はてなキーワード: エネルギーとは
カラスは、現代人にとって最も馴染みの深い野鳥と言ってよいだろう。どの街でも見かけることができ、朝夕にはカーカーと喧しい鳴き声が聞こえてくる。ごみを荒らしたり、ベランダのハンガーを持ち去ったりと、人間の生活にも密接に関わっている。たとえシジュウカラやヒヨドリを知らなくても、カラスを知らない人はいないだろう。
そんな、どこにでもいるカラスであるが、その死骸を見たことがある人は少ないのではないだろうか?そう。街にはあれだけカラスが棲息しているのに、不思議とその死骸を見かけることは無いのである。当然、カラスも生物である以上、その命はいつか終焉を迎える。では、その死骸はどこに行くのだろうか?
物理学には、物質がエネルギーに変換されるという理論がある。たとえば、ウラン235という原子に中性子をぶつけると、イットリウム95とヨウ素139という2つの原子に分裂する。この時、分裂後の原子の質量の合計は、元の原子の質量よりも小さい。この質量の減少分が、エネルギーに変換されるのである。みなさんが日常何気なく使っている電気の一部も、この理論に基づいて作られている。
街中でカラスを見かけない理由は、この理論で説明できる。実は、カラスは死んで間もなくすると、その質量の全てがエネルギーに変換され、跡形も無く消えてしまうのである。これが、街中でカラスを見かけない理由である。
物質がエネルギーに変換されると、通常そのエネルギーは熱や光となって現れる。それでは、カラスの発するエネルギーは何になったのだろう?それは、みなさんの頭上に輝く太陽である。太陽は、地球の遥か遠くから、大量の熱と光を地球に送っている。カラスは死ぬと太陽になり、私達に夜明けと恵みを齎すのである。中国の神話で、カラスが太陽の化身とされた理由もここにある。
本編最新作のポケットモンスターソードシールドの世界では、ポケモンが巨人化する
ムゲンダイナという古代生物のような神話のようなポケモンの放つエネルギー、ガラル粒子を浴びるとポケモンは巨人化してしまう
アニメだと巨人化したポケモンは無垢の巨人のようにさまよって人を傷つけていた
ダイマックスバンドを持つトレーナーのみ、自由にポケモンを巨人化、再縮小化が可能だった
今回出た外伝の最新作、ポケモンLEGENDSアルセウスでは、ポケモンは人を襲う危ない生物として描かれている
野生のポケモンから身を守るため、村は柵で覆われており、門番が村を守っている
ポケモンを調査、研究し、利用、使役するなんて危険だしやめるべき、私はポケモンなんて嫌い、という村人が多数派の様相
そこで、人類がさらに土地を開拓し発展するためにはポケモンの捕獲研究が必要、ということで、村を治めるギンガ団は村の外で活動する「調査隊」を組織し、主人公は村外で調査活動を行う、というのが今作
これさー
ヒステリーというかパニックになってて非科学的な記載が目立つ。
「人参の皮はむくな。」とかいってるけど、根菜の皮はほかの葉物などの作物にくらべて土中の重金属や農薬の吸収率が高いので皮を厚めに剥いて捨てることが推奨されている。ずっと食べているとたとえばイタイイタイ病のような病気になるかもしれない。
もちろん、輸入人参でも農薬などが基準以下のもののみを市販しているが、全数調査ではないので根菜の皮は厚めに剥いて捨てるに越したことはない。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kampomed/60/1/60_1_25/_pdf/-char/en
あと、じゃがいもの場合は皮にソラニンが蓄積していて食中毒になることがあるし、
そうでなくても単純に胃腸にキツい。胃腸がつまる病気になりやすい手術経験者や老人には食わすなマジで。いっとくけど日本の人口の半分はもう老人。
粗食だの農林水産省のフードロスを気にして無理な生活をして病気になると、抗生剤、点滴、ワクチンなど工業の集約のトップにある、高額な石油製品を使うことになる。(直接ではなくても、殺菌や精製やパッケージング、あと人件費や開発費・知的財産権ロイヤリティなど間接的に世界中の石油エネルギーをたっぷりつかっているので高額になる)
三割負担でも薬は高い。10割負担の額にしたらほぼ一般人の手には入らなくなる。アメリカ人がメガネかけないのとおなじようにな。
あとコロナで給食の牛乳もあまって違法だけど川にながして捨てたいってなってただろう。ツイッターで蘇という料理のレシピが流行って牛乳と光熱費を無駄につかう料理をしはじめたりした。
だから病気の影響のほうが環境への負担もおおきいんだっていってるだろ。
つまり、現在市場で入手できるあらゆるものの値段は、(関税や米価調整などの政府調整がはいらなければ)およそ、完成までに使用した石油エネルギーの量に比例している。
素の値段の高いものは環境負荷が高いといえる。(くわしくは環境負荷、環境アセスメントで自分で調べろ)
牛肉が高いのはどこかから運んできた牛にどこかからはこんできたコーンを食わせ冷暖房をいれて何年も育てたあげくどこかへ冷蔵車で出荷されるからだ。鶏肉・鶏卵が安いのは育成期間が短く、一年程度でエサ代冷暖房代が少なめのうちに出荷でき、各地に養鶏場があるからだ。もやしやかいわれ大根も圧縮解凍みたいな作物だから各地で水だけでつくれて安いしうまい。
作物が基本的に安いのは、天から運ばれた水と太陽光でその場で育つし、手間暇かかりすぎるなら価格競争に参加できないためその時点で製造・出荷をとりやめるからだ。
(米や塩の値段だけは政府が調整をいれていたが今はやってないかも)
だから人参の皮をたべてまで安いものを無駄にしない=余計買わないようにしたところで、
そのせいで高い医療サービスを買わざるをえなくなるなら環境負荷も家計負担も政府の医療費負担も増えてしまって本末転倒なのだ。
以前アルファーGOという人工知能があって人間の棋士を負かせるほどの棋譜をつくれた。だが1枚の棋譜に1兆円のサーバー電気代がかかるからグーグルは開発を停止した。
人間棋士(トップクラスでも生涯賃金10億程度の激安価格で200枚やそこらは棋譜を生み出すだろう)のほうが、安くすむし、環境負荷は低かったということだ。
だからこの手の増田も、目の前の高性能コンピューターを無駄につかってないで「ごく普通の、あたりまえの」生活知識を磨き、子供を生み育てろよ、バカめ
人間は石油を直接燃料とせず知的労働の成果を製造できる唯一の家畜だ、それが営々と環境最適化をした今が文明社会の最先端なのだ。
とりあえず紙でガッコーというところで配られる基礎知識セットくらいはあればこんなにヒスらなくてすむんだぜ
ちなみに欧米人もボナペティはいうし、場所によっては神に感謝の祈りを(5文字よりもっと長く)ささげる。
親のつくった温かい飯を前にいただきます言わないで食い出して言い訳に4000字も猿みたいな勢いでキーボード打つやつはマジ家畜だから少なくともプロ棋士以上の知的労働成果を挙げろよな
水流で例えるならアンペアは水量、ボルトが流速、ワットがその水量と流速でつかえるエネルギー量だよ
低いアンペアでもホースのくちを指で押しつぶして噴射させたらワット数が上がる
高いアンペアでも広いくちでだらだら流せば抵抗がすくなくて済む
急速充電とか省エネとかそういうのと用途にあわせて調整されてるもので
一概に電気がおおけりゃいいって話でもない
これもいいね
ホリエモンが「人を使うのが下手なヤツはいつか倒れる」と主張する真意
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アイティメディアのインタビューに応える堀江貴文氏(撮影:山崎裕一)
あまたの事業を成功させてきた起業家、ホリエモンこと堀江貴文。時代の寵児(ちょうじ)といわれ、ITビジネスや宇宙事業など、それまでの常識を覆す手法で自らの構想や事業を実現してきた。ただ、初めからその背景に莫大な資金や、特殊な才能があったわけではない。 堀江自身が好きなことに没頭してきた結果、ビジネスが生まれていったのだ。
【一気に見る】「堀江さんが最も大切にしているものは何ですか?」への回答
あえてレールから外れよ。
3歳児の気持ちで、のめり込め。
近刊『非常識に生きる』(小学館集英社プロダクション)では「自分の人生を取り戻す」ための、41の行動スキルを指南している。書籍の内容から、堀江が考える経営者に必要な考え方を語ってもらった。
自分のなかで一番を決めるのは好きではないのだけど、「堀江さんが最も大切にしているものは何ですか?」とあまりにたくさん聞かれるので、とりあえず「時間です」と答えている。それ以上、説明するのは面倒くさいので、詳しい理由は省く。
僕はふだんから、時間を1秒でも最適化するために、さまざまな技術を持った有能な人たちの助けを得ている。密度の高い人生は多くの人に助けてもらって、初めて成り立っているのだ。僕が立ち上げたたくさんの事業に関わってもらっている、何百人ものスタッフにはいつも感謝している。
僕はプログラムはできるし、お金の管理能力もある。ビジネスパーソンとしての総合力は、かなり高い方だろう。けれど、僕よりもっと出来のいいビジネスパーソンは、身近に何人もいる。レベルの高い人たちと一緒にいるから、何でもかんでも自分ひとりで処理してしまおうとは、思わない。
もしかしたら、ひとりである程度、うまくできるのかもしれないが、それで余分な時間が取られてしまうタイムロスを避けたいのだ。
他人に任せられる仕事は、他人の手を頼りまくることをまず選ぶ。
人に任せたぶん、別の新しいことに時間を注ぎたいのだ。
手柄が任せた人のものになるのも、抵抗がない。時間がもらえるなら、手柄なんかどうでもいいのだ。
サラリーマンには、自分ひとりで何でもこなしたい人がいる。部下や同僚の能力を下に見て一匹狼を気取り、ひとりで仕事を進めてしまう。それがストレスフリーだというなら結構だが、賢い生き方ではない。
自分を使うだけで、人を使うのが下手なヤツは、いずれエネルギーを使い果たし、倒れるだろう。そのとき、誰かが助けてくれるだろうか?
優れた人に甘え倒すのが、賢いビジネスパーソン
いまの時代、何でもできる! というアピールは得策ではない。できるヤツは、上にいくらでもいるのだ。能力アピールより、できない自分をさらけだし、「助けて」と平気で言える人の方が好感を持たれる。助けてくれる人も集まりやすい。
ひとりで何でもやろうとしてはいけないのだ。逆に成長のスピードを遅くする。
お金を出せるなら出していいし、手の空いてる同僚や部下に遠慮なく振ってしまおう。優れた人に甘え倒すのが、賢いビジネスパーソンだ。
組織のなかでの協調性を高めよう、などと言いたいわけではない。別に周囲のご機嫌を取る必要なんかは、ないのだ。やりたいことをよりスムーズに、大きなレベルで進めていくには、周囲のスキルを使わせてもらった方が、実利は大きい。
何でも人任せで甘ったれるのは論外だが、自分が苦しいときに無理して強がるのはいけない。何の得にもならない。弱さをさらけだす勇気を持とう。
弱みをさらけだし他人を頼る人は、嫌われてしまうと勘違いしていないか? 誤解だ。弱みを躊躇(ちゅうちょ)なくさらけだせる人は、逆にモテるのだ。
そもそもVtuberって金投げるに値するコンテンツちゃうやろ。
…
1年後か2年後にまた見返しておもろいなって思えるもんか?承認欲求や流行という文脈から切り離しても評価できるもんか?
お前がスパチャとか言って投げた合計金額を5年後か10年後かに提示されて「経験としてこれだけの金や時間を費やした価値があった」って肯定できるか?他人にその価値を説明できるか?
価値は時代や状況に普遍じゃない。高級ホテルで飲んだコーラは都会で飲むコーラとは価値が違う。体験はその人がどんな状況にいるかに大きく左右される。
価値が変わりにくいエンターテイメントはあるが、そちらの方が優れているという理由はない。手堅い投資先というだけに過ぎない。
お前が絶対的価値を信じるあまり、祭りに乗り損ねている間に、他のみんなはそのノリを楽しんでいる。瞬間にしかない興奮は他では味わえないし、感謝の気持ちもその場所にしかない。丁寧なフィードバックもある。だからコスパは結構高い。
趣味のコスパについて、それを語るのを忌避する人は多いけど、俺はそういう視点はキライじゃないな。
小説や漫画のような従来型のエンターテイメントは、コミットすればするほど体験の価値は上がる。
だけどこちらが投入できる資源はほとんどが時間と集中力だ。情熱のエネルギーや想いをつぎ込む手段がほとんどない。即売会に行って作者に感謝するとか、グッズ買うとか、間接的でロスが多い。時間のない現代人にとって、スパチャにみられる贈与経済はコミット手段の革命であり、情熱解放の未開の領域だ。
Vtuberのほとんどは承認欲求とか性欲とかそういうもんを煽って金集めてる賎業をオタク向けにチューニングしただけで本質は同じ賎業やん。
いや賤業なんてない。職業に貴賎はない。
ここにも重要な認識のズレがある。スパチャに込めてるのは応援したい気持ちだよ。楽しい時間をありがとう、という感謝だし、純粋な賞賛なんだ。だから実感をともなった確信を持って、完全に肯定できる。
昼飯食ってたら涙でてきた・・
年に1回か2回あるんだよな。
こうなると10日ぐらい死んだ感じになるんだよな。
手帳見返すと、12月中旬からずっと働いてきた。年末年始は一番忙しいけど、わりと充実感もあるからよかった。
去年はその後一休憩したけど、今年はその流れでここまできた。先週辺りから少し落ちてきた感じもあったけど、
先週から仕事の合間の息抜きで楽しいことがあったので、息抜きの時間を確保すべく猛烈に効率をあげてきた。
もう限界だったけど、その息抜きを頼りにやってきた。その息抜きも終わって、なんか全て切れた。
まぁ本当は先週ぐらいに終わってる感じだったけど、ここまで無駄に延命してきたんだよ。
はぁ・・・
この状況でSNS見るのは一番悪いんだよ。だから旅行に行って暇だからスマホ触りまくるのが逆効果って前に気づいたんだよな。
美術館行くか、その辺の寺社周りでもするのがいいんだけど、それができるのはもう一つ前の段階であって、こうなるとどっか行くエネルギーすらない。
まあ一言で言えば、歳なんだろうな。
子供がいるから仕方なく食べ放題に行くことがあるが、まあ食えない。いや頑張れば食えるけど、この年齢だと量より質なんだよ。
だいたいビュッフェ形式の料理はたいてい質がそこまで高くないから、食べたいとはそこまで思わない。それに、年齢的に太りやすいから、たくさんは食べたくないんだよ。
昔は食べ放題ってだけでテンション上がって、全種類食べてやろうと意気込むくらい、皿山盛りにして、テーブルと料理を何往復もしたもんだ。でもそれが今はない。
子供を連れて行くと、子供は嬉しそうなんだが、俺はゆっくりテーブルで座ってるだけ。元を取ろうなど思う気持ちもない。
でも本当は、ガツガツ食べて、でもその分エネルギッシュに働いたり運動したりする親父になりたかったんだ。だが、それをする気持ちが足りない。食べ放題に行くお金はできたのに、食べるエネルギーが減ってしまったんだ。なんてバランスが取れてないんだろう。
自分が子供の時、自分はこんなに嬉しいのに親はなんで喜んでないんだって思ってたけど、その理由が今なら分かるよ。
ドリンクバーで喜ぶ年齢でもなくなったしな。色々混ぜて喜んでたあの頃に帰りたい。
若い頃は頭痛が多くて、少し前は胃痛が多かったんだけど、今は不安というかネガティブ思考が多い。
不安も未来に対する不安から、過去の後悔、昔よかったのに今は○○まで色々。
このネガティブ思考は、とりあえず何かに熱中すればそこまで出てこない。ひたすら止まらないようにタスク処理をしていくしかない。
最悪なのはインスタとFB。嫉妬する。Twitterはこうゆう時はまだまし。○○見て叩きたいとかいうエネルギーは湧かないから。
今日はほぼ寝てないので、明らかに寝不足からくる体調不良だから分かりやすいんだけど、5時間ぐらいの睡眠が続いて数日して徐々に体調が悪くなる方が
変に無理するから厄介でもある。
なんかさあ
すっきりしてる今自分。
まあ、思考停止なのかもしれない。
ちょっと週末遊べればそれでいいってことに落ち着いた
いま金稼ぎでもないからこんなこと言ってるのかもしらんけど。
人との比較なんてまっぴらごめんだし
しちゃうけど、これはこれでって感じ
東大のジョーカーとかさ、ジョーカーと言われる奴らよ、何を思うよ。
すげー抑圧の果てにいたんだろ?
俺はもう無いよそんな気力
ふつうにさ、歩いてさ、なんか過ごしていけたらそれだけでもういいやって思ってるよ
ジョーカーの気持ちが分かるとまでは全然言いきれる自信ないけど、そういう事件起こるたびにああ、俺だなあって思うよ。
なんだろな。
でもなんか今の時間はすげー頭すっきりしてるよ。
これに騙される奴が大勢いるだけならわかるが、ほぼ全会一致で「素晴らしい」「これぞ集合知」「はてなをやっててよかった」はちょっと頂けないな。
まさにはてなをやっている人間のリストが詐欺のカモリストになるレベル。
うん。
この言い方はまさに詭弁だ。
イケハヤに騙されてよく分からない奴らの金蔓になったような集団だ。
それでも平気で「俺達は賢いから。騙されたのは一部のアホだけ」と言う。
そうじゃないんだよな。
はてなっていう独自の空間でエコーチェンバーに閉じ込められることが判断力を狂わさせて騙されやすくしている。
それなのにはてなーは何を勘違いしているのか「俺達はみんなで集合知を高めているから騙されにくいんだぜ」と思い込んでる。
反ワクチンを謳う連中と同じ構図だ。
自分から騙されやすい環境に身をおいて、周りの声に聞く耳を貸さなくなり、それでいて騙されにくくなっていると信じている。
こりゃ駄目だ。
お前らはネットに対して「半身」になることが出来てない。
半身になるってのは半ドットずらしてぶつかるってことだ。
ネットに対してはいつだって疑ってかかるような態度でいるべきなんだ。
目の前にいる相手の言うことを半分以上信じちゃ駄目だ。
どんなに信じても半分までだ。
周りの連中がそうだそうだと声を張り上げていても信じるなよ?
それを判断するのに使えるエネルギーが足りないのなら情報を新たに仕入れることをやめろ。
情報収集とは食事のようなものであって、なんでもかんでも口に含めば食中毒を起こすだけなんだ。
目の前にある情報がどこまで信用できるのかを判断できずに吸収するのは、赤ん坊がなんでもかんでも口に入れては病院送りになって最悪死ぬのと同じようなものだぞ。
ホメオパシーや反ワクが社会に迷惑をかけていると分かっているなら、自分たちが次の「ソレ」に感染しないためにも今すぐはてなを辞めるべきだとわかってほしい。
「NETFLIXでも見ていろ」とは、はてなーにも向けられるべき言葉なのだと。
「地動説などありえない。地球が回転しているなら我々はそのモーメントをかすかに感じるはずだ」
「そうだそうだ」
「通勤電車に揺られる時、人は自分たちが向かっている方向を身体がどこかそちらへ引っ張られるような感触で感じるではないか」
「そうだそうだ」
「そもそも地球のような巨大な物体がどうやって宇宙空間を回転しているというのだろうか?そのエネルギーはどこから来る」
「そうだそうだ」
「宇宙空間は完全な真空だなどというものがいるが、宇宙にだって隕石が飛び交っており、それならそこに含まれる成分が周囲を漂う。それによって絶対的な摩擦があるはずだろう」
「そうだそうだ」
「その摩擦を補うようなエネルギーはどこから来るのだ?そもそもをして太陽が引力を持っているというのならなぜ地球は徐々に太陽へと引き寄せられないのだ」
「そうだそうだ」
「そうだ!いいぞー!我々こそがネットで真実を知った者たちなりー!」
→Z
・歌って踊れる
→SD
・歌で世界を救う
・時間を越えて過去の自分を倒した結果タイムパラドックスで消滅する
→武者
・その時代においては量産されすぎてガンダムじゃない機体のほうが少ない
→G
→∀
→ナイト
○ご飯
朝:白菜とソーセージとお餅を茹でたの。昼:ぞうに。夜:梅干し、たまご、うどんを茹でたの。
お菓子は……
○調子
身体が重い。
パワーが出ないけど、来週はもっと頑張らないとなので、エネルギーを蓄えたい。
次は光かあ。通常軸肉集めデビューしたいので、ルオー斧集めを始めようと思う。
全く勝てなかった。七連敗ぐらいした。
けど、エリカのエモーションやカードのエリカが可愛いので楽しかった。
勝ちとか負けを楽しいの基準におくと辛いので、すきなカードやリーダースキンを使えるってところに楽しみを見出していきたい。
○ウマ娘
シャドバで書いた通り、勝ちとか負けとかを楽しいの基準におかないことにしてるので、チャンミは参加賞もらうものと割り切る。
割り切るわりに楽しさが少しうまく見出せなくなってきてるので、アニバでなにか改革を期待したいな。
今月の星5はせいけっしょうのカケラを全部交換。
わたしたちの仕事の大半はリモートワークになっているのだが、その日たまたま彼と対面で打ち合わせをしなければならず、はたしてその日の晩に彼は発熱したのだった。
おたがいにマスクをしており、打ち合わせもそれなりの距離をとって、アクリル板のパーティションを設置していたのだが、わたしは濃厚接触の疑いがあるということで勤務先から自宅待機を命じられた。
結局のところ保健所は濃厚接触に該当しないと判断したのだが、勤務先から「大事をとってそのまま三日間は自宅待機してほしい」と連絡があった。
かくしてわたしは自宅でみずからを家族から隔離するように、リモート部屋に布団を敷いて起居することとなった。
リモート部屋は六畳ほどの広さで、窓際の隅に机と椅子、モニター、プリンターが置かれている。
そのほかの荷物も雑然と置かれているのだが、布団で寝るぐらいの広さはある。
自宅待機の旨を関係各所に連絡し、そのおかげで滞った仕事をなんとか終えて、夜中にようやく身を横たえるとふと文庫本が目にとまった。
リモート部屋には文庫本専用の本棚が四つあり、棚の上の方には未読の、つまりは積ん読状態の本が並べられている。
下の段には、すでに読み終えたものか、読み途中のもの(あるいは挫折したもの)が入っている。
布団に入らなかったら下段の本には目が届かなかったかもしれない。
そこにあったのは、二階堂奥歯『八本脚の蝶』(河出文庫、2020年)。
かつてハードカバーも買い、読み終えることができず、文庫が出たら文庫も買い、こちらもまた読み終えることができず、そのままになっていた。
なぜか今度ばかりは読めるような気がした。
そうしてこの三日間、仕事の合間に少しずつ読み進めている。
<1977年生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。編集者。2003年4月、26歳の誕生日を目前に自らの意志でこの世を去る。亡くなる直前まで更新されたサイト「八本脚の蝶」は2020年現在も存続している。>
二階堂奥歯と面識はない。ただ彼女が大学にいた当時、わたしは留年を重ね、まだキャンパスをふらふらしていた。わたしのいた文系サークルには、彼女がいたという哲学研究会に出入りしている者もいた。留年を終えて、なんとか会社勤めを始め、学生時代の知人に再会したところ、「哲学研究会のOBが中心となって『記憶の増大』というサイトをやっている。二階堂奥歯という人がそこに『八本脚の蝶』という日記を書いている。あなたはボルヘスを好きなようだから、もしかしたら彼女が書いているものも気に入るかもしれない」と言われた。そのようないきさつがあって、わたしは時折パソコンで「八本脚の蝶」をのぞいていた。
「あなたはボルヘスを好きなようだから」という言い回しはやや唐突なようだが、わたしとしてはそう言われたのがわからないでもない。およそ大学というような場所にはひそかにボルヘス読者の群生地があり、わたしはそこにはいなかったけれど、きっと知人には生息地を離れてひとりはぐれているような存在に思われていたのかもしれない。実のところ、ルルフォの書くものの方が好きだったのだけれど。
彼女がみずからの死を「八本脚の蝶」の中で宣告し、日記の更新がとまってからどれくらいたっただろうか。ひと月もなかったかもしれない。
仕事を終えてひとりぐらしのマンションに戻り、夜中にネットを巡回していると、彼女の別れの言葉を見つけた。
それでも彼女を追悼する言葉がネットで散見されるようになり、わたしはそれが実際に起きた出来事だと知ることになった。
直接の知り合いではなかったけれど(知り合いの知り合いだ)、彼女の死はずっと引っかかっていた。
だから「八本脚の蝶」が出版されたとき、迷うことなく買い求めた。
読めなかった。
ずっと読めなかった。
あれから二十年近くたち、ようやく読む気になったのはどういうわけか自分でもよくわからない。
一方で、この二十年ばかりの間なぜわたしは文学書をほとんど読むことができなかったのかはなんとなくわかった。
学生の時分には翻訳文学をそれなりに好んで読んでいたはずなのだが。
わたしは社会生活を送るために、いつの間にやら自分のリソース(脳味噌のキャパシティ)のほとんどすべてを消費していたのだ。
「八本脚の蝶」を読みながら、他者が構築した架空の世界に遊ぶときのどきどきした感じ、わくわくした感じ、ひりひりした感じ、そういったものを思い出し、わたしはきっとそこに惑溺してしまうから、意識的に遠い場所に置いていたのだろうと思った。
二階堂奥歯は生活しながらも虚構と現実を往還していたのだろうと考えると、そのために使われた膨大なエネルギーは超人的なものだったと想像してしまう。
二階堂奥歯のおかげで久しぶりにちゃんと小説を読もうという気になったのだけれど、やはりわたしは本の中に沈潜してしまって、なかなか仕事が手につかない。
「八本脚の蝶」は東大寺大仏殿にある意匠(飾り)のことらしいのだが、そういえば三年ほど前に東大寺を訪れたとき、そのことを確認するのをすっかり忘れていた。
去年1年間、ブクマカをしていた。
2021年のブクマカのスター獲得ランキングに入っていたし(1万スター以上獲得)、それなりに活動していたと思う。
加えて増田のファーストブクマもしていた。2021年ファーストブクマカランキングに入っていたので、ファーストブクマカと言っても差し支えないないだろう。
あと増田も投稿していた。こちらはあいにくあまり活躍できず、2021年増田文学にかろうじて1つランクインしたくらいだった。200ブクマくらいなら数十件あるが、1000ブクマの壁は厚い。
それでなぜブクマカを半分引退したかというと、理由はいくつかある。
ニュースでも増田でも、これは伸びる、という記事がある。その記事の初めの方にするコメントは、基本的に伸びやすい。ここで変なコメントをすると、「トップコメはおかしい」などと吊るし上げられることすらある。だから初めの方にするコメントは割と推敲する。スターがもらいやすいのは、みんなの気持ちを代弁するようなコメント。すると、「自分が言いたいことはこのコメントが言ってくれてるから星をつけておこう」となるからたくさん星がもらえる。
そんな形で俺はスターを集めていたのだが、これが結構疲れる。ブクマカの気持ちを想像し、それを100文字でまとめ、早い段階でコメントをする必要があるので、エネルギーを使うのだ。またこれとは別に大喜利的な回答にしても、長文じゃないと人気コメントにならないので、長文の大喜利を考えないといけない。そんなこんなでブコメするのに疲れてしまった。
増田を見るときは、Chromeの拡張「コンパクトな増田」を利用し、長文もしくはトラバではない増田だけを見るのだが、実際ちゃんと見るには、すべての増田に目を通す必要がある。トラックバックに面白い増田がある場合もあるからだ。しかしこれがかなり精神に堪える。増田の大半はネガティブな内容なので、それに目を通すのは実際病んでしまう。しかも自分が良いと思った増田にファーストブクマしても、伸びないと結構悲しい。
また自分がファーストブクマしなくても、他のファーストブクマカがブクマしてくれてる場合も結構ある。なんだ、俺はいらないんじゃないか、そう思ってファーストブクマカもやめた。
今はブックマークもコメントもせず、はてなブックマークの人気エントリやコメントを読むだけにしている。ROM専だ。ただ増田にだけは時々投稿している。トラックバックはせず、自分の思いついた日記を単体で投稿する。数日後に伸びていてトラバやコメントが付いていると嬉しいしありがたい。
俺にはこの距離感が丁度良いのかもしれない。実際、前はブクマに依存していた。どこか、「はてブが俺の居場所。ブクマカや増田は俺の理解者」みたいになっていた。いやいや、これは危ない傾向だ。ブクマカや増田は個人ではないし、集合体だ。個人的に付き合うものではないし、時には斧が飛んでくる。そんなものに依存しちゃいけない。適度な距離を保って付き合うのがいい。
まあそんなことを言いながら、またブクマカをするかもしれない。だからタイトルに「半分引退」と書いた。俺がはてブに依存しないようになれれば、また戻ってくるかもしれない。