はてなキーワード: バラエティとは
某若者に大人気でバラエティにも出演したバンドのライブで痴漢が発生したんだわ。
当然ファンは大激怒、他のバンドのファンからも憤りを感じる書き込みとかがあったんだが凄く気になる事があったんだ。
俺、Twitterのアカウント持ってて何人か同じバンドが好きって奴がいるけど、そのうちの1人がそのライブに行ってたんだよね。
そいつ、性格はかなりDQN気味だけど自分が好きなバンドのライブで問題が発生した時はガンガン首突っ込んでくるタイプなんだけど、今回の件については何事も無かったかの様に触れてないんだわ。
痴漢の件が嘘ってわけでもなくて、何人かが被害者の子が加害者をセキュリティーまで引っ張ってきてるのを目撃した奴も何人かいるんだわ。そもそもここまでの事ってなかったから、界隈が騒然とする様な出来事だったんだわ。
「俺は正義感に熱い人間!」と自分で思っていそうな奴なのになあ…
自分の好きなバンドでこういう出来事があったらブチギレそうなもんだけどなあ…
と思っていたんだけどさ…
まさかな…
あれから何日か経ったけど、未だに触れる様子はない
何だろうな、この違和感は…
バイト先の飲食店でエリアマネージャーのおっさんがよく尻を触ってくる
「頑張れよ!」とか激励の意を込めて触ってきたり、「どうした?元気ないぞ?」と機嫌を伺う様に揉んできたり、その時々によってバラエティに富んでる
もう1人俺の尻を揉んでくるおっさんがいる
このおっさんは俺の義理の父親で、なんか朝リビングで会った時にすれ違い様に平手で尻を叩いて「おはよう!」と言ってくる
あと台所に立ってると不意に尻を揉んでくることがある
台所が狭いので二人以上の人間がいると必然的に密着してしまうんだけどそういう時にすれ違い様に尻を揉んでくることがある
なぜおっさん達は尻を触ってくるんだ?
「今週も始まりました、『みんなのアニマルパーク』! 今回は動物に関する映像特集です!」
俺は学校の課題に取り掛かっており、テレビから背を向けていた。
「ん~? なんだこれ~? なんだろう~?」
「うわ~すごいなあ」
強い拒否感を覚えた俺は、咄嗟に近くにあったリモコンへ手を伸ばした。
「別にどうしても観たい、楽しみにしてる番組ってわけでもないだろう」
わざわざ公言することでもないが、俺はこういう動物バラエティが苦手だ。
出演者のリアクション、足されたサウンドエフェクト、ナレーション、ドラマティックなストーリー。
そりゃあ低俗には低俗なりの良さはあるし、必ずしも高尚な作りの方が良いとも思わない。
「兄貴って、こういうの観たがらないよな。ウチだって猫いるのにさ」
「……だからこそ、だ」
ふと同じ部屋にいる、キトゥンに目を向けた。
何食わぬ顔で飯を食っている。
だって、そうだろう?
自宅に軟禁して代わり映えしない生活を強いて、挙句には去勢するんだからさ。
そんなことをしても問題にならないのは、結局のところ愛玩動物でしかないからだ。
或いは彼らがいう“家族”ってのは、そういう意味なのだろうか。
彼らにとっては“愛しい玩具”の延長線上なのかもしれない。
じゃあキトゥンの飼い主である俺は何なのかっていうと、もちろん例外じゃあない。
飼うようになったのも、そうしなければ駆除される寸前だったからだ。
とどのつまり自分の心を守るために、たった一匹の猫を守る選択をしたわけだ。
それは動物を慈しむ心だとかではなく、極めてエゴイスティックなものに近い。
他の生物と身近になるというのは綺麗事じゃなく、そういうものだ。
あいつにキトゥンという名前をつける前から、俺はそのことに自覚的だった。
だからこそ、ああやって無邪気に動物を弄び、それをさも尊いかのように見せる番組が苦手なんだ。
まあ、共感を得られるかというとビミョーだが。
現に、これについて説明を試みたものの、弟の反応は素っ頓狂だった。
「うーん、よく分からないけど……たぶん兄貴はさ、自分がキトゥンにどう思われてるか自信がないんじゃない? だから、そういう斜に構えた感じになっちゃうというか」
俺の話をどう聞いたら、そういう解釈になるのだろうか。
自信のあるなしなんて関係ない。
「弟よ、お前の言う“自信”ってのはな、ほぼ“幻想”と一緒なんだよ。動物の心情を、人様が都合よく思い描いているに過ぎない」
そう語気を強めて言ったつもりだったが、弟は怯まなかった。
むしろ意気揚々と、おこがましいことを言ってのけ、その勢いで足早に出かけていった。
何かアテでもあるようだが、あり得ない。
それができれば苦労はしない。
いかがお過ごしですか?スノストCDミリオン突破おめでとうございます!
スノストをはじめとして今ジャニーズのネットへの進出が盛んですね。嵐のfullPVをYouTubeで見られたときは本当に嬉しかったのを覚えています。
そんな貴社へのご提案なのですが、そろそろジャニーズタレントが出演するバラエティ番組におけるTver掲載を許可していただけないでしょうか?
最近はニノさん等Tverへの進出も増えましたが、それでも深夜番組等においてジャニーズタレントが出た際その回だけTverにあがらない事態は起き続けています。
今更なんのメリットがあるのですか?バラエティでのはしたない姿を拡散したくないとかですか?残念ながら合法であるTverにあがらなければ違法に見る、くらいの倫理観の人は多いのであんまり意味ないと思いますよ。
ジャニタレがでるデメリットをつくることで変な企画から守ろうということかとも思いましたが、そのデメリットを受け入れた上でジャニタレに変態仮面の格好をさせる番組もあるのですから、あまり意味があるようには思えません。
恐らくですが、事務所内でのそういったバラエティへの注目度が低い分、許可を出すのを忘れているだけなのではないですか?これからの時代にタレントを放ちたいのであれば、少なくとも理由のない縛り付けはそろそろ辞めるべきではないでしょうか
金曜日仕事が終わると直行で母か父もしくは両方と一緒に適当な安いファミレスで夕食を食べ、その足で実家へ向かう。
休日は実家で母とアメトークの録画やお笑い向上委員会みたいなくだらないバラエティを見て一緒に笑って、自分は免許持ってないから父の車に乗って適当にぶらつき、祖母とゆっくり犬の散歩に行ったりボケ防止にネットで調べたなぞなぞを一緒にやったりとかいつもそんな感じ。
日曜日の夕方になるとまた適当な店で晩飯を食べてからその足でそのまま自分のマンションに向かい、金曜日まで働くとまた家族と過ごしに実家へ向かう。
多分良い年こいた男が毎週わざわざ実家に帰ってそんな男子小学生みたいな休日を過ごしているっていうと相当にマザコンだし親離れできてないしキモがられる気がするから人に休日の過ごし方を聞かれるといつも適当に濁しているけど、新卒で就職してからずっとこんな生活を送っていた。
最近のコロナ騒動を受けてからそんな生活も今日で一旦終わり。しばらく休日は自分のマンションで過ごすことにしようと思う。
よくよく考えると恋人なんてできたことすらなく友達もほとんどいない自分にとって、人生は家族の存在がほぼすべてだった。
大切な家族に何かあったと考えるとそれだけで嗚咽が出るくらい恐ろしくなる。
まだ日本では騒動は大きくなってないけど、今から数ヶ月間のことを考えると比喩抜きで震えるほどに恐ろしくなる。
もしかすると、今日で家族と過ごせるのは最後だったのかもしれないかもと、だったらもうちょっと優しくしとけばよかったなとか、プレゼントくらいできたかもなとか、色々後悔が頭を渦巻く。
みんな不安で怖いのはわかるけど、それでもやっぱり怖いもんは怖い……
自分は家族の不幸を聞いたらそのまま首を吊るか飛び降りるかしてしまいそうだ。
こういう親がいつか死ぬことへの葛藤って本当だったら小中学校の頃に終わらせてるようなものなのかな。
多くの人はこちらのWikipediaの記事を参照していると思われる。
この記事も踏まえた上で、実際に主だった芸人を「活動開始時期」や「人気が出た過程」で並べ、あらためて世代分けを考えてみたい。
まず画期としては1953年のテレビ放送の開始が挙げられる。この時期に人気があったのは落語家や喜劇俳優であり、またコミックバンドも人気があった。上の表で言えばいとこい・ダイラケあたりが該当する。いわば「第0世代」であろうか。
次にやってくるのが「演芸ブーム」で、1963年開始のテレビ番組『大正テレビ寄席』を中心に数々の演芸番組が放送され、その勢いが1970年ごろまで続いた。一般にこの時期に人気が出た芸人が「第一世代」と呼ばれる。「寄席」をテレビでやるので落語・漫談・漫才・コント・コミックバンドなど幅広い芸人が登場した。てんぷくトリオを筆頭に三人組が多かったので「トリオ・ブーム」とも呼ばれた。1970年代はドリフと萩本欽一のコント番組が人気を二分した。やすきよもこの世代に含まれる。
続いて、1980年に放送された『花王名人劇場 激突!漫才新幹線』『お笑いスター誕生!!』『THE MANZAI』などが立て続けに高視聴率を取り「漫才ブーム」となった。このブーム自体は二年ほどで終息するが、若手漫才師がアイドル的な人気を得て「漫才」のイメージを変えたり、吉本興業が東京に進出したりするきっかけとなった。1981年から1989年まで続いた『オレたちひょうきん族』が『8時だョ!全員集合』の視聴率を超え、出演していたビートたけし・明石家さんま・山田邦子らは一躍スターとなった。たけし・さんまにタモリを加えた「BIG3」を中心に、漫才ブームやひょうきん族から出てきた芸人を「第二世代」とみなすべきだろう。
その次が「第三世代」と呼ばれる芸人たちで、お笑い養成所出身の若手が、小劇場のライブで腕を磨き、夕方番組や深夜番組をきっかけに人気を得て、ゴールデン帯で「バラエティ番組」を持つ、といったキャリアを踏むのが特徴である。とんねるず・ダウンタウン・ウッチャンナンチャンがこの世代の代表格となる。一般に「第三世代」は80年代デビュー組で区切るようだが、個人的には似たようなキャリアから早めにブレイクしたナイナイやロンブーあたりも含めるべきではないかと思う。
次に来るのが「ボキャブラ世代」である。1992年から1999年まで続いた『タモリのボキャブラ天国』は、当初は視聴者投稿型の番組だったが、徐々に芸人のネタ見せ番組に移行。この番組を登竜門に「キャブラー」と呼ばれる芸人が続々と登場した。吉本興業が首を突っ込みそこねたらしく非・吉本芸人が多い。またボキャブラ終了とともに一時的に低迷した芸人が、2000年代に復活するあたりも共通している。先述したとおり、ナイナイ・ロンブーなどを第三世代に含めるとすれば、この「第四世代」は爆笑問題・くりぃむしちゅー・ネプチューンあたりが代表格となる。
2000年代に入って「M-1グランプリ」が始まったことで「お笑いブーム」が醸成された。また同時期に『爆笑オンエアバトル』『エンタの神様』『笑いの金メダル』『爆笑レッドカーペット』などのネタ見せ番組がスタートしてお笑い人気に拍車をかけた。賞レースを目指してストイックに芸を磨く若手芸人と、多数のネタ見せ番組により短期的な人気を得た「一発屋」が混在し、芸人のレベルは底上げされたものの、数としては飽和した感がある。2010年にM-1グランプリが終了するとブームも終息し、多数の「ひな壇芸人」を出演させてトーク中心に作られる低予算の番組が増加した。(2010年までの)M-1でブレイクした芸人と「ネタ見せ番組」によって登場した芸人が「第五世代」といえるだろう。
2010年代になると、第二世代・第三世代がフェードアウトし、第四世代と第五世代がバラエティの「司会」の座を奪い合う群雄割拠の時代に入った。第五世代は図抜けた存在はいないものの層が厚いので、2000年代デビュー組の多くがつかえて中堅に留まっているように思える。そんな中で、霜降り明星および彼らが「第七世代」と称する2010年代デビュー組が既に台頭してきている。この場合は2000年代デビュー組が「第六世代」とされるわけだが、2000年代デビュー組は遅咲きになりそうなので、おそらく2000年代デビュー組と2010年代デビュー組をあわせて「第六世代」と呼ぶようになるのではないか。2020年現在、芸人の主戦場はYouTubeになりつつある。後世から振り返れば「第六世代」は「YouTube世代」と括られるのかもしれない。
トラジャのファンは切ないよね……でもぶっちゃけたことを言うとデビューできなかったのはファン数かな……。
あとおっとりした人が多い印象。ストスノがYouTubeの再生回数競ってるとこにあまり入ってこなかったし。今は頑張ってる感じだけど。
ストはほら基本戦闘民族だし……スノは増員で各メンバーのファンが危機感持ったからああなったんだと思う。
努力したら報われるとは限らない世界だけど昔よりは数字重視されてそうだし(前社長は気まぐれなとこが大きかった)、応援は力になるよ! どうしても駄目だったらラブみたいにジャニーズ抜けるって手もある!
みんな幸せになれたらいいのにね。
紹介した動画にツウを感じたけど個人的にはストは関コレのやつhttps://youtu.be/mrEhP_CqF9A
(長いけど)で、スノはアクロバット入ったD.D
の方が好きかな。
あと貼るのめんどいから割愛しますがバラエティ的な動画ならスノは人狼(三本)、ストはズドンがグループカラーがでてておもしろいです。
モデルでタレントの最上もが(30)が28日、自身のツイッターを更新。既婚男性がモテることについて持論を展開し、反響が寄せられている。
「世の中こんなに独身男性がいるのに、なぜ既婚がモテるかを考えたら」と書き出した最上。「現代の男性の“傷つきたくないから受け身化”が凄まじくて、既婚はすでに一人ゲットできてるという心の余裕からガツガツいくから女性が魅力を感じてしまうのでは?とか思ったりしました」とつづった。
また、コメントで寄せられた「独身女性は?」という質問には「もちろん自分含め独身女性も多いけれど、そういう話ではなく、不倫=男性側が既婚率高い ってところがポイントです」と答えた。
この投稿にファンは納得の声。「なるほど」「なんかすごい納得しちゃった」「分かりやすい!!」「説得力半端ない」「もがちゃんニュースのコメンテーターの席とか呼ばれてほしい」「深い」「それわかる」などと絶賛の声が寄せられていた。
また、最上はその後の連続投稿で「念のため、『不倫は男が悪いよ!!』て言ってるわけじゃなくて」とした上で「最近恋愛バラエティ系みてても男性の草食化すごいな~と感じてたのと、魅力的な男性って外見云々とかスペックじゃなくて、引っ張ってくれる感じとか、心の余裕とか話しやすさとかだなあなんて思ったからでした。!ぼく個人の感想」と書き込んだ。
いや既婚者の俺から言わせてくれ
不倫=男性側が既婚率高い そりゃオスは生物学的に遺伝子を残そうとする本能じゃないの?
結婚して毎日顔合わせれば、見慣れるし新鮮味も無くなる。歳も取る。情は湧くけどね。
だから若くて健康的な体を求めるのは自然なことなんだよ。倫理的に間違っていたとしても。
男性の草食化すごいな~と感じてたのって
昔は肉食だったの? イメージでしょ
人生の半分くらいをオタクとして過ごしているんだけど、Twitterやら掲示板やらを色々見ていると「あれ私もこの人たちと同じオタクなのにこの感覚って味わったことないな」って考える瞬間が最近増えてきた
①「推しが辞めて病んだ」「推しが結婚して病んだ」「推しが炎上して病んだ」
痛々しいことこの上ないと自覚した上で書くけど、そもそも三次元の人にはまったことがないのでいまいちわからない
まだこれらの感覚を味わったことがないからかもしれないけど昔から炎上ウォッチが大好きなので(性格がクソ)、もし三次元を好きになって自分の推しがカノバレとかで炎上しても「うわ~燃えてる~」って感じでTwitter検索しまくるだけかもしれない
こういうのってアイドルとか若手俳優とかのファンに多いイメージがあるんだけど、これらの人種にこれからハマる予感が一切しないんだよなー舞台とかバラエティとか嫌いだしなあ 唯一原作が好きなテニミュをDVDで見たことがあるんだけど、へーなんか思ってたよりすげーなーで終わった 歌は好きだよ
②〇〇ロス
現行作品を追ったことがない=完結済の作品ばっかり見ているのでわからない
現行のものを見て感想呟いてファンと一緒に来週を首を長くして楽しみに待つ、みたいな面白さはあるんだろうけど、なんだろうこの「次の週も見なければいけない」みたいなプレッシャーが嫌いなんだよな もう終わってるものを自分のペースで見るのが好き 1週間に1回配信されるものが苦手
③「逆カプ燃料来て萎えた」「AB好きだったのにBCが結婚して詰んだ」
完全にネタバレを見てから視聴するためこういう状況に陥ったことがない
どことどこがくっついてどことどこがいい感じになって~みたいなのをわかった上で見始めるからあんまり気にならない ここの2人好きだな~あっそういえばこのあとこいつ彼女できるんだっけ草みたいな気持ちにはなるよ
④このスタッフや演者は作品愛に溢れてる.......素晴らしい.......この人たちだからこそこの〇〇が大好きになった!的なやつ
昨年よくテレビバラエティで全裸監督パロディやネタセリフを引用してる場合を多く見た。
なんだったら新年の特番でも同じようなことが多く、まだブームは続いている、とみるのが妥当なのかな。
ただずっと疑問だったのだが、そもそも全裸監督ってそんなに流行ったのか?
自分は見てないので、なんとなくわかったふりをしてテレビを楽しんでみていたのだが、そういえば周辺の友人たちとも全裸監督の話したことないなと思った。
(でもガキつかの草なぎの話はした)
これってみんな見てるの?
テレビマンの中でとにかく人気があってみんながそれを多用してるのかな?
よくわかんないけど、年末フリダンに監督が出てきて、誰こいつって思ったら本人だったって出来事あったし、やっぱり人気なのかな?
文春オンラインの”オリラジ中田敦彦を「フェイク問題に警鐘を鳴らす芸能人」扱いしたNHKの罪 「YouTube大学」問題の核心は、内容の誤りではない”という石動竜仁の記事を読んだのだが、江戸の仇を長崎で討とうとしてる感じが否めない。
それは世の中に責任ある立場でフェイクやデマを垂れ流してきた人があまりにも多く、Youtuberとして教養バラエティやってるだけの中田の間違いを殊更にあげつらうことの正当性を主張することの難しさにようやく気づいたからだと思われる。
NHKはマスメディアそのものであるので誤報に対する責任はただの芸能人やYoutuberとは比較にならないほど重い。
中田敦彦自身をダイレクトに批判することはためらわれても中田敦彦を発言に責任を持つ人であるかのように報じたNHKに対してならば堂々と批判を展開することができる。
あわよくば今後中田敦彦をNHKに出演させないことで自分にとって腹立たしい誤りを垂れ流した中田敦彦に対する意趣返しとしたいという意図が透けて見える。
2018年の関空孤立時の悪意なきフェイクの拡散が一人の外交官の命を奪ったというようなことを石動は書いているが、ネット世論の暴走や中国側の情報操作の可能性などさまざまな要因がからみあうこの事件自体を教養バラエティでの誤りをフェイクは人命に関わる問題だと短絡させるのはかなり無理があるし、誰であってもそういうニュースに対してコメントを求められればそういうしかない無難なコメントをあげつらって、あのときに「責任をもって発信することが大事」といったのに発信に責任をもっていないというのも少々大人げない。
大人げないからといってNHKに対しておまえがあの番組で中田を持ち上げた責任を取れというのも筋の違う話だろう。
多数の中田敦彦ファンからの(理不尽な)批判を浴びてついかっとなって勢いで書いてしまったのかもしれないが、進んで誤りを訂正する気にすらならない人命に関わるでもない問題に他人の金儲けに対するやっかみから中途半端に首を突っ込んだ自身の不明こそ反省してもらいたいと私は思う。
もうひとついえば発信の責任には発信者の身元を明らかにするというものがある。
増田の私は発信者としての責任を放棄している(責任を追求することも可能だろうが)、筆名だけで顔も出さない自称”ヴァーチャルネット売文業者”の石動竜仁(dragoner)はリスタートできる退路を残している点でやや無責任、低品質な教養バラエティも自分の顔と名前で発信している中田敦彦は自身のブランド毀損についてそれなりの責任とリスクを負ってやっているということもできるだろう。