はてなキーワード: 賃金とは
ソシャゲに課金するか、フィギュアを買うか、どちらを選ぶかは、各自の趣味や価値観に依存する話だべね。人それぞれ楽しみ方があるし、お金を使う方法も個人の自由だべ。
一方で、お金を貯めたり生産的な投資を考えることも大切だべ。経済や個人の財政に関してはいろんな意見があるけど、お金の使い道は個々に違うし、自分の人生を楽しむためにもお金を使うことは大事だべと思うべ。
日本の経済や賃金の問題については、複雑で多様な要因が影響しているから、一つの要因だけでは語りきれないべ。最終的には、自分のライフスタイルや目標に応じてお金を使う方法を選ぶのが一番だべ。人々はみんな違うし、その違いを尊重するべきだべ。
子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である、共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対に負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人の意思や願望でもうけるもの」から、個人、および共同体の持続性に必要不可欠なものと位置付け、税のように広く必ず「共同体で負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由と人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育ての負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率が改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。
【出生率低下の原因】
・現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人の意思でコントロールできるようになった)。
→出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業の労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊、堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフの関係だった。
→しかし現在の日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった
→子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。
・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由は経済や環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供の位置付けが生産材→消費財へ)
・原因は子作りや結婚の経済や環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。
→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから、個人の裁量の対象になり、個人の志向
に依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまったから)
・理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的に存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。
・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分の時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。
・先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性の育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児の負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担の問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要。
・個人が自分にとって最適な行動(コストや負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する
・過去と比べた場合の出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済や環境で諦める対象になった。子作りにおける世代間扶助より自己実現を優先)経済や環境は原因ではなく結果。
・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる
・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己の利益を犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。
・社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている
・教育費が高い問題→子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。
・負担を回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いかに負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理、摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする
・子作りは楽ではなく、元々大変なもの→問題なく少子化が解決できる「魔法の聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。
・移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人の少子化問題は解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成が移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。
・少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。
・出生の機序と誤解
→子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。
・そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供は本能や希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれた子供に愛情が芽生えるのであって、愛情が最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。
・労働ややりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命の大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしまう
・子作りは生物学的原理なのに、個人の価値観の対象としてとらえらてしまっている。→生物は自己の価値観に合致しているから子供を作るわけではなく、あくまで本能。人間は生物額的本能が退化してしまった可能性がある。
・共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人の利益と相反)共同体というプールがあるから、人間が存在できる。一代(今の自分自身)の人間の利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間は少子化によりどんどん存在できなくなる。
・選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス」江戸時代の農村は結婚相手が限られていた
・「出生率向上の目標」は子育て環境の満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力は出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率の数字向上を重要視する(少子化は感情やモラルや倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)
・子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。
・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化のデメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化は時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。
→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境を改善しよう」と雀の涙の給付と無責任な念仏を唱えるだけ
・子作りは自由だから逆に責任が生まれ、責任回避の動機から減ってしまう。
子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単。動物の繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会で性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率が改善しにくい原因は子育て世代の人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現や生活水準を我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要。
・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代間扶助」)の重要性を教え、その価値観を社会と共有する
→親や先祖による世代間扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由や人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。
→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から、社会的に共同体にとって「絶対に必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。
→子作りを義務的に考えれば、必然的に教育競争は弱まる。現在は自由意志だから結婚も子育ても競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。
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・社会的に解決困難な課題、個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担を社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代も事実上、ルールとして意識されていた。
①ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代の希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚し子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。
(個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からのセオリー、例えば税金は貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)
子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康に問題がある人は除く)
・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーションや環境に左右されてて必要な出生率を確保できない)
(政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物に共通する、共同体が持続するための『世代間扶助の原則(負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)
・個人の「幸福の手段」の一つとして子作りを位置付けるから、幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福の手段という位置付けだから、基本「勝手に自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人の存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ、政府も会社も社会も負担を受け入れて協力的になるはず。
②有利不利で動機付ける
・実質的な「子なし税」の導入
人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得の10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担の原則からいっても、共同体の構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある
・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定)
一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。
財源節約には、最初の動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。
良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先の労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。
・誰でも使える認可保育園や学童保育の24時間営業(バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)
繰り返すが、人権や個人の自由などを一部、我慢して、仮に自身の環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人も少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。
これがまともな見方。そもそも「ドライバーのレベルが低いから賃金が上がらない」というはおかしい。それは市場原理がわかってない発言。レベルが低くても需給関係で価格や料金は決まる。(ただし価格の硬直性はあるのですぐに上下するとは限らないが)
で、問題は、その業界で市場原理(価格や料金や賃金などの市場での決定メカニズム)がちゃんと機能しているかどうか。規制が強い業界だと市場原理が働きにくく、規制があまり無い業界だと市場原理が働きやすい。
さて、あなたが望むのはどちら?
最近バスの運転手不足が叫ばれて久しいが、自分は都会に住んでるから大丈夫と思ってるみなさん、大きな間違いだ
なぜか?近くの大都市の方が賃金が高く雇ってもらえるからである
実際千葉市内市原市内は今年の春と秋に相当なバスの減便を食らっており、需要が高いにも関わらず通勤や通学が大変な地域が生まれているが、何の手立ても打ててない
千葉は鉄道インフラも需要に比してかなり脆弱なのでバスがなくなるのは死活問題なのだが、このザマであり解決は見込まれなさそう
金剛バスも撤退が問題になっているが、あれも大阪近郊である(大阪のことは詳しくないので割愛する)
個人的に千葉は全てのインフラが脆弱かつ東京に吸われるかつ依存せざるを得ないので絶対に終の住処に選んだり家を買ってはいけないと思うんだが、人気なんだよね
輸送力の不足とドライバーがみんな馬鹿というのは別の話のように思うのですが……。
以下は世間知らずな私の認識ですが、変なところがあったら教えてください。
どっちみちこのままじゃ輸送力がショートするのは確実なので、荷主間で運輸リソースの奪い合いが起こりますよね。いやすでに起こっているのでしょう。
すると、荷主はよそより高い金を積んで荷物を運んでもらおうとしますよね。だって、運ぶと高いから運ぶのはもう諦めよう、とはならないから。
上がった輸送費はまんべんなくあちこちに転嫁されて社会全体として負担していくことになるでしょう。
荷物に対する輸送力不足は社会全体の構造的変化なので、社会全体がコストを負担するのが望ましい。実際これもすでに起こっていることですよね。
誰でもできる単純労働だから高い賃金は支払えない、というのはちょっとおかしな話で、労働市場という言葉があるとおり、労働力には市場原理が働きますよね。
ドライバー業も、やってることが単純だろうと複雑だろうと、需要が高まれば需要に応じた相場になっていくのが市場原理だと思います。ただのチューリップだって需要さえ高まれば値段は馬鹿みたいに上がるんですから。事実、IT人材が払底した時は相場がだいぶん上がって転職もだいぶ流動化していましたし。
相場が上がってもなお人が集まらないのならば、それはもう供給が追いついていないので、外国人労働者に頼るとか自動運転をもっと推し進めるとかになっていくんじゃないでしょうか。
https://chiebukuro.yahoo.co.jp/user/1281300
>令和5年現在、9年目の労災休業補償給付を受給しつつ、元会社から毎月16万円の損害賠償を受給、かつ自分の小さな会社を経営中です。
労災保険の休業補償給付を受給しつつ、会社を経営していると言っているが、厚生労働省の休業補償給付のパンフレットによれば、「②労働することができないため」支給されるとある。
https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/rousai/dl/040325-13.pdf
>①業務上の事由または通勤による負傷や疾病による療養のため、②労働することができないため、③賃金を受けていない、という3要件を満たす場合に、その第4日目から、休業(補償)等給付と休業特別支給金が支給されます。支給額は次のとおりです。
会社経営というのは雇用契約においての労働ではないとはいえ、一般的に労働者として働くよりはるかに心労の多い仕事とされている。それが前提だから役員報酬は高額なのだ。そうであるならば、会社経営ができるにもかかわらず、外形的に労働契約の労働ではないことをもって労働をしていない、労働することができないと強弁するのは無理があるのではないか。社会常識的にはこれは不正受給と考えるべきではないか。
零細経営者だけど、
こういう人の言うデータ入力ってのは本当にただのデータ入力で、紙に印刷された表をエクセルに手打ちしましたレベルなんだよね。
だから当然に環境整備的な付帯業務を求めるんだけど、その中にお茶出しがあってもなにも不自然じゃないよね。
女にやってもらった方がいい面ってのがあることは否定しないけど、その前に、お茶出しは一般事務員の仕事で一般事務員やってる人はほぼ女しかいないってだけなんだワ。
なんで賃金が安いのかといえば、業務がクソみたいに楽だからなんだワ。
ぶっちゃけ言えば、今の時代一般事務員を正社員で雇うってかなりコスパ悪いんだよね。
それでもやっぱ人の温もり(笑)みたいなものに価値を付けて正社員一般事務員雇ってるけど、そいつらが自分から「お茶出しって私がやらなきゃいけないんですか??」とか言い出すんだから世話ねえよ。
客や社員に愛想振り撒く以外にやれることあるんですか?って聞きたいよ。
https://www.stat.go.jp/library/faq/faq19/faq19a04.html によれば、単身世帯の1世帯当たりの年間収入がわかるのは、「家計調査」。
なお、「民間給与実態統計調査」には、配偶者や扶養の有無で分けたデータはあるが、男女で分けられていない。
2022年の単身・勤労者の実収入の平均値は、男性の35歳未満が380,222円。女性の35歳未満が300,338円。
なお、「賃金構造基本統計調査」では単身世帯に絞れなかったけど、全体の中位値が男女で301.2千円と236.9千円。大卒の中位値で339.2千円と261.7千円。院卒の中位値で434.0千円と352.1千円。
妊娠、つわり。ホルモンバランスが乱れ、吐き気が止まらず、常に体調が悪い状態。
胎児が奇形になったり先天性の病気にならないよう、食べてはいけないものや飲んではいけない薬があるため、
食事に気を遣い、病気にも感染しないようにしなければならない。
しかし共働き化が進んでおり、病原菌がウヨウヨした環境である通勤や労働はしなくてはならない。
陣痛、出産。何十時間も苦しんだり、脳出血を起こしたり、多量出血で生死の境を彷徨ったり。
会陰をハサミで切断する痛みもよくわからないくらいの陣痛の激痛。
産後、0歳児保育。夫は外で労働するので家事育児は育休取得した妻のワンオペ。
授乳で乳首に裂傷ができ、夜泣きで眠れず、精神状態や思考力はボロボロに。
赤子が泣きわめくのでトイレにも行けず、自分の食事もとれず、寝ていなくて憔悴した状態でいると、
夫から「仕事して疲れて帰ってきたのだから、家では癒されたいのに、部屋が散らかっているし、飯ができていないし、
子供がうるさいし、全く癒されない。俺が稼いできた金で食ってる専業主婦のくせに、一日中家にいるくせに、なんだそのざまは」と文句を言われる。
体質的に母乳が出ない、乳腺炎を起こした、乳首の傷が悪化して痛みが酷すぎて授乳できない、
などの理由でミルクを使うと「完全母乳でないと母親失格」と難癖をつけられる。
復職。運よく保育園に受かることができて復職できても、子供が頻繁に発熱して、
そのたびに迎えにこいと言われて、同僚から白い目で見られながら早退しなければならない。
保育園のお迎え時間のために時短勤務して、早退が多いことで子無し時代よりも大幅に待遇は下がり、
そのせいでフルタイム勤務で稼げている夫からはきつく当たられ、労働・育児・家事・厳しい周囲の目で身体も精神も疲弊しきった状態が数年続く。
そうやってお前は育てられましたよって言われても、母親に感謝しようっていう気持ちが起こらない。
じゃあ、産むなよ。育児が大変なことなんか、事前情報でわかりきってることじゃねえかよ。
つわりも出産も保育も死ぬほどキツくて、しかも近年は夫の賃金ダウンや教育費の高騰により
共働きしなければいけなくなっているから、専業主婦で良かった90年代までと比べて母親のキツさはマシマシになっていて、
そんな情報いくらでも転がっている当たり前のことじゃねえかよ。
「私はお前のために、私の手首を切ってあげました。私は首を吊ってあげました。感謝してください。」って言われても、
頼んでねーよ、有難くねーよ、ただただ怖えよってなるだろ。
産んでくれって頼んでないし、そんな死ぬほどの苦労されるなら産まれたくもねえよ。
いや避妊しとけよ。ふざけんなよ。そうして母親が死ぬほど苦労して育てた子供が育っていっても、高校生になったら死ぬほど勉強しなきゃいけないし、
大学生になったら死ぬほど就活しなきゃいけないし、採用されたらされたで地獄みたいに労働納税し続けないといけない人生が待ってるだけなんだよ。
金の話を面接でしてはいけないみたいなアホの考えそうな非論理的な日本人クッソ嫌いやわ
労働契約結びに来てるのに金の話をしたら失礼とかそんなバカな話があるか?仕事なんか全員金のためにやってるし賃金アップ望んでんだよ
1年前の事を突然言い出して何故か女叩きをするリュウジはキモいしフェミ叩きの流れには反対するけど、
「年上(特にアラフォー)なら年下(特に二十代前半)に奢って当然」という意見が、フェミニストの人達の間から当たり前のように出ている事には絶望する。
いや、今のアラフォーや40代50代って、就職氷河期世代でまともに就職出来ず、若い人達よりも貧困な人が多いんですけれど?なんで当然のように年上なら金を持ってるって前提なの?
少なくとも私は二十代前半女性の平均よりも絶対に低賃金で貧困だよ。
稼いでないなら安い店に行けって言われても、安い店でも嫌だよ。割り勘ならいいけど自分より稼いでる若い人の分まで払いたくねーわ
年齢に応じて賃金が上がる訳がないのは女性に顕著な傾向なんだから、フェミニストならそれこそ反対すべき思考だと思うんだけど、
男女差別は駄目でも年齢差別はOKという人がこんなにも多いとは。
この人、こんなふうにナチュラルに「年上なら奢るべき」思想の持ち主だったのか…ってショックを受けている。
発達障害とか貧困中年とか言ってたから、弱者女性仲間かと思っていたのに裏切られた気持ち。
https://twitter.com/shisoyama/status/1709158045480267976
しろやま🦫
@shisoyama
男女とかジェンダーとかじゃなくて、アラフォーが20代と良い店で飲んだらアラフォーが払うもんだと思うよ。特に稼いでいるなら。稼いでないなら安い店に行け(断られる可能性は高い)
ふるさと納税ってそんなに悪政か?
自治体の労働力を無駄遣いしてると言われるけど、そもそも地方税の収支バランスを取ることはもとから無駄な労力だったわけじゃん。
今はそれを弱肉強食かすることで死んだ地方の自己責任論のもと強者目線では効率化されていってると思う。
中央に手間だけ押し付けて自分たちはピーピー悲鳴を上げているだけで済まそうとする受け身体質の自治体の多くが自立心に目覚めてる。
そもそも地方創生の本質は地方に「自分たちが頑張ることしか道はない」という自立心を促すことであり、へその緒から全栄養を貰えばいいという甘えさえ産んでいた今までの地方財政制度はそれを阻害してたんだよね。
それはまるでパート賃金の見えない上限のごとく「下手に頑張るだけ損じゃね?」という閉塞感を産んでいた。
でも今は頑張れば頑張るだけ結果が出る理想的な競争社会が地方財政に開かれている。
一見強みのない自治体であっても様々な創意工夫に寄ってふるさと納税で優位に立つことが可能。
「弱いままでもいいんだよ」という態度は一見優しい用に見えて実際は相手をいつまでも弱者として縛り付ける見限りでしかなかった。
強くなることを義務付ける野生の価値観に戻ったことで地方は再び活力を取り戻していってる。
そういう見方は出来ないのかね?
共産党の議員が三重県での官製婚活を異様に敵視して反対の声を上げているけれど
反対の理由として、若者が求めるものは「大学までの教育費を無償化にしてほしい」「給料が上がること」だって言うけれど
それだって別に官製婚活に反対する理由にはなってないよね?どっちもやればいいだけの事。何故廃止と紐付ける必要があるんだろう?
教育費無償化や賃上げの要請を理由として官製婚活に反対するのは「子供の教育に必要なのは図書館や文化会館だから公園や広場は潰そう」と言っているくらいにおかしな理屈なんだけど。
結婚するしないは個人の自由だから官製婚活は駄目って理屈?でも別に強要する訳でも何でもないのに…。
(賃金上げて個々人の可処分所得を大幅に増大させた上で子供を産むも産まないも個人の自由に委ねればいいだけの話だと思う)
なんで左翼やリベラルの人達は恋愛や結婚に関しては何ら支援の無い剥き出しの自由競争社会を望むのに
パートの契約更新のお知らせと書類が本部から届いた。時給が90円上がり、3ヶ月ごとの雇用契約の更新だったのが無期限になった。
私は夜はコンビニでバイトをしていて、そっちの方がメインで月5万7000~6万1000円くらい稼ぐ。コインランドリーの方は月2万円くらい稼げればいいといってシフトを調節していたので、少し前なら時給が上がってうれしいと思うよりも先に戸惑っただろうけど、最近の世の中の動向を見ると、主婦パートの時給を上げたらシフトに入って貰えなくなったという歪みは改善していく方向性に行ってるっぽいので、時給のことでいちいち不安にならなくていいのかもという気がしてきた。まあ、半端に多く稼いでも、そのぶんの賃金は私の懐には入らず税金になるだけのような気はするけど。
10月のシフトが送られて来たが、なかなかエグい。私が二日連続で出勤した後二日連続で誰もシフトに入らず、その翌日に癖つよ先輩が入り、翌日はまた誰もおらず、その翌日に私が二日連続で働く……ということなので、9月のように癖つよ先輩がドタキャンしまくると4日くらい店は職員不在のまま放置されることになる。
コインランドリーは二日空けるのが限界だといわれる。乾燥機や浄化槽に埃が詰まるからだ。浄化槽のほうは、数日放置するとドブのような臭いになるのと(当店は洗濯機とバックヤードの洗い場からしか排水が出ないので、浄化槽はちゃんと手入れしてあれば石鹸の香りしかしないのだ)下水管が詰まり易くなるかもしれなくて若干人迷惑なくらいのものだ。
だが、乾燥機の場合は詰まった埃が原因で故障が起きたり最悪火事になることもあるので、何日もほったらかすと危ないのだ。
癖つよ先輩に1日でも休まれると乾燥機が危険にさらされるシフトの組み方なので、癖つよ先輩欠勤の場合は私が臨時でシフトに入ることになる。毎日私と癖つよ先輩が交互に入るシフトだったらこうはならないのだが。
なんだか試されているようであまりいい気分ではない。空いたシフトを私が補い切れずに根を上げることを待たれているんじゃないかと、被害妄想してみたり。その場合、試しているのは本部なのか癖つよ先輩なのか。
癖つよ先輩から先日急にLINEがきて、ぶっちゃけ来月はシフトに入ろうかどうか迷っているとかいう内容だったんだけど、そんなにお忙しいなら辞めていただいて結構ですのよw ってリプライしたくなったけどしなかった。
最近季節の変わり目で、新規のお客様たちが羽布団を何枚も抱えて来店するのに、職員不在な日が多くて商機を逃しまくっててよくないなと思うが、私にどうにか出来ることでも私がどうにかすべきことでもないので、まあしょうがないよねーと思って知らないふりをしている。
賃金が2倍になっても、物価が2倍になれば実質賃金は変わっていない。
西村ひろゆきが以下の動画で無知を曝け出すような発言をしていた。
https://twitter.com/fujit_ECbassman/status/1662344231535673344
田端氏が言いたいのは、おそらくこういうことだ。
「人件費が安ければ、それを補おうとして価格に転嫁することがない。だから安く提供できてモノの需要が高まり、利益になる」
そしてマクロ経済でみると、あらゆる企業が西村の考えに基づいて賃上げをすれば、物価と賃金が高くなっていき、経済の名目値だけが上昇することになる。
このようなインフレをしても、実質経済はなんら成長していることにはならず、単に取引される数字だけが多く見えている状況になる。