はてなキーワード: 有情とは
未だにスキップも実装してない(10年前のゲームであるアイギスでさえ搭載してるのに!)超マゾゲーを3年もやってようやく得るものがこれだけとは……。
せめて三体の10倍面白い物語でも読めれば良いものだが、基本的には可愛いキャラに鬱ムーブをさせて格好つけるだけの作品でしかないわけでな。
いっそブルーアーカイブみたいにキャラ萌えに全振りしてそこを支点にしたテコばかり使いたがるゲームの方がまだ清々しい。
萌えにも振り切れないまま真銀斬で全部ぶっ飛ばすだけのゲームをダラダラ続けているアクナイを人に薦める気になる人達の気が知れない。
そもそもバラバラに弾け飛んでいるライン生命の物語、各キャラクターの背景、アクナイ世界における技術レベル情報、源石技術の賛否両論性、それらを理解した上でようやく楽しめるというのは流石に今から入っていけるものじゃない。
劇場版コナンぐらい分かりやすい導入がありそれ単品で見て楽しめるならともかく、別にそんなことはない。
イフリータの成長を理解するには初期の姿を知る必要があるし、ライン生命のサイコパスっぷりを知るにはフィリオプシスイベント等を通して諸刃の剣を平気で掴むような態度を噛み締めなければいけない。
いくつかの期間限定イベントやそれぞれのキャラクターの固有情報を組み合わせてようやく浮かび上がる全体像、それらの裾野が存在しないままでは物語の上辺をなぞる以上のことは出来ないだろう。
メイルゲームを知らない人に、辞典的な通り一遍の説明ではなくその魅力を説明するために書いてみた文章なんだが、
知らない人にわかりやすいか、興味を持ってもらえそうか、みなの意見を聞いてみたい。
メイルゲーム(PBM)とは90年代にアナログゲーマーの間で人気になった、郵便を使った物語形式の大人数参加RPGの一種である。最盛期には1ゲームで5000人以上の参加者を集めた。
メイルゲームは主催が用意した世界にプレイヤーが自分の分身になるキャラクターを登録するところまではインターネット上のオンラインMMOに似ているが、メイルゲームでは当然リアルタイムではなく、プレイヤーは1か月に一回の締め切りまでに自分のキャラクターの行動を所定の行動計画書に記述して運営会社に送ると、運営会社のゲームマスターたちは各PCの行動同士を突き合わせ、行動結果を判定して、ゲーム中でのPCの実際の行動と生じた事件を小説形式(リアクションと呼ばれる)にして各プレイヤーに返送する。
これを一般的に12回(12ターン)繰り返して1年で一つのストーリーが終了するのが一般的だった。
メイルゲームの(MMOと比較した)特徴としては以下の点があげられよう。
①時間は拘束されないが期間が拘束される。
1ターンは通常1か月で、プレイヤーは行動結果小説を受け取ってから2週間のうちに情報を集めて仲間と行動計画を相談し、締め切りまでにPCの行動を決めなければならず、かなり忙しい。とはいえ、イベントでもない限り時間配分は融通が利き、拘束されることはない。行動提出した後は、今度はマスター陣が2週間のうちにPCの行動判定をして、小説化して、発送する。その間、プレイヤーは特にすることはないのでのんびり待つことになる。
しかし、一度参加するとゲームを中断しない限り1年間はゲームに時間を取られることになる。
②キャラクターの取れる行動にシステム的な制限がない
MMOであれば、PCがゲーム中で取れる行動はある程度決まっている。自由度が高いゲームでもキャラクターは事前にシステムに実装されている行動しかとることはできない。
しかし、メイルゲームでは「状況や能力が許す限りで、行動用紙に書ける内容であれば」大抵の行動はとることができる。チームを組んで複雑な行動をしようとすることも、新興宗教を立ち上げようとすることも、敵の親玉を口八丁で騙して罠にかけようとすることも、地球を担保に異星人からロボット兵器の購入を試みることもできる。
ただし、その行動が成功するかはマスター陣の判定次第。行動内容が目的達成にはに不十分と見なされれば失敗するし、多くのプレイヤーの行動が相互に影響を与え合うため、時に誰も想定しなかった結果になることも多い。
このように、問題解決において他のプレイヤーとの根回しや行動の創造性がかなり影響する。
③情報が分散して提示される
返送される小説はそのPCか、同じグループの視点から知りえることしか書いていない。同じ場所にいて同じ事件に遭遇しても、そこに書かれる情報は大きく異なる場合もある(あるバージョンでは突然起きた正体不明な事件が、別のバージョンではその内幕が詳細に書かれているなど)。
プレイヤーは自分の受け取った情報を他のプレイヤーに伏せておくこともできる。が、その場合、プレイヤー同士の情報交換に参加することが難しくなる。どれだけレアな情報であっても、全体からは局地的な一事件の情報でしかない。なので、ゲーム全体の動向を知ろうと思えば情報交換に参加する必要があり、自分が受け取った情報をどこまで・誰に公開するかが重要な駆け引きになる。
ゲームで必要な最低限の共有情報はプレイヤーに毎月送られる冊子に書かれているけれど、それも「真実」が書かれているとは限らない。真実を知るにはやはりいくつものバージョンを収集して突き合わせるしかない。
特に参加者が多く情報戦重視の遊演体のゲームでは、1ターンに200バージョンを超える種類のリアクション小説が発行されていた。このため、2週間の「プレイ期間」には速報同人誌が発行され、情報収集やプレイヤー同士の作戦会議のためのプレイヤー主催のイベントが盛んに行われていた。
④全体を貫くシナリオとタイムリミットがある
MMOはゲーム内ではシステムアップデートでもない限り大きな変化はないが、メイルゲームでは12ターンの間に解決せねばならない問題が設定されていて、さらにそれが最初は隠されていることが多い。そうした課題は一人では解決不可能で、多くのPCの協力が必要になる。プレイヤーたちは期間内に、自分たちそれぞれの課題を解決したり足を引っ張り合いながら、隠れた課題を見つけ出して集団で解決することを求められる。
例えば90年の「蓬莱学園の冒険!」では、巨大学園都市に新入学したPCたちが、最終ターンで「地球空洞世界」の危機と学園独立騒動を解決して終わる。
わずか12ターンの間にゲーム構造が変わってしまうほど状況の変化が速いことも、情報収集が必要になる原因である。
この「シナリオ」は予定調和的なものではなく、隠された大まかな仕掛けのようなもの。プレイヤーの行動次第でどんなストーリーになるかは全く変わってしまう。
なので、もしプレイヤーがこの問題解決に失敗するとバッドエンドも普通に発生する。93年の「夜桜忍法帖」では人類がほぼ絶滅し阪神タイガースが世界制覇、95年の「鋼鉄の虹」では対立し戦うプレイヤーの所属国が両国とも第三国に攻め込まれ滅亡した。
⑤PCのゲーム内社会への影響力が大きい
数千のPCが相互作用するゲーム世界は一つの社会である。MMOでもプレイヤー同士の相互作用はあるが、メイルゲームはそれに比べても相互作用の強さや範囲はかなり大きい。
さらに、NPCがいる。メイルゲームのNPCは「むらびと」や「モンスター」ではない。ゲーム上の重要キャラクターも操作するのがプレイヤーかゲームマスターかが違うだけで、PCの動向を観察し、時に主体的にPCに関わろうとしたり、PCの影響で行動を変えたりする。
このため、自分の考えたアクションによってゲーム状況に大きな影響を与え、重要な情報を得たPCは、数千人のプレイヤーに知られた「有名キャラクター」に成り上がることもよくある。中には総集編の表紙の中央を飾るほどの出世を遂げたPCもいた。
MMOだと(ブロントさんのような「話題になるプレイヤー」はいても)ゲーム世界の行く末に影響を与えるほどのPCはまず出てこない。
Twitterもない当時ではこのレベルで自己実現欲求・承認欲求を煽る娯楽はなかなか無かった。
もっとも、その地位や影響力は一時的なもので、1~2回的を外した行動を取ってしまうと失われる流動的なものにすぎない。しかし、それが余計に競争心や射幸心を煽ることになった。
こうした「メイルゲーム」のプレイ感覚は、今なら成田良悟のライトノベル小説(「バッカーノ!」「デュラララ!!」など)を読むとわかりやすい。実際、「バッカーノ!」は遊演体のメイルゲーム「こうもり城へようこそ!」のサブストーリーの一つを元ネタにしている。
ホビーデータや遊演体でもこうもり城以降は③④⑤をそれほど重視していないとか、ネット88ははじめは小説型リアクションじゃないってのはわかっているんだが、まあ許してほしい。
随分注油してなかったのとここ最近の不安定な天気で通り雨にあったりしたのでかなり久しぶりに自転車メンテすることに。
泥や水垢が目立つ場所は水で軽く拭いて、久々のメンテナンススタンドをひっぱりだしたらこれがクイックリリースが悪くて上手く嵌らないことを思い出した。
それでもなんとかできるかとクイックリリースを上向きにしようと緩めたりしてたら後輪が外れた……。チェーンも落ちた。げんなり。
後輪をつけるのが下手で面倒でスプロケットはずっと掃除してなかったしついでにやるかと汚れを落とすディグリーザーをぶっかけ。ウエスがないからキッチンペーパーでやろうとしたらすぐ破けてダメだこりゃ。雑巾でコシコシしようとしたら…分厚すぎて入らない。あーあーあー。
しょうがないから雑巾のミシン縫いを解いて開くことにする。虚無い。簡単な解き方なんてしらないからどっかの糸を切ってひたすら裂目を開いて中のミシン糸をひっぱりひっぱり一縫い目ずつ解いていく。これが30分以上はゆうにかかった。ウエスを買ったほうが早インパラ。でも布ウエスなんてダイソーやスーパーにあるんか?
ようやく解いた元雑巾でコシコシ掃除する。ホイールにつけたままだから多少きれいにはなったけどまだ全然汚れてる。
ディグリーザーは水洗いが必要なやつなので水をかける必要がある。自宅の玄関しか作業場がないので水をバシャバシャできる環境でもないし急だったので用意もない。
悩んで、タッパーを置きタイヤを傾けスプロケをタッパーの上に。そこにペットボトルの水をぶっかける。2割ぐらい受け止め切れなかったけどまあ許容範囲。園芸用の穴あき如雨露?にできるペットボトル用のアタッチメントが欲しかった…ダバダバ出るので満遍なくかかった気がしない。念のためもう一回かけた。
きれいにしたので後輪装着。上手くいかず悪戦苦闘。歯にチェーンを噛ませた常体であの軸まで到達できるか!?って毎度思うけどなんとか押し込んで装着。経験値が増えた気配はない。
チェーンを戻して掃除するために、ていうかスタートに戻ってメンテンススタンドをつけようとする。やはり合わずガチャガチャしていたら締めが緩かったか後輪が外れる。何者にも束縛されない後輪とメンテナンススタンが股の間にある。深いため息…。固定されてない自転車と後輪とスタンドを悪戦苦闘してバラして、再度後輪付けに苦闘して、しっかり締めて、スタンドはあきらめてちょびっとだけ引っ掛けるいつものやり方に戻して準備完了。落ちたチェーンも調べてなんとかひっぱりもどす。手がベトベト。
手を洗ってさあ本丸チェーン掃除だ。下にダンボールを敷いて液ダレ防止もした。当然手間取った。
チェーン掃除はまあ、クリーナーをつけて回すだけなので楽。毎回手がベトベトになるのがつらい。うっかりするとディグリーザーがクリーナーからこぼれるが、今回それはなかった。流石にもうトラブルはごめんと慎重だった。
回し終わったらクリーナーの液をディグリーザーから水に変えてまた回す。ディグリーザー落しだ。水もすぐまっくろになり、チェーンを拭いても拭いても黒い跡が残る。毎回これできれいになっているのか不安だが、見た目では完璧にきれいになっていない。所々黒ずみが残るピッカピカじゃないチェーンだ。でも規定の作業はこなしたし…と毎回適当に切り上げる。結局前のクランクの歯は汚いままなんだから回せば汚れをもらいに行くようなものだ。
そういえばクランクも汚れてたなとこっちもディグリーザーをつけたペーパーで表面の黒いところをごしごしする。気分はカブトガニを洗う水族館職員である。尻尾?と甲羅?の隙間がどうにもまさに手だし出来ないところで汚いまま。ぐぬぬ。
でも黒ずんだクランクもきれいさっぱりとは行かず黒ずみが多少ましになる程度になった。
ここで汚れ作業は終わったので使った道具を洗いふき取りに使ったペーパーをゴミ袋へ。ディグリーザーはぬるぬるするけど水だけでぬるぬるしなくなるから有情だ。
最後に注油。チェーンのコマが108個。まだ交換したことがないので目印のミッシングリンクがない。煩悩も忘れて数えながら一滴一滴落としていく。この作業は無心になれて結構すきだけど、数える添え手とオイルを持つ手で両手がふさがりクランクを回す人が欲しくなる。
注油完了。注油後はすぐふき取るか分~時単位で置いてくかいろいろ流派がある。いろいろ漁るがよく分からない。メンテ不精なので長持ちするようにと30分~1時間ぐらい置くことにする。
気付けば9時ごろ始めて雑巾解体完了が11時前。作業完了が15時だ。取ってなかった本日初の食事をレトルトですませ、一息ついた待ち時間にこの増田を書いた。
自分が不器用なのは百も承知だが疲れた…時間がかかる…うっかりから突然あれもこれもとする悪い癖だ。雑巾解きが長すぎる。
ここまで長くはならないだろうけどスプロケを含めると毎回4・5時間ぐらいかかりそう…上手く成長すれば3時間?これを月1でする気概は自分にはないよ……。
だからこれからも半年弱ぐらいに一回のチェーン掃除で勘弁してくだしあ。
さてそろそろオイルをふき取るか。
腹痛持ちであり1日3回の排便と30回のガチ放屁が日常化している。
在宅ワーク時代はそれで問題がなかったので1年ほど好き放題に屁をこいて過ごしていた。
だが久しぶりに社会に出てみると、どうも社会の人間は私ほど頻繁に屁をこかないし屁も臭くないらしい。
私の腹に内蔵されたオナラガチャの排出率はR「オナラ臭」すかしっぺ×40%SR「ウンコ臭」すかしっぺ×10%SSR「食ってないのに大蒜と韮の匂い」すかしっぺ×5%LEGEND「Klaxon」爆音放屁×1%の有情ガチャであり職場で毎日無料10連しているので多くの人間が私の屁の被害にあっている。
回さなければいいというのは確かなのだが、ガチの腹痛持ちが屁をこかないというのは強烈な腹痛のリスクもあるし、下手に貯めれば爆音放屁の排出率が上がるリスクを抱えてしまう。
熟考のすえトイレまで我慢してこくという必殺技を覚えたのだが、これはただでさえ多いトイレの頻度と相まってトイレ行き過ぎ人間として弄られるようになってしまった。
トイレ行き過ぎならまだいいのだが、普通に屁こき星人として扱われているらしいという風のうわさもなきにしあらずだ。
民はどうしているのだろうか……人々は屁を腹に抱えたまま日々を過ごし人知れず苦しんでいるのだろうか。
そんなことより私はどうしたらいいのか。
紆余曲折あったおかげでゲーム環境もだいぶ快適になり、最近は普通に面白いゲームになっていると個人的には思う。
人によっては本編より面白いまであるかもしれない。俺個人的にはそう。
マルチがクソとか低レアにボードが実装されてないとかほとんどのタマゴポケが弱すぎる上に主人公としか組めないとか
そういう不満点はまだまだあるけどね。
ポケモンを扱ったスマホゲーはかのPokémonGOをはじめとして複数あるけれど、
ポケマスはポケモン系スマホゲーの中で初めてポケモントレーナーをメインに据えたゲームだ。
コンテンツとしてのポケモンのメインはやっぱりポケモンなのだけれど、
ポケモングッズを主に扱うポケモンセンターでもトレーナーのグッズを扱うことも増えている。
そういう層を狙ったゲームがポケマスだ。
トレーナーとポケモンのペアである「バディーズ」がユニット単位だ。
基本的にはバディーズを3体並べてバトルを行う。
以下、ポケマスの主ないいところを挙げてみる。
通常配布でもメイ&ジャローダやフウロ&スワンナはかなり強いサポーターとして活躍してくれるし、
イベント配布の中には下手なガチャ産バディーズよりもずっと強い奴が実装されることもある。
チャンピオンバトルのエリートモードというこのゲームのエンドコンテンツでも配布と低レアのみでクリアするような人が普通にいる。
もちろんガチャ産バディーズの方が低レアよりも基本的には強いのでガチャを引く価値が無いわけでもない、
というか基本的にはガチャを引かないとエリートモードはかなりしんどい。
通常7%、フェス(限定ガチャ)10%、マスターフェス(今年新設された特別な限定ガチャ)12%と
一般的なソシャゲと比べてやや高い上に天井も40000石なので
無課金・微課金でもそこそこ☆5が揃うところが良い。石も割とくれる方だと思う。
ウマ娘(最高レアの星3が3%)みたいなえげつないガチャがしんどい人にはおすすめできるかな。
もう対戦とかやってられないんすよ!
厳選環境は昔と比べたら超楽になっているとはいえ色々考えるのもう疲れちゃった!
めまぐるしく変わる環境に対する対応やその時々のメタゲームや立ち回りを覚えるのに疲れ果てちゃったんだ、俺は!
俺は好きなポケモンやトレーナーを使ってほどほどに俺TUEEEしたいよ!
そんな感じなので最近は本編を触ってません。
1度だけあったランキングイベントは見なかったことにしたいし二度とやらないで欲しい。
今始めると明日にはいきなり6000石がプレゼントされるはずだからおすすめ。
環境を変えるレベルに強いマツブサ&グラードンやアオギリ&カイオーガもマスターフェスで出てくるので
それでリセマラするといいのかも。
sds-page また著作権法の趣旨を勘違いしてる人が出て来てる。お目こぼしされてるのは権利者のビジネスの方。真っ黒なのは海賊版だけで独自の発展を加えた二次創作は本来自由にすべき物 https://hon.jp/news/1.0/0/29634
さすがにこの点についてはいい加減争いがないと思ってたんだけどいまだにここで詰まってる人もいるのね。
https://funabashi.vbest.jp/columns/general_civil/g_others/4434/
二次創作を行うことは、著作権法においては「翻案」という行為に該当します。
翻案とは、著作物を編曲・変形・脚色するなど、オリジナルの本質的な特徴を残しながら、具体的な表現に修正・増減・変更などを加えて別の著作物を創作する行為をいいます。
翻案についてポイントとなるのは、「他人から見て、オリジナルの本質的な特徴を直接的に感得することができるかどうか」という点です。
一般的に「二次創作」と呼ばれる作品については、オリジナルをベースとしていることが誰の目にも明らかな場合がほとんどですので、原則として翻案に該当するものと認識してよいでしょう。
逆に、他人から見てオリジナルをベースとした作品であるとはわからないレベルに改変が行われた場合には、もはやオリジナルとは全く別の著作物であると考えられます。この場合、翻案には該当しません。
つまり他の人が見て明らかにダイワスカーレットとかゴルシってわかるキャラを使ってる限りは翻案にあたるのでアウトですよ?
という話ですが、キャラクターに同一性が認められる限りは「同一性保持権」にもひっかかるからアウト。
今のところ、東方、艦これ、ウマ娘、映像研、アズレン、エヴァあたりが先行事例になっとる。
今後も規約を守ってくれる限りは翻案権だの同一性保持権だのはいわないよって言ってくれる公式が増えてくることによって
グレーゾーンだったものがグレーゾーンではなくなり、逆にダメなものはだめって白黒はっきりしてくる。
今までは広大なグレーゾーンの元に同人業界が広がってきたのは確かだけど、
力がある絵師さんは二次創作に頼らなくてもオリジナル同人で稼げるようになってきた以上
グレーゾーンはどんどん狭まってくる。
明確に許可されている範囲が可視化されることで、二次創作は違法に決まってるだろって話も薄れてくる。
それでもグレーゾーンは絶対に残るけど、今迄みたいに二次創作ぜんぶダメっていう人が減ってくる。
そうしたら、今フェミが言ってるようないちゃもんも減ってくると思う。
ちなみにこれとは別に、電子書籍による有料配布のみNGって扱いにしてる会社は結構多いから、ここも気をつけてな。
一番嫌なのはムカデで、身近さと実害を併せ持っていて最悪 父が寝てるときに刺されたという話を聞いたときはしばらく落ち着いて寝られなかった
ゲジゲジはとにかく見た目が本当にキショい 益虫らしいが、外見がゴキブリの8倍くらいキショいのでそんなこと言ってられん ホンマにキショい
スズメバチは家の外にしか出ねえが、怖さのレベルが違う 幸い刺されたことはないが、やっぱ「刺されたら死ぬ可能性がある」ような生き物がその辺をブォンブォン飛んでるのはホンマに怖いですよ
俺の田舎にいたのはスズメバチのなかでもデカい、その名もオオスズメバチで、ガチでデカい 5センチとかある 超怖い ほんで近づくと顎をカチカチならして威嚇してくる 警告してくれるだけ有情なのかもしれないが、俺は家に帰ろうとしてんだから威嚇されたって困る
毛虫とかも多い 春になると毛虫に覆われて真っ白になる超キショい木が近所にあって嫌だった
というよりは、都会の交通網が優れすぎなのか
田舎から大阪に出てビックリしたのは、隣接する都道府県に片道1000円もかけずにすぐ行けてしまうこと どっか出かけようぜ!となったときに、大阪・京都・奈良・兵庫くらいが候補に入るのはすごい 淡路島にも行ける
俺の田舎じゃ隣県まで遊びに行くなんてことは考えられなかった 時間もかかるし、なにより金がかかる
田舎云々じゃなくて地元だからかもしれないが、その辺を歩いてて謎のジジババが話しかけてくる頻度が高い
しかも何言ってるかガチでわからん 訛り+フガフガ声によって本当に理解不能な領域に突入している そんで話長い 助けて!と思いながら曖昧な返事をし続けるしかない
子供の絶対数が少ない上にヤンキーが多い 少なくとも俺のところはそうだった
特に小学校が酷くて、同級生は9人 女子がひとり、ヤンキーが7人、そして俺だった 嫌いなタイプの人間と嫌いじゃないけどヤンキーなので怖い(カジュアルに殴ってくる)タイプの人間しかいなかった
小学校時代の思い出を楽しげに語っている人をみるとちょっと悲しくなる 9人しかいないのでさすがにぼっちって感じじゃなかったけど、じゃあ「友達」がいたかというと、いなかった気がする
ほとんどのイベントは東京・大阪でやっているもので、自分には縁がない感じがしてしまう
まあ地方開催のやつだって時々はあるし、本気で行こうと思えば行けたのかもしれないけども、やっぱハードルは高いよな
でも俺これに関しては都会育ちでも行ってない気がするな そういう意味で実害は多分被ってないんだけども、それはそれとしてなにかのイベントの詳細を見るたびに東京東京大阪大阪なのは疎外感があった
ーーー
「都会のリベラルが田舎暮らしに憧れて、田舎に住んでみた!」というのが俺の家庭だった
ホンマ何してくれとんねん 殺すぞ 田舎に住むな という気持ちは正直あるが、「田舎特有の閉塞感」というものは感じなかった つか子供会とか参加した記憶がないし、多分浮いてる家だったんだろうな
いや、しかし、そもそも地縁みたいなモンがある土地柄ではなかった気がするぞ 昔からここに住んでるんですって感じの家庭は全然なかった
多分滅びすぎて地縁が消え失せた謎の地域だったのだろう そういう意味では一般的な田舎とはまた違う雰囲気だったんだろうな
でもニュータウンではないんだよなあ!タウンじゃなかったもんあれ 道沿いにしか家ないし、「山を切り拓いた道沿いに家々がへばりついた場所」って感じだった 町とか村以下の存在だった
稀有な体験だった気もするんだが、やっぱ都会で育ちたかった感じはどうしてもある
今都会に住みたいって話じゃなくて、都会で育ちたかったって話なんだよな
今一度、お付き合いいただければと思います。
まずは、今回の私の投稿をお読みいただき、重ね重ねありがとうございました。まさかここまでの反響をいただくとは夢にも思わず、ブックマークが1000を超えた辺りから身体が震え出し、喉はからからに渇き、手の痺れが止まらない体たらくで、よくも悪くも注目を集めることの重圧を初めて味わいました。お恥ずかしい限りの有り様です。
「この説法を読んだみんな (元)増田のお祖父さんのリモート葬儀に参列したようなものだ」
「(元)増田さんが勇気を出して書かなければ現れなかったご縁」
とコメントしてくださった方がおられましたが、正にその通りだと思います。
お祖父様の生前のご希望・ご親族のわだかまり・元増田さんの苦慮と懊悩・私が僧侶として学び感じてきたこと……様々な縁が積み重なって因となり、この果をもたらしました。
一連の記事を読まれた方はみな、会ったことも見たこともない元増田さんのお祖父様の死を受け止め、素性も分からぬ私の法話に心を傾けてくださり、それぞれがご自分の「今」、ご自分の「これまで」と向き合った。そのような瞬間に立ち会えたこともそうですが、私がそのささやかなお手伝いができたのだとするならば、返す返すもったいないことであります。
たとえ学んだ経験を持たずとも、皆様は真宗の心をよくよくご承知なのだと、喜ばしく思いました。
しかし同時に、私が一方的にご親族を非難するような語り口になったことで、一部の方にご不快な思いを抱かせてしまい、本当に申し訳ありません。
元増田さんの痛みが少しでも和らげばと思い、思い悩む側に立ってお伝えしたつもりでしたが、その主張に至る論拠も背景も提示せぬまま、語調への配慮もなく投稿してしまった浅はかさ。ひいては、浄土真宗の教義や宗旨そのものに対する誤った印象を広めかねない軽率さを、深く悔いております。
身口意の三業(しんくいのさんごう:苦しみを生み出す元ともなる、身体と言葉と心の在り方)を正さなければならないのは私こそだと、改めて皆様からお教えいただきました。
今回の投稿を機に、様々な声をお寄せいただきました。その中からいくつか、私が個人的にお伝えしたい、或いはどうしてもお答えしなければならないと感じた点について、一つ一つ書き綴っていきたいと考えました。
ところが、お答えしたいと感じたコメントも、それに対してお伝えしたいと考えているお話も、あまりに膨大な量になってきてしまったため、今ここでそのすべてを書き記すことはできません。
そこで、ある方からコメントでご希望をいただいたこともあって、note等の他媒体で一つずつ回答を掲載してゆく形を取れないかと検討しております。今しばらくお時間とご猶予いただければ幸いです。
また、すでに書き終えた箇所については、以下に記しますので、暇つぶしがてらご一読いただきたく思います。
お同行(どうぎょう:人生をよりよく生きたいと願い、共に歩む仲間たち)の皆様に、何か少しでも響けばと願って。
合掌
お釈迦さまがご存命の頃、覚者として名高いお釈迦さまの噂を耳にしていた方が、お釈迦さまの姿を見掛けるなり、突然敬いの態度を取られたそうです。その方に対してお釈迦さまは、
と仰せになりました。
お釈迦さまという人間(物質)そのものは何も尊くなく、その姿をただ拝んだところで意味はない。仏を本当に敬う心というのは、仏からもたらされた法 (= 真実 = 悟り・気付きへと至る教え) を深く信ぜられる心があって、初めて沸き起こるのだということです。
100人いれば100通りのものの見方が生まれます。なぜなら私たちはみな一様に、自分の都合のいいように物事をねじ曲げて捉える色眼鏡、「邪見(じゃけん)」の持ち主だからです。
信じる方もいれば、信じない方もおられるでしょう。私自身は信じられなくとも、一向に構いません。後はあなたのお好きなように受け取ってください。
信じてくださった方には、
とお伝えしたく思います。
法務が忙しく、自坊で取り入れることは現状難しいですが、私は賛成派です。
どんな形であっても、そこで出遇うのは人と人です。これまで仏縁をいただくはずもなかった方のお宅を訪ね、仏事作法・死生にまつわるお悩みに、私どもの信ずる教えをお伝えできる機会を賜われるとしたら、ありがたいことです。
という言葉を遺しておられます。理想的とはいかないまでも、それぞれに合った形で、仏法は平等に一切に施されるべきなのです。
これは浄土真宗の三大経典のひとつ、大無量寿経において、お釈迦さまが弟子の阿難(あなん)に対して、
と、身も心も改めるよう告げられた場面に由来しております。
我々僧侶は、法務に臨む上で、常にこの阿難に求められた姿勢を貫くことを責務としています。
さしたる戒律も持たない浄土真宗を“寛容”と捉えるのか、“険しい道”と捉えるのかが、俗世と求道者の大きな分かれ目となるのでしょう。
たとえば、もしもあなたが、
「世間の人たちが当たり前にしてることをあなたもしていいよ、それであなたも仏になれるよ」
と言われたとして、あなたはその言葉をどれほど信じられますか?
「他の宗派みたいに滝に打たれたりとか山籠りとかそれっぽい修行しないんですか?(笑)」
「何なのその髪の毛? ありがたみが足りないね」
と好き放題になじられ続けて、それでも自分は間違いなく仏になれるのだと、あなたは胸を張って言い切れますか?
我々の求道の在り方は、甘えでも寛容さでもなく、「覚悟」です。
世間は常に、自分たちで勝手に作り出した意味もない物差しに、自分たちで勝手に縛り付け合ってああでもないこうでもないと罵り合い、争い合っています。そんな人々の下世話な好奇の目や嘲りにも耐えて、たとえ自力聖道門の尊いお坊様のような修行は積めずとも、ごく普通の人間と変わらぬ平凡な生活を営みながら、それでも間違いなく仏になれるのだと、己が第一に身をもって証明していく勇気を見せなければならないのが浄土真宗の僧侶なのです。
という言葉で表され、また
と仰せになり、決して退くことのない浄土への道をひたすらに歩まれたお方でした。
であればこそ、親鸞さまに救われた私もまた、親鸞さまと同じ生き方を願い、その道を皆様と共に歩みたいと思うのです。
ありがとうございます。しかし、現実の私はそのような人間ではありません。何しろ私は、この教えに出遇わなければ死を選ぶしかなかったほど、弱く、もろく、そして愚かなためです。
もしもあなたが私の書き込みに何らかの功徳を感じてくださったのだとして、ではその功徳をもたらしてくれたのは誰で、どこからきたものなのでしょうか。命を断つしか選択のなかった、世間と人間社会を呪うしかなかった私のこの頭から、口から、心から、仏の教えがこぼれ出てくるという不可思議な現象は、なぜ起きたのでしょうか。
今回の場合は、すでに冒頭で述べた通りです。私が言わんとするところはつまり、私自身が尊いのではなく、私のような者に教えを語らせた諸々のはたらき、「わたし」と「あなた」の間に結び付きを与えてくださる種々のはたらきが尊いのです。
すべては響き合い作用し合い、そして悲しみやよろこびを生み出しています。
私はできるだけ悲しみを減らすお手伝いをし、できるだけよろこびを増やすことを務めとして生きてゆきたい。そう願っています。
と、開祖である親鸞さまが仰せになったように、煩悩具足(ぼんのうぐそく:煩悩に満ちた状態)の凡夫(ぼんぶ:弱く無力で自力で悟れない愚かな存在)の身には出過ぎた願いではありますが、様々な縁によって助けられ支えられ励まされ慰められ育てられて生きてこられた、その力だけは、私には絶対の事実です。私は私以外からもたらされた力を一心に信じさせていただき、今日まで生かされております。この歓喜と慚愧の念に頭が下がり手が合わさる心を、他力本願といいます。
真に功徳に満ちているのは、真にありがたいのは、私たちに「あなたが救われて欲しい」と種々にはたらきかけてくださる、阿弥陀如来さまであります。南無阿弥陀仏。
件の投稿よりももっと長く書き綴っていた文章が、残り数行というところでうっかりページバックボタンに触れてしまい、全消失しました。あまりのショックにじたばたと暴れ、ウワー!と叫びました。
「諸行は無常、こんな記事を書いたところで誰が読むでもなし、諦めて他のことをしよう」
と思って立ち上がった途端、リングコンを握り締めながら涙をこぼしている増田さんの姿が脳裏に浮かび、いやこれでは駄目だ、多少は簡素になってもいいからお伝えしよう、と踏みとどまりました。
結果、この拙文によって一部の方を戸惑わせたり憤らせもしてしまいましたが、多くの喜びの声を受けて、私が信じてきた教え、私に教えを授けてくださった諸仏と数多のご先達が、私に微笑みかけてくださるような感慨に胸が熱くなりました。本当にありがとうございます。至らぬところも多く、本当にごめんなさい。南無阿弥陀仏。
現時点では、以上のコメントについて、今後時間をかけて回答したく思います。
準備ができ次第、こちらの投稿に言及する形で戻って参りますゆえ、今しばしお待ちください。
最後になりましたが、皆様とこのような法縁に恵まれるきっかけを与えてくださった元増田さんを始め、すべての方のお命とお心に、敬い申し上げます。