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はてなキーワード: 多寡とは

2023-01-04

遵法意識が高いことをかっこいい、低いことをダサいって言うのに抵抗を感じる。遵法意識多寡は遵法意識多寡しかないし、なんなら盲目的に「法律から」で済ませる人の方がアレだと思う。もちろん低すぎてもアレだけど。

未成年飲酒をして更に言いふらすのは社会的に褒められた事ではないし、賢い振る舞いでもないけど、別にダサくはないと思う。本当にダサかったら誰もやらない訳だし。逆に二十歳になってないから酒は飲まないというのを貫くのも、別にかっこよくはないと思う。

バイクだってミラーとかナンバー外してノーヘルで走ったほうが見た目スッキリしてかっこいいと思う。でもそれは賢くない。

社会規範をかっこよさと結びつけるのはなんかプロパガンダみたいで気持ち悪い。

2022-12-27

anond:20221227020757

結婚式をして出席者を選ぶ時に好き嫌い判断してる時点でお金ではない判断軸持ってるじゃん。お金だけなら祝儀多寡で出席者を選んでるはずだ。兄弟という平均よりは金を出しそうな人選で渋って「自分の晴れ舞台に金かけて呼ぶ気はない」と思たってことは結婚式をするモチベーション金銭的な収支のプラスにないってことでしょ。

2022-12-18

anond:20221218075606

俺も「その文句を言うことで萎縮させたり抑圧させることで、事実上規制を促す」っていうやり口には思うところはあるな。

そりゃあ、まあ何らかの表現に対して何か物申すのも表現の一形態ではあるから、それ自体はいい。

問題は“物申した己の行為に対して責任感がなく不誠実”なところ。

個人レベルちょっとした意見批判なんだから反撃してくるな」って態度をとる。

けど、あの人たちは“表現に何らかの誠実性や、表現行為のもの責任感を持って欲しい”っていう意識のもと物申しているわけだろう。

表現ってのは有形無形の利害が内在していて、その多寡を把握するのが無理だからこそ個人レベルの是非判断が大きい。

その妥当性はともかく、あの人たちは“害”の方を重く見たからこそ物申しているわけだ。

なのに、そうして行った“意見表明という表現行為”に対して責任感がなく、それによって発生した“抑圧や萎縮効果という影響”に対しても不誠実な態度をとる。

何らかの表現不愉快な思いをしたり抑圧を感じた(と思っている)側が、責任感や誠実性を求めて物申している側が、いざ自分に矛先が向かったときちょっとした意見批判なんだから」と、“ちょっとした意見批判”に対して不服そうにする。

価値判断ガッツリしておきながら「自分事実を言ったまで」という風な態度をとる。

なかなか野性味溢れているなあと思う。

2022-12-12

ロリコンオタクのせいで日本人ネットから排除されていた

はてな村村長の語りに便乗して昔話しちゃおうかな

結構多くのWEBサーバアクセス制限で.co.jp .ne.jp .jpがdeny設定されていたって話である

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/kanose/status/1601270223386324992

 

2005年までの個人サイト自宅サーバブーム

個人ネット利用で大きな転換点は2005年くらいで、例えばブログのはしりはてなダイアリーサービス開始は2003年アルファブロガー選考開始は2004年youtubeサービスインが2005年だが、これらの特徴は「アカウントをとって企業WEBサービスを利用する」という、今では当たり前の方法だ。

だがこの以前にはそういう方式のものは少なく、ISPや借りたレンタルサーバ自分コンテンツアップロードして構築するというのが主流だった。

これは内部的にはLINUXサーバ制限アカウントを貰ってユーザーディレクトリの/WWWファイルを置くという事やね。

から最初のうちは個人サイトURLは「http://www.yourisp.co.jp/~aybabtu」って感じだった。~はUNIXユーザーホームディレクトリを示すのね。やがてバーチャルドメイン対応するサーバ会社が増えてhttp://www.aybabtu.rentarusabaa.comみたいな今では当たり前のURLになったんだが、最初バーチャルドメイン設定は有料だった。

MS Officeには「パブリッシュ」ボタンがあってそれを押すと編集してるファイル群の構造のまま指定したサーバFTPファイル送るみたいな機能もあった。(だがこれはShift-JISでUpするというクソ仕様で後に読めなくなるのだった)

httpの頭のHTはハイパーテキストで、参照箇所にはリンクが設定できて参照元ジャンプ(これも死語だ)できる電子文書なわけで、まさに公開はパブシュッシュ=出版なわけだ。今もサブスクリプション新聞雑誌定期購読というのはこの建付けが残ってるからだ。

 

ISPWEBレンサバにはユーザー権限多寡で違いがあって、ユーザに実行権限付与してperlなどのインタープリタを構築しておくと、テキストであってもファイル先頭にインタープリタへのパスを書いておくとそれが実行され、標準出力httpで返す。これがCGIで、ISP供与で多いHTMLファイルの公開だけの権限制限されたサーバに不満な層は「CGI実行可」のレンサバ屋に移っていった。

但しプログラムであるから、いい加減に書いてループ参照とか起こすとサーバCPUメモリを喰いつくしサーバダウンを惹き起こす。だからISP供与のでは実行権限を与えなかったわけだ。逆に言えばISPが必ずホームページ公開スぺースを供与するのに個人向けレンサバが成り立ったのは何故?と言えばCGIの実行が出来たからだ。

故にWindowsしか使わない人には難しい上級者向けだったのだが、これを優しいチュートリアル簡単設定出来るようにしてユーザーを増やして会社を大きくしたのがpaperboy&co.の家入一真氏なわけだ。はてな創業者近藤淳也氏と並ぶ個性的アントレプレナーと謂われた。その後堀江などと共にインターネッ党を作って都知事選に出て箸にも棒にもな結果になったのは黒歴史なので触れないで上げてください。特に堀江野菜でいじられるよりも傷つくので偉そうに政治の話してる時に「インターネッ党」とボソっというのは残酷な事なので止めてあげて欲しい。お願いします。

また、CGIでの使用言語perlが圧倒的で、perlで書いた掲示板スクリプトを配布するサイト趣味プログラマが星の数ほどいた。

こういう訳で初期のWEBで動的ページ=perlであってJcode.pmを開発した小飼弾氏は魔術師扱いされて崇拝されており、ブログブームが来ると圧倒的な人気を誇った。

今では多言語普通に扱えるのが当たり前だが、マルチバイト文字の扱いというのは難しく、文字コードがそれぞれ違うのがそれに輪をかけていた。例えば今でも日本語Windows上でフランス語中国語ファイル名は作れないだろう。また、最初からかなりの期間、Twitterでは日本語検索が出来なかった。youtubeでも日本語投稿できなかった期間は長い。

子飼氏はperl日本語使用できるようにするライブラリUNICODE対応にしてWEB普遍的日本語が使えるようにしたものだ。

ただ、HTLMと実行文を混ぜ書きできるPHPがver.4になるとデータベース連携が強化されていてデフォルトSQL文発行関数実装されており、perlCGIは廃れていってしまう。

 

またISPより高い自由度を求めて自宅にサーバを立ててそれを公開するという者も現れた。

はてなサーバデータセンターに置いてはいものの、筐体は町工場設計図を持ち込んでステンレスの1U筐体を自前で作っていたし、Pixivギガバイトシステムボードを使って自作した多数のサーバエレクター上に置いてむき出し運用してしていたので、自宅サーバ組の延長にあったのだな、実は。

アップローダ

 

こういう中で画像を公開する、動画を公開するというのはなかなか大変だった。

間内で見るという分にはファイルを置けばいいだけだが、問題になったのが「2ch晒し」であった。これは悪意を持って2chURLを貼るのだけじゃなくて、単にURLを書くというのも含まれた。

というのも2chURLが書かれるとアクセスが集中して大抵はサーバダウンしてしまう。すると他の契約者のサイトもページも見れなくなってしまう。

例えばヒーロー戦記主題歌みたいな社歌buzzった日本ブレイク工業サイトは重すぎて何週間も閲覧出来なくなった。社歌動画ファイルを置いていたためだ。

こういうサーバダウンは契約者の責任ではないがホスティング会社も許してはくれない。契約解除、つまり出ていけか、法人契約への変更かを迫られる。転送制限なしと言っていても実際に転送過多になると干すティングになるわけだ。

から2chは悪意の塊の他にサーバーダウンとサーバからの追い出しを惹き起こすので蛇蝎のように嫌われていた。2ch晒し→その時点でサイトを閉じてしまう人も多く居た。

 

するとこれを逆手に取ってアップローダあぷろだ)を自作サーバ運用してアフィリエイト収入を上げる者が現れてくる。

ただこれは著作権違反ファイルが上げられて訴えられる事もあるからそのリスク低減のためと転送制限の為にファイル容量に制限が設けられていた。

 

すると大きなファイルを共有したい連中はこれでは満足できない。

そこで目を付けたのが海外アップローダ運用しているサーバだ。運用動機日本アップローダと変わらない。だがファイルの大きさの制限が緩かった。

そこでそういう海外アップローダ違法性が高いファイルの共有に使われるようになった。やってたのは2chダウンロード板と半角板がメインだ。

 

ようやくロリの話

だがこれは運営には迷惑な話で、日本人は英語広告なんてクリックしない。しか商品販路が無いので日本からアクセス報酬は支払われない。つまり金を落とさず転送量だけ上がるのだ。しか海外では転送量従量課金は多かった。

 

更に問題なのがロリ画像アップロードされることだ。2次元ロリでも規制があるのに実写ロリは完全アウトだ。実写ロリが発覚した場合サーバ管理者は必ず逮捕される。マグショット新聞掲載されTVで晒され、釈放後も幼児被害者性犯罪者なのでGPSロガ装着が義務付けられ住所は共有される。二度と部屋を借りる事は出来ずに一生トレーラーハウスキャンピングカーを買って橋の下生活となる。

こんな実写ロリ画像動画アップロードする奴が居たのである

 

そこで管理者としては日本からアクセスが増えたのを確認した時点で遮断するしかない。一生を棒に振る可能性を回避するためだ。

圧倒的によく使われるWEBサーバapacheでは.htaccessというシステムファイル記述してアクセス制限を掛ける事が出来る。ここで国別IPアドレス指定するのはちょっと難しいのでdeny from co.jp deny from ne.jpという風に書くとドメインco.jpne.jpからアクセスを全部弾くことができる。

この時にディレクトリ指定を「/」にするとそのサーバの全てが弾かれて403エラーが出てしまう。しかバーチャルドメインも同じなので思わぬところで403エラーが出る事もある。

そういう訳であちこち海外サーバ日本からアクセス拒否されていた。全て2chダウンロード板と半角板のやつらのせいである。

自分アメリカ田舎新聞社のトップページ403を食らったことがあるから嫌われ方は相当なものだと思う。「やるべき.htaccessの基本設定」みたいなのに書かれて共有されたのかも知れない。

 

因みにダウンロード板と半角板は2ch名物厨房板だったのに、今見たら無くなってるのな。諸行無常だ。

 

AYBABTU

2005年サービスインしたYoutubeだが、翌年にGoogleに買収されたもの最初は元paypal社員らが作ったベンチャーだった。

だが最初著作権違反コンテンツばかりであって、自作ビデオというのは少なかった。

特に酷かったのがまた日本人で、最初10制限がなかったのをいいことにアニメの全話丸上げみたいなのが大量にされており、当事者アニオタ達も「ここまでやったら閉鎖されるだろ!」と諫めるほどだった。

そんな中で2006年6月Youtubeが数日間の大メンテナンス突入し、画面には「All your video are belong to us」というブロークン英語が書かれていて騒ぎになった事があった。

これの元ネタは「All your base are belong to us」で、古いセガゲーム英語版で出てきたセリフだ。深刻な場面で突然めちゃくちゃな英語をいう。このおかしさでFLASHが作られたりとミーム化していたものだ。

しか日本ゲーム結構あちこちバカ英語を作ってて、engrishとかjanglishとか言われてネタにされていた。日本で言えばアヤシイ中国製品の日本語を愛でるような感じだ。

そこでYoutubeあんメッセージを出したので、日本ネット民は身に覚えがありすぎて「アニオタのせいだろ!また排除されるだろ」と責任なすり合いと相なったのだった。

因みにその後も日本人の利用が制限とかは無かったので誤解だったのだが、海外アップローダ見つけては403の焼き畑とかロリ画像問題とかがあって、その後のアニメフル全話という流れだったので過剰反応をしたのであった。

 

以上、ロリ403の話でありました。

2022-12-08

anond:20221207085747

大金持ちで保険入っても入らなくても家族が困らない人にとっては生命保険は全く必要じゃなくて、自分が死んだとき家族お金を残さないと困る人が保険に入る必要のある人。

これは期待効用が高いから入るんじゃなくて、期待効用マイナスだけど制約条件として入る必要が生じてるから入ってるもの必要から逆算して保険選ぶし。義務的で行動が効用多寡で決まっていないか金持ちは入らない。

2022-12-06

はてフェミ嘘吐き(男性への責任転嫁)はいい加減にせえよ

「男は家計支えなくていい」で↓ブコメ2つが百のスター集めて上位ブコメになってるけどさ

女性の方が稼いでいるとか女性の方が学歴が上、というのを男性側がコンプレックスに思ってしま結婚に至らなかったケースを結構見ているので、そういうのは変わって行って欲しいなぁとは思う。

これは、実は「女が下方婚しない」のではなく「男が上方婚しない」が実態なのではないか示唆する結果だが

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/topisyu.hatenablog.com/entry/2022/12/05/073000

 

各種の意識調査で、

男性結婚を前提とした交際相手収入多寡を気にせず(パートでも高収入でも気にしない)」

「逆に女性結婚を前提とした交際相手に明確な希望ラインを設定している(低収入男性足切りして眼中に入れない)」

という調査結果がハッキリ出てるんだよね。

女性結婚相手を選ぶ際、経済力を重視する傾向があるようです。

女性の回答で多く見られた妥協ラインは「年収400~650万円」でした。

男性年収に関して「自分以上」もしくは「世代別の平均年収以上」の稼ぎを期待するという回答が68%を占めました。

https://limo.media/articles/-/26593

男性は半数以上が自分よりかなり上でもOKとしている

半数以上の女性自分より収入の低い男性は考えられないと回答。

女性男性自分より多くの収入を期待する。

男性自分収入に対し、相手収入は気にしない。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000485.000001346.html

フェミ自分の内にある願望(女性上昇婚女性自身の望みではなく男のせい、と責任転嫁して男に原因を押し付けたい幼稚な他責志向)に都合が悪いからと、調査結果を無かった事にしないでね。卑怯だよそれ。

 

なによりクソいのは、こんなちょっと調べればわかる捏造デマブコメスターが集まって上位ブコメになってしまう、はてブ(の一部フェミニストユーザー)の絶望的なまでの情報リテラシーの無さ。あるいは故意の悪意による捏造デマ拡散行為

馬鹿馬鹿な事を書くのは仕方ないにしても、それを他者検証して誤ってれば否定するべきで、逆に肯定的に扱って目立たせて拡散させるって、最低だろ。フェイクニュース大好きなQアノンかよはてフェミは。

 

ちなみにこの指摘、2度目です。

https://anond.hatelabo.jp/20220416030651

こんなにデマを何度も繰り返して、嘘も100回言えば真実になる、を狙ってるの?

デマを指摘する側が根気負けして言い返さなくなってデマ言いたい放題になるのを狙ってるの?

ほんっと、卑怯卑劣な連中だな。

何かあるとすぐ嘘で男に責任転嫁する幼稚な他責志向もええ加減にせえよはてフェミども。

 

ミソジニストが女叩きの時だけ思い出す『男性自殺率が高い』も、女が楽をしている訳ではなく、男さんのジェンダーロール縛りプレイで、弱音を吐く事すら禁忌とし過ぎる部分が大きい。

ミサンドリストが男叩きの時だけ言い出す「男性自分で縛ってる」も、男が自ら望んで縛ってる訳ではなく、上調査結果のとおり女さんからジェンダーロール要求プレイで、縛りを解くと異性扱いされない部分が大きい。

2022-12-03

anond:20221203090448

体重多寡で、単純に優劣を感じる価値観こそに疑問を感じる。

身長だって筋肉だって違うだろうに。

2022-12-02

anond:20221201231414

元増田税理士だよ。

書き方が悪かったかな?

B/Sについてというタイトルだし令和3年度時点で、と書いたからこれまでの累計だと伝わると思ったのだけど。

まさか令和3年度単年と言ってくる人は想定外でした。これからはより低く見積もるように注意するね。

1億円ずつにして書きたかったら7千万省いたのは謝るよ。だってそこはさすがにただの数字から見たら分かるし…、ってかそんなとこ突っ込まれるとは思わなかったよ。主旨はこれまで得た利益現在どんな資産になったかってことなんだけど。

あと令和3年度単年の積立ては1億円だよ。前期までの積立てはアパート建設のために取り崩してるよ。活動計算書見れば分かるでしょ?

変動費って売上に応じて増減する費用のことだよ。助成金寄付なんて水物であって工事現場じゃないんだから結果的に多額になるものであって変動費にはそぐわないよ。だって助成金寄付金が少額でもColaboの活動継続するのであれば人手はその多寡に関わらず一定の人数が必要でしょ?

あとに活動計算書うんぬんはコメント差し控えますね。

さすがにそこまでブクマカバカにはしてないから。

なんでColabo擁護うんぬんになるかな?

預金たんまり持ってて持て余してるのに寄付募ってんじゃねーよってコメント批判しただけだよ。

別にColaboのB/Sじゃなくても成り立つ批判でしょ?

さて党派性ダダ漏れしてるのはどっちでしょーか?

2022-11-21

anond:20221121212852

男のほとんどは子どもが欲しくて結婚するので、

子どもが欲しいと思わないなら年収多寡関係なく(※)男女とも結婚するメリットはないよ。

あなた自分お金自分で使いたいってことなので、このまま一人暮らしした方がいい。

※一人で暮らしていくにもつらい低年収世帯は別。結婚希望を見出すしかない。

 結婚したがる女性男性より多いのはこれが理由

2022-11-01

anond:20221031193429

Wikipedia を見ると以下のような記述があって、これが「ご破算にすると五分五分」の由来?ではないかと思う。

司会者が外れドアを開けた直後に

ステージUFO宇宙人が飛来して

≫残った2つのドアから選択させたら五分五分

ただこれは、持っている情報多寡によって状況判断の正確さが変わる、というだけの話だよね。

宇宙人から見たら 50:50

元の参加者から見たら 33:66

極端な話、正解を知っている司会者から見たら 0:100 で確率も何もない。

宇宙人が現れたからって元参加者から見た確かさが33:66から変わる事はない。そこを混乱してるだけでは?

anond:20221101085725

きっかけは盗撮じゃねぇか!」

も、盗撮が多すぎるからなのか、(多寡には関係なく)盗撮被害から女性を守ろうという意識が強いからなのかなんて判断つかんし

2022-10-23

鬼滅の刃嗅覚人間の本性その他の話(1)

 世間流行の移り変わりとは無関係に、私は度々『鬼滅の刃』の原作単行本を読み返しているのだが、またも同作を読んでいる。

 ここ最近の読み返す切っ掛けの一つとなったのは、例によって金関丈夫の『木馬と石牛』である。何度目だ。

 ひとまず最初に紹介しておく金関丈夫論文は「わきくさ物語」と題する一篇である

 これは、腋臭(わきが、えきしゅう)や体臭肯定的に捉えるか否定的に捉えるか、その相違について、人類学的な統計データに基づいて西欧人と東アジア人の腋臭体質の多寡(出現頻度)を比較するとともに、東西文学作品や文献に於ける腋臭体臭に関する記述比較したという内容である。今さら気づいたが、論文題名は『若草物語』のパロディである

 金関丈夫の論旨を大雑把にまとめて紹介すれば、次のようなものである。「人類学的に見て、西欧人の集団では腋臭体質の人の出現頻度が高く、日本中国などの東アジア人の集団では出現頻度が低い。それに呼応するかのように西欧では、身体臭い肯定的に捉えて讃美する詩や文学作品が見出される。それとは対照的日本中国では、身体臭いを讃美する文学作品記述は見られない。ひどい体臭の人が周囲から疎んじられるといった、否定的記述内容は見出される。日本文学においては、田山花袋の『蒲団』など西洋文学の影響を受けた近代の少数例を除けば、体臭文学存在しなかったのではないか」云々。これも今さら気づいたが『大衆文学』の駄洒落である

 それはともかく、かのナポレオン愛人に宛てて「近々戦場から戻るから風呂に入らずに待っているように」と手紙を書いたという有名な挿話を知っていると、金関丈夫の主張にも頷けるところがある。

 しかし、体臭文学に関して言えば、確かに金関丈夫の言うとおり国文学の中では劣勢なのかもしれないが、嗅覚のものは、時代の変遷や題材の違いによる差異はあれども、国文学においても大なり小なり着目したり描かれたりしてきたのではないかと思う。源氏香(※)のような遊びが生まれたぐらいなのだから香り匂いを味わうことの悦びを昔の日本人も持ち合わせていなかったわけではないだろう。それにまた、腋臭のような刺激的な匂いに対する肯定的記述が見られないからといって、体臭のものに対する愛好癖が日本人の間に存在しなかったとまでは断言できまい。好ましくない体臭に対する認識があったのならば、好ましい体臭に対する認識があってもおかしくはない。したがって、いま少し詳細な再検討必要ではなかろうかと思われる。[※注:源氏香は、室町末期以降の遊びであるが、源氏物語各巻の見出し源氏香の記号が付記されるようになったのは明治以後のことらしい。また、その記号は、組合数学テキストで例として挙げられることもある。]

 とまあ、こういった具合に「わきくさ物語」を読み直したことが切っ掛けで、嗅覚について色々と思いを巡らせていたところ、竈門炭治郎のことも連想して『鬼滅の刃』を再読し始めたという次第である

 ところで、上に述べたとおり、私は金関丈夫の主張に対しては批判的な考えを抱いているわけだが、そのような批判的思考は私の独創ではない。以前に読んだ本の記憶から「はて、国文学でも、それなりに嗅覚重要視されていたはずではなかったか?」と思ったので、金関説にも疑問を抱いただけなのである

 さらに、その時に本で読んだ内容には『鬼滅の刃』を妙に連想させる記述も含まれていたと記憶していた。そこで本棚を漁ってみたところ、それらしきものを再発見した。次に、それを紹介しようと思う。

 『鬼滅の刃』の主人公たちである竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助の三人が持つ優れた感覚は、それぞれ、炭治郎=嗅覚、善逸=聴覚、伊之助=肌感覚(触覚)である。炭治郎や善逸は、相手人間か鬼か、人間であれば善人か否かを、これらの感覚によって看破できることは、漫画を読んだりアニメを観たりした人ならばよくご存知のことと思う。

 この三感覚と同じ取り合わせを、私が目にしたのは、小松和彦の著書『神々の精神史』(講談社学術文庫)に収録されている「屍愛譚(しあいたん)をめぐって 伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神の冥界譚を中心に」と題する論文の中であった。

 まず、私が『鬼滅の刃』を連想させるもの記憶していた箇所を、少し長くなるが同論文から引用しておこう。

 「男と女の愛の語らいは、昔から夜中に行なうのが一般的であった。言い換えれば、愛とは、第一次的に視覚依存するものではなく、香り(嗅覚)や声・物音(聴覚)あるいは肌触り(触覚)のなかからかに創り出されるイメージの、想像力による夢幻世界における営みであった。そして、日本女性美の一つは、この視覚的な隔離から発生しているともいえよう。『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」のなかに「鬼と女とは人に見えぬぞよき」とあるが、この言葉が苦しまぎれに吐かれた言葉にせよ、実に見事に女の美のあり方を、愛のあり方を示唆している。」

 奇しくも、小松論文の中で三つの感覚が挙げられる順序は『鬼滅の刃』の物語主人公たちが登場する順序と一致している。果たして吾峠呼世晴は、小松和彦論文著作を読んでいたのかどうか。真実は分からないが、そういった想像をしてみるのは楽しいことである

 さて、小松和彦論文は、国文学などにおいて見られる、妻・夫・愛人などに先立たれた人が、パートナーの亡骸を屍姦したり冥界を訪れるという物語記述について論じたものである。その中でも題名のとおり特に、亡くなった妻のイザナミ恋しさに黄泉の国を訪れたイザナギ物語、そこで語られる覗き見の禁忌、その侵犯について考察している。

 死して黄泉の国の住人となってしまったイザナミは、自分を現世に連れ戻すために訪れた夫イザナギに対して「それでは、現世に戻れるのかどうか、殿内に入って黄泉の神と協議します。私を待つ間、決して中を覗かないようにして下さい」と言い残して黄泉殿内に籠もる。しかし、妻と黄泉国神との協議が終わるのを待てなかったイザナギ禁忌を犯し、黄泉の国におけるイザナミの変わり果てた姿(肉体が腐敗して蛇に集られている有り様)を覗き見てしまったがために、彼女は現世に戻ることが不可能となり、二人は別れざるを得なくなる。

 この禁忌を犯す場面において、イザナギは彼の御髻(みみずら)に挿していた湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を抜いて、それに火を灯してから黄泉の国の殿内を覗き見るという筋書きになっている。この灯火を焚く必要があったということは、つまり黄泉の国でイザナギイザナミが語り合ったのは、闇の中であったことを示している(そうでなければ、黄泉の国で最初に再会した時点で、イザナミの肉体的変貌にイザナギは気づいていたはずである)。ここには、現世でも黄泉の国でも何ら変わることのない「男女の愛の営みや語らい(ピロウトーク)は暗闇の中でこそ行われる」という形式がある。

 小松和彦論文でも指摘されていることであるが、日本イザナギイザナミの冥界譚やその他の屍姦譚・屍愛譚には、中国大陸の物語から影響を受けた節が窺える。小松論文でも紹介されているが中国東晋時代書物『搜神記』における屍姦譚の一例として、次のような話がある。

 美しい女性結婚した男が、妻から「私は普通人間ではないので、結婚してから三年経過するまでは、夜、明かりで私の姿を照らさないで下さい」と言い渡され、それを守りながら夫婦生活を送り、二人は子まで設けた。しかし、どうしても夫は我慢が出来ず、ある夜、明かりで照らして妻の姿を見てしまった。彼が目にした妻の姿は、腰から上が普通人間女性で、腰から下は干からびた白骨というものであった。妻は「私は死者であるが、あなたが、あと一年だけ我慢して私の今の姿を見ないでいてくれたならば、完全に蘇生することが出来たのに。しかし、あなたが禁を破ったがために、最早それは叶わなくなった」と言い残し、形見として袍(うわぎ)の端布と二人の間に生まれた子を残して、男の元を去ってしまった。その端布を持って嘆き暮す男のことは、スイ陽王(スイは目偏にオオトリ旁)の知るところになり、袍の端布が王の若くして亡くなった娘姫のものと同じであったこから、娘姫の葬られた墓を暴いたとの嫌疑で男は取り調べられることになった。男が語った事の経緯を信じられない王と家来が、娘姫の墓を検分したところ、墓暴きに遭った形跡も認められず、念のために墓内に入って棺も確かめると、袍の裾が棺の蓋の隙間からはみ出ていた。それを見て「さては、本当に墓を抜け出して夫婦生活を送っていたのか」と、王も家来も信じるようになったとの由。この生者の夫と幽霊の妻も、彼らの愛の営みを、妻の申し渡した禁忌を犯さないように、明かりの無い暗闇で行なっていたことは確実である

 イザナギイザナミ冥界譚と『搜神記』における人間・死者婚姻譚との間に共通するのは、妻の本当の姿を見ることの禁忌、それを夫が犯したために妻の蘇生が叶わないという点である

 特に前者の覗き見の禁忌について、小松和彦考察し、その本質は「女性が『ありのままの姿』を公に晒すのは好ましくないという、昔日の社会における男女観・価値観倫理観の反映」であり「女性の本性を覗き見ることについての禁忌」だったのではないか推理している。それを裏付けるかのように、生者であるパートナーに対して自分の本当の姿を見ないように要求する死者の話は、圧倒的に女性要求する側であることが多いのである。また、禁忌を犯した夫イザナギに対するイザナミの怒りの言葉は「吾に辱(はぢ)見せつ」(私に恥を晒させた!)というものであるさらに、類似物語として、豊玉姫(トヨタマヒメ)が出産の時、産屋に籠もり、それを彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)が覗き見ると、豊玉姫の正体はワニ(サメ)の姿であったという話もまた、女性の本性を見る禁忌の事例として挙げられる。

 死者にしろ生者にしろ、隠れている女性の姿を覗き見る男の性向というのは、時代を下っても変わらない。例えば『伊勢物語』の「むかしおとこうゐかうふりして」という出だしで有名な最初の一篇でも、田舎には不釣り合いな雅やかな女性が里に暮らしていることを知った主人公(在原業平)は、垣根の破れた所から彼女たちの姿を覗き見る。ずっと時代を下った現代においても、男性向けアダルトコンテンツは、視覚表現重要性を持つことは周知の事実である。このように、イザナギ在原業平の昔から変わることなく、男性は「視覚的な欲求」を満たすことを強く好むと言って間違いない。

 ところで、この「屍愛譚―」論文を再読し、期せずして気づいたのであるが、論文の著者である小松和彦の行なう考察もまた(覗き見の禁忌を論じて考察する必要から、当然のことではあるとはいえ)、やはり「視覚範疇」に留まっている。これもまた、視覚を重視する男の性向の顕れと言えるかもしれない。しかも、上に引用した箇所で「夜の闇の中での男女の愛の営みや語らいにおいては、嗅覚聴覚・触覚が重要である」といったことを述べているのにも関わらず、同論文は、それらの三感覚重要な働きを示している国文学上の具体例を、特に挙げてはいないのである。あるいは、国文学に詳しい人たちからすれば周知の事実なので、態々挙げる必要がないとして言わなかっただけのことなのだろうか?

 とりあえず、男女の機微の話は後回しにして、ひとまず、妖怪識別する手段としてのこれら三つの感覚について、話を進めることにする。

 聴覚妖怪識別に用いる事例は、比較的容易に見出される。例えば、誰そ彼(たそかれ)時・彼は誰(かはたれ)時・夜のように、人間なのか物の怪なのかを視覚的に区別をつけ難い時、相手妖怪が発する声によって正体を見抜くという事例は幾つも見つけられる。カワウソなどの物の怪は、人間から「誰じゃ?」と問いかけられると「俺じゃ」と言えず「おねじゃ」とか「かわい」などとしか言えないので、正体を見破られてしまうという。これは、言霊の力とも解釈できるが、音声(聴覚)による正体識別の事例と考えても許されるであろう。また、仮に人間の方が話し掛けたり問い掛けたりしなくても、妖怪の方から自発的に何らかの独特な声や音を発してくる(アズキアライ・テングダオシのような怪音、ヤロカ水の怪しい呼び掛け声など)ので、それを聞けば正体が分かるという例もある。これらも聴覚による妖怪識別に含めてよさそうである

 触覚の方はどうだろうか? 例えば、厠(便所)で河童などの物の怪に人間が尻を触られるという怪異の話は数多い。そして、それらの怪異譚は「毛むくじゃらの手である」といったような、通常の人間とは何かしら異なる手触り・肌触りの特徴を持つことを窺わせる描写が伴うことが多いように思える。厠が家屋の中では暗い場所に分類されることを併せて考えれば、これも視覚には頼り難い状況下で、触覚により妖怪識別する事例と考えることが可能ではないだろうか。他には、猟のために山に分け入った猟師が、夜になり「これでは鼻を摘まれても分からないな」と独り言を呟いたところ、突然「これでもか?」と何者かの手に鼻を捻られたという怪異譚もある(参考:千葉幹夫『全国妖怪事典静岡県の部)が、これは残念ながら手触りについて伝えていない。しかし、このように暗い場所時間帯において、物の怪に身体の一部を触られるという怪異譚は、枚挙に暇がない。これらも触覚によって人か物の怪かを判断するという事例に含められないか否か、再検討してみるべきかもしれない。

 問題は、嗅覚により妖怪識別する話や本性を看破する話なのだが、残念ながら今のところ、これといった事例を見つけられずにいる。逆に、妖怪嗅覚の方を利用し、何らかの臭いを発するもの人間が用意することで魔除けにするという事例ならば、比較的容易に幾つも見出だせるのであるが。例えば、焼いた鰯の頭を魔除けとする例は有名である。また、今でこそカカシといえば田圃に立つ人形のことであるが、日本神話でオオクニヌシスクナビコナと出逢うくだりに記されているように、本来の古い和名はソホド乃至ソフドである。それがカカシと呼ばれるようになったのは、稲を荒らす鳥を追い払うのに、鳥の死骸を焼いたもの竹竿の先に紐で括り下げて掲げるという風習があり「臭いを鳥に嗅がせる」という意味でカガシと呼んでいたものが、鳥避け人形混同されるようになったかである。上に挙げた鰯の頭も、ヤイカガシ・ヤッカガシ(焼き嗅がし)と呼ぶ地方があり、明らかに鳥避けのカガシと同じである。他にも、山中でタヌキやムジナの類いに化かされたことに気づいたならば、煙管(煙草)を一服すれば妖怪は逃げていくとか、小便をすると臭いを嫌がる妖怪を避けられるとか、人間嗅覚ではなく妖怪嗅覚を逆手にとって利用して払う例は多い。

 小松論文では具体例が挙げられていないものの「視覚的に本性を見ることが禁忌とされた状態特に暗闇の中で、何者かと一対一で対峙する状況において、重要役割を果たすのは、嗅覚聴覚・触覚である」という見解は、説得力を感じさせられるものであることは確かである特に、愛の営みに関しては、そうである人間がお互い裸一貫となって同衾する時、見た目の虚飾は、ほぼ通用しなくなるのだから。したがって、これら三感覚重要性が高まることは、必然であるように思われる。

 とはいえ「思われる」ということと、国文学などにおいて実際にどのように捉えられていたのかは、もちろん別問題であるから、これは検証必要があるだろう。あるいは(素人である私に言われるまでもなく)既に専門家の間では検証済みなのかもしれない。国文学中の、特に男女の愛の営みや語らいにおける三感覚が占める役割について、どのように描かれ、語られてきたのか、可能ならば識者の見解を知りたいものである

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 さて、私は上で、男女の機微の話を後回しにして、妖怪の正体を識別する感覚的な手段の話をすると書いた。そこでいよいよ、男女の機微、すなわち異性のパートナーのことを暗闇の中で知る手段としての嗅覚聴覚・触覚の三感覚について論ずる順番がやって来た。といっても、上の文章を読んでもらえば分かるとおり、専門的な知見を私は持たない。そこで、識者の見解とは無関係に、今の私個人が思うところを書くことにする。したがって、これより以下は全くの駄文である

文字数制限のため分割したので、続きは⇒anond:20221023224411

2022-10-17

anond:20221017014327

ではどういう根拠子供のほうが悲しいはずだなどと決めつけるのだね。

私も悲しい、彼らも悲しい、そこに大小や多寡はなく、どちらを優先しなければならないということもない、でいいではないか

2022-10-06

anond:20221006105340

自分や周囲を見ての実感としては、才能ある奴も大半が30前後で子持ちになって仕事への精神エフォートを落とした結果進歩がそこで止まるんだよね。(子供がいようといまいと)エフォートをいつまでも落とさない頭のおかしい奴が最終的に残る。エフォートを落とさない頭のおかしい奴の中で才能の多寡分布を見るとそれほど才能ある奴ばかりではないという感じ。

2022-09-30

anond:20220930210557

多寡ではないと言いながら「多いよ」と言い出してるあたり論理破綻してるけど頭大丈夫

2022-09-20

anond:20220919235424

実家が太い」を「金持ち」という意味でだけ使ってる奴が多すぎるといつも思っている。

実際は文化資本多寡の話だと思うわ。文化資本のある家は金もあるケースが多いというだけで。

金の話だけにすると、「うちは全然お金なかったし実家細いです〜(親は大学教授でしたけど)」みたいな感じで隠れ蓑にするカスが大量に湧くんだよ。

2022-09-19

anond:20220919000005

金額多寡に関わらず誰かから買うこと自体転売と言うんだから駄目なものは駄目だろ イベントチケットなんか「転売禁止、買うなって言われてるんだしなんで安けりゃOKって考えになるのか

2022-09-16

anond:20220916110418

研究者だけど

気持ちもわかりつつ、似たような境遇の奴なんて死ぬほどいるからなんでこんなに特集されてるんだろとは思ってる

飛び級千葉大に行ったことを天才証拠みたいに書かれていて一般受けやすいんだろうけどさ、そのレベル人間なんて文字通り掃いて捨てるほどいるわけで単に才能が足りなかったって話なんだよね

地元神童東大に入ったけど鳴かず飛ばず博士課程を退学していったり、学位が取れてもポストが取れず詰んでる奴がたくさんいる世界だよ。本当に才能のある天才小学校卒業する時点で高校物理くらいはできたりするから、なんか天才基準が甘いな〜といつも思っている(たぶん本人もそう思ってると思う)。物理なんて特に才能が煮詰まり続けて日本最高クラス天才ポスト争いをしているので、17才飛び級の人が…とか言われるとTOEIC600点の人が駐米大使になれなかったくらいの違和感がある。多分本人が一番良くわかっていて、だからこそ研究職をやめたっていうのもあるだろうし

けどそういうこと言ってても何の生産性もないので才能の多寡によらず普通に働ける業界になってほしいとは思う。魔境だよ本当に

アドビデザインツールの「Figma」を買収 200億ドル

ユニコーンの角が折れた

本日AdobeによるFigmaの買収が発表され、私の愛するデザインツールは世のクリエイター達が唾棄するかの忌まわしいCreative Cloudの一員となることが決まった。ユニコーン以上の時価総額とされるデカコーン企業が開発する新進気鋭のクリエイティブツールFigmaAdobe軍門に下ったのだ。

Figmaのどこがクールだったのか

Figmaの最もクールポイントの1つとして、そのデザインのあり方がとてもオープンだということが挙げられる。ワンクリックURLを発行して共有、ブラウザ上で動作するのでインストール不要OS関係ない。PCに疎いクライアントだって簡単デザインのチェックができる。

これは単なる "Easy to share" ではない、デザインプロセスに変革をもたらしデジタルプロダクトのデザインを開かれたものにした。デザインのあり方そのものを変えたことがFigmaの最もクールな部分であり、Sketch比較して動作が軽快なことやAdobe XDよりもカラーマネジメントがまともなことは本質ではない。

["Illustrator", "Photoshop", "XD", ...AdobeProducts].push("Figma");

一方 Adobe提供するCreative Cloud本質的にGated Communityであり、毎月5000円程度の "Adobe税" を納めた者だけが居住を許されるエデンである問題金額多寡ではない、一般ユーザーAdobe CCなんて契約していないということ、そしてAdobeはAcquireした数多くのプロダクトをぶち壊してきたということだ。

Macromediaを買収したAdobeFireworksサポート打ち切りFLASHを亡き者にし、Dreamweaver倉庫の片隅に追いやった。大方のデザイナーFigmaの代わりにXDが無くなると予想しているが、Figmaだって無傷では済まないだろう。Figmaを取り巻くクールコミュニティは、クリエイティブの皮を被ったM&A企業 Adobeによって、クリエイティブ市場コントロールのために骨抜きにされたのだ。

Out of Cloud

Figmaを愛用してきた私たちはどうするのか。Figmaが買収されると聞いて目の前が真っ白になった。オマケ相手Adobe。これはCloudじゃなくってFogだ。

Figmaの対抗馬としてはSketchやInVision Studioが挙げられる。しかし、すぐに飛びつくのは尚早かもしれない。Sketchはかつて日本の、特にエンジニアに愛されていたがFigmaほとんどのユーザーを奪われた過去がある。InVision Studioは? オタクデザイナー以外誰も知らないだろう。

しか希望はある。すべてのクリエイターAdobeヘイトを集めていることを知っているのだ。機を見るに敏と、デジタルプロダクトデザインアプリ達は猛攻勢をかけるだろう。私たちはその可能性に賭け、できるだけクリエイティブ業界勢力図がカオスになるよう努めるべきだ。そもそもクリエイティブ市場がほぼ一社に独占されているのはかなりマズい状況だ。"クリエイティブたれ" と言われたみんなが同じ筆しか使えないのは正常なんだろうか? これは業界全体の敗北といっても良いだろう。

クリエイティブ業界札束で引っ叩き、そのイニシアチブを取って業界コントロールのみに奔走するAdobe私たちは立ち向かわなければならない。この業界が完全にAdobe支配されることはデジタルデザインの死だ。そのとき、"Creativity" の意味は "Adobe Score" なんかと同じものになってしまうだろう。

2022-09-01

anond:20220831154931

生前信仰の篤さによって名付けられるのは大居士とか院号のような付加的な部分であって、戒名のものは違うでしょ。

で、信仰の篤さにというのも内心の信仰他人から見えない以上、わかりやすい寺への貢献を通じた部分で評価されるようになったから、昔はそれが他の檀家の世話だったりしていたものが寺の建て替えへの拠出という金銭に近づいたものとなり、今ではお布施多寡という生臭いものになってしまって、お金戒名を良くするみたいな状況なわけだ。

2022-08-27

anond:20220827150947

個々の親が育児を行うこれまでの育児方法は、やはり歪みが出てしまうと思う。

から、これからプロがまとめて育児を行うべきだ。

その方が、この増田のような愛情多寡による不平等が無いし、親自身育児の手間が省けるから少子化対策になるし、良いと思う。

そもそも、個々の親が皆バラバラ育児してるのは非効率に感じる。

別に育児知識は全ての大人が身につけるべきものでもない。職業として特定人間が身につければよいことだ。

それに、「親ガチャ」と言われる通り、親には当たり外れがある。

からプロ集団育児するのは子供にとってもメリットがある。

そもそも現在でも、出産3ヵ月から保育所に入れる親も居るという。

ならば、出産直後から24時間集団保育することも、もはや大きなギャップは無いといえる。

2022-08-25

anond:20220825000305

セーフティーネットで得られる金額よりも大変な仕事をした場合で得られる金額のほうが高いから働くんじゃん

兎に角生きてられれば得られる金額多寡には拘らないって人はそんなに多くはないんだと思うよ

まあ統計取ったとかではないから本当にそうなのかは知らんが少なくともこの話はそれが前提ってことなんだと思う

2022-08-14

anond:20220814164510

多い集団の外敵が少ない集団ってこともありえるやで

から人数の多寡関係ないやろ

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