はてなキーワード: 刷り込みとは
『フェミニストの認識「本来、男性は女性の身体に欲情しないものなのに、広告や創作物が欲情するように刷り込む」』
https://togetter.com/li/1878287
返す返すもこのまとめはタイトルが中身に反していて最悪だと思う。
「暮らすって、物入りね @majonokikidesu
@kireboku 「女子高生に欲情する男性は全くいない」とは思ってなくて「実は女子高生に欲情するタイプではなかったのに、文化的影響によって女子高生に欲情するよう刷り込まれた男性は意外といるのでは」と考えています。
ちなみに、寿命が短い時代でなければ、妊娠出産に最適なのは20代だと聞いたことはあります」
って言われているのに。
それらは犯罪行為で、犯罪行為を抑止するのは理性。しかし理性の欠如した人間が一定数存在するリスクがあるのが社会。
性欲にだけ通常の犯罪と別枠にして刷り込みを根拠に非難するのはおかしくね?サスペンスドラマやそれこそヤクザ映画の方が刷り込みされるやろ
Iカップのいかにも大人しそうな女子中学生がいたら、うわっデカいなって思うじゃん。
隣を歩いてた友人が思わず「でか!」と口にしてじろじろ胸を見たとして、それに気づいた女子中学生の顔が真っ赤になったとして、友人に対して確かにデカいから仕方ないと思いこそすれ本気で怒ったり引いたりはしないだろう。
口では「やめろよ」と笑いながら言ったとしても、男なら気持ちはわかる。たとえば通りすがりにその爆乳に肘が当たったことを自慢されても気持ちはわかる。楽しく遊んでいる最中に本気で咎めて空気を悪くはできない。
男なら仕方ない。爆乳なら仕方ない。女の子は別に嫌そうな顔はしてなかった、と思うだろう。
小学生の頃から通りがかりに卑猥な言葉を投げつけられたり偶然を装って胸を触られたり教師にニヤニヤしながら凝視されたり同級生の男子にふざけて羽交い絞めにされたり、そういうことがしょっちゅうあったけど中学生らしからぬ巨乳の女子中学生だから仕方ない。
「やめてほしい」と本気で言うと、誤魔化すように笑うか空気を読めよとキレられる。巨乳のくせに本気で怒る私のほうが間違っているかのような雰囲気。
顔色を変えず上手く躱すようになることが大人の女性の本当の賢さだと社会は言っていた。ほんの十年前まで、たわわな女子中学生・高校生は性的な存在として扱われるのは当然だと社会のさまざまな場所で広告されていた。
建前上はやってはいけないことだが、実際にそれが行われたのを見た大人の男は「気持ちはわかる」「男の本能だから仕方ない」と言う。この苦しさは、ずっと欲情させる身体に生まれてきた自分が招いたことだと信じていた。
この巨乳はあまりにも人目を引き、これまで接した男性たちに「この女は性的な存在として嘲笑していい」というメッセージを送り続けた。
私に大小の性的な接触をしてきた人々は決して低能でも粗暴でもなく、普段は人のいい友人たちだ。ごく普通の善良な男性に性的な欲情を起こさせ、ラインを超える言動をさせるのは、私の身体だ。
私自身は重度のオタクだし、自由主義者であり性的表現規制には慎重な考え方だ。
だが同時に、私が子供の頃から好んで読んだり見たりしてきたメディアで示された性的表現に自分が影響されてきたことも知っている。
周囲に溢れるバラエティやドラマ、漫画やアニメによる刷り込みで、コミュニティの中で性的なアイコンとして振舞うように求められるのは当然だと学習してきた。
辛いと感じるのは私が弱く、大人のスキルをもっていないからだと思っていた。
大学でジェンダー論に触れ、あるいはいくつかのフェミニズム論に触れて初めて私は怒ってよいのだと言ってもらえたとき、目からうろこが落ちたようだった。
それまでずっと私が受けた性被害は性被害ではなく、それは私自身が招いたもので、受け流せない自分が悪いと思っていた。
私の身体は私のものだと言ってはいけないと思い込んでいた。私の身体のせいではない、社会が間違っている。この社会を変えられると言ってもらって、涙が出た。
漫画やアニメが実際の性犯罪を惹起する確率は低い、というのは理解している。
だが私は漫画やアニメから「性的な存在として振舞うのが正しいあり方です」というメッセージを受けとって成長してきた。
データを示せと言われたら困る。私は持っていないのでこれはn=1のただのお気持ち表明だ。
これから性被害を受けるかもしれない子供たちに、それを肯定するような表現を見せたくない。あなたの身体はあなた自身のもので、踏みにじられそうになったら本気で怒っていい。あなた以上にあなたの周囲の大人たちも怒ってあげると言ってあげたい。
私が公的な場所での性的な表現をやめてほしい理由はこういうことです。性犯罪を誘発しかねないという理由で性的表現を批判していることについては否定的に見ています。
「尊重や敬意がない」ってのはまさにそのとおりだな。
自分たちは一方的に好き放題ケチをつけるのに、そのケチの付け方が酷いって指摘されたら慌てふためくようにイライラと反論しだすのがまさに。
ブクマカの大嫌いなフェミや小中学校のイジメっ子とやってること全く一緒な事に自分達で気づく能力がもう完全に失われてんだよな。
ある種の階級思想で「自分たちは一方的に攻撃する側のカースト」「自分たち以外は一方的に攻撃される側のカースト」ってのを後天的に脳に刷り込み終わっちゃってるから違和感さえ感じられんのじゃろ。
黒人を奴隷にしてた時代の白人が「だって黒人なんだから人権とかなくて当たり前じゃん?」と考えてたのと一緒だね。
それで自分たちが一方的に殴るだけ殴って反撃されたらキレるカスだって自覚してるならまだしも、その自覚が全くないんだから舌を巻くわ。
「なぜ自分は子供が欲しいと思うのか」の自己分析をしてるブログ記事を見かけた。それって幼少期から妊娠適齢期に至るまでの自分の脳内の刷り込みなんじゃないかと思っている。
子供時代からずっと「将来は家族をつくるんだ」「将来は自分も皆と同じように子供持つのかな」と思ってる人は子供欲しいと思うんだろうし、逆に子供時代から「将来子供つくるのとかマジありえん」「大人になったらそういうプレッシャーあるのかな嫌だな」と自分の脳内に語りかけてる人は欲しくないんじゃないだろうか。
自分は小学生くらいの頃に生とか死とかに囚われて色々考えてた時に「えっこのまま生きてたら自分は女だし将来は子供産まなくちゃいけないのか?ありえないおそろしい絶対嫌」という発想に囚われたことを覚えている。ことあるごとにその考えを思い出しては、あー子供欲しくないと思っていた。中学も高校も大学でも思っていた。妊娠適齢期になったら変わるんだろうか、、と思ったこともあったが、そのままずっと子供ほしくない産みたくない気持ちは変わらなかった。
が、これはきっと、本当の自分の性格とか向いてるとか向いてないとか本能とかでもなんでもなくて、数ヶ月おきに自分自身に子供産みたくないなとリマインドしまくった結果のセルフマインドコントロールなのかもなとおもった。そしてその脳回路は完全に固定された。感情、嫌悪感ともガチガチにワイヤリングされてるのでこの先一生変わらないのだろう。変わるか?と思ってたけど適齢期になって本当にわかった。本当に欲しくない。
子供つくらないのはわりと簡単に実現可能だからいいけど、これがもし逆で、子供がどうしても欲しいという気持ちだったら少しタイヘンだったなとおもう。ただそういう人の気持ちはわかる。自分が子供欲しくない気持ちと同じくらい強い気持ちで子供欲しいと思ってるんだろうなあと想像できる。もう脳内に刷り込まれてるのだ。だからなんで子供欲しくないの!?と言いたくてたまらん人の気持ちわかるなとおもっている。刷り込みなのだ。
それは戦闘開始の合図。
女性は幼い頃から『お前』なんて言おうものなら、かなり強く叱られます。
男性は『お前』呼びをしても躾られていないか、さほど強く叱られたことはないかと。
なので、そのような言葉を軽率に使う男性に対して(仮に悪意なく使っていたとしても)小さな憤怒を感じています。
高齢男性なら必ず『女に下に見られた!』とすぐさまキレ散らかして憤慨するでしょう。
『お前』を使うことに対して厳しい躾を受けてきた女性にしてみれば、『お前』=『おい、そこのクソが!』と呼び掛けるのと変わらないのです。
ケンカをしたいヤンキー諸氏がわざとふっかける煽りと同じです。
つまり、男性諸氏が女性を『お前』呼びした瞬間、女性は内心で『ケンカを売られた』と戦闘態勢に入るのです。
男性「お前(他意の有無に関わらず)」
女性「……💢(お?やんのか、こら?お?)」
こういう事です。
男性が『お前』呼びについて強く躾られていたなら、戦闘態勢に移行する瞬間を察知できていたでしょう。
躾を受けていない事によって男性は戦闘開始行為を理解できないのです。
これは、本人の意識どうこうよりも躾で刷り込みです。反射なので、どうにもなりません。
女性は『お前』を聴いた瞬間に憤怒し、理性によって憤怒を鎮めているだけなのです。
それくらい力のあるパワーワードです。
女の読む漫画とかには早くから恋愛の延長にそういうものがある、という描写がされるけど、少年漫画にはそういう描写がないので、漫画とかから好きな人とするもの、みたいな刷り込みは実は起こらないんだ
大人からの教育とか、少年誌的には、エロいことはしてはいけません、のような悪として刷り込まれる
そしてラッキースケベみたいな描写で、性的な興味を少し満足させてるだけ
男は友達の兄ちゃんとか、小学校の高学年の先輩とかから聞いて、セックスという概念を知る
あとはバラエティ番組とかで下世話な話をやっていて知る
で、AVまではなかなか見れないけど、エロ本を拾ったりして、モザイクのかかった女の裸を見てドキドキするんだ
で、その時感じるのは、大人はエロは禁止、駄目なこと、って教えてたけど、性的な興味や欲求をいつか合法的にかなえられるんだ!悪いことじゃないじゃん!俺もやってみたい!というのが正直な気持ち
それと同時に、具体的なクラスの女とかがその対象になることはあまりないと思う
女体には興味あるけど、目の前のこの子はなんか違う、みたいな
イメージがわかない、というのが正確かもしれない
そして、好きな女の子とかがいると、なんかそういう下世話なものをその子に重ねることは失礼なような下品なような気がして、気が引けてしまう
友達が、あの子とやりたいだろ、みたいにからかってきたら、やりてー!じゃなくて、普通に腹立つ
性的なことに対して興味はすごくあるけど、戸惑いも同時にあって、現実のこととしてうまく折り合えないのが小学校時代かな
だからそうか、女と逆だな
ダメなこと、卑怯なことと教わっているからこそ性的な関心を好きな女に向けたくない気持ちがあると思う
でも性的欲求がないわけではないから、好きじゃない女とか、抽象概念としての匿名の女に性的欲求が向かうんだな
中学生くらいになると、ようやくセックスの対象に少し具体性が出てくる
「目の前の〇〇さん」とセックスすることに、イメージが湧くようになる
そうすると性への嫌悪感も以前より少し強くなることもあるけど、同時に、その嫌悪感と折り合えるようになってくる
風俗はお金もないし、大人になるまで無縁だから、特に何も思わない
大人になってお金ができて、ああそうか、行こうと思えば行けるんだ、と気付く日まで現実感はない
そんな感じじゃないかな
今思えば、女と同じく、セックスは悪いことじゃない、素晴らしいこと、ただ、好きな人としないと傷つくこと、傷つけることがある、というふうに教えてほしかったかな
コロナ禍じゃなければ多分、危ないですって連絡が事前にきてたんだと思う。
それでもまだ生きてる内に会いたかったなぁ。
入院前に会った老人ホームで車椅子に腰掛けて、こちらを見てくれる祖母はちっちゃかった。
この日が生きてる内に会える最後かもなぁとぼんやり思ってたけど、振り返るとやっぱり最後だった。
私も母も隣の市に住んでいて、コロナ禍での病院の規定上、面会は一度もさせてもらえなかった。
受付だけ済ませて車内で待ち、タブレットを受け取ってほとんど返事も目線も返ってこない祖母を少し見ただけ。
しかもそれも一回。
小さな頃、ほとんど祖母に育てられていた期間があって、とある宗教を信仰している祖母はよくその教会に私を引き連れた。
教会にいくと祖母には祖母の仕事があり、事務所のようなところに籠もるので私は寂しかった。
同じような子どもたちもいたけれど、私はあまり人と仲良くなるのが得意ではなく、誰ひとり好きでもなかった。現に今でも誰一人として顔も名前も覚えていない。
私はその宗教を信仰していなかったし、神だ教えだは興味がなかった。
それでも少年部に属されることになり、何度か導師(式典においてメインで読経する位置)もさせられた。祖母は鼻高々って感じだったのを覚えてる。
属しているかと言って全員が全員式典などで導師をできるものじゃないんだろうと思う。
高校生にもなれば自らの意思で参加不参加を決められたので、(祖母的には出てほしかっただろうが)基本的にそういったものは以降すべて不参加にした。
そんな宗教も祖母が亡くなったことでもう完全に抜けさせてもらえると思う。母も私も信心深くなければ御布施も払わないタイプなので。
あぁでももっと、行ってあげたら良かったのかなぁ。
おばあちゃんがそれで、喜んでくれるのなら。
おばあちゃんがお墓参りのときに作ってくれる鬼まんじゅうが好きだった。蒸しパンと呼んでいたが、多分鬼まんじゅうだったと思う。
おばあちゃんがよく作ってくれたヒメジの酢漬け、何故かいつも口内炎があるときに作ってくれるから、よく泣きながら食べてたな。
祖母の家に泊まって迎えた日曜日の朝、「ピザにしてあげようね」と作ってもらえるピザトーストが大好きだった。
なんか食べ物の話ばっかりだな。
皮のたるんで柔らかい腕が好きだった。冷たくてぽってりしている耳たぶが好きだった。「ただいま」と言う時のイントネーションが好きだった。(中一高で完全に“ヘタリア”と同じだった)
今考えたら軽度の認知症が出始めた頃、週に一回くらい祖母の家で一緒に食事を摂っていた。基本的に祖母が食事の準備をしていくれていたのだが、一度、私が食べたいからという理由で筑前煮を作ったことがある。
「おいしいねぇ。これで○○ちゃんもいつお嫁に行っても困らんねぇ」
これを50回位言われた。
当時私には恋人がいたが、最悪なことにその恋人には妻子がいた。
ごめんね、お嫁には行けないかも。
内心でめちゃめちゃ泣きながら「大げさすぎん?」って言いながら祖母の倍食べた。食べたくて作ったのですごい美味しかった。
妻子がいる人とお付き合いするのは本当に最低なのだが、一番最低なのは妻子がいる身分で新入社員に手を出したそいつだと思う。あとこの世にいるご結婚なさってる方々、指輪嵌めろマジで。知らなくて好きになったあとだともう狂ってるから遅いんだよ。
言い訳はこの辺にしとく
あの世がもしもあるなら、どこも痛くなといいな。
輪廻転生をすることがあるのなら、次はおばあちゃんのなりたいものになって、幸せに過ごしてもらえると嬉しいな。
火葬ボタンを喪主に押させるのって酷だね。震える母の背中を見ながらそう思った。
思い出すといつもちゃん付けで呼んでくれてたなとか、眠りが浅くてすぐに起きてしまうのに何故か毎晩ラジオをつけて寝ていたこととか、こたつで眠る私に毛布をかけてくれたこととか、思い出すのは些細なことで、そしてちょっとずつ美化されてる。
ちょっとうまれが複雑な私に思うところとかたくさんあったと思う。叔母に幼少時首を締められた私としては叔母を擁護する家族に思うところもあったし。
たしかに。
無理を押し付けるのがかっこいいみたいな刷り込みをされて育ったら、平気で無理を押し付けてブラック化するのは目に見えているね。
現実は増田が言う通り、無理をするために余分なパーツという無駄と最低限の検査だけをするというムラが発生してしまうわけなんだけどさ。
司令官の見通しの悪さを棚に上げて、無理な作戦で頑張ろうみたいな話であって、実は司令官が無能ってことを示す話。
....と、書きながら「銀河英雄伝説」は割とその辺を描いているような気がする。
例えば、整備ミスをポプランが怒ったら、整備士はパイロットと違って飯食ってないなか作業していると言われ、謝るみたいなシーンがある。