はてなキーワード: 戦士とは
この包みの奥底には俺……またの名を“絶対零度の魔弾”の証言を収めたテープや証拠の品が入って封印されている。
この痛み、アンナの痛み…コロニーが核ミサイルのターゲットに ・・・それが、アイツの最後の言葉になった訳を知る限りしゃべった。
もし俺が死んだらこれを警察に届けて戴いてゆくぞ。
大人が真実(トゥルシズム)だと信じてくれたらこのコロニーは救われる……そして、やがては暗黒の大地に君臨すると思う。
俺を…慕っている、だって……?が直接ポポポ-ポリスmen-に自首しようとも預言書を信じたんだが、何て語り継がれるか、そうするのは逃げるみたいに予見えて、ここで戦うのを止めると自分が自分だけの楽園でなくなる………と預言書にも記されているような(暗黙と閑寂)
連邦が憎いとか…これは異界≪ビヨンドに生きる者達の物語の始まりにすぎない…、エリートソルジャーどものエネミーを討ちたいなどという詠唱するんならばないんだ。
神の導きのままに世界の記録<アカシックレコード>の履歴<ログ>えないけど、アルマギアと…刹那・F・セイエイと――人類は最後まで戦ってみたくなったんだ。
余がソルジャーだ…預言書にはそうあるからなのか …貴様の故郷は私が滅ぼした。嘆きの種〈グリーフシード〉はもう一人の「友」――魔導院による最新の研究データによれば星の瞬きに呼応するように分からない。
アル、俺は多分『円環の理』に導かれるだろうがその黒いフードの男魔法でユニオンソルジャーズの帝国騎士や機械の体を依代とした72の『悪魔達』のパイロットを恨んだりし破滅を招くでくんな。光の戦士たちだって、俺と同じだと……? フン、穢らわしいッ!!!で我が魂の宿りし器がやる業〈カルマ〉を有すだと幻想(おも)った「アギト」をやってるだけ――ただそれだけなんだ。
こんな呪文では勝ち目がないかもしれないけど他人を恨んだり己のことを責めたりしないでくれ。これ程の使い手は俺のアルティマニア・ファイナリウムの神の思し召しだ。
もし運良く生き延びて戦争が”魔法”は解けたらさ、…どこに逃げようとも、必ずこのコロニーに帰って……お前にも、いつかわかる時がくるよ。会いに来る。約束だ。
いや戦うっていうとなんか闘争! 自由のための戦士! みたいでイタいからあれだけど、ポリコレ的な主張を一歩引いて見るようにするとかそういうので。
大体の人は自分が好きなものに規制や非難が迫ってきたと実感しないと、「道徳的」な圧力のことを何だかんだで良いものと認識してしまう。
だからこういう「自分の好きが排斥されるのでは」ってなった時が数少ない意見を変えるきっかけだと思う。
まーこれまでポリコレ大賛成って感じだったら、手のひら返しと見られるのが気になるし過去の自分を裏切るようだし、あと自分の中でもポリコレを好ましく思い続ける部分は残って躊躇うとこだろうけど。
私もしばらく前までポリコレとかジェンフリとかめっちゃ推してたのが、自分の隙だったジャンルがジワジワ絞められ始めたことで手のひらを返した……。
でもポリコレによって私の尊厳が守られてる、アンチポリコレの言説が私を傷つけてると思う場面もそれなりにあるから、迷いは常にあるけども。
『彼方のアストラ』が最終話だから感想書こうと思ったけれども、細かいこと言い出すなら色々とあっても結論としては『良い作品だった』ってことになるから、まあいいや。
ド派手なアクションシーンで楽しませながら、終盤にちょっとしたオチ。
まあ終盤のオチは、あれがないと単なる「巨大生物に立ち向かう戦士たちのヒューマンドラマ」になって月並みだから、ちょっと捻ってみましたっていう印象のほうが強いかな。
もちろん設定とかもちゃんとこじつけてはいるけれども、大筋の描写がしっかりしすぎているが故の弊害かもしれない。
『マッチョグルメ』の人が原作だってこと踏まえると、ある意味で納得。
ややもすると真面目に描きにくい話を、大真面目に描いてストーリーを成立させるっていうスタイルだからね。
いや、「良くも悪くも言うことない」ってのは、つまり評価していないってことになるか。
前半の話に読者を引き込んでくれるようなものがないし、後半はタイトルにもなってる『鬼の影』についての解説がほとんどだし。
坦々としているというか、陳腐というか、「設定垂れ流しマンガ」みたいになってしまっている。
「実は主人公は……」みたいなパターンも定番だし、その展開も読んでいる途中ですぐに気づく。
展開が読めること自体が悪いとは一概に言えないけれども、それが作品の面白さとは何ら関係ないってのは欠点だと思う。
絵も基本的に拙いけれども、鬼の影が登場する場面は割とサマになっている気がする。
カラーの力が大きいだけかもしれないが。
ストーリーものってサクッと読めないから感想書きにくいけれども、テーマが最初からハッキリしていると、それだけで読みやすくて助かる。
粗探しをするなら、ニケはキャラクターとしては出来ているけれども、ストーリー上の役割としては舞台装置的でしかないって点かな。
超常的な存在なのに大したことをやらせないから、展開としてはあまり盛り上がらない、役割としての必然性が薄い。
もちろん主人公の心境が少しだけ変化するキッカケにはなっているけれども、その程度だったら別に似たような人格の登場人物でも良いって思ってしまう。
“ハートフルコメディ”らしいが、コメディ要素に関してはそこまで楽しいと思える要素が少ない(ハートフル要素に関しては異論はないけれども)。
とはいえ描きたいことは理解できるし、作風と演出そのものにケチをつけるようなところはないので、総じて手堅く纏まっているって印象。
回想の代わりに動画の記録という演出を取り入れて、その演出がちゃんとストーリー上でも意味があったと分かる構成が良い。
この手の話ってオチが読めたり、判明した後だと途端に白けるんだけれども、本作はそれが分かった上でなお読ませる構成になっているのが上手いと思う。
オチを理解したうえで改めて読み返すと、カメラに映っている登場人物たちの言動とか、視点が見下ろしになったところとか、色んな箇所に恐怖を覚えるっていうね。
もう一度読み返したくなるっていう意味では、今回感想を書いた読み切りの中では一番印象的かな。
難点は、ちゃんと読み込まないと話を理解しにくい構成なのが一長一短といったところ。
色々と工夫しているのに、それが分かりにくいのは勿体無いと思う。
余談。常々思っていることなんだけれども、はてブでホッテントリになる漫画って、いまいち基準が分からないことが多いんだよね(面白いかどうかって話じゃなくて、面白いマンガの中からホッテントリになるのはどういう類のものなんだろうって話)。ただ、今回のに関してはまあ分かる。やっぱりプロットにキャッチーさがあると強い。
特定のシーンとかしっかりキマっていて、絵の迫力も中々なのに、話の流れとか展開が不自然なところが多くて悪目立ちしてる。
セリフ選びのセンスというかセリフ運びもぎこちなくて、そっちが気になって目が滑る(深読みするなら、一応この不自然さにはちゃんと理由があるといえなくもないんだけれども、ほとんどの登場人物のセリフがぎこちないから、ちゃんと機能しているといいにくい)。
テーマは犯人のセリフからして明瞭ではあるけれども、ただ喋らせているだけって感じ。
ときおり出てくる独特な表現がプロットに馴染んでなくて、単なる賑やかし的な飾りにしかなってないのも気になるし。
演出意図が希薄なのに目立つ表現って、悪目立ちに近いから読んでると戸惑う。
作風は色濃く出ていて、一つ一つの要素を抜き出して評価する分には面白いんだけれども、それらが一つの作品としては噛み合ってないなあって印象。
こういうシチュエーションは、『言の葉の庭』を思い出すね(別にパクりって言いたいわけじゃない)。
『君の名は』でメジャー級になるまで、新海誠監督がいまいち大衆に認知されない理由を象徴するような作品だと思う。『言の葉の庭』って。
アニメーションと表現力は圧倒的なんだけれども、プロットが退屈すぎるからね。
主要人物のやり取りとかの繊細さ、空気感など、作り手の表現したいことを汲み取った上でなお退屈だった。
なんか『言の葉の庭』の感想になっちゃたけれども、なんでこういう話をするかというと、この漫画の長所も短所も大体同じだからだと思う。
身も蓋もないことをいえば、動きの少ない、劇的じゃない物語を面白がるのは難しい。
ましてや本作は漫画だから劇半やアニメーションがない分、漫画という媒体を存分に活かした表現や、よりプロットが重厚で繊細でないと厳しい。
キャラ漫画とかだと、キャラクター性に振り切ることで緩和されるけれども、地に足の着いた登場人物たちが現実的な世界観で物語を紡ぐなら何らかのフック、エンターテイメント性のある劇的な要素がないと、どうしても盛り上がりに欠ける。
漫画的記号のキャラであるゴッデスと、漫画的記号の取り巻きたちに、主人公がイライラするっていう要はメタフィクション要素の強い作品。
“こんなヤツ現実にいるわけがないし、いたとすれば絶対キャラでやってるだろ”っていう読者の共通認識をコメディの主体にしているのは、取っ掛かりとして良いと思う。
「キャラとかではなく、本当に忘れっぽいだけ」みたいなオチに逃げず、ゴッデスが最後の最後にやらかしたポカが、ネタを忘れるっていう展開なのも利いてる。
深読みするなら、結局ゴッデスがネタでやっているのか、素でやっているのか有耶無耶にしているとも解釈できるけれども、それだと話としてフワフワしすぎているから個人的にその線はナシかなあ。
それと、展開にもう一捻り欲しい。
漫画的記号に対するツッコミを主体にするなら、それこそゴッデスというキャラや、彼女を持てはやす取り巻きの不気味さとか掘り下げられる要素はたくさんあるのに、ただ表面をなぞっているだけのストーリーになっているのが物足りないかなあ。
最近ようやく最終巻を買ったのでこの際だからとゼロの使い魔を最初から読み返してる
三銃士の時代って世界史的には三十年戦争辺りになる訳だけど、あのくらいの時代ってなんというかちょうどいいとゼロ魔読みながら思った
ファンタジー小説って剣一本でズバズバ大勢をやっつける凄腕の戦士や魔法使いが戦術兵器、さらに凄い戦士や魔法使いだと戦略兵器扱いされてたりする訳じゃん
でも近代的な武器と大軍を運用するノウハウが出揃ってくるとそういう人達って相対的に地位が下がっていく
個としての強さよりも数を揃えることとそれを運用することの方が重要になってくる
もちろん魔法や個として飛び抜けて強い人を近代的な戦術に組み込んでいく事は当然あると思う
でもそれってファンタジー世界の剣と魔法、分かりやすい英雄譚としてのそれではなくなる
対戦車魔法兵の話とか面白そうだけど、どう考えても泥臭い話になるじゃん
ゼロ魔の主人公である才人は作中である事情から7万の大軍と単騎で対峙することになる
その結末は一応ネタバレになるからさておくとして、それがお話として成立するのはゼロ魔の世界観の文明レベルくらいが限界だと思う
そういう意味でもゼロ魔の世界観の扱い方は凄く上手いなぁって思う
プロに上手いって偉そうだとは思うんだけどそれ以外の表現が思いつかない
惜しい人を早くに亡くしてしまったのだなぁと改めて思った
だいたいみんな同じ気持ちなんだけど、
ただ、ひと握り居る、
表向きポリコレに乗っかって、実は利権を確保したいだけの詐欺師、
ストレス解消や売名・炎上商法の為に他人をあざ笑う記事書く荒らし、
そんな連中が書き込むと広まっちゃうのよ。
「私の知人に〜という奴がいた」「私が聞いたところでは〜だった」など
主語を大きくし、下手をすると人類代表のような顔をして書くから
批難される側・被害を受ける側が膨大すぎて、どうしても話が大きくなっちゃう。
特にニコニコだと誰でも目に付く所にニュースリンク貼ってあったり
はてなだとそういう連中の話をホッテントリなんかで取り上げるから更にね。
そしてそのまま放っておくと、
3DCGアニメがだいぶ増えた2017年でしが、初っ端から不安にさせてくれた作品。
とにかく画面の情報量が多く目が疲れる。一話の鎖がぬるぬる動く所など3Dを活かしたつもりなんだろうがそんな物見せられても…。
ストーリーはハンドシェイカーになった二人組が命も賭けずどうでもいい願いを叶えるために戦うバトルロイヤル物。手を繋ぎながら戦う主人公とヒロインという設定はあの漫画(ゲーム)のパクリかな?
殺したり殺されたりが無いので最終話辺りでみんな仲良くなってたのは笑った。
色んな謎を残したまま終わったけど多分回収されることはないんだろうな。
一体いつの時代から蘇ってきたんだと思うほどベタベタなラノベアニメ。天才ひねくれ主人公とベッタベタなツンデレ毒舌暴力ヒロインの組み合わせに多すぎる専門用語が懐かしさを感じる。
原作は2015年を最後に止まっているがなぜこのタイミングでアニメ化したのか?漫画は一応続いているようだが。
頭おかしいキャラしかいない。早見沙織の熱演が無ければ途中で切ってた。
1期の時点でやべーとしか言いようが無かったが全く改善されなかった2期。
期待していた狂戦士の甲冑の戦闘シーンも悲しいほどにしょぼく、過去に発売されたゲームやベルセルク無双を1000回ほど見て参考にして欲しい。
原作ストック的に3期も可能だがこのスタッフが作る続きなら見たくない。
中盤であのキャラが実はアレと判明した後ザシュニナが急速に小物化していき、最終話の展開とヤンホモ化にため息が出た。
同クールに「異世界食堂」「ナイツ&マジック」と異世界物が3つもある中で一際異彩を放っていた問題作。
11話ショックが増田でバズってたのが印象的。個人的には11話より最終話の吐気がするほど気持ち悪いキスシーンと出すだけ出して何の掘り下げもなく消えていった新キャラの方がショックだった。
異世界系批判、なろう系批判、深夜アニメ批判と多大な影響を残した本作は今後殿堂入りクソアニメとして語り継がれるだろう。
2018年も多数の異世界web小説がアニメ化するようだが、これを越えるクソアニメは出てくるのだろうか。今から楽しみでしょうがない。
そもそも各話で監督が別という試み自体「迷い猫オーバーラン!」という失敗例があるため全く斬新でもなんでもない。
わざわざ新田恵海を起用したアイドル回、唐突に3DCGになりメインキャラが全く出ないポル・ポト回など心惹かれる回もあったが、ほとんどが意味不明なストーリーでついていけない。
感想ツイートをあさっている時、原作ファンの女性が本気で凹んでいるのを見つけてかわいそうになった。
ガラケー時代からゴリ押しされていたケータイ小説がついにアニメ化!原作は8作品もあるらしい。マジかよ…。
何の思い入れもないクズみたいな登場人物が北斗の拳のモヒカンのようにバタバタ死んでいく姿は正直笑える。スマホの広告に出てくるアプリ漫画ってみんなこんな感じなの?
宮野真守、堀江由衣他声優陣の熱演がすごい。すごすぎてこれがまた笑える。
寒い。
2016年の異常な勢いが見事に止まった不作の年。
ポスト君の名は。を勝手に期待されて見事に爆死した打ち上げ花火。直前まで散々煽っておいて公開後は全く触れなくなった各種メディアは何を見たのか?主題歌大ヒットおめでとうございます。
正確には去年公開だけどポッピンQも酷かった。オタ向けなのか女児向けなのかはっきりしない中身すっからかんの出来でどちらからも相手にされず人知れず死んでいった。スタッフのビッグマウスも炎上してましたね。続きがあるような終わり方だったけどどうなんでしょ。
あとは何も言えねぇひるね姫。ジェネリックジブリ扱いのメアリと魔女の花。期待された湯浅政明の2作もなぁ…うーん…
なお恐ろしく地味で宣伝してる所を全く見かけなかった「きみの声をとどけたい」は普通に良い映画でした。
小規模公開でも確実に稼いでくれる+熱心なファンは特典目的で何度も足を運び、円盤まで買ってくれる手堅い商法。
クソみたいな総集編映画が減り、劇場のスクリーンに映る事を意識した新規映像は見応えがありファンとしても嬉しいし安心して見に行ける。
特に劇場版SAOは大ヒット。興行収入10億円を越えたらヒットと言われる中で世界累計33.5億円、中国だけでも8.6億円は素直に凄い。
なおエウレカ
ふと思い出したので、さっさと書くが、かなり前に「思想の多様性を認めるならば、『他の思想を認めない』という思想も認めるのか?」みたいなパラドクスのような話題があったな、と
ただ、『他の思想を認めない』という思想というのは、「ファシズム(全体主義)」なのだと思うが、「ファシズムを認めるのか?」と言ったら、NOなのではないか
というか、リベラル系の人が支持を失っている理由も、思想が過激な「人権ファシズム」的になっているからだと思うし、逆に言えば、リベラル系は思想の多様性を失っている(故に閉塞している)、とも言える
「だから日本のリベラルは~」と言うつもりはないし、例えば、アメリカのリベラルにしても「ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー(社会正義の戦士)」が嘲笑の対象になっているし、メルケルの強引な移民政策の問題も結局の所、そこだと思う
やはり、バランス感覚というのは必要だと思うし、「今の日本は右傾化している」と言っても、民族主義者が台頭してきたら(例えば、教育勅語がどうこう言い出したら)、批判の対象になると思うし、今の日本がそこまでバランスを失っているとも思えない
ただ、日本において、ネットによる情報共有で「思想の同一化」や「思想の並列化」はかなり進んでいると思うが、ある程度、均質化して変化に対応出来るスピードを速くしないと技術革新のスピードについて行けないのではないか?という疑念は個人的に少しある
アメリカでは思想のコンフリクトが異常な状態だし、逆に中国は思想統制の方向に動いているが、「中庸」という意味でも悪くは無いのかなと思う
オタクが「表現の自由戦士」と笑われているけど、リベラルもゾーニングを推進しすぎて大概だわ。
でも、原理主義みたいにそれを推進したら、うまくいくはずない。
例えば最近話題のコンビニのエロ本問題だって、すでにゾーニングが実施されている。
そういう本は店の片隅に置かれていて、子供は立ち読み・購入を禁止されているが、これはゾーニングの一つの形態である。
子供たちはそういう卑猥な本を軽蔑するようになるし、それを買っているエロオヤジのことも軽蔑するだろう。
私は撤去しなくても、この現状のゾーニングでちょうどいいと思うけどね。
もし店内でエロ本を立ち読みするオッサンが怖いというなら、本をビニールで包んで、大人も立ち読みができなくするくらいの対策はしてもいいかもしれない。
ただ、コンビニに陳列してあること自体が問題だというのは、私の感覚ではちょっと理解できない。
リベラルが言っている「見たくないものを見ない権利」は、行き過ぎた過激思想ではないか?
実際には「どっちでもいい」と考える人たち、または「どちらかというと不快だが許容範囲」くらいの中間派がたくさんいるはずだ。
誰も得しないというかコンビニにとってはデメリットの方が大きいのが実情。
成年誌はそもそも売れない・万引き率が高い・客層が悪化する・返本処理に手間がかかる等々、むしろコンビニ側としては取り扱いたくない商品筆頭で、千葉市の一件以前から全国的に成年誌スペースは縮小傾向にあった。
千葉市が要請したのは「千葉市内のコンビニで、市が費用負担したうえでのカバーかけ」であったのに対し、実現したのは「全国のイオングループでの成年誌取扱停止」。千葉市長ひとりでどうこうできる範疇じゃない。
どうも「イオンは成年誌を売りたくて仕方がなかったのに、行政が圧力をかけて無理矢理やめさせた」構図にしたい人が多いみたいだが、実情は逆だろう。
イオンは以前から成年誌の取扱をやめたかったが、出版業界との兼ね合いや表現の自由戦士に炎上させられる等々懸念事項もあって踏み切れなかった。
そんな中千葉市の取り組みを知り、それに乗っかる形をとった。
ほかのコンビニチェーンにカバーかけを断られ成果を上げられずにいた熊谷市長に地場企業として恩を売り、
表現の自由戦士のヘイトは自社でなく千葉市に向けられる。イオンの担当者は非常に優秀だね。
戦士諸君の言い分に従うと、当のイオン経営層が成年誌を売りたがっていなくても、店頭に成年誌を並べ続けなければならないらしい。大多数は買いもしないのに。
本当に何と戦っているのかわからない。