2021-07-27

スケートボードをしていた少年たち

数年前、自分居住しているド田舎県の中の、これまた見渡す限り田畑が広がるような農村地帯を通る道を車で通った時、のどか田んぼの中を流れる川の河川敷に、スケートボードトリックを行なうための、木箱で作った斜面やハーフパイプ金属製の手スリのような物(あれ、何て呼ぶのだろう?)が設置されているのを発見した。暑い夏の日だったが、そこでは若い男の子二三人が熱心にスケートボードを楽しんでいた。

何となくスケートボード都市部文化だと先入観が有ったので「うちみたいな田舎でも、あんスケートボードをするための施設が有るんだな。スケートボードをする子たちがいるんだな」と、軽く驚いた記憶がある。

自分田舎出身人間から若い頃の自分の思い出を重ねて「あのスケートボードに熱中している男の子たちも、保護者教師から『そんな不良の真似事をして』とか何とか、無理解偏見を持たれて困ったりしているのだろうか」と勝手想像したりもした。

今回の東京五輪メダルを獲得した少年少女たちは、自分の貧弱な先入観偏見とは全く異なる、普通の子供たちだった。何となく五輪に対しては、マラソン円谷幸吉のような悲壮ネガティブイメージが私の中には有るのだけれど、東京五輪スケートボード選手たちは、それとは全然ちがっていた。

自分の技(トリックと言うんだっけ?)が成功した時も失敗した時も笑顔だし、順位を争うライバルであるはずなのに、他の選手が技を成功させると自分成功したように歓声を上げるし、仮に他の選手が技を失敗してガッカリしていたらハグして励ましているし、解説の人も難しそうな技に果敢に挑戦する選手たちを「攻めるねえ」と楽しそうに賞賛しているし、本当に素直に「これがスケートボードという文化なのか。何だか良いなあ」と思った。

ジャンプしたり、スケートボードクルクル回転させたりすることは、運動全般が苦手な私には想像も出来ない離れ技に見えるのだけれど、その技よりも何よりも、彼らの態度や振る舞いこそが何よりも軽やかに見えた。

あの日田んぼ風景の中に有るスケートパーク(と呼ぶのだろうか?)で一所懸命スケートボードをしていた男の子たちが、今回の東京五輪話題で親や教師と話が盛り上がって打ち解けていたら良いな、少しでも生き易くなっていたら良いなと、そんなことを思った。

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