前もって置くと、増田については詳しくない。ただ匿名で書けるからと言うだけで来たので、オタク的な話に縁遠かったら申し訳ない。
2年ほど前にVtuberにハマっていた時期がある。
ただ、割とすぐに見なくなった。
VTuberというのは個人性とキャラクター性が両立しているわかりやすい例だ。
(性格的なキャラ、というよりは偶像性というニュアンスだろうか?)
まあ普通のアイドルなんかもそうだろうし、現実の普通の人間でも言えることではある。
私たちはキャラクターに対して色々な想像をし、それをすりあわせる行為をする。
いわゆる解釈一致/違いという奴だ。これも普通の人間でもある話。
ただ、個人が演じている限りその期待が完全に満たされることは無い。
(当然、ファンの誰もがその存在に炎上して欲しくないと期待している)
そうした期待の裏切りは一方で裏切った側の失敗だと捉えられるが、違う見方もできる。
ファンとしている我々側が、過度/過小な期待をしているということだ。
個人性というものを知りながら、キャラクター性に先行し完全性を求めすぎていた(またはその逆)我々側のミスとも表現できる。
彼らの今のトレンドは動画形態よりライブであるので、長時間を二次元的な=作られたキャラとして演じることになる。
一方で個人性を要求するような場面も多くあるので、当然そうした解釈違い的なことも起こりやすくなる。
まだ新しい文化であるというのもそうした失敗を後押ししているだろう。
まあ要は、自分に限った話であるが、何かしら期待が裏切られたときに自分の責任だと思ってしまうという話だ。
自分が期待する程度を読み間違えたからこそ、それがある種の重圧として機能していたのかもしれない、と。
正しく達成できるレベルの期待にとどめていれば、こちらも向こうも幸せなはずなのだから。
(まあ先に挙げた炎上の一部は常識や倫理に反しているものもあるので、例外はあるとだけ書いておく)
実際、「意外」という言葉が心底嫌いで、言いたくもないし聞きたくもない。
それは個人を正しく判断できなかったということを露呈した言葉であり、場合によっては失礼だ。…と考えてしまう。
まあ、自分が言われたら(期待されたキャラを遂行できなかった…)と考えてしまうわけだが。
で、多分こうした「自分が期待の程度を間違えたこと」をまざまざと見せつけられることに耐えきれなかったのが、
VTuberを見なくなったきっかけなんじゃないかと思っている。
思ったより長くなったし、書いていてよくまとまらなかった。文を書くというのはあまりやったことがないのでわからん。
自虐的思考ってだけでは?とか色々思うが、正しい程度の期待を持つべきだ、とは思う。
【追記】
ありがたいことにいくつか反応をいただいたが、VTuberを主題にしたためかやや誤解されたように感じたので少しだけ補足。
この増田の話は、ただ単にVTuberの革新性でもある新たなバーチャルの形が個人の性格上で合わないような気がした、というだけに過ぎない。
ここでいう「新たなバーチャルの形」とは本文にある個人性とキャラクター性の明確な両立を二次元空間=アニメ文化圏で行った点だが、
こうしたアンビバレンスが未経験な身としては、視点の据え方に迷ってしまう。
個人性、キャラクター性のみの視点で見るとすれば、それは今までの動画投稿者と何ら変わりがなくなる。
なので両方の重心をもって視点とするはずだ。
ただ、その重心が不明瞭な位置にあるが故に新しいバーチャルは期待と現実のズレが増えてしまった。
いわゆる「杞憂民」が用語として確立するほどに多いことが、まさにこの新バーチャルの不可避の欠点を証明する。
黙れV豚 語るな 価値のない言葉だ
V は マンガやアニメにある創作性が高いキャラクター性 と 中の人がやりやすい人間らしさ をあわせもった存在だ。 同時に 創作物に対するのと同じレベルでの過度な期待 と ...