はてなキーワード: Rtとは
絵を描いてみようと思ってペンタブを買ったのは大学2年の夏だった。
あれから10年経った。そこには2ヶ月前に絵をやめた、三十路手前の自分がいる。
10年使った自分の絵の実力は描いていない人からは上手いと言われ、ある程度描ける人からは下手と思われる程度。
pixivで言えば閲覧数4桁いけば上々、ブクマはいつも10以下、評価点も150点が平均。
TwitterでいえばRTとお気に入りどちらとも2桁を越えればいい方。というレベルだ。しかも絵はほぼ人気版権物である。
絵の才能のなさに嘆いてやめた、という訳ではない。
絵を描けることを武器に人との交流をしているやつらが羨ましくて
仕方なかったからだ。
自分の主なSNSは4年前に始めたTwitterだった。そこにはプロの漫画家かイラストレーターが
描くような絵ではないが人の関心を惹くような絵を描ける人間が大勢いた。
そして彼らは フォロワーの人数>フォローの人数 のアカウントであり
絵を通じて人間関係を作っていたのだ。愚かな事にそれを羨ましがった。
Twitterを始めてからは誰かに相手をしてもらうために絵を描くようになった。
自分好きなものから人気のある、ある程度需要がある作品のキャラを描くようになった。
そのキャラを好きになろうと必死だった。もしくは自身の好きなものですら
交流のための餌にすら思えてきた。
ある程度の絵を描ける人間をフォローしまくった。その人と仲良くなりたいというより
こういう人達と繋がっていると感じていたいために。
しかし多くはフォロバされなかった。とうとうフォロバ率の高い、絵を描いていない
人間を探してフォローするようになった。ようやく絵を描いて相手にされる時がきた。
しかし突然、前触れもなく気づいてしまった。絵を描くことを楽しむ自分はいないことに。
さらには相互フォローになっている人はいても、RTとお気に入りをくれる人がいても
会話をするような、交流をしている人間は一人もいなかったことにも。
もはや絵に対して表示される数値だけが絵を描く原動力となっていた。
今自分の手元にはペンタブはない。PCにも絵を描くツールは入っていない。
pixivもTwitterもアカウントは存在しない。すべてを捨てた。
だが今は充実している。絵を描くことが自分のすべてだと思っていた頃よりも
ずっと余裕も時間もできた。好きな作品に触れるのも苦じゃなく楽しい。
もし今から絵を描いてみたいと思っている人がいるならば、自分のために描いてほしい。
もし「○○○さんのような絵を描けるようになりたい」という場合、それはその人のような
立場になりたいと思っている可能性があるだろう。そういう人は考え直そう。
最近ますます増えていると話題のハイスペ風アカウント。スラッシュでそれらしいキーワードを並べてみるものの、書いてる内容は田舎の女子大生の妄想したような成金ライフ。今夜のクローズアップ現代はハイスペ風アカウントの心の闇に迫ります。
時々見かけるbioが英語で書かれているアカウント。しかしツイートを追いかけると日本語のツイートのみしかなく、一体何のために英語で書かれているのか意味が分からないと指摘されています。今夜のクローズアップ現代はそのbioは誰に向けてのものなのか、英語bioの謎を追いかけます。
「最終のご案内いただきましたが他社の選考と被ってしまったため辞退させていただきました。とても良い企業だったので残念です。」とか書き込む奴は絶対オナニーばかりしている(偏見)
女性と食事に行ったら本当に食事だけで終わった件と非モテコミットについて - 傾向 http://udon-zuruzuru.hatenablog.com/entry/2015/07/24/163012 …
このブログの人は相互フォローなので、なかなかコメントし辛いんだけど、読んでて思うのは、他者を鏡にした自己評価が行動基準になってるんだなぁという点。真に相手の事を思ってるのか、好かれたいという欲望によるのかの前に、相手の感情を自分と切り離して推察するのが欠けてる気がする。 >RT
他者との関係性に他者が存在せずに全て自己完結してしまう人は時々いますよね。
他者にどう思われてもいいやと開き直れる訳でもなく、然りとて相手の気持ちを推察するのは面倒くさい、でも好印象を持ってもらいたい、みたいなアンビバレントな思考になると、生きにくさのハードルが上がるんだろうな。
「これを言われたらキレるしかない、というポイントを持ってたほうが人間的に厚みが出る気がするし、舐められないで快適にすごせる(ただし絶対嫌われたくない人にはキレない)」というような理由でキレ地点を設定する「ファッション地雷人間」を目にするたびに、弥勒菩薩半跏思惟像みたいな顔になる。
本質的な質問は彼らが知っていたのか知らなかったのかではなく、ひとは知らないからといって無実だと言えるのか、玉座にのっている愚か者は、ただ愚か者というだけで、あらゆる責任を免除されるのかということだ《存在の耐えられない軽さ》
出勤前にふと思いついたことを、他の方々の意見を聞きたいと思って簡潔に書く。
皆さんの考えをお聞きしたい。
ご存知のとおり、東芝の粉飾決算問題は日に日にその根深い構造を露わにしている。
複数の部署が、上司の指示に従い、協力して粉飾決算を繰り返していた。
日経ビジネスオンラインで指摘されていたのは、
上司も問題だが上司の不正な指示に唯々諾々と従う社員も問題だということだが、
本当にその通りだと思う。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/110879/072800052/?n_cid=nbpnbo_mlp&rt=nocnt
たとえクビになっても会社に意見をするとか、不正に関与するくらいならば会社をやめるとか、
そんな社員がいてもおかしくなかったのに、それがいなかった東芝の企業風土に幻滅した。
東芝では、上司の指示に異を唱えられない企業文化だったのだろう。
それに比べて思うのが、日立製作所の風通しの良さだ。
「拝承」の人など、元日立製作所の人が会社を辞めた後に、いろいろとブログで批判を繰り広げているけれども、
他の企業と、そこが明確に違う。
そして、日立を批判した人々の記事を読み込むと、逆に日立のシステムの良さ、内部の風通しの良さが伝わってくる仕掛けとなっている。
元勤務先を批判している有名ドコロでは大前研一という経営コンサルタントがいる。
彼もまた日立製作所のOBで、現役時代の日立の硬直性を、ときどき著書で揶揄している。
それを読むたびに、
「日立って、大企業にしてはかなり柔軟性のある良い企業じゃないの?」
と思ってしまう。
大前研一がこれほどビッグになって、その意見に権威があるにも関わらず、そう思える。
会社を辞めたあとですら批判できない東芝を始めとする一般企業と、辞めた後の批判を、明白な名誉毀損でない限り許容する日立製作所。
この差は大きい。
結局、社員を萎縮させない日立の自由があるから、大手電機8社の中で唯一大企業病にかからず、日立は一人勝ちを続けているのじゃなかろうか。
それに、日立を辞めて批判をしている人々は、独特の癖がある人が多い。
こんなコミュニケーションに問題のある人物を、能力があったとはいえ、日立はよくぞ採用したものだ、と思う。
この手の人々は、自分なりの正義感を持っていて、それに反することがあれば上司の指示であっても決して従わないから、大企業では採用を控えるものだが、
日立はそれよりも彼らを雇うメリットの方を取っているのだろう。
時に、内部批判などの危険性を招くけれども、それでもいい、という日立の懐の深さがあるのだろう。
……ということをふと考えたのだけれど、どうだろう?
発端の「帰れよ」ツイートから、「そばアレルギーの人が蕎麦屋に行くな」という反応ばかりが数多く取り上げられまとめられている(実際、そう考える人の方が多いのかもしれない)。まとめやコメントの中には、この客の精神の異常や詐病までを疑っている人がいる。これだけ多くの人が、どうして平気でそういうことを言えてしまうのだろうと思う。
私は甲殻類アレルギーなのだが、症状はさして重くはなくて、誤ってひとくち食べてしまっても、せいぜい喉の内部のかゆみが数時間ほど続くぐらいだ(命に別状がないからといって、もちろんアレルギー反応がつらくないわけではない。喉の粘膜にごわごわとした毛がウジョウジョ生えてくるようなあの気持ち悪い感触を、どうしたら他人に伝えられるか、私には分からない)。でも「少しぐらい平気でしょ」と言って食べさせようとしてくる人には、「死ぬ人もいるんですよ」と説明するようにしている。飲食店に限らず、食べさせる側に立つ人には「死ぬ人もいる」ぐらいの認識をできれば持ってもらいたいと考えている。
でも、食べる側の権利についてはどうなのか。リスクがあっても選択がしたいと考える人はいるだろう。少なくとも私にはこうした考え全般が「何しに来たんだよ。帰れよ」で一蹴できるほど簡単な問題とは思えない。私は自分からシーフード専門の店に行くことはほとんど無いけれど、魚料理は基本的にだいたい好きだし、旅行なんかで周りの人に合わせて行くことはある。たまに、隠し味にエビが入っていたり、同じ鍋で調理していたりだかして、アレルギー反応が出るときもある。それでも私は、アレルギーが重くならない限りは、リスクのある側を取ることも数多くあるだろうし、それをあまり邪魔されたくないと考えるだろう。たとえば居酒屋でメニューをぱらぱらめくっているとき、シーフードの欄を丸ごとあきらめるか、食べられるものがあるか探すのでは、世界がまるで違って見えるのである。
「詐病だろう」「釣りだろう」派のコメントの中には、より重い症状の例を挙げて、そんなのは本当の蕎麦アレルギーではないと言う人がいる。本当のアレルギーとはなんだろう。いろいろ調べてみた挙句、そのままのエビはどうしても喉がやられるのだが、かっぱえびせんなら食べられることが判明した私は、本当の甲殻類アレルギーではないのだろうか。未だにカニカマからの類推で蟹の味を想像しているこの私が? あるいは彼らにとっては「本当に」そうなのかもしれない。務めている企業の不満を漏らしたら「そんなのは『本当の』ブラック企業ではない」と言ってくるような、不幸のトップランカーでなければ発言権を認めてくれない謎の審査員のような方々は、インターネットにいくらでもいらっしゃる。中途半端な不幸ほど認められにくいものはない。
アレルギー反応には個人差がある。私のようにごく軽い人もいれば、命に関わる人だっている。冒頭のまとめの人がどうだったのかは分からない。私は蕎麦アレルギーの個人差について何の知識もない。ツイートでは読み取れない部分で明らかに問題のある対応をしていたのかもしれない。蕎麦屋で「そばの入ってないものってありますか?」という質問をするのは、確かに店側の人にとっては迷惑だろうが(白杖を持った視覚障害者にも「迷惑だから外を出歩くな」と言えるのなら確かに主張は一貫しているが、私はそう言う人を軽蔑するだろう)、注文できる物の範囲が分からなければ選ぶこともできない。
「リスクがあっても選択がしたい」人の権利を、そもそもそんな権利を認めない人はいくらでもいるだろうが、上のtogetterまとめに発言を残している多くの人たちがどのような理屈で否定しているのか、私には今のところよく分かっていない。「迷惑だから見えないところにいてほしい」というだけの話かもしれない。しかし、口論の前後の文脈もよく分からないのに、「帰れよ」「おかしいのはお前の頭だ」と言い放つツイートが10,000近くRTされて、どうやらそれが笑い話として浸透しているらしいというのは、やはり不気味なことじゃないだろうか?
いくつかは納得のいく反応もあったことをつけ加えておく。
〈個々人のアレルギーの程度とか考慮しないで「死ぬ人もいる」なんて無意味なこと書いてる連中もなんだかな…。…無意味なだけならともかく、詐病の疑いかけ出すからね。この手合い。〉
http://b.hatena.ne.jp/entry/260771349/comment/yas-mal
〈私もそばアレルギーだけど蕎麦屋によってはうどんとかカツ丼とかそばが入ってないメニューもあるし、私のは比較的軽度なので「そばと同じ湯でゆでたうどん」は大丈夫(ダメな人もいる)なんで、蕎麦屋さんが「ない」って言うならしょうがないけど、あるんなら特段問題ない質問だと思うけどなー。 〉
「良さ」
「良さがある」
「良さしかない RT@ちょめ美 良さがある RT@ちょめ男 良さー RT@ちょめ子 良さ」
はあ?だからなんなん?良さぐらいヒットラーにだってエド・ウッドにだって少しぐらいあるわ
「良さがある」
「良いと思う」
でしょ!!
わかるよ、良いと思う、って主観的な言い方すると、否定されそうだもんな
Facebookのイイね!みたいな感じでフェイスブックっぽくなっちゃうもんな
だから、客観的でインターネットっぽい言い方でちょっとニヒルなインターネット大好きっ子演出したいのすげーわかるけど、
良さ、良さ、良さ良さ良さよさよさよさおやおやおよさおyさおyさおはいそうですね!!!
良さはそこには無え!!!それを良いと思ったオマエの!!!心のなかにあるんだよ!!
はずかしがらずに、気取らずに!!!
RTで絶賛されていたスピーチ(http://iwj.co.jp/wj/open/archives/253905)を読んだが、何がそんなにすごいのか私にはわからなかった。
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こんばんは、今日はわたし、本当に腹がたってここにきました。
なぜ彼らが不良にならなければならなかったのか。そして、なぜ友達の麻生くんに殴りかかるような真似をしたのか。その背景を知りたいと検証し、暴力の連鎖を防ぐために、国が壊れる社会の構造を変えること。これが国の果たすべき役割です。
しかし彼らは生まれつきテロリストだった訳ではありません。なぜ彼らがテロリストになってしまったのか。その原因と責任は、国際社会にもあります。9.11で、3000人の命が奪われたからといって、アメリカはその後、正義の名のもとに、130万人もの人の命を奪いました。残酷なのはテロリストだけではありません。
日本も守ってもらってばっかりではいけないんだと、戦う勇気を持たなければならないのだと、安倍さんは言っていました。だけどわたしは、海外で人を殺すことを肯定する勇気なんてありません。かけがえのない自衛隊員の命を、国防にすらならないことのために消費できるほど、わたしは心臓が強くありません。
安倍首相、二度と戦争をしないと誓ったこの国の憲法は、あなたの独裁を認めはしない。国民主権も、基本的人権の尊重も、平和主義も守れないようであれば、あなたはもはやこの国の総理大臣ではありません。
この70年間日本が戦争せずに済んだのは、こういう大人たちがいたからです。ずっとこうやって戦ってきてくれた人達がいたからです。
ちゃんとした根拠はないけれど1990年前後を中心とした世代(20~30歳くらい)は若くありながら子供時代を懐かしむ世代なのではないか。
ノスタルジーに浸るなんてもっとおっさんになってからかと思っていたが、この辺の世代はすでに高校生くらいの時から子供時代を懐かしんでいた。
それはなぜか。インターネットの存在である。というか動画サイトである。
ニコニコ動画やYouTubeが出てきたのが2006~7あたり。
そこで「過去のコンテンツ」に触れることが容易になった(適法性はともかく)。
そこで「子供時代を懐かしむ」動画がよくアップロードされていたのだが、その動画のターゲットはほとんど1990年前後生まれであった。
振り返れば、初期ニコ動で人気のあったものってその当時から10年くらい前のコンテンツが多かった。
遊戯王、フタエノキワミ(るろ剣)とか、デジモンのOPで弾幕やったりとか。
MAD素材にされる懐かしいCMは、ねるねるねるねやらバトルドームやら、だいたい90年代後半~00年代前半のものであった。
動画を作れるくらいのヒマさとグレーゾーンでも遠慮なくやっちゃう馬鹿さがあるのが高校生・大学生であるのだし。
10代後半~20代の輩が数年前のものを「懐かしいいいいいいいい」って懐かしんでいたのである。
今では昔のコンテンツに触れるのなんて簡単で、ツイッターで画像貼って懐かしくなったらRTなんてうすら寒いことやってるのは頻繁に見るが、
当時はこれが新鮮なものであったんだろう。
なぜ今これを書いたかというと、この世代が子供のころに触れたコンテンツが今も続いていたり復活したりすることが多い、となんとなく思ったからである。
まともに話が出来る相手じゃないと言われてるけど無視したのはお前(@IzumiMihashi)だよね - 今日も得る物なしZ
きょうもえさんは口が悪いけどキチガイではないということがいまいち浸透しないが初見の人がドン引きするのはしょうがないか。
それにしても、自分からネガコメしておきながら記事書いた人に絡まれたら逆ギレしてブロックしたり泥沼化する人
「ジェリド病」と名づけたい。今度から「ジェリド病」というタグをつけることにする。
おそらくこのブロックした人、きょうもえさんの口が悪すぎるのを見て、こいつキチガイだなって思ってたのだろうな。関わりたくないと思っていたが一言いいたくて軽い気持ちではてブコメント書いたと。 こういう人は結構たくさんおる。直接は関わりたくないけどみんな悪口書いてるからそこに紛れて自分も悪口かく人。そして、相手が自分に返信してくるとは思ってない。だからきょうもえさんからリプ飛んできた時にビビってすぐブロックしたと。
気持はよくわかる。きょうもえさんは違うと俺は考えてるが、キチガイじみたブログ書いてる人は、人にケンカをうるようなコメントを好む。その上自分のブログにコメントした人を逐一追いかけてくることが多々ある。批判的なはてブコメントつけてるのにカラースター配ったり、ツイッターまでやってきてそのコメントをお気に入りしたりRTしたり、きょうもえさんと同じようにリプで唐突に話しかけてきたり、ひどいのになると俺のブログまでやってきておそろしいほどの長文でコメントを書く。トラックバックであの人は死ねばいいのにという記事を書いて飛ばしてくる。こういうことをされると、その人を見慣れていてどういう人だかある程度知ってないと恐ろしくて逃げるのが普通だろう。
偉そうなことを言っているが、俺もよくやってた。今は怖いからキチガイだなと思ったブログにはコメントすらしなくなったけど以前はうかつにちょっかいを出して数度絡まれた。俺にも通りすがりに気軽にネガコメするという非があったから一方的に被害者ぶるつもりはないし、この人みたいにそれっぽい理由をつけて言い訳したりはしない。 が、やっぱり気持ち悪くてそういう人間は無言でブロックしてその人のブログも非表示フィルタに登録して存在そのものをなかったことにしていた。今からすると自分が余計なことをしなければ問題なんておきなかったのに、と反省している。
キチガイだなと思った相手にはうかつにちょっかいを出さないようにしたほうがいい。それと男なのに女みたいなハンドルネームのやつとアニメアイコン(特に東方と艦これのアイコン)の人間はキチガイ率が高いのでうかつに悪口を言わないほうがいい。
くらいかな。
ところでガンダムZの話だが、本当のキチガイはなにを言っても殴りかかってくるのでジェリドさんはカミーユに遭遇した時点で詰んでいた可能性がある。
id:mememememitiのウザさが異常。
ほんっとに関係ない話題でも久谷女子やオチューンネタのブコメ残してくる。
っていうかお前がやり捨てられて久谷女子たちに論われてた話なんてほんとクソほどどうでもいいし頭の軽かったお前が悪いだろ。
言ってることとやってることは矛盾するしねちねちしつこいしそれを自分のとこだけじゃなくていろんなところで露出するし。
もうマジでどうでもいいから黙ってるかPCかスマホの電源落として寝てくれマジで。
あ、ちなみに増田書いたの初めて、ブクマ数もブコメもほっとんどやったことないはてブROM専です。
ブログは書いてるけど、ブクマするという文化がないのでTwitterのRTとかふぁぼ数が評価基準になってるアイドル界隈ブロガーあたりにいるんで、この件はまったく絡んだことのない人間の愚痴です。
同じ女として垂れ流してるの見てるとほんとイラつくんだけどいい加減恥を知れ。知らないからあんなこと撒き散らしてるんだろうけど。
集団Aの賢い人が集団Bの馬鹿な人を、集団Bの賢い人が集団Aの馬鹿な人を取り上げ、「集団Bはこんなに馬鹿だ」「集団Aはこんなに馬鹿だ」と言い合う。
…そんな、「賢い人々」が「馬鹿な人々」を馬鹿にするだけの牧歌的な時代は、既に終わりを告げた。
いま展開されているのは、集団Aと集団Bの内部においてそれぞれに「賢いリーダー」と目される者同士が、「あいつは馬鹿だ」「何も分かっていない」と殴りあう地獄インターネットだ。
「あの人は博識だし、冷静だし、物事を鋭く分析して、分かりやすく説明してくれて、FavもRTもばんばん稼いで、みんな彼に一目置いているなぁ」
…なんて人が。
そういう人でさえ、別のクラスタから「知識も知能もない頭のおかしな馬鹿」扱いされてしまうのが、いまのインターネッツだ。
あれほど賢い人たちが、歩み寄ることも理解を示すこともせず、醜く殴りあってしまう。
たとえば、戦国時代のことに詳しいと思われているAさんが、別のクラスタではデマまみれの馬鹿だと嫌われている。
たとえば、野球のことを分かりやすく解説してくれることで人気のBさんが、別のクラスタではドシロウトと笑われている。
たとえば、アニメ評論家として多くのフォロワーを抱えるCさんが、別のクラスタではアニメのことを何も分かっていないと叩かれている。
Aさん、Bさん、Cさんが本当に馬鹿なのかは定かではない。
我ら愚者はただ神々の争いを見守るのみだ。
アンチアフィはPVやコメントが1つでも増えるのが気にくわなくて
URLをのせるのがアフィを最大に利する行為なんだから批判だろうがなんだろうが
RTやリンクのせたら屑なんだよ。リンクがなかったらどんなにゲスな内容でも
誰も気にしないだろ。
http://anond.hatelabo.jp/20150714175459
特にこれといって特技がなくて人に何も誇れるものがない自分に鬱屈したヲタクが事故表現の場所として選びやすいのがネット絵師なんだよ。
他にもニコニコで動画あげるとかDTMとかヲタ芸を磨くとかあるけどその多くが「何かしら好きなことがある」がスタートラインなんだけどネット絵師になる奴はその辺がボヤっとしてるのが比較的多い。
楽に楽しめるからって理由でアニメやゲームをダラダラやっていてそこからその主観の界隈で人よりもデカイ顔したいから二次創作の為に絵を描き始めたとかな。
ここで大事なのは「作品が好きだから」とか「絵を見るのが好きだから」とかがスタートラインじゃなくて「特にありもしない作品への愛をアピールすることでマウンティングかましたい」とかがスタートラインな事な。
だから連中にとっては自分の絵が人に認められて、他人の絵がその自分の絵よりも認められないってことが非常に大事になってくるんだ。
たまにツイッターとかで他人の絵をパクってきて自分が描いたと言い張って☆やRT集めて喜んでいるのが居るだろ?
アレの絵を自分で描く版なんだよ。
自分で描いてるからまだマシだけど目的が「チヤホヤされてー」なんだよ。
ジョジョに「この岸辺露伴が金やちやほやされるためにマンガを描いてると思っていたのかァ――――ッ!」ってセリフがあるけどその真逆。
チヤホヤされたあわよくば同人誌とかCG集とか売って濡れ手に粟で儲けたい。
それが根底であり彼らの全てなんだ。
「このキャラいいよねー」とか「このカップリングが熱い!」とか言ってる時もそれによって「自分の絵には愛がこもっている」という設定を与えて付加価値を増やしよりチヤホヤされたいってだけなんよ。
そういった物を内に秘めるのは人間だからしょうがないのかも知れないけど、そこからルサンチマンを溜め込んで他の絵師に噛み付くようになっちゃあお終いよ。
コスプレとネットの相性はよく、アクセス数を稼ぐためには、ビジュアル的に栄える写真が必要なのはよく知られていることで、
コスプレ写真はパッと見で目を引くものが多く相性は良さそうに見える。
原作のキャラクター作成段階で、ビジュアル的に、このパーツがあればこのキャラクターという認識広まっているので、
原作を知っている人にとっては全くの無知というわけではないことも、受け入れやすいというのもあると思う。
ただ普段コスプレ界隈にアクセスしていないオタク界隈にまで広がるかというと、そういうわけでもないように見える。
ネットで話題にする人にとって、コスプレ写真はコミュニケーションを取るための道具。
コミケでの写真の役割としては、コミケが年に2回しか開催されないため、
期間が開きすぎて忘れられないように定期的に思い出す必要があり、それを行うための外部記録装置。
外国人コスの写真は、過去に話題になったものであり、あったあったと、昔を懐かしむための記録媒体。
露出が多い写真が流通するのは、ネットはエロによって出来てる。
ここで何を言いたいかというと、レイヤーやカメラマンが重要視している
というのは優先順位が低いということ。
なのでアートとしての地位は日本国内じゃ上がらないように思う。
お金になるのであれば、もっと早くWeb屋さんが、写真集を販売するサイトなどを立ち上げていると思う。
最近だとレイヤーは夜の仕事をしている人が多いとか、アフターに参加するかとか、そういうのが話題になっており、
外から求められているのは、コスプレ界隈の闇だとか、ここがおかしいとかそういうこと。
コスプレ界隈ってなんかおかしいこと沢山あるんでしょ?と思っている人達が一定数いて、
おかしいと何処かに書いてくれるのを待っている。(自分で取材しておかしいというのを暴露するわけではない。)
そしてそれをコスプレをしている本人達が認識しており、情報に対して過敏になっている構図がある。
この辺りの構図がコスプレ界隈でポリティクスが形成されている原因であるのだが、窮屈さの原因ともなっている。
Twitterでのコスプレ関係でRTが伸びるのは、こんな人が居たのでダメだとか、これがおかしいとか、そういうことの方がRTが伸びる。
CureやコスプレアーカイブといったSNSで閉じられた世界であれば、気にせずにいられたことにまで気を回さねばならず、
コスプレを辞めていく人の原因の一つになっているように思う。
社会学者の鈴木謙介が消費行動モデルとして「IPPS消費」というのを言ってる。詳しくはココ(http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/tokusyu/201506/201506toku3.html)を
見て欲しい。
乱暴に言えば、イベントに参加する前に誰かを招待して、準備するために買い物をするところが楽しいので、そこがお金になるという話。
コスプレは既にこのIPPS消費をしている。
問題になっているのはInviteとPlanのところで、同じコスプレを趣味としていても、こだわる箇所が違うので、あまり上手くいっていないように思える。
5人などで一緒にコスプレをする併せと呼ばれるものがあるのだが、スタンスなどが違うのであまり上手くいっていない。
衣装のクオリティにこだわる人もいれば、写真のクオリティをこだわる人、衣装をきて作品について話せればいい人など、
スタンスが違うため、なかなか続かない。
予定を合わせるのも大変なので、本当に仲の良い二人組でするか、一人でするかというのが気楽で続くように思う。
Spreadによって承認欲求が満たされるのが、次の原動力となるのだろうが、
気を使うことが多すぎて面倒くさいという方が勝つので、ドンドン辞めていく人が増えていくのではないだろうか。
経済的には、弱虫ペダルでロードバイクを買う、刀剣乱舞で模様の入った高い布を買うなど、
コスプレをするのにかかるお金が高くなっているので、地方の収入の少ないところから、
衣装にお金のかからない人気作品が出てくれば、コスプレが盛り上がるのはこれからも何度かあるように思うが、
グッズ以外にコスプレまでするというのはキツくなるのではないだろうか。
ツイッターで2,000人程度のフォローワーを抱えているのだが。
自分のツイートに対し、RT(リツイート)してくれる人がいる一方で、RTせずに単に「お気に入り」登録するだけの人がいる。
それも1回だけじゃなく、毎回毎回、RTしてくれずに「お気に入り」に入れるだけ。
これって、ツイート主にとっては、ちっともウレシクないのだが。
元々自分がツイッターを始めたのは、「自分の意見を、どんどん世の中に広めたいから」であり、RTしてくれたらどんどん拡散していくが、
内海某とか友達の奥さんも放射脳なもんだからよくfacebookでいいねとか愛撫させてくださいとかいって記事まわってたんだけど
最近のおかしなのみても目覚めないんだろうか。気が付いたら死ぬ病なんだろうか。おかしいとこはおかしいって認識しつつ
これはこれそれはそれなのかがわからないが、今日も差別と偏見を垂れ流してる。
別の友達は確かにありえると「新幹線自殺は自殺ではない仕込まれたという陰謀論」をfacebookで愛撫している。
もう40にもなるのに大丈夫だろうか。なんだってーってやるのかと思ったらマジギメSEXくらいマジだった。
かと思えばよく知らないけど、よく知ってる人たちの共通の知人で無碍にも出来ない知人の知人が
ネトウヨっぽいことを垂れ流してる。仕事みつかってないんだから職探ししろよ。
俺の倍くらい給料もらってるデザイナーは、誰かを差別したり馬鹿にする人を差別したり馬鹿にし続けて
一日中そんなのをRTしたりコメントしたりしてツイッターでつぶやいてる。
みんなどうしたんだろう。家庭内でなんか話せばいいだけの話なんじゃないのかな。
先週の水曜日ごろ、多くの腐女子のツイッターのタイムラインに、とあるask.fm回答のリンクが貼り付けられたツイートがリツイート、された、のではないだろうか。
それは「刀剣乱舞がお嫌いなんですか?」という質問への回答だった。質問された方は「刀剣乱舞が嫌いです」と述べた上で、その理由をかなりの長文で説明していた。
これは多くの腐女子のなかで賛否両論を巻き起こした。とはいえ、「賛」はともかくとして、「否」を訴えたのは刀剣乱舞ファンだっただろうが。
そして数日後、結局この回答をした方は、そのask.fmもツイッターアカウントを削除した。
私は刀剣乱舞をプレイしたことがない。腐女子ではあるので、周囲にプレイしている人は多かったけれど。一月にサービスが開始されてすぐ、タイムラインには刀剣乱舞というゲームの萌え語りや、キャラクターをドロップした際の喜びのスクリーンショットが並ぶようになった。ただし、これはよくあることだ。現に今、私のタイムラインは血界○線の萌え語りとあんさん○るスターズのスクリーンショットで溢れかえっているし、刀剣乱舞の前はうた○リや黒子の○スケ、ハ○キューや弱虫○ダルで埋め尽くされていた。だから、それについてはなんとも思わない。
また、刀剣乱舞ファンはマナーが悪いとも言われているが、それも流行ジャンルにはよくあることだろう。これまでだって、好きなキャラのキーホルダーをつけたバッグを持って歩いていたら、アニメイトの前で同じキャラのファンに引きちぎられたとか、キャラのポスターが掲出された場所で土下座したファンがいたとか、作者に自分のカップリングについて質問したとか、イベントで盗難があったとか、グッズ取引で詐欺にあったとか、歴史上の人物のお墓に妙なものが備えられたとか、流行したジャンルにはそういう逸話がつきものだ。本当かどうかはさておき。なにも刀剣乱舞だけの話ではない。
だから私は、これらのことについてはなんとも思っていない。
ただし、刀剣乱舞のことは「うさんくさいゲームだな」と思っていた。流行するスピードが尋常でなかったのに、プレイしている友達から聞く刀剣乱舞の話はまったく魅力的に聞こえなかったからだ。「声優は豪華だけど話らしい話はない」「正直クリックしているだけ」「艦これと同じシステムだけどもっと簡単」。じゃあなんでお前そんなもんプレイしてるんだよ、って話である。そんな話を聞かされたところでもちろんプレイする気が起きるはずもなく、私は刀剣乱舞が大流行した今年の一月から二月、まったく別のアニメを見たりまんがを読んだりして過ごしていた。楽しかった。
そして六月、刀剣乱舞はゲーム内の画像の多くを盗用していることが明らかになった。
私はそのとき、「うさんくさいゲームだと思っていたけれど、ガチでうさんくさいゲームだったwwwww」と思った。そして、その次に、これで刀剣乱舞のブームは終わるだろうな、と思った。何しろ腐女子というものは、なかなかトレパクに厳しい風潮がある、と私は感じていたからだ。一次にせよ二次にせよ、自分の頭で物語を作り、イラスト、まんが、小説で表現するような人間が多い以上、著作物が勝手に金を稼ぐためのアイテムにされているなんて事案、許せない人が多いだろう。となれば刀剣乱舞のブームは終わる。あのゲームはファンから手のひらを返され、あっという間に廃れていくに違いない。そう確信していた。
しかし、刀剣乱舞がうさんくさいゲームであることは見抜けていた私は、腐女子でありながら腐女子のことをまったく理解していなかった。
刀剣乱舞というコンテンツを見放したのは、ごく一部の審神者だけだった。刀剣乱舞をプレイしていない私ですら読んだ盗用についてのWikiを多くの審神者だって目にしていたはずなのに、彼女たちは相変わらず刀剣乱舞のキャラに萌え、ゲームをプレイし、絵を描き小説を書き続けた。
私は少なからずその状況にぞっとした。仲の良かった審神者フォロワーにも失望した。
せめて一言でも、ゲームに苦言を呈してくれれば、まだよかった。触れずに萌え語りをしているということは、この状況を肯定していることなのだろうか。いや、もしかしたらこの件についてまだ知らないかも。そんなわけがないのに、審神者を務めているフォロワーのツイートに対して逐一もやもやしていた。
そんな折、先述のask.fmの回答がツイートされてきた。その大半に同意して、私もRTした。審神者はやはりこの件には触れず、萌え萌えプレイ記録をツイートしている。いつか声高に無断転載を糾弾していたあの人でさえ。ツイッターやピクシブのプロフィールに「無断転載しないでください」と書いている人でさえ。
なるほど、私も腐女子だから、自分の好きなキャラがいるゲームがほとんどまるごと盗用でできていたと知ったところで、一気にそのキャラが嫌いになれるかは疑問だ。そんな事態になったこともないし、そもそも普通ないから、想像するのは難しいけれど。けれど、盗用を見て見ぬふりして萌えツイートをしたりは、できなくなると思う。
オタクというものは、自分の好きなコンテンツには金を惜しまない。「声優は豪華だけど話らしい話はない」「正直クリックしているだけ」の上に「素材を多く盗用している」ゲームに金をつぎ込むのも、その人の勝手だろう。萌えているのなら、仕方がない、かもしれない。だけど、この程度のものでこれだけの金が入るとわかれば、今後この程度のコンテンツが乱立していく可能性は多いにありえるだろう。
もちろん、すべての商業作品は「金を稼ぐ」ためのコンテンツだ。だけど私は、製作者がそのコンテンツを愛して、考えぬいたような作品にこそ金を支払いたい。そこに愛もプライドもなく「金を稼ぐ」ために作られたコンテンツなんて勘弁だ。極論かもしれないけれど、刀剣乱舞のヒットによって、今後そういうコンテンツが増える可能性は、決してゼロじゃない。それに、このようなものがヒットしていることは、多くの罪を犯していない作品に、この上なく失礼なことであると思う。
まんがでもアニメでもゲームでも小説でもなんでもいい。私はオタクとして腐女子として、常に自分が楽しめるコンテンツに触れたいと思っている。刀剣乱舞の盗用を無視し、プレイし、金を使うひとたちによって、その楽しみが潰される可能性があることが、私はどうしても許せない。
簡単にRTされるツイッター上に公開したわけではないのでこの文章が拡散されるかどうかはわからないけれど、もし万が一そんなことになったら、きっと先述のask.fmの回答のように賛否両論様々な意見が出ると思う。これはあくまで、ひとりの「刀剣乱舞嫌い」腐女子の感情論だ。だから私はこの件について、色んな人の意見が読んでみたいと思っている。刀剣乱舞の盗用乱舞を容認している人も、許せない人も、その理由をできるだけ詳しく教えて欲しい。
そういうやりとりがあれば、もしかしたら、刀剣乱舞のような不幸なコンテンツが今後うまれるのを阻止できるかもしれない。
大人気ゲーム「刀剣乱舞」に「トレパク」疑惑が続々浮上――どんな問題があるのか?|弁護士ドットコムニュース
http://www.bengo4.com/houmu/17/1263/n_3282/
弁護士ドットコム -[犯罪・刑事事件]トレパク容疑のあるグッズをプレイヤーが購入したり課金したりすると罪に問われるのかどうかについて。 http://www.bengo4.com/c_1009/b_361973/
最後に、審神者(笑)の方が「今は公式が調査中だから白か黒かなんてわからないから事態を静観しているだけ」などと言われる前に、法の専門家である弁護士の意見へのリンクを貼っておきますね。
上の記事によると、弁護士の見解では刀剣乱舞は「著作権侵害」をしているとみなされるそうです。また、刀剣乱舞のグッズを購入したりゲームに課金したりすると、「幇助犯となる可能性」があるそうです。ご確認ください。