2023-07-10

時代、状況によって正義って変わるよなと山下達郎を見て思う

音楽の良し悪し、才能を見出し育て世に送り出す能力、そういった価値は、たとえその人が犯罪者だろうと大悪人だろうと価値が損なわれるものではない

そういう考え方は分かるし、芸能価値で言えばひとつ正義だと思う

そしてつい最近まで、この国ではそれでよかったのも事実なんだ

そのおかげで多くの多くの、犯罪虐待とは無縁だった人は楽しませてもらえていたんだ

その功績を批判するだけではひとつ真実を見落としそうなので、ここはしっかり認めなきゃいけない

でも、幸いにして国が豊かになり、何をおいても国を栄えさせるんだって強いモチベーション国民から消え、道徳教育が行き届き、インターネット弱者の声が響くようになり、人々は弱者配慮して生きる余裕が出てきたんだ

これはとても喜ばしいこと

国を豊かに強くするために、99%の人が全力を出せるよう、1%弱者を切り捨てる社会より、100%の人が身の回り幸せを目指す余裕がついにできたんだ

これは今の世の中が恵まれているが故の一時的な余裕なのはわかっている

油断するとすぐまた弱者は虐げられていまう

からせめて今の時期だけは、犯罪者を断固許さないという態度を社会がとらなくてはならない、という新しい価値基準が浸透してきたんだ

そういう時代がついに来ているんだ



から暴力行為パワハラ行為があれば、どれだけホームラン打つ野球選手でも球団から追放される

チームスポーツから?そんなことはない

30年前のプロ球団で同様の事例がなかったと思う?

同じく、いくら音楽的才能を発揮しようと、俳優として優れていようと、弱者配慮しない人間は表舞台に出られない、出してはいけないとする空気が今醸成されている

とても素晴らしいこと

でもこれは、99%の、罪に無関心だった人には少しの息苦しさをもたらす

でもそれは1%の人が絶望するほどの抑圧を受ける代わりに得られていた快活さだった

であれば、みんなが少しずつの息苦しさを分け合うことで、100%の人が幸せを感じられる社会、それを目指すことが可能なのだからそれを目指しませんか?というのが今の時代の新しい価値基準になってきているんだ

これは現代に生きる我々全員が胸を張れることだと思う

それだけ余裕があり、配慮が行き届く、洗練された世界が実現しつつあるんだ


では、30年前の、世を発展させ時代を進めていくことへの価値喪失したのか?と言えばそんなことはないだろう

日本がこのまま順調に貧しくなり、貧困が増え始めれば社会弱者救済への余裕をなくす

そうなれば、今の世の新しい価値観は儚い夢だったな、となるだろう

今の時代の人が山下達郎批判できるだけの、余裕のある社会が失われれば、30年後の日本人は、山下達郎の言ってることは真理で、なぜ当時批判されたかからない、というだろう


話がまとまらなくなってきた

要は弱者への配慮って、余裕のある社会にだけ許される、儚い儚い神輿の上のお題目なんだよね

それをわかっているからこそ、今の時代の我々は全力で弱者救済祭りを楽しんでいる

キャリアを握られて声を上げられない性被害者のために、性犯罪者鉄槌を下す祭りができるのは、恵まれ社会に生きる人間特権

この時代はすぐに失われるだろう

どの生物、どの国、どの社会を見ても、本当の意味弱者が救われる社会なんて実現しない

からこそ、本当の意味で正しいことを言っている山下達郎を、正論をもってぶっ叩ける余裕のある社会こそ、我々が弱者以上に守らなければならないものだよな、と思っている

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