はてなキーワード: リアタイとは
らしいってなんだよと思うが、まあ読んでないらしいということはわかった。
DBの序盤をどこと定義するかにもよるけど、ピッコロ編までの助走が序盤ならたしかに面白くはない。
もともとジャンプファンじゃないので詳しくは語れないが、あれで持った理由は当時Dr.スランプの延長線にあのちょっとシモネタを連発するキャラをDBにも持ってきたことで、当時の読者としては飽きなかったのだろうと思う。
そしてこのへんではっきりいっておきたいが、俺はジャンプ漫画が基本的に好きではない。
一般教養としてジョジョはジョジョリオンの最初辺りまで全部読んでるし、ヒロアカは例外的に面白いと思う(それでも千崎編はいまいちだが)
その上で王道そのものがクソかといえば、丁寧に作り込んだ王道は面白いという考えがある。
例えばベルセルクはど直球の王道だが大河ドラマ特有の丁寧さで人気を得ている。
逃げ恥を見た。リアタイで見ていたときは、まさしく文系大学院生であった。契約結婚があったら私もすんなり結婚できるかなーてかガッキーかわいい…むり…というのが3年前の感想であった。
今回逃げ恥を見て、感じたことがある。みくりは、就職に失敗した世界線の自分なのかもしれない、と。(みくりのように結婚はできないので、それ以外の葛藤にスポットを当てた話になる)
就職したとき、こう言われたことがある。大学院を出てきた奴は、経験もないくせに、目上の人間に意見を言う。そのたびに、もやもやしてきた。大学院という経歴に付加価値を見出してもらえたからこそ、ここに採用されたのではないのか。その自分が大学院時代につけてきたスキルを発揮して何で文句を言われなければならないのだろう、と。派遣社員として働いていたみくりが、上司にあれこれ進言してきられたわけであるが、自分もこんなふうに仕事場でうざがられてるのかもしれないと胸が痛くなった。
頭いいだけで使えない、そんな偉そうな態度でこれから仕事をうまくやっていけるわけないだろう、そう言われるたびに、自分が積んできたキャリアを活かせる別の職場に移ったほうがいいのかもしれない、とそう思う。二十半ばにもなって、自己実現が出来てないなどと、小難しいことを考えてしまう。平匡に対して、自己肯定感だのなんだの持ち出して考えるみくりと大差ないのでは、と思ってしまった。
手当たり次第に女性ファッション紙を読んで、好みの服を多く掲載する雑誌を特定し購読し続け「型」を自分なりに解釈し、次のステップに進んでいく
マジでそれしかない。先達の高度なやりとりを見て学習するしか方法がない。ファッションが苦手な女子は雰囲気で服を着ているだけ
雑誌を買うのがしんどいならファッションアプリでとにかく他人のコーディネートを観察し続けるのがいいけど、
リアタイ更新系は基本「いまはこういう服が流行ってる」と調べる為のものと思っておかないと流行りに振り回される
※現地組やニコニコ有料会員じゃないと観れない後半部分のネタバレがちょっぴりあります。
舞台上演開始前のナレーションにて「当時の子供たちが学校から帰ってきてから楽しみに見ていたであろうこの作品も、放送を終えて30年間省みられることはなかった……ネットでネタにされるまでは」(要約)
と身も蓋もない紹介をされる屈指の怪作アニメ『チャージマン研!』
そしてそれを舞台化してしまった、いま話題の大問題作舞台『LIVEミュージカル演劇チャージマン研』
この演劇には「当時のちびっこ達の想いを現代人に追体験させてやろう」という狙いがあるんじゃないかな?と思い筆を取りました。
●わずか2時間の上演時間の中で「いままでは前座、これからが本編開始だ!」という歌や口上が手を変え品を3回も繰り返される。
●物語の最後、泉家はこれから始まるアニメにどんな超展開が待っているのかと期待に胸を膨らませてテレビを囲んでいる。
我々がチャー研を知ったときにはこの番組はとっくの昔に最終回を迎えていた。しかし泉家が見ているアニメは現在進行形で放映されている。
キャロンの「みんなで同じものを見ながら感想を言い合うのって楽しいわ」という台詞からも、泉家の見ているアニメがこの演劇そのもののメタファーになっている事がわかる。
●現地組はDVD会場予約申込書を見て欲しい。「チャージマン研!本編DVD VOL1」と書いてあるのがわかるだろう?
星くんという大人気キャラを出し惜しんでいるあたり、きっと近いうちに次回作をやってくれるに違いないんDA☆ ネネ、いいだろう?
学校から帰ってきてテレビの前で新たな物語を楽しんでいた当時の子供達のような気持ちでチャー研を観れる日がくるなんて、すごい時代……ステキダワー!!
9月27日公式ツイッターで11月から新シリーズが始まり、春田と黒澤部長は同じ役名で残ることが伝えられると、一部ファンは荒れた。
リプ欄は「アカウントを分けろ!」「牧くんがいない!」「悔しくて泣けてくる」「ひどい裏切り」「ファンのことを何もわかっていない」などなど、厳しいリプで溢れていた。
うるせえ、嫌なら見なければいいのにわざわざ公式に石を投げるなよと思った。ましてや、今まで自分たちを楽しませてくれていた相手なのに。もしこのリプ欄をお前らが好きな牧くんが見たらどう思うかわからないのか?おっさんずラブって民度低いんだなーと言う印象が残った。
そして昨日11月2日、新シリーズが放送された。自分はリアタイはできなかった。
別ジャンルではあるが、ツイッターのTLを見ていたら「おもしろかった!」と言う声がちらほら。トレンドも一位だったらしい。
ここで性格の悪い自分は、公式に石を投げたやつらが手のひらを返すのを見に行こうと思った。
結果、自分が確認した中で、手のひらを返している人間はいなかった。次のどちらかのパターン。
①見ない。土曜は早く寝ます。ツイッターを離れます。と宣言してる人もいた。見たくないものは見ない、非常に健全な判断だと思った。
②見る。見た上で、めちゃめちゃdisる。「つまらなかった」「三十半ばであのキャラは痛い」(前作もそうだっただろうが)「キツイ女とぶりっこ女しかいない」「テンポ早すぎ」「テンポ遅すぎ」などなど。わざわざタグをつけてまで延々と愚痴をこぼすアカウントもあった。最初から穿った目で見てたら絶対楽しめないだろう。時間の無駄。ほとんど牧ファンだろうし、牧の印象も下がるのでは?と言う感じ。
まあドラマを見ておもしろい、おもしろくない、どう感じるかは自由だ。でもあいつらがわざわざ来週も見ておっさんずラブをdisり続けるかどうかが楽しみである。
要点だけ言うと「元μ's原理主義者がバンナムフェスでGuilty Kissのステージを見てAqoursに対する負の感情が浄化された話」もしくはバンナムコフェスday2感想。
殴り書いているので、読みにくいし、文章も稚拙だし、ただバンナムフェスの終わってすぐの新鮮さだけは補償します。
今となってはもはや、そう自称することが許されるかどうかも怪しい。μ's原理主義が極まり過ぎてファイナル以降は完全にラブライブ!から足が遠のいてしまったし、他のアイドルコンテンツ(後に言及するがアイマスである)に今は浸っているし、かつてのようにμ'sの声優達を追うようなことはもうなくなってしまった。
来年にμ'sが出演する大きな合同ライブが決まったという知らせにも、当時大好きだったμ'sの曲を懐かしむように聞いてひっそりと嬉し泣きをするだけで、リアタイで集めたブルーレイディスクがあるのに更にチケット先行のあるブルーレイBOXを買う気になれず、チケット戦争に本気になれていない。そのレベルで心が離れている。
それでも当時は、μ'sが大好きだった。東條希は私の女神だった。曲の全てが、メンバーの全てが大好きで、ラジオやノベルを含めた全てのコンテンツをチェックして、スクフェスにもめちゃくちゃ課金して、大型ライブのみならず、声優個人のイベントにも行った。
μ'sが私に元気を、生きる気力をくれたから、私も全力で応援した。
μ'sのいないラブライブなんて、見ていても辛くなるだけだ。そんなの私の好きだったこのコンテンツじゃない。
ラブライブ!を冠にしていれば売れると思っているようなこいつらのせいでμ'sが休止になったんじゃないかとすら考えた。
すぐに東京ドームでライブが出来たことだって、μ'sの実績があったから押さえられたんでしょうと。
発表当時はキャラデザだけで吐き気を覚えていたのでアニメなんか見る気にもなれず、少し落ち着いた頃に再放送をやっていたので視聴してみたらまぁまぁひどい(ネットで散々言われていることなのでここでは割愛します)し、一生今後の人生においてAqoursなんかには触れないだろうなと、思っていた私が、
ついにGuilty Kissに触れてしまった。
なんの因果か、μ'sファイナルを行った東京ドームという場所で。
憎きAqoursの片鱗に。
本当に申し訳ないが、拒否反応が酷過ぎて彼女たちが登場した1曲目が始まった瞬間トイレに立った。ギルキスの登場までアイマス曲が連続で披露され、そろそろMCだろうという流れでの登場だったので、ここで1曲消化し、MCの二人が出てきてトークを挟み、その後1曲ぐらいやって終わりだろうと。トイレ休憩を入れるなら今だろうと。
そんなことはなかった。
いや、お、おわらねぇ。
挨拶もなしに立て続けに3曲、MCも彼女達自身で行うもほんの一瞬で、続けざまに2曲、更にし、新曲~~!?!?!?
シンデレラ6th名古屋で渋谷凜役のふーりんがMCとアンコールを挟んで最後のおねシンまで6曲連続で歌いきったことが話題になったけれど、彼女たちは与えられた短い時間で全力で6曲歌い、踊り続け、東京ドームに集う4万7千人を完全に圧倒させた。
トイレからの帰り道に通路で聴く歓声も凄かった。出演者のほとんどをアイマス関係で占めるこのライブで、たった3人で乗り込んできた彼女たちに湧くこの轟音、え!?ここってバンナムフェスじゃなくてラブライブのライブ会場ですか!?というくらい。
席に戻った時には2曲目の「Guilty niguht, Guilty Kiss」が始まっていて、まわりのアイマスのTシャツを着ているPちゃん達も皆が「ギルティキス!ギルティキス!」とコールしている。アイマスPもアイカツおじさんも皆ライブライバーになっている。さっきまで皆でアスタリスクににゃーにゃー言ってたじゃないか。HANABI打ち上げたじゃないか。一瞬にして世界が変わった。
たった3人だけの女の子たちの力で。
正直、9人中の3人だけの出演っておいおい大丈夫かラブライブ、ただでさえほぼ四面楚歌状態なのに狼の中に羊放り込むようなものだぞと思っていたけれど、そんな世界をひっくり返してしまうほどの力を彼女たちは持っていた。
善子ちゃん役の小林愛香さん、あの方凄いですね。ライブ後すぐ調べたんですが声優デビューが本作品だそうじゃないですか。甘くてとろけるような可愛いお顔にして力強い歌声、しかもめちゃくちゃ踊りが上手い。ステージ上でバキバキのHIPHOP踊りだした時にはびびりすぎておしっこ漏らすかと思った。
メンバー全員のパフォーマンス力が高すぎて、開いた口が塞がらない。
ライブ初披露だという「New Romantic Sailors」(あれってガチの未発表新曲だったんですか?それをバンナムフェスという場で初披露した彼女達の度胸がすごい)。
ちょっとお遊び感をまぜたライブぶち上がり曲、「PSYCHIC FIRE」だ!!と思った。BiBiの系譜を感じてしまい泣きかけた。本当に素直にそう思えた。そう思った自分自身に心底驚いた。
μ'sの仇と、Aqoursを敵視していた私はもう、この最後の曲の時にはいなかった。
『μ'sの二番煎じ』
私が思う以上に、彼女達は何度もその言葉を浴びさせられたんだろう。
彼女達の受けた矢の痛みは計り知れない。想像することもできない。それでも彼女達はそれらを跳ね除けて、ここまでやってきた。二番煎じで、μ'sが大きくしたコンテンツの名前を背負うからこそのプレッシャーが彼女達にはあったから、ここまできた。アイドルジャンルの作品は星の数ほどあって、その中で本気でコンテンツの過去の栄光に、ラブライブという作品の名前に乗っかってやろうとしか考えていなかったらもうとっくに飽きられて終わっていただろうに、彼女達は彼女達自身の力でこうして未だに輝きを放っている。その輝きは終わりが見えない。
Aqoursを普段聞かない私達が見た今回の6曲は、Aqours全体からしたらほんの氷山の一角に過ぎなくて、そんな齧っただけの私にも「わからせる」力を感じられて、でもきっとその力は一朝一夕のものではなくて、
そのための努力を知ろうとも、見ようともしないで鼻から拒絶したことを、私は心から恥じた。
アイマスだって、DSデレミリMシャニゼノグラシアには765本家があった。アイカツだって大正義いちご先輩の存在があって、それらの「はじまりの象徴」と後継のシリーズが集まって今回のフェスを大成功に収めた。
後継だって、そこに携わる、そこにしかいない演者がいて、ファンがいて、本家にけして負けないパワーがあって、シンデレラガールズのPである私はその世界を知っていたはずなのに、どうしてAqoursだけは気付けなかったんだろう。Guilty Kissの彼女達は、私にそれを気付かせてくれた。
違うな。
気付けなかったんじゃなくて、気付きたくなかった。二番煎じで始まったAqoursが、μ'sと並ぶ存在になっていることを。ずっとAqoursにはμ'sより劣った存在でいてくれないと、私がμ'sを神聖視する感情に都合が悪かった。ただ目を瞑っていただけだった。その事実に気付くことができた。
ありがとうバンナムフェス、ありがとうGuilty Kiss。
μ'sが終わってしまったわけではないのに、勝手にAqoursのせいで終わってしまったと思っていたことも、きっと希に「こらこらこらこらー!」って怒られるね。
蝶の女の中二っぷり凄い。
で終了。
原作と話の内容は一緒だもんなあ。
20年前の作品(リアタイ時ですらマイナー)にはまって僅かに現存する個人サイト漁って速攻読み切って今更更新してる人誰もいねーわとか
子供向け作品はまって調べてもうちの子が好きで~なママトークが9.5割とか
中堅くらいにはまれたと思ったらメジャーBLカプに全然興味持てなくて読めるものがほぼないとか
そういうのはもういいんだ…
発展性が無さ過ぎる…
でもここ数年
・刀、FGOなどスマホガチャゲー系:はまったら経済的時間的に破滅しそうなので絶対に手を出さないと決めている
・松:2話まで見たけど六つ子を区別して覚えられる気がしなかったので挫折
・コナン:今更入るには既刊数アニメ話数共にハードル高すぎない?ってんで手を付けず
・ヒプマイ:声優興味ないし…
ってな感じだ
そもそも少年キャラに興味が持てない時点で鬼滅に手を出したのは間違いだった。
(主人公サイドが子供ばかりなのは知ってたけど、大人のサブキャラも色々いるみたいだから好きになれるのいるかなーと思ったんだよ…)
でもさあ…萌える(って最近は言わないけど)ものがないとつまらないんだよ…
常に恋愛してないと気が済まない女とかこういう感じなんかな?多分違うけど。
私は新作発表されたSという某ゲームが好きだった
新作が発表されて、めちゃくちゃモヤモヤしたのでここに書き留めることにした。
Sはハードも変わっているものの、1〜5までナンバリングされている。
OVAだったりドラマCDだったり舞台、Sのグッズが販売されている専門店だったりと、20年前の作品にしては多種多様なジャンル展開がされていたと思う。
私が通ったものとすれば、
ドリームキャストが1〜4
ゲームだけでは語られないOVAで、キャラたちの過去だったり、設定だったりが知れたりして、子どもの頃は本当にその作品に冠するものしか見ていなかったかもしれない。
気付けばずっとやりこんでいた。
誰が一番好きかと聞かれれば、1に出てくる主人公のお姉さん的立ち位置の人だ。
いろいろあって、敵の女になってしまう。所謂、悪堕ちお姉さんなのだが。
その格好がめちゃくちゃエロい。闇堕ちお姉さんが性癖かと聞かれれば、そうかもしれない。
でも、闇堕ちにもちゃんと理由があるし、単純に敵の男が好きだったからなんていう理由だけじゃない。
Sと私の人生はほとんど一緒だったと言っても過言ではないと思う。
グッズ専門店には幼少期によく連れて行ってもらって、マスコットキャラのネコのぬいぐるみも買ってもらった。
閉店した時はめちゃくちゃ泣いた。大人になって一人で跡地に行った時もちょっと泣いた。
グッズ専門店に併設されていたコンセプトカフェのノベルティも今でも持ってる。
劇場版も映画館に連れて行ってもらって、パンフレットや映画館限定グッズも家にある。
サウンドトラックを聞いてある程度のシーンまでも分かるぐらいにはやり込んだと思う。
Sとコラボした桜色のドリームキャストだって動かないけど、ずっと持ってる。
新作とまではいかないけれど、移植版が出て同じハードで遊べるようになればいいな、というのが願いだった。
ちゃんと情報を追ってみると、事実だったので仕事の昼休みに泣いた。
あれだけ待ちわびていた新作だ!!!!!
ソシャゲじゃないといいな、なんて不安もPS4となった瞬間に吹っ飛んだ。
けれど、キャラデザもプロデューサーも全然違う人。唯一同じなのは音楽の人だけ。
本当にSという作品なの?と思ったけど、完全新作なんだし、仕方ない。コンセプトは同じなんだし、何よりSというタイトルを背負ってる以上、やらないという選択肢はなかった。
絵柄の統一性のなさ
え?なんで?どういうことなの?
本当に今までのシリーズを通して遊んだことがある人が作ったものなの?と疑わざるをえなかった。
絵柄の統一性のなさは昨今のソシャゲによくあるような流れだったから、まだ受け入れられた。
でも、前作メインヒロインの闇堕ちの可能性だけは信じたくなかった。
ゲーム、OVA、劇場版と通して見てきたメインヒロインを裏切られたような気持ちだった。
そんな簡単に闇堕ちなんかしないし、父親も闇堕ちした設定だったから、連続で同じようなことする?
あの時、流した涙ってなんだったの?
いろいろなキャラから託されたメインヒロインが闇堕ちの可能性で?しかも中の人も同じで?
そんなのシャア・アズナブルとフル・フロンタルみたいなものだとしても納得いかない。
新キャラageのための要員だったとしたら、意味も薄っぺらい闇堕ちだとしたら…。
ここで一気に不信感が増してきた。
設定も取ってつけたような設定だらけで、前作のこと知ってる?って聞きたくなるようなことばかりだ。
タイトルだけ間借りしてるんじゃないの?
私が待っていた新作ってこれだったんだ。
正直、こんなことなら完全新作なんていらなかったのかもしれない。
人生と一緒に見てきた作品がぶち壊された気分で、正直やる気が出ない。
でも割と周りは好意的な意見だから、こんなこと言えないけど、移植だけで良かったんじゃないのかな。
でも離れることは出来ない。
ナンバリングされている以上、どれだけモヤモヤしても、やってみないことにはなんとも言えない。
分かってはいるけど、闇堕ちの可能性があるメインヒロインを出してきた時点で、この作品に期待は全くなくなってしまったのだ。
それでもまだまだ私はSファンとは言い切れない。
12月に新作が発売される。
正直、メインヒロインの闇堕ちだったとしたら、私はディスクをフリスビー代わりにしてぶん投げるかもしれない。
あるいは新作をなかったことにするかもしれない。
小学生の頃に出会ったFF7が好きで、その後数年ヒマな時ふと思い立ったら最初からプレイするぜみたいなことやってたんですけど(ほんと暇だな
2016年頃にまたプレイしたくなってゴールドソーサーでチョコボブイブイ言わしてたんですけど
ある日飲み会で
って同僚に話題ふられて
へー!そうなんだー!やっぱリメイクのニュースは当時リアタイ世代でない若者にも興味を持たせるうんたらかんたら…って盛り上がっちゃって
いや違いますよ!リアタイでこそないかもですけど普通に名作ゲームなんで子供の頃にっ・・て聞いちゃいねー!まっいいか。
リメイクのニュースで若者が興味持ったっつー文脈欲しいだけだよねっわっかる~
って吹聴されて
ちげーわ!ザックスだわ!!それもクライシスコアで掘り下げられてからだわって聞いちゃいねー!
そんな感じです。
イクニ作品はピンドラとユリ熊とこれしか見ていないがその中では一番分かりやすくて面白かった
円盤も全巻予約済み
BL要素があるので苦手な人は注意
1話はもはや不快レベルのつまらなさだったが2話以降は見れる程度には良くなった
前期のわたてんが最高過ぎたのが悪い
1話の面白さを最終話までしっかり保ってくれて非常に安定した作品だった
分割2クールとのことで秋が楽しみ
狩野一との対立は普通に面白かった気がするのでもっと砂の耳設定を活かした話を見たかった
媒体ごとに少し展開を変える手法をとっているので改変があるのは分かっていたがあまり良くない改変もあったのが残念
主役2人の声優がアニメ声優初挑戦とのことで不安だったが、どろろは普通に上手で百鬼丸は終盤までほとんど台詞がなかったため気にせず見ることができた
15話が小林治回だったが、せっかくMAPPA(と手塚プロ)が作っているのだから作画を魅せる方向で作ってほしかった
夏アニメはまだ1本も見れていない
映画はミュウツーの逆襲EVOLUTIONを観に行ったが2Dアニメ表現の良いところを削った感じだった
ある意味観て良かったとは思っている
セラ○ンもウ○ナも本質は男向けミソジニー&女体エロアニメでしかないし、マ○みてはBL系少女漫画のギムナジウムものからの借り物。百合姫編集長が影響受けたと名前出してた輝○姫は実際にはレズビアン嫌悪の塊で淫夢をBLと言ってるも同然だった。https://t.co/IBmWgbU9uy— tatarskiy (@black_tatarskiy) April 15, 2019
元記事みたら輝○姫を上げてたのはインタビュアーの方だったな。編集長の方はマジでウ○ナしか上げてなくてあとはお仕事で関わった作品の宣伝。あとセラ○ンなんてリアタイでは男性向けエロ同人需要しかなかったのに《女性も男性も百合萌えしていました》って凄まじい捏造すぎhttps://t.co/y9AlhstRO4— tatarskiy (@black_tatarskiy) July 8, 2019
マイナス寄りの意見なので肯定意見しか見たくない方は読まないことをおすすめします
前提
・リアタイで視聴しているフォロワーさんが多数いたため動きは知っていた
本題
おもしろいらしいと聞いて気にはなっていたし、ツイッターのフォロワーさんからもぜひとすすめられていた。
明けて14日放送分を見ていたフォロワーさんのリツイートや発言から諸々の動きは見ていた。
察するに登場キャラクターの公式ツイッターがアニメの内容にリンクしていたようだが、気付けばその公式ツイッターはログが消去されていた。
つまりリアルタイムで視聴していなければツイッターでなにが起きていたかリアルタイムでの体感は不可能ということ。
これで視聴する気が失せてしまった。
アニメは当然全国ネットではないものもあり、自分の地域は放送地域外だ。
手法としてはネットワークを利用した現代だからこその手法で悪くないとは思うが、そのおもしろさをリアルタイムで体感できるのはリアルタイムで放送を見られる地域に限られやすい。
放送が遅れない地域であっても録画からしか見られない方にはリアルタイムでしか味わえない部分を見逃すことになる。
リアルタイムで見ていたからこその表現は手法としては有りだと思うが、その恩恵を受けられない者には気持ちを萎えさせる諸刃の剣だと感じる。
実際自分は「放送地域外では制作サイドがハイライトであろう作り方をした部分を真の意味で味わえず、視聴層としてカウントされないんだな」と感じて視聴する気持ちはほぼゼロになった。
万人に見てほしいという気持ちではなく、限られた中での体感で構わないと思って作ったのであればそれも有りなのだろう。
だが放送地域外の人間としてないがしろにされたんだなという気持ちが少なからずある。
でもよくよく考えてみてほしい。
天安門事件は1989年、香港返還が97年ということは、この件について20代はよくよく知らない可能性が高いのだ!
増田こないだ再放送にかこつけて10代の子にCCさくらを語ったんだ。
じゃあね、小狼くんって中国人キャラですよね。あの当時だったから人気で今じゃ考えられないですよね~ってね。
増田「ほえぇぇぇ」って言ったよね。
そうだ、今の子には小狼くんって中国人キャラなんだ!!ってね!
でも増田も正直リアタイ当時子供だから分からなくもないんだけどね。香港は確かに中国として知るし。
そんなあなたにCCさくらで「香港の近代史」の触りの触りを説明するよ!詳しいことは後で調べてね!
そうだね。木之本桜がロリコンを増産した一方で多くのショタコンを生んだオタク女子の元凶とも言われてるね。
昨今CCさくらイベントでは丹下桜が喋れば客がはにゃ~ん、くまいもとこが喋れば失神者が出るんだよ。
そんな小狼くん。香港からクロウカードを探しに来た転校生だったっていうのは覚えているかな?
劇場版1ではさくらたちが香港旅行を当てて、小狼くんの家に行くというストーリーがあったよね。
だから小狼くんはこの時点では「イギリス植民地下の香港に住む金持ちの少年」なんだよね。
植民地と呼ぶといいイメージあまりないけど、香港とイギリスの関係は密接だから中国と違って自由を尊重されてきたし、そこで発展してきた文化などは日本人から見たらとても魅力的なものがあるんだよね。
イギリス…ん?そういえばCCさくらとイギリスって密接な関係を持っていたよね。
そうだね!すべての元凶クロウ・リードの出身地だね!クロウさんは中国人とイギリス人のハーフってことになってたね。
小狼はその親戚…
(こうやって書くと小狼の家はお金持ちだし、裏で『華僑』が絡んでる設定だとは思ってるけど…明確には示されてないから置いとこうね)
小狼の香港設定はこうやって設定が組まれたものだって分かるね。
さらにクリアカード編では英語をペラペラ喋る小狼も描かれてるよ。イギリス文化を持っているからこその描写だと分かるね。
97年に香港返還として香港が中国になるのと共に、香港自体に独立した自治権を与えられたんだ。
それでも中国の影響力は大きくて、今こういうことになってるね。香港人は猛反発をしてきたけど、大国の圧力に負けそうになっている。
街並みもどんどん変わっていったんだけど、偶然にも返還直前を取材して描いたのが、さっき出した劇場版1なんだよね。
CCさくらといえばセル画の終わりを飾る莫大な予算がかけられたアニメとしても有名なんだけど、
劇場版の作画の凄さもあって、返還前の香港を描いた資料アニメとしても価値があるんだ。
言葉では言いにくいけどあの当時の雰囲気はもう今の香港にはないと思うな。
香港?中国じゃないの?って思ってるそこのオタクは一度考えてみてほしい。
小狼くんが、イギリスの文化を持った香港人という設定が良いか、ただの中国人という設定が良いか。
キャラクター…というよりも人間一個人のアイデンティティがどれだけ大切か。
設定という二次元を通して、香港人(そして台湾人など)が必死になる理由を知るきっかけになれば良いと思うし
リアルタイムでテレビ観る人なんて減ってきているし、テレビもってない人も増えているんだろうけれど、テレビ見てなくても「テレビが何をやっているか」は、やたらとネットに流れてくるんだよね。
ネットニュースには「昨日テレビでタレントがこんなこと発言した」とか「テレビがこんなことやってたけど、これは問題だ」なんて記事はやたらのってるし、twitterのトレンドには、リアタイ視聴者がいろいろ報告してくるし。
おかげで、今まで見もしなかった番組のことまで知ってたりする。
坂上忍が昼間にやってるワイドショーなんなんて、ほとんど見たことないが(時間的に見れないから)、とうやらエラソーな司会ぶりでえらく一部視聴者の顰蹙を買ってるらしい、などという、どうでもよいとも知ってしまっている。
で、こういう情報は「番組そのもの」ではなくて一部の切り取りなんだけど、それが一人歩きした形で、とりあえずネットではテレビ叩いとけ、みたいに盛り上がってることも多い気がするけど、それはつまり、なんだかんだ言ってみんな「テレビ大好き」なんだと思う。
深い愛が憎しみに転じちゃうのも含めて。
あれは高校2年の夏前だっただろうか。突如として部活同期の中でスクフェス が流行り始めた。これをやったら色々終わると直感でわかった。でもダメだった。面白そうという誘惑に負け、秋に誰にもバレないようにひっそりと始めた。次の年の節分にはもうバレた。それから年末までイベントは確実に2枚どりできるよう頑張った。大学に入ってからも最低でも4枚、通常は6枚取りを目安にコツコツ続けた。
大学1年の夏にラブライブ!サンシャイン‼︎一期の放送が始まった。無印の方は全く本放送をリアタイ視聴できなかったのでワクワクしながら見た。次の年には高校の部活同期と3人で初めて聖地巡礼をした。
大学2年の秋にサンシャイン二期をみた。もう一度沼津に行った。大学3年の冬には劇場版も見た。一人で函館にも行った。
今日唐突な発表があった。自分の大学の知り合いもtwitter上で戸惑い、歓喜しているようだった。
純粋にμ'sへの思い入れが少なかったからなのだろうか。確かに高校の時みんなで映画を見ようとなった時も断ったしファイナルライブが行われた時もライビュに行くわけでもなかった。ただ大学でラブライブ!を知った人間も今日感情をぐちゃぐちゃにしていたのでそんなのは言い訳に過ぎないだろう。
わからない。何もわからない。こういう風に書けば感情が動かなかった理由がわかると思った。でも何もわからない。
もしかしたら自分はラブライバーではなかったのかもしれない。当日に近づくにつれてじわじわと事の重大さに気づいて感情が大きく揺れ動くようになることを期待して筆を折る。