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はてなキーワード: 小学校とは

2022-05-05

anond:20220505003653

書き方も教えずにかけっていうクソみてーな教育をいまだにしてんのか小学校

作文絵日記まじでクソ

ありえんだろ

タイトル名前段落は1ますあけるだけきいてどうかけチャンジャ

体育における障害児学級

小学校から高校まで、運動神経が悪くてずっと体育の時間に苦労していた。

真剣にやったスポーツテストでは学年で二人しかいないEだかfだか判定だったし、成人後に知能検査を受けても手先の器用さあたりはE判定で手先を使う仕事はやめとけとか出たので、もはやちょっとした運動音痴じゃなくて、文字通り運動神経になんらかの不具合があるんだと思う。

で、ずーっと運動なんかって思ってたんだけど、フィットボクシング始めて半年ぐらいで、自宅で自分のペースで、わかんないところあったらネットで調べたりしながらやってると、身体の使い方がわかってきて結構楽しい

腹筋ってここにあったんだな。とか。

右肩を下げるとは、左肩を前に出すということだ。とか。

軸足って回転時に体重をかける足ってことだったのか!とか。

文字が読めないとか書けないとか、そういういろんな生まれつきの不具合は、いま少しずつ学校対応されつつあると聞いているけど、運動はどうなのかな。

スポーツテストで、明らかに運動神経が悪い、までは確認できてるんだから、みんなで一律授業じゃなくて、体育も状況に合わせて別クラス作ってくれればいいのにな。

身体の上手な動かし方とか、小学校のうちに学べていたら、もうちょっと人生いろんなことができたかもしれない。

まあ、そんなこと言い出したら音痴なので音楽は別クラス。絵が下手なので美術は別クラス…でキリがなくなっちゅうけどさ

しこたま金稼いで廃小学校買いたい

2022-05-03

金持ち子沢山、貧乏人は子どもいないってさ

都市部だけじゃなくどいなかでも、おなじなんだろか。

どいなかだけでデータとれば、少し変わったりしないかな。

おれ自身あほから統計データとか読めねぇんだけど

このあいだ久々に人口1万くらいの、県庁所在地(県の1番の街)まで2時間近くかかる地元の町まで帰ったんだけど、

みんなめちゃくちゃ子供作っててびっくりしたんだが。。

旦那奥さんあわせて500万いくかなくらい(例→旦那は夏しかからない観光施設スタッフ+奥さん道の駅バイト)で三世代同居してて子供3人とか。

実際、おれ自身が通ってたときより小学校の全校生徒増えてたんだよな。

独自住宅支援とかあるみたいだけど、ほんとわらっちまうくらいみーんな2人以上作っててビックリした。

おれみたいに都会に出たきり消息不明人間以外はみなすごくファミリーやってたぞ。

毒親に「愛想も尽きた」と言われた話

当時私は小学校6年生で、英語ピアノ水泳珠算と週5で習い事に通わされていた。

その多忙を極める日々の中でも学校で友人が出来、皆で動物園に行こうという事になった。

県外に5人で外出するというのは初めての経験だった。

から門限は厳しく設定されており、5時を過ぎると鍵をかけて入れなくなってしまう。

自分用の鍵は渡されておらず門限を破れば夕飯も自動的に抜きとなっていた。

で、動物園へ行く日。口が酸っぱくなる程門限を破るなと言われたが

同行した友人達我が家の家庭事情を知っていたので「そんなの気にするな」と口々に言った。

正直言って、頭の良い集団では無かった。授業中もお絵描きをし手紙を回し続ける。私は休み時間図書室で借りて来た本を読んで読書に耽るタイプだったが何故かその時は「仲間」として誘われる運びとなった。

キドキしながら駅に着き、電車に乗る。渡されたお小遣いで食べる物を買い、色々な動物を見た。夕刻が過ぎ、その内に戻るべき駅から段々離れている事に気付いた。そして閉園の時間が迫っていた。

学校遠足ではタイムスケジュールが定められていたが、計画性もない小学生だった我々はただただ進みたいように歩き回ってしまった。

閉園の時間。園内放送が流れ、私達はとにかく園の外に出なければと駅とは真反対のゲートへ向かう。

子供の頭と足では、駅までどうやっても遠かった。

そうして園の外に出てから駅へ向かう事を決めた。園をぐるっと取り囲む柵に沿うようにひたすら歩いた。

その時点で既に6時。携帯も無い時代だ。

グループの中で最も貧乏で頭の悪い子供が私達を励ます。「何とかなるって!」

駅に着いた時点で6時なら、そこから自宅まで1時間かかる事になり、最終的に7時前後。塾の時間であればもっと遅くなる事もあったがこれは単なる遊び。

こっぴどく怒られる事は想像に難くなかったが矢張り、その通りになった。

勘当だ」と締め出され叱られる。恐らく他の子供達は温かい食事に有り付けただろうに、自分けが空腹のまま。父が怒れば必ず母が従う形になった。

そして遂には「お前には愛想も尽きた」と吐きつけるように言われた。

元々、父が家に帰ってくる事すら稀だった。やれ海外出張だ、やれ残業だと顔を合わせる機会は無く会ったとしても二、三小言を言われるのみ。その日の楽しかった気分は既に疲労で滅茶苦茶になっていたがそれに加えてこの言葉身体から力が抜けていく思いだった。親の言う通りにしなければ、敷かれたレールの上を少しでも外れれば否定され貶される。助けてやろうという気持ち心配に思う気持ち微塵も無い。

自分には皆との楽しい思い出がある、なんて全く思えなかった。どこまで行っても何をしても叱られる。

親としての愛情など受けたつもりは無かった。自らの塾通いのお陰か、親より高い偏差値高校入学したが今でもあの時の事を思い出す。そしてたまにその激重感情自分を苦しめる。私は頑張ってたじゃないか。何故何一つ褒めてくれなかったのか、と。

聞けば親はその時既に別の女性関係を持っていたらしい。

たまに会えば携帯を弄り始め仕事の話ばかりしてくる親。愛想を尽かしたのはどちらが先だったのだろう。

2022-05-02

anond:20220502223307

カチンときてもちゃんと結果は出すようにするのが頭では分かってるってことじゃないの

頑張ったんだから結果なんてどうでもいいが通用するのは小学校運動会だけなんだよね

小言で終わらせてくれる嫁さんに甘えているってこと自覚したほうがいいよ

アニメーションを作る仕事をしていた【前編】

プリキュア」「ワンピース」など、東映アニメーション4作品の通常放送再開が発表 「お待たせをして申し訳ございません」

https://animeanime.jp/article/2022/04/06/68680.html

約十年前、曇りだったあの日新卒で入った会社人材営業をする日々に疲弊していた頃、新宿駅構内で、あるエンタメ企業求人ポスターを見かけた。

アニメを作る仕事したことはなかったが、興味を感じて応募したところ、あれよあれよという間に内定をいただいた。役員面接パスだった。

それからの私は、『アニメを作る仕事』に邁進する日々を過ごすことになる。長い時間だった。毎日が修業だった。

数年前、無理がたたって病院送りになった。心も体も限界だったのだ。大したレベルではないが後遺症も残った。退院後も結局、心身の調子回復しなかった。

それで、退職を申し出て、東京から遠く離れた田舎に帰った(のんのんびより聖地が近くにある)。今はお堅い仕事に就いている。

十分な時間が過ぎた。そろそろ、当時を振り返ってもよいのではないかあの日々への整理を付けられるはずだ。今からエンタメ企業アニメ部門で○年の時を過ごした男の話をする。

この記事で述べたいのは、シンプルに2点(5/4 以前はシンプリーでした。ブクマでご指摘いただきありがとうございます)。エンターテイメント業界で働いて面白かったことと、つまらなかったことだ。直情的に言うと、『心と体の奥底から感動できたこと』と、『エンタメ業界のほの暗いところ(要するに、こいつらマジでクソだなと思ったこと)』だ。どちらもけっこうな数がある。

それでは、さっそく説明していく。



― 心と体の奥底から感動できたこと ―

子どもの頃はアニメが好きだった。一番ハマったのは、『魔法陣グルグル』だった気がする。衛星放送では『白鯨伝説』やCLAMP作品を見ていた。

だが、小学校生活の終わり頃から学習塾に通うようになり、夕方以降にやっているアニメを見れなくなった。中学勉強漬けの日々を過ごしていた私は、いつの間にやらアニメのことを一切忘れてしまった。

中学時代も、高校時代も、大学時代もそうだった。変わらない。

いや、違う。大学の時は、深夜にやっているアニメをたまに見ていた。「コードギアス」「DARKER THAN BLACK -黒の契約者-」「蟲師」「夏目友人帳」あたりは確実に見ていた。

人材営業会社で働くようになってからは、金曜日の深夜に自宅に帰った時、疲れ切った頭でテレビを点けて「こんなアニメあったっけ」と、ボンヤリした気分で視聴することがあった。

私はたぶん、アニメが好きだったんだろう。なぜ見なくなったのかと言えば、十分楽しめるだけの精神的余裕がなかったからだ。ならばいっそ、見ない方がいい。中途半端に楽しむのは嫌だ。中学生になった時も、そんな動機アニメを一切見なくなったのだ。きっと。

そんな私が、アニメーション作品などを作る会社(以下「弊社」という。)に入社した後は、これまたどっぷりと『世界』に浸かることになった。入社から退職まで人事異動はなく、ずっとアニメ製作部門だった。

最初の頃は、アニメ雑誌のインタビュー記事に出るようなプロデューサーその他の足もとで働いた。雑用はもちろんのこと、小さい企画を考案したり、経理その他の事務や、各関係者とのスケジュール調整などを担っていた。ホワイトカラーに毛が生えたような業務内容だ。

ところで、人生で一番最初に携わったアニメは、某少女コミックでそこそこ人気を博した作品だった。タイトルは言わないが、雰囲気は『隣の怪物くん』に似ている。私が入社する半年から企画が始まっており、当初の担当者から引継ぎを受けた。携わったといっても、スタッフロール名前が載るわけでもない端役としてだが。実際、大したことはしなかった。やはりホワイトカラーの枠内に納まる仕事だ。

しかし、これは実際に私の世界を拡げてくれた。方々の兵が集まる企画会議に、必要とあらば関係各所を訪問して説得交渉にあたり、お金の雲行きが怪しくなればどうにかやり繰りをする(ダメなら追加出資企画削減)。ごく稀に、スタジオ等の収録現場では声優の本気と、半面その悲哀を目の当たりにし(ここらへんは後述)、成功した作品打ち上げ会では、自分達が作った数字を眺めて溜飲を下げる。

長い月日が経って、エンタメ業界に慣れてきた頃だと、新作の立ち上げに、利害関係者間の調整(交渉)に、プロジェクト全体の損益見通しの皮算用に、イベント企画運営に、ホームページ管理に……とにかく、アニメを見ない日はなかった。

面白かったのは、いろんな業界の人に会えることだ。クリエイターには当然会えるし、経営者にも会えるし、事務屋とも話をするし、現場労働で身を焦がす人も間近で観られる。特に印象に残っているのは、漫画家声優だ。アニメーターとは、あまり交流の機会がなかった……。

とあるアニメ原作者が一番印象に残っている。つまり作品の神だ。例の人と呼ばせていただく。

例の人は、ほかの漫画家とは一線を画していた。私がいっぱしに携わったと公言できるアニメは計20本近くになるのだが、その半数は漫画原作である。私達は、最低でも一度は彼ら彼女ら(作品の神)の姿を拝むことになる。機会は少ないが。

原作シナリオを変える時には事前に伺いを立てるし(ex.某鬼狩りアニメ敵役台詞である「禍福は糾える縄の如しだろ~」は改変が検討されたらしい。彼が難しい言葉を知っている境遇ではないため)、重要放送回だと制作現場に来てもらうし、打ち上げその他のパーティーがあれば楽しんでもらえるように最大限配慮する。

自作アニメ化されるレベル漫画家小説家というのは、揃いも揃って個性派だ。めちゃくちゃに大騒ぎをする人もいれば、ひたすら黙って沈思黙考の人もいれば、なんかもう色々とはっちゃける人もいれば、欲望丸出しで悪い意味子どもみたいな人もいれば、一般企業でも通用しそうな思考や行動の持ち主もいる。

例の人は、漫画家として優れているだけでなく、人格も見識も申し分なかった。落ち着いた性格で、人柄がよくて、教養もあった。話のやり取りすべてが学びに繋がり、励みになった。初めて会った時の吾峠呼世晴さんは、とにかく、これまで出会った数多の創造者の中で抜きん出ていた。

普通ラスボス人格根底太平洋戦争末期の日本の政治指導者所謂ファシスト)に置くなど、誰が考えつくだろうか。私は、鬼舞辻無惨の例の粛清の場面を読んだ時、丸山真男の「現代政治思想と行動」が真っ先に頭に浮かんだ。あの時、脳に痺れを感じたのを覚えている。

この類の書物を読んで、無惨様のキャラクターを作ったのは間違いないのだ。自らを善とするためであれば、どんな言辞をも取り入れ、どんな諫言も亡きものにする。

例として、あの粛清の時に魘夢が助かったのは、「無惨様を肯定たから」だ。「下弦の鬼を解体する」というトップが決めた戦略方針が、たったの一言撤回された――常なる無謬性がファシズムの基本である

あの時、「無惨様のキャラ付け旧日本軍意識したのですか」と聞いておけばよかった。残りの人生で聞くことができる機会は二度とない。無念だ。

 しかも彼等はみな、何物か見えざる力に駆り立てられ、失敗の恐しさにわななきながら目をつぶって突き進んだのである。彼等は戦争を欲したかといえば然りであり、彼等は戦争を避けようとしたかといえばこれまた然りということになる。戦争を欲したにも拘らず戦争を避けようとし、戦争を避けようとしたにも拘らず戦争の道を敢て選んだのが事の実相であった。政治権力のあらゆる非計画性と非組織性にも拘らずそれはまぎれもなく戦争へと方向づけられていた。

新装版〕現代政治思想と行動 (2006)丸山真男 P.91~P.92



エンタメ業界のほの暗いところ ―

この業界で働いていて、「この感じ、苦手だな」「マジでクソだな」と感じたことは当然ある。字数関係もあるが、何点かに分けて述べていく。声優の悲哀とか、人間嫉妬やねたみの話になる。

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声優アニメ。一応付言するが、私が携わった作品ではない。

まだ新人だった頃、先輩(兼上司)に連れられて現場を見ることがあった。現場というのは、アニメ制作会社とか、編集スタジオとか、音声の収録現場などだ。

そのためだけに現場に行くのではなく、何かの機会のついでに現場作業見学を申し出るのだ。それで、不思議に思って聞いたことがある。

「(私達は)技術的なことはわからないのに、どうして現場に行くんですか?」

と。それに対して、彼はこう言っていたはずだ。

「確かにからない。仮に、目の前で手抜きをされたとしても見抜けないだろう。でも、企画である俺達が現場に行くことで、『あなた仕事を見ている』というメッセージを伝えることができる。俺達はこの作品に熱をもっていて、いいコンテンツを作れる未来を目指してる。そういう想いを行動で伝えるんだ」

みたいな回答だった。

これは今の私が大事にしていることでもある。要は、発注側が受注側の実仕事をどこまで見るべきかという話だ。今現在の私は、受注側の失敗が社会的に許されない類の仕事をしている。転職後に大きな失敗をしでかさなかったのは、あの先輩のお陰だ。

さて。私が二十代後半の頃だ。例の先輩と一緒に、声優がいる収録現場に初めて音連れたのは。スタジオに入ってしばらく進むと、小ホールみたいな広い空間座椅子が並んでいる待合スペース。十数人はいた。ほぼ声優マネージャー)に出た。その奥に、マイクが並んでいる部屋が映った。木目調で温もりを感じる、しっとりとした空間なのだが、当時の私に予想できるはずもなく。カラオケみたいだなー、とテキトー想念していた。

私と先輩が小ホールに入るなり、セミフォーマル恰好の何人かが寄ってきて、隣にいる先輩に挨拶していた。私も混ぜてもらい、名刺を交換した。

雑談が終わって斜め後ろを振り向くと、女の子と淑女が1人ずつ、あとは男の子が1人、まごつくように並んで私を見ていた――人生で初めて見た声優だった。後で知ったが、攻めのある挨拶活動で知られる声優事務所だった。

ひとりずつ私達の前に出てきて、「~~と申します。(簡単自己紹介よろしくお願いいたします!」と、ハキハキした声でアピールをやってのけた。そのうちの淑女は、私の着ていた衣服お気に入りのやつ)と指輪を褒めるとともに、香水をつけていることを見抜いた(やるな……と感じた)。男の子は謎の一発ギャグを仕掛けてきたのを覚えている。

※かなり昔のことだが、内容は一応伏せる。当日記では、声優個人名前を出すことはない。

私も「よろしくお願いします」と返したものの、微妙な気分になった。たとえ私がどれだけ昇進しようと、彼女たちのキャスティングに関わる可能性は皆無だからだ。まったくゼロではないが……。

例えば、アナウンサーになりたい女子大生は、いろんなイベントコンパニオンとして参加することで武者修行をするわけだろう。それらのイベントでは、今後関わり合いになる人だろうと、これっきりの人だろうと、あの子達は全力で挨拶活動をしていた。熱意は感じるのだが、やはり私には引っかかるものがある。

こんなことを思っている時点で、私はそういう職業には縁がないのかもしれない。今、私は『効率』という観点で物を考えた。あの声優の子が私に挨拶をしても報われる可能性はないのに、と考えた。夢中になっている人間効率のことは考えない。やれることをすべてやる。それだけだ。

かに心をとらえられ、たちまち熱中してしまうのは、謎にみちた不思議なことだが、それは子どももおとなと変わらない。そういう情熱のとりこになってしまった者にはどうしてなのか説明することができないし、そういう経験したことのない者には理解することができない。山の頂を征服することに命を賭ける者がいるが、なぜそんなことをするのか、だれ一人、その当人さえもほんとうに説明することはできないものだ。

はてしない物語(1982) 上田 真而子 (翻訳), 佐藤 真理子 (翻訳), Michael Ende (原著) P.17



の子達は本気だった。報われようが報われまいが、声優として活躍すると決めたからには、生き残るために何でもやる。上でURLを貼ったアマゾンのレビューにもあるが、声優は堅気の仕事ではない。勝った負けたで全部決まる。精一杯頑張っても生き残れる保証はない。選ばれた者だけが生き残る――余談だが、あの時の淑女と男の子は今でも活躍している。女の子はだめだった。

さて。淑女と男の子は、実力があるうえに、礼儀正しく、サービス精神豊富だった。それが生き残った理由だ。しかし、声優全般が行う営業活動には後ろ暗いものも当然ある。5ちゃんねるとかで、たまにアニメ業界出身者がスレッドを立てて降臨することがあるだろう。

それで、やり取りの中で、誰かが「枕営業ってあるの?」と質問をする。スレ主は「そんなのないよ」「聞いたことない」と応えるのが定番だ。

これは、私個人日記だ。この際だからはっきり言う。枕営業をしている声優はいるし、やらさせている声優もいる。重要フォローをさせてもらうが、芸能界の表舞台――ひとつ契約で何百万もの金が動く――に比べれば圧倒的に数は少ない。声優関係のギャラというのは、例えば女性タレントが出るCM撮影や、青年誌グラビアや、全国各所での公演活動と比べても相当に廉価だ。1回の収録につき数万円以内で呼べてしまう。表舞台に比べると利権は少ない。

それでも、そういうことはある。パターン簡単に分けて2つ。いっぱしの声優になりたい、もしくは声優であり続けたい者が、キャスティング権がありそうな人に近づいて配役を得ようとする。

スタジオでの雑談や、小さい贈り物や、二人きりでの食事くらいで留めておけばいいものを、一線を超えてしま場合もある。私が30才を過ぎた頃、例の収録現場で、声優に「よかったらご飯行きましょう」などと声をかけられたことがある(最終的な内訳:男性が2人、女性が5人)。

その際、はっきりと「ごめんね。私にキャスティング権はないんだ」と答えた場合、彼ら彼女らを傷つけてしま可能性が高い。いや、はっきりいって『侮辱である。なので断り方が難しかった。「帰って社内会議があるので」みたいな返答をしていた。

これはまだいい。声優個人or事務所の意思問題だ。「あの役がほしい」とどうしても思っていて、そのためなら何でもやるという覚悟責任さえあれば、枕営業は罪ではないと私個人は感じる。「この業界は堅気じゃない」とはそういうことだ。

追記)正直に言うと、私の妻が声優だった頃に食事に行ったことがある。私から誘ったので上の内訳には入れていない。



以上、「この感じ、苦手だな」と思ったことを述べた。以下に語るのは「マジでクソだな」と思ったことになる。すなわち、個人が望んでいる保証のない枕営業のことだ。アニメ業界に限ったことではなく、エンタメ業界には先日話題になった映画監督のような『畜生』が何人もいる。結果を出している人間の一部がやりたい放題やっているのだ。

まだエンタメ業界にいた頃、そんな人間に捕まったと思われる(主に女性声優の話を聞くたびに胸が痛くなった。このような話題が、どうして私などの塵芥の耳に届いているのか……? そう考えると、さらに心が抉られる思いがした。

おそらくは、やった本人または関係者面白がって吹聴している。私のところまで噂が届くということは、そういうことだ。いろんな声優の姿が脳裏をよぎった。「あの子大丈夫だろうか」といらぬ心配をしてしまうほど、当時の私には『噂』がグッサリと刺さった。

さて。エンタメ業界に恩があるのも事実だ。下種な話題はこれくらいに留めておこう。気が付けば字数がない。前後に分けることにする。

【後編】

https://anond.hatelabo.jp/20220502223252

似たような人いませんか?:運動音痴なのに中学野球部に入った話

部活動のあり方がニュース記事になってたのを見て、自分人生にとって部活とは?とふと中学の頃を思い出した。

俺は小学生の頃、おそらく同級生の中で一番の運動音痴だった。なのに中学で突然思い立って、野球部に入った。

実をいうと、最初はなぜ皆は部活に入ってわざわざ忙しい道を選ぶのか、理解できなかった。が、体育の授業の持久走で同じく運動音痴だと思ってた奴より遅く走り、明らかに体力がないことに気づき、このままでは体育の授業すらついていけなくなるという危機感を抱いて運動部に入ることを決めたというのが実態だ。

ではなぜ野球部だったか理由は以下の2つ。

小学校時代の仲の良い友人が野球部で、誘われた

プロ野球テレビで見たり、野球漫画を読んだりはしてたので、他のスポーツよりはなじみがあった

さて、そうは言ってもド素人の俺。最初キャッチボールすらままならない状態だった。遠投で塁間届かないくらいだったし。見方によっては相当の「お荷物」なんだろうが、先輩も優しかったのと、一回戦勝てないことが多いくらいの決して強くはないチームだったのと、同級生中学から始めたのが大半で、俺ほどではないが決してうまくはない人も多かったので、まあ練習に混ぜてもらう分には問題なかった。

でも、スタートとしては大きく出遅れていた上に、同級生だけで12人。当然誰かよりも上手くならないとレギュラーになれない仕組みな上、2年生になると後輩がすぐにレギュラーになったりしてる有様なので、いわゆるレギュラー争いとは無縁だったし、そんなもんだろうと割り切っていた。

ただ、一生懸命やってるという評価だけはもらえたようで、背番号もらってベンチには入っていた。もはや補欠とも呼べないのに、これでいいのか?と困惑しながら。

3年になっても球拾いを続けてたが、最後大会だけ記念という理由だけで試合勝敗にかかわりそうにない場面で代打で出してもらい、見事に三振した。試合出たのはそれが最初最後

不思議と後悔はしてない。別に最後試合だって出れなかったらそれはそれで後で笑い話になるだろうと思ってたし。

万年補欠どころかそれ未満って、それはそれでいい思い出だったりする。活躍できないから辞めるなんて勿体ないよって思う。中学部活からそれが許されたとも思うし。

・・・ってことで、似たような境遇の人、いませんかね?

2022-05-01

防衛小学校って無いでしょ

いたことないもん

私「かなしばりにあったことある?」友「えっ?…うん、あるよ」

友「小学校遠足ときにね」

私「遠足?」

友「うん、おやつは300円までだったんだけど…うち、貧乏で100円までしか買ってもらえなかったの」

私「いや、それかなしばりじゃなくて、かなしいしばりっ!!」

anond:20220501150402

実際小学校いじめでそう言われた子はいると思う

クソガキはどうしようもないので・・・(横)

2022-04-30

親友との出会いと別れ、再会、それから

幼少の頃、俺には親友がいた。


そいつ出会ったのは幼稚園の年長の時だ。

俺が通っていた幼稚園そいつ転入して来た。俺たちはすぐに仲良くなった。

未熟児早生まれだった俺は人一倍体が小さく、何をするにも周りに遅れを取っていた。いじめられることも多かった。

そいつはそんな俺にいつも付き合ってくれた。何をするにも二人一緒だった。


幼稚園卒業し、俺たちは同じ小学校に進学した。

一緒に行った入学式。校門で一緒に写真を取り、二人でドキドキして列に並び、名簿を見た。

俺たちは同じクラスだった。


学校では毎日一緒に校庭を走り回った。

放課後は補助輪の取れたばかりの自転車を漕いで、お互いの家を行き来した。

家に遊びに行く前には必ず電話をした。

当時は携帯電話も無かった時代だ。きっと電話の前で待っていたのだろう。

電話をかけるといつもすぐにそいつが出た。


「今から行っていい?」「いいよ、早く来てね!」


そいつの家は商社の社宅だった。

社宅の庭で、よくボール投げをした。縄跳びをした。鬼ごっこをした。かくれんぼをした。

夏休み、一緒ドラゴンボール映画に行った。二人で特典のジャンボカードダスを片手に、20円のカードダスを回した。

集めた「キラ」を見せあい、自慢し合った。


ある時、そいつの家で、そいつの兄が持っていたドラクエ2をやった。

まだ小学校2年生になったかならないかの頃だ。あの難しいゲームを進められるわけがない。

どうすればいいかからなくて困っていた時、なんとなく俺が言った一言


「その緑のやつ話しかけたら仲間になるんじゃない?」


知っていたわけじゃない。ただの偶然だ。

でもその緑のやつ、クッキーという名のサマルトリアの王子は本当に仲間になった。


「すげー!」「なんでわかったの?!」


俺は仲間になったこと、役に立てたことが嬉しくて泣いてしまった。



2年生の夏を過ぎた頃、残念そうな顔をした親から告げられた。

そいつが転校するということを。行き先は海外だということを。帰ってくるのは6年後だということを。

俺は泣いた。嫌だと喚いた。7歳の子供にとって、6年は永遠に近い時間に感じられた。


冬になり、最後の思い出作りに、お台場船の科学館に行った。

俺とそいつは手をつないで館内を回った。楽しかった。もうすぐ会えなくなるなんて信じられなかった。

船の舵の前で、2人で一緒に写真を取った。それは宝物になった。


3月になり、ついに別れの日が訪れた。

俺は成田空港まで見送りに行くことになった。

初めて乗る始発の電車ガラガラの席に2人並んで、いつもと変わらない話をした。

どうか着かないで欲しいと願いながら、やっぱり行かないと言って欲しいと願いながら。

そんな子供の願いは当然叶うことはなく、電車はすぐに終着駅に着いた。


バイバイ」「手紙書いてね」「6年後絶対会おうね」「約束だよ」


窓の外、そいつを乗せた飛行機はすぐに見えなくなった。



5年生の頃だ。

俺には障害のある伯母がいる。障害は軽度ではあるが、少し言葉不自由だ。

クラスメイトが、その伯母の口真似をしだした。

俺は子供ながらに、これは絶対に許してはいけないことだ。人として怒らなければいけないことだ、そう思った。

そして口真似をされたら、瞬間湯沸かし器のように怒り、殴りかかった。


当時の俺は学年で一番体が小さく、力も弱かった。

殴りかかられても怖くもなんともなかったのだろう。皆面白がって伯母の口真似をするようになった。

その度に俺は泣き、顔を真っ赤にしてそれを言ってきたやつらを追いかけた。


親には言えなかった。泣いて帰って来ても、「チビと言われた」と嘘をついた。

その時自分を庇い、寄り添ってくれるような友人は一人もいなかった。


俺は思った。そいつが、親友がいればこんな辛い思いはしなかったはずだ。

泣いている俺に寄り添ってくれたはずだ。皆に止めろと言ってくれたはずだ。

だって俺たちは親友なのだから


そいつから手紙が届いた。手紙にはシールが同封されていた。

シールにはにっこり笑ったイラストプリントされていた。

俺はそのシールを、当時自分にとって一番大切なものだったスーファミ本体に貼った。

なんて返事をしたかは覚えていない。



時は過ぎ、中学2年生になった。

あの別れから6年後。ついにそいつが帰ってきた。同じ学区内。同じ中学校だ。


その頃はもう周りも悪いことだと気づいていたのだろう、伯母の口真似をされることはなくなっていたが、

鬱屈とした気持ちが収まることはなく、人から向けられる悪意に敏感な人間になっていた。

俺は早く親友会いたかった親友と再会すれば、きっと俺の味方になってくれる。

あの頃のようにまた楽しい毎日が戻ってくる、そう思っていた。


始業式の日、ドキドキしながら学校に向かいクラス分けの名簿を見た。そいつと同じクラスだった。

始業式が終わり、教室に戻った。そいつはそこにいた。

教師からの紹介が終わり、下校の時刻になった。俺はそいつのところに行った。


「久しぶり!!」「久しぶり!!!」「やっと会えた!!!!」


俺たちは手を取りあって6年ぶりの再会を喜んだ。


だが、俺のそいつに関する思い出は、その場面が最後だ。



俺は、帰国した後のそいつの家がどこにあったのかを知らない。

どんな音楽を聴いていたのかを知らない、どの野球チームが好きだったのかを知らない。

休日服装を知らない。どこの高校に進学したのかも知らない。

そいつが誰と仲が良かったのかも知らない。いや、どうしても思い出せないんだ。


そいつは昔とは変わっていた。カッコつけたがりで、帰国子女であることを鼻にかけ、

スクールカースト上位グループに絡みたがるような痛々しいやつになっていた。


そいつ部活も同じテニス部に入った。俺がいるから入ったと、初めにそう聞いたような気がする。

俺は部活に熱心では無かったが、それでも何回も一緒に練習しているはずだ。

一緒に他校に試合に行っているはずだ。一緒に合宿に行っているはずだ。

でも俺にそいつと話した記憶は、笑いあった記憶は、共に時間を過ごした記憶は、一つも残っていない。


何故そうなってしまったのか。拒絶したのはどちらだったのか。

俺は当時、歩み寄らなかったのはそいつだと思っていた。自分気持ちはあの頃から変わっていないと思っていた。

でも本当は拒絶したのは俺だったのかもしれない。変わってしまったのは俺だったのかもしれない。

いけ好かないやつになってしまった、そう思うことで自分プライドを守っていたのかもしれない。


俺の部屋の、そいつから貰ったシールが貼られたスーファミは、その頃にはもうプレステに代わっていた。



つい先日の話だ。登録しただけで何も書いていないFacebookに気まぐれにログインした。

そいつ名前を見つけた。そいつも何も書いていなかった。

友達申請ボタンは押さなかった。


俺はそいつ小学生時代を共に過ごしたかったんだ。

ドラクエVをやって、隠し部屋のヘンリーを見つけて、「あいつ仲間になるんじゃない?」って言い合って、

そして人生で一番辛かったときに、そばにいてほしかった。俺を救って欲しかった。

そうして育んだ絆の上になら、きっと「それ以降」が続いたはずなんだ。



今でもドラクエで誰かが仲間になった時の音楽聴くと、少し涙が出そうになる。


「あの緑のやつ、話しかけたら仲間になるんじゃない?」「すげー!」「なんでわかったの?!」


俺には幼少の頃、親友がいたんだ。


2022-04-29

小学校の参観日における野次性差子供ジェンダーについて

先日、小学生の子供の参観日に行ってきた。

の子は小5、下の子は小1である

まずは、小1の子クラスへ行く。

入学したばかりのピカピカの1年生。

みんな元気いっぱいで、先生が話してる間も、男子女子ツッコミ入れたり不規則発言が多い。

その後、小5の子クラスへ行って授業を聞いてると、先生お話し中、手を挙げずに野次を入れて不規則発言するのは男子ばかり。女子のヤジは聞こえない。手を挙げて発言するのは男女同じぐらいなようだが。

女子は高学年になるにつれて「わきまえる」ようになっていくのか???

これは先天的性差なのか?社会的ジェンダー差なのか?

不思議に思ったのではてなー意見を聞いてみたい。

anond:20220429110321

子供の進学にもいいらしい。学園都市あるし。

でも、富裕層暮らしやすさに目を着けて移住したら、物価は上がりそうだし、保育園小学校不足で大変なことになりそう。

ルックバックでわからなかったとこ

さらルックバックの話なんだけど、ファンの人が感動しているポイント自分はまったく感動できなくて、逆になんで感動するの?と思ったので、教えてほしい

 

藤野京本小学校卒業式出会い一緒に漫画を描くことになった世界世界A)では、二人は数年一緒に活動したのち道を違えることになり、美大に進学した京本キャンパス侵入してきた通り魔に襲われて死ぬ

藤野は、京本自分出会っていなければ美大に進学することもなく、ひいては通り魔によって命を落とすこともなかったと思って自分を責める

一方卒業式出会わなかったほうの世界世界B)でも京本世界Aと同じ美大に進学し、同じように通り魔に襲われるが、たまたま藤野に助けられる

藤野小学校ぶりに漫画を描くのを再開したと京本に話し、雑誌に連載することができたらアシスタントになってくれと彼女に頼む 二人の友情がここから始まることを示唆して世界Bのほうのエピソードは終わる

 

藤野京本卒業式出会っていようといまいと、いずれ京本引きこもり自発的にやめて美大に進学して通り魔に襲われていたのだから藤野自責の念を抱く必要はない、という結論はわかる

しかし、それと同時に、卒業式出会っていようといまいといずれ藤野漫画を描いていたし、二人は出会って友情を育んでいた

藤野漫画を描くことになった」「二人は友達になった」はどっちも藤野人生にとってトップクラス重要出来事

世界Aと世界Bのどちらでもその二つの出来事は起こる ただし世界Aでは京本死ぬ

だったら世界Bの方がよくない?

卒業式の時点で二人は出会ってなければよかったんじゃないの?

なので「じゃあ藤野ちゃんはなんで(漫画を)描いてるの?」という京本の問いかから始まる一連のエモいシークエンス(はっきりと言葉にされるわけではないが、「京本に読んでほしかたから」という藤野気持ち表現されている)も萎えしかなくない?

世界Bでは「京本に読んでほしい」というモチベーションがなくとも漫画を描いているのだから世界Bの話を挿入することは、世界Aにおける「京本に読んでほしかたか漫画を描いてきたし、これからもそうする」という決意を感動的なものにするどころか「え、じゃあ出会ってなくてもいずれは漫画描いてたし、京本通り魔に襲われた時点で藤野漫画家になってなかったら京本は死んでなかったんじゃん、後味悪〜」と思わせるだけなのでは

少なくとも自分はそうだった

みんなあれの何に感動したの?

2022-04-28

anond:20220428224212

ギリギリ5歳ごろまでモラトリアムかな。

小学校入学時点の年齢でも喋れなければ覚悟を決める。

中学時点でも喋れないなら観念して将来に向けた貯金蓄財開始ってところかな。

知人でも、4歳で喋れない子の親はまだ惑っているけど、30歳過ぎで喋れないところは完全に割り切ってるよ。

何歳までに喋らないとまずいの?

うちの子、3歳過ぎても喋らないんだけど、ヤバいかな?

岡田准一も4歳まで喋らなかったっていうし。小学校に入るまでに喋ればOK

anond:20220428112815

結構前にこの話書いたときも同じようなレスがついたけど、事実しか書いてないんだよなあ(もちろん多少はぼかしてるけど)。

当然、辛いことや苦しいことは山程あるけどね。小学校全然上手くやれなかったくらいだから社会性の難は大きいし。

anond:20220428110905

中学校では学年上位4〜5人に入るレベル高校公立としては地域で一番の進学校に行って、トップクラスではないソコソコの国立大を出て、某IT系会社20年ほどエンジニアをやり

こういう感じの人って世の中割といっぱいいるよな。

家庭に文化資本なんか無かったし、小学校では漢字テストで0点とりまくってたし、微妙高校に行って、旧帝大に行って東大院行って企業研究したりアメリカ行ったりして生きてきた俺からすると、豊富文化資本を注入されて順調にスクスク育ったのになんでそんな微妙な感じの人生なっちゃってるのかが本当に理解できないなといつも思う。そこまで文化資本あったら、俺なんかよりずっと優れていて、それなりの大学でファカルティになったり一流企業パートナー級になったり大病院医師になったりくらいは当たり前なんじゃないの?と思う。

マンション売れねーじゃん

都心ならマンション買っても資産価値下がらないしい売ったら利益出るからお得!

みたいなの言われて買ったけど、実際には売れないよね

買い手が見つからないっていうわけじゃなくて、そもそも売りたい時がない

子供がいると小学校に入ったり友達づきあいとか始まるからそもそも引っ越しができない

近所に引っ越しとかするぐらいなら今の物件に暮らす方が良くて

「いつでも売れるから安心

っていうのは独身DINKsな人だけだろうな

とはいえ10年ぐらい経てば子供も巣立って売却できるようになるけど

10年後にも今見たいな好条件かどうかは怪しいし、困ったなぁという気分

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