はてなキーワード: ハーフパイプとは
数年ぶりに夢に出た。
変わっているところもあったが、基本構造は昔と一緒だ。地元にあって今はイオンになってしまったSATYがベースになっているが、地上二十階くらいに巨大化している。
俺がよく歩き回るのは本屋とCDショップが一緒になった妙にサイバーなインテリアのフロア、そしてその上の3フロアくらいに渡って立体的に広がるゲームコーナーだった。薄暗いかわりにレーザー光と蓄光塗料でけばけばしく彩られたゲームコーナーに様々な時代のゲーム筐体が並ぶ。中央にあるコイン落としは3フロアぶち抜きの巨大なマシンで、いつも老人がまわりに張り付いている。体を使うアクティビティ系のアトラクションもある。スノーボードのハーフパイプが倍くらいの規模になったやつがあって、特殊なシューズをレンタルして遊ぶ。受付で300円払って履いている靴と専用シューズを交換する。このシューズは床にピッタリくっついてハーフパイプを登れるモードと、床との抵抗を限りなくゼロに近づけて高速で滑れるモードを任意に切り替えられる。これを駆使してトリックを決めたり、延々滑ったりして遊ぶ。現実の俺は自転車通勤くらいしか運動はしないが、ここでは自由に体が動く。周りを見ると俺の他には小中学生しかいない。しかし彼らが小さい子供だという気はせず、同年代だという感覚がある。これはこのアトラクションが生み出された時期、俺もローティーンだったからだろう。感覚も施設に紐付いている。
祖父が亡くなってからは、この夢のショッピングモールでたまに眼鏡屋に立ち寄ることがある。最後に祖父と話したのが眼鏡屋だったからだろう。今回もそのイベントがあった。祖父がそこにいた。祖父は視力を測る機械の前に座って、奥で店員が老眼鏡を調整するのを待っている。
そう言って祖父は自身の瞳を指さす。俺は吸い込まれるように瞠目する。祖父の瞳は薄いグレーだ。知らない人も多いかもしれないが東北にはそういう目の純日本人がたまにいる。虹彩の細かな模様がきれいだと思う。俺の瞳は左だけすこし色が薄い。しかしきれいなグレーというよりは薄茶色だ。視力も少し弱い。完全に祖父と同じ、グレーの瞳だったら良かったのにと思う。そう言おうと思うが、次の瞬間には祖父は消えている。喪失感だけが残って泣きそうになっている。
SATYは実家から遠かった。俺が家族に連れて行かれるのではなく一人でSATYに遊ぶに行くようになったのは高校生になってからのことだ。通っていた高校からは徒歩で行けたので生徒たちの放課後スポットとしては最適だった。でも俺は別にSATYが好きではなかった。一緒に行く友達がいたわけでも、豪遊できるほど小遣いが豊富なわけでもなかった。それでも当時の俺がSATYに通ったのは、SATYへの道が当時好きだったクラスの女子の帰り道とかぶっていたからだ。マッスン、と彼女は俺をあだ名で呼んだ。
そんな流れで俺は15分ほど、彼女と二人きりで話すことができた。彼女は小柄で色白で、顔だけは広末涼子に似ていた。だからここでは広末と呼ぶ。広末は教室ではいつも田中という女子と行動をともにしていた。田中は特別美人でも秀才でもない普通の女子だったが、どうやら俺のことが好きだったらしい。その関係で俺もこの二人と絡むことは少なくなかった。クラスの奴らからは3人組みたいに思われてたかも知れない。しかし俺は田中がいる限り広末の心がこちらに向かうことはなさそうだと考え、いっそのこと田中を殺そうかと思ったこともある。もちろん本気ではないが。広末の家は町の小さな和菓子屋だった。俺は彼女と別れ際、義理で大福をひとつ買ってSATYに向かった。もしかしたら俺が婿入してこの店を継ぐのかも、なんて夢想したこともあった。
高2のある日、たった一度だけだが、広末がSATYに用事があるというのでそのまま一緒にSATYに行ったことがある。画材屋で店のディスプレイの材料を買うとか、そんな用事だったと思う。俺は荷物持ちを申し出て、広末も断らなかった。買い物が済んでから、屋上の植物園みたいな庭でベンチに腰掛けて二人でアイスを食べた。いつも大福買ってくれるから、とおごってくれた。俺はヨーグルト味で、広末はぶどうシャーベットだった。広末は一口あげるといって自分のスプーンで俺の口にシャーベットを入れた。俺は興奮で死にそうだったがなんとか平静な顔を保った。こっちも食べる?と聞くと広末は俺の「あ〜ん」を待つわけでもなく超速でごっそり半分以上ヨーグルトアイスを持っていった。取り過ぎだよひどい、なんて言ったが俺は幸福のあまり死にそうだった。
夢の中ではこの庭が広大で深い植物園になっている。熱帯の植物がジャングルみたいに鬱蒼としている中を歩いていくと、アイスを食べたあのベンチがある。そこには広末ではなく田中がこちらに背を向けて座っていた。
高3になると俺と田中が文系、広末は理系を選択して、広末とは疎遠になった。ただ田中とも別に関係が深まったりはしなかった。田中は既にどこかの大学生と付き合っていて髪を染めたりタバコを吸い出したりして感覚が合わなくなっていた。
夢の中の田中は高校生ではなく、数年後に最後に顔を合わせたときの姿だった。大学を出たものの終活に失敗して東京の小さい葬儀屋で見習いをしていた俺を田中が呼び出した。高校を卒業してから連絡を貰ったのはそれが初めてだったし、高卒で地元に就職した彼女が上京していたこともこのとき初めて知った。葬式が増える真冬で、俺は翌日の葬儀のために付き合いのある花屋に頭を下げて花をかき集めたところで疲れ切っていたが、なぜか田中からの誘いを断れなかった。蒲田にある田中のマンションはゴミ屋敷一歩手前という状況で、冷蔵庫の半分がスミノフで埋まっていた。
夢の中の田中もスミノフをハイペースでのどに流し込んでいる。ふわふわした素材のジャージ上下姿で、底辺の女という感じがした。
「マッスンも飲みなよ。ねえ、あたしさあ、この間また手首切っちゃった。それで救急車来たんだけどなんで来たのかわかんない。別れた旦那がいたから、どっかで見張ってて通報したのかも。ほら手首見る?ねえ寒いよね一緒に寝る?」
田中の視線は定まらずふらついている。あのとき田中がなんで俺を呼んだのか、わからないようでわかるような気もする。歪な三角関係のバランスで三人組をやれていたあの時期が田中にとっては幸福だったのかも知れない。俺は田中を殺したいとさえ思っていたのに。
気がつくとベンチの前には棺が置いてある。遺族が手向けた白い菊の花が大量すぎてご遺体が見えないほどだった。どんな人なんだろうとすこしドキドキする。葬儀屋をやっていると死体を見慣れてしまうが、死に慣れるわけではない。白い花びらにぽたぽたと紫色の液体が垂れる。ぶどうシャーベットだ、と思う。しかし違う。隣で棺を覗き込んでいる田中がヘラヘラと笑いながら手首から紫色の血を流している。遠く幽かにゲームコーナーの喧騒が聞こえる。ハーフパイプでは子供の俺が今もまだ飛び跳ねているような気がする。遠くに来てしまったと思う。
目が覚めると泣いていた。
もう10年ほど職場の人間以外と話しておらず、久しぶりに田中と話せたのが嬉しいと思う。今の仕事はもう葬儀屋ではない。だから長く死体を見ていないが、でも今日もどこかで誰かが死んでいるんだと思うと落ち着く。
SATYに行きたいと思う。
コロナが少しずつ収まってきたことも影響しているのか、昨年・一昨年と比べても世の中がかなり上向きになってきた。
https://anond.hatelabo.jp/20220302171659
パイプはスロープと違って国毎の強化も効果があるが、10年に1人の逸材がいるかどうかの方が大きい。そういった意味だと、男子は平野歩夢、女子はクロエキムがそれである。
オリンピックだけ見ると平野歩夢の圧勝だが、W杯や持ち技でいうと2位以下とそこまで大差がない。もちろんトリプルコークはあるが、歩夢くんの弱点は今回のオリンピックでもそうだが5ヒット中3ヒットがフロントサイド回転だということ。パイプの回転方向は
と4方向あるのだが、歩夢くんのの場合
とバランスが悪い。そして最近のFISはスイッチバックサイドに対するか点が大きく、スイッチバックを打てるライバルのスコッティや戸塚くん、平野流佳の加点が大きかった。よってオリンピック前は「歩夢くんが勝つにはトリプルを決める以外ない。いくら歩夢でもスイッチバックには勝てない」と言われていた。それを決めるのがすごいのだが。
さて、4年後なのだが
がカギとなってくる。いったん大きな目標をクリアし、スイッチバックに興味のなさそうな歩夢くんはハーフパイプでももうやることがない。となると、スケートボードの成功体験(自身が楽しめ、冬の競技にいい影響があった、という意味で)をもう一度体験しに1,2年ハーフパイプから離れる可能性もある。また、今回半年程度でトリプルコークをマスターして本番でミスなく着った、というのも自信になるだろう。
一方ライバル勢だが、ルーティーンを繋げれば歩夢くんの金メダルを超える点数を出せる。特に日本の2人はスイッチバック+トリプルコークを併せ持つのでポテンシャルは高い。しかしながら、今回のオリンピックでは本番で決めきれず精度の課題を露呈。ここらへん、生まれついての横乗りライダーともいえる歩夢くんとの差がついた形だが、4年後は雪辱を期して精度を高めてくれば面白い。スコッティはこれ以上どういうルーティーンを構成するのか?本人の発言としては4年後の出場に意欲がありそうだが、トリプルを練習している風には見えず、プランが見えない。
アップカマーだが、パイプの世界ではスロープスタイル、ビッグエアよりもスノーボード力/スノーボード経験値が重視されるため、今無名のライダーが4年後に伸びている可能性は低い。ポテンシャルがあるのは、今回も出場したオーストラリアのグゼリ君だが、スロープスタイルの大会にも出場しており、厳しいパイプの世界に骨をうずめるかは疑問。
4年後の予想だが、なんだかんだで歩夢くんが競技に復帰して連覇する気がする。技数が増えなくても、本番での圧倒的な強さ・安定感がある。
絶対王者クロエキム。男子の歩夢くん以上に2位以下に差をつけており、おそらく今回のルーティーンで4年後も金を取ってしまうだろう。しかも今21歳。今後10年はクロエキムの時代が続くと言っていい。唯一の弱点は、本人がスノーボードに飽きてやめてしまうのではないか、ということで、個人的にはあれほどのスノーボード力を持っているのだから、力を行使してバックカントリーの大会にも参加してほしいと思っている。
2位以下の予想になるのだが、日本勢や中国勢もやっとこさ1080をルーティーンに入れられるようになってきた。クロエキムは4年前に1080を2種類ルーティンに入れているが…。唯一の望みは日本勢・中国勢とも今の主線クラスが20歳前後で若く、伸びしろがあるという事。センスか練習によって化けることができれば、クロエキムを冷やかせるくらいのランはできるかもしれない。
女子カーリングの4年後を予想する(4年ぶり2回目) https://anond.hatelabo.jp/20220220201505
これが面白かったので書く。まぁ増田では求められてなさそうだが。
スロープスタイル・ビッグエアは国ごとの実力差が大きく、カナダの5番手がドイツの1番手に勝てるような世界である。それを考えると、4年後のメダル争いは現状で力のある国同士での争いとなり、具体的には以下の国が競り合う展開になる。
なぜアジア勢が入っているかというと、日本初のマット着地ジャンプ施設が各地にあり、日本も含め(コロナ前は)近隣アジア諸国から練習合宿に訪れていたこと、世界有数のスノーリゾートがあること、諸説あるがスノーボーダーの中ではアジア人は勤勉な方であり、きっちりと練習メニューを守って練習する、という特徴がある。
またスロープスタイル・ビッグエアはハーフパイプと違って未成熟の分野でありトリックの高難易度化が激しい。よって今年活躍をしても4年後にダメな選手もいるし、今は無名だが4年後にメダル争いしている選手がいる可能性がある。これを踏まえての予想である。
一時期猛威をふるったカナダ・アメリカ勢がこの大会は大人しかったイメージがある。もちろん、金・銅メダルを取ったマックスパロットがいるが、米国勢で言うと、前回スロープ金メダルで今年が20代前半のレッド、US OPENで鮮烈デビューを果たしたダスティがパッとしなかったイメージ。
またカナダ勢で言うと、今回出場している4選手は全員20代後半。4年後の高スピン対決についていけるか怪しく、世代交代が出来ていないと見える。もちろん、世界一の層の厚さを誇るカナダ勢なので若手はいくらでもいると思うが、その若手が今回年長者を追い越せなかったのがどう影響するか。少なくとも4年後は、英雄マークマクモリス、実績のパロット以外は若手を登用しなければスロープ大国カナダの威厳が怪しい。
北欧勢も期待されながら結果を残せなかった、という印象が強い。特にXGAME常連のレネはスロープ・ビッグエアともに予選落ち、マーカスもビッグエアではやる気のないダブルロデオをかまして8位の体たらく。本気を出せばメダルも狙えたと思うが…。筆者が思うに、北欧勢はテリエの影響もあってオリンピックという場所を重視していないのではないか?この調子では、実力やスタイルがあっても、オリンピックという場所で結果を残すには疑問符が出る。
ということで、落ち目の北米・北欧勢に変わって南半球勢、アジア勢が台頭するのではと予想。南半球勢は女子の活躍の割に男子がパッとしないが、コロナで外国選手が南半球に入場できなかった時間にフルで練習できたメリットは大きく、4年後に期待。
さて、我らが日本勢であるが、正直将来有望と言っていいだろう。今回五輪に出場した4選手+下の世代も着実に育っており、次回五輪で必須の2方向1800に加え、1980もパーフェクトメイクできるライダーもちらほら。ただ、本番一発での強さはまだまだなので、これから4年間は経験を積んで本番できっちりメイクできるようしてもらいたい。
中国勢については確実に育ってくる。というかシャオミンが今回の五輪に間に合った形とあり、中国国内でスノーボードの地位が向上し、選手層も厚くなるのでは?と予想。まぁもう厚いが…。どれほどの人数+実力をもったライダーを本戦に送り込めるかは未知数だが、これからのW杯ではシャオミン以外の中国選手にも注目したい。
男子と構図は同じだが、女子はそもそも選手層が少ないので優秀な選手1人がその国を引っ張ってメダルを取り続ける。その象徴がアメリカのジェイミーアンダーソンだったが今大会はまさかの不調でさすがのジェイミーも年には勝てんか…と往年のファンは落胆したものである。変わって女王の座についてのがゾイサドスフキーシノット、通称ゾイさん。スロープのラストランでは飛びすぎBSダブルコーク1080をパーフェクトメイクで文句なしの金メダル。ビッグエアも一発屋アンナガッサーに金は譲ったものの、安定の銀メダル。まだ20歳でケガ歴もなく、スロープ、ビッグエア、バックカントリーの大会となんでも強い。筆者の見立てでは、この先10年はゾイさんを中心に女子ビッグエアが回っていくのではないかと思っている。
ジェイミーと同じくアンナ・ガッサー、ローリー・ブルエン、ジュリア・マリーノあたりは年齢的に4年後にはもう伸びない。となると、現在20歳前後の選手つまり、日本勢の村瀬 心椛、岩渕 麗楽の2人。あるいはオーストラリアのテス・コーディーあたりも面白い。
ただし、日本勢が対抗できるのはビッグエアのみで、スロープスタイルについては滑りこみの量が違う北米勢・南半球勢にどうしても劣ってしまう。その分日本勢はジャンプ施設でジャンプ強化をしているのだが…スロープもビッグエアも強いゾイさんはまさに最強と言える。
気になるのは、女子では北欧勢を目にしないこと。筆者もこの記事を書いて気づいたのだが、確かに北欧で有名なのは男性ライダーが多い。ここら辺も理由があれば知りたいところ。
4年後の技についてはBS1260は必須トリック、2年以内に村瀬 心椛、岩渕 麗楽・ゾイさんの誰かがトリプルコークをメイクしてそれがメダルトリックになるのでは?と予想します。
若手に関しても、今15歳~16歳くらいの無名アップカマーがオリンピックに出場する可能性はある。けど村瀬 心椛は13歳の時にXGAME優勝してるからな…。センスの塊かよ。
数年前、自分の居住しているド田舎県の中の、これまた見渡す限り田畑が広がるような農村地帯を通る道を車で通った時、のどかな田んぼの中を流れる川の河川敷に、スケートボードのトリックを行なうための、木箱で作った斜面やハーフパイプ、金属製の手スリのような物(あれ、何て呼ぶのだろう?)が設置されているのを発見した。暑い夏の日だったが、そこでは若い男の子二三人が熱心にスケートボードを楽しんでいた。
何となくスケートボードは都市部の文化だと先入観が有ったので「うちみたいな田舎でも、あんなスケートボードをするための施設が有るんだな。スケートボードをする子たちがいるんだな」と、軽く驚いた記憶がある。
自分も田舎出身の人間だから、若い頃の自分の思い出を重ねて「あのスケートボードに熱中している男の子たちも、保護者や教師から『そんな不良の真似事をして』とか何とか、無理解な偏見を持たれて困ったりしているのだろうか」と勝手に想像したりもした。
今回の東京五輪でメダルを獲得した少年少女たちは、自分の貧弱な先入観や偏見とは全く異なる、普通の子供たちだった。何となく五輪に対しては、マラソンの円谷幸吉のような悲壮でネガティブなイメージが私の中には有るのだけれど、東京五輪のスケートボード選手たちは、それとは全然ちがっていた。
自分の技(トリックと言うんだっけ?)が成功した時も失敗した時も笑顔だし、順位を争うライバルであるはずなのに、他の選手が技を成功させると自分が成功したように歓声を上げるし、仮に他の選手が技を失敗してガッカリしていたらハグして励ましているし、解説の人も難しそうな技に果敢に挑戦する選手たちを「攻めるねえ」と楽しそうに賞賛しているし、本当に素直に「これがスケートボードという文化なのか。何だか良いなあ」と思った。
ジャンプしたり、スケートボードをクルクル回転させたりすることは、運動全般が苦手な私には想像も出来ない離れ技に見えるのだけれど、その技よりも何よりも、彼らの態度や振る舞いこそが何よりも軽やかに見えた。
あの日、田んぼの風景の中に有るスケートパーク(と呼ぶのだろうか?)で一所懸命にスケートボードをしていた男の子たちが、今回の東京五輪の話題で親や教師と話が盛り上がって打ち解けていたら良いな、少しでも生き易くなっていたら良いなと、そんなことを思った。
ほぼタイトルで言い切ったけど補足。
フィギュアスケートのように、採点競技は上位成績者等のエキシビジョンをやってほしい。
もちろん高得点の演技は高い難易度で競技者のレベル差が基本的に反映されるのは間違いない。
とはいえ、スノーボードハーフパイプの解説が話題になったように、単純にかっこよい演技や、その競技の文化性がうかがえるような渋い演技などを見てみたい。
言い過ぎなのは認めた上であえて雑に表現するけれど、採点競技はとにかくジャンプして多く回転してナンボみたいになっている。
これに高さ速さ等が加わって採点が決まる。
それもいいんだが、フィギュアスケートでの徹底してショーアップした演技とか、ハーフパイプであえて回転せず美しく高いグラブとかを見ると、
まだまだ競技には色々な魅力があることに気付くし、そのうえで大会中はこんな演技をしたんだなと分かる気がする。
あと、選手がのびのびやるところを観れるのも良い。
観客とのコミュニケーションとか、一発勝負では見れないようなチャレンジも楽しい。
冬の間週二日の休みは天気が悪くなければ必ず車で二時間ほどで行ける雪山へ行く。
彼の休みは水曜日と日曜日なので連休ではない。連休は盆と正月以外は一切ないし有給休暇みたいな物もない。仕事に対してもまじめで休日にもまじめに取り組める旦那を尊敬する。私だったらそんなスケジュールで働いていたら休みは一日寝て終わってしまう。
車を買うときは四輪駆動以外候補にもならず、休みの日の前日、朝まで仕事や飲み会があっても朝5時までには帰宅し、そのまま準備をしてリフトが動く時間までに山へ向かう。
当然小遣いじゃ週二日も雪山には行けないので、安く仕入れた板や機材をリカバリーやメンテナンスをしてフリマサイトで売り払いスノーボード資金を年間通して貯めている。
もちろん、彼と出会うまで雪山なんか行ったことなかった私を漏れなく連れていく。
それぐらい彼はスノーボードが大好きだ。
もちろん見るのも大好きで、今期のオリンピックはハーフパイプの平野君が金メダル候補だったこともあり決勝を楽しみにしていた。
だが丁度決勝の日は彼の休みの日で夫婦で雪山に行く事にしていた。
録画をセットし、結果を家で万全にワクワクしながら見るために全ての情報を遮断。Facebookは見ないようにし、道中携帯電話に速報が入らないように私がアプリの通知を切ってあげた。同じく速報が入るラインニュースはブロックした。
レストハウスにテレビがあり、もちろんチャンネルはオリンピックに合わせていたのでわざわざちょっと離れたところにあるテレビのないセンターハウスでお昼を食べた。
喫煙所でもわざと「今日帰って結果見るの楽しみだね」みたいな話をして、結果を言うなオーラを夫婦で出した。
思いつくことはすべてやった。
が、彼は不意に結果を知ってしまうことになる。
雪山に放送局があり、ラジオ放送のようにDJがしゃべっていた。
朝からオリンピックの話なんか全く口にしていなかったのに、競技後の放送時間枠で当たり前のようにDJは平野が銀、王者ショーンホワイトが表彰台のてっぺんに戻ってきたことを告げた。
苦情を言ってやるとまで言い出す位怒った。
旦那の言い分としては
「こんなド平日に雪山に来てる奴は、家で真昼間の決勝戦を見ようと思えば見れる奴らだ。でも見ないで雪山に来ることを選んだ。
そういうやつが沢山いるのに、俺みたいに録画して帰ってみるのを楽しみにしてる奴らもいるはずなのに、結果を言うなんて最低だ。」
と今まで見たこともないぐらい怒っていた。
私的には確かに旦那の言い分も間違ってはいないと思うのだが、情報が勝手に入ってくるようになった現代でもう旦那の言い分は通らないと思う。
結婚して3年たち、今まで見たこともないような怒りをそこで出すのかと驚いてしまった。
しかも憤る怒りではなく、冷静に淡々と怒るほうのあれ。怖いやつ。
結果を聞きたくないという旦那に協力はしたしそれは楽しかったのだが、なんだか旦那がすごく理不尽な事に怒る自分勝手な人なんだなと思ってしまった。
確かにこれから映画を見ようというときにトイレや喫煙所で自分がこれから見る映画を見終わった人達が感想を話しているのにイラっとすることがある。でもその人たちは少し考えてないだけで特に悪いことをしているわけではない。
今回のDJだって、自分の仕事をしているだけで思いやる必要があるわけではない。どちらかといえば、結果を伝えなければならない立場の人間だと思う。
50年も生きてて、「個人的な楽しみを妨害された」というだれにでも起こりえる理不尽に耐えられないのかとなんだかすごく残念に思った。
長々と書いたが、言いたいことは「そんな子供みてーな事で怒ってんじゃねえぞ」って事です。
ソシャゲ特有の「待てば無料」は、どうぶつの森プレイヤーとしては待つのなんて慣れっこだし、プレイスタイルにもよるが課金アイテムを使う事はかなり少ないように思う。
素材に関しては、わざとムシ・サカナ・貝がらの出現率に偏りがあるように感じる。これは「バザーを利用してね」という事なのだろうが、後述の「いいね」同様、あまり他のプレイヤーと関わりたくないプレイヤーにとっては煩わしいかもしれない。
「いいね」に関しては、家具の作成に使う「ともだちのもと」の存在が問題だと思う。これは毎日チャレンジで指定数「いいね」をすると貰えるのだが、「ともだちのもと」を貰うためにいいねをするなら、心に思っていなくても(別に心を動かさなくても)適当なプレイヤーに「いいね」をすればいいのである。つまりインスタグラムで言えば、全くインスタ映えしてない写真に「いいね」を押すようなものであり、Twitterで言うなら面白いツイートや為になるツイートに「いいね」をするのではなく、適当な何気ないツイート(今日はいい天気だなー、とか)にいいねを押しているようなものである。果たしてこれは本当に「いいね」なのだろうか?と私は思う。
「オブジェ」に関しては、どうぶつのレベルキャップに紐付けしなくても良かったと思う。このせいで別に建てたく無くても建てなくてはいけなくなってしまう。しかもかなり時間がかかる。全て建てるには更に時間がかかる。さっきと言ってる事が矛盾しているが、建ててる間にレベルキャップに引っかかってしまうのはなんとなく嫌である。それに可愛らしいラブリーシリーズの家具のある空間にハーフパイプがある光景はいかにもミスマッチでなんとなく嫌である。私的な意見になってしまったが、ここがプレイしていて(自分だけのキャンプ場を作るという点において)一番引っかかった所である。
とりあえずとたけけとたぬきちの家具の分は課金したので、以降はお布施として定期的に課金していこうと思う。今後は過去作にあった「素潜り」など、出来ることが増えるといいな、と思う。
これがはっきりしないから評価に不満が出る。
この場合、選手はオーケストラ、スタッフは作曲家(及びその段階で関わっていた人物)だ。
この時、曲を評価するのか、オーケストラを評価するのかで評価基準は大きく異なる。
オーケストラの評価をするなら、曲の解釈、一体感、技術面などを見るだろう。
曲自体の評価をするなら、曲の構成、アレンジなどを見るだろう。
フィギュアスケートで謎なのはどっちを評価したいのかよく分からないという点。
私には、オリンピックの性質上、選手(オーケストラ)を評価しているのだと思っているが。
だったら、演出自体に関する評価は、極力排除するべきであるはずだ。
演出自体が点に影響するのであれば、事前に演出自体の点数を公表するべきだ。
と思ったぴょん。
意外と「ぴょん」に反応があってワロタ。
え?これは既にあるのでは?
構成できちんと出る。
deneb-y
スノボハーフパイプやスキーモーグルと変わんなくね?ジャンプやステップ、スピンといったような「技」の完成度・出来栄えを見るってのが大基本→それが出来た選手を評価する。
文章力無くて申し訳ないが、ここで言ってる「演出」というのは、あくまでもPCSの一部の話。TESの話ではない。
表現する人(選手)を評価するのであれば、音楽とか振り付けとか自体(これを文中では「演出」と呼んでいた)の質(芸術性)が点数に影響するのはおかしいよね、ということが言いたかっただけだ。
極力選手以外の人の手による部分は排除するべき、あるいはそこにも基準を設けた方がいいと思うわけだ。水着にしてもスキー板にしてもボブスレーの乗り物にしても選手以外が関わる部分には基準あるわけで。
TESの評価についてはフィギュアも他の評価競技と同様。綺麗に高くジャンプした方が点数高くなるのは当たり前。
歩夢君の完璧なダブルコークテンよりもiPodの完璧なキャブダブルコーク1440の方が評価が高いのは当たり前。
むしろモーグルとかハーフパイプとかより、技術(ジャンプとか)に明確な基礎点が決まってるフィギュアの方が厳密といえる。
Harnoncourt
音楽関係にたとえるのはイマイチ適切でないぴょん。フィギャーには楽譜に相当するものがないぴょん。音楽にたとえるならピアニストなどソリストのコンクールだぴょん。流派や派閥があるあたりも同じ構図だぴょんw
うむ、完全にその通りだ。オケでの例えは間違ってた。
そう考えると、折角ショートとフリーで2回もやるんだから、ショートは全員同じ曲同じ構成(個々の技の難易度は演技者次第で変わる)でやるか、あるいは大会側で事前に吟味して用意した幾つかのプログラムから選ぶ形にするのが正解かもしれないと思ったぴょん。
http://point.recruit.co.jp/doc/campaign/cm/20140206/
このCMをソチ五輪にぶつけるリクルートさんの感覚に違和感を感じてしまいました。
ぱっと見、既成概念にとらわれない自由な生き方をすすめる感動的な内容に思えるCMです。
このCMが流れるまで、私は、スノーボード・ハーフパイプ競技のNo.1になることを夢見て、努力し続けて国の代表として五輪に出ているアスリートたちの活躍を見ていました。
華やかなステージに立つ一流選手と今の自分をぼんやり比べつつ、自分より何十歳も若い選手を尊敬のまなざしで見ていたのです。
そこへもってきて「だれかと比べなくていいんですよ、あなたの人生もすばらしいんですよ」と優しい目線を装いつつ上から語ってくるこの長尺CM(2分)が放送されたのです。
人それぞれ多様な価値観があり、その人に見合ったゴールがあるべきだという理想はわかります。
ですが、誰かに決められたゴールに向かって通しナンバーのゼッケンつけてルールに縛られて競い合うなんて古い、もっと自由であるべき!ゴールは人の数だけある!どこを走ったっていい、自分だけの道がある!などというメッセージを流して、最後には「リクルートポイント、はじまる。」「まだ、ここにない、出会い。リクルート」ですよ…。
クォリティの高い撮影や池松壮亮氏の見事な演技、ナレーションにもかかわらず、私には素晴らしいはずの「ぼくらの人生」がとてつもなく安く扱われているように感じてしまいました。
マラソンという競技に人生をかけ取り組んでいる選手たちは、このCMを見てどう思うのでしょうか?
冬季オリンピックにマラソンはありませんし、人生をマラソンに例えることが多いからマラソンを使ったのでしょうが、どうにもうなってしまいます。
リクルートさんが高い制作費と出稿料をかけて「競争ばかりの狭い世界から飛び出して、人生楽しみましょう」という広告をうつのは、リクナビ進学や受験サプリで良い学校に入って、TOWN WORKでバイトを探して、リクナビで就職して、とらばーゆして、ケイコとマナブで自分磨きして、SUUMOで住むところを決めて、ゼクシィで結婚式場を決めて、赤すぐでマタニティ用品を買って、じゃらんで旅行先の宿を決めて、じゃらんゴルフでゴルフ場予約して、HOT PEPPERグルメで居酒屋予約して、ポンパレでお得にお買い物しましょう(ほかにもいっぱいありますが)と伝えたいからです。
それを言いたいがために、決められたゴールに向かって愚直に努力するという価値観を否定するのはいかがなものでしょうか。
人生がマラソンに例えられることが多いのは、厳しいルールがあることや優勝者や完走者が偉いという価値観があるからではないでしょう。スタート時点でははるか遠く、目には見えないゴールを目指し、自分の力を信じて、レース全体のペース配分を考えつつも自分なりのペースで最後まで走り続けることが、長い人生を全うすることに似ているからだと思います。
自分の好きなスポーツをやってるだけで飯を食っているだなんて、なんというリア充。
羨ましいぞー。
国母は望まない納税をしているヒマな日本国民の嫉妬が溢れ出てくる隙をつくってしまったのがいけなかった。
いま批判している人は、服装をただしていても、いなくても、どっちにしてもたいして応援してなかったんだ。もともと応援するつもりだった人間が手のひら返しでこんなにも批判するとは考えられない。
世界最強だったら誰も批判できない。金メダル奪取の興奮をもたらしてくれる俺たちの国母を誰が批判できるだろうか。
ただし、ここでは最強じゃないことが悪ではない。最強じゃない分、反省してるフリくらいできるバランス脳が必要だった。ハーフパイプもバランスが大事でしょ。
あー、結局批判みたいになっちゃった。
メダルとれるといいね。また盛り上がるよ。