はてなキーワード: 夜這いとは
ペーパーカンパニー?いやいやNPOがカンパニーでないのは最初からわかっとるやろがw
これ許しちゃうとおまえらも余罪逮捕で痛くもない腹をさぐられまくるわけなんだが?
温泉むすめは男性なんて全部モブ肉棒だから夜這いするみたいなことをいってたわけでしょ、
男性も知らない女に無理矢理種しぼられるのなんかイヤだよ一緒につぶしましょうならわかるのに、
なぜ筋悪温泉娘をいまさら擁護したがるわけ? そんなにエロコンテンツ乞食したいわけ?
ますます女児にあのおにいちゃんへんだよーっていわれるだけなんじゃないの
いってることが全部、筋が悪すぎる
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とりあえずcolabo攻撃しとこ、ネットの嫌がらせ部隊カモーン
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ゆるゆる都庁から金もらってるもっと悪い組織があるなかではColaboが大分まともだということがわかってしまっただけだった
※なおキーワードに設定していた温泉むすめ謝罪だが当然ながら話から完全において行かれている
温泉娘の一部がいまどき「夜這い設定もち」で肉棒モブ扱いされる弱者男性のほうをセクハラ攻撃していた件については
最初から最後まで気づかないふりでだんまりするつもりだろうし、
追求されたら「それはあなたの感想ですよね」とかでごまかすつもりなんじゃないの
知らんけどおいてきぼりにはなってるね
下方婚増田もああいうキャラに「大事な種だけしぼりとって下方婚でやしなってはくれないのか」ってずっと迫ってればいいのにほんとアンフェは一貫性のないクズばっかりだな
出張先で「温泉むすめ」のパネルを見て、なんでこんなものを置いているの😩💢と思って調べたらひどい。
スカートめくりキャラ、夜這いを期待、肉感がありセクシー、ワインを飲む中学生、「癒しの看護」キャラ、セクシーな「大人の女性」に憧れる中学生など。
まぁ、これをどう解釈するかは個々人に拠るよね。
調べて分かった事があふれ出ていたなら調べる必要はなかったんじゃないかな?とは思うけれど
問題は、そういう背景がある作品はダメだ、表に出すなという理路が
ドラえもんはあふれ出ていないから、そういう背景があっても許され
ん?
それって、あふれ出ていたからあふれ出ている、みたいになってない?
見境なく夜這いする痴女キャラのことを嫌いとかありえないといったとしてなんであやまらなきゃいけないんだろう?
そのキャラって男性に対するセクハラ・強姦の宣言をしているキャラでもあるとおもうんだけど?
男性だって性被害にあうよね。性被害は男女平等になくさないといけないよね。
でも性の平等化のことを「自分に女性キャラが投げ与えられること」だとおもいこんで振る舞わないと弱者男性に仲間入りさせてもらえない。
本当の性被害を訴えてたちあがりたかった本当の意味の弱者男性(性虐待をうけた男子児童だった人とか)は、こういうとき絶対に表にでてこられない。
自称弱者男性という強者が棒を持ってうろついていて、ちょっと声をあげれば裏切り者だといって袋だたきにあうから。
自称弱者男性は今日も(将来、弱者男性と下方婚してくれたかもしれない)女性たちを必死に撃ってる。
まあ実のところ弱者男性じゃないんでしょうよ。
世界人権宣言が謳われたのは1919年だが100年経っても人権を親切や道徳に言い換える地獄の国のままだ
旅行した程度の外国人はね、日本には差別はない、ただずっと単一国家だったからきっとよく知らないだけ、などと甘やかすことを言うが住んでた俺は知ってる
キリスト教は女の子たちが自分の意思を相手に伝える大切さを学び、夜這いを断るようになったから、踏み絵をして禁止されてたのだということ
この国はずっと意思のない奴隷を作るために人権を否定し続けてきただけだ
何十年も知らないふりをして忘れたふりをして無視してきた差別を理解できない奴らの人権の無い国なだけ
日本人の親切や優しさは、正義や愛や人権に基づくものではない。村八分を恐れる同調圧力の強い支配、道徳に基づいた修身にすぎない
キツすぎて国際社会の一員として受け入れられるような成熟度にないよこの社会
まともな教育してくれー
大前提として、非実在青少年のころに規制反対の立場でロビー活動をしていた腐女子の人も大勢いた。腐女子が表現規制に無関心だった、とはとても言えない。彼女たちの尽力を踏みにじることになる。
ただ、同時に、「男性向け」表現に対する攻撃の先鋒に立ってきた腐女子の人が大勢いるのも事実だ。
たとえば、これまでBLの路地裏レイプ妄想を楽しんできて、『グラップラー刃牙』のBL妄想が書籍やドラマになったりしてるのに、当の『グラップラー刃牙』作中での性暴力描写に異議申し立てをした人とか、『BLの教科書』という書籍の中で男性向けエロは「モノ化」だが女性向けBLは「モノ化」ではないという超理論を展開した研究者とか、そういう「BL無罪」を掲げる人が目立ってきた。
もちろんフェミニストと腐女子を兼任している人はあくまで少数派なのだろうけど、男性向け表現を攻撃するツイッターフェミニストのbioを見ると高確率でBL愛好家だったりする現象があるわけだ(まあこれに関しては、ミソジニーを撒き散らす自称弱者男性アカウントもかなり高確率で男性向け表現を愛好するオタクなので、お互い様かもしれないが)。
そして、「男性向け基準なら一発で18禁とされているようなエロさの本が、BLではゾーニングせずに本屋に並べられてきた」という現実があり、現在はBLにも「男性向け」並の基準が適用されるようになってきている。
「公共広告」にしても、たとえば「レイプしてきた相手を好きになる」という展開(当然セックスシーンもある)を描いたBL漫画はアニメ化されただけでなくアドトラックまで走っているのだが、まったく問題にされることはなかった。他方で、男性向けは、セックスなど一度も描かれていないような作品を使った広告が、スカートの皺だの巨乳を強調する構図だの夜這い設定だのを理由に(BL愛好家も含むフェミニストたちから)叩かれてきた。これはあまりにも不平等だ。
もちろん、理想は、男性向けも女性向け並みの「緩い」規制に戻ることだ。これなら、男女平等と表現の自由を両立できる。
しかし、男性向けが「乳揺れ」や「巨乳JKとのラブコメ」程度のものに対して国連やら議連やらを動員した攻撃を受けている状況では、その理想はしょせん理想に過ぎない。過激なフェミニストにも表現の自由があり、彼女たちの攻撃を抑圧することはできないし、大学教授レベルでの攻撃が行われている(=次代のフェミニストたちにもその理屈が継承されている)ことを考えると、そのような攻撃が数年できれいさっぱりなくなるとも思えない。
そうすると、現実的な男女平等を求める人たちは、「女性向けにも男性向け並の規制を」と主張するしかない。しかし、それは表現の自由の理念に背いている。
図示するとこうなる。
- | 男女平等 | 男女不平等 |
表現の自由 | 男性向けも女性向けもおおらかに(理想論だが実現は困難) | (この立場は想像できない) |
表現規制 | 女性向けにも男性向け並の規制を(女性向けへの規制強化、現実に起こりそう) | BLはよいが男性向けはダメ/男性向けはよいがBLはダメ(ダブスタクソ親父!) |
左上の立場は理想だ。理想だが、近い将来にこれが叶うとはとても思えない。だったら、近い将来に実現できそうな男女平等を目指そう、と考えて規制派に転向する人が出てきても不思議ではない。
増田は表現の自由という理想を信じているし、理想を高く掲げることを重視する理想主義者だ。だから左下のような立場は支持できない。しかし左下に転んでしまった人たちの気持ちもわかる。だって、現実的に左上なんて無理だもの。男女平等を支持する現実主義者は左下に行くほかない。
私たちは表現の自由という遠い理想を掲げてBLなど女性向けの性表現を擁護するか、男女平等という実現可能な目標のために女性向けの性表現への規制を唱えるか、どちらかを選ばざるを得なくなってしまったのだ。
なんか図が変だなと思ったので書き直した。
- | 男女平等 | 男女不平等 |
夢想的 | 男性向けも女性向けもおおらかに(表現規制反対) | 男性向けの消滅/女性向けの消滅 |
現実的 | 女性向けにも男性向け並の規制を(表現規制支持) | BLはよいが萌えはバッシングする/萌えはよいがBLはバッシングする |
こっちの方がマシな図になっていると思うが、改善案があれば聞きたい。
自由の限界は他者の自由の侵害、他者への迷惑をかける地点なので、「(男女)平等でないこと(性別なりなんなりで差別があること」はそれを発生させる「自由」を制限して当然。選ぶも何も、自由の定義でそうなるのよ。
タイトルだけ見て本文読んでないでしょ。
そのどちらかを選ばないといけないと増田が思うなら、『「表現の自由」を「男女平等」では守れない』し、『「男女平等」を「表現する自由」も守れない』となる。表現と男女性別は必ずしも競合するわけじゃない。
タイトルだけ見て本文読んでないでしょ。
表現の自由より、男女平等より、比べ物にならないくらい大事なのは「おもしろい」ことです。すべては「おもしろい」に使役すべきと思ってます。「おもしろい以外勝てん」です。
タイトルだけ見て本文読んでないでしょ。
エンタメ業界の労働者・経営層の半数以上が女性+マイノリティーになれば、自然と落ち着くべきところに落ち着くんじゃね?歴史的に制作現場もビジネス層も男社会だったのは事実なんだから、そりゃ男目線になるだろ
これを二者択一にしてしまうと、「女性の自由を奪ってでも男性の自由を守れ」という暴論になってしまうんだが、それでも、問わないと答えが分からないのか?
タイ本読
表自的な意味での表現の自由と、誰も可能な限り傷つけず、そのなかで広く意見を認める表現の自由はまず違う。男女平等があるならおのずから後者は達成されている。
タ本
”これまでBLの路地裏レイプ妄想を楽しんできて(略)当の『グラップラー刃牙』作中での性暴力描写に異議申し立てをした人と” ←フェミ系社会学者金田淳子のこと。少年ジャンプの萌え漫画を18禁にしろと主張した。
左下の実例さんオッスオッス。左下に宗旨替えするのは理解しますけど、だったら規制派って名乗って表現規制陣営に鞍替えしませんか? あなたのような、左下に宗旨替えしたのに自分を表現規制反対派だとアイデンティファイし続けてる人が、フェミ腐女子と同じくらいには現状の分断を加速させてるでしょ。
『乳揺れ・巨乳バッシングは過剰だがどこかに18禁のような線引きは止むなし』みたいな立場の存在が議論の中に見えてこない。勿論増田に言わせれば表現規制派になるのは分かるが一まとめにするのは雑ではないか?
そういう人たちが声を上げた結果、「あれだけ表現規制反対って叫んでた男オタクがBLの話になるといきなり規制って言い出した……表現の自由戦士の男オタクは信用できない!」となって分断が加速されています。
細かいところに突っ込んで申し訳ないが、アドトラックと駅、公共施設での広告とはだいぶ毛色違いませんか?。バニラとか、あれ他県からトラック回して審査回避してるよね。アドトラックはかなりダーティなものでは。
えっ? 公道を走っているという点では誰もの目に触れる可能性があるわけでしょう? たとえば購読者じゃないと読めない日経新聞の広告より全然「公共」の広告ですよね?
先日の『月曜日のたわわ』バッシングでは、広告それ自体だけじゃなく、巨乳JKとのラブコメという程度の内容の原作も、東工大准教授の人が国連女性機関の権威を持ち出してバッシングしてたじゃないですか? 『ラブライブ!サンシャイン』のみかんポスターは、原作にはまったく性行為の描写は登場しないのに、スカートの皺が卑猥、という理由でフェミニズム研究の大家からバッシングされて、一部のフェミニストからはエロアニメ呼ばわりされてたじゃないですか? その基準からいくと、男性に対するレイプ描写が普通にあり、性暴力の被害者が加害者を好きになるという展開のBL漫画の広告が公道走ってる時点で、どんな抑制的なデザインだろうがあり得ないっしょ? 『宇崎ちゃんは遊びたい!』のポスターのときは、ポスターのデザインだけじゃなく原作にまでケチつけてるフェミニストの人が大勢いたんだから、仮にそのバッシングを正当だとするならば、当然、アドトラックだけじゃなくて原作の『抱かれたい男一位に脅されています。』も叩かれないとおかしいっしょ?
いや、もちろん『だかいち』が叩かれる必然性は何一つないし、仮にだかいちバッシングが起きたら反対しますよ。でも、あのトラックに公共性がないみたいな理屈はおかしいし、萌えアニメのポスター程度を問題視してきた連中が『だかいち』に何も言わないなら、「BLは特権階級なのか」という不満を持つ人も出てくるでしょう。簡単な話だと思うんですけど何でわかんないんですか?
このBLのアドトラが問題視されないのはトラックの絵には性的な描写がないからだと思う。作品の内容は公共の場には出てないので広告絵単体の比較。もしチンコを強調した絵なら問題になるはず。
「広告絵単体の比較」ならなんでスカートめくりとか夜這いとかの設定をパネルじゃなくてウェブに書いてた温泉むすめはあんなに叩かれたんですか???
たかだかスカートの皺が、ボタンを持って振り向く少女が、デカいリボンの後ろで微妙に揺れる乳が、大学教授やら国連女性機関やらフェミニスト議連やらが出てくるほどの騒ぎになったのに、なんでこのトラックの絵には何も問題がないことになるんですか???
ゾーニングが適切に行われればほとんどの問題は解決するので、ゾーニングを「規制」って考えるんじゃなくて「自由を守る盾」って考えるように発想を転換することから始めてみればいいんじゃないかなあ。
そもそも宇崎ちゃんポスターも高海千歌のみかんポスターも交通安全啓発のご当地VTuberもたわわ広告もゾーニングの必要なんて存在しない程度の表現だったのにあんなにバッシングされてたし、温泉むすめはパネルに書かずにウェブに書いてた設定をわざわざ検索して文句つけたフェミニストの人もいましたよね。服を着た胸のでかい女子大生が煽ってくる広告やスカートに皺の寄ったJKがみかん持って微笑んでる広告や制服JKがボタン持ってこっちを振り向くだけの表現にまでゾーニングが必要、というのなら、それはもう普通に表現規制でしょ。ゾーニングゾーニングって言う人は結局規制論者じゃん。
増田は一発18禁レベルのBL本をゾーニングせずに本屋に並べて、小学生も自由に読めるようにすべきだという考えなの? 表現規制に反対している人でも、ある程度のゾーニングは必要だという意見が大半では?
本屋が自発的にそうするなら止めませんが、法や条例で陳列方法を強制されるのはどうかと思いますよ。そういう書店があってもいいでしょう。親御さんは書店を選ぶ自由を行使してもらえれば……
性犯罪セクハラ被害への理解が進んで減るなら男性向け規制も本来不要でそっち行くべきなのに行かないなら「男性向けだけ規制」だよ。女性向け放置でも現状の女性が受けてる性的消費ダメージを男性は受けないし
マジでBL無罪って考えてるんだ……じゃあBLは性的少数者をモノ化し彼らへのステレオタイプを助長している性的少数者差別コンテンツだって話する? 性的少数者の人たちを「受け」「攻め」というセックス時のポジションで分類するのは彼らの存在をセクシャライズし彼らの人間性を貶める表現なので、性的少数者への偏見がひどいうちは規制されても仕方ない、って話もしよっか? 少なくとも同性婚すら実現してない国でやっていい表現じゃないよね? 私はもちろんこんな主張には賛成しないけど、あんたらの理屈を敷衍するならそうなるよな?
ところで、容姿端麗な女性しか採用しないと明言している劇団が仮にあったとしたら、女性に対する容姿差別を助長するわけだから、女性差別劇団として攻撃されても仕方ないんじゃないの? 仮にその劇団がBL的な演目をやってたら、それは性的少数者への文化の盗用だから、欧米の基準ではありえないよね? 仮にその劇団が濃い目の肌色になるようなメイクをして『アイーダ』を上演してたら、それはブラックフェイスだからアメリカでは一発でキャンセルされるやつじゃん?
え? その劇団に女性ファンが沢山いればセーフ? ラブライブにも大勢の女性ファンがいたけど焼かれましたよね? 女性ファンの存在はそのコンテンツが女性差別的であることを何ら免罪しないってことでしょ? まして性的少数者からの文化盗用やブラックフェイスは、女性ファンの存在では免罪されないどころか、むしろ他者への客体化だから余計に罪が重くなるんじゃないの?
もちろん私は仮にそんな劇団があったとしてもそれを攻撃するつもりも規制を主張する気もないけど、男性向け文化は有罪だけど女性向け文化は無罪、っていう態度をいつまでも採るなら左下に闇堕ちするぞ。性的少数者のモノ化やブラックフェイスという誹りから女性文化が逃げられるだなんて思うなよ。死なばもろともだ。
巨乳女子大生がウェイトレス姿で注射が怖いのかと煽ってくる献血ポスターが女性のモノ化で女性蔑視、胸元のリボンの後ろでよく見ると胸が揺れてるヘソ出しルックのVTuberは性犯罪の誘発なんでしょ? 仮にそれらの理屈を是とするなら、MSMの人たちをステレオタイプに描いたジャンルであるBLは差別扇動だし、美女ばっかり集めた劇団が濃い目のドーランで『アイーダ』やるのはルッキズムとブラックフェイスの合わせ技でキャンセル一択でしょ?
帰ってきて土産話をしてくれたのだが
私「こっちとしてはちんこは大きさよりも硬さと持久力だからちんこの大きさなんて気にしなくていいよ」
彼氏「でもさ〜」
と言っておもむろにスラックスとパンツを脱いで私にちんこを見せつけてきて
彼氏「1番小さいんだ…」としょぼくれている
気持ちに比例していたのか、小さく情けなく「悲しいよ〜泣」といわんばかりにビクビク震えるちんこに見えて
私の中では
「あまりにもショックで、いまのちんこは自分史上1番小さくなっている」
こう解釈した
なのに口からは
「なに?人類史上1番小さかったってこと?!」
と言ってしまった
夜ご機嫌をとるために夜這いプレイしたらちゃんと固くなってくれたけど口はきいてくれないし、射精もしてくれなかった
もう終わりかも
仮に、猥褻物に当たらないエロ漫画の作成や頒布を禁止する法律が出来たり、萌え絵の広告を禁止する法律ができたりすれば指摘は当たるだろうが、そんな主張があるかというのが問題で、現実的な争点とずれている。
①公共機関による広告や公共機関の開催するイベントで、ジェンダーステレオタイプを助長する表現を行わないことはどうか?
→宇崎ちゃんや戸定梨香。そもそも、これらは公的な団体側が主体として発信する際に「外注」したもので、主体である団体側として一定のコントロールができる(するべき)場面になる。この点で例えば先日の広河氏の写真展とは大きな違いがあることに留意するべきだろう。この場合に内容規制や広範な方法規制の様な厳格な審査が必要だとするのは非現実的となる。なお、例示した個別事例についてフェミニスト側の批判を正当と考えるかは別で、個人的にはどちらも限界事例に近く、そうであればなるべく緩く表現を許容すべきとは思う。
→たわわやCEROを想定して考える。ある私的な報道機関が自社製品への広告掲載にガイドラインを設けることは一般的にはその報道機関の自由の範疇にあるだろう。また、特定の業界団体の自主的規制も原則的には同様だろう。これらの「自主」ルールには法的な権力が伴わず、あくまで当事者間の合意による調整と見られるためである。但し、これはかなり難しい問題を孕む。例に挙げたCEROで言えば、現実的には同機関の審査を通さないと一般流通は極めて困難になるため、内容規制に近い効力を持ってしまうが、これを法的に救うことも困難であり、解決手段がない危険な状況にある。いずれにしても、根拠がないと規制は出来ないと甘いことを言っている状況ではないだろう。
→これについては大阪市営地下鉄が参考になるがこれも市の不作為が違法でないとしたのみで、市側が制約することが違法かどうかについては別の考慮が必要だろう。この点でも広告ではなく表現の本体そのものを制約した広河氏の写真展の事例や、大阪における表現の不自由展の事例などは示唆に富む。またあいちトリエンナーレの帰趨にも注目すべきだろう(論外という意味で)。
こうして見ると、近時のネット炎上で言えば問題になりそうなのは温泉むすめくらいだろうか。これも、夜這い等の設定についての苦言というところが大きく、「萌え絵規制」とは遠い様に感じる。
もちろん、個別の苦情内容で、安易に「性犯罪の助長」という様な話を出していることには別途の問題はあるだろうが、噛み合わせるべきところを噛み合わせないと、法以外の形による実質的規制は進んでいくだろう。なお、この点で、あらゆる表現の自由は法によってのみ「規制」すべきというかの様な意見を一部で見るが、業界団体の自主規制を法制化して混乱したAVの事例を見て本当にそれだけで良いのかはよくよく考えるべきかと思われる。
むしろ、この件は、「表現規制反対派」の中のあらゆる派閥を敵に回してしまった、典型的な八方美人の例だと理解すべきだと思う。
「表現規制反対派」の中にも、「あからさまなR-18はゾーニングが必要」という穏健派と、「ゾーニングも規制であり表現を萎縮させるので撤廃すべき」という原理主義派がいる。原理主義という言葉がネガティヴなら、原則派とでも呼ぼうか(そういえば『図書館戦争』の主人公側陣営も「原則派」だったな)。
これまで穏健派と原則派との亀裂が見えてこなかったのは、槍玉に挙げられた表現がどれも「R-18のゾーニングには値しない」ものだったからだ。着衣した女性が胸を強調した献血ポスター、スカートに股のラインをなぞるような形のシワがついた農協のポスター、巨乳女性が表紙のラノベ、夜這いを楽しみにする着衣女性、そしてボタンを手にこちらを振り向く巨乳制服JK、これらはいずれもR-18ではない。いずれも(「規制すべきか」という基準で考えるならば)穏当な表現であり、映倫が言うところのPG-12にも該当しないだろう。つまり穏健派はこれらを「こんなのゾーニングに値しない」と考えるので、ゾーニング反対の原則派と共闘することができた。
ところが、今回不健全図書指定を食らったBL本は、あからさまな性行為が描かれている。肛門から精液が漏れ出す描写もある。穏健派から見ると、こんなのR-18がつけられて当たり前だ(少なくとも、男性向け作品で女性器から精液がこぼれるような描写があればR-18だろう)。したがってR-18のゾーニングを支持する穏健派は、「こんなエロ本にR-18をつけないなんてどうかしてる」とBL作家をバッシングすることになる。
では、原則派はどうか。原則派はもちろん、R-18指定はそれによって販路が狭められるなどの弊害があるので事実上の表現規制であると捉え、R-18のゾーニングに反対する。したがって、原則派は「そもそもR-18のゾーニングは不当」と主張するだろうが、彼らも事実として「現状のゾーニング基準では当該作品がR-18に該当する」ことは認めるはずだ。
ところが当該BL作家さんは「ゾーニングには賛成」と言ってしまった。本人的には「原理主義的過激派じゃありません、穏健派です」ということを意味する枕詞のつもりだったのかもしれないが、これが原則派の逆鱗に触れた。原則派からすれば、ゾーニング相当の物を「ゾーニング賛成ですが」と言いながらゾーニングせずに出版することは卑劣な裏切り行為である。かくしてR-18のゾーニングに反対する原則派は「お前はゾーニングに賛成なのか反対なのか、どっちなんだ、このコウモリ野郎」とBL作家をバッシングすることになる。Show the flag! ってやつだ。
さらに、当該作家さんが「女性は暖簾をくぐるのに抵抗があるので~」という理由を持ち出してしまったために、男性の権利に敏感な層からは「男は抵抗がないとでも思っているのか」、男女平等の支持者からは「男性向けゾーニングを維持しながら、女性向けだけ『特別扱い』を受けようというのか」という非難を浴びることにもなってしまった。つまり男性の権利に敏感な男性+男女平等の取り扱いを支持する男女も敵に回したことになる。かくして当該BL作家さんは四面楚歌の状態に陥ってしまったのであった。
ではどうすればよかったかというと、ひたすら原則派に徹していれば四面楚歌になることは避けられたと思う。つまり「東京都の『不健全図書』制度は廃止せよ! エロいBLをゾーニングなしで売らせろ!」という一本で攻めるべきだった。そうすれば穏健派からは非難されたかもしれないが原則派からは表現規制と闘う同志として迎えられたはずだし、「男性向けのゾーニングにも反対です」と一言付け加えておけば男性の権利に敏感な男性+男女平等の取り扱いを支持する男女から矛を向けられることもなかった。
「ゾーニングには賛成ですが」なんて言って穏健派にもいい顔をしようとしたから原則派にそっぽを向かれたのだ。穏健派を敵に回すことは覚悟すべきだった。っていうか、あんな露骨なエロを成人指定なしで出版しといて自分は穏健派ですアピールは無理があるでしょ。やってることはどう見ても表現の自由原理主義過激派なのに、それを自覚できていなかったというのが最大の問題であるように思う。
イラストに「R18」はあるが、テクストに同様の規制は無い、という前提が理解されていない。現在の運用上は、文章で性行為を描写しても、イラスト化していなければR18とはならない。双方の基準が統一されるべきだろう。
今回指定されたのは「コミックス」だが。作者名で検索したら普通に無料立ち読みが出てくるのだが、これのどこが「テクスト」なのだろうか>https://www.cmoa.jp/author/121926/。
そもそも普通に作者も「コミックス」と言ってるわけだが>https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/hoshizakileo/status/1517603860205817856。
作者がコミックスと言い、アンチフェミや表現の自由戦士がコミックスという前提で話を進めている中、「テクスト」の規制の話を持ち出すこのひとの目にはいったい何が見えているのだろうか……
anond:20220430005751も書いたので読んでね。
オタクコンテンツ炎上事件が起きると、表現規制派 vs 表現の自由派でうんこの投げ合いが始まるけど、別にこれ、憲法でいう「表現の自由」の話じゃないんだよな
炎上後も、コラボ広告が取り下げられただけで、本体は通常営業だよね。無傷とは言えないが、オタクの同情・応援ポイントは稼げたので、フェミ攻撃によるダメージポイントをカバーできてるんじゃないか?
戸定梨香も、県警のサイトからはコラボ動画がなくなっただけでYou Tubeでは普通に観れるし、むしろ従来より視聴数増えたろ。
温泉むすめは特殊で、もともと各地の温泉にまつわる美少女キャラを勝手に作って、運よく温泉地が採用してくれたらラッキーという企画だからなあ。最初から温泉地に見向きもされてないかわいそうなむすめも大量にいるよね。
スカートめくりだの夜這いだの未成年飲酒だのと、コンプラ的にまずい設定が訂正されたことと、熱海唯一の温泉むすめ関連施設だったパネル設置の居酒屋が、自称オタクによる嫌がらせと営業妨害でコラボを止めたことくらいが目に見える影響か。
30歳で見えなくなる設定はどうなったんだっけ。どうでもいいか。
フェミが作品そのものを潰した事例があったら、もっと大騒ぎになって、100年くらい擦られると思う。
【追記:
https://anond.hatelabo.jp/20220427102249で、かんなぎの話はデマという指摘があり、
https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%8E%E9%A8%92%E5%8B%95#h2-2 で確認。
取り消す。かつて2ちゃんで小耳に挟んだことを裏取りせず、不用意にデマに加担してしまい、申し訳なかった。】
だいたい、フェミニストたちは社会に訴えかけているのであって、別にオタクと議論するつもりなんかないし、はじめから折伏できるなんて思っていないのだ。
オタクは、オタクばっかりフェミに狙い撃ちされると信じているが、フェミの活動は普通に考えてオタク分野だけではないからな。
オタク案件にしか興味のないオタクも、それ以外の社会問題でフェミを叩き潰すことを狙えば、戦力を削げる可能性はある。
具体的には、女は黙ってメシを作り笑って股を開いてりゃいい、それが女の幸せだ、という文化を日本に普及させること。がんばれ。