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はてなキーワード: 偶像とは

2021-01-26

偶数の偶 対になるもの

偶然の偶 たまたま

偶像の偶 人の形をしたもの

どうして同じ字なのに、まるで違う意味を持つのだろうか

2021-01-19

anond:20210119105901

本来は「アイドルうんこしない」から来てるのであって、それはアイドル本来意味が「偶像」だからTVに映るアイドルは本当にいるかどうかもわからない手の届かないところにいる存在という認識があったからだけど、今はもうガッキー実在する事も知ってるし表に出ていないだけでセックスしまくりたばこ吸いまくり酒飲みまくりだろうなという想像もたやすい。だからガッキーうんこする

2021-01-14

神は集団幻覚

実物を見たことがないのにみんな同じ神を見てる。

偶像宗教画は神の二次創作原作原理主義との衝突や解釈いか戦争になることがある。

誰もその神を信仰しなくなったときが神の死。

神が生き残るためには信者継続的に補充する必要がある。神を消滅させるなら信者を皆殺しにするか改宗させればいい。

2021-01-12

anond:20210111213658

その通りと思うが実際にならない理由戦後発展の共同体任務なく生活できる解放感の体感価値が高すぎと人身御供儀式の意義と必要性義が喪失しているので継続的に慣習を維持できないところかと。

前提として

金があればみんな黙るともあるがそんなのは当たり前で金がないか文句をいう始末。文句を言うだけならいいけど金がないのを理由感染を広めているのだから金がないなら感染させていいという感覚より金がないけど感染させたら死ぬからどうしたらいいの≒死んでということを暗に理解をするべきところ。

人間一人が生活できなくなることが問題から社会生活する10人なり100人なりに感染させてそれらに活動を停止させるリスクを背負わせる事のほうが倫理的でそれが社会共同体、助けあいってもんだろというのならそうだろうけど、感染を拡大させるようなやつをどうすべきかははっきりいってやってほしい。

病院の受け入れがどうのということにもなるだろうけどそれいさらいってもそういう金をもらえたら休むけどという人がさきに入り詰めてもうあふれてるわけなのだから第二陣以降は金がなくなって死ぬなら死ぬしかない。

全員に回らなかった金も人数が少なくなれば少しばかり出せるようにもなるかもしれない。

まずその団体への貢献が必要という思想海外宗教徹底からくるそれとは大きく異なるし、個別に分断されることがどれだけ個人にとっては楽しくメリットがあるかという甘い汁は依存性の高い麻薬のようなもの

しがらみや血縁ストレスからいったん解放されたものはもう団体に属すのは金をつくるためだけの疑似人格がやっていることで本当の自分仕事以外の時間にいるしむしろ死んだら自分支配する側(されるのはどれだけ嫌がっていたのか記憶していないのか)になりたいと言い出す始末。

個人が村から追い出すのはその行動の残酷性が楽しくしか団体責任批判を肩代わりしていくれるので、自分意見を言っただけといえるのでおそらく陰口私刑は多く行われる可能性は高い。

村の存亡をかけた使命感から悪役を買って出るなんていう人間はまずいないだろう。

そうすると観測から匿名で行動する者が増えるだけで、それらを逃れた潜在的問題は浮上するまで目につかないところでリスクを増大させることになる。

具体的に人物ないしは役職がそれらをくまなく取り上げ批判する団体行動が必要になる。

その批判側の団体ですら属することができない人間が単発で提示された情報に食いついて扇動した人間意図どおり攻撃する以外できない。

直線方向にしか飛ばない火をつけたら飛んでいく兵器と同じである。たしか有用ではある。だがお祭りのように直上に放って炸裂するのを見て楽しむ風流ものではない。

その使いどころの微妙な要素を具体的に結果を望む方向にあわせ必要タイミングを待ち効果的な配置で使う指導者やその命令が直接伝達されなかった場合独自判断で行動するための指針が必要になる。

団体形成した時点でルール定義はある程度理解をしているだろうしさせられることもある。それに従えばよいのだが局面としてその指示を得られず単独判断必要とする場面がくる。

それは個が団体の一員として行動をする瞬間そのものでもあるし、行動作戦中でもあるだろう。

確実に団体有益な結果を出すべく個人行動をするときに考えるのがリーダー名前であったり家族名前であったりすると、固定的に帰着する必要性の対価がある。

自分の命が、何と交換されるのかという式において、神に返す天皇万歳、残された家族コミュニティから手厚い補償があるはずだという信念、それらを抱くための偶像必要になる。

自分の大切なもの自分で考えろと、個に浸りきった考えでは至るだろうけれども自分で考えた主神に祈ってその効果が期待できるだろうか。

ぼくがかんがえたさいきょうのあんぱんまん、というメモを胸にそのさいきょうのあんぱんまんが家族を救ったりコミュニティを守ったりすることを妄想しながら自分死ねると覚悟ができるだろうか。

できる人間はいるだろうしそれはもうこの話の指摘に含まれるほど大多数ではないので、イケるなら個人で逝っておいてほしい。

天皇親鸞キリストやあこがれの先輩や王なり首相なり、その名前に少しでも威厳を感じたりそれらに自分は損害を払っても貢献したいと考えるそれが必要になる。

その自分ポリシーとしている事についてなにをすべきで何がすべきでないか自分人生形成しているそれともいえる対象のサブストーリーを考えれば自身の成すべき行動も必然的選択されるはず。

従っている上位存在についてそれらが怒らず喜び、受けつけ歓迎されて失望されず見放されない、すでに周知されているはずのそれらについて自分可能な行動が選択できるようになる。

短期的に前例のない突発事項へそれを行使するためには、単発的な神が必要。その神というのが人身御供、実際に最初目的のために死んだ人間をつくることでその意思を複製し行動することに意義を感じ忘れず方向性個別に同じ方向へ維持できるようになる。

かつて女児がそれを担っていたのは村で一番価値のある生命といえば生命を生み出すことができる女性であり若くてだれからも愛でられる人の子であればまさにそれである

その無念を晴らすという感情や、無駄にしない行動を慎重にとるという基礎行動ができる。


この団体行動のデメリット不快感現在手に入れている個の解放感に比べ非常に大きいのと、継続的意思を維持できない偶像の消耗具合がそれらを成功に導かないと想像される。

問題点を具体的にあげてダメだというだけであればただのネット論客()と同じなので、これらを現代差し替えられる提案を一つしたい。

個人が挙げる候補としての一つなので、人の数だけ提案はあるだろうしそのうち成功できる策もあるだろう。

一つは団体行動へのメリット復権である

個の魅力は無限である。部屋に閉じこもって生きてさえいれたらそれだけでいいという人間すらいる。絶望とはなにかを問う事すらできない。

永遠の命に魅力を感じるという人間はみなこの性質があるだろう。

生きていけないという条件に個を追いやると、全部の個がそれに当たってしまコミュニティの維持が出来なくなるのは必至。

生かしたまま、とそれだけで個のメリットを充分に満たすのでそれ以上のが必要なくなる。まさに生きる無駄となる。

オンラインゲームですらメリットしかないはずなのにコミュニケーション不和から天国で殺し合う結果になる人間

言語による意思伝達しかもたないのでそれに変換できる行動理解しか他人理解できないため齟齬がおきる。

ならばコミュニケーション団体が代行し個人は完全に個のままで行動できるように形成する。

国家国民管理方法オーバーライドして氏名や住所や身体のものという動員をもって行動をしたりするだろうそれを完全に匿名にする。

そして団体の行動は個で行いその集積は団体で行う。個人間のコミュニケーションは無し。メリットの変換は個人特定されないもの

現金などを団体から個人平等に。コミュニティの貢献が実質自分手取りになり上下や不平等貢献度の差など感知されないようにする。

個と個のリレーを行う仕組みをネットや端末で補うことで可能なはず。

構成員同士が顔を合わせる可能性をあらかじめ禁じた方向で維持をする。

手段分散しては即時完全に意味を無くすので唯一無二の連絡方法をもってその団体とするのであれば可能だと考える。これが団体行動への一案。


人身御供については実際に志村けん第一波でなったそれだと考えるが維持性能としてはそれを継続的に支える母体がなかったため消滅したと思われる。

志村けん財団ファンクラブなんてもの存在しそれがコロナによる死を無駄にしないという提言をしていれば、また志村けんをふたたび殺すなと行動ができるはず。

支持を継続できる人物、あまり深く知られていないが表面上愛されて価値があるそれ、アイドルなりを掲げればと思うが実際に人間がそうなる意義をもはや失っている現在効果は期待できない。

ならばアニメ漫画、Vtuberのようなもの人身御供にするのはどうだろうか。

あのアニメがもう10年前、15年前、20年前のものだったと世代差に驚くトゥギャッターときどき浮上するそれを掲げるのだ。

しかし実際に葬儀を行われたアニメキャラや数多くのキャンペーンに使われたものたちもなんら方向性を代弁したり団結する意思の基礎とはなっていない前例から難しいだろう。

では継続的伝承となっているキャラクタの特性を利用するのはどうだろうか。

平将門アーサー王ゼウスサタン定番とされているような名前以外なにもよくわかっていないのになにかしらの方向性を決定するのに大きな推進力となる現在存在していない人型のもの名前は多くある。

なぜ名前だけしか存在しないのにそれだけ利用されているのか、それは支持層があるから。実際にそれが存在しているという文章建築物、そこに人を集める方法があり公知されるしくみがある。

これらを象徴とすることで行動の指針とできるしそれを語るだけで人を説得することができる。モニュメントの意義とはこれだ。

ガンダム実在させたというアトラクションもあった。何かはわからないけれども炭治郎というのもなんとかの呼吸をしていた。

これらを維持継続させるオブジェ存在させるか、支持する団体存在させればその認知度がすなわち行動指針への再利用価値としての生贄になりえるのではないか

ガンダムや鬼滅、アイドルといえば何か、現在結果からみてそれらの共通点といえば「ごり押し」だろう。

ごり押しの失敗例としては剛力彩芽があるだろうけれどもあれは個人だったので好き嫌いが別れて分断することは当然であった。

ポスト和田アキ子みたいなもの企画側が創造できることを実証たかったのかもしれないが結果失敗に終わっている。

では団体にしてしまってどれがどの顔なのかもわからないような女子集団にすればどうか。これは成功している。

毎年もっともよい状態女子を人としての情報が出てこない間に使う。無料で配布することの威力はK-POPが示している。

無料配布で素材利用ができる一定量女子団体形成して順番にコロナ消滅させていけば、全員が息絶えるそれまでのドラマを行動に使えるのではないか

攻勢に予防をするためのキャンペーンキャラクタでもよいし、感染して死んでいくキャラクタでもそれは運営の手腕による。

それ以外の選択肢を無くして動員を図ると自然と動員は成される。他にないから行かないとならないのは実証済みである

収益について関係各位が綿密に分配を算段する必要があるだろうけれども、その収益活動金銭とそれをさら継続的に生み出す人の命も救うのだと思って計画が成されたらというのが一案。

いらすとやのようなフリー素材として使える期間限定アイドルグループ、コロナ私刑容認する村社会アイドルを全国デビューというわけだ。


これが現実的でない理由二次創作かさねていだく必要はない。実際に存在していないしこれから存在しないだろう。

存在していないものについてさまざまに論じていただく「だまされておどけた姿を晒してそれにより本題がいかに愚かしいか」という恥ずかしい踊りをしていただく必要はないのだ。

案があればそれを出してそれをもってこの案を否定していただいたらよい。

取り組むべきではないと考えるそれならば、口をつぐんでおくのが得策であろう。

ここに火をつけていただいて人身御供にしていただいたならば、それこそこちらは本望というもの

Vtuberを好きになった後好きじゃなくなった過去から考えてみた(追記済み)

前もって置くと、増田については詳しくない。ただ匿名で書けるからと言うだけで来たので、オタク的な話に縁遠かったら申し訳ない。

2年ほど前にVtuberにハマっていた時期がある。

元々ゲーム実況などの動画が好き、というのが大きいと思う。

ただ、割とすぐに見なくなった。

理由はなんとなくでしか無かったが、今更少し考えてみた。


VTuberというのは個人性とキャラクター性が両立しているわかりやすい例だ。

性格的なキャラ、というよりは偶像性というニュアンスだろうか?)

まあ普通アイドルなんかもそうだろうし、現実普通人間でも言えることではある。

私たちキャラクターに対して色々な想像をし、それをすりあわせる行為をする。

いわゆる解釈一致/違いという奴だ。これも普通人間でもある話。

これらの想像とは、広く捉えれば期待と呼ばれるものになる。

ただ、個人が演じている限りその期待が完全に満たされることは無い。

芸能人有名人がどれほど炎上してきただろうか。

(当然、ファンの誰もがその存在炎上して欲しくないと期待している)

そうした期待の裏切りは一方で裏切った側の失敗だと捉えられるが、違う見方もできる。

ファンとしている我々側が、過度/過小な期待をしているということだ。

個人性というものを知りながら、キャラクター性に先行し完全性を求めすぎていた(またはその逆)我々側のミスとも表現できる。

VTuberというのはこれがわかりやすい。

彼らの今のトレンド動画形態よりライブであるので、長時間二次元的な=作られたキャラとして演じることになる。

一方で個人性を要求するような場面も多くあるので、当然そうした解釈違い的なことも起こりやすくなる。

まだ新しい文化であるというのもそうした失敗を後押ししているだろう。

まあ要は、自分に限った話であるが、何かしら期待が裏切られたとき自分責任だと思ってしまうという話だ。

自分が期待する程度を読み間違えたからこそ、それがある種の重圧として機能していたのかもしれない、と。

正しく達成できるレベルの期待にとどめていれば、こちらも向こうも幸せなはずなのだから

(まあ先に挙げた炎上の一部は常識倫理に反しているものもあるので、例外はあるとだけ書いておく)

実際、「意外」という言葉が心底嫌いで、言いたくもないし聞きたくもない。

それは個人を正しく判断できなかったということを露呈した言葉であり、場合によっては失礼だ。…と考えてしまう。

まあ、自分が言われたら(期待されたキャラ遂行できなかった…)と考えてしまうわけだが。

で、多分こうした「自分が期待の程度を間違えたこと」をまざまざと見せつけられることに耐えきれなかったのが、

VTuberを見なくなったきっかけなんじゃないかと思っている。

思ったより長くなったし、書いていてよくまとまらなかった。文を書くというのはあまりやったことがないのでわからん

自虐的思考ってだけでは?とか色々思うが、正しい程度の期待を持つべきだ、とは思う。

ただ、それが人間にできたら困ることはないかも知れない。

追記

ありがたいことにいくつか反応をいただいたが、VTuber主題にしたためかやや誤解されたように感じたので少しだけ補足。

この増田の話は、ただ単にVTuber革新性でもある新たなバーチャルの形が個人性格上で合わないような気がした、というだけに過ぎない。

ここでいう「新たなバーチャルの形」とは本文にある個人性とキャラクター性の明確な両立を二次元空間アニメ文化圏で行った点だが、

こうしたアンビバレンスが未経験な身としては、視点の据え方に迷ってしまう。

個人性、キャラクター性のみの視点で見るとすれば、それは今までの動画投稿者と何ら変わりがなくなる。

なので両方の重心をもって視点とするはずだ。

ただ、その重心が不明瞭な位置にあるが故に新しいバーチャルは期待と現実のズレが増えてしまった。

いわゆる「杞憂民」が用語として確立するほどに多いことが、まさにこの新バーチャルの不可避の欠点証明する。

ただ、こんな欠点があるからVTuberダメだなんて言うわけではない。

そのズレを何事とも思わぬ大勢の中で、自分けが勝手自責に駆られているだけなのだ

2021-01-06

お母さん食堂とかマザーボードとかの話

前者の社会的偶像としての母と後者生物的分類の母をごっちゃにするのをやめるところからにしたい

そもそも後者人間じゃなくて生物一般母体という意味での例えだと思ってたんだけど

空母とか母艦とかも多産の生物の母を連想するし

2020-12-25

人狼onlineとは

 数あるネット人狼サーバーの一つである

 最大の特徴としてあげられるのは気軽にアクセスやすいという点だろう。アカウント登録パスワード設定などの必要が一切無く、名前だけ設定すれば入室できる。

 そしてこれが唯一の長所である垢BAN機能が備わっていない上、サーバー機能が貧弱であるため荒らし巣窟と化している。唯一の対抗策と言えば、部屋主権限で荒らしキックすることだけ。しかし、ipアドレス認識してキックしているため、ipさえ変えれば不死鳥の如くキックされても何度も復活できてしまう。また、plを認識するためにトリップ自動で設定されるのだが、これはcookie削除で何度でも変えられる。つまり、一度荒らしトリップを覚えられても全くの別人になりすますことが出来るのである。その結果、onlineは無法地帯と化し、一度完走するだけでもめでたいと言われることが多い。

 更に問題なのは荒らしでないplの民度が低いことである。そのため、「荒らしの方がまとも」などとよく言われるのだが、その表現あながち間違いではないのが悲しいところだ。onlineのplは日本語通じてるのか怪しかったり、会話のキャッチボールができない者が非常に多く、人として問題を抱えてる。彼らがまっとうな社会生活を送れるのか怪しいところである。そこでonline民達の特徴を挙げてみよう。

・弱い

 まずとにかく弱い。基本的な進行、セオリーすらろくに把握できてないplばかりである2016年頃は一部強力なplも居たのだが、onlineの民度に耐えかねたのか引退してしまった。弱いだけなら成長の余地もある。そもそも誰もが最初初心者なのだからこれ自体問題ないだろう。しかし、後述の特徴のせいで彼らはいつまでたっても弱いままなのである

・イキる

 とにかくイキリが多い。強くてイキるならまだしも彼らは弱いくせにイキるのだからなんとも滑稽である

・すぐ荒らし認定する

 彼らは会話のキャッチボールができない。岩間好一と同等かそれより少しマシといったレベルである。そんな彼らは自分に都合の悪いplをすぐ荒らし認定することによって、一方的自分正当性を主張するのだ。

・身内ノリが多い

 身内村ならば身内ノリがあっても何の問題は無い。しかし、彼らは野良村でも身内ノリを連呼するのだ。その様子はまるでブサイクなのに人前でいちゃつくバカップル若しくは教室内で大声で唾を飛ばしながら二次元のノリで話すキモオタである。彼らにはマナーという概念存在しないのだろう。

・人の話を聞けない

 繰り返しになるが、彼らは会話のキャッチボールができない。比較的まともなplから適切なアドバイスをもらったり、訂正した方がいいポイントなどを指摘されても一切聞く耳を持たない感想戦でも他人意見を聞くそぶりすら見せない。現実世界でもそんな風なのだろうか。だとしたら周囲の人間に相当嫌われているはずだ。それとも現実では人との関わりが無いから最低限のコミュニケーションすらとれなくても問題ないのだろうか。

プライドが高い

 プライドが高いこと自体は何の問題も無いだろう。しかし、無能プライドの高い連中ほど厄介な者はいないということは皆さんもよくご存知であろう。前述の話の聞けなさと相まって、自省が一切出来ないというonlineの気持ち悪い特徴を作り上げている。彼らは自分に誤りがあるかもしれないなどと考えることは一切無く、無惨様の如く常に自分が全て正しいと思いながら行動している。

信者が多い

 現実世界コミュ症な彼らは身内同士でのなれ合いに勤しんでいる。それが高じてやがて特定のplを偶像の如くあがめ奉るのである。崇拝されるplも皆キチガイばかりであるしかし、そんなキチガイと常にネットで触れあう事を望み、その全てを肯定する。その偶像に少しでも楯突こうものならたちまり煽ったり、罵ったりと激しい攻撃を食らわせる。たで食う虫も好き好きとはいうが彼らは糞に群がるハエである

かまってちゃん

 onlineの連中はメンヘラである。 しょっちゅう引退詐欺を繰り返して他のplを引こうとする。無論、周囲の連中はそれを必死で慰め、心の中で「○○ちゃんにかまってあげる私優しい~」等と自分に酔っているのである

偽善者

 onlineにはステ、利敵などのマナー違反ルール違反に走る者が多い。無論、周囲に迷惑をかけたのだから非難されるのは当然だ。しかし、onlineでは事情が違う。迷惑者を非難すると何と非難した側が他のplに叩かれ、挙げ句の果てに荒らし認定されるのである。「初心者なんだから可哀想だよ」等と意味不明理屈でリア狂を庇い出す。その様子は迷惑行為に及ぶ知的障害者凶悪犯罪に走る不良少年を謎の理屈で庇い、被害者ことなど見向きもしない怪しい人権団体彷彿とさせる。彼らは「初心者に優しい私最高~」と自己満に浸っているに違いない

2020-12-06

anond:20200714073201

そうだね。偶像崇拝に近いところで、崩れた偶像を保ち続ける義理はねーよってことだな。

2020-11-30

anond:20201130082203

これは正鵠を射てるよ。要はいろいろな兼ね合いのある人物偶像化するなと言う話だろ、どんな人物でも良い点悪い点あるのに、二次キャラ化(偶像化)すると悪い点が全部消えてネタとして消化されるため正当な評価が消える。現代関係ない歴史人物ならまだ許せるが、これを現代人に適用すると意図せず政治的プロパガンダに加担することになる。

2020-11-17

anond:20201116111148

ドルオタ声優ヲタもそうだけど、人を偶像として消費する趣味って精神衛生上まり良くないよね

本当にほどほどの距離を保てて割り切れる度量が無い限りは

2020-10-22

ポリコレ時代、なぜイスラム教侮辱することだけは許されるのか

イスラム教って偶像崇拝禁止じゃん?風刺から崇拝じゃないにせよ、偶像化するのはご法度なことに変わりはない。

LGBTみたいな究極の「お気持ち」に寄り添うこの時代に、なぜ宗教おちょくることだけは許されるんだろ。だってLGBTQの風刺画とか書いたら大大バッシングされるし、コーンロウという黒人発祥髪型異人種がやることですら許されないのに、異教徒の心の拠り所をおちょくるのはOKなのは不思議

とても不可解な気持ち

2020-10-03

anond:20201003184226

おのれの推せる声優など偶像がおのれの好みならぬ相手結婚せば

掲示板にボロカスに叩く好き者のクズのごとき感想に草生え散らかせり。

2020-09-18

なぜ売れてるのか分からないイラストレーターについて

DIESELの件で炎上しているので、前から気になっていた人について書く。

なんでこの方の絵がもてはやされてるのか分からない。

めちゃくちゃ上手いとか個性があるわけでなく、普通アニメーター志望か漫画家志望みたいな絵(漫画家志望らしい)

Twitter

アパレル業界にいてJUN INAGAWA知らんやついたんか…」

アパレル関係なのにJun Inagawa知らないとかないだろ、有名人とか着てるのに」

みたいなツイートをいくつか見かけたけど、

知ってたら何?(その知ってる知らないで競う感じがまずダサい有名人が着てるから何だよ…)

どうしてこの人がAdidasやらDIESELやらとコラボしたりしてるの?

もう絵の上手さとか魅力じゃないよね?単なるネームバリューだよね。

父親日産の車のデザイナーらしいけどそれはそんなにコネとして有効なのか。

それともサンディエゴに住んでいたからなのか。

本人の人間的な魅力があるのか。

正直くやしい。

もっと上手くて魅力がある人達が地道に頑張ってる絵の世界で、

なんかこういう表現としても下品(他の作品も見たけど非常に十代っぽい。グロとかエロに逃げがち)

な物を大きい範囲で取り扱う企業ダサい

ようわからんけど今若者には人気らしいですよ〜って思ってんのか、単純に他の絵を知らないからいいと思うのか。

あいう絵はあんな大々的に使われるレベルでも表現でもない。

小さい世界で細々とやってればいい。

ファッション業界、誰とは言わないけどこういうイラストレーター他にもいる。

みんなで御輿担いで実際の絵の価値以上の、中身からっぽな大きな偶像みたいなものを作り上げて…

とここまで書いて気づいた、あれはアイドルイラストレーターなのか。

歌手アーティストとしての様な絵描きではなく、アイドル絵描き

アイドルが絵を描いてるんだと思ったら落ち着いてきた。

まあでもそうなれるのも才能だからな、あーうらやましい。

2020-09-17

アイドルマスダー」14周年、0円市場で躍る俺とお前

そうは言うがな、マスダーにアイドルなど居ない。

我々はアイドル«偶像»になりえない。イドラ«幻影»にすぎぬからだ。

それも、オッド・シェイプ。奇なるはみ出し者たちの影だ。

それをいくら集めても、リアルに結像するには足りぬ。

そもそもこの白と青に支配された天には、光源が存在しない。

闇よあれ。そう望んだのは、俺か、お前か。

2020-09-14

anond:20200913020110

ライバーは「見栄を張る」が最優先事項だから

実況者はいかに情けなくアホな姿を見せてウケを狙うかを最初から意識してる気がする

いわゆる芸人ノリが主流というか

開発者でも気付かないような知識普通やろうと思わないテクニックを惜しみなく教えるような配信をする専門家枠もあるっちゃあるが、そんな人でも馬鹿にできる部分やキモイ発言意図的に挟んでくるように思う。

けどライバーってもう三次元で見た目で芸能人になれなかった凡人が

二次元美少女(等)」の姿を借りるという、もう入りからして見栄重視な世界がまずあって

アイドルを直訳すれば偶像だけれども、まさに非現実的存在を追求してるコンテンツ

から情けない姿、滑った場面は基本的に「なければないほどいいもの」という土壌がある。

ときっっしょwwwという反応が欲しくてなんかすることって基本的にないなと見てて思うんだよな。

差して笑われるのは求めてないというか

「下手だとしても一生懸命やってて応援したくなる」「アイドル”なのに”喜怒哀楽や露悪するのが好感持てる」みたいな

健気とか純粋とか結局そういうキラキラしたところにもっていくでしょ

なんなら、泣いたり悔しがる顔だってれいに作られたCG+補正バリバリの(もしくは声優として通じる人間の)声なわけで

ガワを偽るコンテンツに手を出す人間の「取り繕いたい願望」がそこに厳然としてあるし

その本人を愛しく思うほど、願望が叶わない瞬間に一緒にストレスを感じるんじゃないんですかね

2020-09-01

anond:20200901114501

そもそもオタクからしたら現実の女なんて怖くて近づけないだろ(アイドルなどは現実の女にカウントされません、文字通り偶像なので)

2020-08-30

嫌なら見るな」がやたら強力になってるの、歪だと思うわ

Twitterでもはてなでも掲示板でも、コンテンツへの不満を語ったやつが「嫌なら見るな」「not for you」でボコボコにされるのをすげーよく見るようになったけど、作者と鑑賞者の関係として歪んでると思うわ。

そりゃね、こじらせアンチになって叩くためにそのコンテンツ粘着してるやつは、他の趣味の方がいいぜ、下手すると犯罪になるぜって感じだけどさ。

追い続ける程度に好意は持ち続けてる人間であっても、この売り方は不快だとか、新展開に納得できないだとかの不満を持つことは当然あるわけじゃん。

ジョジョの二部四部七部が好きだが三部八部は面白くないだとか、龍が如く極の演出ストーリーはいいけど戦闘だるいだとか、1st2ndアルバム名盤で3で落ちたが4で盛り返したと思ったら新しく出た5枚目はがっかりだとか、Switchで遊ぶのは面白いがコントローラーの誤動作マジで何とかしろとか、ランダム特典商法エグすぎとか、Twitter面白い奴もいるがクソうざい奴もいるとか、あるだろ。

でもその不満が語ったやつが「じゃあ見るな」「not for youだっただけ」「黙って去れ」みたいに言われまくるようになってるのは、労力をかけてコンテンツを作った側と、金と時間を払ってそれを買った側の関係として、だいぶ不健全だろ。

不満や批判に対して、腰据えて再批判するならいいよ。「お前の批判内容は間違ってる」は健全だよ。

でも昨今は、「批判という行為をすべきでない。ファンなら全部褒めるべき、文句は口に出すべきでないしそれができないなら消えろ。全肯定ファン以外はファンにあるべからず」って風に切り分けたがる感覚が広まってるように感じる。切り分けが言いすぎなら住み分けでもいいけどさ。

批判なき政治を目指した今井絵理子かよ。

なんか、それを鑑賞する者たちの空間ではほめることしかさないのって、コンテンツ制作者もしくはコンテンツ自体偶像・崇拝対象として扱うのが常識になりつつあるみたいで、居心地よすぎて居心地悪い。

2020-08-29

キショ遺書

私は私のファン第1号だ。

たとえ活動が無くてもどこかでまた輝く私を夢見て、私が幸せになることを毎日祈り続けている。

自分で歌っては「なんて綺麗な歌声なんだ」と思い、自分の書いた文章を読んでは「こんな文章は私以外の誰にも書けやしない」と感嘆して、可愛く着飾った自分の姿を鏡で見て「こんなの映画主人公じゃないか」と息を飲む。

自分というアイドル偶像崇拝をすることで自分のあぜ道を照らし続けてきた。

壊れかけの懐中電灯のような頼りない光は私に三叉路の間違った道を勧める。

迷っているのはとうの昔に気づいているけど「もうこんな所まで歩いてきてしまった」と見栄を張って気づかないフリして自分が正しいと疑わずずんずんと進み続けた先には何も無かったのだ。

いつか見えない手が私に救いを差し伸べて私はただその時が来たらその手に縋ればいいと機会を待ち続けていた。

本当にしょうもない人生だった。ずっと夢ばかり見てきたと思う。

歩き続けてれば勝手に上手くいくほうに導かれるだろうと思ってたけど本当に何も無かった。真っ暗闇に意識けがふよふよと漂っているのだ。

偶像は振り向かない。微笑んで手を振ってはくれるけどあくまファンサービスだということを忘れてはいけない。夢を見せてくれるけど夢に見せられてはいけない。応援し続けていればいつか見返りがあるだろうと期待することは甚だおかしい。

私は私の人生自分の足で歩まなければいけない。叶える気もない夢は幻想しかなく幻想に囚われていたと気づいた時には見惚れていた夢が煤になり自分容赦なく降りかかるのだ。自分のことを灰被りの少女だと思っていたけどそれこそ私が作り出した幻想に見せられていたのだ。

毎年8月を思い出せない。毎日家の天井ばかり見つめている。

誕生日が来る度に「来年もっと多くの人に祝ってもらえるように頑張ろう」と心に誓うようになってから4年は経った。今年は家族に祝ってもらえたので2人増えたと言っていいんだろうか。

そんなのでもいつか絶対にこの日々が光を帯びて眩い思い出として何度も振り返られる時が来ると思う。

この先の人生で得るはずだった休暇を全てこの瞬間に閉じ込めて消費しているんじゃなかったら何なんだとすら思うほどに自由に生きている。

何にもない私にも自由だけは有り余るほどある。

私は私のファンだけどプロデューサーなんてついていない。「こういう私が見てみたい」「きっと私ならこれができるはず」と思ってもこれまで私一人だけで叶えられなかったことも多かった。

さっき見た映画の余韻に浸っていたらもう既に2時間が経っていた。こうやって限りある人生というのは私の意図に反して終わっていくのだろう。

私は私を幸せにしたい。これは自分という名の偶像と決別するための1200文字遺書。よってこれを最後ファンレターとして筆を折ろう。キショ。

2020-08-23

諸口正巳氏の引退から見る、反応をもらう方法について2

先日「諸口正巳氏の引退から見る、反応をもらう方法について anond:20200821174521」という投稿を書いたのだが、

さらに続けて書きたいことが出来たので続きを書こうと思う。

何故氏は今更バズったのか

https://twitter.com/m_molockchi/status/1296416784552267778

氏の引退ツイートは1万を超えるいいねRTがついた。

インプレッション数は本人にしか見えないが、きっとすごい事になってるだろう。

氏の最近過去ツイートを見ても、せいぜい2桁いいねあるかないか程度で、これは氏にとって異例かつ最大のバズりだったことも分かる。

FANBOXのコメント欄も凄まじい数が付いている。

https://twitter.com/m_molockchi/status/1296708467420311552

今更。そう言いたくもなるだろう。

そして「今更湧いてるんじゃねーよ、お前らが今まで反応しなかったからだろうが」と怒る人もいるだろう。

だが自分からしてみれば、すべてこれは、ただ当たり前のできことが当たり前に動作したようにしか見えない。

A.評価軸が違うから

前の増田でも述べたとおりだが、氏のTwitterアカウントは一人の作家のものとして見るには見ごたえのないものだ。

本来発信をする側の人間ツイート意識して構築する必要がある。ところが氏は何も意識してないSNSを作ってしまった。

結果として完成してしまったのは、

著作だけに興味がある人間からしたらかなりどうでもいい状態」と「感想も送りづらい、フレンドリーさを感じない環境」だ。


作品好きな人と、SNS面白い人は違う人だ。全く違う評価軸だ。

例えば、やしろあずき氏や岸田メル氏を作品価値観点ではなく、インターネットおもしろおじさんとしてフォローしてる人も少なくない事だろう。

逆に著作面白いからと言ってSNSを必ずフォローしているわけではないはずだ。

著作の最新情報は、連載先の雑誌サイト出版社新刊情報の方を見ればいいから、必ずフォローする必要性もないし、

しろイメージが壊れるから」という理由で敢えて遠ざかる人すらいる。

技術けがある人は感想をもらえない

しかしながら、氏の著作を読んだことがある人や好きだと思っていた人は大勢存在した。

からショックを受けたという人が今初めて、大勢登場したのだ。

著作が好き=最新情報を追いかける ではないから。

著作が好き=SNSフォローする ではないから。

著作が好き=全部読む ではないから。

著作が好き=感想を送る ではないから。

でも氏が要求していたのは、最新情報を追いか感想をくれる熱心な読者だった。

「最新情報を追いかける人間」を増やすには、SNS面白く、見る価値があり、見なければ損であり、前回の増田言葉を使えば「偶像」にされたものである必要があった。

感想をくれる人間」を増やすには、それが発生しやす環境を整備する必要があった。

氏はどちらもしていなかった。

相手人間だ。

優れたものを世に出したら、自動的感想を返してくれるbotではない。

優れた作品提供する技術力と、人を惹きつける能力は違う。

前者だけあって、後者が全くない人には、作品は優れているのに感想はもらえないというこういう悲劇がしばしばおこる。

思い当たりのある人はどうか、後者の事と、偶像の事を思い出してもらいたい。

2020-08-21

諸口正巳氏の引退から見る、反応をもらう方法について

まずはこちらをご覧頂きたい。

https://twitter.com/m_molockchi/status/1296416784552267778

諸口正巳さんという小説家が筆を置かれるらしい。

要約すると思ったような反応がもらえなくて気に病み、徐々に小説が楽しくなくなり、筆を置くと。

正直に言うとたまたまこ引退宣言が目に留まっただけで、増田はこの方の事を詳しく知らない。

だが、この方が反応をもらえなかった理由はすぐに分かった。

偶像になれなかった

これに尽きる。

大勢の人からちやほやされるには、それが偶像である必要がある。

夢とか幻想などと言い換えても構わないが、人はどうしても、自分の都合のいい存在に惹かれる。

もっと正確には、自分に対して不都合でない存在、か。

いくつか例え話をしよう。

・好きなアイドルがいた。「彼氏卒業するまで絶対に作りません!」というプロ意識の高さに惹かれて応援していた。しかしある時彼氏ホテルの前にいる写真週刊誌に撮られてしまった。あのプロ意識の高さが虚言だと気付きファンを辞めた。

・Aシリーズ動画面白くて、そのYoutuberチャンネル登録した。しかしそのYoutuberはAシリーズ動画をある時から投稿しなくなり、Bシリーズ動画ばかりを投稿するようになった。しまいには「Aシリーズ動画は反応悪いからいいかなww」とTwitterで呟いた。それを見てチャンネル登録を外した。

シリーズものゲームの待望の最新作が発売された。過去作の大ファンだったので早速発売日に購入した。しかプレイしてみると、大好きな過去作のキャラdisられておりショックを受けた。こんなことであれば新作をプレイしなければよかった。

人が離れる時、そこには「自分が抱いた都合のいい幻想破壊」が存在する。

であれば、自分という偶像コンテンツを維持するために、都合のいい幻想を見せ続けなければならない。

しかしながらざっとTwitterを見ただけでも、氏に自分という偶像を維持する姿勢は感じられなかったのだ。

一般人と変わりないSNS運用

著作を読んで楽しむことと、SNSを含めた最新の投稿リアルタイムで追い続ける事は違う。

例え本が好きでも、好きな漫画小説作家を全員フォローし、全員の最新の投稿をしっかり追っている人は多分そんなにいないからだ。

自由偶像を天秤にかけて

自分SNSアカウントで好きなこと呟いちゃいけないのかよ!」

という反論が必ずある。

呟いちゃいけないわけではない。

ただ、なにも包み隠さず好き勝手に呟こうとすると、絶対に「偶像」は仕上がらない。

芸能人日常ぼやきではなく、見栄え重視のまとまったツイートをすることが多いのはこの為だ。

等身大の一人の人間であるか。

管理されて作られた偶像であるか。

選択するのは自由だ。

でも、一人の人間コンテンツとして追う人はあまりいない。

氏のTwitter偶像ではなく、一人の人間だった。だからSNSをしつこく追うのはきっと相当熱心なファンだけ。

そしてツイート幻想破壊された人間から脱落していく。

人間勝手だ。

でもどうしてもそういう風にできている。

反応をするのは人間だ。

2020-08-15

匿名掲示板には侮蔑を向けるべき明確な他者存在しない。本来曖昧な「侮蔑すべき相手」を具象化する行為である

悪の偶像を作り上げ、破壊する行為を繰り返している

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