はてなキーワード: 操り人形とは
ラノベの女性描写は基本的に女性軽視、女性蔑視、女性差別と言える。男にとって都合のいい女(作者の操り人形)ばかりでリアリティがまったくない。
ネトウヨなどの普段から女叩きしてる連中がラノベを好むというのはわかる。しかしはてな民はむしろ逆の立場で差別には果敢に立ち向かっているじゃないか。それなのにラノベの女性蔑視的表現には寛容というか完全に気づいていない。
なにも奴隷とかハーレムとかそういう話をしているのではなく、人物造形が雑すぎるという基本的な話だ。女がまったく書けていない。
ラノベにはこういった基本的な問題があるにもかかわらず、はてなの意識高い連中が年を取っても相変わらずラノベを好むというのは嘆かわしい。中高生の頃好きだったのはわかるが、成長するにつれてどこかのタイミングでラノベが抱える問題点に気付かなければならなかったのに。気付かないままあるいは気づいていながらそれを見過ごし、そして40歳になってしまった、そんな連中が多すぎる。
なんで友達にそこまで肩入れするの?と思ったら、ああ、ずっと一緒にいようと思ってた友達なんだ。
まあ、仕方ないよ。
友達や親族が霊感商法や怪しい自己啓発セミナーにハマって、こちらも陥落させようと向こうの操り人形となってにいろいろいらんことしてくると思えば、あなたはまだだいぶ幸せだ。
ハマったのが舞台でよかったと言える。
霊感商法とか、怪しい自己啓発セミナーは、本人が幸せになったら食い扶持失うから、とことん本人を不幸にさせようとするからな。
さらに、そのへんにはまらせたいからと、霊感商法などは周りを不幸にもしようとしてくる。本人はその気はまったくなくて、本人なりの100%善意でな。
あんだけ有名なスタッフ集めてもこんな箸にも棒にもかからない展開で終わらせると思ってなかったよ
てか完全に尺不足でしょ、2回も特番かけたの何だったの本当
尺で割り切れなかった点で言えば錦織監督も林さんもキャラクターをさばききれなかったんだという印象がすごくて、ミツルとココロ以外のキャラクターへの配慮がなさすぎた。
特にイクノなんだったんだよ、勝手にパートナー変えられるわ老け込んだ上に弱った身体で医者みたいなことやってるとか、流石に不幸が過ぎませんか
最後三人になった上にうちふたりがソロでフランクス乗ってるのあれなんだったんだ
でも佐倉綾音の断末魔は本当に良かった、ありがとうございます
それと新ナナがあれだけパパの操り人形だったのにもとのナナが出てきたら急に物分りよくなったのも全く得心いってないし、VIRMのポッと出感すごすぎて最後までラボスス感なさすぎて最終話に近づくにつれて盛り下がるのなかなかに奇妙だった。
ロージェノムやアンチスパイラルってすごかったんだなと改めて認識した
キャラクターがおざなりになった結果テーマもぼやっとしてて、コドモたちが新しいオトナになっていくって主題の説得力に欠けていた。
そもそもコドモたちにとってパパたちを含めたオトナが、彼らの生きる規範にならなかったことにほとんど絶望してなくておいおいお前らめっちゃ自我あるやんけってところで肩透かし食らった感が否めなかった。
それとオトナになるということが家族を作るということにひも付きすぎてて気持ち悪かった。同性パートナーとかがどんどん現実で社会容認されてる中でアルファくんが言うような存在も認めてほしかったと思う。
アルファくんたちは性別を捨てた存在だったけど、性別にとらわれずとも社会に共存するような存在として語られる必要はあったんじゃないのって思う。
ただの戦闘狂みたいな終わらせ方するのはあまりにももったいない存在だったと思う。
それかイチゴちゃんがゴローとできてなくてイクノと一緒になるパターンでもよかったと思うけど、ゴローがイケメンすぎたからもう仕方ない。
てかゴロー本当に良かったよね。
セカイ系まっしぐらのヒロに対して「俺たち仲間の気持ちはどうなるんだよ」って言い切ったところね。セカイorヒロインの選択肢でヒロインまっしぐらの主人公に対してしっぺ返しがあったのはこれまでのセカイ系へのカウンターになってたと思う。
思い出したけどこのアニメ殴るシーンがよくなった。
前述のゴローのところはまあわかるんだけど、それまでにフトシがミツル殴ったりフランクス越しにイチゴがゼロツー殴るとか。
若干ワンパターンすぎてやはり岡田麿里の喧嘩はレベルが違うなって思った。
少なからずロボットモノなのに戦闘シーンがよかった回ほとんどなかったし、監督そういうのに興味ないんだなとは思ったけど。今石洋之もっと活躍してほしかった。
いやしかし放送前めちゃくちゃ期待値あげまくってこの終わりになったのがまじで落差がきついわ
普通に見てたらこんなにがっかりしなかったんだけど、勝手にめちゃくちゃ期待してたからすげー落ち込んだんだよね
ただまあ一方でアニメにここまで期待してた自分に対してまだいけるやんけって思ってるところもあるんだけど
それにしても最終話の台詞回し全編通してダサすぎたのが決定打だった気がする
もっと推敲してきれいに書こうと思ったんだけど、別に生産的な文章になりそうにないし増田にだらだら書くだけにした。
アァー
どさくさに紛れてサヨクのみなさんがサムゲタンを擁護していますね。あまりにも愚か。
看病のときに出す料理がおかゆだったのにわざわざサムゲタンに改変するというのは不自然ですよ、普通の感覚だと。
なんでそこだけそんなにこだわっちゃってるのっていう。要するに表現として稚拙になっちゃってるんですよ。
サムゲタンの部分だけ浮いちゃってるわけです。素人作家は何かにこだわりがあってどうしても自分の作品にこれを出したいっていうのがあれば我慢せずにというか我慢できずに出しちゃいますよ。でもそういう表現は明らかに周りから浮いちゃうわけです。全体との情報量のバランスをとらないといけないわけですよ。下手な作家は自分のこだわりだけやたらこだわって書き込んで、他はいい加減にぼやっと書くみたいなことはやりがちですが。
とにかくあの改変は拙かったわけですよ。
現実でサヨクのみなさんが看病するときにサムゲタンを出すのはいいですよ。そんなの自由ですし。サムゲタン好きな人なら病気のときでもうれしいでしょう。おそらくサムゲタンOK派のみなさんは一度くらいは愛する人が病気のときにサムゲタンを出しているから、きっとあの演出も自然なものに見えたんでしょう。
でもね、それはあなたたちがキャラクターを理解してないからなんですよ。サムゲタン演出はあのキャラクターたちにやらせることではないんですよ。あの演出は脚本家の意図が丸見えというか、脚本家の顔まで丸見えという感じで、もはやキャラクターはそれぞれが命を持って生きているのではなくて、単なる操り人形になってしまっているんですよ。要するにキャラクターを殺してしまっているんですよ。これは問題ですよ。
すべて政治的に見てしまうから作品をまともに解釈できなくなってるんですよ、サヨクのみなさんは。
サムゲタンを病人に与えるのはべつにいいと思います。それは個人の勝手です。でもそれをあの作品でやってしまうとキャラクターが死ぬんですよ。わかります?
○ゲーム日記アンケート「次にプレイするゲーム!『三部作の一作目』」
・No1:コールオブデューティーブラックオプス(360、One互換対応なのでOneでプレイ予定)
ベトナム戦争あたりを題材にしたFPSかな? あんまり近代史に詳しくないので、この辺の機敏がわかんないや。
FPSというジャンル自体はHaloが好きなので嫌いじゃないと思うんですが、CoDはやったことがないので楽しみ。
・No2:マスエフェクト(360、これもOne互換対応だけど2や3とのセーブデータ連動に色々あるらしいので、360でプレイ予定)
レベルとかスキルの成長要素もあるし、お話が色々分岐したりするらしいので、ストーリーが楽しみ。
・No3:バンジョーとカズーイの大冒険(360、One互換対応なのでOneでプレイ予定)
3Dアクションゲーム、元は64の頃なのでさすがに古く感じるかな。
ガレージ大作戦を3に相当すると考えた場合、三部作なのでお題からもずれていない、ずれていないのです。
デッドライジング2CASE:0を1、デッドライジング2本編を2、デッドライジング2CASE:WESTを3に相当すると考えれば、この三作がデッドライジング2三部作であることは明白! お題からもずれていない、ずれていないのです!
ぶっちゃけ、2をプレイした記憶が薄れてきてるから、早くプレイしたい。
○朝食:みかん(2個)
○調子
はややー。
それからは、ご飯を食べに行ったり、ぶらぶら散歩したりしていた。
なんだか色々としたいことがあったんだけど、また調子が悪くなりかけているので、今日も早く寝ます。
今月末から来月の頭は、年末年始でお休みの予定なので、今年もあと少し頑張ろー。
●3DS
○ポケとる
メインニャースを少し周回。
○ガンストリンガー
3人目のボスのヒゲカンフー侍と4人目のボスのアンデット使いの巫女を倒して、ゲームクリア。
ただ、昼間にプレイして太陽光がキネクトに超当たっていたせいか、キネクトが思うように反応してくれず、イライラしてしまい、最後2ステージぐらいは無敵モードを解放してサクサククリアしてしまった。
オチはなんと、操り人形だったガンストリンガーがプレイヤーに牙を向く、いわゆる「第四の壁を破る」系だった。
○名前
ガンストリンガー
THE GUNSTRINGER
○デザイン
THE GUNSTRINGERはキネクト専用ゲーのため、コントローラーではなく、体のジェスチャーで動こかすのだが、
左手でマリオネットを吊るしてる棒を動かすイメージで左右に動かすのが、設定とジェスチャーがしっくりきていて面白い。
いっぽう、右手側はいわゆる「レールシューティング」のように狙いをつけて敵を撃つ操作を行う。
360のキネクトは指先を形を認識しないのでグーやパーの形でも操作できるのだけど、雰囲気を楽しむためにも、右手を拳銃の形にして敵に狙いをつけて、肩まで上げて撃つ。
まさに子供の頃やっていた幽☆遊☆白書のレイガンごっこのようなアクションで楽しかった。(いや、レイガンはあんなに連発できないけどもね)
・二丁拳銃
特徴で書いた通り、普段は狙いをつけて撃つというジェスチャーが必要なのだが、二丁拳銃モードは勝手が違って、撃つのは自動でやってくれるため、狙いをつけるだけでよくなる。
ただ、敵が山ほど出てくるため、左手と右手をきちんと狙いたい箇所で維持するのは、なかなか難しいだけに、画面中に出てくる敵を一掃できると超気持ちいい。
○名台詞(名シーン)
吊手を拳銃で打ち抜くシーン
ガンストリンガーはいわゆる無口主人公のため、台詞はないため、名シーンをチョイス。
演劇で言うところの「第四の壁」を破壊し、劇場の外へ出ていくエンディングの一シーン。
今までプレイヤーが動かしてきたガンストリンガーが、プレイヤーに反旗を翻し、自分を動かしていた吊手(操り人形を操る糸がついた棒のことね)を拳銃で打ち抜き破壊する。
いまの安倍政権が取り組んでいる金融緩和を、政権交代で打ち切ることは不可能です。私が首相になっても継続します。金融政策は時々の状況で判断するもの。「べき論」だけでは進められない。》
脱緊縮派宣言である。無駄は削りつつ、しっかり財政出動をする。ただ、自民党とは、お金の使い道が違うのだと強調する。
《看護師、介護職員、保育士など、低賃金で潜在需要がある、公的な仕事があります。その賃金底上げのために、財政出動をします。
なんだこれ?
金融緩和がなんであるか、財政出動がなんであるか、微塵もわかってないの露呈してるんだが、お前はこれ読んで力抜けなかったの?
やっっっと、現実見据えてニーズに応えて緊縮路線捨てると口だけでも言ったのだから
相対性で言えば大きな前進だしそれは評価するし、前原が緊縮の寝言を捨てないなら枝野の勝ちでよいが、
脱緊縮宣言自体は「答案に名前を書けました」ってだけだからな?
実際に必要な財政政策を理解して、しかもそれを通す腕力があって初めて価値がある
枝野が勝つなら民主は終わりだし前原が枝野以下なら民主は終わり
前原が経済に関するまともな見識を示してなおかつ勝った場合だけ民主の望みは繋がるだろうね
繰り返すけど
やっっっっっっと、緊縮の寝言を捨て、憲法がどうのの寝言を捨て、経済が焦点だと認めたことは
でも枝野さんのいってることは財政政策一年生というレベルのお粗末さ
今から自分で勉強する頭脳がないなら在野の有能なブレインの操り人形になるべき
まあなんか民主はもう分裂再編した方が早そうだけど
私はもうアラフォーですが人生設計もぼんやりしています。けれど手帳を書きあれこれと考えるのは好きです。手帳を持ち、日々の出来事や予定を管理するようになったのは30になる少し前からです。読み返したりすると、この日に何をしていたか、誰といたか、何を感じたか、いくら使ったかを把握出来るので楽しいです。それを活かして、今度はこうやってみようかと考えて1人でニヤニヤしている週末の時間が好きです。ふと、中学生くらいから手帳を書く習慣があったなら、もっと楽しかっただろうなぁと思うことがあります。アラフォーだと予定もある程度固定してきますし、時間も確保しづらく、出会いも減り、遊ぶ相手も減っていきます。タイムマシンがあったなら過去の自分に手帳を渡して、使い方をレクチャーしてあげたいなぁと空想したりします。しかし、実際に昔の自分が手帳を持っていても使えなかっただろうと思いました。実家にいた頃はプライバシーは無かったんだと、実家を出て大人になって初めて知りました。高校の頃、一時期日記を書いてみた事があるのですが、ある日の夕食時に母親が当然のことのように、日記にしか書いていないことを話題として出してきました。今考えるととても怖いことですが、当時は日記というものは自分の考えを知られる恥ずかしいものだと思いました。それ以来書くのをやめました。実家にいた頃は自分の考えや意見を言えば拒否され、両親の意向だけを飲み込むしかありませんでした。自分の考えというものを構築できないまま、両親の操り人形としてまず18年を浪費しました。進学して故郷を離れ、親の干渉から逃れられたものの、自分の考えを自分で設計出来ない。今度は周りに流されるまま行動するしかなくなりました。今は客観的に当時の状況を見れますが、当時は自分のフラストレーションの原因が何なのか分からないまま、どうしていいか分からないまま30が目前に迫りました。合計29年の浪費となりました。今振り返るとメモなど一切とらずによく働けていたなと思います。その分生活は荒んで、仕事もブラックでしたが。ちょうど仕事の都合で更に故郷から遠くへ引っ越しました。その頃には両親の老いが進んだこともあり、気軽に会いにこられることもない環境が出来ました。新しい職場で心機一転頑張って仕事を覚えようと思いノートを買いました。仕事のノートだから見られても恥ずかしくないと自分に言い聞かせたことを覚えています。教わったことをノートに書いて整理すると驚くほどスッキリします。こんな風に自分の考えや悩みも書いて整理すれば解決出来るのではないかとあれこれ試してみるようになりました。その頃はまだ手帳ではなくノートを使って時々書く程度でしたが手帳に移行するのは結構早かったです。当時は何を買っていいかわからず、ほぼ日手帳を買いました。ホームページを見ると、とても楽しそうに手帳について語られていて、恥ずかしいことではないのだと思いました。通勤時間が長かったので、手帳本を読んだり読書に充てました。沢山の言葉が自分の中に注ぎ込まれ、30を過ぎた頃からやっと自分の意見を持てるようになり、言葉で表現できるようになってきました。そしてそれを手帳に書き、後から読み返す。書き始めの頃はグチャグチャだったノートの取り方も段々と綺麗になっていきました。通勤時間の読書でアルジャーノンに花束をを読みましたが、それと同じように感じて面白いなぁと思いました。と同時に自分の人生がいかに惨めかも把握出来て悲しくなったりもしました。今はほぼ日手帳をやめて、複数の手帳、ノート、ファイルで項目ごとに管理をしています。アイアンマンが自分で自分をアップデートしていくように、自分の手帳システムもアップデートしていきます。落ち込んだ時はアイアンマンを見て元気を取り戻します。今はお盆休みなので、手帳を見てじっくり考える時間が確保できます。連休中のやらなきゃいけないことやちょっと先の事を考えたりしています。私はもうアラフォーですが人生設計もぼんやりしています。しかし手帳を見て今後の事を考えて1人で過ごす週末が好きです。
といっても大して面白味のある話じゃない。
まずおれは生来おなかが弱い。これまでも、もう少しのところを危うくトイレに駆け込んで事なきを得る、ということが年に数回はあった。
とはいえ、これまではなんだかんだと漏らさずに済んできたわけで、今回は何が違ったのか。
はっきりとしたことはおれにもわからない。きっと、要素の積み重ねなんだろう。
前の晩に日高屋でホルモン炒めを食い、ココイチで牛尽くしカレーを食い、しまいに家でよっちゃんイカを容器の半分も空けてしまった。
まずこの時点で屁が止まらなくなった。まったく愚かしいことだ。どうか笑ってくれ。
だというのに翌朝はよっちゃんイカの残りを空けた。それからアイスクリーム。そろそろ死ぬんじゃないのか?
そしてこの日の昼はおそとで焼肉。安い輸入肉の低質な脂とアルコールが俺の腸にダメージを加えた。
相変わらず屁は止まらない。腹の感覚もなにやらよろしくない。とはいえ便器に座っても大した物は出てこなかった。
経験的に言って腹を下すだろう、という予測はこの時点で立っていた。
でもまあなんとかなるだろう、とタカをくくっていたのだ……。
食事を終え、すこし煙臭い身を引きずって大都会でウィンドウショッピングを楽しんでいると、一回目の波。
さっくりと目の前の店のトイレを借りて済ませる。
これ自体は大したやつではなかった。ふつうの便意と言っていい。腹痛もあまり無い。出てきたのは消化不良気味のやつだったが、これは予想の範疇。
ここで何ら問題なく対処できたことが、油断に拍車を掛けたのは事実である。
(みなさんもご存知のことと思うが、下痢には波がある。
一度トイレで済ませても、10分~20分くらいの周期を置いて二度、三度と便意の波が押し寄せるのだ。
それは腹が空っぽになるまで続く。
もちろんこの時のおれにもその認識はあった。だがナメてかかっていたのだ。
腹痛があまり無かったこと、そして余裕を持ってトイレに駆け込めたことで。
無意識に、さっきのやつでおしまいだろう、と希望的観測を採用してしまっていた。)
さて、店のトイレを出てウィンドウショッピングに戻る。20分くらい移動したところで、第二波が来た。
それは慣れない街の、雑踏の真ん中でのことだった。
波ははじめ弱く。そして徐々に強く。
手近なコンビニで済ませようかと思ったが――――見当たらない。
気軽にトイレを使えそうな店がどうにも見当たらない。
冷や汗が滲み出した。
恥も外聞もなく、ここで目の前の居酒屋に駆け込んでおけばよかったのだろう。
だが尊大な羞恥心がそれを許さなかった。おれは腹に爆弾を抱えて、孤独に街を彷徨いはじめた。
人混みがうとましい。小走りにもなれない。
相変わらず店が無い。クソッタレが。
波は徐々に強くなる。焦燥感が加速していく。
どうにか交差点に辿り着く。
正面にはデパート。知らない店だが、経験的に言って2F以上か地下に男子トイレがあるはずだ。
たとえ受付に身を乗り出してトイレの場所を尋ねても、店員は親切に場所を教えてくれることだろう。
おれは右を向いた。高級ブランドのブティックがあった。とりあえず横断歩道を渡る。
直感的に彼は貸してくれなさそうな気がした。
たぶんそんなことは無いんだろう。でもそのときはそう思ってしまった。
駆け足で通り過ぎると、隣にもビルがあった。
7階だと。
尻を庇って下肢のみを動かす、早歩きと駆け足の中間のような不自然なスタイル。
腹が数十秒周期でぐうぐうと鳴っているのがわかる。
超自我によって抑制された排便圧力が行き場を失い、ガスが腹の中で蠢いているのだ。
ひとたびぐう、と鳴るたび少しだけラクになる。そしてまただんだんと強まってくる。
途中からエスカレーターが互い違い式になっている。フロアをぐるりと迂回しなければ上階行きに乗れないクソ仕様。
万引き防止か? 誰がやるんだよ。
正直、5Fくらいでダメかな、という感じはあった。
でも希望的観測でひた走る。
7F。トイレ。太腿をぴったりと締めながら個室のドアを乱暴に施錠。
運良くビニール袋を持っていたので、ドロドロの汚物で汚れたパンツはそれに入れてトイレのゴミ箱に捨てさせてもらった。
ビル関係者のみなさんごめんなさい。でも、自宅まで汚物を持ち歩く方が公衆衛生上問題だと思ったんです。
ズボンにまでちょこっと染み出していた分はトイレットペーパーで申し訳程度に拭き取り、カバンでなんとなく隠して帰宅。
電車の中で特段イヤな顔をされたりすることはなかったので、たぶん臭いはしなかったんだと思う。そう信じたい。
途中、どうしても喉が乾いてしょうがなかったのでコンビニでピルクルを買って飲んだら第三波が来ました。
乳酸菌が長期的におなかによくても冷たい液体が短期的に悪いに決まっておろうが。
正直アホの極みだと思うが、それくらい判断力がボロボロだったんです。
家に帰ってズボンを手洗いし、あとは何度かトイレで水下痢を出して一件落着でした。どこがだよ。
~おしり~
どうやら明日の27日から長篠合戦と小牧・長久手合戦の屏風が展示される様子でしたわ。
インターネットで簡単に事前確認できる情報からは分かりませんでした。
作業中のシャッターの隙間から少しだけ長篠合戦の屏風が見えましたわ
およよ・・・
代わりにデジタルで拡大して屏風絵をみれるタッチパネルを触ってきました。
兜を脱いだ姿はみんな髪型が同じですわ。
あそこに大砲を据えられたら大変なのでは?
そうでなくても木曽川の対岸に大砲を設置されると滅多撃ちですわね。
模型にあった城内の馬場で飼われている馬は二カ所あわせて17頭でした。
180度ターンの説明を読んで、どんでん返しの語原に気づきましたわ。
という気になったけれど、検索したら忍者屋敷か歌舞伎が語源みたいですわね。
道を挟んで向かいには同じチケットで入館できる「からくり展示館」が
ありました。
木の歯車やクジラの髭で複雑な動きをするからくり人形に驚きです。
自分で操り人形を操作してみれる展示があり、からくりサーカスを
ふと思い出しましたわ。
今回もダメだったね
ようやくあなたと仲良くなれたかなと思って近づいてみた途端叩き落とされたね
こんなことを一体何年何回くり返してきたんだろう。どうして仲良くなれないんだろう。どうして私の価値観を認めてもらえないんだろう。髪型、服、恋人、日常、どうして逐一文句を言われなければならないのだろう。私はあなたの操り人形でも着せ替え人形でもないのに
初めから期待しなきゃいいことなんてわかってる。でもやっぱりあなたのことが好きだから今度こそ分かり合えたんじゃないかって毎回少しは期待してしまう
なんどもバカみたいに繰り返される中でただ一つ私の心に澱のように溜まっていく気持ち
私は絶対こんな親にはならない
早く死にたい。今後生きていても何も幸せなことなんてない。誰の事も幸せにできず、自分の事さえも幸せにできない。
生きていてなにひとつ良いことがないのであれば、生きてても仕方ないじゃない。
突然の寂しさや悲しさにどうすることもできずただ誰かに八つ当たりしたり涙を流す事しかできず、そんな自分がとても嫌だ。
自分がある人から離れると、その人はたちまち幸せな人になる。隣の芝が青く見える効果もきっとあるだろう。
自分は一切人に何の影響も与えられてないし、自分はただ相手の都合の良い玩具になるだけの単なる操り人形だ。
自分がいなくても、いや、いないほうが彼らや彼女らは楽しそうだ。
みんなどうして前を向いたり、後ろ向きでもちゃんと進み続けることができるのだろう?
どうして人と関わることに嫌気がささないのだろう?
どうして楽しく居続けられるのだろう?