はてなキーワード: 理不尽とは
SNSで以前、小学校~中学校までの同級生を見かけた事があった。
ヤツは某国出身で、「日本のイジメがいかに酷かった」を語っていた、いや騙っていた。
ヤツは「日本でひどいいじめを受けた、それが苦で自国へ帰った」
「でも勇気を出してもう一度日本へ来て、今は日本で暮らしている」
みたいな事を切々と語っていたが、こいつが言ってる事は大嘘だった。
まず、いじめをしてたのはヤツの方だった。
元々外国人やその二世三世が多い地域で、学校にもコミュニティが形成される程度には居たし、
ヤツは外見以外は日本産まれの日本育ちで当然日本語も普通に喋れたから、
しかし、段々と調子に乗りすぎる様になり、女子にはスカートめくり、男子には下着ごとずり下す、頭を思いっきり叩くという嫌がらせを始めた。
女子の中には下着に手を突っ込まれたりした子までいた(らしい、後で「実は…」という形で聞いた)
その中でも気の弱い子は、男女問わず執拗に攻撃され、金を盗られたり血が出る暴力を振るわれる被害を受ける子も出てきた。
授業中も奇声をホイッスルの様にあげては騒ぐので皆が集中できず、次第に奴の周りから人が消えた。
しかし相手にされなくなったストレスからか、嫌がらせはエスカレートするばかりだった。
しかしヤツの母親は(普段は普通に流暢に喋ってる癖に)そういう場面になると途端に日本語不自由になった。父親も同様だった。
三者面談などで担任がヤツの問題行動を両親に伝えようとしても、「ニホンゴヨクワカリマセーン」で誤魔化されて終了。
それでも何とか伝えようとすると「外国人差別!」を錦の旗の如く振りかざし、陰にいる団体の名前を仄めかしていた(らしい)。
そんな理不尽があってたまるか、と思っていたが、両親らの噂話から、ある程度真実に近いという事が分かり、絶望した。
その後、理由は分からないが、彼は突然家族と共に故郷に帰った。皆安心した。
ヤツがSNSで訴えていたイジメの内容は、そのまんまヤツがイジメ被害者にした事だった。
散々迷惑をかけた加害者のくせに、コロリと被害者ぶるんだよね。
そういうヤツはネットでもよく見かけるけど、実際を知ってるだけに余計憤りが収まらない。
自分が悪い癖に、被害を与えた人達に謝罪もしていない癖に、被害者面して責任転嫁しやがって。
被害者を加害者扱いして、周囲の取り巻きもヤツに同調して、自分達は「ヤツをイジメていた狭量な理解無き日本人達」呼ばわりだ。
本当に最低だ。
別に、何としてもカップ数を書いといて欲しいってわけじゃないのさ…
カップ数にこだわりがあるわけじゃねー。
全員が全員、誰かが言ってた、民主主義の基盤を護るための表現の自由を確保したい、って理屈を信じてるわけじゃない。
民主主義の為に、カップ数を書かないでほしいと言ってはダメ、ってなんか飛躍が過ぎるし。
本音はそうゆーのじゃないのさ…
オレらが毎度のオッパイ関連表現批判に、ここまでブチギレてるのは理由がある。
まぁ、誰も表立っては言わねーことだけど、本当は皆んな認識してる。
要するに、性欲を否定されるのにキレてんのよ。
直感として、性衝動を表に出してはいけない、みたいに倫理の圧力で抑えられるのに我慢ならねえ。
性衝動の重みを知ってる男は全員が自分から自制してるけど(イカれ野郎を除く)、表立って改めて言葉で念押しされるのは、腹が立つ。
何というか… 生まれたときから一緒にいるイヌを侮辱されたような気持ちになるのさ…
そんなんされたら、いがみあってた兄弟同士でも皆んな結託して、阿吽の呼吸で連帯して、戦争開始だ。
面倒もみてやった、駄々をこねられて理不尽に振り回されたりもした、でも喜びも教えてくれた。
女に説明すんのは、難しい。こういうのって経験してる人間にだけ腹落ちする感覚だろう。
男だって、こんな曖昧な感性を前面に押し出すわけには行かねーよ。
だけど、知らん女よりも、誰よりも間近で一緒に生き抜いてきた、親友なんだ。
否定されたら、まぁ、キレるよ…。
医学部に入学してから本音で話せる友人がいなくなった。学内は「実家の太い」同期ばかりで、そいつらに日々話を合わせるのが辛くなってきているところだ。以下長文失礼する。
僕は都会の国立医学部4年で、今は地元を離れ一人暮らしをしている。卒業した高校は、地方の例年の東大合格者が0-1名の自称進学校だった。とりあえず地元国立を目指し、落ちたらニッコマという生徒が多かった気がする。学年順位がずっと一桁だった僕は、医学部に一般枠で合格した。ちなみに僕の家系に医者はおらず、両親は地元の会社員である。
入学した当初は医学生というブランドに浮かれていた。同時に自分の人生は安泰だという喜びも噛み締めていた。入学式後のオリエンテーションで開成桜蔭聖光といった有名高校出身の同期と初めて顔を合わせた。僕はSAPIXや鉄緑会に頼らず自分の力だけでここまでやってきたという優越感に浸っていた。
しかし入学後の部活の新歓で徐々に違和感を感じ始めた。高級そうなバーで先輩方に奢ってもらえることに驚いていたが、それ以上に有名高校出身の同期たちのコミュ力というか馴れ馴れしさに戸惑っていた。どうやら新歓はセレクションも兼ねているらしく、僕は人気のある部活には悉く落とされた。入部を許可されたところはチー牛ばかりだった。仕方なく男ばかりの部活に入部することになった。
とはいえ部活の同期たちは地味だが人の良さそうな奴ばかりだった。僕も陽キャがイキっている部活には馴染そうになかったので、セレクションに落ちたことは特に気にしていなかった。だが部活同期の宅飲みで興ずる、負けたら数千円単位で奢るという罰ゲームは大変苦痛であった。バイトで稼いだ貴重な金がくだらないお遊戯に浪費されていった。当初は部活の同期しか友達がおらず、気乗りしないながらも参加していた。
そのうち僕はだんだん部活に居づらくなって2年になる前に辞めた。とはいえ2年からは解剖学、生理学などの様々な実習があり部活以外の同期とも話す機会が増えた。同じ解剖班で東北出身のW君とも仲良くなれた。彼は小中高と地元の公立であり、僕とバックグラウンドが似ていて非常に親近感を覚えた。彼は部活には所属しておらず、バイトでお金を稼ぎ国内をあちこち旅行をするのが趣味らしかった。僕とW君は個人的に飲みや旅行に行くことも度々あった。
つい最近、W君とCBTに向けてiPadでQBを解いている時だった。(ちなみにCBTとは全国一斉の共用試験で、QBとはオンライン問題集のことである。気になる人はググってくれ)CBTの点数は初期研修病院を決定するマッチングに影響するという噂もある。僕はふと気になって、W君に卒業後はどうするのかという話を振った。「どーでもいいんだよねえ。だって俺、実家太い方だし考えてないかな。」と彼は間伸びした声で答えた。詳しく話を聞くと彼は地主の息子で、不労所得があり最悪働かなくても生活できるのだそうだ。僕は少し苛立って、なぜ医学部を受験したのかと問い詰めた。W君は、一言「だって社会貢献してみたいし、医者ってかっこいいじゃん。」とだけ言った。
「親ガチャ」というセンシティブなワードが頭をもたげた。これまで一緒に飲みに行って馬鹿騒ぎしたり、大変なテスト勉強を共に乗り越えてきたW君とは、僕はそもそも同じ土壌に立っていなかったのである。僕は、気だるそうに何やらiPadに書き込むW君を少し冷めた目で眺めていた。なーんだ、彼も結局こっち側の人間じゃなかったのか。日頃から僕が、羨望の眼差しを向けている「カネ」とか「コネ」とかを、彼は水道水みたいに当然のように与えられたものだと思っているみたいだった。
為せば成る、努力は実を結ぶ、と言った陳腐なスローガンを掲げてきた地元の高校教師たちの姿が頭に浮かんだ。彼らは本気でそんな言葉を信じていたのだろうか。大学受験だってその先の就活だって、結局は「親ガチャ」じゃないのか。僕は、そんな思いをいつかW君と語り合いたいと思っていた。彼ならきっと、この世の中の理不尽さを分かってくれるはず。
息子が医学部に入ったと近所に吹聴する地元の両親を、僕は悪く言うつもりはない。帰省する度、父は、僕の医学部での学生生活を楽しそうに聞いてくれる。父はずっと医師になりたかったのだそうだ。流行りの「親ガチャ」なんて言葉で両親を責めるようなことはしたくない。
そんな折でもCBTの受験日は刻々と近づいている。なるべくW君との関係は壊したくはないから、この思いは胸にそっとしまっておく。彼とはまた明日も勉強会を開くつもりだ。Twitter文学のようになってしまったが、ここまで読んでいただき感謝申し上げる。
新卒から入社し、300年間勤めたNTT系列の某社を退職しました。バレ対策のためにフェイクは多めに混ぜていますが、皆様の参考になればと思いここに備忘録を残します。
当時の私は、(ここまで書いた。以下全てAI)
就職氷河期真っ只中の最後の世代でして、大学を4年で卒業するも就職先は見つからず、大学院進学も厳しい状況でした。そんな時、とある企業の方に声をかけられました。それが今の会社です。今思い返すと、かなり怪しかったなと思いますね。何せその時は内定ゼロだったわけですから。
その会社は、ある人材紹介会社を通して私に接触してきました。最初はその会社の事務所まで来て欲しいと言われましたが、私が警戒心が強かったせいか断ってしまいました。その後メールでのやりとりが始まり、最終的には面談をして頂けることになりました。そして、そこで言われた言葉がこれです。
・週休2日制。
・社員寮完備。
・福利厚生充実。
・有給休暇有り。
etc…….. 正直、怪しいとは思ったものの、提示された好待遇には惹かれるものがありました。
それから、私の生活は一変したのです。まず、紹介された人材紹介会社の紹介で、都内にある某オフィスへ通うことになりました。そこでは、毎日朝9時から夕方5時までみっちり研修を受けさせられました。
また、週に1回ほど休日出勤がありました。内容は主に電話対応や顧客からの問合せ対応などでした。当時はコールセンター業務というものを知りませんでしたので、とても大変な仕事だと感じていました。
また、研修中はほぼ毎日終電帰りの生活が続きました。しかし、そのお陰でスキルを身に付けることも出来ましたし、転職活動の際に有利になるような資格を取ることもできました。
ちなみに、当時勤めていた会社は、定時が15時半であり、就業時間は8時間労働となっていましたが、研修期間中は拘束時間が18時間半もありました。つまり、実質12時間以上働かされていたということです。労働基準法に違反していることは明らかです。
さらに、休日出勤に関しては、有給休暇を使って良いとのことでしたので、実際休みを取ったことはありません。
このように、明らかに異常な環境ではあったのですが、それでもなんとか耐えてこれたのは、給与が高かったことが大きいでしょう。当時の月収は約25万円でしたからね。これは相当な高収入と言えるはずです。
また、残業代が無い分、労働時間が長くても問題ないというのも大きかったですね。もしこれが10時間を超えていたらと思うとゾッとします。この辺については、実際に働いていた方ならご理解いただけるかと思います。
さて、こうして入社してから約3ヶ月が経過し、私はようやく独り立ちすることになりました。ここから先は、完全に独立した企業となります。当然給料は下がるわけですが、その代わりに自由を手に入れました。
そうして始まった私の社会人生活ですが、ここで思わぬ事態が発生しました。それは、上司との人間関係の悪化が原因です。最初のうちは普通に接していたのですが、徐々にエスカレートしていき、ある日突然怒鳴られるようになりました。もちろん理不尽極まりないことです。こちらに落ち度はないわけですから。
そこで私は、上司に対して猛抗議を行いました。その結果、今度は逆に私が叱責される立場になりました。なんとも皮肉な話です。
そして、ついに堪忍袋の緒が切れた私は、社長に直訴しました。すると、驚くべきことに、あっさりと解雇を言い渡されてしまったのです。理由は明白で、会社に対する忠誠心の欠如です。確かに、あの劣悪な環境下では、誰だって辞めたくなるものですよね。しかも、その時の社長の言葉がこれです。
・お前みたいな奴はいらない。
・俺の人生に口出しするんじゃねぇよ!
・もう顔も見たくないから出ていけ!!
あまりの怒りに我を忘れそうになったくらいです。結局、私は泣く泣く退職することになってしまいました。
とはいえ、このまま泣き寝入りするつもりはありませんでした。そこで、退職後に知人の紹介で別の人材紹介会社に登録したところ、すぐに次の職場を紹介してもらえることになりました。それが今の会社というわけです。
新しい会社は、前職よりかなり条件が良く、待遇も良かったため、不満は全くありませんでした。ただ、ひとつだけ気になることがあったんです。実は、この会社は以前勤めていた会社の元社員が運営しているものだったんですよ。
それを知った時は驚きましたね。まさか自分の勤めていた会社がブラック企業だとは思ってもみなかったわけですから。
ちなみに、その会社の経営者は、私が入社する少し前に退職されたらしく、現在は別の方が経営されているようです。
また、その会社は、前の会社の時と同様に残業がほとんど無いことから、今はとても快適な生活を送れています。
ただ、唯一困ったことがあるとすれば、休日に社員の方々から電話がかかってくることですかね。まあ、仕事のことなので仕方がないのですが、もう少し頻度を落として欲しいものですね。
あと、転職の際には、やはり人材紹介会社を利用するべきだと思いました。何せ、今の会社の求人票には、週休2日制とか書いてありますからね。こんなこと、普通の企業ならあり得ないと思います。
これから就職を考えている方は、ぜひ人材紹介会社を利用してみて下さい。きっと、自分に合った良い会社を紹介してくれるはずです。
最後に、私が受けた面接で、人事担当者の方から言われた言葉をお伝えしたいと思います。
・まずは自分がやりたいことを言ってみろ。
・そして、それが何故なのか理由付けをしてみろ。
・そして、相手の質問の意図を考えながら答えるんだ。私にはこれが一番印象的でした。もし、あなたが転職をお考えでしたら、一度考えてみても良いかもしれませんね。
ちなみに、私の現在の職種はシステムエンジニアです。元々プログラマーを目指していたので、天職と言っても過言ではありません。
しかし、まだ独立して間もないということもあり、なかなか思うようにいかないことも多々あります。特に営業活動に関しては、本当に苦労しています。
それでもめげずに頑張っているのには、ちゃんとした理由があるんです。それは、独立前に働いていた会社で培ったものが活かせるのではないかと思っているからです。
確かに、前の仕事では辛いことも多かったですが、それでも、多くの知識を得ることができましたし、スキルを身に付けることもできました。それらは、今の会社でも十分に活用できるものだと思っています。
また、現在働いている職場の人間関係は非常に良好であり、とても働きやすい環境だと感じています。これも全て、以前の会社での経験があってこそだと考えている次第です。
もし、あなたの目の前に壁が立ち塞がり、どうしても乗り越えられそうもないと思ったら、一度立ち止まってみることを強くオススメします。そして、振り返ってみて下さい。そこには今まで歩いてきた道が必ずあるはずです。そこからまた歩き出せばいいだけです。
拙文ではございますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。少しでも皆様のお役に立てれば幸いです。
はてなブックマークはtogetterを人気記事一覧に入れるのをやめてほしいです。
はてなブックマークからの流入は質が低い上に場を荒らすのでただただ迷惑です。
PVの恩恵はほとんどないくせになぜか態度がでかいやつしかいないので空気が悪くなるんです。
不思議なんですけど、はてなブックマークコメントでひどいコメントをする人はtogetterを見たくないとか言ってるんです。
じゃあミュート機能使えばいいじゃんと思うんですがなぜか使わないんです。
https://bookmark.hatenastaff.com/entry/2022/09/20/130734
togetterのコメント欄でネガティブなコメントをする人って本当は好きなんですよ。
口では嫌嫌言ってるけど身体は正直という言葉がありますがそんな感じです。
本当は他人をけなして気持ちよくなりたいのに取り繕ってる人です。
会社では理不尽な上司にペコペコして、そのうっぷんを晴らそうにも風俗に行くお金すらないんです。
なんだかそう思うととってもかわいそうだなって思います。
可愛そうだけどよそでやってほしいです。
所属する会社で理不尽な上からの指示、これは本当の顧客のためになるのかという疑問を持つ。
でも会社からの命令だから、自分が納得できなくても仕事としてやらなければいけない。
そんな中、こんなニュースを見かけた。
https://twitter.com/hirox246/status/1578659178767228928
既に収録は終えていて、あとは原稿書いて書籍するというフェーズだったらしい。
「ああ、そういうことか」と認識した。
先日の参院選挙では落選したものの、その穴を埋めるかのようにう安倍首相暗殺からの統一教会問題で専門家として一気に注目が集まった。
そんな有田氏が、沖縄基地問題で叩かれるひろゆき氏との統一教会に関するプロジェクトを断った。
有田氏の中で、統一教会の問題を進めることよりも、ひろゆき氏と関わることで今後の自分の人生のほうが損をするという決断なのだろう。
それは有田氏自身の判断で、他者がどうこう言えることではない。
だが、多くの人は「有田芳生さんはこっちを優先したんだ」と思うこと、これもまたそう考える人の自由であり、他者はどうこう言えない。
9月以降、基本どの国も、ワクチン接種証明とパスポートさえあれば楽に入国できてびっくりするくらい拍子抜けだった。
朝飯2000円は当たり前のあまりの物価の高さに、ヨーロッパの街並みを散策する気も起きなかった悲しい出張だった。
問題が起きたのは、日本に帰国する時だ。みんなはMySOSというシステムを知ってるだろうか?
これは、どの国の大使館のページにも置かれている入国の手引きのリンクだ。
文章を読んでいくと
>ファストトラックの利用には「MySOS Web」または「MySOS」アプリによる事前の登録が必要です。
と”MySOS”という見慣れないシステムの説明が出てくるな。
「事前に審査さえしておけば、並ばずに入国審査済ませられるのか便利だな」
「でも、ちょっとめんどそうだから、チェックインしてから出国ロビーでやっておけばいいか…」
みたいなことを思うかもしれない。
とんでもない間違いだ。
MySOSは「入国がちょっと簡単になる便利機能」くらいのものではなく
俺に何が起きたか教えてやろう。
一刻も早くラウンジでしっぽり決めたい俺は、足早にチェックインカウンターに向かった。
旅行会社から口酸っぱくいわれていた「パスポート」、「チケット」、「接種証明書」の3種の神器もバッチリだ。
「接種証明書のQRのことか?」とみせても、何の反応もなし。ともかく「QR certificate」の一点張りだ。
10分間の問答の末ようやく判明したのは、「MySOSで、日本への入国審査がすべて完了した証明のQRをみせろ」ということだった。
俺はパニックになった。
「事前に審査が通らないと、出国すらできないの?」、「HPにそんなこと書いてなくない?なんか見落とした俺?」
すぐさまHPに従って手続きを行うが、パスポート・ワクチン接種証明・入国アンケートはそれぞれ、段階的に審査されることになり、
無理だ。到底間に合わない。しかも、明日は大事なミーティングがあるんだ…。
社会人になって初めて半べそかいたが、厳格な空港スタッフも聞き入れてくれるわけがない。
そうりゃそうだよ…仕事なんだもの。はたからみれば俺はカウンターを占領する迷惑な旅行者でしかない。
自腹で予約した最寄りの安宿(1泊1万5000円)でこれを書いている今、ようやくMySOSの登録完了の通知が来た。
なんでこんな仕組みになっているのか…とシステムの理不尽さを呪う気持ちと、
事前の下調べをしない自分の不明さに腹立たしい気持ちでいっぱいだ。
基地があることはもちろん大変なことだが、多くの県民にとっては、地位協定の理不尽さ、そしてそれに乗っ取った米兵の行儀の悪さのほうがリアリティある迷惑なので、そっちの線で攻めた方がいいのではとも思うのだが。
沖縄県内の地域間差別は実は根強く、天久や牧港といった“中心部”が返還され、やんばるに集約されるなら、それもよしという感も、正直、ないではない。普天間ですら、「基地があるとわかって住んでる奴らが悪い」という年配者はいる。
「第三者の人体そのものを妊娠・出産のために利用するものであり、『人を専ら生殖の手段として扱ってはならない』という基本的考え方に反するものである(生殖補助医療部会報告書)」
出すだけだから?後遺症の心配も自らの生命が脅かされる危険もないから?
理不尽だ
『いきなり定例会議に顔を出して「そんな説明資料じゃ分からん!」ってキレる社長みたいな理不尽さ、かな。そりゃお前向けに作ってないもん。お前は普段いないから。』
普段は「資料も読み込まずにいっちょ噛みで参加してくる老害wwwww」とか言ってるのに「本土の人間を味方につける必要があるとか言っておいて矛盾してるな(キリリッ」とか馬鹿かよ。
追記した
https://anond.hatelabo.jp/20221008164406
【基地について】
・騒音がうるさい
・なんか危ないイメージはある
・多分昔よりも基地問題はマシにはなってる
【政治的側面について】
・しかし、本土の人間の認識も変わらないか、なんなら無関心になったり、SNSでネトウヨみたいなのが増えてて悪化してる。
・本土人との間で基地問題を話題にすることすら、かなりハードルが高い。
・このままでは本当に良くない。
【反対運動について】
・高齢者が多い。実際暇じゃないと参加できない。
【この騒動について】
・数年ぶりに基地問題が関心を集めた。関心はないよりマシ。
・ただ、ひろゆきの「表現が不正確だから信用されない」そこじゃないだろ、と思う。
・なんで数年間こちらを見向きもしなかった人間のために、ずーっと「誤解のない、正確な表現」に気をつけなきゃ行けないのか。
・少なくとも、当事者(抗議団体と工事施行者)は座り込みの時間帯や抗議日数の「事実」をよく了解してる。
・「事実」を誤解したのは、急にやってきた非当事者だけ。部外者が「正確な事実を共有しろ」と要求する。迷惑行為だよね。
・いきなり定例会議に顔を出して「そんな説明資料じゃ分からん!」ってキレる社長みたいな理不尽さ、かな。そりゃお前向けに作ってないもん。お前は普段いないから。
とりあえず、
「一般の人が見たら誤解すると思いまーす!」って都合いいなとは思うね。
『発達障害の人が日々やらかすギャグ漫画のようなことは、周囲から見れば笑えることか苛つくことに見えるかもしれませんが、当事者の心の中は血と涙で大量に溢れ、劣等感と「消えたい」がめちゃくちゃ強まっています』
……ってツイートを見掛けたけれど、全くピンと来ないんだよなあ。
私は私がやらかすミスに対しては劣等感なんて一切持っていないし、
何なら自分自身でも、「どうだ面白いだろう」くらいに思っている。
他人が同じようにミスをしても特に気にしないし、みんなが私のように寛容な社会だったら何ら問題ないと思っている。
こんな両親だが、普通の環境、むしろ私大まで行かせてもらったし、恵まれた環境だと思ってた。
ゆえに、こんなにしてもらってるのに期待通りになれない自分が全て悪いと考えてた。
生活環境が変わり、少しずつ“生きづらさ”が消えてきたのでメモしておきたい。
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①自己否定しなくなった
何事も自分のせいだと考える癖があった。
いじめられた時も、いじめを見て見ぬふりした時も、バイトで他人の失敗をなすりつけられた時も、仕事で上司の言う通りにしたのに理不尽に叱られた時も…
全部自分に問題があるからこうなった、生きてることが申し訳ないと思っていた。
何度か死のうとしたが、死ぬ勇気もなくて本当に最低な人間だと思っていた。
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②何も考えずに鏡を見れるようになった
母からこんな鼻に産んでごめんね、かわいそうに、など言われて育った。化粧を覚えてからは塗りたくって繕ってなんとか鏡をみれる程度。
鏡や写真を見るのが苦痛だが、それは自分の顔が酷いからだと思ってた。
ブサイクだな~とは思うけど、別に普通に鏡をみれる。化粧が薄くても、ブサイクだわ…と思うけど外に出れる。
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③被害妄想がなくなった
たとえば人と会話してて、今の一言で気を悪くさせたのではないか?もう一生、私の姿を見たくもないだろう…と関係を絶つ、など。
ぜーんぜん、そんなことなかったのに。
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④イヤホンなしで外を歩けるようになった
周りの人が笑っていると、全部自分の悪口じゃないかと思ってしまってた。そんなことないと分かっているが。
周囲の音が聞こえないくらいイヤホンの音量を上げて過ごしていたので、本当に危険だったと思う。
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⑤悪夢を見なくなった
何度自殺しようとしても死ねない夢、殺されそうでギリギリ殺されない夢、他人を殺さなきゃいけないのに何度刺しても死んでくれない夢、このへんをよく見ていた。
寝ても疲れるので、寝るのも嫌になって軽い不眠でもあった。
今は普通に寝れる。快適すぎて今までの人生苦しかったんだなって気づいた。
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⑥希死念慮が消えた
死ななきゃいけないと思ってた。人に迷惑をかけずに死ぬ方法を見つけられなかったから、死ねなかったけど、まあ、生きるの苦しかったなあと思う。
いまは全然ふつうに生きてる。死ぬことを考えなくていい日々、楽しい。
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⑦明るい色の服を着れるようになった
明るい色の服を着るの、楽しいね。
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⑧とりあえずやってみよう精神が芽生えた
やりたいことがあっても、親にどうせあなたには無理と言われ、まあそうだよなって納得して諦めたことばかりだった。
最近はそんなことなく、キャンプしたりマラソンしてみたり、DIYとか、なんでもとりあえずやってみれるようになった。
結果、楽しくなったこともあるけど、総じてとりあえず楽しかった。
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⑨親の愚痴や不満を聞かなくていい
毎晩のように母の愚痴を聞いていた。休日は父がテレビなどに批判する話を聞いていた。あとは両親それぞれ、相手への不平不満も聞いていた。
その時間がなくなったので、自分の時間ができたし、人の愚痴を聞かなくてよい日々がめちゃくちゃ楽。
心も身体も軽くなった気がする。
座席移動するのって
納得できた試しがない
どうしたんだろと思ってみたら後ろの方に座り直してた
こういう座席移動行為って 倫理的、道徳的にどこでも許される無謬の行為なの?
でも、俺がその女の子の隣に座り直したら、それは悪になるんでしょ
26歳だった去年の3月ごろの昼間、青天を衝けのまとめ回をたまたまテレビで見た。ハマった。感銘を受けた。泣きそうになった。留年し就活もせずに大学を卒業して以来親から小銭をもらってブラブラしていた自分を強く恥じた。すぐにその夜に放送される最新話をスマホのリマインダーに入れ、自宅から二駅のオフィス街で募集をしていたコールセンターに応募。すぐに電話がかかってきて面接の日程が決まる。その夜は母の作った夕食を自室で食べながら視聴した。
面接へ。応募理由と勤務日数のみ聞かれ、平日5日フルで入れると言ったところ即採用された。面接から3日後に勤務を開始。慣れない早起き、質問するたびに睨みつけてくる不潔な社員、受話器の向こうで理不尽な爺さんや執拗に本名を聞き出そうとするおばさんに早々に心が折れそうになるも、藍作りに励む栄一青年を思い出し踏みとどまった。
二ヶ月ほど勤務する中でこの仕事に主に人間関係の面で嫌気が差す。社員もバイトも目が死んでいた。栄一が故郷を立ち一橋家に仕え始めたタイミングで別の仕事を探し始める。やりたいことはなかったが、大学時代に宅建の勉強をしかけたことを思い出し、手始めに資格を取ることを決意。その年の秋の合格を目指して格安の映像授業とテキストのある講座を受講。家だと怠けるのでバイト終わりと休日は近所の祖父母の家で勉強。権利関係や税で挫けそうになるも、映像をさっさと終わらせてひたすら問題を解く。
10月に宅建を受験。受かったような落ちたような微妙な気持ちになる。翌日月曜のバイトはあらかじめ休みをとって一日寝た。11月、発表直前の放送で千代が倒れて暗い気持ちになるも、無事合格していた。バイトをしながら不動産業界で転職?就職?活動を開始。年末には晩年の栄一と孫からエールを貰いつつ、年明けに関東郊外を拠点とするハウスメーカーに採用される。これを機会に人生初めての一人暮らし(埼玉だけど)。現在に至る。
試験勉強、就職、一人暮らし、営業活動、休日に職場の人たちとの外出など昔の自分なら考えられなかった。ただのニートがただのサラリーマンになっただけなのだが、俺にとっては大きな進歩なんだ。渋沢栄一氏とNHKには感謝してもしきれない。ありがとうございます。
青天を衝け!