はてなキーワード: 刷り込みとは
わわわわ~
わわわわ~
クロちゃんです!
わわわわ~!
なんか急に寒くなってきてダウンジャケットを無事実家から持ってきて着込んだところよ。
もう1日遅かったら冬の寒波に乾杯出来なかったところだからパーリーに間に合ったわ。
3つを目標に掲げ頑張っていきたいと思うわ。
季節の順番で言うと夏よりも
秋の次は冬!って感じなのよね。
ゆっくり長期休みの時は温かい鍋でもしっぽりいただきたいところよ。
もうさー
矢野顕子さんの
シチューを食べる歌
ラーメンを食べる歌
ご飯が炊けた歌
お腹が空かないわけないじゃない。
ところでさー
ふと駅の待合室でコーンスープの香り高くコク深く不意に突如漂う
キンモクセイの香りの次にコーンスープの香りだと思うんだけど、
コーンスープどこで売ってるのか私は知らないのよね。
みんなそれどこで調達しているのかしら?って思うほど
パブロンの犬のように
早めのパブロン!って風邪の引き始めに優しくそっと竹下景子さんばりにパブロンを渡してくれない方の
食欲がコーンスープの香りのせいでひしひしと湧いてくるのよね。
そこをガマンして次セントバーナード犬が雪山で救助の時に首から下げていて遭難した人に与える度数の高いお酒が入っている入れ物のそこの中にコーンポタージュスープが入っていたら
きっと遭難した人も温かいコーンポタージュスープをいただいて復活し下山できること請け合いよ!
みんな本当にどこからコーンポタージュスープを持ち込んでくるのか不思議よ。
沸いて出てくるわけでもあるまいし不思議ね。
でもさー
あの冬の雪山遭難救助セントバーナード犬の首からぶら下げている容器の中に何を入れたら面白いか大喜利とかって考えてみるとワクワクするわ。
でもそもそもとして
いまでも雪山遭難救助セントバーナード犬ってスイスとかにいそうな気がするけど本当に存在するのかしら?
あれは都市伝説なのかな?って
雪道で遭難したときにヤマザキパンのトラックがやって来てみんなに物資を配るって幻想ぐらい
その刷り込みは全てアルプスの少女ハイジなのかも知れないわ。
だってなんか大きなセントバーナード犬風な犬って登場してるじゃない。
あの犬種のような気がするけど、
みちょぱのヤギ版とでもいいそうなほど、
ポップなのよね。
そんでいろいろと気になって調べてみたのよ。
よくご飯お茶碗山盛りてんこ盛りフードファイターが食べる並のご飯茶碗の昔話のアニメでも出てくる牛とか馬とか出てくるじゃない。
それで名前が「アオ」って
ネコなら「九十九里浜のミケ」犬なら「大洗海水浴場のポチ」みたいに
それでなんで牛さんとか馬さんが「アオ」って呼ばれているのか
結局見付からなかったわ。
ジッさまが牛さんや馬さんにアオって層読んでる絵本は五万とざっと五万冊ぐらいあるのに、
その由来の文献が意外とないのよね。
それでいろいろな文献を漁っていたけど、
山岳救助隊に所属する犬のセントバーナード犬のことも載ってなかったのよね。
あれもきっとお菓子の家のような絵本の中だけでの話しだったのかしら?
あと、
熊が鮭咥えてる意匠の事も調べてみたけど
あれの由来というか木彫り熊鮭のルーツも知りたいわね。
意外とあれもう見かけないし
そう言った木彫り熊鮭扱ってる民芸品に行って
何か紙切れが飛ばないような文鎮的にも使える
頃合いのいい木彫り熊鮭がないかなーって思うし
きっといつか出会える木彫り熊鮭の事を考えると
すっかりもコーンポタージュスープの香りの出所を探す旅のことも忘れてしまっていたわ。
逆に熊が鮭咥えて持ってきて助けに来てくれても
すかさず寝たふりしてやり過ごすしかないけど
もう寝るのか起きるのかどっちかにして!って感じよね。
そんな北海道からのお土産の木彫り熊鮭クッキーを食べながらそう思ったわ。
木彫り熊鮭クッキーなかなか美味しいわよ!
きっとコーンポタージュスープと一緒にいただいたらもっと美味しいはずよ!
うふふ。
なんか朝だけ突発的に立て込んでいて忙しかったので、
にしました、って言うよりそれしか頂けなかったってところがいただけないわ。
ぺこぺこのぺこだわ。
お昼は食べ損なった朝のおにぎりを頂くわ。
私いいこと思い付いたんだけど、
北海道のキャラクターでマスクメロンとクマのキャラクターってあるじゃない
メロン熊って言うらしいけど、
あれの鮭版シャケ熊を合体させて作っても可愛いかも知れないわよ。
たぶんそれKIRIMIちゃんみたいな熊になりそうだけどね。
可愛いと思うわ。
葛飾北斎の椿と鮭ってあの絵も私グッときてTシャツ買っちゃったぐらいだしね!
やっぱり鮭って可愛くて美味しいのよ。
朝寒いので
とりあえず温かいわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
当方今年で35歳になるんだが、高校の時にプログラミングにハマってクラスの掲示板を作ったり英単語帳iアプリを作ってクラスメイトに使ってもらってた。
その時によく言っていたのが「自分はマニアであってもオタクじゃない」という言葉。容姿的には今でいうオタクファッションだったとはいえ普通の男子高校生だったので、たまに「オタクだから〜」みたいな自虐をしても「いやいや増田くんはオタクじゃないっしょ(笑)」という感じで、オタクという言葉のイメージはすごく悪い印象の言葉だったことを覚えている。
それが変わったのが大学時代にニコニコ動画が出てきた頃で、さらにそのクリエイターたちが活躍し出してから自分より若い年代では、オタクという言葉がステータスに変わっていった気がしている。
それでも自分は昔の感覚が抜けず、オタクは世間一般から隠れて生きるものだという刷り込みもあり、オタクっぽい言動をしたくない自分がいる。
いやだからさ、普通にみんな結婚しても出産しても仕事辞めずに頑張ってるでしょ。それが文句を言うことと同じくらい後進の女性の社会進出の礎になるからこそ自分の出来る範囲で努力してるわけ。まぁ何より自分のためにでもあるけど(とはいえ専業主婦という生き方を否定するわけでもないけどね)。社会の方をこそ変えるべきでは、っていうのはその通りなんだけどそのための努力はもうしてんの。やっと女性が多様な生き方を選択できるようになり始めたのに、そしてまだまだそのための制度も整ってないし理解も進んでないとこなのに、克服した前時代を肯定するかのような女性型ロボットは周囲の意識改革の妨げになるよね、って話よ、そういうヴィジュアルからの意識への固定観念の刷り込みって結構バカにできないのよ。あとまぁだから労働のためのロボットは変に人間型にしない方がいいよね、っていうのはSFでは繰り返し出て来るテーマでもある。
この姉にしてこの妹ありって案件だな…いじめは絶対にダメだし姉の人間性は元からクズだったんだろうが、人間の孤独や疎外感につけ込んで刷り込みを行うとか嫌われ孤立させるようコントロールするとかやってる事はまんま洗脳と変わらないし、そんな事を思いつくこいつの良識と人間性もかなり終わってて引く
昔、2つ上の大嫌いな姉にいじめられ苦しんでいた私の話をさせてください。
もちろん、助けを求められる環境にいる子は今すぐに声をあげるべきだし、状況を改善できる見込みがあるおうちの子は絶対にご両親への相談を優先してくださいね。
でも、親が私の父みたいに「子供同士の喧嘩」「やりあって精神が強くなるから兄弟姉妹に喧嘩はつきもの」で片付けて真剣に取り合ってくれず、一方的にやられて苦しんでいるのに手を差し伸べてもらえない状況の中、それでもどうにか努力して姉を見返したいと考えている子もきっといると思います。そういう昔の私みたいな子に、大切な事を伝えさせてください。
まず、貴女の努力によって見返す方法は沢山あります。勉強で負けない事、美容やおしゃれを頑張ってキレイになる事、将来仕事で成功する事…色々思いつくと思います。当然、どれもとても大切です。
でも、一番有効だったのは「いかに姉を嫌われ者に育てられるか」なんです。
私は幼稚園の頃から姉に手をあげられてきました。理由は自分の意見を通すための手段か、そうでなければ単なる八つ当たりでした。小さい頃は毎日怖くて、殴ったり蹴ったりされないために言う事を聞くしかなくて、恐怖で姉に従っていました。怒鳴ったり暴力を振るえば私が従うから、姉は気に入らない事があればそうして自分の思い通りにしてきました。
けど、小学校4年生の頃、6年生の男の子が姉の悪口を言っているのを偶然聞きました。
その子たちは姉を「ヒス豚」と呼び、意見が通らなかったらすぐ不機嫌になり喚くからうざい、きもいと愚痴っていました。
姉が私に日常的にしてきた事は、いつしか他の人にも同じように攻撃的な態度で接する癖として家の外でも出ていたんだと、私は子供の頭でそう判断しました。
だったら、もし日常的に自分が正しいと思い込み、人から嫌われるような、わがままで自分勝手な振る舞いを当然と思い込んでいたら?さらに、もしそんな自分を魅力的だと思い込んでしまったら?
それでみんなに嫌われて、いつも独りぼっちで、だけど何故自分が嫌われているのかも気付けなくて、悲しくても誰も助けてくれなくなったら、どんなに苦しいでしょう。
私が大嫌いな姉をそんな人間にしてしまおうと決めたのは、その時です。
そう決めてしまえば以降は気が楽でした。どんなわがままを言われても従い、理不尽な仕打ちや自分勝手な言いつけをされてもそれが当然のようにしていればその振る舞いが癖になります。いつか今の私より苦しい思いをする姉の姿を見るための投資と思い、何をされても決して泣かず逆らわずただ従いました。
さらに、私は姉の欠点や短所、特に人から普通は褒められない物や人の嫌がる言動を徹底して肯定しました。そうしたら、傍若無人な行動を人前でとることに躊躇いがなくなると思ったからです。高慢で威圧的な態度は「自分に自信があって羨ましい」と褒めました。人を言い負かさないと気が済まない癖は「頭の回転が速い」、ガサツで攻撃的な性格は「強い女性って素敵」、嫉妬深い性格は「向上心がある」、人の悪口を言ったり人の気持ちを顧みない点は「サバサバしてる」「自分に正直」…「他人がなんて言おうが、それはお姉ちゃんの魅力だよ、私はそれが出来ないから羨ましいんだよ」と頻繁に言えば、外でどれだけ批判されようが自信満々に振る舞うようになるのですから不思議です。
姉の思い込みが強くなって来たのがわかった頃からは容姿も褒めるようにしました。この頃には、褒めることで手をあげられずに済む場合が時々あったのと、学校では徐々に嫌われて孤立し始め、姉にとっては私の褒め言葉だけが自分を肯定してくれる物になりつつあったので、少しずついじめの頻度も減り、コントロールしやすくなっていました。
姉は昔から太っていたので、「ぽっちゃり位の方が可愛いよね」「お姉ちゃんは顔整ってるからダイエットしなくても綺麗」と刷り込みました。ポイントは、ただ褒めるのではなく「羨ましい。私なんて」「アイドルの誰々なんかより〜」という風に、必ず自分または誰かと比較して姉を上げること。これによって姉には自分を良く言う時に他者を下げたり、貶したり、人と比較して自分を良く見せる、要はマウント癖を付けさせることに成功しました。これ、本当に嫌われるし、大人になってもなかなか抜けないから自分で言うのも何ですが一番の大手柄だったんじゃないかな。この段階で「優れている私は周りを振り回してもわがままを言っても許される」という認識まで持たせられれば満点です。
さて、高校、大学進学は今まで嫌われている土壌があっても環境がリセットされてしまうので、どれだけ短期間で嫌われる人間に育てられたかが問われます。品評会みたいですよね。この時期最も意識しなければいけないポイントは「生理的に気持ち悪い」と思われる事です。これ位になると周囲の方々は所謂"大人の対応"をなさるので、ただ性格が悪いだけでは距離を置いた表面上の付き合いをされるだけで、苦痛を感じるほどの孤立はしません。明確に孤立するほど嫌わせる気持ち悪さをつけるには、傍目で見ていて痛すぎるほどの勘違いブスにさせるのが有効でした。
周囲の男子の話題を聞き出し、隙さえあれば「それってお姉ちゃんに気があるんじゃない?」と言ってみたり、もし避けられたり拒まれたと聞けば「お姉ちゃんが魅力的だから近寄り難いんだよ、意識されてるんだよ、照れてるんだよ」など刷り込みます。そんな事で騙されるわけないと思われそうですが、長い間、学校で嫌われ孤立していく中私の褒め言葉で気持ちを安定させてきた姉は面白い程いとも簡単に私の言葉を信じ、どんどん勘違いを加速させてくれました。
自分を美人と思い込んでいる、高校生の時点で80kg超えの巨漢が女性には当然のようにマウントをとり、男性に対しては事あるごとに自分に気があると勘違いを起こし、自分は可愛いと思い込んで他人を全く慮らない言動を繰り返す姿はどんなに痛々しく、失笑ものだったでしょう。私は姉の高校時代の交友関係は知りませんが、卒業アルバムの後ろのページがまっさらだった事や、体育祭や文化祭などの楽しい行事や催しをいつも「頭が悪い子達の馴れ合い」などと揶揄し愚痴っていた事などから成果は十分だったと判断しています。
そして姉が大学生の頃、事件は起きました。きっかけは姉にとって初めての飲み会。そこで初対面だった男性と視線が多く合った事や机の下で偶然足が数回ぶつかった事、グラスを渡してくれた時に手が触れた事で相手は自分に好意を持ったと盛大に勘違いしたそう。おまけに、相手の方は女性に失礼がないように丁寧に接してくれていたのでしょうが、それを「私に気があるから優しくしてくれた」と思い込み、好きになってしまったばかりか「相手も脈ありだし当然嬉しいはず」と疑わずに積極的に迫ったそうです。連絡先交換をはぐらかされても、色々なアピールを躱されても「私が魅力的だから、意識して照れてるから」と決めつけ、飲み会の中で出たどの学部だとか何曜日のどの講義をとっているなんて情報だけを頼りに毎日探し回ったり。やってる事が完全にストーカーですよね。他にも彼に差し入れをすると言って朝からお菓子を焼いているのも見たし、後に姉本人から聞いた話では、ボディタッチなんかも積極的にしていたそう。一度飲み会で同席しただけの巨漢に迫られる恐怖…心中お察しします。
そんな事をしばらく続けた結果、その男性から「本当にこういう事は辞めてほしい、会いにも来ないで欲しい」「以前から何度もやめて欲しいとは伝えていたが、全く伝わっておらずしつこくつきまとわれる事に困惑している」「これ以上続くようなら通報する」…などとはっきりと拒絶された事でメンヘラ化。その男性にどのように自分をアピールしていたのか知りませんが、いつものように他人を貶めてマウントを取りその分自分を良く見せるやり方を半年も披露していたのならさぞ反感を買ったのでしょう。あの飲み会で一緒だった友人たちは、度々止められたり嗜められる度に妬まれていると思い込み聞き入れなかったり邪魔をしないでと食ってかかった事すらあったようで皆離れて行き、この頃にはもう姉の周囲には誰もいなかったそうです。
姉は居づらくなったのか次第に大学に行かなくなり、部屋からも出て来なくなり、最終的に中退しました。
それから9年経ち、姉は何度かアルバイトをしましたがその度に人間関係で揉め事を起こして辞め現在も社会復帰は叶っておらず、コロナの影響による就職難のためか姉の性格のせいかは分かりかねますが面接に落ち続けているようです。
周囲に相談できる友人もおらず、何かあれば時々私に連絡をくれます。この間はSNSで知り合った友人とも深く関わっていくうちに縁を切られる事、結婚に憧れはあるのに未だに彼氏ができない事なんかを嘆いていました。
「巡り合わせが良くなかったのかも」
「お姉ちゃんは素敵な女性だよ。いつか分かってくれる男性が現れるし、結婚だってすぐ出来るよ」
電話口でそう言っても、暗い声でぼそぼそとした反応しかしてくれなくなったので、あれだけ高かったプライドや自信はとっくに崩れているでしょう。現実を見た後も独りぼっちになった理由がまだ分からないまま悲しさ寂しさを抱えて孤独に過ごしているのかも知れません。幼い頃私を何年も殴って蹴って罵って苦しませてきた人間はこんなに情けなくて惨めで弱くて、私はこんなものに毎日怯えていたのかと馬鹿馬鹿しく思えてくる程です。
私の方では同棲中の彼氏と結婚の話が出ているので、結婚式に姉を招待する事であと一度ぐらい姉をぐちゃぐちゃにさせられると思います。もちろん、姉を苦しめる為に彼と交際したり結婚しようとしている訳ではありませんが、私が好きな人と真っ当にお付き合いして結婚して、これからも至って平穏に普段通りの私達の姿を見せる事が今の姉にとっては何よりも効果がある事は理解しています。
「大好きなお姉ちゃんだから絶対にドレス姿を見せたい」とでも言えばきっと来てくれるでしょう。ブーケは姉の方に飛ぶように投げて「次はお姉ちゃんが幸せになる番だね」なんて言えば泣いて喜んでくれるでしょうか。一生忘れられない思い出にしたいですよね。
今、自分を攻撃してくる姉をどうにか見返したい子は、どうかその姉を将来絶対に幸せになれないぐらい良識と人間性に欠陥がある女性に育ててあげてください。
幼い頃からいじめを日常的に、自分より目下のきょうだいに対して繰り返すような人間性の持ち主を調子に乗らせて性格クズにさせたり都合のいい勘違いや思い込みを刷り込む事なんて然程難しくありませんし、可哀想と思う必要性もありません。
孤立させましょう。そうすれば、あなたたちがこれから恋愛、仕事、勉強、趣味、自分磨き…色んなことを好きに頑張って、毎日を普通に楽しく過ごしているだけで勝手に相手が傷ついてくれます。それが、一番の報復です。
今回の選挙、ここまで野党共闘が弱いとは思いもしなかった。国会中継を見ていると共産党ってまともなことを言い続けている感じがするけど、なぜここまで世の中から拒絶されてるんだろう。しかも反共のムードが残ってる上の世代ではなく、貧困が広がる若い世代からも。
・外交力がお花畑→みんなこの点を本当にそこまで重視してるの?北方領土をロシアにあげたことを気にしない人が大多数のようだけれど...
・経済に対する態度→これなのかな。言うて経済だって自民党政権下で30年間衰退の一途を辿ってる気もするけど...
・弱者救済の姿勢→共産党に入れたら自分が弱者だと認めてしまうようで嫌とか?ていうかそもそも日本は言うほど貧困化してないとか?
・共産党という名前→中国共産党への反発が日本共産党に響いてる?中国共産党を一番強く批判してるのは日本共産党な気もするけど...
・平和姿勢→中国が力をつける中、平和を目指す姿勢はあまり支持されないのかな?
国会中継を見てる限り、ここまで人気のない政党とは到底思えないんだけど、自分の感覚は相当狂ってるってことなんだろうか。「共産党支持者すらいるはてな」とか言ってるコメントも見たけど、共産党を支持することってそこまで言われるようなヤバいことなの?何か自分が見落としている大きな欠点があるのかなと思って不安になってきた。
そこに誤認がある。
男が求めるか求めないかじゃなく、女子は幼稚園では同性の先生から、家庭内では母親から、以降は同性の先輩や異性の軽口等から物凄くしつこく清潔さや恥じらいやお世話力なんかを要求されて育っている場合があって、その価値観が刷り込みで内面化されている個体がいる訳ですね。
それを夫からしなくていいと言われてすぐ解放できる個体もいれば、「男だけサボって許されてずるい」と積年の恨みが配偶者を異性の象徴に見立てて向く個体もいる。
男が(その件での)イージーモードに見えて「なんでテメーサボってんだよ」という怒りをぶちまけるわけです。
怒っても意味がないかどうかではなく、アイデンティティーが無価値だと宣言されたら一旦崩壊するんですね。そこを更に追い討ちでその程度の安っぽいアイデンティティーごときで崩壊だと騒げていいなwだの家事は誰でもできるから報酬は安いwと、無駄な事から逃がされないでやってきたのに下へ下へ押し込められたらキレますよね。
だからその態度は論理的じゃないからさっさと楽になれるように色々システムやガジェットを揃えて慰められる個体なら解決が近いですけど、女は論理的じゃないからwという別の枷に繋がれた個体は益々パニックですよ。
銭湯上がりの定番飲料といえばフルーツ牛乳やコーヒー牛乳が浮かぶと思う
でもその二つは別に風呂上りだから美味しいという訳じゃなくて日常的なシーンで飲んでも美味しい訳だから
牛乳のそれとは違うと思う。
お風呂に入る訳だから発汗したりして水分が失われる分補給しないといけない
でも牛乳が美味しく感じるシーンはフルーツ牛乳やコーヒー牛乳に比べてあまりないと思う
牛乳が単独で活躍できるシーンはせいぜい朝食か給食くらいでその他のシーンで活躍できそうな場というと
刷り込みかもしれないけど、牛乳を飲む事で爽快な気分を味わえるのでないかと。
どうも風呂上りに飲むというシーンにおいてコーラなどの炭酸飲料はあまり登場しないように思う。
ドラマとかアニメとか漫画とかで見渡す限り確かにたまにラムネを飲む人もいるけど、ラムネって実は敷居が高くて
開け方が分からない、または開けにくいところから敬遠されてる気がする。
その点牛乳は瓶詰めで紙フタを爪で剥ぎ取って飲むのが昭和の風景でよくあった。
いずれにせよお風呂上りに牛乳を飲むと心地良く感じられるのは確かだろう。
最近ネットではお風呂上りに牛乳を飲むのは良くない、何故ならお腹を壊しやすくなると身も蓋もない事をくどくど書かれてたりするけど
だからといって例えば夏場のクソ暑い中で熱い緑茶とかハーブティーなんて代物を飲みたいとは思わないしせっかくお風呂上りなのに冷たい麦茶というのも味気ない気がする。
栄養価も高いし入手のしやすさ、安さなどを総合すると牛乳なのかなと。
そして美味しさもさることながら濃さもあるのかなと思う。
ところが、「自分の意思で胸をはだけている女性」が実は「自分の意思と思い込まされて胸をはだけることに抵抗感を失わされている女性」なのだ、という意見に対しては、「自分の意思の有無で判断」な議論は無力なのです。
たとえば札束で頬をはたかれるような中で表出された「自分の意思」なるものがどこまで自分の意思かってこともあって(これがOKなら大抵の枕営業は問題ないことになる)、そこを許してしまうと様々な弱者を保護することが不可能になってしまう。それでOKとするのはマッチョな新自由主義信奉者ぐらいだろう。ほとんど洗脳に近いような家父長制の刷り込みが作り上げてきた社会を見れば、狭義広義を問わず、洗脳と教育は危うい関係にあって、そんな中で「自分の意思」なるものの価値を高く見積もることはかなり難しい。
そもそも、突き詰めたとき人間に自由意志があるのかというのは、哲学でも定かに答えられない問題であって、そこまで極論でなくても、自分自身の「考え」が数年でコロコロ変わるのは誰しも体験してることであって、昨日の私の意思は全て今日の私にとっても自分の意思と言えるのか、ってのも決して言い切れることではないでしょう。「胸をはだけた写真の撮影に同意した時点では、私は100%自分の正常な意思によって返事をした、しかし、カメラを前にしたとき、私は『これは私の望んだことではない、あのときの私はどうかしていた』という思いを拭えなかった」みたいな出来事、いくらでも想像できるのではないでしょうか。そのとき、自分の意思とは何か?
つまり、「自分の意思」なるもので物事の判断をつけるというのは、ただのファンタジーだってことです。現実はそんなに単純じゃない。
https://www.mhlw.go.jp/content/12205250/000759249.pdf
回路が変化する.
Paulus - Dev Med Child Neurol 2018
(神経可塑性)と呼ぶのがふさわしい強い変化を脳の
報酬回路に与える.
トロールができなくなる.
Weinstein - Dialogues Clin Neurosci 2020
ステラーカイギュウをご存知だろうか。ステラーカイギュウ(以下ステ牛)は、絶滅動物の一種だ。
一説によると、「優しすぎて絶滅した」と言われている。ステ牛には傷ついた仲間を助けにいく習性があり、人間に捕まって傷ついた仲間がいると、近くに敵がいようとも助けに行ってしまう。そのため、1匹ボコしておけばまさに入れ食い状態で捕獲でき、絶滅してしまったというわけだ。
最近、女子高生拉致殺人事件があった。非常に痛ましい事件である。
(被害者様のご冥福を深く祈念すると共に,ご家族並びに関係者様におかれましてはどうか御自愛いただけますように。)
その事件において、Twitterでは加害者が「オタク」であることを印象付ける記事が出回った。「バ美肉」(=バーチャル美少女受肉、インターネット上で美少女の2D・3Dイメージに声をあて活動すること。美少女、美女、美青年などイラストによって「美」に当てはまる言葉は変わる。)や「アニメ好き」というワードが並ぶ記事タイトルを見て、数年前の「オタク迫害」の雰囲気を思い出した人もいたのではないだろうか。
Twitterにおいて度々話題になる「オタク迫害」は確かに存在した、と私は考えている。オタクは犯罪者予備軍のように扱われてきた。そのイメージを払拭したのは先人オタク達の努力の結晶であり、先人一般人たちの歩み寄りの結果である。その歴史を繰り返さないために、現代のオタクたちは日々「オタク」という言葉に過敏に反応し、マイナスイメージがつくことを防ぐ努力をしている。良い話だ。
ステ牛も、それ単体で見れば“良い話“なのである。自分の身を挺して傷ついた仲間を助けに行く……アニメだったらクライマックスだ。間違いなく涙腺が溶ける。しかし、現実は非常だ。傷ついた仲間のステ牛を助けに行った先には、武器を持ってニヤニヤ立っている人間がいるし、「オタク」という言葉のイメージを守らねば!と思い記事を見に行った先には、記事の閲覧数をニヤニヤ眺める執筆者がいるのだ。誠にクソッタレで、よくできた仕組みである。
強く、筋が通った気持ちは美徳だ。何かを守らねばとする姿勢は尊重されるべきである。しかし、世の中にはその気持ちを食い物にする仕組みも存在する。その仕組みがある場所には「オタクは犯罪者だ」と書かれているとは限らない。「オタクは礼儀正しい」と書かれていることもある。誰だって褒められるのは嬉しい。だからこそ、つい期待して足を運んでしまう。だが、そこで待っているのはニヤニヤ眺める“釣り人“である。その釣り人は言うかもしれない、『ようこそ、バーボンハウスへ。』と。
仲間を助けに行ったステ牛はボコられて死んだ。では、私たちは?
インターネットでは、全てを疑うべきだ。全てのニュース記事には書き手の意思があり、全てのニュース番組にも作り手の意思がある。伝えたいものに無意識のうちに誘導されているのだ。一旦感情を落ち着けて、見たものを疑い背景を想像することこそが、身を守る堅実な手段だと言える。
そして、この増田を書いている私にも意思がある。ひょっとすると私は、「インターネットは信じてはいけないものだ」と読者の無意識に刷り込みたいマスコミ関係の者かもしれない。はたまた、夏休みで暇している大学生かもしれないし、明日が久々の休みという社会人20年目かもしれない。ステラーカイギュウかもしれない。