はてなキーワード: バラエティとは
などとおかしな自己紹介になってしまったのには理由がありまして。
というのも、わたしは人生を振り返った時、そのうちの半分は「自らがおかれた環境下で生きることにいっぱいいっぱいだった動物」だったというのを最近になって自覚したタイプの生き物だったからです。
この気付きから過去の記憶のフラッシュバックが止まらなくなり日常生活が滞ってしまった為、こうして書き出すことにしました。ネットの海に流して供養することが目的の記事になります。
友人や知り合いに吐き出せるような話ではないし、読んでいて気分が良くなるものでは決してないのと、あくまで「わたし」の為のごくごく個人的な文章であることを理解された上で読み進めてください。
また、精神的なネグレクトを受けたと感じた側からのお気持ちなどがあるので、そこら辺を見て落ち込みそう/気分を害しそうな人は見ない方がいいと思います。
書こうとしたはいいもののどこから話せばいいのかな……そうだ、きっかけですね!
これを思い返すことになったきっかけは兄を相手に家族の話をしたことだと思います。
わたしは兄と二人兄弟で、小さなころから同じ家で過ごしました。兄もわたしも所謂オタクを趣味にしていて、いつも何かしら共通の話題があり、この日もひょんなことから幼いころに感じていた家族についての話になりました。
この書き方だとあまりそういう風には見えないと思うのですが、兄とわたしが話すとき父についてのシリアスな会話はタブーのようなものでした(少なくともわたしはそう感じていました)。なのでこのときわたしは、もう2人で擦り合わせをする機会はこの先訪れないかもしれないと思い、勇気を出してシリアスな話を切り出しました。
真っ暗な井戸の底のほうまで下ろしたと重い桶を、慎重に引き上げていくような心地でした。
家族を構成するメンバーは祖母、父、母、兄、わたしの5人。祖父もいましたがわたしが幼いころに亡くなった為、「わたしの家族」と聞いてまず頭に浮かぶのはこの面子です。
兄と話していて思い出したのは毎晩の食卓のこと。始まりはいつも概ね穏やかな食事でしたが、時間が進むにつれわたしの緊張感は高まりました。
それはなぜか?
答えは「父と祖母の怒鳴りあいがいつ始まるかわからないから」です。
間に母が入り両者を宥めるところまでが1セットの物騒なコミュニケーションは、晩ご飯の時間中にどんなきっかけで始まるか、どのくらい続くか、何回起きるかなどわからない尽くしのハリケーンみたいな現象でした。
簡単な喜怒哀楽にうっすらとした自我をふりかけただけの「小さなわたし」にとって、父と祖母が行う激しい親子のコミュニケーションは「こわいこと」として分類されたんだと思います。それがほぼ毎日続くうち「一日の終わりに起こるうんざりすること」にもなったのは自然な流れだったんじゃないかな。繰り返し体験するうちにその特殊なコミュニケーションに巻き込まれるのも、火種になるのも嫌で、食卓の上で誰かに会話を振られても可もなく不可もない答えを返していたし、誰かの琴線にふれてしまわないよう、割とつねに気を張っていました。
自分の食事が終わるとすぐに「ごちそうさま」と言って食器を下げて、兄と一緒に別の部屋へ退散しました。まあ古い家だったので別の部屋へ逃げても怒鳴り声が聞こえてくるわけですけれども。
なぜにこにこと笑っている父や祖母が、一瞬で鬼の形相になってしまうのか。
「それはそういったコミュニケーションの形なんだよ。二人はちゃんと仲が良いから大丈夫、心配いらないよ。」
などとハグしてもらったり、教えてもらうきっかけもないまま体験する毎夜の嵐は、わたしの心を大変疲れさせたのではないでしょうか。(ないでしょうかってなんだよって自分でも思うんですが……そのころにあったであろう学校行事や友人とのこまかい記憶などがうすぼんやりとしか残っていない為「ないでしょうか」としか言いようがない……)
また怒鳴りあいのコミュニケーションは祖母と父の間だけではなく、父と母の間でも行われていました。父母の特殊コミュニケーションの日程は決まって土曜日曜祝日開催。つまり顔を合わせて長く話すようなことがあると、口論としてヒートアップしていったわけです。
小学校から帰ったら夜ご飯と共に家族が口論。土日祝日は両親の口論がランダム勃発、のちに夜ご飯でタイフーン上陸。
以後、このうんざりするようなタイムスケジュールはわたしが高校を卒業してから少しするまで延々、ずっと毎日、十数年続いていきます。
またここまで読んでうっすらとお気づきの方もいるかと思いますが、これはコミュニケーション値が大変低い家族の中でなるべくしてなり、起こるべくして起きた地獄でしかない日々の思い出を吐き出す記事でもあります。この先も気をつけてください。
そうなんですこの家族、全員が全員ともコミュニケーション数値がおそろしいほど低かった。
ここでいうコミュニケーション値が低いというのは「人との関わり方が上手くない」ということで、人に頼る方法での問題解決能力が著しく低いことを指します。
別の言い方をすると「感情を消化させることが不得意」であったり「困ったことは大体自分一人で解決しようとすること」にあたるのですが。なんとこの家族の祖母、父、母の3人が3人とも「本当に困った時は家族に相談せず自分一人で決断するタイプの人間」だったのです。
少なくとも小さい子供の前で困ったときに「困ったな~」と息抜きにでも呟くような人間がいませんでした。口下手なので子供の前でふざけることとか本当になーんにもしないの。かっこいい大人の背中を見て育てってか?え?口から言語を扱ってから言え!バーカバーカ!
失礼、話が逸れました。
それで、そんな大人の姿を見て育った「わたし」という子供はどうなったのか?
「家庭内で困ったことがあっても家族に相談してはいけないんだ」とすっかり思い込んでしまいました。
するとどうでしょう。自分が困ったときにどうしたらいいのかわからなくなり、解決の糸口がガチでわからず、何かあると問題には触れず解決を先送りにし、心に不安とわだかまりを抱えたまま癒しを時間に任せて過ごしていくことばかりを覚えていったのでした。
~おしまい~
……いやもちろんおしまいなんてことはなく、「わたし」の人生はそこで終わらず続いていったので、普通に人との接し方がよくわからない人型の喋る動物が大きくなっていっただけなんですが。(なんですかこれ、言葉にするとめちゃくちゃ怖いな……)
途中でなんとかならなかったのか?という問いには「残念ながら……」という回答しか差し上げられないんです。本当に。残念ながら。
そもそもなぜなんとかならなかったのか。
それは「わたしの自我が形成される期間中、親への信頼なくなったこと」が多分大きく関係しています。
わたしの両親は共働きで、週休2日の週5勤務。母は帰宅したら少し休憩をしてご飯作りを始め、父は帰ってきたら風呂に入ってご飯の前の晩酌をする。まさにひと昔の夫婦って感じでした。
これだけ書いたら「なんだ、普通の家族じゃん」って感じなんですが。ここに「夫婦はどちらも自分一人の時間がないとしんじゃうタイプの人間で、作業や趣味や息抜きも一人で没頭したいタイプ」、「なお2人は仕事でクタクタに疲れたコミュ障」という特性が加わると、どうなると思いますか?
結果をお伝えすると、2人の隙を見ては今日の出来事や楽しかったこと、悩み事などを話そうとしていた幼いわたしが、見えないシールドにはじき返されて転ぶばかりになりました。あと癇癪持ちの酔っ払い相手(酔った時に話したことは覚えていないタイプ)にする真剣な悩み相談ほど、面倒で参考にならないものはないですよね…。(遠い目)
また、このインターバルにも思える時間を逃すともうだめです。チャンスはありません。最初の方に書いた、いつ雷が落ちるかな?ドキドキ☆晩ご飯タイム()になってしまう為、まともにお話しできるような時間はおしまいです。解散!
そして「何よりもただただ話を聞いてほしかったわたし」はこのころの経験から、そういった方面での親への信頼をじわじわと減らしていきました。もともとの内向的な性格と、両親からいつ発せられるかわからない大きな声への苦手意識ゆえに、その不満を爆発させるような機会もなかった為だと思われます。我が子からのそういった信頼値がマイナスに傾いているなんて事実、両親は知らずに生きていることでしょう。わたしも今更そのころのことを知らせて、改めて地獄を見る気はまったく以てありません。
ちなみに、わたしは小さなころから「手のかからない」と評されてきたタイプなのですが、実情は「親への信頼度の低さゆえに何も話さなくなった子供」になります。
忘れられない話なのでついでにここに書きますが、高校性のころ三者面談で割と信頼していた担任が
「おたくのお子さんのように子供を育てるにはどうしたらいいですか?」
と父を持ち上げたとき
「いやあ、放っておいただけですよ。」
と照れ臭そうに答えた映像がいまだ焼き付いて離れないんですね。「心の底からやめたほうがいい。」と思ったけど、そのときにはもう心の開き方がよくわからない動物になっていたので(あと不意打ちのショックで)、そのことを担任には伝えられなかったことが心残りでならないです。
(他にも、親がわたしが子供のころの「手がかからなかったエピソード」を良き思い出のように話すのを聞く機会があると、心が荒れ狂って獣のようなかたちになってしまうんだよなあ。いつか本物の虎にならないよう注意します。)
あとこの記事を書くきっかけとして兄との対話がありましたが、兄曰く
ということだったので擦り合わせのようなものはかないませんでした。ちょっと残念でしたね。
こんな環境の下でグレる気力もなくしたわたしが、体だけはすくすくと立派に育ち、高校生くらいになった時の話でしょうか。
父が仕事で体調を崩し、自宅で過ごすことが多くなっていたころです。
いつものように休日を家で過ごしていた両親とわたしが昼食を食べていたとき。わたしにとって衝撃的な事件が起きました。
と言ったのです。
…………h、?は?
ハァ????????????????????????????????(フォントサイズ最大)(太字)(赤色)
と、そのときは思わず内心ではバチクソにブチ切れる若者になってしまいました。その後「えへへ…(照れ)///」みたいな態度を返した母に対してもです。
突然のことに(非常に残念ながら)体は驚き固まり動かず。突然見せつけられるリアルな夫婦の惚気(十数年間生きていて初めての!)とのにテンションの差でしにそうになりながら、息をするのがやっとだったわたしは、心の底から思いました。
その後わたしの遅めでささやかな反抗期「挨拶や会話を振られてもちゃんと返さない(面倒な人間を相手にぶつかり合うのが面倒になっている為こうなりました)」が発動されることとなりました。
また、今思い返してみればという話ではありますが。
わたしの両親は「限りなくマイペースで自分のペースが保てないとストレスを溜め爆発する」、「一人の時間がないとしんでしまうタイプ」、「作業や趣味や息抜きも一人で没頭したい人間」、「疲れるとコミュニケーションの余裕がなくなる(もともとのコミュニケーション許容量が多くない)」という属性のほか、
という隠れ属性を持っていたわけですね!すごい!
もっと早くに知らせてほしかったな~~~~~~~~~~泣きそう!!!!!!!!!!!!!(もう泣いてる)
幼い子供の前で十数年!ガチシリアスな雰囲気で怒鳴りあい時に片方と見ていた子供が不安で泣くようなギスギスした特殊コミュニケーションが?!痴話喧嘩だったなんてことあるか?!?!?!?!?!?!!!知るか~~~~~~~~い!!!!!!!も~帰らせていただきますわ~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!(実家が住む家)(秒で顔合わす)
ハァ……ハァ……
冒頭に書いた通りですが、最近になってやっと比較的ちゃんと人間としての心が正しく揺れ動くようになったので、これが「怒り」であり「悲しみ」だというのを”理解”して”発露”してしまいましたね。フフッ ウッカリウッカリ☆(棒読み)
そんなこんなでややダウナー気味の反抗期を迎え、両親との溝を更に深めたわたしですが、更なる問題が発生します。
私が大学に入ってすぐのころ、父が亡くなりました。
大病の末の結果なので、家族として心の準備はできていたと思っていたのですが、それでも誰かがいなくなるのは悲しいですね。
などと心から人間味のある言葉が出てくればよかったのですが、そんなことはなく。ただただ日々感じていたひとつ大きなプレッシャーから解放された自分の心を、不思議な目で眺めるわたしがいるだけの生活になりました。
特に大きく日常が変わることはなく、このまま過ごしていくと思っていました。しかしそのときわたしは気づいてしまった。
「あれ?もしかしてこの先もずっと生きなくちゃいけないのか……????」
そう、そこでわたしは「自分の人生に真剣に向き合うということをおろそかにしていた」ことに気づいてしまいました。
「家でプレッシャーを放ち続ける父母祖母のご機嫌を伺いその日その日を生きること(解放されるのは外出時と寝る時)」に人生の大半を費やしてきたわたしはどうも「自立する」、「新しいことに挑戦する」、「ペットを飼いたいと交渉する」など、両親との長めの話し合いが発生する場を悉く避けて通ってきたようです。本当に、ここまでまったくの無自覚でした。
まあ気づいたところで急に何かに目覚めるわけでもなく、まずもって気力がないので出来るわけでもありませんでしたが。「このままじゃいけない気がする」という漠然とした焦りから、映画や漫画、アニメなどの創作物に対し、心新たに触れるようになりました。(もともと漫画やアニメなどは好きで小さいころから見ていたんですが、日常からの逃避先がそこだった為か、内容を覚えていたりいなかったりするんですよね……記憶がない状態で楽しむアニメと漫画、めちゃくちゃ面白いよ!ヤッタネ☆)
その後なんやかんやで就職できて、何年か社会人を経験し、先輩や同僚にもまれたり気の合うゆかいなオタク友達との出会いがあったお陰で、やっと「人語を話すけど意思の疎通がはかれない人型の動物」から「たどたどしいがやろうと思えばなんとか意志の疎通がはかれる人型の動物」にクラスチェンジできました。
こんなクソ重いありがとうを直接伝えることは憚られるので、ここで叫ぶことをお許しください。
特にゆかいなオタク野郎のみんな~~有難うな~~~!!!これからも仲良くしてくれるよう頑張るよ~~~~!!!!!
相変わらず親に似てコミュニケーション容量が低いままではあるけど、それも含めてなんとかやってます。(しかしここまで来るのがあまりに長かったので、これまでに大変なご迷惑をお掛けした人のことを思うと、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当にすみません。もうこんな(わたしを始めとした)人間未満みたいなものに出会わないようにと祈っております。日々が穏やかで良いものでありますように。)
自分では上記にある辺りの激しめの感情はとっくに昇華されたものだと思っていたのですが、疲れて余裕がないときにバラエティなどを見て笑っている母をみると無性に苛立ち、シリアスに泣き出したくなってしまうときがあります。ちょっと危険だなぁと思っています。一種のボーダーラインだと思ってそういう時は寝て回復に努めるのですけれども。
この文章を書きながら全然昇華されてなくて自分でも笑ってしまいましたし、いつか本当に追い詰められた時に有事を引き起こしてしまうようなぼんやりとした予感があります。お金が貯まったらちゃんと離れて暮らそうと思います。お互いの為にもね。
また未だに「健康な精神状態で運営された家族という団体」への憧れは強くあるようで。
誰かが手掛けた創作物でキャラクターが心通わせる表現にふれると、あまりに眩しく尊く感じ涙を流したり、TLで健全なコミュニケーションが成立し、信頼関係が成り立ったご家族のアカウントを見かけると「本当に実在し(ていてくれ)たんだ」と感動してしまいます。なんか、アレだ……太陽の光に当たってぼんやりと、あたたかく眩しいなと感じるような瞬間に似ています。存在していてくれて本当に有難うございます。わたしが勝手に救われています。
繰り返しますがこの文章は、それなりに情緒が育ちその当時の感情の言語化、過去の振り返りおよび分析ができるようになってきた「わたし」が、その気づきとともに過去の自分の感情に圧し潰され、溢れだす記憶に涙が止まらなくなり、座り込んでしまった「わたし」のための個人主観の記事です。
今何かに苦しんでる「あなた」を追い詰めるためのものではないので、もしもここまで読んでちょっと苦しくなっちゃった人は、とりあえず体をあたたかくしてゆっくり休んでほしい。休んで。寝て忘れてね。どうぞお大事に。
ときどき思い出に苦しめられつつ、寝ずに一気にこれを打ったので、ところどころぐちゃぐちゃな文章になっていると思うのですが、ここまでお付き合いいただき本当に有難うございました!
こんなところまで読んでくれたあなたにも、ちょっと良いことがあるといいですね。
それでは。
https://togetter.com/li/1479375
自分はオタで同人・商業でマンガ・イラストレーターとしてもやってる立場(緒方さんよりはずっと知名度もない立場)ですが、
この「作画崩壊」とか言わないで、という点については賛同できません。
ブコメで「クレーマー」とか言葉が使われているように、おそらくブコメでは勘違いしてる人も多いので「え?なんで冷たいの?」ってなってるんだと思います。
とか
「制作サイドを責めないで」と言いたくなる気持ちは分かるけど、作画崩壊等の「画面上で起きている事実を述べるだけの行為」まで制止したがるのはいかがなものかと思う
というブコメの人の立場に僕はまったくもって同意で、これこそまさに言論・表現・評論の自由の問題であり、そういうこと言わないでって言い出す方が本当にやばいことだと思います。
おそらく「え?なんで冷たいの?」みたいに思ってる人の中には、
個人がその作品を鑑賞して率直に思ったことをただ感想として個人のブログにあげたり、
SNSや掲示板等で書いたり、ニコ動やabemaのアニメ配信中のコメント欄で書くことと、
制作者に直接凸したり、「作り直せ」「金返せ」「しっかりきっちりしたものを作れ」的なことを「要求」するクレーム的な行為とを、ごっちゃにしてるんだと思います。
(実際、先述のように、クレーマーって言葉を使ってる人やそれにスターがついたり、なんとかしろと言ってるのは賛同できない、みたいなブコメもありスターを集めています)
「おもしろくなかったなぁ」「全然動いてないじゃん」とかの感想をつぶやいたりすることは、断じて「クレーム」じゃありません。
僕は幼い頃から自身体が弱く、よく体調を崩す上に、メンタルも弱く短い期間ですが通院歴もあるので、同人のあとがきに昔はよくそこらへんのことを(エクスキューズ的な雰囲気をだしつつ)書いてたりしてましたが、
(そして今は読者さんは興をそがれるだろうしもう書かなくなりました・・・特に僕が今描いてるのはエロが多いので、エロだとそういうのは余計萎える情報になりますし)
買ってくれた人はそういう制作者の事情はやっぱりあんまり関係なくて、5chとかSNSとかで「今回は(ペン入れすらされてない)下書き本かよ」みたいなことを言われても、事実なら仕方ないし、そういう感想を言う人がいるのが健全だと思います。
「今回体調が悪かったから、仕上げ処理(影つけ等々)やペン入れすらしてないラフの白い感じな本になったけど、白いとか言わないで」とは、作り手の矜持として、そして自由な評論が許される社会の一員として、僕はやっぱり言いたくない。
「体調悪いとか知らん、書き直せ!」「金返せ!」「こんなクソ本買わされたわどうしてくれるんだ!」「プロならちゃんと完成させろ」とか直接リプしてきたり凸とかならクレームですし、「こんなクソ作品作りやがって死ね!」とかならただの罵詈雑言ですが、
友達同士の会話やブログなりSNSなりのニコ動やabemaのコメント欄で、「動いてない」「作画崩壊してるなぁ」という「感想」すら言わないでってことを、作り手やそれに近しい立場や業界の人たちが言い出したら、創作というものにとって、本当にやばいことだと思います。
動いてなかったら「動いてない」って感想として言っていいと思うし、彩色されず納品されてそれが放送されたら、そこに触れることが自然ではないでしょうか。
邦画関係者が味噌汁で頑張ってるとかが過去にブクマで話題になった時のように、苦労してるからと言われても「おもしろくない」と思ったら「おもしろくない」ってみなさん言うでしょ?
ネットフリックスやAmazonプライムやdTVとかの見放題系だと、B級ですらないほとんど無名の低予算で学生の自主制作映画か!ってのもありますが、
予算が少なくてめっちゃスタッフが苦労して精一杯頑張ったとか、そこにどんな事情があろうが、そういう映画がしょぼい美術(セット)とかだったら、「しょぼいなぁ」って感想言いません?
「スタッフにこれこれこういうい事情があったので、今作についてしょぼいとか言わないでください」って言われたら、そうします?
「作画崩壊と言わないで」に賛成する方は、これから様々な製作者の背景にある苦労や状況に「配慮」して、作品への感想やつぶやきを言うべきと思ってるのでしょうか?
世の中には災害とかだけじゃなく、個人的な心身の不調やら、身内の不幸という場合もあります。
さらにはそうしたことがはっきりわかる情報である場合や、それとなくツイート等から「体調悪いのかな?」「なにかあったのかな?」とか感じ取れるような場合もあります。
そういう製作者の情報もちゃんと調べて、そして製作者の置かれている状況を推し量って、「作品」に感想を言うようにするべきですか?
ドラマやバラエティの演者が逮捕されたりして、制作スタッフにまったく落ち度ないけれど急遽その演者の出演部分を差し替えたり編集でどうにかすることになって、若干ストーリーやら番組の構成上のつながりが不自然になった場合、ドラマ・バラエティ制作者側が「不自然とかおかしいとか言わないでください。そういう言葉を使わないでください」って言ったらそうするべきですか?
よく「お気持ち」ってワードがブコメ等で使われたりしますが、そういう「お気持ち」に配慮して、自粛して、ある感想やワードを言ってはいけないような雰囲気を醸成することは、こういう創作物への自由な評論や感想を萎縮させる変な忖度となって、いい影響を与えません。
特別な災害だからみたいに災害が理由にされてるのが余計にやばいというか・・・実際災害だから仕方ないみたいなブコメもありますね。
でもこの問題は、感染の恐れのあるからという人の集まるイベントとかの自粛と違って、「個人個人が抱く作品への感想」についての自粛のお願いなんですよ?
ブコメで災害だから仕方ないみたいな立場が結構いて、ああ、まさにこういう災害だからみたいな雰囲気から表現や言論・評論の萎縮・自粛・自主規制は始まるんだなぁと、垣間見たような感にもなりました。
繰り返しと言うか念押しになりますが、僕が言いたいのは、人間に言葉を投げることと、作品について感想を言うことは違う、ということです。
作品の制作者に何言ってもいいとか、そういう話をしているわけではないです。
制作者に「最終話の作画ひどかったですね」「ひでー作画だったな」とか直接リプしたり公式に凸したり「作り直して」と要求することと、「最終話ひどい作画だなぁ」「ひでー作画だなぁ」「作り直してほしいなぁ」っていう感想をSNSやら実況コメント等で言うことは、まったく違うものと言うことです。
制作者側にとっては自分が制作したものを言われるのは、あたかも自分に言われたことのように・・・あるいはそれ以上に辛い・・・その気持ちは僕も非常に身にしみてわかっています。
ですが作品への感想についてこうやって自粛するようなことをお願いをすることは、それこそ日頃ブクマでもよく話題になる、言論・表現の自由の萎縮につながる行為につながりやすいですので、、一人の制作者側の人間として、僕は賛同できません。
サクセスストーリーがわかりやすいのはいいのだけど、ブレイク芸人が出てくるとすぐに過去の苦労話ばかりし始めて見ていて辛くなる。
その中でも本当にやめてほしいのは、昔ワルでした系のエピソード。
いたよ。学校に。人にひどいことしておいて、それを笑いにかえてる人気者。
静かに目立たないように学校生活を送っていたいのに、わざわざちょっかい出してきて自分の人気のために消費するだけのやつ。
おいしいってなんだよ。こっちは毎日どれだけストレスになってるかわかってんのかよ。
芸人の不良時代の写真とか見るだけであのときの胃酸の苦味が喉の奥に蘇ってきて、それ以降その芸人では一切笑えなくなる。
そうじゃない芸人もいるけど、確かに苦労してるなとは思うんだけど、半分以上はただのクソ野郎だよな。
真面目に働くことを放棄しておいて、金にもならないことを何年も続けてましたとか、ずっと彼女に苦労かけてきましたとか。
アリとキリギリスでキリギリスがいきなり金持ちになって南国で越冬する話なんて誰も面白いなんて思わないだろ。
そういうエピソード系の番組なら仕方ないけど、バラエティのちょい役で出たときに急にねじ込まれる過去エピソードとか避けようがない。
頭でわかっていてもこの人はそういう人だったんだと分類されてしまえばもう二度とその芸人では笑えないし、思い出したくもない記憶が刺激されてつらい思いしかなくなってしまう。