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はてなキーワード: ベトナムとは

2019-12-30

僕の贈ったものがそのまま違う人に贈られた。

ベトナム駐在から年末帰省したので実家名物ベトナムコーヒーを買って母親にあげたのだが

大して顔を合わせることもない従兄弟に「最近若い子はこんなん好きやろ?」とか言って開封もしないであげちゃった。

いちおう、こういうの好きかな〜とか

考えて買ったんだが、あげた時点でどう使われようが文句言えないのかも知れんが

海外駐在で年1回くらいしか会えないのに結構精神的にきている。今回の冬休みフライトを変更してちょっと早く現地に帰ることも検討している。

2019-12-19

Q.コンビニファミレスにはベトナムタイ人観光地には中国人。さて、日本人はどこにいるでしょう?

マジでお前らどこに行っちゃったの…?

2019-12-18

anond:20191218171319

ベトナムアフガンゲリラ掃討戦って当時だと日中戦争がまだ近いと思うけど、1945年にもなって大陸打通作戦とかやってるあたり太平洋戦線ほどボコボコにされてないというか、むしろまだまだ互角に戦えてたよね。

anond:20191218171319

ベトナムアフガニスタンアメリカが失敗しているということは、最新型兵器が潤沢になくともアメリカを押し返すことは可能なんだよな。

それは「侵略を諦めさせることが可能」なのであって勝てるわけではないだろ。

ベトナムアフガニスタンは、ボコボコに殴られても負けてないと言い張ってるだけの状態に似ている。

anond:20191218171319

ベトナムアフガニスタンは戦域広げなかったからだろ

から判断力よ結局

輸送能力を大きく超えた戦域で戦って潜水艦輸送邪魔されてたらそりゃ負ける

大東亜戦争で、大日本帝国軍が負けた本当の理由って何だ。

頭数がいっぱいいて、潤沢な予算で豪華な装備がそろっていて、

なによりも当時は戦争妨害する悪法憲法9条存在しなかった。

軍人日本国民の皆が尊敬する体制で、日本中から優等生が競って士官学校にやってきた。

いま自衛隊が求めているものが当時は全部あった。

なのに負けた。

作戦がどうとか、精神論の誤りだとか、国力が違いすぎるとか、弾薬が足りなかった補給が悪いとか、

理屈はいろいろもっともらしい言葉が並んでいるけど本当にそうなんだろうか。

ベトナムアフガニスタンアメリカが失敗しているということは、最新型兵器が潤沢になくともアメリカを押し返すことは可能なんだよな。

本当に日本軍に足りないものは何だったんだ。

2019-12-17

anond:20191217105104

女性誌でも肉食っぽいのと草食っぽいのはあるじゃん

どっちとも取れないのもあるけど、なんとなくそんな感じのでいいんじゃね。

https://www.magazine-data.com/women-menu/thirties.html

ベトナム転職」ってバナーが出てきたので思ったけど、海外とかも意外といるかもなあ。

2019-11-27

なぜタイ大学生制服を着るのか

パーカーTシャツジーンズバックパック。 これは思い出しやす大学生イメージです。

しかし、白いシャツ、黒いズボンスカートを持って学校に通う生徒もいます。 彼らはタイ大学生です。

タイの街を歩くと、大学生制服を着ているのをよく見かけます制服学校特性を表してみせる傾向があり、学校によって異なることが多いですが、タイではそうではありません。 ネクタイバッジベルトに刻まれマークのみが異なります

タイ位置する東南アジア諸国共産党支配下にありましたが、現在社会主義の名残があるベトナムラオスカンボジア義務的学校制服政策実施しています北朝鮮は、東南アジア諸国を除いて、そのような政策を持っている唯一の国です。 民主主義国の中でタイ大学生は、制服義務化されている唯一の学生です。

タイの人々は、制服を着ると誰もが平等であると信じています。 彼らは学校に行くときはいつでも差別から抜け出すことができ、シャネルグッチのような高級品を着たり、とんでもない高級車を運転していても、学校制服を着ていますしかし、同時に、制服は「幸運象徴」です。

タイでは、「ユニフォーム」は人々のアイデンティティ地位を明らかにします。 制服を着ている人のほとんどは収入教育レベルが高く、学生制服例外ではありません。 彼らにとって、ユニフォームは「平等」を保証し、同時に「見張り」の意味を受け入れます

マナー規範を高く評価するタイ文化は、タイ大学生制服を着させるもう一つの理由です。 彼らの将来の社会における多くの規範基準に従うために、彼らは最初ユニフォームを着るという単純な規則を守るべきです。 また、タイ人は制服を着ることで、若者他人尊重し、感謝する方法を学ぶと考えています

タイ調査研究機関によると、バンコク学生の94%が学校制服必要であると回答しました。 さらに、彼らの71%は、授業の当日は制服を着るべきだと答えました。

FHNWの交換留学生であるNuii Patrapan Sangsongsuk氏は、「私は個人的にはユニフォームコンセプトが本当に好きです。すべての学生を同じ見た目にしてくれますから」と語ります。「学生富裕層の生まれなのか貧困層の生まれなのかにかかわらず、みんな同じ制服を着ます。また、破れたジーンズなどように不敬を象徴するような、学校では不要ファッションを防ぐための優れたシステムです。

しかし、誰もがそれに同意したわけではありません。 2009年2013年に、チェラロンコン大学タマサート大学学生は、制服に反対する動きを巻き起こしました。 彼らは強制的学校制服政策に反抗し、自治人権侵害だと主張しましたが、結局は失敗に終わりました。

https://web.fhnw.ch/plattformen/blogs/journalism/2017/02/03/uniforms-in-university/ より機械翻訳+修正

2019-11-24

anond:20191124094657

お酒強制するなど、つまらない人と飲むと、何を飲んでもまずくなる。

日本酒は、ワインとよく似ていて、お酒食事ペアリング、そして飲食を共有する仲間との食空間がとても大切。

日本酒はこうした条件さえそろえば、最高にウマイ飲み物だし、うまいものを食べようという美食意識が強くなればなるほど、どういう条件で飲めばいいかわかってくる。

しかし、残念ながら、お酒のものが、東アジア共通してみられるように、組織内の序列確認するための儀式に使われてしまうのが残念。

日本だけではなく、韓国中国、そしてベトナムあたりも相当にキツイ

上司の妻に、部下の妻がお酌する、というような光景ベトナムでなんどかみた。

そういう傾向が強いところでは、ビールは氷入りで超うすめ、ウォッカは透明なので、薄めて飲んでもモッチャン(乾杯)しやすい、という具合に

味もへったくりもない飲み方が横行する。タイでは、ワインに氷を入れて飲んでいるのも思い出した。

2019-11-13

おさるのジョージポリコレっぷり

メインの子キャラの両親が出てこない。

兄妹のスティーブベッツィー

マーガレットおばさんが母親代わりとして育てている。母の日マーガレットおばさんにプレゼントを買う、という発言があった。両親がいない理由不明

ビル

先日ビル母親結婚式(多分再婚)を挙げるエピソード放送されていたが、最後まで母親の顔は映らず、後ろ姿のみ。

アリー

レンキンス夫妻の孫だが両親は全く出てこない。いるのかいないのか不明

逆にメインキャラではないマイノリティ属性の子キャラは両親が出てくる。(スティーブベッツィーは白人系、ビル黒人系、アリー赤毛そばかす

マルコ

メキシコ系の男の子家族ラテン系バンドを組んでいる。

ハナ

ベトナム系女の子で両親はベトナム食品店を営んでいる。

リリー

チャイナタウンに住んでいて両親も登場。

徹底している。

2019-11-12

anond:20191112091508

過去ソ連対義語アメリカだったりベトナム対義語アメリカだったり、現在中国対義語アメリカだったりするのと一緒で、オタクはその時期一番敵対的グループ対立構造を作りたがる傾向があって、目下オタクの敵はフェミから

2019-10-21

[]【3】2019 秋、マレーシアシンガポール

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anond:20191021085046




Day,3



3日目

まぜこぜの国


キングサイズの快適なベッドと一昨日から寝不足のせいか、旅先には珍しくグッスリ眠ることができた。

8時前に起き、準備を整える。

今日は本格的にマラッカの街を散策し、ニョニャクエとニョニャ料理が食べたい。

ホテルからタクシーオランダ広場に向かうGRABは本当に便利だ。

隅々まで清潔とまでいえないマレーシアで、日本を遥かに超える利便性のあるアプリが普及しているのは、もう進歩の順序の常識20世紀型と全然違ってしまっているのを感じる。

朝ご飯を食べようと思っていた目当の店が定休日だったので、たくさんの人が食事をしているカフェに入る。

壁にメニューがあるが、なんだかわからないので、いちいち調べながら注文する。

ナシゴレンアイスコーヒーを注文した。

10リンギット、およそ260円だ。

メニューに「ロジャック」という文字があり、これがちょっと安い。

なんだろうと思って調べると、定型レシピというのがない料理で、あるものを色々混ぜこせにして、エビ味噌タマリンドなどのソースぶっかけるモノらしい。

家庭料理でよくある「名前のない炒め物」のようなものだろうか。

ナシゴレンアイスコーヒーで腹ごしらえしたあと、オランダ広場中心部に向かうと、帽子かぶったマレー系男性、傘をさしたチャイナドレス女性宝石ティアラをつけたタミル女性観光客を歓迎する壁画があった。

観光ガイドなどでよく見かけるオレンジ教会写真に収めたあと、歴史博物館を訪ねる。

中に入ると、イスラム中華インドそれぞれの人々を象った人形が並んでいる。

少し歩くと、日本兵の銅像とその背後にはためく日の丸が見えた。

マレーシアは、第二次世界大戦中、日本支配も受けているのだ。

さらにその前は、オランダイギリス

多民族暮らし、数々の海外勢力もやってくる。

しかし、きっとマレーの人々は、その全てを「マレーシア」という袋の中に入れて混ぜこぜにてしまうのだ。

2階に上がると、マハティー首相習近平書記長握手をしているポスターが下がっている。

現代中国の影響は強大だ。

でもきっとそれも、ここにやって来た以上は、混ぜこせにされてしまうに違いない。

歴史博物館のあと、青少年文化博物館も見てみる。

若者アートが展示されている。

みると、キルラキルみたいなテイストの絵や、ちょっと前のやたら目が大きいアニメ少女みたいな絵が結構ある。

源流を辿れば日本初、ではあるんだろうが、アニメマンガ文化はもうアジアの中で消化されて、若者身体の一部になっているようだった。



諦めと誇り


オランダ広場を離れ、ニョニャクエを買うことのできる店に向かう。

その場で飲食ができるカフェと、販売店舗があるらしく、カフェのほうに向かう。

その場で食べようと思ったが、異国なので同じ経営のものなのかイマイチ自信が持てなく、ニョニャクエ自体販売店舗で買って、その場ではかき氷を食べることにした。

外が暑いのだ。

しばらく待って現れたそれは、上に鮮烈な緑のプルプルした虫状のゼリーが乗っておりなかなか日本で見ない見た目だ。

これは「チェンドル」というゼリーで、ベトナムのチェーにも入っていた。

材料米粉で、鮮やかな緑はバンダンリーフという植物から採った天然色素だ。

すごい見た目に反して抑制の効いた味わいで、かき氷全体も優しい甘さだった。

ここで気づいたのだが、スマホ用に持って来たモバイルバッテリー、そっちはいいが、ケーブルを持って来ていない!スマホ電池が切れたらGRABでタクシーも呼べない。

あいいか、これから販売店舗のほうに行ってニョニャクエを買うとして、あれは生菓子なので、冷蔵庫にでも入れないといけない。

買ったらホテルに戻って、そこでスマホも充電しよう。

店舗のほうに行くと、これが製作工場と棟続きで、でっかい台所秋葉原ジャンクパーツ屋をくっつけた様な店内に、極彩色の色鮮やかなういろうを思わせるニョニャクエが並んでいる。

その一通りとチマキが詰め込まれれた「お得セット」的な詰め合わせと、緑の球体にココナツパウダーたっぷり振りかけられた「オンデ・オンデ」、日持ちのしそうなパイナップルケーキ、それとこれはその場で食べるための餃子型の揚げパイを買い求めた。

約41リンギット

1,100円といったところだ。

よし、ホテルに戻るぞ、パイを食べてみると、?、なんだろう中に入っている餡は。

わかった、カレー風味に味付けられたサツマイモのフィリングだ。

こういう発想はなかった。

GRABでタクシーを呼んでみたのだが、遠すぎてブッキングできない。

少し歩くしかない。

歩いていると、どうやら界隈は学生街らしく、ヒジャブを被って制服を着た7〜8歳くらいの子供をワンボックスピックアップしていた。

さらに少し歩くと、もう少し上の年代の、これもヒジャブを被った少女たちの一段と出会う。

彼女らはマレー系なのだろうが、そこから2人歩き出した姉妹は痩身に浅黒い肌で、美しい黒髪を揺らしている。

きっとタミル系だ。

しばらく歩くと「中国公学」の看板

教育事情文字通りなかなか複雑なものがあるようだ。

ヒジャブの一団から離れて歩くタミル姉妹を見たり、空気として感じたものを考えると、マレーシア人にとって多民族暮らしていることは「いちいち気にしていたら日常生活が成り立たない」もので、一種の諦めのような感情想像できないではない。

でも、博物館で見た様な表現世界では、それに目を背けず肯定的に描いたものが多く、「受け入れるしかない状況」と「それを自ら肯定的に捉え直す誇り」の間で揺れてるのかも知れないな、と思った。

ホテルに戻り、プールサッパリした後、少し読書をして日本×スコットランド戦海外ネットユーザーの反応を見る。

皆、感情を爆発させて、とりわけ日本プレーの美しさに感嘆する声が多い。

レビューを書いているうちは試合状況を追いながら書いているので、淡々としがちだが、改めて見るとたしか日本トライは美しい。

感情を動かされるプレーについても、それに動かされた感情についても書いてもいいのかも知れないな。



晩餐は不思議ものをどうぞ


タクシーピックアップして、今日こそは、でニョニャ料理レストランに向かう。

事前に調べたところによると、以前訪ねた日本人のお願いにより、お一人様向けのお任せメニュー対応してくれるらしい。

到着して、ママさんに「このサイトを見せて頼めば良い」とされるサイトを見せてお願いすると、料理の好みや内容に関する軽い質疑応答を経て、3皿とご飯が出てきた。

野菜が入った平たいオムレツレタスと思われる青菜炒め、豚肉とそら豆のちょっと辛い炒め物。

たっぷり出て来ると勝手想像していたので、「意外と普通の量だな」と思ったものの、おひとりさまメニューとしては妥当な量だ。

味わいは中華といえば中華なんだが、豚肉とそら豆の炒め物のスパイシーで奥深い旨味のある味わいが、ナシゴレンの旨味を思い出させ、確かにこれは「中華風マレー料理」だ。

よくよく考えると、イスラム教国のマレーシア豚肉の炒め物が出て来ると事自体特殊な事だ。

緑茶も合わせて32リンギット

だいたい830円くらい。

3皿と飲み物を頼んでこれなら安いだろう。

マレーシア物価について大体見えてきたんだけど、ホテルタクシーが異様に安いだけで、その他の物価日本の5割〜6割いといったところだ。

ママさんにお礼を言って店を後にする。

生温い夜風に吹かれながら歩くと、賑やかな屋台市が見えてきた。

ちょっとのぞいて見ると、皆思い思いの料理を頼んで、夜空の下で食事を楽しんでいる。

まだもうちょっと入りそう。

と、みると「ROJAK」の文字が。

あの謎の混ぜこぜだ。

これは行くしかないと思って頼んで見る。

しばらくすると、茶色ソースがかかったなんだかわからないものが出てきた。

キュウリタロイモニラ、揚げパンかな?口に運んでみると、ソースちょっと独特のくさみがある。

そして甘辛い、というか、日本感覚で行くとハッキリと甘い。

相当強い味付けで、白飯ビールが進みそうではある。

肉類は一切入ってないのだが、この強い味付けで単体でも結構食べ応えがある。

おいもすぐに気にならなくなった。

フードコートにうろつく野良犬の横で謎の混ぜこぜ野菜を食べていると「これが熱帯の夜か」という感じがした。

ホテルに戻ってサウナに入ったあと、冷蔵庫に入れておいたニョニャクエを食べてみる。

鮮やかな赤、青、緑のそれは、(色以外は)見た目の通り、ういろうを思わせる味で、さすが中華文化を受け継いでいるだけあって上品な甘みだった。

生菓子お土産としては適さないので、もしマレーシアに来ることがあれば、ぜひ味わった方がいいと思う。

明日はこの極上のホテルをチェックアウトしてシンガポールに向かう旅程になっていたのだが、シンガポールではわずか1泊してまたマレーシアに戻る予定を組んでいたので、行きはともかく帰りの移動に焦りたくなく、先にバスを予約してしまうことにした。

慣れないバス予約サイトと格闘すること1時間半ほど、なんとかシンガポールからマレーシアバスを予約できたのだが、ここで小さなトラブルが発生。

何度も予約の失敗を送り返していたため、成功した予約の詳細を確認していなく、ピックアップポイントも降車ポイントも当初の旅程とはやや離れた場所になってしまった。

一瞬焦ったが、シンガポールショッピングモールの前だし、マレーシア鉄道駅のすぐ近くだったので、これはシンガポール物価も見られるし、マレーシア鉄道にも乗れるし、いいかもしれない、と前向きに捉えることにした。

なんとかなるだろう。

なんとかなるのかな。


【4】2019 秋、マレーシア・シンガポール  4日目 |「土地の子」と「マレーシア人」 へ >>

[]【2】2019 秋、マレーシアシンガポール

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anond:20191021083746




Day,2



2日目

多民族国家へようこそ


日本代表プール突破は嬉しいが、このまま頭がラグビーモードだと初めて訪れる国では差し障りがあろう、羽田深夜発の機内では眠りたかったが、毎度のごとく機内での不眠グセが顔を出し、結局一睡もできなかった。

今日は到着のクアラルンプールからいきなりバスで2時間ほどのマラッカに移動して、ホテルへのチェックインとなるので、こなすべきタスクが多い。

不安もないではないが、その不安自体について考えすぎるのも精神衛生上悪いので、あまりいかけないことにした。

現地時間午前6時に到着したクアラルンプール国際空港手荷物預かり時までモノレールで移動するという、日本ではちょっとお目にかかれない構造に軽く戸惑ったが、入国管理カードすら必要なく、拍子抜けするほどあっさりしたものだった。

空港内のコンビニで水を買い求めたりしたが、マレーシアの人は柔らかな笑顔で応対してくれる。

これは南国の気質なのか、旅人価値あるものとする、イスラムの教えなのか。

クアラルンプール国際空港から一旦、市内中心部のKL セントラルに向かうため、高速バス切符を買う。

バスチケットセンターのお姉さんんがちょっと硬い感じだったのと、スーツケースバスに積もうとトランクの近くにいたおじさんに声をかけたら客だったという小さなイベントはあったものの、ここでも概ね笑顔対応を受けた。

しかし、バスが走り出してすぐ、東南アジアあるあるの「異様に強い冷房」に遭遇。

日本からやや厚手のスウェットブルゾンを持ってきていたので、ジップを上げてなんとかしのぐが、これはなかなかの強さだ。

見ると、前の席のお兄さんはダクトに空港手荷物預かり証のシールを貼って塞いでいる。

そうか、その手があったか

KLセントラルに到着し、少し館内を散策する。

ここは交通ハブでもあり、観光客も多いのだろう。

でも、おそらく日常でここを使っている人たちの姿を見ると、その多彩さに驚く。

ヒジャブを被っている女性マレー系だろう。

長い髪も露わにひたいにビンディをつけてる女性がいる。

きっとタミル系だ。

カフェでは中華系の壮年男性が30台ほどに見える浅黒いマレー系男性ビジネストークをしている。

全く違う人種宗教の人々がここまで日常感を放ちながら共に暮らしている姿は、日本ではなかなか見ることができない。

セントラル地下には好レートの両替所があり、此処での目当てはそれだが、両替開店にはまだ早く、カフェ時間つぶし。

初めてのマレー飯、カヤトーストを食す。

トーストに挟まれた謎のスプレッドは色といい味といい、ランチパックピーナツクリーム連想させた。

開店した両替所でリンギットとついでに少額のシンガポールドルを手に入れたら、次は今日宿泊マラッカ行きの高速バスに乗るため、中央バスターミナルにかないといけない。

ここで、東南アジアUberといえるGRABを使って見ることにした。

アプリアカウントと支払い情報入力し、地図上で行き先にピンを指して配車すると、やがて銀の車がやってきた。

降りてきた男性中華系だった。

日本以外のアジアは「運転が荒い」という印象があり、事実マレーシアも聞くところによるとそうらしいのだが、GRABで配車されるタクシーアプリ評価システムが内在されているからか、実際に乗って見ると非常に安全運転だった。

ちゃんに礼を言い、中央バスターミナルTBSへ。

バスに乗ればマラッカまで2時間

乗り込む前に腹ごしらえすることにした。

フードコートで頼んだのはカレーラクサ。

ココナツカレー味のうどんのような麺でかなり辛い。

このラクサ中華マレー人の作る「ニョニャ料理」とされていて、それならばこれから向かうマラッカが本場なのだが、どうもマレー料理地域によってかなり味が違うようなので、クアラルンプールでも食べて見ることにした。

ココナツマイルドさとゴロゴロはいっている鳥の骨つき肉が味に厚みを与えているが、かなり辛い。

大汗をかきながら完食し、すぐマラッカへのバスに乗り込んだ。



古都マラッカ海鳥匂い


幸い先ほどよりも冷房がキツくなかったバスに揺られて2時間古都マラッカに到着した。

降りた瞬間に塩の匂いというか、海鳥匂いがする。

思った以上に海が近いらしい。

さっきの流れで慣れたので早速GRABでタクシーを呼び、今夜の宿、ダブルリーバイヒルトンマラッカへ。

ホテル世界最高レベルで安いと噂のマレーシアだが、通された部屋を見て驚いた。

広々としたリビングキングサイズのベッド、眼下にはマラッカの町並み。

ベトナムで泊まったホテルニューワールドにも驚いたが、1泊7,000円弱という値段を考えるとこちらの方が衝撃は大きい。

マレーシアなら東急イン以下の値段でラグジュアリーホテルに泊まることができる。

チェックインも済んだので、マラッカ旧市街に繰り出して食事でもしよう、そう思ってホテルを出たが、少しオランダ広場を見てから繁華街に向かうと、ほとんどの店が閉まっている。

おかしいな、祝日かな。

目当ての店もどれも閉店だ。

気になって調べて見ると、マラッカの街は夜が異様に早く、食事の店でも多くは18時、早い店だと16時には店が閉まってしまうらしい。

晩御飯を食べに出たら店はどこも開いていないというわけだ。

辛うじて空いていた中華系の店でローストダッグと空芯菜炒めをつまみながら、「これは世の中の常識定義全然違うなぁ」と思った。

ポストしたレビュー応援してくれるコメントも頂いたが、辛辣評価もついた。

寝不足で動き回る異国の地、曇天の空には海鳥の鳴き声が響きまくり、店は閉店、レビューにはお説教

うまくいかない日な気がしてきた。

まあ店が開いていないなら仕方がない、昨日からロクに寝ていないんだし、今日はさっさと寝て、朝早くからマラッカの街でニョニャ料理を楽しもう。


【3】2019 秋、マレーシア・シンガポール 3日目 |まぜこぜの国 へ >>

2019-10-11

朝日日経が今度は広告叩きをし出したのはなんだろね。

正直新聞社は自ら自滅の道に走っているなと言う印象。

「エログロ」漫画広告、野放しの謎 露骨で不快…対策は

これに関してはフェミ左翼あいトレの表現不自由展とはダブスタだなと言う意見には割と同意だけど、そっちは多数の人がどうせ指摘するだろうし、それに関しては一先ず横に置いておくことにする。

しか広告がえてぃのが多いのって、朝日記者やこの女性とやらの投稿者が単にえちぃだけなんじゃ?

速攻読んでて思った事が之だったりした。

わざわざアフィカスまとめサイトなんて書いている時点である程度察しだし、そもそもtwitterSNSだと垢の検索傾向や嗜好を判断して、広告を出したりしているのは割と当たり前で今じゃ殆どの人が知っている事だと思うけどね。

ただ以前にこれと似た様な例で、ベトナムで日本語教えているとか何とか言っていた奴が、広告がえちぃだのなんだので文句をつけて自滅した例があるから、案外知らない人も多いのかもしれない。

寧ろ今見たら、そのベトナム日本語講師しているとやらの人間日本広告がえてぃから神経を疑うだのと言うツイートを纏めていたtogetterを見たら、そいつ逃亡したみたいで、ツイートを消した痕跡だけになっていて笑った。

そういう事なんだろうと思うけどね。

でも朝日新聞はわざわざこんな自身の首を絞める様な行為を良くするなと思う。

しかし少し前の日経の記事と言い、今度は広告叩きをし始めたのはどこかから何かしらの圧力やら、工作やらしている団体なりがいるのかなと思ったりもしたりする。

こういう一斉に同じ事を主張し始める時は何かしら、別の目的がある時にやる事が多いからね。

それとね、いつもこの手のを見ていて思うんだけど、お前らAdGuardなりNano Adblockerなり入れろやと思う。

ただ新聞社はこういう事は死んでもかけないだろうけどね。

広告収入は割と主だから、それを言う事はこれこそ自滅行為のものになる。

裏切り裏切りを重ねる彼氏

同棲中の彼氏出張先のベトナムカラオケの女とエロいことしていたことが発覚した

帰国後持ち帰った洗濯物を洗っていたら、あるパンツがとんでもなくガビガビになってピカピカ光るものが付着しており、あれは一体何だったのだろうかと何度も考えていた

今まで何度も何度もこっぴどく裏切られている

彼氏とある宗教大学出身で、同級生と今でも異常に仲がいい

から何までその同級生に話している

私とのラインのやりとりまスクショして逐一その同級生に送っている

それは私が彼氏しか話していないこと

全部その同級生は知っている

2019-09-20

anond:20190920010534

ミニミニ大作戦(the italian job)

ドイツミニクーパーを利用した、大胆不敵な強盗作戦映画

The Man from U.N.C.L.E.(0011 ナポレオン・ソロ)

冷戦時代舞台にしたスタイリッシュスパイ映画

クリヤキンの見た目が原型をとどめてない

特攻野郎Aチーム(特攻野郎Aチーム)

ベトナムで鳴らした俺たち特攻部隊は、

濡れ衣を着せられ当局逮捕されたが刑務所脱出し地下に潜った。

しかし、地下でくすぶっている様な俺たちじゃあない。

筋さえ通れば金次第で何でもやってのける命知らず。

不可能を可能にし、巨大な悪を粉砕する、

俺たち、特攻野郎Aチーム

2019-09-08

地方活用できていない土地海外含めて活用先探せないものなのだろうか

シャッター商店街ばかり置いておいても仕方ないと思うんだが。

中華街ベトナム街とか出来ても使われるなら良くないだろうか。

日本人海外行ったら、リトルオーサカやリトルトーキョーやリトルヨコハマを作ってるのでお互い様だと思うが。

2019-09-03

anond:20190903102041

WW2のときベトナムときイラクときも、戦争の時にはメディア戦争を煽っていた、というのが戦争反省界隈ではさんざん言われているから、それ関連だろう。

 

さんざん言われているのにやるメディアは出てくるのだから、これはもうメディア暴走するものなんだろうね。

2019-09-01

anond:20190901224108

あんだけ馬鹿にしてた韓国にも余裕で負けてしまってるしベトナムにすら時間問題で負けそうな感じあるね

anond:20190901200147

以前いた会社ベトナム拠点立ち上げがあったけど

エンジニアなのでビザ問題ないけど

英語力が論外ということで外されたんだなぁ

ベトナム拠点スタッフリーダー職以上は日本語中級レベル採用基準で、現地ベンダーやらと折衝の必要もなかったのにね

ワイは会社の金で今も海外生活がしたい

つか出張も大好きやしね、上記理由国内だけだけど

2019-08-26

anond:20190826201613

大前提から書かなかったけど

逆にいえば、ロシアウクライナ関係とかインドパキスタン関係とか

1970年代までのイギリスアイルランド関係かに比べれば

日韓関係なんてすごくマシ、ぜんぜん平和

その大きな理由は間に海があるから

しろ日本人は陸続きの国同士が抱える潜在的対立に気づけよ

社会主義国同士の中国ベトナム中国北朝鮮だって潜在的対立があるぞ

……というのが本来趣旨のつもりだった

anond:20190826193734

北朝鮮核武装は、潜在的には、中国による吸収併呑を防ぐ意図もある

もし本当に仲がよければとっくに北朝鮮中国の省の1つになっているか連邦になってる

朝鮮戦争とその直後は北朝鮮中国と強固な軍事同盟関係だったけど

その後の中ソ対立の時期は中ソどっちつかずの二股外交だな

1969年には中ソ国境紛争が起きたし1970年代末には中越戦争も起きたか

社会主義国間同士の戦争もあり得るわけで

北朝鮮がそれを意識してなかったわけがない

現にベトナムも同じ社会主義国だけど国境を接する中国とは今も仲が悪い

逆に考えるんだ

日本韓国だってアメリカ側の自由主義陣営同士だけど仲悪いやんw

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