はてなキーワード: パワハラとは
女性が不遇になりがちなのは、霊感がわりとあったり、勘良い人が男性よりも多いらしい、という点ではないだろうか
集団で口裏合わせをしたり、記録上で事実を捻じ曲げるような種族には、都合の悪い存在
ジャニーズ事務所の件については、一番悪いのはジャニー喜多川だと思うんだけれども、
その次に悪いと考えられるのは、メディアや芸能界、政界などいろいろあるだろうが、
個人的にはジャニーズ事務所に息子を所属させている親は何を考えているんだろう?と思っている。
私はジャニーズ事務所に特に興味はなかったが、母親や叔母が「ジャニーズ事務所に所属している男の子はジャニー喜多川から酷いことをされている」というのを子供の頃から内容をぼかして私の前でも言っていたので、
幼いながらに「ジャニーズ事務所は怖いところ」だと思っていた。
なので、昔からジャニーズ事務所に息子を所属させる親の気持ちが理解し難いものだったのだが、
この機会にその親の心情を推測ってみることが問題の再発防止に一役買うのではないか、と考えた。
ある程度周囲からジャニーズ事務所についての評判などを聞き込みしたりもできたのでは、という気もする。
どうも平成初期生まれの私の親世代には公然の秘密扱いだったらしいが、
知らない人もいなかったとは言えないかもしれない。
これは個人的にあり得ると思う。
今ようやく被害を告白する人も増えてきたが、内容があまりに陰惨過ぎると逆に信ぴょう性が薄れるように思う。
実際私も、今回で藤島泰輔やらそういった人脈を聞くまで、ジャニーズ事務所が政界と繋がってるなんて噂は眉唾物として聞いていた。
人には自分の都合の悪い噂を嘘と決めつける心理がある以上、嘘だと信じ込んでしまうケースは大いにありそう。
これには2種類あると思っていて、
一つは「そういうことをされるのはジャニー喜多川のお気に入りの子だけ」と思っていたパターン。
実際私も今までなんとなくお気に入りの子にだけ手を出していると思っていたが、
噂レベルではあるがのべつ幕なしに誰彼構わず手を出していたという証言も多い。
もう一つは、例えば事務所に所属する際、事務所の人間から「そういった事実は一切ない」とか「お宅の息子さんにはそういったことはさせません」と口約束でもしているのかも、と思う。
というのも、ジャニーズの血縁者ってあまり血縁者だと大っぴらに語っていないパターンが多い気がするので、
何かしらの事務所との契約を結んでいるであろうことは想像にかたくない。
これは一番最悪な想像だが、ジャニーズ事務所の男の子には片親の子や貧乏な子が多い、という噂を聞くので、
お金やスターの地位のため割り切って所属させているパターンもあるだろう。
ただ、さすがに全員が全員そうではないとは思うので、
そうするとこのパターンだけでは説明のつかないメンバーも多いことだろう。
でもこのパターンが一番厄介というか、こういうパターンは女の子の場合でも聞くし、
このパターンの場合はちょっとやそっとじゃ口外できないのも致し方ない気がする。
ざっくりパターンを分けるとこんな感じだろうか。
個人的には全部の複合パターンなんじゃないのかな…という気がするが、
例えどれであっても、自分の息子がどれだけ美形で芸能界に憧れていても、
ああいう事務所に所属させるのは…と反対してしまうと思うのだけれど、
それがまた問題をややこしくさせている一因なのかなと思った。
なんかこの点について考えるのは問題に対して意味がある気がするので他の考えがあったら是非聞かせて欲しい。
〈最近の親だったら「昔はそういうこともあったのかもしれないけど今はジャニーさんもおじいちゃんだし安全でしょ」と油断してたケースも考えられる
親じゃないけど自分がそうだった〉
60歳超えたおじさんが積極的に…っていうのは、
今のところ確定ではないのかもだけれど、実際私もそんな60〜70歳でも手当たり次第…って感じだとは思っていなかった。
とはいえ、女の子の枕営業の噂だとEDの薬を飲んでまでやるらしいし、性欲よりも精神的な支配目的で恒常的に続けていたというのはあると思う。
そう考えると性欲以外の合理的な理由もいくつも考えられるから怖いな…。
〈カウアン氏のインタビューによると、1と2の間ぐらいで退所後の被害告白を受けて「事実とは知らなかった。知っていたら事務所に入れなかった」みたいな感じだったっぽい。親を責めるのは気の毒。〉
これ難しいよな。常識か?って訊かれると決して常識ではない。だから知らない親もいるのは致し方ないと思う。
加えて、これまでジャニーズのタレントってやたらジャニー喜多川さんの面白おかしい話を笑顔で披露して「親しみやすい善人」として語り継いできたと思うんだ。そのイメージで固定されてる人も多いと思うんだよね。
そういうイメージ戦略としてタレントたちが語っていたのかな…と思うとやっぱり怖いな。
私がこれを書くにあたって、子供の頃からずっと気になっていることがあって、
というのも私は幼い頃ある習い事をしていのだが、
ある日そこの先生がいくつかの芸能事務所のオーディションの話を持ちかけてきた。
その中にジャニーズのオーディションというのがあって、それを見た親が血相変えて「他の事務所であれば思い出作りにオーディションを受けるくらいならしても良いが、ジャニーズだけはオーディションでも駄目」と答えたのがとても印象に残っている。
それで結局オーディションはどれも受けなかったんだが、あの時の親の反応は「そりゃそうだよな」って感じだが、先生が何を考えていたのかが先生の年齢に近くなったこともあって気になる。
すごく良い先生で辞めてからも年賀状のやり取りなどしていたが、おそらくそういったことは深く考えていなかったんじゃなかろうか。多分。
この中では、①か②あたりであまり知らなかったんじゃないかという気がする。
それから私は芸能向きではない性格だし、私程度の容姿や能力の人間なんて需要が大してなく、パワハラやセクハラの跋扈する世界など適応できないと思い怪しげなスカウトも全て断って大学に進学したが、ここ最近思いもよらなかったことが起きた。
私にはかなり歳の離れた弟がいるのだが、彼は芸能界のある分野に入りたいと言い出したのだ。
彼はどう見ても芸能界向きの容姿でも能力でも性格でもないのだが、とにかく自分がそちらの世界で活躍できると信じている。
まあそれは何事にも奇跡があるだろうし、兄の私が何かを言うことではないと放っているのだが、私は芸能界というのはスカウトされたりオーディションでトップをとった人の進む世界で、そんな人々でもほとんど売れずやはりパワハラはセクハラなどにまみれた世界だと思うので、
憧れでそういう世界に飛び込みたいと考える人間に接したことが無かったのでとても驚いた。
そういう芸能界に憧れる人々がいる限り、芸能界のパワハラやセクハラは無くならないだろうと実感した出来事だった。
トップコメントの問題のある指導者みたいな感じってめっちゃしっくりきたわ。
そう言われると、スポーツは特に問題ある指導者でも長年活躍してる人多いな。近年はそういうのも是正するべきと声を上げているスポーツ関係者も増えたが、確かに未だにそういう文化は根付いているように思う。
たとえば「家電メーカーの先代社長が生前にパワハラしていた」という話なら「事実関係を調査してきちんと対処してくれ、でも君たちの家電は好きだしこれからも応援しているよ」と言っても何の問題もなさそう。「家電と恫喝」が「アイドルと性犯罪」になると途端に「好意の表明すらしてはいけない」ということになるのは「アイドルと性犯罪」に我々の心を掻き立てる何らかのファクターがあるんだろうな。
誤解されてるようだけど、傲慢で性格の悪い嫁とは全く逆のイメージだよ
守りたくなるタイプ
保険備えて今困ることもなかったろうし、
なんだかんだ気持ち切り替えて仕事して強く生きてるんじゃないかと思う
ほんとに純粋なひとって感じ
旦那さんも笑顔を守りたくて自分が背負いすぎてしまったんじゃないかな
(「チクチク言っちゃった」って本人は言ってるけど)
働こうとしないのも怠けとかじゃなくて、
愛する旦那さんのいない世界でがんばる気力がわかないからみたい
未来のことを考えられないって言ってた
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体が弱いので結婚と同時に退職とよくあるパターンで12年専業主婦
でも旦那さんがパワハラでメンタル病んでしまって休職することになった
長いこと楽させてくれてありがとう、
ゆっくり休んでねくらい言えればよかったんだろうけど、お金が不安で八つ当たり
もともと夫が稼いでくるのは当たり前だと思ってたと言ってて
働けなくなるなんて想定外すぎてパニックになって、お金がないないと旦那を追い詰めた
自分が働くことは考えなかったのかな
そこは言わないんでわからない
今は貯金と遺族年金で暮らしてるけど、やっぱり働くことは考えられないみたい
結婚前の職場がかなりストレスだったみたいでトラウマになってる
ずっと「なんでうちだけ」「なんで家買っといてくれなかったの」って嘆いてる
生活保護は相談に行ったらしいけど遺族年金と相殺になると言われてやめてた
一点だけ反論しておく。
共通の常識や文化を持たない外国人との接触において「相互理解」なんてものは綺麗事にしかならない。
そんなものが成立すると夢見てるオマエの外国人蔑視が不愉快の極み、ゲス。傲慢。
意味わからんだろ?自分は差別思想を持たない公平な人間だと思ってるだろ?
それがクソなの。
オマエは「理解」すべきはアッチって前提なんだよ。
日本が最高、その最高の文化、礼儀、やり方を教えてやるからそれを理解せよ、なんだわ。
大半の日本人がこれ。
俺はベトナム人(含め外国人)にパワハラをせぇとは言うてない。
だが彼らの文化は上下関係や指揮命令系統を明瞭にする、指示は文書でガチガチのマニュアルで仕事する、マニュアル逸脱の権限はワーカークラスの人間には与えられないの。
例えば、標準作業マニュアルがあるとする、それに反する指示を口頭で出されたとする。
ベトナムに限らず欧米含め海外はこれが明瞭なの、文書以外の指示はダメ、口頭指示を真に受けたオマエがダメ、指示した人間はそんな指示は出していないと平気でウソをつくし。
そういう文化土壌の中で育ってきた人間に口頭での指示なんて出しても聞きゃしない。
使う側があっちの人間に合わしてやるのが最適解なんだよ。
口頭のやんわりした指示でもちゃんと従ってね、逸脱が原因でミスが起きてもまぁ組織全体でふわっと責任取るのが日本文化だから心配すんな。
こんなもん「理解」なんてできるわけねぇの。相互もクソも無い。
指揮命令系統を明瞭にして指示を出す、ある意味彼らは威張って指示されるのは安心感でもある。
昨今の日本では社長もさん付けで呼びましょう、フラットな組織です。
彼らはそうではない。
そんな彼らの文化や社会を後進国の時代遅れのものとバカにしてんだよ。
なーにが相互理解だ、あめぇんだよ、国外で外国人と仕事して外国人の嫁と10年過ごしてみろ。
絶対にそんな戯言出てきやしねぇよ、違うものは違う、相互妥協しかねぇの
その他オマエの指摘は全て机上の空論、理想論、全員がオマエほどの能力も胆力もねぇの
少なくともクソ安い給料で働かされてる底辺が給料以上の責任を負わされる社会をさっさと瓦解させたほうがマシ。
それには下の人間が「責任取らない」って風潮作ったほうが早いと思うぜ
まぁ昨晩のテキストはエントリ時間を見てもらったら分かる通り真夜中に酔っ払って書いたものだ。
これも酔っ払って書いてる
オマエの言いたいこともわかるんだけどな
病名がつくんだから。
病名のつかないボーダー達が「お前脳みそおかしいんか?死んだほうがええんとちゃう?」って職場のパワハラクソ親父に言われてるの横目で見ては「哀れよのう」と笑ってるんだ。
素晴らしいですね。処世術としては満点じゃないでしょうか。ただし日本の起業の悪いところがギュウギュウに詰まったアドバイスですね。感心しました。これくらい適当でいい加減な人間だけが生き残るのが日本企業なんだという有様を見せて頂いたという感があります。
不器用にも程がある。
冒頭にこれ。
日本社会の悪癖を詰め込んだアドバイスこそが器用な対応だと信じているということがよく分かりますね。
威張って堂々とな。
散々、技能実習生や外国人労働者に対するパワハラや差別的な対応が問題になっているのにこれ。上下関係はあるだろうが、お互いに相互理解の上で仕事をするということが頭にない。上下関係で威圧することしか考えていない野球部的思考。日本の頭の固い管理職によく見られる態度だとしか言いようがない。
「儀式だから体裁だけ整えてりゃいいの」みたいなこと。そういうことばかり繰り返しているから失敗、不具合、事故の原因は明らかにならず、それを解消することもできず、同じ過ちを繰り返して、儀式ばかり増える。そして儀式とその体裁を整える仕事ばかりが増えて実業務の効率は低下する一方となる。日本の会社や行政でどれだけ意味のない手続きがあると思っているのか。そしてそれを解消しようとは微塵も思っていない。自分が改善や改良を進言し実施する一員だという意識がまるでなくただ既存のシステムに心と体を適用させて生き延びようという怠惰な保守主義しか見られない。だから駄目なんだよ。
結局、物事を解決するよりも自分の責任と労力を回避する手立てを勧めているに過ぎない。無責任極まりない。そういう無責任で他人に糞を押し付けるような利己的な態度で仕事をしているから全体の制度も一向に改善しない。無責任であることを勧めるよりも各員が自分の責任範囲で責任を分担し全体を支えていくことで組織は円滑に駆動するのに、そのようなことが念頭にない。こういう奴ばかりだから会社も行政も何も改善しないし無駄は減らない。そして責任者の所在は玉虫色で誰も責任を取ろうとしない日本社会の悪癖がここにくっきりと現れている。
唯一正しい。こういうことを上に進言して改善を促すことが全体の改革にも結びつく。
無責任でいいんだよ。
「たかが仕事くらい」「無責任でいいんだよ」といった安易で他人任せの責任放棄的な態度でいるから何も改善しない。しかし誰かがその責任を受け止めて葉を食いしばって押し留めて仕事をしているから此奴はこんな風な態度でも生きていけるのであって、真面目にやっている誰かの仕事にフリーライドしているだけでしかない。誰かが真面目にやっているからお前はそんな態度でいられるのだ。皆が皆お前と同じ人間だったらこの世の中の制度も倫理も崩壊するのだぞ。
責任持った生き方をしろ、なんて道徳を叩き込まれたんだろうが、あんなもん人を都合よく使いたい支配者の戯言だ。真に受けるな。
頑張れ。賢く生きろ。
確かに支配者、経営者たちが労働者を都合よく給与以上に働かせようとしてそのような道徳を吹き込む場面はあるだろう。しかし労働者として給与に見合う仕事をしているからこそ経営者の怠惰と無策を批判できるのであって、労働者として不良に成り下がってしまっては奴等を批判することもできないのだ。そして会社、企業で真面目に働くことは一緒に働く同僚の仕事と生活を守ることでもあるのだ。一生懸命働くことは経営者に奉仕していることではない。
なのにそのような真面目に真摯に仕事に取り組む人物に「真に受けるな」とか「賢く生きろ」などという言葉を告げる。不良になれとしか言っていないではないか。それのどこが「賢さ」だ?そういうのは「ずる賢い」というのだ。
全体的に世の中や社会や会社の制度や慣習を改善しようと改良のための提言をしようといった姿勢が微塵も感じられない。ただ現行の制度の裏をかいて要領よく生きようとするずる賢さしか感じられない。こんな処世術が蔓延しているからこの国はこの国の企業は駄目なのだ。この国と企業文化の悪癖をささえているのはお前たちだということを覚えておけ。
音楽の良し悪し、才能を見出し育て世に送り出す能力、そういった価値は、たとえその人が犯罪者だろうと大悪人だろうと価値が損なわれるものではない
そういう考え方は分かるし、芸能の価値で言えばひとつの正義だと思う
そのおかげで多くの多くの、犯罪や虐待とは無縁だった人は楽しませてもらえていたんだ
その功績を批判するだけではひとつの真実を見落としそうなので、ここはしっかり認めなきゃいけない
でも、幸いにして国が豊かになり、何をおいても国を栄えさせるんだって強いモチベーションは国民から消え、道徳教育が行き届き、インターネットで弱者の声が響くようになり、人々は弱者に配慮して生きる余裕が出てきたんだ
これはとても喜ばしいこと
国を豊かに強くするために、99%の人が全力を出せるよう、1%の弱者を切り捨てる社会より、100%の人が身の回りの幸せを目指す余裕がついにできたんだ
これは今の世の中が恵まれているが故の一時的な余裕なのはわかっている
油断するとすぐまた弱者は虐げられていまう
だからせめて今の時期だけは、犯罪者を断固許さないという態度を社会がとらなくてはならない、という新しい価値基準が浸透してきたんだ
そういう時代がついに来ているんだ
だから、暴力行為、パワハラ行為があれば、どれだけホームラン打つ野球選手でも球団から追放される
同じく、いくら音楽的才能を発揮しようと、俳優として優れていようと、弱者に配慮しない人間は表舞台に出られない、出してはいけないとする空気が今醸成されている
とても素晴らしいこと
でもこれは、99%の、罪に無関心だった人には少しの息苦しさをもたらす
でもそれは1%の人が絶望するほどの抑圧を受ける代わりに得られていた快活さだった
であれば、みんなが少しずつの息苦しさを分け合うことで、100%の人が幸せを感じられる社会、それを目指すことが可能なのだからそれを目指しませんか?というのが今の時代の新しい価値基準になってきているんだ
これは現代に生きる我々全員が胸を張れることだと思う
それだけ余裕があり、配慮が行き届く、洗練された世界が実現しつつあるんだ
では、30年前の、世を発展させ時代を進めていくことへの価値は喪失したのか?と言えばそんなことはないだろう
日本がこのまま順調に貧しくなり、貧困が増え始めれば社会は弱者救済への余裕をなくす
そうなれば、今の世の新しい価値観は儚い夢だったな、となるだろう
今の時代の人が山下達郎を批判できるだけの、余裕のある社会が失われれば、30年後の日本人は、山下達郎の言ってることは真理で、なぜ当時批判されたかわからない、というだろう
話がまとまらなくなってきた
要は弱者への配慮って、余裕のある社会にだけ許される、儚い儚いお神輿の上のお題目なんだよね
それをわかっているからこそ、今の時代の我々は全力で弱者救済祭りを楽しんでいる
キャリアを握られて声を上げられない性被害者のために、性犯罪者に鉄槌を下す祭りができるのは、恵まれた社会に生きる人間の特権だ
この時代はすぐに失われるだろう
どの生物、どの国、どの社会を見ても、本当の意味で弱者が救われる社会なんて実現しない
だからこそ、本当の意味で正しいことを言っている山下達郎を、正論をもってぶっ叩ける余裕のある社会こそ、我々が弱者以上に守らなければならないものだよな、と思っている
アラフォーのオッサンです。増田にいることからわかるように無能です、というと卑下が強すぎるかもしれないが、少なくとも有能ではない。
今の会社の居心地が良くて、それが何でそうなんだろうということを自分で考えて言語化した結果を吐き出しておく。
最重要項目の一つ。いやマイクロマネジメント自体をダメというつもりはない、上手くやれば、特に社会人初心者にとっては大いに助けになるのだろう。
しかし俺のかつての上司はマイクロマネジメントがパワハラ寄りの指導に直結するタイプだったので、今にして思えばあれがすごいストレスだった。
今の上司はほどほど放任してくれるので精神的にすごい楽。ただしスケジュール管理を自分で当然にやらなきゃならないので、そこのストレスはそれはそれであるけど。
自分のキャリアに今後があると思えるかどうかは非常に重要だとわかった。
俺は別にすごい出世欲があると自分では思わないが、自分の能力や成果を評価して欲しい思いはあるし、そりゃお高いお賃金をいただきたい思いもある。
居心地の悪かった会社では実質的に上が塞がっていた。例えば大卒新卒生え抜きじゃないと管理職になれないとか、新興企業で社長の仲良し幹部社員が美味しいところをガッツリ抑えているとか。
どんだけ働いても結局そいつらが上にいる、上になるんじゃんって感じで、自分の能力がほぼ昇進に影響しないのはけっこうストレスに繋がっていた。
現職は業界内ではかなりの大手で、俺みたいな無能アラフォーでもそれなりの金額規模の案件を手掛けざるを得ない。
そうすると関わる人も増えるし、どちらかと言えば自分の担当領域をまずしっかりやろうぜ、あと連絡を密にしてチームで取り組もうぜ、というノリになる。
過去の会社は売上的には数十億~100億未満くらいで、なんつうか何でもまず自分が全部やれ、みたいな感じで辛かった。
中小向けの性格特性を持ってる奴とそうでない奴がいて、俺は中小ではもっともっと底辺級というか本当に無能だったが、その頃から比べると今の会社でこんな金額動かしてるのは信じられないくらいだ。
俺個人のパーソナルを知ってる奴に言わせると「お前が体育会系の会社に合うわけねえだろ」という評価になるし、俺自身もそうかなと思っているが、何故か過去の会社は体育会系の人が多い会社ばっかだった(零細・中小がそうなのかもしれないけど)。
今の会社は良く言えばおっとり系の人が多くて(その分、陰で言う人も多いらしいが)、少なくとも面と向かってキレたり怒鳴ったりする人はほぼいない。
担当業務的に偉い人の金の使い方を知ってしまうことが多いので、クソみたいな経費精算をするのは普通にストレスだった。
今の会社もそりゃ接待とか社長のお車とか色々あるけど、売上規模や接待先の会社・人のレベル感的に妥当と思われる範疇なのでOK。
てかオーナー企業ならそりゃ会社の金はオーナーの金とイコールだけど、やっぱクソみたいな金遣いは社員のやる気に直結する。例えば営業に対して売上の少なさを詰めたり、全体会議で儲かってないと嘆いたりしてるオーナー社長がいきなり会社経費でマイバッハ買ったらアホかと思うじゃん。
とある元上司が、細部にすごい拘って仕事を進める人で、それはクオリティには良い影響を与えていたと思うんだけど、その代わり全然仕事が進まなかったのよね。
社外とか他部署に出す正式書類じゃない、部署内の検討用資料の誤字脱字とか、そりゃ無い方が良いに決まってるけど、別に多少あったところで大して影響ないじゃん?
上司好みの資料に仕上げるコストに対してリターンとこっちのストレスが全然見合ってなかった。
極論すれば、あんたがこれでOK出せばもうそれで全部進むじゃんって資料を3週間くらい修正させられたらたまったもんじゃねえ。
あとは社長お気に入りの幹部社員が、こちらが依頼したことを内心絶対覚えてるくせに聞いてないとか言い出して、権力関係的に従わざるを得なかったり、そのせいで仕事が超進まなかったりしたのも辛かったな。
この前、前職時代に世話になっていた他部署の上司から暑中見舞いがきて、ちょっと電話してそんな感じの内容を話したら
今から20年ほど昔のこと。新人ADは、仕事で失敗し、ディレクターから殴られ、眼鏡が壊れた。
後日、また怒られることを覚悟して、直接ディレクターに眼鏡を弁償してほしいと伝えたが、「お前が悪い」ということでその話は終わった。周りの先輩も、そうした自分の行動は良くないと言っていたし、その一連の出来事の結果、居場所がないと感じ、辞職することにしたのだった。上司に辞意を伝え「お前は向いてないよ」と言われたことを覚えている。
当時は、問題は自分で解決しなければいけないと思っていたし、誰にも相談はしなかった。業界では暴力やパワハラは育成と選別のためには必要悪で、それを告発することを認める雰囲気はなかった。
今では放送業界に限らず、企業のコンプライアンスに対する社会の目が厳しくなり、パワハラや暴力は許さない態度は当然のことになっている。
本当は当時からそうであるべきだったし、もちろん法律も整備されてただろうが、世間や風潮や周りの空気で、告発したり誰かに相談する選択肢が浮かばなかった。泣き寝入りして退場して終わりである。
原因は、正しい解決方法を知らなかったからだ。今だったら、警察か法テラスか労基に相談して第三者の仲介で解決する方法を選ぶだろう。もしかしたら傷害罪や、器物損壊という話になってきちんと謝らせることができたかもしれない。
結局、業界の雰囲気と自分の無知によって、踏みにじられた感覚は、今でも時々思い出してはジタバタする嫌な記憶になってしまった。相手はきっと覚えていないだろうし、罪悪感もないだろう。今も元気に業界で働いているそうである。
昔に比べれば、今はずいぶんマシになった。ハラスメントは悪だという当たり前のことが浸透したし、解決方法も色々と示されている。自分のような経験を、若い人にはして欲しくないと強く思うし、今の職場では部下や同僚といい関係でいられることを第一に働いている。
ここ数日間、感情をうまく感じることができない。
例えば、誰かから嬉しいことを言われたとしてもその瞬間に何も感じない。驚くほどに無感情。言葉の意味を理解するだけで終わる。ただ、「これ喜ぶところだな」というのはわかるので、それっぽい返事の言葉を考えて表情を作ってお礼を伝える。
数十分後とかにその言葉を思い出すと嬉しく感じることはあるけれど、そんな感情もすぐにスッと消える。何も感じなくなる。
他にも似たような症状に悩まされている。現実感がない。嬉しい出来事が起こった時にそれを現実として受け止められない。夢の中なんじゃないかって感じる。
1つ目は服用しているSSRIを減量し始めたこと。1週間ほど前から半分になったからそれが感情に影響しているんじゃないかと思った。
2つ目は「喜び」とか「嬉しい」とか「楽しい」という感情を長い間心から感じられなかったこと。ここ2年ほど上司のパワハラのせいで1日中イライラ感と不安感に襲われていたから、ポジティブな感情を感じにくくなってる気がする。
実際にマイナスな感情は普通に湧いてくる。無感情の状態で、感情があるように装って人と接するのは罪悪感があるし辛い。
嬉しいとか幸せとかそういう気持ちを心から感じられるようになりたい。今の自分が怖い。
1ヶ月ほど前に「寝なくても平気!食べなくても平気!人生最高生きてて良かった!」って状態に急になって、それを主治医に伝えたら減量になった。
不祥事をやらかした俳優が出演している映画を公開すべきか・公開してもよいか問題と
不祥事をやらかした人物の功績を讃えるドキュメンタリー映画を公開すべきか・公開してもよいか問題
何か違いはあるんだろうか?
個人的には、結論としてはどちらも公開すべきだし、公開してもよいと考える。
その映画を見るか見ないか、見た結果どう感じるか、どう批評するかは、見る側が判断すればいいと思う。
「面白い内容だったのにあの出演者のせいで不祥事がちらついて集中できなかった」という感想が出るかもしれないし、「不祥事はともかく映画の出来はよかった」という感想が出るかもしれない。
それは小説やエッセイと同じで、著者に対して「あんな下衆なことしておいてどの面下げてこんな作品書いてんだ」という感想を持つ人だっているだろうのに発禁にしないのは普通のことだ。
不快に思って観に行かない人が増えるかもしれないが、かえって話題性(事件前最後の出演作みたいに)が出て観に行ってやろうという人が増えるかもしれない。
公開しなければ売上はゼロだが、公開すればいくらかは回収できる。不祥事による損害を少なく止めるという意味でも公開すればいいと思う。
俳優は、実社会で犯罪をしようがパワハラをしようが不倫をしようが、映画ではフィクションの役柄を演じている。
ほとんどの人は、アンソニー・ホプキンスがサイコパスの殺人鬼でないことや武田鉄矢が優れた教育者でないことは承知の上でフィクションを楽しんでいる。
だから俳優の実社会での行動は、フィクション映画に対する好感度を全く左右しない。私の場合ね。
まして他の出演者やスポンサーへの好感度なんて、全く下がらない。全然関係ない。
他方でドキュメンタリーはちょっと嫌な感じがする。それは実社会での人間性こそが映画への共感の元になるからだろうか。
従業員を罵倒したり殴ったりしている社長が会社を急成長させたとして、「従業員への態度と経営者としての手腕は別物」と切り分けることが果たしてできるのかという疑問がある。
『ジャニーズ事務所の輝かしい歴史、ジャニー喜多川のカリスマ性に迫る』みたいなドキュメンタリー映画があったら、私は眉を顰めてしまうだろう。監督やスポンサーに対して人を見る目がないなと思ってしまうかも。
それでも公開すべきと思うけどね。