はてなキーワード: レジャー施設とは
小学生くらいの頃、家族で時々行っていた飯屋?レジャー施設?に釣り堀があることに気がついて、ためしにやってみようって話になった。
家族に釣り経験者はいない。まったく手探りのまま説明にしたがってエサを竿につけて、放った。
どのくらい待ったかは覚えていないが、そんなに長くはかからずになにかがヒットした。詳細は全然覚えていないんだが、これはたぶん時間が経って忘れたんじゃなくて興奮のあまり覚えていないんだと思う。
釣れたのは鯉だった。リリース前提の釣り堀なので、たしかすぐに放した。引っかかった瞬間の手応えが鮮烈で、しばらく手が痺れたようになっていた、ような気がする。
竿を握っていたのは俺だったが、家族も総じて感銘を受けた。釣り、ええやん!という話になった。そういう話になってからが早いのが父親で、1ヶ月もしないうちに釣竿を買った。
俺は動きがないのに飽きて磯遊びをしていて、父が竿を握っていた。
釣れたぞ!と見せられたのはフグで、高級魚としてしか認識していなかった俺は「やったじゃん」と言ったのだが、父は「いやこれは外道だ」と言って海に放った。もったいねえな、と思ったんだけど、今にして思えばそりゃそうだ。
釣り竿はずっと家にあって、見るたびに落ち着かないような気分になっていた。
海も駅もなにもかもが遠かったから足が向かなかったんだけど、そんなこと言ってねえで若いんだからチャリで山を越えて釣りに行けばよかったかもしれないな。
ってバイト先から言われて正気か?と思いながら東京戻ったらお盆に実家帰れなくなってマジで腹立つ
現場になんて一切来ないオッサンが決めた営業再開で感染リスク高い接客業務させられて、息抜きしようとすれば娯楽は控えろ!若い人が感染広げてる!と責められるし、そんで帰省したら村八分
短縮営業してるんだから都内に実家ある人だけでシフト回せたのに「このまま来なくなったら困るから」とかそんなお前の勝手な理由で田舎の実家でリモート授業してる人間を東京危険区域に呼び寄せるんじゃねぇよ最低賃金守らないクソ違法雇用者のくせに。しかもシフト勝手に増やすし。は?聞いてないけど?
若い人の感染が多いのってコレが原因じゃねーの?飲食店もレジャー施設もショップ店員も若い人が店頭に立って大勢の人と接客してるんだから。人災でしょ。
自分はコロナ罹患したら重症になるような年寄りのくせして若い人はバカスカ働かせて、感染しても症状軽いから4月ごろとは状況が違います緊急事態宣言を出す状況じゃないですって。感染しても良い人材って思われてるわけじゃん。
早くバイト辞めたい
何で辞めてないかと言うと、辞めた分一緒に現場で働いてる人たち(良い人たち)の負担が増えるって知ってるから。この構造が完全にブラック企業だよな
でっかくて常に清潔で寝心地が最高にいいベッドがある広々とした部屋
テーブルにあるタブレットで衣食住娯楽あらゆるものが注文できて、頼んだものは部屋の隅にあるリフトで下の階からすぐに送られてくる
よって外に出る必要は全くないが、出ようと思えば出ることもできる
部屋は地上50階以上にあってすごく見晴らしがいい 海が見える ちょっとした庭くらいの広さがあるバルコニーに加え、屋上にも好きに出ることができる
下階には特殊な器具がいるタイプのレストランやプライベートシネマなど様々な施設があり全部使い放題 建物の外に出れば博物館・水族館・運動場に動物園などレジャー施設も勢揃いしている
俺はそこでただずっとダラダラして暮らす サブカルチャーは人類の歴史の始まりから終わりまですべてのものが時空を超えて手に入る
未来の歴史書を読んだり、完結しないと思っていた漫画の最終巻を読んで感動したりする 遠未来の映画を見て文化の違いを感じてちょっと寂しくなったりする
増田たちが盛んにいま話し合ってる南千住から、汐入大橋を渡ったところに、アメージングスクエアって言う名前の遊園地が昔あったのだ。
遊園地と言ってもたとえば富士急ハイランドとかディズニーランドのようなしっかりした施設満載の遊園地じゃない。
敷地だけは広大だけど、その敷地のかなりの部分を巨大迷路にした、ばかでっかいまっ平らな、ある意味田舎臭い遊園地だった。いや、遊園地というよりは、巨大迷路テーマパークとか、そんな感じのレジャー施設だ。
場所が千住の近くなんでアホっぽい芸能人のリアクション番組に利用されていたが、人気はさほどでもなかった。地元の俺が記憶する限り、アメージングパークが全国的な知名度を盛ったことも、大人気になったこともない。1987年に開園で2010年ころに潰れたんだが、そのあいだ、何かメジャーな雰囲気になったことは一度もなかった。
地元の俺たち(あえて複数形で書く)にとって、では、アメージングスクエアとは何だったのか?
中学生でちょっと色気づいてきたけれど、異性と二人っきりで出かけるほどの知見をもたない、足立区や葛飾区や墨田区や江東区の芋っぺー少年少女たちが、同じクラスの異性のグループとめちゃくちゃ不器用に誘い合って、遊びに行く場所なのだった。自分たちで服を満足に買ったこともない中学生の子どもたちですし、おしゃれもクソもないのだが、それでもなんか緊張して着飾って(本人たち判定であり現実には芋いイトーヨーカドー的ファッション)、アメージングスクエアの入口で待ち合わせて(最寄り駅は牛田という、それこそデートにはおおよそふさわしからぬクソダサい駅)、ままごとのような一日を過ごす場所なのだ。
アメージングスクエアにはビームチェイサーという、薄暗い屋内迷路のなかでレーザー銃をうちあうというアトラクションがあったのだが、そのアトラクションに入るチーム分けで、どんな女子と、あるいはどんな男子と組んではいるかという、正真正銘どうでもいいことに、前日から頭を悩ませたり不安になったりするのが、アホな中学生にとっては何よりも重大事だった。
そんなことを重大に思っていたので、昼食後にソフトクリームを女子とシェアをするという伝説級の機転をみせつけた同級生に、尊敬はとめどないほど膨れ上がり、そのうえアホな男子たちは自分たちの暗い将来を予見してすねたりしていたのだった。拗ねる暇があったら、何か気の利いた話題で女子と話せばいいのに、なんだか女子グループと男子グループはちょっと離れて座っていたりするのだ。全身聞き耳にしてお互いの気配を探り合ってるのにね。
さてこんなどうでもいい思い出話を書いてみたけれど、結局何が言いたいかというと、都内とは言っても東側なんてものは、所詮こんなもんだよということだ。芋くて、ダサくて、垢抜けなくて、気が利かなくて、愚にもつかないことをそこら中でじたばたやっていたよ。
アメージングスクエアのゲームセンターは(敷地面積だけは広大なので)バカでっかくて、そこには大型筐体のR-360という空戦ゲームが有った。わりとおっとりとしているとばかり思っていた女子が、その筐体で89機撃墜というスコアを叩き出して、顔を真赤にしてVサインを突き上げるのがびっくりするほど可愛らしくて、みんなで拍手喝采するようなアホ中学生の群れだった。
コロナ対策の上で、移動が一番のリスクだということは言うまでもない。
自らがかかる恐れは当然として、それを拡散させる危険性がある。
でも、いわゆるクラスターが発生しても、そのごく限られた地域だけで終息すれば感染拡大にはつながらないはずだよね。
だから声を大にして言いたいのは、今こそ地元で経済活動をしようということ。
みんな景気悪くなる!って恐れるのは解る。
でも待って。
お金を使う場所って、大型コンサートとか大型レジャー施設だけだっけ?
もちろんそれらが経済の大きなハブとして機能していることは事実だけど、今必要なことは経済を止めないことだよね。
皆が皆でしっかり地元で経済活動を行えば、感染の飛び火も抑えられるし、結果的に終息に向かうことができる。
幸いながら、今回のウィルスは8割が軽症で済む。
そんな低いリスクを恐れてストレスで自分の首を締めるくらいなら、地元でお金を使おう!
正しく恐れて正しく対策!
みたいなことを頭のいい人がちゃんと発表したらいいと思うんだよな。
「子供を連れて~へ来るな」とか「赤子を連れ出して遊ぶな」の根本にあるモノがこれ。
TDSでも見たことがある、昼食時に持ち込み禁止と書かれている飲食店内で弁当を広げる親子、
これはまだマシな方で、とあるイベント会場でレジャーシートを道端に広げて弁当を展開し係員に注意されると「うるせーな!禁止とか法律で決まってんのか?」と怒鳴り返す赤子を連れた夫婦もいた。
とある水族館のベンチでおむつ替えをする母親もいた(凄まじい匂いが周りに漂っていた・・・・)
とある飲食店では2歳ぐらいの子が店内の椅子によじ登ってケガをしたとかで店員に「慰謝料出せ!」と怒鳴りつける夫婦もいた。
もちろん、これは少数で大半はマナーを守って楽しんでいる。
でも子連れは一定数モンスター化するだけに「子供を連れて~へ来るな」とか「赤子を連れ出して遊ぶな」は実は間違っていない。
接客業に従事する者としてはリスクを考えると小学校入学前の子供が来ることはかなり身構える事だとも言っておきたい。
モンスタークレマーの中には裁判を起こす奴もいるだけに手に負えないからだ。
自分にできるのはせいぜい溺れないように気を付けるとか、流れに乗りながらやりたいようにやるとか岸に上がって遊ぶとかその程度で、流れを変えるなんて不可能だと、自然現象と同じ受け止め方をしていた。
最近気付いたのが、社会、もしかして流れるプールなのでは? ということである。
流れるプールって言ってもレジャー施設のああいう、機械がどうこうして流れを作ってるようなやつじゃなく、イメージとしては小学校のプールの授業でやるアレだ。
25mプールの壁にぐるりと沿うように立って、みんなで同じ方向に進むと、流れができてあーたのし〜、っていうあっちだ。泳ぐの下手で毎度溺れていたけれど、アレはわりと好きだった。遊びです感が強いから。
レジャー施設の流れるプールでも根は同じといえば同じなんだけど、要は「流れって人が作ってるものだな」って思った。そりゃそうだ。人間社会は人間でできている。
「こうあってほしい流れ」があったとして、一人で流れを変えるのも、新しく作るのもわりと無茶な話だけど、自分一人だと思うから無茶なのだ。
実はきっかけがないだけで同じ流れを作りたい人がだいぶいるかもしれないし、シンプルに他人を勧誘することもできるし、ちょっと動いてみたらたまたま他の人も一緒に動き出してやったぜ、みたいなことが起きることもある。多分ある。
選挙がわかりやすい例だと思うんだけど、一人がどうこうしたところで別に大局が変わらないことのほうが多い。きっと多い。
でも一人だと思うから変わらないのであって、もしかしたらたまたま同じ候補者に投票する人がめっちゃいるかもしれないし、いないかもしれない。
選挙、「あなたの一票で変えよう」くらいのノリで広報(?)されてることが多い気がするんだけど、そういうふうに期待値を上げていくと、ダメだったときに「変わらないから無意味だった」ってなりやすいのかもしれない。他の人はわからないのであくまで自分の話で。
まあ変わらないかもしれないけど、ちょっと意思表示はしとくか、くらいのテンションで臨んだほうが、精神衛生上いいしモチベも逆に続くのかも。
選挙権なんか全然ない頃の政権交代がわりとトラウマで、仮に表面上マシそうだったとしても安易に野党に投票したら、それで政権代わっちゃった場合死ぬほどグダグダ社会になってしまうのでは……という不安がすごいので、「まあ行くか」くらいのテンションになれたとしても「じゃあどこに投票すんのよ」という段階でまた悩むんだけど、心配してるより気軽な感じでいいのかもしれない。
いや気軽に投票とか言うとちゃんとした人に怒られそうだけど……何の不安もなく投票しようとするとめちゃくちゃ調べものしなきゃいけなくなるし、自分の現在の生活で手一杯なのでそんなこの政治家は過去こういうのやらかしていてこの法案はこういう懸念があって社会学的にこういう論文が出ていて外国はこうで、とかまで考える余裕が……あまり……ないんだよな……
っていうか別に選挙だけの話ではなく、生きてて引っかかるいろんなこと、結局人が起こしてる場合が多いので「全く変えられないこと」だと思わなくてもいいんだな、って思った話でした。
昨年たばこをやめた。
前々からやめようとは思いつつやめられずにいたのだが、先日出先の駅前で喫煙所にたまる人たちを見ていたら急激に吸いたくなくなった。
少し前までは自分もたばこを吸うために喫煙所やコンビニ前の灰皿を探して歩きまわることもあったのだが、なんとなくその日は小さな灰皿に群がる死んだ魚の目をした人たちを気持ち悪いと感じたのだ。
考えてみれば、ホテルやレジャー施設の中にある小さな小屋みたいなところで、もうもうと煙がたちこめる中で吸うたばこって何がおいしかったんだろうかと思う。
何よりもあんなところに押し込められて、それでもたばこというものから離れられないみじめさみたいなもんがある。
まだたまにたばこを吸いたくなることもあるけど、そんなときはあの駅前に群がっていた瞳にも肌にもまったくつや気のない人たちの群れを思い出すようにしている。
私は母子家庭育ちだ。
両親は離婚はしていない。私が小学生の時に父が病気で亡くなった。
危篤を聞いて家族と車で病院に向かっている間は状況が理解できず、医師にご臨終を告げられて泣き崩れる母をみてようやく状況を理解したことを強く覚えている。
死別後も再婚せず、父親の実家との関係を保ったまま父親の名字で育ててくれた母にはとても感謝しているし、尊敬する人は誰かとの問には一番に母だと答えてきた。
現在20代後半となり学生時代の友人が一人また一人と結婚していく中で、私も結婚願望が無いわけではない。
むしろ大卒で就職した22歳から常に結婚願望はあったし、お付き合いする男性は(相手がどう思っていたかはさておき)このまま結婚するものだと思ってお付き合いをしてきた。
それまでお付き合いをした男性の中で結婚に関してどう思っているか等の話が出たこともあったが、具体的に話が進むことはなく今に至る。
原因として、私が「婚約していない状態での長期のお付き合い」に抵抗があるからではないかと推測した。
当時は「ふーん」くらいにしか思っていなかったが、私達家族とその男性で食事をしたりレジャーに行ったりする機会が増えた。
その男性は私の実家とは遠く離れた県に住んでいて、週末になると私の実家の方に遊びに来るようになっていた。
とあるレジャーに遊びに行きホテルに泊まることになった時のことである。
その日の夜、私は子どもから見るのは実の両親でも嫌な行為を、実の母と父でないその男性がしているのを見てしまった。
私は枕が変わると途中で起きてしまうタイプで、同じ様にホテルに泊まった際に目撃してしまうことが数回あった。
行為後携帯をいじる男性と目が合ってしまい、携帯のカメラのライトを向けられたこともあった。その時の怒ったような苛ついたような顔が今でも忘れられない。
子供と母親と男性。何も事情を知らない人からしたら普通のファミリーに見えるだろう。
レジャー施設に遊びに行くと、必ず「お父さんと一緒にね」「お父さんに渡してね」等の言葉をかけられた。
施設の従業員としてはそんな事情は知る由もないし、当たり前の対応であるが、私はそういった声をかけられる度につらい気持ちになっていた。
また、母は私に男性のことを「お父さん」とは呼ばせなかったので、私はいつも「おじちゃん」と呼んでいた。
私に対する母なりの気遣いなのかもしれないが、家族以外の人に聞こえる場所で「おじちゃん」と呼ぶのは少し呼びづらかった。
母が私に男性のことを「お父さん」と呼ばせなかった理由として、再婚する気がなかったからだと思う。
今でこそ婚活アプリやマッチングアプリ等が流行しSNSでの出会いが普通になってきているが、私が小学生のときに出会い系サイトといえば怪しいサイトばかりであった。
定かではないが母と男性の出会いは恐らく出会い系サイトであったので、母の両親に紹介するのも憚られたのであろう。
その男性との関係は私が小学校を卒業するまで続いたが、再婚することもなく次第に会う回数が少なくなり、関係が消滅したと思われる。
その経験があるからかは分からないが、私は「婚約していない状態での長期のお付き合い」に抵抗がある。
結婚(母の場合は再婚であるが)するかどうかもわからず、家族としての付き合いを周りから期待された私の小学生時代はとてもつらいものであった。
そのような「よくわからない家族の形」に「婚約していない状態での長期のお付き合い」を重ねてしまっているのかもしれない。
もちろん恋愛結婚において交際期間は必要であると思うし、相手をよく知らない状態での結婚を望んでいるわけではない。
結婚を決めるには最低でも○年は付き合わないとという考え方の方がいるのも分かっているし、それに対して否定の気持ちは全く無い。ただ、私が抵抗があるというだけだ。
「婚約」という法的拘束力がない状態で周囲に交際の事実を知られることに抵抗があるのかもしれない。
まだ独身であり今後結婚できるかどうかもわからない身であるが、私を受け入れてくれる男性が見つかり結婚することができたのならば、
母の尊敬している部分はしっかりと受け継ぎ、小学生時に経験した「よくわからない家族の形」は反面教師として、幸せな家庭を築いて行きたいと思っている。
単に相応しくないというのとその判断が出来てない事の問題であるのに環境型セクハラなんて言葉で間接的に自身への被害を主張するのは気持ちが悪いです。
あなたが女性でないならセクハラという言葉をダシにした男性オタクへの嫌悪感の発露でしかなく同じく自身の嫌悪感にセクハラという言葉を利用する点が気持ちが悪いです。
これが少女写真なら、なんて言っておられますが少女写真だったとしてその問題の焦点が女性へのセクハラだなんて言う人はどこかおかしいように思います。
その場合どう考えても問題は子供の人権の範疇のものであり、その大きな何より優先すべきものを前にしてハラスメントを理由の中心に問題提起するという異様さは自身で疑問に思われなかったのでしょうか。
その例はイラストで死体が描かれたポスターに対して実際の人間の死体がそこにあったら問題だろう、皆嫌だと思うだろう、というようなズレたものです。
法的に倫理的問題性を提起し得るものを挙げているのにその問題の中心を個人に与える主観的不快感に据えて論じるのはいささか自己中心的に過ぎますし常識を疑います。
そしてその法的な問題と法的には問題が無い部分での許容されるかされないかの話が然も比例するかのようにやるのもわざとなら逆に自論への自信の無さを感じ説得力を削ぎますし気付いていないなら混乱しているように思います。
壇蜜のCMも問題はお茶の間に相応しくない表現であるという話で彼女のキャラクターや彼女がやっていた過激なグラビアからの自己プロデュースが女性へのセクハラの一旦であるから、という話ではないです。
また未成年の児童ポルノ的搾取や男性向けの完全に一から作られた理想像的女性像と彼女のようなある程度自己の責任においてセクシャルさを滲ませている女性をそのキャラクター性で起用したCM等を混同するのはそのような性的にオープンな女性への差別であり女性は性的なものに対してこうあるべきだ、という旧時代的な役割の強制です。
それをセクハラ、と定義するのも本来主観的なものであるハラスメントへの価値観を女性全体に強いる女性の性的許容度の幅を一視点で決め付け無視した全体主義的で短絡的なステレオタイプ的発想です。
媒体や時間帯に相応しいかどうかとその対象自体の問題は全くの別の話です。
私はこの起用はパンツでも水着でもズボンでもあなたと同じく相応しくはないと思います。
私は現実に存在しない少女のキャラクターには抵抗も嫌悪感もありません。
なぜなら二次元の少女や女性は現実の女性とは全く違う存在だからです。
児童ポルノは吐き気がしますしもっと厳罰化してもいいと思っています。
個人的にはアイドルという免罪符で未成年の特に義務教育修了以前の少年少女の商品化において露出や仕事内容を規制すべきではとも思っています。
ですがアニメや漫画のキャラクターの性的さについて内容の必然性に関わらず女性向けの作品における男性の扱いと同じくそれが女性の権利を侵すものであるとは全く思っていません。
アニメ自体もある程度知っていますが内容が例え全編シリアスで所謂男性向けと言われる描写が全く無かったとしても放送されていた時間帯からして、加えてその放送時間に合わせた明らかに意図された性的さを含むキャラデザとしても公的な機関による人目に触れる範囲の起用は相応しいとは思えません。
それが深夜アニメ視聴層が主な対象者であるイベント等で期限付きで限定的に掲示されるものであるというなら別ですが。
次いであなたは露出の面で異議があるようですが露出それ自体は問題ではないかと思います。
これが攻殻機動隊の少佐であったなら露出度は変わらずともここまで問題視はされなかったはずです。
そしてまたこのような少女的にデフォルメされた絵柄の成人女性は作家の性別を問わず存在し、もし作中の少女達が成人女性という設定であってもこの問題は起きていたように思います。
あなたがやられたように現実の女性で表すなら幼い顔つきの成人女性写真なら、という話になりますが当人の人間性や選択、実年齢でなく見た目による年齢でもって、前述した攻殻機動隊のように例えばしっかりした歳相応の顔立ちでモデル的な体躯の女性では同じような露出度で性的さや倫理性の面で問題がないとされる事を幼い顔付きの女性がハラスメントという視点で語られるのであればそれは顔つきによって制限を強いる差別意識によるものでそれこそ嫌悪すべきものですがイラストの場合は違います。
現実ならば成人しているかどうかが焦点になるのも当然ですが二次元の絵は現実の女性ではありません。
問題は少女であるという部分や露出度自体ではなく深夜帯に放送されるアニメに沿ってデザインされた性的さを伴うキャラクターデザイン、という部分です。
ドラえもんやのび太達と共に水着姿のしずかちゃんが描かれた海水浴のポスターがあったとして、それが税金によるものだとしてもこんな風に問題視はされません。
そんなアニメCMが流れたとして壇蜜のCMのように問題になりますか?私はそうは思いませんし実際そうはならないでしょう。
あなたは少女の露出度合い自体を問題の核のように壇蜜の明らかな性的さと並べていましたが、ワカメやピノコが下着を短いスカートから覗かせる姿は同じ性的さを伴うものでしょうか。アトムの露出度はそれ以上ですが問題ではありませんか?
同じようにレジャー施設のCMで楽しく遊びはしゃぐ水着姿の女児や男児は肌の露出度という面では変わりませんがいかがでしょうか。
また少女漫画誌の夏号での少女の水着姿が描かれた表紙やポスター付録を女性へのセクハラだと捉える人がどれ程いるでしょうか。
少女の性的さが描かれる事が女性全てにおいて一律にセクハラの定義だとするのならバルテュスは公的に所有されている美術館では展示すべきではないのですか?
あなたは少女である事や露出度について一線を越えたと表現されているようですがそれではそれらは筋が通りません。
繰り返しますが、問題は税金で深夜帯用に性的な意図を持ってあつらえられた見た目のキャラクターを起用した、その1点です。
また、これがもし成人女性で、明らかに成人しているという見た目のキャラデザで絵柄も一般的なアニメと変わらず衣装も性的でなく露出が少なかったとしても、成人向けゲームで著しく性的な役目を持つキャラクターであれば、それが税金でもって多数の目に触れる場へ掲示されるのであるならそこに問題があるのは明らかです。
ですがよく知らなければただのきちんとした成人女性のイラストです。
少女でなく露出もなく性的なものを連想させる絵柄でないから問題ない、としますか?
それもそのキャラクターが女性へのセクハラだから問題なのではありません。
ハラスメントは主観的な概念であり、性的なキャラクターだと気付かなければ嫌悪感は抱きようがありませんし、イラスト自体そのものには何ら問題はありません。
そしてまた上述したように少女であっても露出度の面でもキャラクターによっては税金での起用も問題にはなりません。
そこで考えるべきなのはただ公の場に税金で起用する媒体のものか、という問題なのです。
キャラクターの持つ性的さへの意識の低さ自体、それが問題なのではと思っておられるのかもしれませんが、それも違うかと思います。
例えば峰不二子は露出如何に関わらず性的なアイコニックさを存在として含むキャラクターであり、その起用は知名度としてそれをも加味したものなのは明らかですが、ならばそれは意図されたセクハラにあたるとされるのでしょうか。
問題は媒体による特徴的方向性の一般的な許容度の差への意識の低さです。
許容度とは単純に知名度と個々の主観の集積であり実際の客観的性的さの度合いは関係がありません。
実際峰不二子は多くの少女、女性キャラクターよりも露骨な性的さをもって描かれています。
そしてゴールデンタイムでの峰不二子であれば許容される性的な表現も知名度のない深夜アニメの女性キャラクターであれば同じ時間帯でそこに印象の差が出るのは明白です。
それが許容度の差です。
そしてそれはハラスメントが客観的な性的さで定義されるものではない、出来るものではない、という事でもあります。
峰不二子自体は実際のところ成熟した大人の女性とはかけ離れた少女性が前面に押し出され、そのような感性でもって同時に性的である、というある意味一部の方が口にする男性に都合の良いキャラクター像ですが、広範囲のメディア露出による知名度によって逆に印象の部分的鋭角化が起こりそれが許容度に影響しています。
攻殻機動隊なら、と書きましたが少佐も原作での性的さがアニメの知名度に押されている例です。
ですから性的さ自体、またその対象の実際のキャラクター性自体への印象はそのまま許容度に比例するものでもありません。
一切性的な要素がない役回りだとしても成人向けゲームのキャラクターであるなら顰蹙を買うように内容やキャラクターの性的さは必ずしも直接的に問題に繋がるものではありません。
BPOが深夜帯のアニメへの子供への影響に関してのクレームに苦言を呈しているように深夜帯のものは深夜だからこそ許容されている部分があるからこそ逆に人の目に触れるのであれば気を付けるべき事があり、あのキャラクターデザインはまさにその部分の象徴のようなものです。
海外のアイコン的スーパーモデルの方は男性誌と女性誌で同じ水着姿でも表情やポーズを変えていく、といいます。
露出度やその当人自体が問題なのならそこに差は無いはずですが実際は媒体により、求められる印象によって差を持たせている、というのです。
腕で胸を隠したようなマタニティーヌードも女性誌とAVパッケージでは公での許容度は全く違うものです。
そして深夜ノリをそうだと理解できていないバランス感覚の無さ、許容度、拒絶感に対しての意識の低さ、それらの問題と露出度、年齢による倫理的適当性も別の話です。
許容度が高ければキャラクターに性的な要素があっても問題の声はあがり難く、また少女の水着姿、下着が露出した姿でも倫理性を問う声は大きくならず、逆に性的な面での許容度が低い媒体であればどれだけ性的さを削ごうと問題視は免れない、というのは少し考えれば分かると思います。
また現実とフィクション、絵では何もかもが変わって来るというのも常識で考えれば分かる事かと思います。
加えてそれが税金で行われるかどうか、もそうです。税金で無ければ許容度が跳ね上がるようなものは山ほどあります。
だからこそ私は税金での起用が相応しくない、という表現をしています。
そこを全て混同し、または混同させるように現実の少女に対する倫理性を問題としてすりかえる事で主観である自身の嫌悪感に客観的正当性を付与しようとするのは人の我が見えるようで違和感しかなく気持ちが悪いです。
どうせ喪中なので、初詣も親戚に挨拶回りも無くて引きこもるしかない正月休みだから、まあいいっちゃいいのかもしれないが。
稼げる時に稼がないと、冬をのりきれないしなあ。
微妙に残念なのは、勤務時間帯がいつもの夕勤+2時間なので、オーナーに遭遇する可能性が低く、せっかく考案した年末年始を乗り切る為の唱和https://anond.hatelabo.jp/20181205184856 が無駄になりそうなことだ。
ところで、突然だし誰の参考にもならないと思うけど、コンビニでバイトをすると得られるメリットとデメリットを書いとく。ただの自己満足である。
・福利厚生がある
なんか温泉とか遊園地とかに行くと料金を割引してもらえるらしい。
・脚が引き締まる
立ち仕事だが、ひっきりなしに歩き回っている(というより走り回っている)おかげで脚がしゅっとした。
・ボケない
世間で言われてるよりは難しくない仕事なんだけど、短期記憶をバリバリ使う(おでんの注文覚えたりとか)からか、専業主婦してた頃よりも頭がキレるようになった。また、吃音が治りつつある。
人の出入りが多いとこにいるせいか免疫力が強くなった気がする。バイトを始める以前はよく、子供の風邪が移って子供よりも重症で寝込んでたけど、最近は風邪っぽいと思っても鼻水が出る程度で済む。
・福利厚生を使えるようなレジャー施設に遊びに行けるほどは稼げない。
・脚が太くなる
これ単に私の体質なんだけど、異様に脚に筋肉が着きやすいせいで、脚が太くなった。もう手持ちのジーンズがほぼ全部パッツンパッツンでどうしよう。脂肪でたゆんたゆんだった時よりも太いとか。
・金遣いが荒くなる
沢山の商品と、それを無駄に消費していくお客様を眺めていると、なんだか浪費なんて大した事じゃないんじゃね?って気がついしてきてしまう。
「マシュマロ実験」っていうやつがあるじゃない?幼児が二個のマシュマロを貰うために、目の前にある一個を我慢する、というやつだ。
マシュマロ実験で二個のマシュマロをゲット出来た幼児達に共通したのは、マシュマロを見ないようにした事だそうだけど、コンビニで労働するとその逆を常にしている事になる。コンビニで働くと浪費への忍耐力が無くなっていくのだ。
コンビニでバイトしている人達の多くが、金無い金無い言いながら、仕事前後や勤務中に、何かしらコンビニの商品を買ってしまう。
中にはノルマを強いられた訳でもないのにギフトを予約注文してしまう人もいる。
以前、百貨店で勤めた経験のある人に聞いたけれど、百貨店の中にあるブティックの店員の多くは自分の給料を軽く上回る金額を、百貨店で服を買うのに費やしてしまいがちなのだとかいう。
コンビニではそこまで酷い事にはならないにしても、一日の収入のうち一時間分くらいは、毎回仕事上がりのお買い物で吹っ飛ぶくらいの事は、よくある。
・浪費をする自分を抑制する事に失敗して自尊心を喪い、やる気のない仕事仲間を見るにつけ失望する。
→生きる気力が削がれる。
まあな。
でも、件の総合レジャー施設とやらの規模が全店カジノ設備になってる越谷レイクタウンくらいのものだったら? って考えるとやっぱり「せんとくん一人じゃ絶対カバーされない」とは思うし、そこそこいろんなキャラが必要とされるとは思うんだな。
前のトラバで言い忘れたけど
カジノオーナーが頭悪かったら遷都くんレベルのオリキャラにやらせるってことも十分考えられるよね。
あと話は変わるがカジノ(ギャンブル)が嫌いな人はやっぱりどうやっても取り込めないでしょ。
今でもアニメやゲームがパチンコスロット化するのに嫌悪感もつ人も割合いるわけで、
その人たちは好きなアニメがパチスロになっても絶対に店に足を運ぶことはないよ。
例え嫌いじゃなくっても全く興味ない層もある。
カジノが総合レジャー施設を謳えるほど他のレジャーも持ってるならいいけどオマケ程度なら絶対にこの層は寄り付かない。
無視できるくらいの割合ならいいけどコンテンツに金を落とす層もアクティブ層とそうでない層でザックリ分かれてることは意識した方がいい。