文春オンラインの”オリラジ中田敦彦を「フェイク問題に警鐘を鳴らす芸能人」扱いしたNHKの罪 「YouTube大学」問題の核心は、内容の誤りではない”という石動竜仁の記事を読んだのだが、江戸の仇を長崎で討とうとしてる感じが否めない。
それは世の中に責任ある立場でフェイクやデマを垂れ流してきた人があまりにも多く、Youtuberとして教養バラエティやってるだけの中田の間違いを殊更にあげつらうことの正当性を主張することの難しさにようやく気づいたからだと思われる。
NHKはマスメディアそのものであるので誤報に対する責任はただの芸能人やYoutuberとは比較にならないほど重い。
中田敦彦自身をダイレクトに批判することはためらわれても中田敦彦を発言に責任を持つ人であるかのように報じたNHKに対してならば堂々と批判を展開することができる。
あわよくば今後中田敦彦をNHKに出演させないことで自分にとって腹立たしい誤りを垂れ流した中田敦彦に対する意趣返しとしたいという意図が透けて見える。
2018年の関空孤立時の悪意なきフェイクの拡散が一人の外交官の命を奪ったというようなことを石動は書いているが、ネット世論の暴走や中国側の情報操作の可能性などさまざまな要因がからみあうこの事件自体を教養バラエティでの誤りをフェイクは人命に関わる問題だと短絡させるのはかなり無理があるし、誰であってもそういうニュースに対してコメントを求められればそういうしかない無難なコメントをあげつらって、あのときに「責任をもって発信することが大事」といったのに発信に責任をもっていないというのも少々大人げない。
大人げないからといってNHKに対しておまえがあの番組で中田を持ち上げた責任を取れというのも筋の違う話だろう。
多数の中田敦彦ファンからの(理不尽な)批判を浴びてついかっとなって勢いで書いてしまったのかもしれないが、進んで誤りを訂正する気にすらならない人命に関わるでもない問題に他人の金儲けに対するやっかみから中途半端に首を突っ込んだ自身の不明こそ反省してもらいたいと私は思う。
もうひとついえば発信の責任には発信者の身元を明らかにするというものがある。
増田の私は発信者としての責任を放棄している(責任を追求することも可能だろうが)、筆名だけで顔も出さない自称”ヴァーチャルネット売文業者”の石動竜仁(dragoner)はリスタートできる退路を残している点でやや無責任、低品質な教養バラエティも自分の顔と名前で発信している中田敦彦は自身のブランド毀損についてそれなりの責任とリスクを負ってやっているということもできるだろう。