を感知し、その思念粒子を採取する。
つ「パーキンソンの凡俗法則」
元増田です。
株というよりは、債務、やはり借金は借金です。法律上は返済義務があります。話題のMMTがどう考えているのか、元増田はMMTの教科書を読んだことがないので理解していないのですが、マーケットや財政状況を無視して、いくらでも借金してよいとは考えていません。1982年のメキシコ、1987年のブラジル、1998年のロシア、2001年、2014年のアルゼンチン、2008年のエクアドル、2015年のギリシャなど、借金が返せずに国がひどいことになった例は歴史上いくつかあります。
ただ、企業でも少しの借金で倒産する会社もあれば、たくさん借金していても好調な会社があります。例えばアップルは有利子負債がとても多い会社ですが、だからと言ってアップルの経営について、債務残高が高いから危険だ、あんな会社に融資はできないとは誰も思っていませんよね。アップルの株はこの数年ですごく上がっていますし、アップルの社債の金利は極めて低いままです。それはアップルはiPhoneという安定的なキャッシュフローを供給してくれるビジネスがあるから、返済されないリスクはほとんどない、借り換えも利払いも問題ないと投資家が判断しているからです。国債の場合、国内で消化されていればますますです。償還されてもそれは国内に戻るからです。その際に民間に資金需要が旺盛ならば、償還を受けた投資家は国に貸してくれないかも知れませんが、そのような状況とはすなわち景気がよいということですから、国は税収で経費を賄うことができます。国債が政府機関、例えば中央銀行が保有していればさらに償還には問題ありません。なぜなら政府が支払った分はそのまま政府に戻ってくるからです。日本国債はほとんど国内で保有され、半分近くは日銀が保有しています。
企業の営業利益は、国でいえば一定期間の付加価値、GDPがそれに相当します。GDPをすべて債務の返済に充てることができないのと同じく、借金も全額直ちに返済しなければならないものではないので、対GDP比で注目すべきは、債務残高ではなく、GDPの増え方に対する利払い、もっと言うと政府機関―典型は中央銀行-保有分を除いた利払いなのです(これは元増田のオリジナルではなくて標準的なマクロ経済学の教科書の教えるところです。)。GDPが増える以上に利払いが上昇していなければ、マーケットは発行体の支払いは問題ないと判断し、残高が多くても借り換えに際しても問題が生じず、金利の上昇もないのです。逆に残高がゼロでも利払いがGDPの増え方と比較して増加していれば、持続性に問題が生じます。だから、元増田で書いたとおり、順調に借り換えができているものを無理にゼロにする必要はないし、その条件で貸してくれる人がいるのに期間に上限を決める必要はないし、毎年の予算に借り換え分を計上すると、かえって予算にとって何が負担になっているのかが正確にわからなくなるのです。ちなみに解散価値(国が解散したら大変ですが)、資産、すなわちストックで見ても問題ありません。日本は世界最大の債権大国です。
日本国債の利払い負担は現在9兆円弱、これはGDPが350兆円程度であった昭和50年代末-60年ごろと同じです。現在のGDPは560兆円。350万円の年収で年間9万円の利子を払うのに比べれば、560万円の年収で年間9万円を返済する(しかもうち4万円程度はそのまま収入になる)方が負担が軽いのは自明ですから、すべてのマスコミが日本は借金で沈没すると騒いでも、これまで借り換えに支障が生じたことは全くありませんし、金利も低下しています。債務の負担は今、著しく低いのです。
ご参考になれば。少々口の悪い人ですが
what's more, since the debt to GDP gang never look at the implicit debt created by government-granted patent and copyright monopolies, they are measuring nothing. Give them only ridicule, that is what they deserve
https://twitter.com/DeanBaker13/status/1232786049279021057
債務の持続可能性は名目成長率と利子率の関係を探ることによってあきらかになるとされています。
財政赤字が政府債務を増大させることは、必然でありあきらかなことのように思えます。しかしながら、この法則にはひとつの例外があります。Fed(連邦準備制度)が政府支出によってファイナンスされる拡張的財政政策を、発行された政府債券を購入することによって調和するときがそれです。Fedによって保有されている政府債務が増大しても、家計、非金融法人、民間企業、外国人によって保有される政府債務は増大しないということです 。このチャプターのもっとも重要なレッスンは、政府債務を購入するFedの能力が、そういう政策を取らなかった場合に取り逃したであろう、財政政策における行動範囲を提供する、ということです。
…アメリカ合衆国かどこかの国の財政赤字(deficit)が多すぎるか否か、私たちはどのように判断することができるでしょうか。問題にすべきは赤字がゼロかどうかではなく、むしろ、未払いの名目公的債務(D)の名目GDP(PY)に対する割合の安定性の基準がどうあるべきか、ということです。連邦政府の赤字は巨額になり得ますが、D/PYレシオは債務の増加にも関わらず安定的に保つことが可能です。
名目財政赤字は債務の変化(△D)に等しくなります。では、財政赤字はどこまで大きくなり、かつ債務対GDP比、D/PYは安定を保つことができるでしょうか? 債務対GDP比の増加率がゼロであり続ける限り、安定的であり続けるでしょう。
それゆえ、私たちのタスクは、いかなる額の財政赤字が債務対GDP比の増加率をゼロにするか、決定することです。私たちは、債務対GDP比(D/PY)の増加率が、債務の増加率(d)とGDP名目成長率(p+y)の差である点に留意することから始めます。
D/PY増加率=d-(p+y) (6)
債務対GDP比の安定のためには、私たちは債務の増加率と名目GDP成長率(p+y)を等しくする必要があります。
d=p+y (7)
もし私たちが等式の両辺(7)を債務(D)の拡大により増加させた場合、私たちは許容可能な赤字(すなわち追加される債務)を獲得することになります。その分の赤字を増やしても、債務の対名目GDP比はコンスタントに保たれているのです。
dD=(p+y)D (0.05)(9,000billionドル)=450billionドル (8)
このシンプルに表現された(8)は、驚くべき結論を導き出します。債務対GDP比は、もし赤字が未払いの債務にGDP名目成長率をかけたものと等しければ、一定に保たれるのです。数値をいれた例によると、連邦政府の2010年末時点の純債務は約9兆円でした。もしもGDPの名目成長率を5%と仮定すると、許容可能な赤字は4,500億ドルです。現在の財政赤字は2009年-2010年よりもはるかに大きな額ですが、それは債務対GDP比がこの期間に急速に増大したのかをあきらかにしています。
2008年から2010年、さらにその後の債務対GDP比の急上昇は、政治家と評論家の間で、オバマ政権が2009年から2010年に実施した初期の財政刺激プログラムを超えてさらなる財政出動をすることの実現可能性をめぐって、大論争を引き起こしました。"財政タカ派"は公的純債務(debt)の対GDP比の急上昇を指摘し、債務対GDP比の爆発を避けるために財政赤字(deficit)は削減しなければならないと主張しました。"財政ハト派"は高い失業率と弱い需要のもとではさらなる財政刺激が必要とされていると反論しました。実際のところ、金融政策の効果が弱体化した状況では、財政政策は唯一残されたツールだったのです。
財政赤字は2つのパートに分類することができます。基礎的赤字と未払いの純公的債務に対する利払いです。順番に、基礎的赤字は税収からtransfer paymentと利払い以外の政府支出を控除したものと等しくなります。2010年における多額の財政赤字は、多額の基礎的赤字と多額の純債務に対する利払いの合計によるものです。
しかしながら、債務がゼロと仮定しても、利払いの負担は、債務支払い可能なための条件(solvency condition)を満たさなければ、歯止めの利かない純債務対GDP比の上昇を引き起こすのです。この条件について、政府は、名目成長率(p+y)が現在の名目利子率に等しいかそれを上まわっていれば、政府証券を発行することにより、永久的に、債務対GDP比を上昇させることなく、利払いの請求を満たすことができる、と定義することができます。2010年末の純債務(net debt)が大まかに9兆ドル、という上記の例に戻りましょう。政府は等式(8)で示されているとおり、債務対GDP比を増加させることなく4500億ドルの赤字を出すことができます。その赤字のうちから、財務省証券の利払いのためにいくら支払わなければならないのでしょうか?もし利子率が5%で、等式で仮定された名目成長率と等しいとすれば、純債務に対する利払いは0.05×9兆ドル、すなわち4500億ドルです。このとおり、政府は利払いコストの全部を、4500億ドルの財務省証券を新たに発行することにより、債務対GDP比を増大させることなく、基礎的財政赤字をゼロとしたまま、支払うことができるのです。
Gordon, Robert J. "Macroeconomics: Twelfth Edition" (April 18, 2011) 、Chapter6 The Government Budget, the Government Debt, and the Limitations of Fiscal Policy
子供を産んだら20年間365日24時間専用の施設に預けるルールにした方がましではないだろうか?
理由は以下だ。
・設備投資費
1.設備投資費
子供ができた家庭は、おもちゃや小さい滑り台やウレタンマットを購入する。また、机や箪笥の角には頭をぶつけても大丈夫なようにゴムを取り付けている。
子供ができたすべての家庭がこれらをそろえるのは無駄ではないか?
ちっちゃい子供が過ごす場所を社会として限定すれば、設備投資費が少なくて済む。
家賃問題もある。夫婦二人なら四畳半のボロアパートでつつましく暮らすことも可能だ。しかし、子供が騒ぐと近隣住民の迷惑になってしまう。だから、子供ができたらそれなりの防音設備のある部屋に引っ越さなければいけない。それが不可能だったら最初から子供を作ることをあきらめてしまう。残念だ。だったら、子供が暮らす部屋と両親が暮らす部屋を完全に分けた方が良いだろう。
地味な問題だが、自宅に救急箱をちゃんと用意していない家庭もあるだろう。子供が転んでけがをするたびにマキロン探しをしている親は多いはずだ。「最後にマキロン使ったやつ誰だ!」と。保育園はちゃんと備品管理をしているはずなのでそういうことは少ない。こういう些細なことでも、各家庭と育児専用施設の設備力の差が感じられる。もはや子供が両親の家に住む合理的な理由はないと思う。
率直に言って世の中の親の大半は育児が下手だと思っている。
知識や技術や体力や精神面でプロの保育士のレベルに達していない人が大半だと思う。
僕だって子供をまともに育てられる気がしない。こんなの素人には不可能だと思う。
僕は特別におかしなことを言っているとは思わない。自分の子供がプロ野球選手になれるかもしれないと思ったらリトルリーグに入れてコーチに野球を教えてもらうだろう。名門中学に入れるかもしれないと思ったら専用の塾に入れるだろう。であれば、自分は子育てが下手だと自覚している親がいたとして、その親が育児を一切放棄して専用の施設に預けたとして、それは正しい選択だと思う。親にとっても子にとってもそっちの方が良いはずだ。そして、ほとんどすべての親は子育てが下手だと思うのでそうすべきだ。
例えば「叱る」と「怒る」は違うとよく言う。しかし、口で言うほど簡単なことではないだろう。あまり表に出さないだけで、苦しんでいる親はたくさんいると思う。
ついカッとなって子供をキツく罵ってしまったり手を出してしまったりして後悔した経験がある親はたくさんいるはずである。
社会制度の方が変わっていかないといけない。親を支えないといけない。
ニュースを見ていると「こんな奴が子供を作るなよ」と思うことは多いだろう。しかし、それを言ったところで子供は救われない。また、そういうことを口に出す人が増えると「自分なんかが子供を作っていいのだろうか」と気後れしてしまう人が増える。それは不本意だ。
問題の本質は「子供を作った人が責任をもって子供を育てないといけない」というルールにある。「子供を作っても育てないでいい」というルールにするべきだ。
核家族はピークコントロールがしづらい。もし2人の親に2人の子供がいたとする。これならぎりぎり回る。しかし、突然片方の親が熱を出して寝込んでしまったとする。急に一人で二人の面倒を見ないといけなくなる。詰む。
これが保育施設であれば、(普段からゆとりを持った人員配置ができているなら)保育士さんが一人か二人寝込んだとして、何とか融通可能だろう。
また、夜泣きという問題もある。日中働いている両親が深夜に数時間おきに起きて授乳をして、睡眠不足なまま朝から会社に行くのは、不健康だし非効率だ。施設であればシフトを組んで夜勤を作れる。こっちの方が良い。
特に「家で資格試験などの勉強をできるか否か」が大きなポイントだ。これはいくら社会が子育て世代に受容的になったり経営者が寛容な制度を作ったって関係ない。
「日本は子育てしている人に冷たい社会だ」などという言説は(事実かもしれないが)本質を外している。
子供を作ると家で勉強する時間がほぼ取れなくなる。その時点で社会がどう変わろうと無理なものは無理なのだ。
だったら、子供を育てる専門の人とそれ以外の子供を育てない人に分けたほうが社会の効率が良くなる。
キャベツを作るのが得意な人とニンジンを作るのが得意な人が、それぞれ別々に5キロずつキャベツとニンジンを作るより
片方がキャベツを10キロ、もう片方がニンジンを10キロ作るほうが効率がいいだろうという理論だ。
親は子育てに時間を取られるよりも、子供を施設に預けて自分のキャリアのために時間を投資した方が社会全体が豊かになるに決まってる。
いくつか反論があると思うので先回りして答えておこう
1.子供がかわいそうだ
素人の親が子供を育てるほうがよっぽど子供にとってかわいそうだと思う。
小学生にもなってお箸が持てなかったり敬語が使えなかったり虫歯だらけだったりする子供を見たらかわいそうに思う。
有名国公立大学に入れる才能を持っていたのに高卒の両親が上手に伸ばしてあげられなかったりすることがある。残念だ。下層社会の再生産になってしまう。
補足として個人的な感情を言うなら僕は親が嫌いだ。こんな奴が子供作るなよと思っている。
2.親がかわいそう
子供は親のために生きてるのではありません。
少子化の観点でいうと「自分で育てれないなら子供を作らない人」と「自分で育てなくていいなら子供を作る人」の量を比べると、どちらも一定数いると思うが、後者の方が多そうだから子供が増えると思う。
親にとっても悪い話だけではないと思う。
親にも親の人生がある。
今の社会で子供を作ると人生のほとんどを子供に持っていかれる。
現代社会では子供を最優先にしない親に対する風当たりが強すぎる。変えていかないといけない。
あと、こう言う意見を言うと「自分にとっては子供が全てだ。自分は子供のために全てを捧げている。他の人もそうすべきだ」的なことを言う人が出てきそうだ。
多分そういうことを言うせいでみんな困ってるんだと思う。自覚して欲しい。
大体会社にいる「自分は仕事に全てを捧げています」系の人は仕事できてない人が多いので、そういうこと言っちゃう親は子育て下手な親だと思う。
それはそうだが、デメリットも大きい。
ジジババに子供を預けた時に「これはアレルギーだから食べさせないでください」といったら、ジジババが「好き嫌いはよくないから」と言って食べさせた結果マーライオンになった。というような話はよく聞く。
4.ポルポトがー!
それはポルポトが悪いのであって制度が悪いわけではないと思う。
5.今の保育園の現状分かってんのか
親のキャリアのところで触れたが、比較優位の法則で説明がつく。税金を減らして各家庭で親が育児にかかわる時間を増やすのと、税金を増やして親が育児にかかわる時間を減らすのでは、後者の方が生産性が高い。よって税金を増やせばいい。
殺人事件の加害者も児童に対する性的虐待の加害者も身内が一番多い。
知り合いの介護士も、他人の介護はできたが自分の親の介護はめちゃくちゃ辛かったといっていた。程よく他人じゃないと感情が入ってしまって逆に辛いんだろう。
保育士グラドルの姿態は心理的虐待(田中俊英) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20200225-00164618/
この記事。
消えちゃってるのでやり玉に挙げられたDVD紹介記事の方もリンクしときます。
擁護多いが、リンク先見ると、保育士設定で園児に脱がされたり園児の父と絡むストーリーの動画で、実在の園児に触られるエピソードまで語ってた。単なる兼業グラドルならともかく、これは保育士の仕事踏み台にしすぎ
ダブルワークで片方の仕事の経験や肩書をもう片方に生かすことの何が悪いのか。
いたって当り前のダブルワークの強みを生かしてるだけ。
片方をもう片方に生かすことは「踏み台」なのか。
お答えください。
保育士かグラドルかその両方の職への偏見を持ってないと成り立たない論理に見えるけど大丈夫?
あと、「単なる兼業グラドルならともかく」って言い方から見るに、単なる兼業グラドルでも本当は適切じゃないというお気持ちっぽい。
そこもなんで適切じゃないのか説明してほしいナ。
やり過ぎって何?
具体的に言ってほしい。
はしたない?
けがらわしい?
うわあもうグラドルに対してもAV女優に対しても蔑みのお気持ち満点ですよね。
リベラルぶりながらちょっと油断するとこういう差別丸出しコメントに星が集まるからほんとはてな民は頭悪い。
「年長さんの子には逆に「触っていいよ」と追いかけると逃げる」え、これ合法なの。
2020/02/26
年少の子は「やめてね」といえば素直にやめるけど
年長の子はそうではないので逆に「よーし触ってええぞ」と追いまわしたらお触り癖が治る
という保育士の知見を披露してるだけだったけどちゃんと読めてんのかな。
自分の体を触らせようと年長の子を追いかけてからかうのはやめて。恥ずかしがらせて遊ばないで。スキンシップの方法は他にもあるでしょ。宣伝のために大げさに言ってるのだろうが気になった。
保育園のエピソードとして「触ってくる園児が多いんですよ。そういう時は「止めて!」って言います(笑)。年長さんの子には逆に「触っていいよ」と言いながら追いかけると逃げるんですよ(笑)」と明かすなど、園児にも大人気のようだ。
こうよ?
"触っていいよ」と言いながら追いかけると逃げるんですよ(笑)"←これは男性保育士が言ったらダメ感が分かりやすくなるやつだよね…つまりダメ
ふざけて金的やカンチョーとかしてくる子供(男性にもそういうセクシャルないたずらしてくる子は普通にいる)に
「よーしじゃあもっとやれ!」って追いかけまわすみたいな話でしょ。
単純にこっぴどく怒るよりも自分で「セクハラは恥ずかしい気まずいことだ」と感じさせる方が
性についてへんなトラウマにならずに躾られるという気遣いでしょうがよ。
つーかそもそも普通、保育士の体験談をそんな変な意味にとるか?
グラドルというもう一つの職業に対する偏見が読解力をゆがめてません?
仮にこの江藤というグラドルが映像ソフト内で痴女みたいなキャラを演じてるとしても
ねー。
なんだかんだグラドルみたいな仕事の女を見下してんだなーってのがよくわかる。
グラドルなんかやってるハシタナイ女は子供に悪影響だしセクハラして楽しんだりしてそうだと。
叩いてる人達こそグラドルや女性保育士に対する偏見がきつくね?
仮に読まずに叩いてこうなってるんでもやっぱり偏見が相当出てるよね。
子供を盾にする論調は基本信用できない法則/園児が傷つくとしたら周りの悪い大人が先生はこんな悪い事をしてると吹き込んだ場合では
だよねえ
まさにこのブコメの指摘するような、
はっきり口にしないけど明らかにグラドルを「悪い仕事」と思ってないと出てこないような批判ばっかだよねえ
「リスペクトがない」っていうのはセクシーな映像ソフトに使うことが?
なんでリスペクトがないと?
え、じゃあグラドルがダブルワークの職を生かすこと自体がそのもう一つの職の尊厳を貶めるってこと?
プロの保育士がガキのセクハラ矯正法として語ってるのに知見でないとは一体。
グラドルやってるようなふしだらな保育士の言うことだから知見とはいえないってことっスかあ?
まあ一旦「セクハラだー!」って叩いちゃうと引っ込みつかなくなるんだよね。
この人だけじゃない。
"触ってくる園児が多いんですよ。そういう時は「止めて!」って言います(笑)。年長さんの子には逆に「触っていいよ」と言いながら追いかけると逃げるんですよ(笑)" / ああそういうことか。なるほど。
その1つは世の中には『根本的に働く気がない人たちが存在する』がある
↓ 根本的に働く気がない人たちの見本
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200212111557
自分自身の経験に基づいてもそれらは確かにいたなと認識しているし、残念ながら能力も職階も給与の額も組織規模も関係なく存在する
日本社会がぬるま湯だから存在するというわけでもなく、日本よりも厳しい経済環境下でも、日本よりも厳しい競争環境下においても存在している
彼/彼女らは『生まれつきそういう生き物』(利他的な精神のある無しはDNAが関係するのだとか)なのだ
ゆうて生まれつきの要素の多くはゼロでない限りは学習で何とかなることも多いが
『目の前の自分の利益を追求することを最優先する。未来のことはその時になったら考えるし、他者と協力して利益を最大化する必要はない』、
『なにをしても報われないので何もしたくない』
この2つなので、どう考えてもどうにもならない
(後者の学習性無気力は、出来る仕事を振って褒めてあげれば良いかもだが、主体性を育てるところから始める必要があるのはわかるよね?)
ただ、こうやって、ネットができるし、蛇口を開けば水が出るし、荷物は届くし、看護師さんや介護士さんは命に責任を持ってくれるし、消防士さんはしっかり消火活動をしてくれる
なので根本的に働く気がない=利他的な精神がない人たちばかりではないので、過剰に悲観的になる必要はないんじゃないかなとは思う
自組織の現実的なマネージメントについてなら、あんまり有用なのは出ていない気がする。だって生き方の話だからね
トップダウンで強烈なプレッシャーをかければ一丸となって主体的に動くけど
祈ろう