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2024-06-15

[] グラモスの余燼 感想考察

ショートアニメ「グラモスの余燼」

うおお……また凄まじいものを見せられている……

どう解釈すべきなのか一番問題になる部分について

ゲーム本編でもつぶやいていた「焦土の夢を見た」がまた出ているが

どこからどこまでが夢なのか

おそらく冒頭から全部夢ってことはないだろう

焦土作戦が実行されたあと、目を覚ましたところからが夢なのか?

それとも死体だらけの焦土で目を覚ましたのは現実だが、その直前まで現実と相違ない夢を見ていたということなのか

夢で見た大樹に囁かれるシーンが現実オーバーラップして心象風景として描かれているのか?

この作戦が夢ではないとして、現実としてホタル生還しており、そして宇宙で星の破片にまぎれて漂流していたところをカフカが見つけたシーンも事実だとして

そうなると大樹はさておき、少なくともホタル心象風景と同じように何らかの力の覚醒を経て、星を砕くほどの行為を実際にしていたということになる

もちろん目覚めシーンからは全部夢で爆撃の衝撃で単純に瓦礫ごと宇宙まで吹き飛ばされてただけという線もなくはないかもしれないが

やはり大樹由来っぽい緑の発光を伴って全裸漂流していることから、装甲サムの能力を超えた何かが覚醒していると見た方が正しいだろう

もし大樹が夢ではないのだとしたら、あのような力は「豊穣」しか考えられない

大樹って呼び方自分が言っているだけだが、一応ピノコニー編のクロックボーイ文脈で「大樹」といえばファミリーから来たゴフェル、「調和」や「調和」の中の「秩序」の象徴だったが

にょきにょき伸びて緑に光る意匠からして、星神と関連づけるなら「豊穣」が妥当だろう

ただ樹状の先端の黄色とか、蟲との戦いで星を燃やすとかは「壊滅」の関連も見いだせそうだが決定的なことは何もわからん

カフカ発見されたということは、あの蝗害に遭っていた岩石惑星は星核と関係があったのかもしれない

覚醒とともに「豊穣」から使令クラスの力を得て、さらに星核からも何らかの力を得るくらいでないと星を砕くのは無理だろう(ヨウおじは置いといて)

ホタルにとってサムが医療ポッドとして機能していたということはクローン兵士であるラモス鉄騎全員がロストエントロピー症候群を患っているということなのだろうか

ホタルの顔に入るヒビのような模様が関係ありそうだが、この緑色版の崩壊エネルギー侵食の発光のようなものは、ホタル以外の兵士にも現れているようだ

このアニメだと芽が大樹へと育つのと同時に涙の跡も樹状の侵食模様へ育っていく描写がある

というかこのシーンのBGM構成がよすぎて思考力が奪われる

一つ前の紀行PVでは、4人のパイロットがそれぞれ変身解除したあとの数秒光っているのに加え、旗をちぎる前後のシーンでもホタルメガネの同僚になぜか発生している

このメカニズムも謎だけど何かと関係していそうで、生命力との関連を感じさせるのでもしかしたら鉄騎テクノロジー自体そもそも豊穣由来なのかもしれない

ロストエントロピーとは「物理構造が不可逆的な慢性解離に陥る」ことらしいので、生身の人間がまるで体格の異なるロボへと変異するメカニズムが、魔陰の身のように「物理構造乖離」させることで成立している、それが豊穣だという具合に解釈可能

まあ意味不明な変形は虚数エネルギーに通じるあらゆる星神とその運命行人が使えそうと言えなくもないが

一応遺物テキストにも「彼ら(鉄騎)の降臨は神の恩恵の如く」という一文があり、「人類本質に手を加える」というのも生命を弄ぶ豊穣との関わりが疑われる部分だ

あと覚醒ホタルに砕かれた星の背後にもう一つ星があったのが気になるが何か意味があるかは分からない

もう一つ気になるのが、グラモスはもう存在しないのになぜクローン兵士はずっとグラモス軍規に従って活動を続けているのかということ

かつてグラモス共和国架空の「グラモス帝国」の女皇「ティニア」に盲従する洗脳クローンを量産し鉄騎兵団とすることで星系で発生していた蝗害を鎮めたが

その強大な武力の扱いをめぐり内紛?が起きて滅びたと取れるような内容が遺物ストーリーにて明かされていた

この人間間の問題によって滅びたくだりが胡散臭い個人的には思っている

クローン兵士は成長速度が一般人と異なり、寿命が極めて短いことはキャラクタープレビューで判明しているので、アニメの直後に星核ハンターに拾われたであろうことを考えると

あの作戦に集っていたサムたちはホタルと同世代で、ホタルが謎の力でよほど長い年月漂流していたのでない限り、それなりに最近出来事だと思われる、つまり

ラモスの改造戦士技術(と付随する洗脳技術)は何者かによって収奪され、つい最近まで宇宙の蝗害対策として使い捨ての道具のように運用されていたのが真相のように思える

そうでもないと大勢自軍兵士の巻き添えを厭わない爆撃作戦など実行されないだろう

協定採択の協定がなんなのかはわからないが、協定は一つの国だけで結べるものではない、怪しい

ホタルがどのようにして「グラモスはもう存在しない」ことを知ったのかは謎だが、「帝国存在しない」ではなく「グラモス存在しない」(=滅亡)ということで、最近出来事説が濃厚になる

描写から洗脳あるいは記憶操作状態にある様子が見て取れ、その洗脳が解けたのと同時に謎の力に覚醒してただ一人生還したというのがこのアニメの内容だろう

遺物テキストで「彼女(「ティニア」)が織りなす夢」と言われているのがこの洗脳技術だと思われ、その嘘を初めて打ち破ったクローンホタル、そう考えるとピノコニーでホタルが成した事とも重なる

しかするとグラモスも、カンパニー市場開拓部オスワルド・シュナイダーによって、意図的に内紛が起こされて滅び、技術を奪われたのかもしれない

ピノコニー編の主要人物、アベンチュリンブートヒルもオスワルドによって故郷を滅ぼされているので、二度あることは三度ある予想をしたくなってしま

ラモスの滅亡がどれくらい昔のことなのかよくわからんのでオスワルドじゃないかもしれんが

2024-06-14

Mrs. GREEN APPLEコロンブス関係者対応

見た感じMrs. GREEN APPLE独断でああなって、コカコーラは完全な被害者っぽいけど、広告全部廃棄になってコーラを買ってライブに招待みたいな企画も中止で、生じた莫大な損害はMrs. GREEN APPLEが払うってこと?

Mrs. GREEN APPLE

コロンブス」のMusic Videoを制作するにあたり、

年代別の歴史上の人物

類人猿

ホームパーティー

・楽しげなMV

という主なキーワードを、初期構想として提案しました。

類人猿が登場することに関しては、差別的表現に見えてしまう恐れがあるという懸念を当初から感じておりましたが、類人猿を人に見立てたなどの意図は全く無く、ただただ年代の異なる生命ホームパーティーをするというイメージをしておりました。

しかしながら、意図とは異なる伝わり方もするかもしれないと思い、スタッフ確認し合い、事前に特殊メイクニュアンス衣装、演じ方のフォロー、監修をしていたつもりではおりましたが、そもそもの大きな題材として不快な思いをされた方に深くお詫び申し上げます

https://mrsgreenapple.com/news/detail/20374

ユニバーサルミュージック

歴史文化的な背景への理解に欠ける表現が含まれていたため、公開を停止することといたしました。当社における公開前の確認が不十分であり、皆様にご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます

日本コカ・コーラ

コカ・コーラはいかなる差別容認しておりません。今回の事態遺憾に受け止めております。本楽曲使用したすべての広告素材の放映を停止させていただきました。また、弊社ではミュージックビデオの内容に関しましては、事前に把握をしておりません」

https://www.bengo4.com/c_18/n_17655/

https://anond.hatelabo.jp/20240614204953勝手タグ付けソースだよ

1996年 (第1巻) 5月 特集:脳の科学こころ問題医療人間
1996年 (第1巻)11月 特集高齢者介護医療人間
1996年 (第1巻) 4月 (創刊号) 特集戦略研究と高度研究体制学術教育
1996年 (第1巻) 6月 特集:第3回アジア学術会議学術教育
1996年 (第1巻) 8月 特集日本国際賞受賞記念講演会から学術教育
1996年 (第1巻) 9月 特集:若手研究学術教育
1996年 (第1巻)12月 特集:第124回日本学術会議総会学術教育
1996年 (第1巻) 7月 特集地球環境問題を考える環境
1996年 (第1巻) 特集:転換期にある工業産業工学
1996年 (第1巻)10月 特集女性科学研究ジェンダー
1997年 (第2巻) 2月 特集パラダイムの転換学術教育
1997年 (第2巻) 3月 特集大学改革任期制学術教育
1997年 (第2巻) 6月 特集伝統と新しい地平 ―第4回アジア学術会議学術教育
1997年 (第2巻) 7月 特集:第125回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻) 8月 特集:第16期から17期へ学術教育
1997年 (第2巻) 9月 特集:第17期の発足 ―第126回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻)10月 特集:高度研究体制確立を目指して学術教育
1997年 (第2巻)11月 特集地域における学術活性化を目指して学術教育
1997年 (第2巻)12月 特集:第127回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻) 特集:2国間学術交流レイシア派遣団報告学術教育
1997年 (第2巻) 4月 特集地球食料問題を考える環境
1997年 (第2巻) 1月 特集平和共生歴史政治・国際
1997年 (第2巻) 5月 特集グローバリゼーション産業空洞化歴史政治・国際
1998年 (第3巻) 3月 特集クローン羊"ドリー":遺伝子科学のはかり知れないインパクト    化学生物
1998年 (第3巻) 特集クローン羊"ドリー":バイオテクノロジー最先端で今、何が、どうなっているか    化学生物
1998年 (第3巻) 2月 特集二国間学術交流 スイス及びスウェーデン派遣団報告学術教育
1998年 (第3巻) 6月 特集21世紀科学への視点 ―第128回日本学術会議総会学術教育
1998年 (第3巻) 7月 特集アジアにおける学術の直面する課題 ―第5回アジア学術会議学術教育
1998年 (第3巻)12月 特集:新たなる研究理念を求めて ―第129回日本学術会議総会学術教育
1998年 (第3巻) 1月 特集地球未来 ~人間の存続環境
1998年 (第3巻) 5月 特集地球惑星宇宙科学の現状環境
1998年 (第3巻)11月 特集食品研究の新領域をさぐる ―食とからだの科学を中心に環境
1998年 (第3巻) 4月 特集ジェンダー   ―社会的文化的性別」と現代ジェンダー
1998年 (第3巻) 8月 特集日本経済課題展望日本ビックバンに向けて社会
1998年 (第3巻) 9月 特集行政改革課題展望社会
1998年 (第3巻)10月 特集ライフスタイルの転換と新しい倫理 ―21世紀社会に向けて社会
1999年 (第4巻) 4月 特集生殖医療とその社会的受容医療人間
1999年 (第4巻) 1月 特集21世紀に向けた学術の新たな改革学術教育
1999年 (第4巻) 3月 特集国民の期待に応えて ―科学最前線から学術教育
1999年 (第4巻) 6月 特集:IGBPの研究成果の統合に向けて ―第130回日本学術会議総会学術教育
1999年 (第4巻)10月 特集日本学術会議創立50周年学術教育
1999年 (第4巻)12月 特集:わが国の大学等における研究環境改善について(勧告) -第131回日本学術会議総会学術教育
1999年 (第4巻) 2月 特集ごみを考える環境
1999年 (第4巻) 8月 特集海洋環境
1999年 (第4巻)11月 特集科学技術社会社会
1999年 (第4巻) 特集少子化問題社会
1999年 (第4巻) 5月 特集学会インターネット情報
1999年 (第4巻) 9月 特集学術からみた「美しさ」について人文
1999年 (第4巻) 7月 特集人口環境 ―持続的発展に不可欠なアジア役割 ― 第6回アジア学術会議歴史政治・国際
1999年 (第4巻) 特集科学技術の発展と新たな平和問題歴史政治・国際
2000年 (第5巻) 1月 特集学術研究の国際ネットワーク学術教育
2000年 (第5巻) 3月 特集:第7回アジア学術会議学術教育
2000年 (第5巻) 4月 特集世界科学会議21世紀のための科学学術教育
2000年 (第5巻) 7月 特集:第17期を締めくくる成果 ―第132回日本学術会議総会学術教育
2000年 (第5巻) 8月 特集:第17から第18期へ学術教育
2000年 (第5巻) 9月 特集:第18期始まる学術教育
2000年 (第5巻)10月 特集俯瞰研究プロジェクトへのアプローチ学術教育
2000年 (第5巻)11月 特集研究業績評価 ―実態問題学術教育
2000年 (第5巻)12月 特集:第18期活動計画の全容学術教育
2000年 (第5巻) 特集各部抱負学術教育
2000年 (第5巻) 特集:第8回アジア学術会議学術教育
2000年 (第5巻) 特集世界科学アカデミー会議学術教育
2000年 (第5巻) 2月 特集安全災害
2000年 (第5巻) 6月 特集男女共同参画社会における日本学術ジェンダー
2000年 (第5巻) 5月 特集司法改革課題展望社会
2001年 (第6巻) 2月 特集21世紀とヒトゲノム医療人間
2001年 (第6巻) 4月 特集21世紀と新エネルギーエネルギー
2001年 (第6巻) 1月 特集21世紀科学役割を問う学術教育
2001年 (第6巻) 3月 特集21世紀科学アカデミーデザインする学術教育
2001年 (第6巻) 5月 特集学術活動のための次世代育成学術教育
2001年 (第6巻) 6月 特集:「科学技術」の概念を人文・社会科学へと拡張学術教育
2001年 (第6巻) 7月 特集大衆化された大学での教育はいかにあるべきか学術教育
2001年 (第6巻)11月 特集日本学術会議改革に向けて学術教育
2001年 (第6巻) 特集:常置委員会の目指すもの学術教育
2001年 (第6巻) 特集日本社会の変容と教育の将来学術教育
2001年 (第6巻) 特集:第1回アジア学術会議学術教育
2001年 (第6巻) 特集特別委員会活動経過学術教育
2001年 (第6巻) 8月 特集遺伝子組換え食品をめぐる最近の動向環境
2001年 (第6巻)10月 特集:食から見た21世紀課題環境
2001年 (第6巻) 9月 特集10代は変わったか!こども
2001年 (第6巻)12月 特集データベースの新たな保護権利制度導入反対への初の声明情報
2001年 (第6巻) 特集21世紀IT社会情報
2002年 (第7巻) 5月 特集医療最先端医療人間
2002年 (第7巻) 8月 特集ナノテクノロジー化学生物
2002年 (第7巻) 9月 特集動物実験化学生物
2002年 (第7巻) 1月 特集新世紀の日本学術会議学術教育
2002年 (第7巻) 3月 特集科学技術新世学術教育
2002年 (第7巻) 6月 特集:新しい日本学術会議に向けて!学術教育
2002年 (第7巻) 7月 特集ノーベル賞100周年記念国際フォーラム創造性とは何か」学術教育
2002年 (第7巻)11月 特集:変革をめざす国立大学 ―学長たちは考える学術教育
2002年 (第7巻)12月 特集日本学術会議の今後の方向に向けて!学術教育
2002年 (第7巻) 特集:「大学の自立」と「学術経営」のあり方を探る学術教育
2002年 (第7巻) 特集:第2回アジア学術会議(SCA)学術教育
2002年 (第7巻) 特集学術科学研究の成果と社会学術教育
2002年 (第7巻) 4月 特集学術の再点検  ―ジェンダー視点から(1)ジェンダー
2002年 (第7巻) 2月 特集創造性と日本社会社会
2002年 (第7巻)10月 特集:「身体障害者との共生社会」の構築に向けて社会
2002年 (第7巻) 特集日本計画社会
2002年 (第7巻) 特集グローバル化時代対応する高等教育課題歴史政治・国際
2003年 (第8巻) 2月 特集研究教育現場から見た国立大学改革学術教育
2003年 (第8巻) 3月 特集科学社会 ―いま科学者とジャーナリストが問われている―学術教育
2003年 (第8巻) 7月 特集私立大学さらなる発展学術教育
2003年 (第8巻) 8月 特集:第18期から第19期へ学術教育
2003年 (第8巻) 9月 特集:第19期始まる学術教育
2003年 (第8巻)10月 特集:新しい学術の体系学術教育
2003年 (第8巻)12月 特集:第19期活動計画学術教育
2003年 (第8巻) 特集活動計画各部抱負学術教育
2003年 (第8巻) 特集:第3回アジア学術会議(SCA)学術教育

2024-06-13

筋トレしたらデブにしてガリになった

出る所が出たことでデブ感が増し、

同時にクビレや凹みが増えガリにもなった。

細めのドラム缶から凹凸の激しいドグウになった感じ。

筋肉が増えることで全体的には贅肉が減ったが、引き締まった反動で腹回りに肉が集中。

筋トレやす筋肉だけ増えてるせいで歪な体型の生命体になってるのでプールには行きたくない

追記2】Mrs.GREEN APPLEMV炎上おかし

差別大事なのは意図」では?

セスMVの猿が奴隷に「見える」、先住民への弾圧を「想起させる」。

でもそれって見た側の勝手連想ゲームじゃないですか。

セスにそんな意図はもちろんないです。誤解です。

大森さんの声明によると年代の異なる生命ホームパーティーをする」というコンセプトです。

コロンブス先住民に酷いことをするMV」ではないんです。

なら不問にすべきでは?

差別に見えたか差別って、あなたの好きなものでもあなた自身でも何でも差別ということにして燃やすことのできる恐ろしい理屈だってわかってますか?

被害者はどこ?

MVを見て傷つく人がいるかも!不快に思う人がいるかも!

で、それはどこにいるんですか?

批判した人の中に先住民の子孫がいる可能性を否定しているわけではないですよ。

でも批判してる皆さんは違うでしょう?

被害者がいないのに勝手想像で代弁して怒って燃やしてるだけですよね?

MVは取り下げられ謝罪文が出たからよかったよかった正義が勝ったーって本気で思ってます

人の精魂込めた製作物が実態のない被害の声で潰されたんですよ?

冤罪じゃないですか。

二次元の絵がフェミニスト(を騙る人たち)に叩かれた時「絵には被害者がいない」とよく言うじゃないですか。

それはもっともだと思います

だったらこMVも同じです。

被害者が実際にはいないのに叩かれている。異常です。

これは無意味キャンセルカルチャーしかない

誰かが差別認定する。

騒げば得をするインフルエンサーYouTuberスポーツ新聞週刊誌が乗っかる。

大衆は何も考えず右へ倣えでXやはてなブックマークで叩く。

こんな恥知らずムーブメントにいつまで乗っかるんですか?

コロンブスと猿を出したらNGって、表現の自由はどこへ???

本当に馬鹿げてる。

 

 

 

追記

イジメだってナチスだって杉田水脈だって意図はないと言う」

こういう極端な例を出して「論破」しようとしてくるの呆れる。

それらとコロンブスMVが同列だとまさか本気で思ってないでしょう?

「何を今更?とっくにそういう社会だ」

それがおかしいと言っています

何もないところに火をつけて炎上させられてキャンセルされてしまうのが当たり前みたいに受け入れられてるのがおかしい。

狂ってる。

他の炎上でもそう思っています

差別的な表現だと捉えられてしまったんだからダメ炎上リスク回避できなかったのがダメ

そういう結果論卑怯だし、表現規制に等しいです。

リスク回避であれはやめておこうこれはやめておこうと表現活動が先細りになりますよ。

製作側が取り下げ謝罪したのがすべて、自分たちからキャンセルした」

炎上状態になってしまった以上それしか鎮静化の方法がないからです。

ひどい話だと思う。

MV解釈について

批判する皆さんの中でもそれぞれの要素をどう解釈するか意見バラバラじゃないですか。

まり解釈余地があるんです。

なぜ悪い方に悪い方に想像して決めつけるんですか?

最初から炎上したMV」「差別的な描写がある」という先入観を持って見るからそう見えるんです。

MVを見られる手段があったら改めて冷静になって見てほしい。

そんな問題視するようなものなのか、自分の頭で考えてほしいです。

 

 

追記2】

今晩8時、Mステ生出演です。

自分たち批判した対象ちゃんと見て。

コロンブスMV、単純に酷いセンスだった

歴史の云々とかでなければ炎上配信停止まではいってないと思うけど

あれさ、もし他の動物だったとしてもなかなかのクソセンスだと思う

例えば猿がパンダだったら、ワンコだったら、宇宙人だったら、ロボットだったら

なにに置き換えてみても、何箇所か明らかに気分悪い場面が出てきちゃうんだよ

豪華な衣装を着たバンドメンバーが猿たちのいる家に入ってくる
鍵盤や、馬の乗り方などを猿たちに教えるシーンがある
食卓のど真ん中にVoが座って周りに猿たちが座ってる
楽しげに歌い踊るメンバーの周りで猿たちが手拍子してノッてる
かと思ったら猿が人力車を引いてメンバーがそれに乗ってるシーンが唐突に挟み込まれたりする

鍵盤を教えてるシーンなんかは猿もなんか楽しそうだしまだいい

馬の乗り方を教えてるシーンは、おぼつかない猿にバンドメンバーが「ちがうよそうじゃないよ!」という感じのジェスチャーをしてる

まあこのへんの「教えてあげてる」って部分は、猿じゃなかったらまだいい(それでもなんか偉そうだなこいつらって見え方はする)

そんな場面が続く中、唐突人力車を猿に引かせてメンバーがそれに乗ってるシーンが出てくる

これはもう普通に猿かわいそうに見えるしメンバーの印象悪い

ここに至っては猿じゃなかったとしても奴隷みたいにこき使ってるようにどうしても見えてしま

そうなるとMV全体の印象も猿たちが家来みたいに見えてしま

メンバー衣装が豪華すぎるのもあって、なんもわからないお前たち(猿)に俺様メンバーが教えてあげよう

からお前らは俺達の言う通りにすればいいんだよって感じにしか見えないし明らかにそういう意図なのだ

なのでそれが猿じゃなかったとしても、バンドメンバーがやたら偉そうに見えてしまうし「猿」を他のいろんな物に置き換えてもかわいそうに見えてしま

どうしたって

ただただ年代の異なる生命ホームパーティーをする

だけには見えないし、猿たちにあれこれ教え込んでる場面、人力車食卓でのメンバー王様ポジションなどは

編集の妙とかじゃない、撮影してる時点で絶対に気づけるはずである

念の為歌詞も読んでみたけど、あれこれ言葉をひねくりまわした恋愛ソングのような感じで

歌詞中の「僕」と「君」は恋愛以外の関係性にも当てはまる汎用性があるが、

基本的には互いの関係性を構築したいみたいな感じのことを言ってるように思える

MVの内容と関係があるとすれば異質な生き物(人間類人猿)が

パーティして一緒に楽しめてる状況を描きたかったということだったのかもしれない

しかし全体の見え方としてはいくつかの致命的なシーンによって

メンバー側は豪華な衣装でこれぞ人間様よって感じで着飾り、

猿に色んなことを教えてあげた上で人力車を引かせる、

完全に支配してるようにしか見えないという激ヤバ映像になってしまってる

まあ炎上したのはコロンブス人類歴史部分から想起される印象部分だと思うが

それ抜いたとしてもバンドMVとして微妙すぎる気がした

バンド自体がもともと批判精神たっぷりの尖ったバンドなら狙い通りなのかもしれないが公式コメント読む限りそんなつもりはなかったようだし

この手の撮影小道具に至るまでかなり緻密にやらないと現場が回らない

からちょっとしたことに見えてもしっかり意図を持って進行するのが普通なのだ

いくつかの致命的に悪い印象を与える場面も当然意図的に入れてるはずである

しかしそれが尖った部分というよりはただたんによく考えなかっただけのように見えた

まりこの仕事に関わった人全員が奇跡的にあまりにもめっちゃセンスなかったってことなんだろう

ミセス大森、謝罪

大森は同MV制作するにあたり「年代別の歴史上の人物」「類人猿」「ホームパーティー」「楽しげなMV」という主なキーワードを、

初期構想として提案したと説明。「類人猿が登場することに関しては、

差別的表現に見えてしまう恐れがあるという懸念を当初から感じておりましたが、

類人猿を人に見立てたなどの意図は全く無く、

ただただ年代の異なる生命ホームパーティーをするというイメージをしておりました」とした。


https://news.yahoo.co.jp/articles/77b36eb5eaabbce3b50f730af1fcfda465b077fe

anond:20240613124738

滅ばないよ

そういうめんどくさい仕組みが消えて新しい種族が産まれるだけ

そうやって生命進化してきただろ

ナマケモノなんかそういうもん

2024-06-12

火の鳥に、主人公の肉体が朽ちてからも霊体(?)になって、新たに発生した文明を見守ってる話があった。

なんか雨乞い儀式を見て、「それは祈りが通じたんじゃなく、火によって上昇気流が発生しただけなのに……」って科学知識から神様目線でこぼすシーンがあった気がする。

あれ未だに納得いってない。

焚き火程度で雨が降るなら、山火事なんか起きた途端に鎮火するじゃん。小学生ながらにそんな訳ないやんって思った。

なんなら、これがいつか生命になればいいね的な感じで何かしらの物質ひとつまみだけ海に撒いて本当に生命誕生したのもあんまり納得いってない。

まあこっちは本当にそれきっかけで生物誕生したのか作中で言及されてたか覚えてないけど。

現実でもそこは色々な推測があるらしいし。インテリジェントデザインにしても、じゃあその存在はどうやって生まれたんだよって話だし、本当に奇跡的な偶然で誕生したのかも分からんけど。

一度目(本当に一度目か?)にたまたま今のような世界が形作られたというのなら、今こうやって存在する世界が何より証拠だし、まあそういう偶然もあるのかなって思えなくもない。ただやっぱり二度も同じ運命を辿るとは到底思えない。

anond:20240612094841

生命って多くの場合環境適用しようとするので

3食ゆでたまご生活してると最初はきついんだけど、身体が3食ゆでたまごで1日乗り切るモードだんだんなってくる

あなたが3食ゆでたまごにしてもすぐには死なないよ

なんなら水さえ飲めてれば3週間くらいは何も食べなくても死なない

 

ついでに言うと、タレントとかが言ってる××ダイエットってたいがい言ってることと

本当にやってることは違うから参考にならんよ

2024-06-11

anond:20240611121613

えーっと、こうやって母親を責め立てる社会母親の手を借りてこの3人の子を殺したんですよ

育児に悩んでた」「追い詰められていた」ってあるけど、そこと子供を殺すことに論理的整合性ないよね。

あるよ。いなければ育児はなくなるんだから

自分母親に相応しくないと思ったら、押し付けて逃げたらいいじゃん。旦那もいて実家あんからさ。

押し付けても自分母親でなくなるわけじゃないんですよ。というか、できるならしてたんじゃね。

3時間電話しても実家から誰も来ないんすよ。頼れます?3人乳幼児の子育てしてるのになーんも気づかない旦那、頼りになると思います

まあ子供死ぬよりましかもだけど。

産後うつ治療を何年も前に辞めてるし、自己申告でしかない。母乳への影響考えるなら粉ミルクでいいだろ。

母乳捨てる罪悪感やべーんすよ。まあ優先順位おかしいのは認める

責任感とかですらない。子供らは誰かの人生壊したりしてないんだから、わざわざ排除しなきゃ行けない理由ないし。

子育ては悪く言えば親の人生を壊しながら子供人生を作る作業だよ

そもそも保護者第一の責務ってまず子供生命を守ることだからね。

保護者としてはそうだけど、その前に1人の人として自分の命が優先するんで

anond:20240611152118

それ、まず「知的」の範囲を再検討しなければならなくて

 

よく例に出るのはコウモリなんだが、あれは超高速で飛び回りながらエコーロケーション位置測定をし続けるという人間はもちろんAIにも不可能な超計算能力を発揮しているけど、「知的」とはみなされないよな。

結局のところ「知的生命体とは、人間みたいに言語をつかって、人間みたいに社会形成し、人間みたいに思考する、人間みたいな生物ことなんだよね。

どれだけ高度で複雑かは関係が無い。

 

なのでお前の言う通り、知的生命体と俺たちが呼びたくなるような生物は、結構人間に近いはず。

知的生命体」という単語自体が、「人間に似た生物」という概念を示しているからだ。

知的生命体が生まれルートってさ

絶対あんまりないよな

結局、生き物が頭良くなるためには四足歩行卒業して手を使うようにならんといかんわけだしさ

から、もし地球外に知的生命体がいたとしたら、かなり人間に近いと思うのワイだけ?

母親にとって子殺しってキモくないんだな:追記

追記:何が怖いって「無責任に逃げろ」って言ってる俺より、3人の子供を確実に殺せるように別室に移動させて順繰りに絞め殺した奴に共感してるとこなんだよね。

子供がどれだけ親を信じてくれるか感じた事がないんだろうな。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d14dc3a4ae208d852841e604706cb8d7a0afdf24/comments

2行以上読めない増田たちに申し訳ないが、このニュースね。

悪いが俺の文章記事よりもっと読みにくいぞ。

母親子供3人殺し事件あったやん。

育児に悩んでた」「追い詰められていた」ってあるけど、そこと子供を殺すことに論理的整合性ないよね。

自分母親に相応しくないと思ったら、押し付けて逃げたらいいじゃん。旦那もいて実家あんからさ。

産後うつ治療を何年も前に辞めてるし、自己申告でしかない。母乳への影響考えるなら粉ミルクでいいだろ。

責任感とかですらない。子供らは誰かの人生壊したりしてないんだから、わざわざ排除しなきゃ行けない理由ないし。

そもそも保護者第一の責務ってまず子供生命を守ることだからね。

警備員自分仕事果たせないからって施設放火したら「責任からやった」とはならんでしょ。

愚痴聞いてくれる実父と家事サポートしてくれる義母がいてワンオペってことも無い。

まぁおかしいやつがおかし犯罪おこしただけだから、この事件自体が全体の傾向を指すような証拠にならないと思う。

問題は、この事件へのコメントですよ。

共感してる人の多いこと多いこと。

しかもその共感コメントへの低評価少ないのな。

ちょっとした共通点からおかし自分語りが始まるのは仕方ない。人間自分のこと語りたいし、これは害のない欲求ですわ。

自分語りから加害者叩きに繋げたコメントが高評価なのかと思ったらそんなことなくて、加害者に同情しっぱなしで終わりがち。

そんなことある

こいつワンオペじゃないのに、ワンオペ育児してたおばさん(のようなやつ)まで同情しとる。

なんと言うか、まともな感性してたら、吐き気を催す邪悪しか見えないよね。

だって自分より圧倒的に弱い相手を、信頼関係を使って騙し討ちにかけたわけじゃん。

しか子供って親がなにしても大抵愛してくれるから自分で築いた信頼関係ですらない。

こんな邪悪な生き物に、「自分子育てで苦労した」くらいの感覚共感してる。

犯人子供に「ママと一緒に死のう」って話もしてない風じゃん。

そもそもホント心中か?

1人1人場所移して絞め殺す判断はできるのに、自分刃物で手首かいて洗剤ゴクゴクってなんだよ。

隣で首吊れば良いだけなのに。

敢えて子供たちと違う死に方選ぶのって、自分死ぬ気なかっただろこれ。

「ぼーっとしながら子供を一人一人絞め殺しました、自分は目の前の凶器は触らずにいつもの死なない方法で手首を傷つけました、でも死ぬ気でした」ジョークか?

思い通りいかないガキども殺して、殺したストレス自傷しただけだろ。

弁護士の入れ知恵なんだろうが、この後に及んで罪を軽くしようとしてる。

横恋慕したストーカー相手強姦して殺した気持ちさより上なんだが。

全てこいつの頭の中のストーリーで、他人自分ストーリー登場人物しかない。

この気持ち悪さがなんで分からないんだ?

一般論では母親って共感能力高いらしいが、子供気持ちにはなれないのか?

珍しくジャンクフードを母が食べさせてくれて、ちょっと良い日だと思ってたら、3人姉妹一人一人別の部屋に連れてかれてく。母親から不安に思ったりしなかったろうが、そこで抑え込まれて首絞めて来たんだろ。動けなくなるまで。

まれた時から一緒で大好きで最近悩みがちな母親が、全力で自分を殺しにくる悲しさとか訳の分からなさとか、何分の一かでも想像して胸にこないか

しかも1人目で後悔して辞めるとかじゃなくて、3人立て続けに殺してる。この嫌悪感がなんでこんなに共有されないんだ。

求刑死刑じゃないのもおかしいと思うが、法律わからんから置いとくとして、なんで同情できる奴がいるんだよ。

ひたすら自分思い込みからくる、営利目的ですらない身勝手殺人だろ。

俺がおかしいのかこれ。

たまたま拘りの強い母親の元に産まれて懐いたら、子供絞め殺す母親より同情される価値がないのか。

追記:

キモいという表現に引っかかった人ちょいちょい居たから補足。

恋愛感情持ったことないやつはあんまおらんと思うが、ストーカーになろうと思ったやつは殆どいないだろうし、ストーカー共感しないだろ?

生活に潜んでる感覚だけど、味方になりたくない嫌悪感」をキモいって言った。コメント同意してるやつも、悪い事だってのは重々承知だろ。

一応言っとくが「キモいとは」を説明しただけで、ストーカー社会が産んだとかそんな話はしてないし思ってない。もののたとえだから、喩えから出てきて話をしてくれな。喩えだからストーカーじゃなくて何でも良い。

子殺しほんとに気持ち悪くてなんで擁護できる奴がいるのか理解できん。共感能力とかそんな話じゃねぇだろ。気持ち悪いわ。

:

この犯人が3人殺したのは社会のせいでも何でもなくて、こいつが無能バカ妥協を知らんせい。一人相撲勝手に悩んで他人を傷つけただけ。

義母が定期的にきてんだから、母であることを辞めれたろ。全部捨てて新天地に逃げたら良かった。

そりゃ子供義母旦那もめちゃくちゃ困ったろうが、自殺するよりマシだろ。

死ぬほど悩んだのではなく、正気を失うと最初殺意が出るキチガイだっただけだこいつは。

東京多摩地方東大附属農場という施設があって好き

理由

・かなり広い、東京ドーム4個分くらい(適当な目算)

・牛やダチョウがいた、サイロもあった

・畑も田んぼもあるので生態系が豊か

公園人間の為に漂白された土地だけど、それと違ってておもしろ

生命豊かな土地なのに同じ敷地でかなり頭の良い大学生達が勉学をしているというギャップが良い

・林や森より人間にとって快適

都市の緑として、公園や他の場所にもこういう施設があると嬉しい

人工知能生活している警察行政限界エロブサイク界隈の、あるない騒動だろ

  警察行政生命限界エロブサイク界隈の奴がバクサイやってるし、それもなぜか言ってはいけない状況と化している。 殺傷事件も、中身がない、顔の形状のことしか興味がなくなった

   ほとんど寝ている、バクサイの行政区分関係の、限界エロブサイク世界で発生しているし、それ以外の世界の住人から顰蹙以外の何物でもないのに、そうなっている。

2024-06-10

風邪をひいたら休め

 ここに、「ニンゲン風邪をひいたら、休め」という規範を示す。

 本稿は、右規範に対して懐疑的なニンゲンを説得するために執筆されたものである。具体的には、下記のニンゲンが本稿のターゲットである。心当たりのある者は、ぜひ熟読せよ。

・「この程度の風邪なら大丈夫」と考え、外出をしたことがある

・「風邪程度で休むのは甘えである」と考えることがある

風邪をひいても休まないニンゲンがいる理由はなぜか?

 風邪をひいたら休めという規範は、①パターナリズムと②蔓延防止という二つの論拠から成る風邪治癒に専念することで、①疫病が悪化する可能性が低くなり、結果として本人のためになる。そして、②伝染病蔓延を防止することができる。

 以上より、右規範合理性があることが明らかである

 ところが、しばしば右規範は破られる。風邪をひいても会社学校へ行くニンゲンと、これを良しとする第三者が後を絶たない。なんとも嘆かわしい。かかる者は如何にして規範を逸脱するのだろうか。

 私は、その理由につき、当該ニンゲンが①パターナリズムのみを重視してしまった結果であると考える。彼らは、「風邪をひいたら休まなくてはならない」という規範趣旨を、もっぱら「私が大変な思いをするからだ」と捉えてしまう。よって、「私は病状悪化という結果を許容しているから、右規範趣旨(本人のために休むべき)が及ばない。ゆえに休まなくてもよい」と結論づけてしまうのである

 しかし、かかる見解妥当ではない。パターナリズムはむろん重要であるが、②蔓延防止の意義を殊更に強調しなくてはならない。

 以下、敷衍する。

★「人を傷つけてはならない」という規範

 なぜ、風邪をひいた場合に、②蔓延防止のために休む必要があるのか。

 まず、「人を傷つけてはならない」という規範は、ハンムラビ法典でも傷害行為禁止されているように、紀元前時代から常識である。これは、現代社会においても、傷害罪(刑法204条)が国民構成要件として配布していることからも明らかである

 そして、風邪をひいた状態で外出をして、特に会社学校等の多数人が集まる室内で過ごせば、自らの病を伝染させることにより、他者生理的機能障害傷害)を与えることで、人を傷つける蓋然性が具体的明らかに予見される。

 したがって、風邪にもかかわらず、休まなかったことで、「人を傷つけてはならない」という規範を乗り越えてしまうことになる。

 よって、他者を傷つけないために、風邪をひいた人間は休養することで蔓延防止に努めるべきなのである

もっとも、休めないときもあるのではないか判断枠組み

 そうであるとしても、いかなる場合にも「風邪をひいたら、休め」という規範適用するのは妥当ではない。風邪自覚症状が無い場合や、どうしても外せない急用がある場合もあるだろう。いか判断するべきか。

パターン1 自覚症状なし

 まず、自らの病状につき善意無知である場合について、いかに解するべきか。

 故意責任本質は、反規範人格態度に対する道義的非難である

 すなわち、自分風邪であり、もしかしたら他人に伝染させてしまうかもしれないという点につき、認識・認容していれば、「他人を傷つけてはならない」という規範に対しての反対動機形成しているものといえる。しかるに、敢えてこれを逸脱したのだから、かかる行為道義的非難に値する。

 よって、自分風邪である認知していたのであれば、休養に努めるべきであるのが原則である

 逆に、自分風邪であると知らなかったのであれば、そもそも「休むべきである」という規範に直面しておらず、反対動機形成できないため、道義的非難に値しない。実際に、潜伏期間存在するウイルスは多いことからも、このような結論妥当である

 以上より、自らの病状につき善意無知である場合には、休まなくてもやむを得ないものといえる。

パターン2 風邪体調不良判断できない場合

 風邪体調不良判断が難しい場合は、いかに解するべきか。

 なお、ここでいう「体調不良」とは、月経片頭痛食中毒などの伝染病以外で身体異常をきたしている場合を指す。

 この点、蔓延防止以前に、そもそもパターナリズム観点からは、風邪体調不良判断できない場合にも休養した方が良いといえる。ゆえに、原則として外出するべきではない。

 しかし、単なる体調不良であれば、他者生命身体侵害することはない。よって、自身が体調悪化につき許容しているのであれば、単なる自由意思範疇にあるといえるから、これを非難される筋合いは薄い。

 したがって、伝染病であるという相当の蓋然性がある場合には、「風邪をひいたら休むべきである」という規範に服するべきである。右判断にあたっては、当人の体温、病状、体質、病歴、自覚症状、過去の行動等を総合勘案して判断する。

 具体的には、下記の事情伝染病である蓋然性を高める。

 ・平熱と比して体温が高い

 ・前日に気怠さがあった

 ・雨にうたれた

 ・知人が熱を出した

 反対に、下記の事情伝染病である蓋然性を低める。

 ・病状が軽微である

 ・月経片頭痛など伝染病以外の体調悪化事情がある

 ・病院伝染病ではないという診察を受けた

 たとえば、体温が37.5℃以上であり、前日から続く気怠さ・咳があるものの、月経による体調不良かもしれないといった場合を想定してみよう。この場合、たしか月経という事情伝染病のおそれを低めるものであるが、咳と月経無関係であり、37.5℃以上という体温は、一般風邪判断されるべきものである

 よって、伝染病である相当の蓋然性が認められるだろう。

 なお、より強度な「明らかに伝染病ではない場合にのみ、休まなくても良い」という判断枠組みも考えられる。筆者は、単なる体調不良場合自由意思尊重するべきであるから、緩い判断枠組みが妥当すると考えたため、かかる見解採用しなかった。

パターン3 どうしても外せない用事等がある場合

 では、自らの風邪自覚症状があり、明らかに伝染病であるものの、どう しても外せない急用等がある場合には、いかに解するべきか。

 この場合、どうしても外せない急用等に参加したいという時点で、パターナリズムは克服されているため、第三者への傷害の有無で判断するべきである(病状悪化をしてでも〇〇がしたいという者に対して、貴方身体のために辞めなさいというのは余計なお世話である)。

 そして、第三者に病を伝染させてでも、自分がやりたいことを行うというのは、結局のところはエゴイズムである冠婚葬祭親族危篤会社学校への出席などは、「自分が行きたいから行く」のであり、エゴイズム第三者身体生命侵害正当化する場面は限定的であるべきである

 これに対して、出席せねば評価が悪くなるため、「行きたいから行く」のではない;やむを得ず風邪をひいてでも外出しなくてはならないのである等の反論が想定されるが、妥当ではない。結局、評価悪化を避けるというのも利己的な目的であり、原則として、そのために伝染病をばら撒いて第三者侵害を行うべきではないいう形式は変動しないためである

 では、いかなる判断枠組みが妥当するか。

 第三者身体生命は、きわめて重要法益であるから、「どうしても外せない用事」との比較衡量で決するべきである。具体的には、用事重要性・症状を鑑みて、第三者身体生命に対する侵害のおそれを惹起してでも、当該「用事」を優先するべきである判断できる場合にのみ、風邪をひいても休まなくても良いものと解する。

 たとえば、冠婚葬祭親族危篤などは、この機会を逃してしまえば二度と立ち会えないイベントであり、用事重要性は高いものといえる。

 もっとも、当人が伝染させればきわめて身体生命への侵害性が高いといえる伝染病を患っている場合は、この限りではない。具体的には、インフルエンザ新型コロナウイルスノロウイルス等の強い感染力・症状を有するものは、真にやむにやまれ事情存在しない限りは、外出するべきではない。

 そして、会社学校への出席は、上記用事と比して、重要度が低いと言わざるを得ない。成績に重大な影響を及ぼす発表や試験等が存在しないかぎりは、外出を行うべきではない。

 そもそも、出席が必要不可欠でない限りは、リモート等の手段を講ずるべきであり、あくまでも「風邪をひいたら休むべきである」という規範を乗り越え、外出を行うという選択肢は、最終手段として留保されるべきである。よって、リモート等の手段を採ることができたのにもかかわらず、他者への傷害惹起する外出を選択するということは、あってはならないのである

★まとめ

 以上より、風邪をひいたら、本人のために休むべきであるのはもちろん、「他者を傷つけてはならない」のであるから、「ニンゲン風邪をひいたら、休め」という合理的規範が成立し、ニンゲン原則として右規範を遵守しなくてはならないということが示せたはずである

 規範限界については、判断枠組みを明確に提示した。

 その他、想定される反論について、下記にまとめる。異論や質疑等があれば、気軽にコメントしてほしい。

★その他、想定される反論質問

・明らかに体調不良ではなく伝染病であるものの、風邪が軽微である場合は?

 症状が軽微であっても、他者に伝染させる可能性がある。そして、乳幼児後期高齢者を想定すれば明らかであるように、自分が軽微な症状であるからといって、第三者もそうであるとは限らない。したがって、伝染によって他社の身体生命侵害を及ぼすという点では、原則として「風邪をひいたら、休め」という規範に従うべきである

 もっとも、上記パターン3の判断時に、症状の軽重は重要考慮要素となりうる。

風邪をひいた状態で出席することに対して、全員の合意がある場合は?

 友人の集まり会社等で、自己風邪を患った状態で出席することにつき、コンセンサスを得ている場合には、伝染による傷害結果の発生につき同意がある以上は、「風邪をひいたら休むべきである」という規範妥当しないのではないか?という反論が考えられる。

 しかし、風邪につき合意した者(合意者)のみと交流することは実際上は困難である。例えば、公共交通機関を用いるのであれば、不特定多数人に感染リスクがあり、伝染による傷害惹起する可能性があるだろう。

 そして、合意者がさら第三者に伝染を及ぼす可能性がある以上は、②蔓延防止の観点からこれを許容するのは妥当ではない。

・病弱なニンゲンにとって、毎回「風邪をひいたら休む」という規範に従うのは難しいのでは?

 たしかに、病弱なニンゲンは休む機会が増えてしまうため、会社学校での評価に悪影響を及ぼすこともありうるだろう。

 しかし、病弱な者は他人を傷つけても良いと考える者はいない。そして、伝染病頒布他人傷害する行為であるから、伝染によって他人傷害してしまうことにつき認識・認容があれば、道義的非難に値することには変わりない。

 また、結局のところ、評価の変動といった事情は先述したように利己的・個人的理由であるからエゴイズム第三者生命身体侵害するという場面は限定されるべきであるという当為規範が変動することもない。

 したがって、上記で示した判断枠組みが変動することはない。

以上

2024-06-09

anond:20240609071704

女の自由選択の結果

少子化になるってことは

存在してる大体の人間

から求められず愛されず

ただ女から奪った資源で生きてるだけの

図々しい生命なので

それが滅ぶなら仕方なくないですか?

人類繁栄ってそんなに美しいですか?

2024-06-08

願いの形

私が守るのはあなたの命でも感情でもない

ただただ、あなた自律性と自立性、すなわち尊厳を冒さないように、侵入しないように自らを自制する事だけだ

 何事も報いられぬこの世に……神も仏もない、血も涙もない、緑地も蜃気楼も求められない沙漠のような……カサカサに乾干びたこの巨大な空間に、自分空想が生んだ虚構事実を、唯一無上の天国と信じて、生命がけで抱き締めて来た彼女の心境を、小生等は繰り返し繰り返し憐れみ語り合っております

その大切な大切な彼女天国……小児が掻き抱いている綺麗なオモチャのような、貴重この上もない彼女創作天国を、アトカタもなくブチ毀され、タタキ付けられたために、とうとう自殺してしまったであろうミジメな彼女の気持を、姉も、妻も、涙を流して悲しんでおります

隣家の田宮特高課長氏も、小生等の話を聞きまして、そんな風に考えて行けばこの世に罪人はない……と言って笑っておりましたが、事実、その通りだと思います

 彼女は罪人ではないのです。一個のスバシイ創作家に過ぎないのです。

単に小生と同一の性格を持った白鷹先生……貴下に非ざる貴下をウッカリ創作したために……しかも、それが真に迫った傑作であったために、彼女は直ぐにも自殺しなければならないほどの恐怖観念に脅やかされつつ、その脅迫観念から救われたいばっかりに、次から次へと虚構世界を拡大し、複雑化して行って、その中に自然彼女自身破局構成して行ったのです。

 しかるに小生等は、小生等自身の面目のために、真剣に、寄ってたかって彼女を、そうした破局ドン底に追いつめて行きました。そうしてギューギューと追い詰めたまま幻滅の世界へタタキ出してしまいました。

 ですから彼女は実に、何でもない事に苦しんで、何でもない事に死んで行ったのです。

 彼女を生かしたのは空想です。彼女を殺したのも空想です。

 ただそれだけです。

夢野久作少女地獄――何んでもない」


そう、正に「何事も報いられぬこの世」なのだ

理不尽に産み落とされ、苦しみ喘いで生きていき、恐怖と後悔に苛まれながら果てていくような、

そんな地獄が、現世には顕現している

「もう無理なのに ですか?」

「後でできないと 知ったら余計に 傷付くんじゃ…」

「そうかも しれません」

「でも 亮介君の 生き方は 亮介君に 決めさせて あげたいんです」

病気で 苦しんでいる この瞬間だって

「彼の 人生ですから

――子鹿ゆずる/大槻閑人「アンメット-ある脳外科医の日記- 第二巻」より

 友田は、折々に「ブライアン氏」が「真空」、すなわち、独りの状態になる必要があると言及していることに着目しました。対するセラピストは、その度に、中立または否定的に、これに応じていますセラピスト理論上は、非指示的であり続けましたが、一般西欧セラピストと同様、孤独状態もしくは真空状態治療効果について非常に熱心だったわけではないようです。

 友田の見解では、「人間というものの真の飛躍もしくは成長は、完全に一人ぼっちであるときに生起する。個人の飛躍もしくは成長を確かなものにするのは、何らかの人間関係においてか、もしくは現実の世の中においてである。がしかし、真の成長がおこるのは、現実人間関係においてでもなければ現実の世の中においてでもない」

 友田はさらに、「このことはまた、禅の真理である。(中略)カウンセリングに関して言えば、ロジャーズ派の技術の真義は、それらの技術がクライエントを援けて完全に一人ぼっちである状態になるようにすることである。」と続けます

―中略―

 母性的尽力的配慮相手を甘やかしたり、子ども扱いするものですし、父性的訓育的配慮相手支配したり、奴隷化するものしかないわけです。第三自我形成期(第三反抗期)を超えてレベルⅢの人格に到達することは、本人にとっても周りの人々にとっても、大変難しい困難なことでもあります

――新しい科学194「レベルⅢへの到達方法(続き)」



「人」ができることは、本当に少ない、殆どない

神でも仏でもならざる我々の手や腕は、あまりにも短く細い

半径85cmの範囲ですら「すくえない」のが、我々という生き物の現実なのだ

から、できる事は祈り、願い、目の前にいる相手を「人」として扱う事だけなのだ

「物」ではない、「人」として

それは非常に難しい

生きていることは素晴らしい、働くことは凄い、人に優しくできるのは偉い、頑張っている人は美しい

「善い」とされる価値観でこの世界は満ち満ちている

それに沿って生きる事が善いとされる

苦しんでいるなら無理をしなくてもいい、休んでも良い、人にはできないこともある、人にはそれぞれの価値観がある

「やさしい」言葉がある

これも、また「正しい」のだろう

けど、何もかもに納得できないまま生きていくこともある

何が正しく、何が善く、何が良いものなのか分からずに、それでも人生が続いてしまうことがある

「裸も」

「裸を飾ろうとする 人間自由さも醜さも 全て愛しいじゃない?」

――山口つばさブルーピリオド 第5巻」

今思えば、いつかこうなってしまうと、はじめから解っていたのだと思う。

でも、もし駄目になってしまうとしても、その前にゴールに駆け込むことさえ出来れば、何も問題が無いとたかをくくっていたんだ

ゴールはまだ見えない。あの頃想像していたより、僕たちは長生きしすぎてしまったんだろう。

一時停止ボタンなんかどこにもなくて、力一杯全部を出し切った、その瞬間に都合よく存在が消えてなくなったりもしない。疲れ切ってしまって、戦う気力なんか全然なくなって、勇気と書き棒とか自分を守ってくれるものが全部失われてしまって、映画だったら「終」とテロップが出るような場面が過ぎても、生活は続いてしまう。けして止まらない。

そこからが本当に人間が生きるということなのだろうと、最近はそう思ったりもする。

ドラマが終わって、興奮から冷めて、何も心を守ってくれなくなって、これからもっと大変な毎日が続くだろう。でも、どんなに苦しくても、心が死んだようになって、痛みも喜びも何も感じることが出来なくなってしまって、何をしても無意味に感じられて、もうダメだと思っても、諦めないで、自分に耐えて、もう少しだけ頑張って欲しい。

さなころに見ていた者は、まだ何も知らなかった時代まぼろしなんかではなくて、いまでも見ることが出来るずっとそこにある変わらないものだった。辛くなるからって無理に忘れてしまわなくても良かったんだ。僕は気がつくのが遅すぎた。必要ものを、自分で隠していたんだ。でも、こんな僕でもまだすべてを失ったわけではなかった。

世界残酷で恐ろしいものかもしれないけれど、とても美しい。

思えば、そんな事、僕らは最初から知っていた筈なんだ。

時間が過ぎて、僕の事は忘れてしまっても構わないけれど、僕が今ここに書いている言葉のいくつかをときどき思い出してくれるなら、それより嬉しいことはない。

追伸。今までありがとう

出来る事ならば、誰も憎まないで生きてください。

――瀬戸口廉也CARNIVAL


正しくないことは悪いことだったのか?

それでも正しさを追い求めたり、苦しむことは悪いことだったのか?

諦めたり、やっぱりあきらめきれないことが悪いことだったのか?

諦観し、悟りを開いたりすることが悪いことだったのか?


神とは、人智を超えた存在なのだという

善悪果実を植えておきながらも、そこから取って食べてはならないとも定める、矛盾したことにすら正しさを与える存在であったという

から最後は祈るしかない

どうか、本当の幸いを与えた給え

ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。

――宮沢賢治銀河鉄道の夜

anond:20230204124621

必要としてる人や作者自身の願望や信念に応じたり基づいたりしてそういう物語や描き方もちろんあっていいけどあんなに素敵だと思っていたドラマ大豆田とわ子を久しぶりに見たときのあれ……って感情に近い増田

都合よく思える部分とか構造結構近いと感じる

とわ子や夫たちの造形とか性格容姿関係性とか社会的立場とか諸々

社会不適合的な親友(違国日記の姪や他登場人物との関係性に近しい)の存在関係

音楽は今でも最高と思うけど

今見ると主人公たちを追い詰める側が大分舞台装置というか、主人公たち以外には誰も人生人格がないようにわざと扱いたいのかなという醜い描き方というか……

結局まるごと共感できる、自分は屈託なくこっち側なんだと素直に感じられて、自分もしかして醜いがために舞台に登場させられない側の人間かも、もしくは舞台装置のごとく描かれる側のように自分も誰かを傷つけているかも…とは間違っても思わずに受け止められる人のための物語なんだと思えば気が楽かもよ

次作?で警察ミステリものときに生きづらさの中心地にいるが同時に他者を傷つけてもいる人物を書いててそれはよかったけど、結局美しい世界事情の上での話だなとは思ったの増田読んで思い出した

昨日最終話だったクドカンの季節のない街で描かれてる世界の方が優しいと思うし自分の認められないきれいでないもの排除したい感覚やそうするとき同時に巻き込んでスポイルしているだろう人やものがあることすでにそれをしてることに自覚的でないといけないと思った

クドカンはそういうものを描いたんだと思ったけど本当に全話見てその感想?みたいなやつもいっぱい見たわ

排除されるべきと思われているものを愛して抱えているがかつ一方では街で他者排除を実行する自身も十分に異物(自身挫折経験からしまさんにとって立ち退きは排除というより心底自立の促しなのかもしれない)でありながら社会的成功しているしまさんの存在がその二分された価値観対立というか、現在ポリコレとそうでないとされるものの間での人間の揺れ動きを表現しているようでよかった

最後にワイフに助け出されるのも

リリコ最高だった

全話も最終話も見事だったな

全話を通じて、特にがんもどき後編の勝手ハモんないでよから明確にオカベが一番嫌いな人物になったのでかっちゃんそんなただ「かわいそうな女の子に恋して助けてる自分のこと」が大好きなだけの男でええんか?と思っていたか最終話本当にあれでよかったと思った

よくも悪くも自身が選んだことでない状況や環境に人は左右されるもので、かっちゃん場合は本当はあったけどないように扱われていたし自分でも諦めていた意思や才(あの美しいハモり!)があの街から去ることで表に出てきたのだからよかったし、オカベが跡地でしょんぼりしているのもむべなるかなという感じ

それ以前にも叔母がかつこに言ってもしょうがいか……って言うとこも好き

の子は暗愚だから…という考えがあったのだとしても、起こってしまたこと、しかも箕打が起こしたことでそちらを守らず被害を受けた側を悪く思ったり責めることを飲み込む描写、すごいと思う

街の女同士の連帯不器用に描かれており、起こった事象の表面のえぐみや醜さだけ見てあの編集者がはっきと言ったように

「こんな人たちいるわけないしw」と捨て去ることは、その内側にいる本当は連帯すべき弱い人に起こったことや事情感情生命すら無感情に、あるいは憎みながら捨て去ることなのだとあのラストではっきり思わされた

こういう描き方もあるんだよね

この辺を見たはずなのに「クドカンポリコレを憎んでいる」って結論になってた人、口当たりのよい気持ちのいいドラマに感化されるあまり対立構造に巻き込まれすぎていると思ったな

そんなこと増田みて考えた

2024-06-05

anond:20240605172504

お前は無能、つまり劣った生命死ぬべき(残さないようにすべき)と言っているだろ

優生思想のものと言って差し支えない

anond:20240605172212

どこが?

指摘できないなら無能

https://d.hatena.ne.jp/keyword/%E5%84%AA%E7%94%9F%E6%80%9D%E6%83%B3

優生思想

(読書)

【ゆうせいしそう】

概要

【eugenism】

優生学(eugenics)」を認める思想

ポジティブユージェニックス(positive eugenics):優れた生命だけを残していくべき

ネガティブユージェニックスnegative eugenics):劣った生命は残さないようにすべき

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