はてなキーワード: 偶像とは
ファンでもなんでもない奴らがアイドルも人間なんだとか結婚祝福しろとかうるさすぎる。あいつら何もわかってない。あいつらのタイムラインってオタクのお気持ち表示されない仕様なのかな。それともオタクは全員リアコだと思ってんのかな。
リアコでも何でもないオタクのお気持ちだけど結婚なりスキャンダルなり出たら即降りるわ。てかアイドル名乗るのやめてほしい。スキャンダル一切出さずに芸能界引退したりアイドルやり遂げた人だっているじゃん。プロ意識が違うんだろうな。かといって女優俳優名乗って一丁前ですみたいな顔してんのも勘弁して欲しいけど。結婚したらアイドルじゃなくてただの既婚パフォーマーじゃん。そう名乗ってください。いつまでもアイドルって名前にしがみついて偶像ぶるのをやめてくれ。あなたは元アイドル、こっちも元ファンもしくは元オタクだよ。アイドルとしてキラキラ輝いてる偶像だから無我夢中でオタクしてほぼ全肯定してるけど、いざ推しがキラキラフィルターの無い人間になっても歌・ダンス・トーク全てのスキルにおいて芸能界で唯一無二の魅力を発揮できる人材なのかって言われると自信ないし、そんな人ほとんどいないじゃん。結婚とかスキャンダルってそういうもんだよ。夢とか偶像とかいう高次元にあるようなものを一気に現実のものにすんの。フィルター全部剥がして目を覚まさせる力があるんだわ。少なくとも自分にとっては。
ファンでもなんでもないやつが人権が〜とか言うな。スキャンダルに付随する誹謗中傷を批判するのはわかるけど、「偶像」を仕事にして飯食ってんだからバレないようにやってくれって思ってんの。既婚者アイドルとかいう矛盾した言葉この世から消え去ればいいのに。こんなことつらつら書いててもどうしようもないんだろうな。
いや、おもろい。
増田書いてみたら、本当に「ブコメ」というのをつけてくれる人がいた。しかもその内容がなかなか興味深い。このような場で引用するのがマナー違反なのかどうか、増田への知見が浅くていまいちわからないのだが(マナー違反だったらごめんなさい)、以下のようなものだった。
「32歳腐女子(独身、彼氏いたこと無し)にセフレがいるとか設定崩壊もいいとこ」
少々説明を要すると思う。これは「32歳腐女子のヒャッハーな毎日」https://anond.hatelabo.jp/20200717060926 という増田につけてもらったブコメだ。私が書いた。
ただ単に、私に彼氏がいたことがなく、というのは少し嘘かもしれないので追記すると、19歳の時3ヶ月間だけお付き合いというものをした。手を繋ぐまでしかしなかったのでノーカンでいいかなと思って、彼氏がいたことない、と、聞かれたら言っている。ので、厳密にはこれは嘘だが、まあおおらかに考えてもらえれば「それはちょっと彼氏がいたとは言えねーな」という感覚でいてもいいと思う。
という些事もあるのだが、やはり私には彼氏がいたことがなく、独身で、かつセフレ(と言っていいと思う)がいたことがあり、現在も微妙なところだがたぶんいる。セフレがいるかいないかというのはいつも「微妙なところ」だと思う、お付き合いみたいに初めと終わりの言葉があるわけではないから。
そろそろ処女を卒業して一年半になるが、たぶん7〜8人の男性とセックスしたと思う。いや待って、ちゃんと思い出す。ゲーム会社プロデューサー、救命科医師、バー店主、ソフトバンクの人、職業はわからないがめちゃくちゃ忙しい人、元空手家リーマン、経営者、たぶんそのくらいなので、たぶん7人。
私は32歳だが、相手の年齢は26〜38歳で、うむ、世の中には色々な人間がいるんだなあと感じた。一人一人とのエピソードも足すともっと長くなるので、結構面白い気がするけど割愛する。
「設定崩壊もいいとこ」という文章から、ブコメ主はおそらく私の増田をフィクションだと思ったのだろう。私は私の日常がそんなふうに誰かに捉えられることが驚愕で新鮮で感激であった。まじか。私にとっては当たり前のこの目の前の現実が、誰かにとっては下手なフィクションに見えるなんて。
なんというか気付き。めちゃ気付き。ハッとしてグッときた。セックス3回分の内訳も書いたのに、ブコメ主さん、フィクションだと断じている。やばくないか。自分にセフレがいる設定で、かつ3回分のセックスの内容まで想像して、あの長文増田を書きつける32歳腐女子(という偶像?)。が、いるとしたら、相当やばくないか?と思ってにやにやしてしまった。すみません。
今回、いや前回増田を書いてみたのは、単純に32歳腐女子の方の増田をTwitterから知って、「これ自分もあるやんな!!」と大いにピュアで人柄の良さそうな増田に共感するところ多々だったので、そして30歳腐女子の方の増田も目にしたので(こちらはあまり好きになれずよく読めなかった)、なんとなく世の中の「32歳腐女子」的な方たちに向けて、「俺もいるよ!」と声を上げたい、みたいなお祭り的な気持ちだった。
それにコメントをもらったり、ブコメをつけてもらったりし、自分て客観的にこんなふうに見えるのか、と面白かった次第である。
普段の私を知っている人は私がもう「そういう人間」だと分かっているので、いちいち変だよとは言われないが、たしかにお客様にこの話をしても「そういう営業トークはいいよ」と信じてもらえない時がある(一緒についている先輩が「いやこれ本当なんですよ」と援護してくれる)。対面でも容易には信じてもらえない話なので、たしかに増田なら到底信じられない「設定崩壊」かもしれない。
最近おけけパワー中島とかって話題が流行ってて、承認欲求が満たされないオタクの悲しい叫びが良く見られた。
逆に神が必要以上にヨイショされすぎて悩んでいる増田も見かけた。
でも少ない技量で存在を神に近づける事はできるので、その方法を今から教える。
そのためには、まずSNSで以下のようにふるまう。
「他の作品、カップリング界隈なら他のカップリング についてなるべく触れない。」
「極力日常ツイートも減らす。生身の人間ではなく、偶像であるというように見せかける。」
「フォロワーに分け隔てなく接する。」
「すかさず落ち込んでいる人間が居たら慰め、作品を発表した人間がいたら褒める。」
「綺麗な事しかいわない。」
そうだね、それこそ神の持つ苦悩そのものだ。
ただ逆に言えばそれさえ守れば、ある程度神になれるんだよ。
何かを作るのが下手でも、ひたすら感想を言い続けたり、オフ会の主催をしたりすればいい。
すると勝手に持ち上げられて界隈を掌握できるよ。
神になれないとか、神に近づけなくて困ってる人、こういう風にちゃんとセルフプロデュースしてる?してないでしょ。
あ、神として持ち上げられて困ってる人は逆にいきなり「安倍死ね」みたいなこと言ったらいいよ。
是非お試しあれ。
彼(彼女)に対するたくさんの憎愛や嫉妬のような感情をここ数日見かけるようになったけれどとんでもない話だ
元になった漫画でおパ島についてわかることは
「綾城さん(神)と会話をしている」
だけ、それ以上もそれ以下もない
・おパ島がすべての作品を読んでいない だとか
・感想が「笑った」だけのお前に作品の良さがわかるのか だとかいうのは完全に七瀬の思い込みでしかないし
他ジャンルへの移行もヲタクの世界では日常茶飯事。神が決めた(ハマった)ものである以上遅かれ早かれそうなる運命にあったのかもしれない
私のように創作も何もしていない人間から言わせれば神と使徒が会話をしているようなものであり怨嗟を吐くなんて勘違いも甚だしい
そこから自身の創作に熱を向けた七瀬・友川は素晴らしい、神へのマシュマロも配慮に満ちている
この二人のような人間こそフィクションなのかもしれないと思うほどだがツイッターでは自身にとってのおパ島に対する怨嗟で満ちている
怨嗟を毒マロやDMでぶつける前に己の行いを顧みてもらいたいものだ
・作品が認知されている七瀬でも神に近づくにはイベントで直接顔を合わせるという行動なしにありえなかった
・友川もラストから察するにこれから神に認知されるのだろうがそれもひたすら書き続け、神に感想を送り、おパ島のアシストがあってはじめてなしえた
それだけの事をしているのか?仮にしていたとしても匿名で毒をぶつけるような人間が「いいと思った物を素直に神に紹介するおパ島」よりも人間的に優れているとでもいうのか?
おパ島はきっと広まるのだろう自分が正しい努力をしているかも考えない、他人の行いを正しく評価することもできない人たちの手によって
元々、オタクだった。
ガラケーの時代は個人サイトを巡り、日々サイト主様に感謝をする毎日を送っていた。
言葉を綴ることも、語彙もない。ましてや一オタクの感想など……と卑屈に思っていたこともあり、感想は送れないけれど、拍手を送る日々だった。
元々他者と関わることが苦手、コミュ障であることからROM専でいることは心地良かった。
そんな毎日の中でとても大好きなサイト主様がある日突然消えてしまった。その頃はまだ成人していなかった自分には、社会人であるサイト主様の私生活が忙しくなってしまったのだ、と勝手に解釈をすることにした。
寂しい、という気持ちとどうして感想を一度でも送らなかったのだろうと後悔をしたのは恐らくその時が初めてだったと思う。
だが、新しいジャンルに出逢い、そして場所もTwitterへと移り変わり、考え方や生み出す作品が好きな人が出来てその気持ちは少しずつ薄れていった。その方が生み出す作品にファボを飛ばすのに精一杯であったものの、それでも楽しく日々を過ごさせてもらっていた。
そんなある日、また転機が訪れる。
そのツイ主様が心を痛めて、所謂病みツイートをされたのを見かけ、辛抱堪らず初リプを送ってみた。言葉は拙く、けれど誤解を与えないような言い回しを必死に調べて、たった数行を何度も読み直し、何十分も掛けた後に送った。
返って来た返事は要約すると『ありがとうございます』と言うものではあったが、心は何処か晴々としていた。それが自己満足、とはわかっていても返事が来たのが嬉しかった。
だがそのお方もやがて消えてしまい、途方に暮れる日々が始まってしまったのだが其処は割愛させていただく。
月日は流れて、私も社会人となりストレスばかりの社会の波に揉まれる中で何故か声優さんにハマった。楽しそうに仲間と話す声や日常の話、好きな食べ物や嫌いな物の話、どれでも聞いたり、見ているだけで楽しく、
『凄いな』『自分も頑張ろう』
など、元気を貰い、なんとか仕事も頑張れていた。
その頃からイベントにも足を運ぶようになり、稼いだ給料を元に其処でストレスを発散する術を覚えた。
そんな時だった。
行ったライブイベントで、初めて触れるジャンルに落ちたのは。元々そのコンテンツ自体は好きな声優さんも出演されていたので、知っていたがいまいち足を踏み入れられずにいた。
しかも、目的とする声優さんがいるユニットではない別のユニットに落ちてしまった。
それからと言うもの、そのジャンルを漁り、Twitterのアカウントも取得し直し、元気にROM専になっていた。
だが、そのジャンルに対する熱は熱く、誰かと話したくて仕方がなかった。しかし、創作をしない人間が絵師さんや文字書きさんに話しかけるなど敷居が高い、かつ恐れ多いと思っていたため、何を思ったのか私は自分で創作を初めてしまった。
初めてフォロワーになってくれた方々は、
と、言ってくれたが少しでも報いたいなどと思ってしまった私は創作活動に精を出した。
反応を貰えるのが楽しく、日々増えるフォロワーさんの数に嬉しくなる日々を送っていた私にちょっとした事件が襲い掛かる。
卑怯にも無関係を装いたかったが、そうはいかず。矢面には立たなくともちょっとその揉め事に名前を出されたりしたが、何とかやり過ごした。
私は初めてフォロワーになってくれた人側にいたのだが、その前後からそのフォロワー(Aとする)と何やら摩擦が生じるようになったきた。
地方住みであり、イベントには来れないがそのジャンルも声優さんも好きであり、話すのは楽しかった。
だが、事あるごとに、
『25過ぎてイベントに行くのは痛い』
『年齢を考えた方が良い』
と、言う指摘を受けることが増えた。更にAは私が創作したものに対しても好みではない、と言ってみたり、
『別の人は天才だ』
などと言うようになった。
貰えるだけ良い、と初めは割り切っていたが、あまりにもそう言うことが増えた。
なので、心の平穏なためにもAとは距離を置こうと決め、少しずつ離れて行くことにした。
そんな時に舞台にハマった。
まさか、とは思ったが若手俳優に、2.5次元に……?と自分で驚いた。
勿論、それを知ったAからは非難を受けた。ハマった俳優さんに対しても心無いことを言われて、限界だった。
そして私はAをブロ解したのだが、その後も非難轟々。だが、こうでもしないと自分の精神がおかしくなりそうなほどだった。
あれだけ好きだったキャラや声優さん、そしてジャンル自体も嫌いになりそうなほど追い詰められていた。それが自分勝手な理由だとしても、もう耐えられなかった。
それからしばらくは悶々とした日々を過ごしていたが、推し声優さん・推し俳優さんのイベントや舞台に参加するうちに頑張ろう、まだ好きでいたい、と言う気持ちを固めて改めて創作に打ち込んだ。
感想が欲しい、反応が欲しい。
いけない、とは思いながらも欲張りで身の丈に合わない思いを待つようになったのも、恐らくはAに卑下されたことも一因かも知れない。
尽く、
『話の内容が好みではない』
『Bさんは素晴らしい、本物の天才』
『Bさんほど素晴らしい人はいない』
等々、それを個人のメッセージアプリのやりとりで言われていたことを思い返すと気が狂いそうになったりする。
そんなAお気に入りのBさんも私と同時期に舞台にハマったこともあり、仲良く過ごしていた。
Bさん以外にも複数人仲良しと呼べる人がおり、所謂グループみたいなものを形成していた。
来れるイベントや舞台にも限りはあることは百も承知だ。その中でもCは地方住みながら、フットワークが軽く推しのイベント・舞台には必ず参加していた。私は休みが比較的融通の利く職種なため、Cとイベントや舞台に参加することが増えていった。
そんな時だった。
推しがちょっとしたイベントに出る、と言うのを知った時に私とCは参加しよう!と盛り上がっていたところにBさん達からは、
と、言いたげな雰囲気が漂っていたし、現にそれに近しいことは言われた。
なんとなく、そのイベント前からBさん達との温度差を感じるようになって来たが見て見ぬ振りをしていた。
仲良くしたい、このままでいたい。
そう思っていたから。
そして迎えた推しのイベント後、案の定私もCも燃え上がっていた。そして同じように燃え上がっている人を見つけて、盛り上がった。
その時はBさん達も生温い目で見守ってくれていたが、溝が深まったのはその後だった。
其処で埋められないほどの溝が出来上がってしまった。
全4パターンある舞台内容。推しのメイン回公演には仲良しグループが全員参加していた。
だが、私は4パターンもあるなら全部観たいタイプなので全てのパターンを観ることにした。
それはCも同じであり、1〜4パターン全て見た。
そして先のイベントで話すようになったDさんと色々あって、とても仲良くなることが出来た。
そう、其処からだった。
そんな一言に、配慮が足りなかったなと反省したが燃え上がっているものを早々消せず、CやDさんと話す機会がより増えた。
身勝手なもので、燃え上がっているものをわかる人と話すことが楽しくて仕方がなかった。
そしてBさん一味の中の一人に、
『最近、構ってくれないよね』
構ってくれない、とは何だろうか。
コミュ障だと自認している。他者とコミュケーションが円滑に取れないが、流石に社会人になり仕事で他者と話す機会や初対面の人にプレゼンしたり等々するようになってからは“他者と話せる自分”と言う偶像を作り出せるようになった。
雑に言ってしまえば“外面”だと思う。
職場でも“外面が良すぎる”と言われ、現在もクレーム処理やらを行う羽目になっているほど、ある意味“外面”を取り繕うことが出来るようになっていた。なので、昔は出来なかったふぁぼを安易に飛ばす、感想を送る、リプをする、と言ったことが少しは出来るようになっていた私に突きつけられた『最近構ってくれない』と言う言葉。
Twitterの中での友人ではあるが、間近にいる現実で顔を良く突き合わせるような存在でも職場の人でもない、ましてや家族でも恋人でもない人に、『構ってくれない』と言われることに首を傾げたくなった。ましてや、言ってきた人は私より年上。正直何を言っているのだろう、と思ってしまった。少し偉そうではあるが、構って欲しいと言うのなら何らかのアプローチが欲しいし、其方からリプなりなんなりをくれれば良かったのでは?とすら思ってしまった。
そもそも、だ。
拗れる要因となった舞台の待ち時間に、大手のツイ主さんと話す機会があり、初対面でこちらも緊張している時に大人数でその場に押し掛けて、その方を引かせていると言う所業をやらかしている集団に私は少し怒りを覚えていた。
初対面の人に対するマナーとは如何に……?と。
それ以外にも私を足掛かりに大手と顔見知りになろうとする魂胆が透けて見えたり、そのグループから、
『こう言うの書いて』
と、言われて書いたり(書いた後の御礼や感想等はなし)することが増えていて、これまた疲弊していた。
見返りを求めることが間違っているし、感想など貰えるものではない、御礼なんて持っての他。
それに其処のグループには熱心に感想を送ってくれる人がいるから、手離すのが怖かった。
実にずるいと思うし、他者を何だと思っているのだろうと自分でも思うけれど、その方がくれる感想は確かにモチベーションの維持にはなっていた。
だが、それも長くは続かなかった。
チケット争奪戦に敗れた私は取引垢で、チケットを譲っていただいたり、同行のお約束をいただいたりと奔走している時に、
『私達の分は?』
そう言われた時にもうダメだと思った。
本当にそんなことは思ってなかったかもしれない。
だけど、噛み合わない会話やテンポ、温度差、考え方、とにかく全てに耐えられなくなってしまった。
もう創作やめよう、其処まで思い詰めた。
そして正直、今でも思い続けながら創作をしている。
苦しい、辛い。
そう思いながらも創作することをやめられずにいる。そんな気持ちで創作をしていても、創作することで気分転換になることもあったからやめずにいる。だが、なんとなく私がBさん達から距離を取ろうとしていた頃からBさん達からの“いいね”が一切無くなった。
ああ、避けられてる。
そう察したが致し方ないと思った。
『Bさん達と何かあったのか、あえて“いいね”を飛ばしてないみたいですよ』
と、言われて現実を突きつけられた。
やっぱりそうか、と思う反面やはりショックだった。楽しかった日々が全て忌々しく思いそうな自分も嫌だし、もうそれが取り戻せない日々になってしまったことが悲しかった。
そして熱心に感想を送ってくれていた人も今は一切何の音沙汰もない。そんなものだったのだろう、と割り切るしかない。
だが、身勝手ではあるがあれほど好きと言ってくれていたのに掌を返したような振る舞いをされるのは軽く人間不信になる。
考え方や熱量の差、温度差や金銭感覚、どれも皆同じではないとわかっていても、それによって此処まで溝を深める事態になるとは思っていなかった。
今の気持ちは強いて言うのなら体育祭に命を賭ける側と賭けない側のような感覚だ。
命を賭けたところで何になる?と言う感じだが、どうせやるなら楽しくやりたい。
そして同じようにやっていたつもりが、実は遠目で見られていただけだった、そんな気分だ。
誰が悪いとかではない、ただ熱量が違うだけだった。それだけだ。
私が多くを求め過ぎて我儘になっていた部分もあるだろうが、相手側からも受け身にならないでぶつかってきてほしかった。
それが出来ない人もいる、と言うのもわかる。
けれど、社会人として生きているのなら最低限の歩み寄りはしようよ、コミュ障って言うけど仕事でどうしてるの?と言うのが率直な気持ちだ。
舞台で推しが出来たことがきっかけなのか、それともいずれはこうなることは決まっていたのか……
大人しく創作せずにROM専でいたらこんな気持ちにはならなかったのか、もうわからない。
ただ感想云々の話を目にして取り止めもなく吐き出したかっただけなので、すみません……
感想を貰えることは嬉しいこと、と言う認識だったけれど、そうではないんだなと実感しましたし、オタクの狭い世界でこうも拗れるのかと痛感しただけの話なんです……
それでも感想をいただけるのは嬉しいですし、モチベーションの維持や向上にもなるからいただけることを密やかに期待してしまうんです……
クソデカ羅生門:トチ狂ったクソデカさを誇る門。正気を疑うレベルでデカい、というかガチで世界一デカい。碌に修理もされず、ボロボロに荒れ果てた結果、クソヤバい狐狸や世界最強の盗人(六万人)が棲み着くようになったり、死体が超スピードで積み上がるようになってしまった。
下人:下人というからには、どこぞの使用人に違いあるまい。最近、主人にクビにされたらしく、激烈豪雨の中行きどころも無く、クソデカ羅生門で超途方にくれているが・・・
ブッサイクで気持ちの悪い顔だが、清廉潔白超高潔にして、ありとあらゆる悪を世界一憎む心を持ち、最強正義を体現する男の中の男。その一方で腐った性根と史上空前に邪悪な心を兼ね備えている。大馬鹿で学がなく、クソアホ。七十二時間ほど呼吸をするのを忘れても生きていける。三千里(約一万二千米)飛び上がる跳躍力を持つ。韋駄天の異名を持つ。足は丸太のように太い。腹が減っている。天下無双にして無敵。最強下人。後に剣聖と呼ばれる。身長・体重は不明。
京都:魔都上海、大淫婦バビロン、冥府の首府パンデモニウムを超える世界最悪の罪の都にして、最低最悪のゴミの掃き溜め。超巨大地震とか破壊的辻風とか最強大火事とか極限饑饉とか云うエグすぎる災が、ここ二、三千年ほど毎日起こった結果、いまいち俺の貧弱極まりない言語能力では到底形容しきれないくらい荒れ果てた。しかしながら、クソ治安がいい。あと、クソ広い。
鴉:鳥類。超凶悪。クソデカ羅生門周辺に億単位で沢山集まってくる割には、いつの間にか数万羽に減っている。超凶悪。鼓膜破壊レベルの音量で啼きながら亜音速で飛び回る。超凶悪。死人(サイズ不明)の肉を、気が狂ったように啄みまくり、えげつなく臭い糞を垂れる。超凶悪。
主人:下人の主人。クッソ強い。えげつなくデカい家に住む。下人を永年犬のごとくこき使ってきたが、ある日突然解雇する。下人とどっちが強いかは不明。
巨大人食い蜘蛛:昆虫ではない。クソデカ羅生門の天井裏に巣をかけて暮らしている。
老婆:クソデカ羅生門の住人。最低最悪醜悪人間。檜皮色のクッソ汚れたきたならしい着物を着ており、ノミのように背が低く、ナナフシのように痩せこけ、髪はびっくりするほど短い白銀色の、豆猿のようなクソババア。超赤くなった瞼と、凶暴肉食最恐鳥のような、めちゃくちゃ鋭い眼がチャームポイント。極細喉で、針のように尖った喉仏を動かしつつ、ほとんど、鼻と一つになったタラコ唇から、凶鴉の啼くような実に聴くにも堪えない冒涜的な汚い声を発する。神速の動きで下人を翻弄する。
※檜皮色:ひわだいろ。焦げ茶に近い暗い赤色。
髪を抜かれた女:死んでる。生前は傾国の美女と讃えられるまでの美貌を誇り、八岐大蛇を四寸ばかりずつ切り刻む程度の能力を持っていたらしい。原型を想像できない程ぶつ切りにした干八岐大蛇を干巨大怪魚と偽って太刀帯の陣やらそのへんやらに売りまくる。大疫病に四回かかっても死なない程度の超絶免疫力・抵抗力を持つが、とうとう五回目で儚くも死ぬ。死後、クッソ哀れにもそのバカ長い髪を一万本ずつ見ず知らずの極悪クソババアに抜かれるハメになる。なお、髪は巨大鬘の原料として有効活用される模様。
ところで、作者(本記事執筆者)はさっき(五万行ほど前)「Supreme Dragon Slayerにして傾国の美女」と書いた。しかし、それはクソバカ珍妙男がクソデカ羅生門の中に広がるクッソ空虚な宇宙的暗がり、いわばダークマター(暗黒物質)の中でクッソ長い髪をした巨死骸をおぼろげにも傾国の美女と思い込んだだけで、クッソ長い髪=女、女=傾国の美女、したがってクッソ長い髪=傾国の美女というクソアホ三段論法を駆使して生み出された偶像(アイドル)かもしれないのだ。起きがけの頭で冷静に考えてみると、そもそも女ではない可能性すらある。
※太刀帯の陣:たちはきのじん。東宮坊の武官(皇太子を警備する公務員)である帯刀舎人(たちはきのとねり)が、御所を警備するための詰所。
作者:『クソデカ羅生門』の作者。控えめに言って天才もしくは狂人。その行方は俺含め、マジで誰も知らない。原作の構成をメタクソにぶっ壊してない辺り、芥川龍之介と『羅生門』への極限までに強い、ハチャメチャに妄執じみたリスペクトをそこはかとなく感じられる気がしないでもない。
芥川龍之介:『羅生門』の作者。日本の小説家。1892(明治25)~1927(昭和2)。芥川賞は、直木賞と並んで有名な日本の文学賞。
グループ・ユニット名は「仮面舞踏会」とか「笑わないからスマイル(ペコ)」とか「マスク・ド・アイドル」とか、命名センス無いから考えるのやめた
コスは基本はクール系・ゴシック系とか、そんなかんじ、笑わないからそういうのが似合うかなって、これもセンス無いのでスキップ
「笑わないアイドル」なので、とにかく人前で笑顔を見せないことが絶対、ユニット内の鉄の掟
10代前半の女の子を模した人形(という謎設定)がクールな無表情を貫き歌って踊る様はまさに偶像、畏敬すら覚えるその姿にファンは夢中になるのは必定
しかし、その人形の中身とて実際はどこにでもいる箸がローリングで爆笑な(おおよそ)10代の女子達ですから、絶対に笑わないという保証はない
というか絶対どっかで笑う、確実に笑う、俺ですら笑う
だからといって彼女たちが「笑ってはいけない」という鉄の掟を破ってアウトーでいちいち罰としてお尻を棒で叩くわけにもいかない
なので次のルールを追加
彼女たちに「仮面」を常時持たせ、その仮面を被っているときだけは笑っても良いとする
初期案は仮面ではなくて目の部分だけ開けた麻袋を考えて、ギャップ萌えにしようかと思ったが「流石にダサい」と思い泣く泣く変更
仮面を被ることで逆に、クールな無表情アイドルとしての「仮面を脱ぐ」という意味を持つ
仮面被ったら、爆笑良し、大声良し、下ネタもまあ良し、節度を持って
あくまで「笑わない」というのは「仮面を脱いだ」姿の場合でのみ、仮面をかぶればそこには普通の可愛いカッコした女の子、まさに一度で二度美味しい()
仮面を脱いでいるのに笑顔を許されない、つまり「仮面を被って」本性を隠しているという、本末転倒的な矛盾性もまた一興
バラエティ番組に呼ばれても大丈夫、芸人さんが笑かしに来ても対応できる
でも「仮面」はあくまでも緊急事態における救済であり、なるべく仮面を脱いだ状態をメインにしないと顔商売として流石にマズいわな
仮面の使用は節度を持って、過度な乱用を防ぐため、メンバーは基本笑わない子をメインに据える
普段笑わない子が笑いに耐えてるその姿がギャップ刺さるんじゃない?
できる限り笑うな、笑い顔を見せるな、メディアに見せるな、という強い掟の建前、週刊誌で「激写!未成年飲酒!笑わないアイドルが衝撃の笑顔!」と報じられることも期待しつつ…
上記の仮面をMCに被せればええやん、っておもったが、あくまで緊急事態、なるべくかぶせたくないなあ
ということでグループ内に「ある役職」を作ることで、それが解消されることが期待される
「道化」は他のメンバーとは一線を画し、いつ何時も笑って構わない、明るく振る舞う、という役職である
別にバカを振る舞う必要はないとおもう。スポークスマンや紙芝居師みたいな感じを考えてる
そうやって無口でダウナーで落ち着いてしまいそうなグループを掻き回す役目を担うことで、アイドルとしてのバランスを維持できるのではないか
「道化」はちゃんとアイドルの一員の女の子ではあるのだが、衣装が他のメンバーと異なる、ダンスの振付も他と違う、
(大所帯なら10人につき1人の割合で充てるが、同じ舞台には1人までとかの制約)
サッカーのキーパーやバレーのリベロ的な役割みたいなのをアイドルに、という考えなのだが
この役職、頭良くないとできない、目立ちすぎるとファンから反発食らう、メンバー内からも一目置かれ、「道化推し禁止」ルールできるかかもしれない
その分目立つ。流石にセンターはグループの顔になるので笑わない子のうちから選出したいが、そのグループの裏の顔となるだろう
というか他のアイドルグループも「メインの子」と「裏メインの子」っていうのがおおよそいるような気がする
それを公式にやるってのが、今回提案した新規性なのかもしれない
「笑わないアイドル」というメインストリームの歴史を紡いでいった際に、
「唯一笑うことの許されたアイドル」としての歴史にとても貴重な価値観と重要性が結びつき
語彙がなんかそろそろやばくなったので、妄想はここで終了した。