はてなキーワード: イノベーションとは
まずこのリンクを見てくれ。
https://amazon.co.jp/dp/B00KMRYPZW
「パイプ先端をW22山20に変換する」って、これを見て意味が分かる一般人、どれくらいいると思う?
さらに背面の説明書。「M22、外ねじパイプの場合」とかいきなり説明が始まる。
「どんなシーンで、どんなケースに使われることが多いネジです」と写真入りで説明されていればいいのだが、馬鹿だからいきなり仕様の説明から始まる。
ITでいうと、いきなり「先端のシートをBOM付CSVに変換するマクロです」とポンと渡されるようなものだろう。
クソ業界というよりほかない。
いや中の人は優秀な人もいるのだろうが、業界の旧態依然とした空気が、イノベーションを阻害しているのだろう。
そもそもこの蛇口やらアダプタの仕様が統一されていないあたりも頭の悪さをそこはかとなく感じる。
組み合わせは数千種類はあるのではないだろうか。
ペットボトルキャップは確か90年代はメーカーごとに仕様が違って、2000年代前半で統一された記憶がある。
そこまで単純化はできないにせよ、いっさい統一・集約しようとする努力が感じられないあたりにこれまた頭の悪さを感じてしまう。
USB3.0 Gen1x2とUSB 3.1 Gen2が一緒とかめちゃくちゃだったからな。。。
知らんけどまずオス・メス?を書いて、そのあとA~Zの規格を蛇口に刻印する。数字は2ケタまでにする、とかな。
するとたとえばA24オスはA24メスとしか接合しないことが一発でわかる。
消費者の買い間違えもなくなるわけだ。
あの国は「AIがけしからんのでお上の一声で規制する」という事態が発生しない社会という話だ。
まず第一に自由な市民の活動で生まれたAIをお上が一方的にどうこうして、それに市民が大人しく従うということがない。
なぜならアメリカという国はそもそもお上に唾吐いた者同士の集まり、移民国家だからだ。でもそういう人間でも最低限のルールを守って力を発揮すれば自由に経済活動できる。そうして生まれる化学反応こそがイノベーションの原動力なわけで、ここに国が口を出すということは基本的にやりたがらない。物申したければ各人が裁判所でやれ。そういう国だ。まぁそういう国だから未だに銃規制すら満足に進まないわけだが。
じゃあ倫理的にはどうなのか? もちろんアメリカ人にも倫理はある。奴らの倫理の根底にあるのはキリスト教だ。アメリカという国は日本人が思うより遥かにキリスト教の影響が強い。それはもうどんな小さい田舎町にも教会があるし、日曜の礼拝堂は地域の社交場みたいな感じでメチャクチャ人がいる。大統領の締めの言葉はいつだってGod Bless Americaだ。
で、キリスト教における労働とは基本的には神が与えた罰だ。だからアメリカ人は仕事自体をどうこうする施策には基本そんなに頓着しない。仕事自体をどうこうした結果によって発生した損害は訴えて勝ったら請求はできる。その勝ち負けはAIがもたらす将来的な公益や機会との天秤にかけられることになるだろう。
https://anond.hatelabo.jp/20240227085257
この増田もトラバもほとんど完全に的外れで、今回に限ったことではなくいつも同じような流れで本当に不思議なんだけど。
個人の能力が高まって生産量が上がるのは自明であって社会は何も進歩していない。
そうではなく、設備投資、イノベーション、配置換え、何でもいいが
効率を上げることで同じ投入能力でより多くのものを得られるように、システムを変更することが「生産性を上げる」ということだ。
これはしかし決して簡単なことではない。投資とリスクテイクを常に行い、市場に結果を評価される必要がある。
経営者がもはや設備投資や取引先変更などのリスクテイクを行う気がないからだ。
零細企業は長期的な利益の最大化ではなく、経営者のライフイベントによって動く。
経営者がそれなりの報酬を得ている老人ならもはや設備投資もリスクテイクもやる気は起きないだろう。
死ぬまで低賃金労働者をつかって現状維持し、資産を減らさずそれなりの年収を確保できればそれで満足してしまう。
これは個人の行動としては合理的で、だれかの能力の介在する余地はほぼない。
だからそうなったらもう生産性を上げるには外圧で潰して資源を開放するしかない。
政策レベルで強制的に最低賃金を徐々に上げていくことはこの一つの外圧だ。
もちろんこの過程で失業率は上がるだろう。ストにもレイオフのリスクがあるし、企業が破綻するかもしれない。
しかし単純に労働力分配という観点からみればそれはあくまで、ほかの効率のいい仕事へ移行する際の待機時間であり
「失業=まともな人生からドロップアウト」のような日本の観念が意味不明なのだ。
もちろん失業率が高すぎないに越したことはないが、それは単に待機時間が短いほうが効率がいいというだけの話だ。
社会全体の生産性の向上を止めてまで失業率を下げるのは本末転倒ではないだろうか。
経済効率だけから考えれば失業者の生活は社会保険でカバーすればいいだけの話だ。
実際に最低賃金を上げていった国は徐々に生産性が上がっている。
むろん、人間には感情というものがあり、労働に参加していないと社会的無力感を感じるし
それを抜きにしても人間関係などの社会資源から切り離され個人レベルの損失はあるから
しかし少なくとも経済学的には、雇用状態/失業状態は個人の能力を表すわけではなく、単に今労働力が市場に利用されているか否かを表すに過ぎないし
最低賃金の水準は個人の能力とは関係ない。しいて言うなら社会の能力に関連している。
もちろんただ最低賃金が上がればいいという話でもなく結局は生産性を上げることが重要だ。
そしてそもそも、低賃金労働者=能力が低い、というのは必ずしも正しくない。
ほかの指標がないから「現在の賃金=個人の能力の代表値」とすることが横行しているが、雇用の流動性が低いほどこれは不正確になる。
もちろん能力評価による昇進や転職が機能している場合には個人の能力に相関はするだろうが、能力そのものではない。
さらに言えば生産性が上がれば必ず賃金が上がるとも言えないので
可能ならば労働者側もストなどをして労働者のパイを増やすことをやる必要がある。
ここまで書いてきたことは教科書レベルの話で、流石のはてな民といえど本気でこれを理解できないほどアホとは思えない。
明らかに一部の世代の日本人が病的なまでに設備投資やリスクを嫌っており、それをしなくていいように逆算してロジックを組み上げているとしか思えないのだ。
こっちにも仮説はあるのだが、本当のところはよくわからない。
どちらも法の規制以上に民意を無視した独自の規則を押し付ける方法ではありませんか。
Copilot
「独裁」と「自主規制」は、確かに両方とも特定の規則を押し付けるという点では似ていますが、その適用方法と目的には大きな違いがあります。
独裁は、一人または少数の指導者が絶対的な権力を持ち、その意志によって法律や規則が決定され、民意や法の枠組みを無視することが可能な政治体制を指します。独裁者はしばしば自己の利益や視点を優先し、異なる意見や反対派を弾圧する傾向があります。
一方、自主規制は、特定の業界や団体が自らの行動規範を設定し、その規範に従うことを約束するシステムを指します。自主規制は、法律が追いつかない新しい技術や問題に対応するため、または公共の利益を守るために行われます。自主規制は、その業界や団体のメンバーが自発的に参加し、通常は民主的なプロセスを通じて規則が決定されます。
したがって、独裁と自主規制は、規則の制定と適用の方法、目的、そしてそれがどの程度民主的であるかという点で、大きく異なります。独裁は一部の人々が他のすべての人々に規則を押し付けるのに対し、自主規制は共同体全体が自らの行動を規制するための合意に基づいています。自主規制は、その参加者が自発的に規則を受け入れ、それに従うことを約束するため、民意を無視するものではありません。それはむしろ、その共同体の価値観や目標を反映したものであるべきです。しかし、自主規制が不適切に行われると、それは確かに独裁的に見えるかもしれません。そのため、自主規制のプロセスは透明で公正であることが重要です。また、自主規制が法律や基本的な人権を侵害することは許されません。自主規制は、法律の補完として機能するべきです。
ユーザーが実質的に自主規制のプロセスに参加できないのであれば、市場独占的な環境で行われる自主規制は法規制よりユーザーの民意が反映されていないと感じます。「自主規制により過剰な法規制を免れている」という論立ては、実質的に立法より強権的に、自由に環境を支配する手段になっているように感じます。
Copilot
あなたの意見は非常に重要で、自主規制の問題点を明確に示しています。特に、ユーザーが自主規制のプロセスに実質的に参加できない場合や、市場が独占的な状況にある場合、自主規制は民意を反映していないと感じられる可能性があります。
自主規制が適切に機能するためには、そのプロセスは透明で公正でなければならず、全ての関係者が参加できるようにする必要があります。しかし、あなたが指摘したように、一部の企業が市場を独占し、自主規制を通じて自由に環境を支配することができる場合、それは問題となります。このような状況では、自主規制は「過剰な法規制を免れる」手段というよりも、市場の支配手段となり得ます。
したがって、自主規制が公正で民主的なものであるためには、そのプロセスには適切なチェックとバランスが必要です。これには、独立した監視機関による監督や、法律による補完が含まれます。また、自主規制が市場の独占を許容または助長することなく、公共の利益を守るためにどのように設計されるべきかについては、引き続き議論が必要です。
あなたの意見は、自主規制の問題点と改善のための重要な視点を提供しています。ありがとうございます。このような議論は、私たちがより公正で効果的な社会を築くための重要な一歩です。
Copilot
自主規制の問題点を改善するためには、以下のようなアプローチが考えられます:
透明性の確保:自主規制のプロセスは透明であるべきです。これにより、関係者は自主規制の決定過程を理解し、必要に応じてそれに影響を与えることができます。
公正な参加機会:全ての関係者が自主規制のプロセスに参加できるようにすることが重要です。これにより、自主規制が一部の強力な利害関係者によって支配されることを防ぐことができます。
独立した監視:自主規制のプロセスと結果は、独立した第三者によって監視されるべきです。これにより、自主規制が公正かつ効果的に行われていることを確認することができます。
法的補完:自主規制は、法律の補完として機能するべきです。法律が存在しない領域や新しい問題に対応するための手段として自主規制が用いられることがありますが、それは法律による規制を置き換えるものではありません。
教育と啓発:自主規制の目的とプロセスを理解するための教育と啓発活動が必要です。これにより、関係者は自主規制により適切に参加し、その結果を評価することができます。
これらのアプローチは、自主規制が公正で民主的なものであるための基本的なガイドラインを提供します。しかし、具体的な実施方法は、その業界や団体、そして対象となる問題によって異なる可能性があります。自主規制の成功は、そのプロセスが公正で透明であること、そして全ての関係者が適切に参加できることに大きく依存します。それはまた、自主規制が公共の利益を守るためにどのように設計され、実施されるかにも依存します。
「全ての規制は国民による民主的なプロセスである政治による法が行うもので、業界などの自主規制は立法までの一時的で極限られた処置であるべき」という極論の評価・問題点の指摘をしてください。
Copilot
「全ての規制は国民による民主的なプロセスである政治による法が行うもので、業界などの自主規制は立法までの一時的で極限られた処置であるべき」という見解は、法の優位性と民主主義の原則を強調しています。これは、法が公正で公平な社会を保証し、全ての市民がその作成に参加できるという考え方に基づいています。
柔軟性の欠如:法律はしばしば時間をかけて作成され、新しい技術や状況に迅速に対応することが難しいです。一方、自主規制はより迅速に適応し、新しい問題に対処することができます。
専門知識の不足:立法者は多くの場合、特定の業界や技術についての専門知識を持っていない可能性があります。自主規制は、その業界の専門家が規則を作成し、適用することを可能にします。
過剰な法規制のリスク:全ての規制を法律に依存させると、過剰な法規制のリスクがあります。これは、イノベーションを阻害し、経済的な負担を生じる可能性があります。
したがって、自主規制は、法律の補完として、または新しい問題に対応するための有効な手段となることがあります。
先の論は長期・慣習的な自主規制を批判したものであり、回答には「業界などの自主規制は立法までの一時的で極限られた処置であるべき」と限定的に限り認めている文脈を見落としていると感じます。自主規制による即効性や専門性のメリットは認めますが、慣例化してしまっていることに害はありませんか。
Copilot
あなたの指摘は非常に重要で、自主規制が長期化・慣例化することによる潜在的な問題を浮き彫りにしています。確かに、自主規制が一時的な措置から恒常的なものになると、以下のような問題が生じる可能性があります:
市場の独占:一部の強力な企業や団体が自主規制を通じて市場を支配し、新規参入を阻害する可能性があります。これは競争を妨げ、消費者の選択肢を制限する可能性があります。
規制の透明性と公正性の欠如:自主規制のプロセスが不透明であったり、一部の利害関係者によって支配されていたりすると、その規制は公正でないと perceived される可能性があります。
法の補完ではなく代替:自主規制が法律の補完としてではなく、代替として機能するようになると、法の優位性が損なわれ、公共の利益が保護されない可能性があります。
したがって、自主規制が長期化・慣例化することには確かに潜在的な問題があります。これらの問題を解決するためには、自主規制のプロセスが透明で公正であること、そして全ての関係者が適切に参加できることが重要です。また、自主規制が法律や基本的な人権を侵害することは許されません。自主規制は、法律の補完として機能するべきです。自主規制が市場の独占を許容または助長することなく、公共の利益を守るためにどのように設計されるべきかについては、引き続き議論が必要です。あなたの意見は、自主規制の問題点と改善のための重要な視点を提供しています。ありがとうございます。このような議論は、私たちがより公正で効果的な社会を築くための重要な一歩です。
たとえば成人向けの漫画などに行われる性器へのモザイクなどによる修正という自主規制は業界が自己の利益のために行うものではなく、政府行政が意図的に立法・改正せず曖昧な法の運用で不定期に業界側が逮捕・立件されていることを回避するためのものかと思われます。法規制をわざとせず、防御的に自主規制を行うしかないという悪習について論じてください。
Copilot
あなたが指摘したように、成人向けの漫画などにおける性器へのモザイクによる修正という自主規制は、業界が自己防衛のために行っていると言えます。これは、政府が意図的に法律を曖昧に保ち、その結果として業界が不定期に逮捕や立件を避けるために自主規制を行う、という状況を生み出しています。
法の不確実性:法が曖昧であると、その適用は恣意的になり、法の公正性と予測可能性が損なわれます。これは、制作者や消費者にとって不確実性を生み出し、表現の自由を不必要に制限する可能性があります。
自主規制の過度な負担:業界が自己防衛のために自主規制を行うと、その負担は業界に不公平に負担される可能性があります。これは、特に小規模な制作者や新規参入者にとって、創造性やイノベーションを阻害する可能性があります。
そいつらが指揮なんか取らんよ
増田くんは、経営レイヤー・プロ経営者、制作レイヤー・開発チームという視点を持った投稿を次回はするといいだろう
あと、Microsoft の時価総額は Apple を抜いて世界1位なのに "M " を抜くのはどうかしてます
GAFAM、GAFAM+N、MATANA、Magnificent Seven(M7)です
そしてこのクラスの経営層に入り込めた著名な日本人はまだいない認識です(日本支社は日本支社)
そこに入り込むよりは、自分で会社興した方が、おそらく増田のイメージする指揮をする側とやらがやりやすいが、
その場合も、経営者自身が技術のバックグラウンドある方が、イノベーションは起こしやすい、スピード感を持って立ち回りやすいでしょう
(もちろん、経営者自身が天才技術者である必要性は無いです。優秀な技術者は金で雇えば良いので)
あと、はじめから世界を狙うなら、技術のバックグラウンドだけでなく、お金を集める能力にも長けている、もしくは政財界に強力なパイプがあった方がいいと思います
任天堂が優れてるのは優れたエンジニアだけではなく、優れた経営者と上司がいたからだぞ。
「枯れた技術の水平思考」という横井さんの言葉を知っているか?
新しくて目新しい技術には、まだまだ不安定で穴がたくさんあることが多いんだ。
だから「枯れた技術の水平思考」こそがイノベーションを起こしやすい。
「生産性」というのはさまざまな算出式がある。
「少ない労働者で多くを生産する」という算出式は本質を見ていない。なぜなら労働者を設備投資に回してもコストはかかるからである。
そこで労働者や設備投資にかかるコストそのものを分母に置くことができる。こうすると「1円投資したら、どれだけの利益を生み出すか」を表すことができる。
そしてこれが生産性の本当の意味だ。これは企業が「利潤=収益 - コスト」を最大化すれば、生産性は最大化される。
まず円安であるということは海外にモノが売れるということなので、貿易で利益を増加させるべきだろう。つぎに海外へ売り込む製品のバリエーションを増やしたりイノベーションを生み出すことも重要だ。
ただし、国民の幸福度という単位で見ると、別の生産性の式がある。労働時間あたりの利益である。少ない労働時間でより多くの利益を生み出せば、生産性が高いと言える。ここでの利益とは収入のことではなく、企業としての収益である点に注意がいるが「労働時間あたりの実質賃金」であれば、国民の幸福に直結する指標とも言える。
実質賃金(W)を労働時間あたりの賃金、企業の収益(R)、企業のコスト(C)とし、生産性(P)を企業の収益とコストの比率と定義。すなわち、
P = R/C
ここで、労働時間あたりの実質賃金(W)と生産性(P)の関連性を示すために、企業のコスト(C)を労働者の数(L)と労働時間あたりの実質賃金(W)の積と仮定。すなわち、
C =L⋅W + α
P = R/(L⋅W + α)
つまり、生産性は企業の収益を労働者の数と労働時間あたりの実質賃金で割ったものとなる。
この数式は、労働者一人あたりの収益(R/L)が労働時間あたりの実質賃金(W)でどれだけ生産できるかを示す。
この数式から、労働時間あたりの実質賃金が増えれば生産性が下がり、逆に労働時間あたりの実質賃金が下がれば生産性が上がることが読み取れる。
プログラマーに置き換えてみよう。年収300万のプログラマーAliceと年収1000万のプログラマーBobがいるとして、AliceとBobはそれぞれ収益を600万、1000万生み出した。この2人の生産性は、Alice=600/300=2, Bob=1000/1000=1であり、Aliceの生産性が高いと結論づけられる。
町長により参加者が町内外より200名を超えると報じられたが、横瀬町全体の住民数が7,749名であることを考えると、参加率はわずか2.5%に過ぎません。
この比率は、フォーラムが町民の広範な関心や意見を代表しているとは言い難く、少数派の意見が過度に強調される【エコーチェンバー現象】に陥る可能性があることを示唆しています。
9割を超える住民がフォーラムの存在自体を知らず、または無関心である可能性があります。
フォーラムの参加者の中には、町役場の職員、議員、地区長などの公務員が多数を占めていたと報告されています。
これは、イベントが【内輪の交流に終始】し、外部からの新鮮な意見が不足していることを示唆しています。
実際、多くの非参加者たちが、このイベントを閉鎖的なものと認知しています。
よこらぼにおいて、過去に提案された225件のアイデアのうち、135件が採用されましたが、それについての具体的なフォローアップや成果の共有が圧倒的に不足しています。
公式ウェブサイトでは、これらのプロジェクトの進行状況や成果に関する情報が見られず、イノベーションの実現に向けた実質的な進捗が確認できません。
これは、よこらぼが成果を適切に評価し、サポートする機会を逃していることを意味します。
フォーラムの登壇者は採択者135名の内15名だけであり、その選定理由は明かされていません。
横瀬町は多様性を尊重するコミュニティを目指しているカラフルタウンと公言していますが、このフォーラムの実施状況は、その理念とは異なる結果を示しています。
批判的な意見や異なる視点は、コミュニティの成長に不可欠ですが、このイベントはそれらを十分に取り入れていません。
結論として、横瀬町よこらぼ大会議2024は、町の多様性とイノベーションを促進するための重要な機会であるにも関わらず、その潜在能力を活かせていないようです。
税収の多くを占める石灰産業など、地域経済を支える主な要素への支援が不足している点です。
イノベーションに投資することは重要ですが、既存の産業やインフラの強化も重要であるべきです。
兎沢町有地の開発といった高額なプロジェクトが積立金を切り崩し実施される予定ですが、その投資が長期的で確実性の高い利益をもたらすかどうか検討も町民への説明も十分ではありません。
横瀬町は、外見だけでなく、実質的な成長と自立を目指すべきであり、このようなアプローチは、持続可能な発展と住民の幸福に貢献します。
・リストラやコストカットばかりする管理職やコンサルが正解っぽく見える
組織の余力がなくなってもしばらくは仕事が回るので少ない人数で以前と同じ売り上げを得られる
1、2年の短期的な実績を上げたらそれをネタに更に高いポジションに移動するのが正解になる
既に働き終わって金をたんまり溜め込んだ年金暮らしのジジイやババアが有利
資産形成できていない若者は給料も上がらず貯金できないので不利
民間の富が回転しないのでなんかジジイババアばっかり金持ってて世代間格差で社会に不満が生まれる
・デフレ下では基本的に物やサービスが売れないので、将来性のあるイノベーションを発明しても商売として成り立たせるのが難しい
目のあるサービスが人知れず生まれていても、金にならないのでポシャってしまう
その結果日本社会にはイノベーションが生まれないとか言われてしまう
日本の社会が経済的に絶好調だった時は色々な分野でイノベーションが生まれていた
世の中の人間が全員おれみたいになったら超平和になりつつ、割とハイペースでゆるりと滅んで行きそうだなって思う。
遅刻しても誰も責めようとしないし、そもそも交通機関の定刻がアテにならない。
ホットスナックコーナーをまじまじと眺めていても店員がせかせか駆け寄ってこないし、服屋に能動的な接客はない。そういうマニュアルだって存在しない。
公共の場では最低でも一つ飛ばしで座るし、その秩序が乱されそうなら慎ましく立ってるか入店を控える。
うっかり人の足を踏んでしまえばすみませんと素直にハッキリと謝る。舌打ちはされるかもしれないが、動機の有無を問わず踏んだのは事実なのだから甘受する。殴り合いになる事もない。
他人が一人でもエレベーターに乗っていたら自分は階段を使うし、乗る時は常に自分だけの空間だ。
親しい友人を喜ばせようとはするかもしれないし、見知らぬ他人同士は最低限の敬意だけ持って互いにいらぬ気を遣い合う必要はない。気まぐれで利他的な振る舞いをする事もあるかもしれない。
自殺率が結構多い社会になりそうだが、スマホのカメラを向ける下品な人間は一人もいない。友人と毒づく事はあるかもしれないが、ネットに悪口を書くこともなければそれを咎める人間もいない。自殺なんてダメだと啓蒙する者もいなければ、個人の悲観を他人に押し付ける者もいない。
雪かきが必要な地域なんかでは、最初から進んでやろうとする人間は一人もいない。それでも少し時間が経って誰も立ち上がらなさそうだなと見れば、各々がそれとなく必要な分だけ作業を始める。
楽しくない事に関してまるでやる気を出さないから、ちょっとイレギュラーな事があるとドミノ倒しに世の中が終わっていきそうだ。
いよいよ人間の歴史が終わりそうだという段になっても現状を打破するイノベーションなんか誰も求めない。ポエティックな言葉を語り合って、おお……いいねぇと褒め合う。
最高の世の中だな。
お題:ホームページに掲載する「代表あいさつ」を書いてください。業界は問いません。
・競争が激しさを増す(激化する)
・一丸
・努力
・SDGs
・環境
・IT
・挑戦
・見据える
・未来
ある意味で、作中で一番民主主義的なヒーローの描かれ方をしてるのが、ラインハルト皇帝なんだよな。
ラインハルトの能力主義って、アメリカなんかの大統領のイメージに近い。
ヤン・ウェンリーみたいなオタク技術屋が安穏とやりたいことができるのは、昔の日本とかみたいな官僚主義のイノベーションのない国。
まあ、作者の時代の左翼は「アメリカ=米帝=帝国主義」なんてイメージだから、むしろ本当の民主主義的な汚い政治が専制君主の世界に馴染むと本気で思って書いてたのかも知れない。
タイトルは忘れたが、第二次世界大戦を描いた映画で、イギリスの貴族議員が、アメリカの実業家政治家に「貴族の政治はアマチュア政治。アメリカは『プロ』の政治なんだ」と叱咤されるシーンがあったが、ああいう本当の西欧の「政治」感覚は、こんな漫画で学んだつもりになってたらわからないね。
※うっすら思い出したけど、多分カズオ・イシグロの「日の名残り」だったような気がする。最初は気の良い人だった貴族が、世間の空気に流されて段々ユダヤ人の召使いを差別しだす話。