はてなキーワード: 人種とは
元増田だが自分の親はそういう人種だった。というより何ひとつ褒められた記憶がない。
そして俺自身もそういう人種なので、いまだ独身だが我が子がそんな点数取ろうものならやはり叩きのめすだろう。そのことが火を見るより明らかなので一生妻も子ももたないことにしている
違うよ、全然違うよ。
米国西海岸を支配しているのはリベラリズムなんてチャチなもんじゃない。もっと過激な左派思想だよ。
ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー(Social Justice Warrior)、ウォーキズム(Wokeism)、文化的マルクス主義(Cultural Marxism)、批判的人種理論(Critical Race Theory)等、色んな名前で呼ばれてるよ。
まず、以下の画像を見てほしい。
https://texashousers.org/wp-content/uploads/2019/02/img_1088.png
平等性(Equality)、つまり皆を平等に扱うと、能力や境遇の有無で格差が生まれ、逆に公平性(Equity)の下では、この格差をベースに権利や境遇が配布され、皆が同じラインの上に立てる、という考えだ。
今ではこの画像が学校の教材として使われるくらい広く浸透してる考えとなっている。
一見とても理にかなってるように見えるけど、この思想には大きな問題がある。「格差」の基準は何なのか。誰がどうやって決めるのか。
画像だと身長という視覚的に分かりやすい格差として表現されてるけど、現実だとそうはいかない。各個人で抱えている境遇は多種多様で、誰がどれだけの社会的恩恵を受ければいいのかを決めるのはとても難しい。
はずだった。
でも連中はその基準を単純化するために、露骨な差別主義に走った。
まず大前提として「社会はシス白人男性が作り上げたものであり、彼らが有利になるようになっている」という考えがある。
これをアーキタイプとし、「女性」「LGBT」「マイノリティ」等の属性が付け加えられる事で、その人の社会的格差が決定される。そして社会的格差が大きい人ほど社会における発言権も強いとされる。
シス白人男性よりもLGBTの白人男性の方が発言権が強いし、LGBTの白人男性よりもLGBTの黒人男性、LGBTの黒人男性よりもLGBTの黒人女性、といった具合だ。
この中でもとりわけ「人種」に対する考えが過激で、まず最初に「白人は生まれながらにしてレイシストであり、これを撤廃する事はできない」とされている。その扱いはキリスト教における「原罪」に近いと言える。
そして黒人等のマイノリティはこのレイシストな白人どものための社会に生きているため、普通に暮らしていると絶対に成功する事はできない。だから彼らが人並みの暮らしができるよう全力で支援する事がレイシストである白人の「義務」とされる。
また、白人を基準とした文化は社会の隅々まで浸透しており、これらを「ホワイトネス」と定め、社会悪としている。白人であるという事は肌の色だけではなく、その人の考え方や心のあり方にまで現れると言うのである。
アメリカの国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館は、ホワイトネスを下記のように定めている:
https://twitter.com/ByronYork/status/1283372233730203651
「個人主義」「核家族」「科学的方法」「偏った歴史観」「努力主義」「キリスト教基準の宗教観」「財産に重みを置く」「未来・将来を重要視する」「時間やスケジュールを大事にする」
ここで違和感を覚えないだろうか。
時間にマメで、努力をする……そういった事すら「白人の文化」だとぬかしているのである。
じゃあ何か?時間にルーズで怠惰でいる事を推奨するのか?と言いたくなるが、ほぼ推奨してると言っても過言ではない。
だからこそ彼らは「努力してアメリカンドリームを掴み取る」という価値観を真っ向から否定する。ベーシックインカムみたいな破綻必至な制度を推し進めようとする。
今アメリカではバイデン政権による太っ腹すぎる失業保険のため労働者不足が深刻な社会問題になっている。下手にマクドナルドなんかで働くより失業保険をもらっていた方がずっと収入が多いのだ。そんな状態で職に付こうだなんて大抵の人は思わないだろう。
もちろんこの失業保険の資金源も無限ではなく、いずれ膨大なインフレや恐慌等といった形で跳ね返ってくる。しかし連中は国家を打ち出の小槌か何かと勘違いしているのか、国からあれやこれやと要求しまくる。
これらを推奨してるのは何も貧困層だけじゃない。むしろ西海岸の富裕層なんかは大抵この思想にどっぷりだ。
貧困層が成功を求めて努力するのをやめ、国からの施物に頼りっきりになって、一番得をするのは誰か。すでに成功している富裕層だ。
誰もが成功できるという事は、自分の地位や権力が常に脅かされているという事でもある。自分が競争で勝ち取った地位を堅固にするために、競争主義そのものを打ち壊すという訳だ。
そのために連中は人種差別的思想にまで手を出しているのだからたちが悪いどころの話ではない。
米国西海岸の左翼文化において「自己研鑽」や「マッチョイズム」は白人至上主義と関連付けられ、むしろ社会悪として認識されている。
そしてホームレスは「自己研鑽を辞めた者」ではなく「どうしようもない環境のせいでそうなってしまった者」扱いだ。
現にサンフランシスコではホームレスによる路上脱糞を完全に放置しており、路上の人糞を回収・処理する「うんこパトロール」というものに人件費を回している。冗談なんかではない。
最近フロリダ州では学校で批判的人種理論(Critical Race Theory)を教える事を知事が禁止したが、それに対する批判の中に「そんな理論は存在しない」としらを切る連中がいた。
連中は狡猾で、自分たちの思想が明るみに出されたらそれは差別的で悪である事がバレてしまうのを理解しているため、徹底的に隠そうとする。
名前を与えず、さもそれがずっと前から存在していたかのように、さり気なく提示する事で社会に浸透させようとする。だからこそ悪質極まりない。
世の中の人間は文章の最初と最後だけ読んで、わかった気になる馬鹿ばかりだ。
常に偏差値が70くらいあった。
別に私の頭がいいからとかではなく、単純に早い段階で教育を受けていたからだ。
具体的には保育園あたりから公文だの塾だのに放りこまれていた。
そりゃ常に勉強が出来てるんだから、10代は天狗になっちゃうよね。
でも、高校から自分と同じレベルの進学校に通い、勉強が出来るのは当たり前の世界になると考えが変わった。
そして大学で、たまたま行動力のある人間と友人だったので、そいつが在学中に作った会社に参加した。
超優秀な人間に囲まれて、実に仕事はきつかった。バリバリ大手の企業とやり合い、資金を引き出し、片手間でオリンピックに参加するような文武両道の怪物が平気でいた。
とにかく、私は所謂「上流」の世界では雑魚もいいところだった。
プライドを叩き折られ、社会にはすごい人がいくらでもいるんだ!と、ある種の幻想を抱いていたように思う。
その会社は大学卒業と同時に辞めた。というか正直に言うと、ついていけなかった。能力的に。
時期的にはこの辺りが、ちょうど「普通の感性」というものを持っていた時期だと思う。
人を見下さず、尊敬の念を持ち、謙虚さこそが美徳だという、通常な大人の感性だ。
でも、卒業後はSNSを活用する業界に飛び込んで、気づいてしまった。
「勉強が出来なくても頭がいい人はいる」なんてのは、それこそ幻想だった。
勉強程度が出来ない人間は何やってもダメだ、と再確認しただけ。
言ってしまえば、そう。「偏差値50の人間がどれだけ馬鹿なのか」という話である。
彼ら彼女らは、信じられないほどの馬鹿だ。アホだ。生きてて恥ずかしくないのだろうか。でも、それこそが世界の平均値なのだ。
馬鹿が政治について語っている。馬鹿が課金で搾取されている。馬鹿が適当に書いた記事に踊らされている。
いやあ、コミュニティの同質化ってのは本当に怖い。
私はたまたま、所謂偏差値50以下の「下流」の人々と関わる機会が多くなったのだが、これで、「上流」としか関わらない仕事についていたら、絶対にこんな考えには至らなかっただろう。
世の中の人は。みんな精一杯頑張って生きているなんて誤解したままだっただろう。
でも、なんだろうな。詐欺で生きているようで気分が悪い。
だって、私は一度もお金に困ったと感じたことはないけれど、馬鹿な貧乏人の気持ちは全て把握できる。
人種や性別で差別されたことはないけれど、差別される馬鹿の気持ちが完全に理解できる。
アニメや漫画が好きではないけれど、馬鹿なオタクが何を求めているのかアッサリわかってしまう。
だって、実際にそういう記事をプロデュースして、いくらでもPVを稼げるんだもん。しょうがないよね。共感の声なんていくらでも貰える。
でも、本当に頭の良い人達から見ると、私も同じ馬鹿の部類で、誰かにカモられて生きているんだろうな。
何が言いたいのかって言うと、世の中に出回っている情報メディアなんて私みたいな人間がクリエイトしているものだから、一々リアクションしなくていいよって話。
少し賢い馬鹿が馬鹿を騙すと、何故か金が生まれる。そういう仕組みになっている。
なんなんだろうね、現代社会って。
絵が描ける人は絵師
歌える人は歌い手
オタク気質なアーチストであくまでも自分はアーチストであるという
それともなんだ
311のとき北朝鮮は日本にやさしい言葉をかけたのに日本は恩を仇で返すンだな
北朝鮮:朝鮮赤十字会は14日、日本赤十字社の近衞忠煇社長に「貴国の東北部地方で発生した前例のない地震と津波により、多くの人命被害と物質的損失があったという不幸な便りに接し、朝鮮民主主義人民共和国赤十字会の名であなたと被害者、その家族に深い同情と慰問を伝える」とお見舞いの電文を送った。北朝鮮が東日本大震災について公式にコメント
25日には朝鮮総連の許宗萬責任副議長が日本赤十字社を訪れ、北朝鮮から送られた義援金10万ドルを近衞忠煇社長に手渡した。朝鮮中央通信は、北朝鮮が今回の震災の支援として金正日総書記名義で日本赤十字社に10万ドルを、在日同胞(在日朝鮮人)には50万ドルの義捐金を送ると報じている[54]。また、朝鮮総連は、被災した在日朝鮮人のために「総連中央緊急対策委員会」を設置、安否情報の収集や支援に乗り出している[55]。
今も日本は子どもの命と権利が親・保護者の権利にくらべてゴミみたいに軽い
クルマ閉じ込め欧米どうこう
とりあえず、米国
仮釈放無しの終身刑を言い渡されることもあれば(例:2014年6月のジョージア州 ジャスティン・ロス・ハリス https://en.m.wikipedia.org/wiki/Murder_of_Cooper_Harris)
うんうん、わかるよー不幸な事故だよねーで不起訴になるケースも43%もある上に、起訴されても11%は無罪になったりで、
said they were not aware they had left their babies in hot cars. In 43 percent of those cases, no charges were filed. In 32 percent of the cases, the caregiver was charged and convicted. And in 11 percent of the cases, the person was charged with a crime, but the judge or jury did not convict. The other 14 percent accounts for cases that are still open or the status is unknown.
[New York Times] He Left His Twins in a Hot Car and They Died. Accident or Crime?
https://www.nytimes.com/2019/08/01/nyregion/children-left-to-die-in-hot-cars-accident-or-murder.html
アメリカは、金あるいは金もしくは金と、人種・宗教・地域性が裁判結果を決めるけど、
犯罪として規定していない州でもホットカー法(hot car laws)があるし
規定がなきゃOKではなく、終身刑食らった親の住んでたのはジョージア州で法律の規定はないよ
単純に児童虐待でしょっ引かれるし、スーパーなどで親が怒られている様子とか割と見る光景だそうだ
Is it illegal to leave a child in the car?
https://www.finder.com/child-in-car-laws
An Avoidable Tragedy: Dogs in Hot Cars
https://aldf.org/project/an-avoidable-tragedy-dogs-in-hot-cars/
市民も児童・動物虐待としてフツーにガンガン通報・救出するし、警察官もアホがいないか見回ってるし、
日本よりも、人口も底辺も多く、国土も広いけど、見えている子ども に関しては未然に防がれている印象
なお米国のネット民の反応としては「子どもを車に放置死させる両親は薬物検査を受けろ」ですな
“The parents need to be drug tested asap.”
“The type of parents that are this mindless would have to be drunk or high on drugs not to realize their child is in the vehicle. Or, they are trying to murder their child and avoid prison by claiming it was an accident.”
[WKMG News 6&ClickOrlando] Newborn dies after being left in hot car in Florida
ちなみに、異常に親の権利が強く自己責任を問われにくいジャップランドの反応
子ども車内置き忘れは私にも!?:赤ちゃん忘れ症候群:記憶とヒューマンエラーの心理学
https://news.yahoo.co.jp/byline/usuimafumi/20190811-00137869/
酒の責任も取れないジャップに大麻なんてマジとんでもないね。見えない子どもや児童虐待が加速する
子どもを置き忘れる(そもそもなぜか置いていくことが罪にならない)がなにせヒューマンエラーらしいんで
もちろん、責任能力が怪しい人も子を持つ権利はあるし、怪しい親のフォローが必要なことに同意はするが、
児童福祉に関する法律を強化した後、親権停止を欧米並みにした後では?
バレーやバスケの身長差や人種による身体能力は棚に上げて男女比だけは頑なにハンデつけましょうとか甘えたこと抜かしてるから突っ込まれてるんでは?
同級生は皆、内定をもらったり、就活のラストスパートに向けて最後の力を振り絞ったり、おのおの将来のために頑張っている。
彼らは何故働こうとするのだろうか。
問うてみても、「自力で生活するため」とか答えるが、到底納得ができない。
そもそも生きる意味がよく分かっていない私とは違う人種なのだろうか。彼らは1日8時間を捧げてまで得たいような人生の旨みを知っているのだろうか。
人生をサボり続けたせいで、私にはその旨みを感得する権利さえも与えられていないのだろうか。
現世に執着する理由がないのである。さりとて自殺する勇気もないし、そういう気持ちは何故か芽生えると同時に萎えはじめる。不思議なものだ。
1人の人に執着するという経験を一度はしてみたいと思う。恋をしてみたい。恋愛が絡むと殊、人は燃えるらしい。そういう気持ちは確かに現世への執着に役立ちそうだ。
恋愛をしている人々は、きっと自信に溢れていて、自分のことが(少なくとも私の数百倍は)好きなのだろう、と勝手に思っている。羨ましい。良い具合に鈍感なのであろう。
あるいは、彼らは鈍感になることを決意し、そう「成長」して行ったのかもしれない。きっと、それが正しい姿なのだと、学校で教わったに違いない。
どちらにせよ、私はこの歳までそんなことを習ったことはないし、もう今から「成長」するには色々なものが足りなくなってきている。
いつも頭の片隅で「殺されないかな」「車に轢かれないかな」と考えている自分がいる。こんな精神状態が果たして正常とどれくらい離れているかも、もはや分からない。
最近ガルちゃんも始めてこれはこれで今までできなかった女特有の話題があって楽しんでた
大丈夫、私は女です
この間スレ?トピ?の最初の方に変な奴がいて雰囲気悪くなりそうだったから渾身のネタを投下したんよ
2ちゃんだったら速攻作り話ってバレてちょっと和む流れになる感じのやつ
上手く行けばいくつか安価つく感じの
ニヤニヤしながら投下したら
で嘘ですごめんなさいって言ったら「嘘かーい!」ってなるかと思ったらさ
嘘つき 酷い
みたいなレス付いてさ
なんかさ....害児なのかな?
秒で詐欺に騙されそう
ユニセフの感動ポルノみたいな広告無くならないのもこういう層がいるからなんだなと思った
テレビの報道とかまんま真に受けてテレビドラマのストーリーに一喜一憂するような人種って本当にいるんだなと思った
なんだかんだそういう人種の事ってみんな馬鹿にしてるからネットあんまりしないDQNみたいな奴らかと思ってた
嘘を嘘と見抜けないとインターネットを使うのは難しいけど
使うだけならサルでも出来るってわけなんだな
オッカム先生はもともと、北海道の裕福でない家庭で生まれ育った自分の境遇と、階級格差・地域格差への怨嗟をたびたびつぶやかれていました。たとえばこれとか。オッカム先生にとっては、その境遇から脱出するための唯一のキャリアパスが、大学の研究職になることだったということで、「うちには資産がなく告げる(sic)仕事もなく、もう大学組織に雇われるしかない。それで業績や大学の規模やステイタスに拘りました」とか、「私はガリガリ亡者のように(大学教員)職を求めていました」みたいな話はよく書かれてました。今回消されたツイートの中にも「大学に職を得られないなら死ぬつもりでした」というのがありました。地元dis・ご実家disについてはやや自虐芸が過ぎるようにも思ってましたが、それは個人的境遇についての説明とモチベーションにつながる話でもありますし、自分もこういう文化資本を含めた階級格差・地域格差がアカデミアでのキャリア形成に及ぼす影響(再生産)というのは、充分考察・検討に値する問題だと思っています。
そういった背景のうえでの、件の炎上について。オッカム先生は、国際会議の同時通訳をやれるほどの能力を持ちながら、研究もしていなければ常勤でもない既婚の女性達を見て、
北大助手時代に「東京は恐ろしい所だ」と思ったことが一度だけあります。国際会議のロジやっていた時、同時通訳を派遣してもらいました。最初は研究者なんだから通訳くらいできるだろうと思ってたのですが通訳は甘いものではなくまるでうまくいかなかったのです。まして同時通訳など訓練なしには無理。
アカデミアの国際会議でしたから専門用語だらけですが、事前に資料渡しておいたら、それはそれは見事な同時通訳がなされました。通訳者はすべて女性だったのですが、これが皆さん、専業主婦だったのです。東大やICUを卒業した専業主婦です。セレブバイトだったのです。
東大やICUや東外大(ICUや東外大は大学院を駒場で修了してたりする人もいました)出身者が専業主婦やってるのです。ジェンダーの問題は本件ではちょっとおいておきます。とにかく北北海道の辺境出身の私にはあまりにもイカツイ学歴の持ち主が専業主婦やって、セレブバイトしている。衝撃と畏怖でした。
繰り返しますが、ジェンダーの問題は専門外なのでおいておきます。彼女らは比較的余裕で超一流大学に入り、普通に教養を積み、しかしキャリアをガリガリ重ねることには関心がなく、恐ろしく給料の高い旦那のパートナーとして読書し語学を磨き子育てしている。雲の上より私には高かったです。
あり得ないのです。あり得ない世界だったのです私には。研究者としては、彼女らの旦那(が研究者だった場合)を凌ぐことができるかもしれない。しかしあの高学歴と語学力でキャリア志向のない妻を迎えることは想像もできなかった。つまり僕は絶対に勝てない。一体どんな世界なんだと背筋が凍りました。
という感想を抱かれました。当時その体験から受けた階級格差・地域格差の衝撃、圧倒的な語学力を持ちながら自分が切望する大学研究職というキャリアパスには興味を持たずに暮らしている(暮らせる)方々が存在することの衝撃をそのまま言葉にした結果、一連のツイートには、当時のオッカム先生がお持ちだったジェンダー観も交錯した形になり、そこが批判の対象になりました。
この「格差の衝撃」が、最終的に「自分と彼女達の旦那との勝負」(同時通訳者達の配偶者男性のことは、それまで話題に一度も登場していないし、そもそも研究職かどうかもわかりません)になり、しかもその彼らに自分は「絶対に勝てない」と勝手に敗北感を抱いてしまう…というくだりについては、多くの方が「もしかしてオッカム先生は、『男性の価値は、配偶者の属性や能力や、その配偶者を専業主婦として養えるかどうかによって決まる』という価値観をお持ちなのではないか?」という風に読まれたようです(自分も、素直に読んだらこの文章の意味はそうなってしまうように感じます)。そこで「トロフィー・ワイフ」という言葉を出して批判する方々も出てきましたが、オッカム先生は、この言葉を使ってオッカム先生を批判する方々に対して「女性はモノじゃないでしょう」「私、思いつきもしませんでした」と非常に憤られています。
もうさ、「トロフィー・ワイフ」という言葉がふっと思いついた人が2桁いるんですよ、確認した範囲で。どんな人生送ってきたんだと思うし、女性はモノじゃないでしょう。私、思いつきもしませんでした。
そして、「思いつきもしなかった」理由として、
思いつきもしない理由を考えてみました。
あともう一つ、アメリカ研究では、人種とジェンダー研究が盛んです。だから、「男女差別が具体的にどう現れるか」の研究を死ぬほど聞きます。だから「ジェンダーのことは置く」としたのは、自分のような政治史はジェンダー研究者から見たら子供レベルだからです。でも他分野の人よりは知ってます。
と言っています。オッカム先生は、ご自分が「自分が性別で他者を差別しない」方だと考えられています。なぜならアメリカン・スタディーズは半分以上女性の、実力の世界だし、「男女差別が具体的にどう現れるか」の研究を死ぬほど聞いているからです。これに説得力を感じるかどうかは読者の皆さんによって異なると思いますが、自分はちょっと、皆さんから指摘されていることの肝心な部分が伝わっていないのかな、と思いました。
もうひとつ、同時通訳という仕事について。同時通訳というのは、通訳・翻訳界のひとつの頂点で、その中でも国際会議などの同時通訳案件を請けられるのは本当のトップクラスの人材です。同時通訳というのは、どこに専門性があるかが誤解されがちな仕事で、語学力があればできる仕事…たとえば「米国からの帰国子女で、英語・日本語どっちも十分な語学力があれば、同時通訳ができる」という風に思われる方も多いようですが、実はそうではないのです。
英語を話される方なら「英語脳と日本語脳を切り替える」みたいなイメージは割と湧きやすいと思いますが、同時通訳というのはいちいち脳を切り替えてはダメで、「2つの言語モードを、脳のなかで同時並行で走らせる」という特殊な訓練が必要です。これは2言語ネイティブであってもなくても、練習なしには極めて難しいことです。
自分は同時通訳なんてとてもできませんが、一時期フリーランスの書籍翻訳をしていました。翻訳業界では「米語ネイティブで日本語も達者な人なのに、英日翻訳をやってもらったら商用出版に耐えないクオリティだった」ということをよく耳にします。頭が英語のモードのまま日本語に翻訳をすると「単語を日本語に置き換えた英語」になりがちで、日本語ネイティブが読んだときに不自然だったり意味が通らなかったりすることが多いのです。だから頭を日本語のモードに変えて、自分は英語原文を知らないというつもりで読み直して、それでも意味が通るかどうかを検証しています。
同時通訳者というのは、これをリアルタイムでやる仕事です。頭をフル回転させて、耳から入力された言語Aの内容に意識を研ぎ澄ませつつ、語り手の立場、聴き手の立場、その場の文脈などを加味して、最も適切な言語Bでの表現を選び出して、言葉として淀みなく紡ぎ続けるわけです(個人的には、同時通訳者さんの脳内では将棋や囲碁などの知的ゲームのトッププロ並の情報処理が行われていると思っています。「アスリートに近い」という人もいます)。想像していただければわかると思いますが、同時通訳は脳にかかる負荷がものすごいので、長時間はできません。国際会議などのように尺が長い場合は、複数の同時通訳者をアサインして、15分交代でやります。休憩中はしっかり糖分を取る人も多いようです。業界トップクラスの年収数千万円レベルの方々でも、持ち時間の終盤にさしかかってくると、徐々に言葉が途切れたり、不本意な倒置などが増えたりしてくることがあります。それほどハードな高度技術職なのです。日本トップクラスのフリーランス同時通訳者の田中慶子さんのお話( 日本トップクラスの同時通訳者が明かす、英語で困ったときの切り抜け方 - ログミーBiz)など読むと、その内実が伝わりやすいかもしれません(ちなみに田中さんは帰国子女ではなく、高校まで愛知で育った方です)。
また、担当分野に関する深い知識も当日までに身に付けなければいけません。通訳業界ではしばしば「その場にいる人の中では、通訳が一番話題に疎い人物」みたいな言われ方をします。商談でも政治交渉でも学術会議でも、母語は違っても同じテーマについて語りたい人達が集まって話す場なので、通訳以外の参加者達はテーマ自体については深く理解しているのです。その2者の橋渡しをするのがその場で一番アウェイな通訳だと考えれば、どれほどの事前準備が必要か、というのは想像に難くないと思います。
こうした仕事の性質上、企業の常勤正社員で、毎日同時通訳ばかりしている方はあまりいないと思います。契約社員などでの社内通訳というポジションもあるにはありますが、数は多くなく、そういう方々の中にも将来的なキャリア形成として、より高収入で仕事も選びやすいフリーランス通訳者を目指す方は多いようです。オッカム先生がおっしゃられている状況を考えると、会議にいらしたのは、おそらく首都圏でサイマル・インターナショナルなどにエージェント登録されているクラスA以上のフリーランス通訳者だと思います。おそらく全員が、事前に当該分野・当該テーマについての予習をみっちりして、前日に首都圏から北海道に飛行機で前乗り込みして、複数人の体制でブースに入って、アカデミックな話題について原稿なしの同時通訳をやられたのではないかと思います。トータルの拘束時間は3日ぐらいかかっているのではないでしょうか。そういうプロフェッショナルの同時通訳者の方々が、その時はみなさん既婚の女性だった、という状況なわけですが、自分はこれを「キャリアに興味がない専業主婦のセレブバイト」と呼ぶのは無理があるし、そう言いたくもないなあと思います。この表現には「有閑階級で時間がある主婦だからこそできる、暇つぶしの趣味的な仕事」というニュアンスがどうしても漂いますが、仕事の実態はとてもそんな風に軽々しく言えるものではないし、だからこその高給でもありますし、将来につながる立派なキャリア職でもあるからです。
炎上ツイートの冒頭を読むと、同時通訳が「訓練なしには無理」のハードな仕事だということはオッカム先生も認識されていたようなのですが、そういう高度技術職に携わっている既婚女性達が、〈既婚〉で〈女性〉という手がかりだけから「比較的余裕で超一流大学に入り、普通に教養を積み、しかしキャリアをガリガリ重ねることには関心がなく、恐ろしく給料の高い旦那のパートナーとして読書し語学を磨き子育てしている」と推定して、「専業主婦のセレブバイト」という評価に到ったのは、当時のオッカム先生が同時通訳という業態についてそれほどお詳しくなかったこと、お話をされた同時通訳の方がご自分のステータスについて「専業主婦」と仰ったこと(どういう質問に対してこの答が出てきたのか、答えられた方がどういう思いでこの言葉を選んだのかはわかりませんが)、男女の性別役割に関して当時お持ちだった先入観が絡まり合っていたこと、の3つによるのではないか、と感じます。
過去の物の見え方は物の見え方として、問題なのは、帝京大学教授として後進指導にあたる立場になられたオッカム先生が、当時ご自分がお持ちになられたそうした印象をどう考えられているか…なのですが、今日までのつぶやきを拝見すると「当時の自分の物の見方には、今からしたら偏っていた部分もある」といった形でそれを相対化する振り返りは自分の見た限りではあまりなく、むしろ一部の批判に対しては訴訟をする決意を固められているようです。自分は正直、事態があまり好ましくない方向に向かっていると感じています。