はてなキーワード: いっきとは
心療内科に行くことかと
他人がどういうつもりで働いてようが生きてようがあなたには関係ないし
昔、上昇志向ない人間がこの世に存在すること自体にイライラしてる上昇志向強い奴(ていうか元カノ)に対して
「お前、自分を異様に厳しく育ててきた親の影響で好きでもない苦しいことやってる損の意識あるからイラついてるんじゃねえか?
お前がイライラしてるタイプの人ら、別にお前の親じゃないんだから八つ当たりやめとけよ。幼稚園かよ」
ってキレたら鼻水垂らして引くほど泣かれた
思いっきり傷つけようという意図はあったからまあ泣かせたが正しいんだけど
自称優秀バリキャリのくせに時間押してる時にとか不測の事態発生した時にみっともないくらい取り乱すから普通に無能だったと思うんだ
死ぬ前に小説書いてさ、それで全然伸びないの見てから「よっしゃ!人生使い切った!」で死ぬ予定だった。
なんならそっから突然成功した矢先に末期癌が見つかって伊藤計劃コースみたいのもありかなって。
いざ金が貯まってみると、3年ニートした所で別に対して面白くないだろうなと感じたわけだよ。
なんつうのかな……1日で味わえる楽しいの上限みたいのがあって、ソレを考えるとひたすらダラダラしてもそこまで楽しくなさそうなわけ。
そしてなんだかんだ世の中って毎日色々面白いニュースが入ってきて、最近もカルトの教祖が連続して死んでいって「おっと面白くなってきたじゃないの」なんて状態なわけじゃないの。
自分の人生がクソだとしても、世の中が面白いならまあ別に生きててもそこそこ楽しいんだが、そのためには世の中に動いて貰う必要がある。
つまり、時間が経って貰う必要があるわけで、自分一人が生き急いで引きこもりながらひたすらゲームやネットに浸っても案外そこまで楽しさは変わらなそうなんだな。
そうして、俺の人生の損切り計画はその始まりであった損得勘定に再度かけた結果中止、少なくとも延期を続けているわけだ。
それでもまあそこそこ金はあるわけだし、どうせ死ぬわけだし、頑張って働かないで良い程度の生活をするのに貯金を使うのはどうかと考えたわけだ。
つまり、仕事の量や質を減らして見ようかな、と思ったんだが、仕事の量減らすとどうも付き合う相手の質が大きく下がるっぽいんだよね。
質を減らしたら底辺や人格破綻者と関わる機会が増えるのは分かるんだが、どうも量を減らすだけでも人間性が腐った連中と関わる機会が増えるっぽい。
なんつうのかな……社会適応に対しての耐性が低い人間が死なないギリギリまで労働時間を減らしているのと鉢合わせることになる感じ?
まあ自分で試したってよりも知り合いやネットから集めた情報の統計でしか無いんだけど。
仕事や人間をやたらと嫌う人間ってなんていうか社会と噛み合うのがすげー苦手だったり、尋常でなく独善的で自分の理想通りに行かないことに対してのストレス耐性がカスすぎたりするわけだよ。
とにかく自分の思い通りに行かないと悲劇のヒロインぶって叫びだすしょーもないオッサンが色んな職場にいるでしょ?
業務時間の少なさを基準に仕事を選んでいくと、それが大量に詰め込まれた地獄に放り込まれるみたいなんだな。
「地獄」って表現したけど、まさに仏教世界における地獄って概念は「クソみたいな生き方をすると同じようなクソが詰め込まれた場所に行くことになるよ」っていう教えだと思うわけよ。
度を超えたクズさってのは同類だから大丈夫なんてことは全く無くて、お互いがお互いを憎しみ合う万人闘争の究極なんだと思うんだよ。
自分こそが最前列でカメラを構える権利があるのだと盲信する鉄道オタクを100人集めたら100人全員が最前列を目指して押し合いへし合い晒し合いそのくせ全員が被害者面して加害者意識ゼロっていう感じの地獄。
仕事を減らすにしても貯蓄を直に切り崩すレベルで減らすのではなく、毎年の貯蓄額が減るぐらいのレベルで留めるべきで、労働強度はそれ相応のものにしておいた方がいい。
労働強度がある程度強ければ、その労働強度に耐えられない強烈なエゴの持ち主が振り落とされた場所で過ごすことが出来る。
もちろん、労働強度を強くしすぎるとそれに耐えられるレベルの狂人しか生き残れなくなり周囲を狂人に囲まれることになるから、強くしすぎない方がいい。
ほどほどがいいんだろうな。
自分を押し殺すことが一切できない人間が足切りされる環境ってのは、自分を押し殺すこと抜きには生き延びられない空間ってことだからな。
つまり、ちょっと金が溜まったからって人生楽できるかというと別にそうでもないっぽい。
本当にFIRE出来るほど金を貯めて完全に社会から足を洗うか、それともそこそこに金が貯まる環境でダラダラと歳を重ねるかしかない。
まあでも金なんて半端にあっても特にこれといった趣味もないならい、ざなんかあったときに高額医療費制度を使えないような新薬を使うことが出来る程度なんよな。
半端な金の使い道に迷って変な散財の仕方を覚える連中があとを立たんのも分かるね。
飽きたツムツムのスタミナとか、一通り読み飽きたマンガアプリのチケットとか、旅館で貰った地元応援クーポンとか、そういう「使っちまわないともったいないけど、でも無理して使おうとすること自体が地獄への入口になりかねない鶏肋」なんだな。
いやいや金さえそれなりに貯めたら仕事思いっきり休めるなんて期待してたけど、意外とそうでもねえなあ。
こりゃ本当に「ある日と突然働けなくなった時、生活保護を受けるまでのカウントダウンを引き伸ばすだけの保険」ぐらいの意味しかなくなってきたぞ。
もうマジでこれが究極的には全てなんだよ。
マジでここ。
ここに全てが詰まっている。
ユーザーが能動的に世界に対して働きかけることで世界の謎を解き明かす機会が与えられていることが素晴らしいわけ。
RPGってのは冒険のロールプレイだけど、冒険ってのは探索なわけだよ。
フリーレンが「クエストアイテム一直線なら5分で終わるスカイリムの洞窟を3時間かけて探索する。勇者ヒンメルならそうした」と語っていたように、探索の楽しみとは一直線に正解に至ることではなく、寄り道してでも世界を隅々まで知りつくそうとする好奇心によって生み出されるわけだ。
ドラクエが出た当時であれば人類はまだまだRPGについて詳しくなかったから「民家のタンスも調べられるんだ!スゲー!なんか強い防具みつけた!」で感動できた。
でもRPGというジャンルが成長するに連れてそれは見飽きた体験になった。
街での探索はただ面倒なだけになり、ダンジョンでの宝箱探しも作業になった。
アクション要素のある探索と露骨な導火線の組み合わせによって、プレイヤーが主体的に世界の中に隠されたアイテムやイベントを探すワクワクを蘇らせたんだ。
それは戦闘中でも変わらない。
タイミングよくジャンプをすることで謎を解き、敵に先制を仕掛け、ダメージにボーナスを得る。
アクションとRPGが融合したゲームは数多くあるが、その多くが「フィールドでそのまま敵と戦闘」もしくは「戦闘中だけアクションゲームに変わる」という方式となっている。
テイルズやSOのように戦闘中は思いっきりアクションをするゲームでもなく、メトロイドヴァニアのように常にアクションしているゲームでもない。
マリオRPGではフィールドでもアクションをするが、戦闘中はそれとはまた違った形でアクションが絡んでくる。
メリハリがありながらもテンポを大きく変えすぎない2つの空間の行き来によって、シームレスでありながらも変化のある体験を生み出している。
マリオRPGはアクションRPGでも戦闘がアクションのRPGでもなくアクション+RPGという独自のスタイルを確立しているのだ。
では他のRPGも主人公がフィールドでピョンピョンジャンプすればマリオのようになれるのか?
難しいだろう。
マリオがフィールドでピョンピョンジャンプするのはもうマリオだからということで納得がいく。
自分の身長の何倍も飛び上がることが日常と化した男であるから、フィールドを所狭しと飛び回ってギミックを起動させていってもなにも違和感がないのだ。
もしも剣をかついだ無名のオッサンが自分の身長の何倍も飛び跳ねるゲームが出てきたら、きっと皆意味が分からなくて混乱するだろう。
マリオだからジャンプするという説明不要の要素、そこにRPGだから探索して戦闘はコマンドバトルするという説明不要の要素、2つが欠け合わさり「ピョンピョン飛び跳ねながら探索したりコマンドバトルする」という未知のゲーム性が圧倒的納得感で提供される。
少なくとも、ここまでスっと簡単に受け入れられることはなかっただろう。
ゲームコンセプトとキャラクターを完璧にリンクさせ、余計な説明を省いてプレイヤーにゲーム内容を納得させる。
「マリオだから」によって説明をスキップしながら、他のキャラクターでは難しいタイプのRPGを成立させた「キャラクターネームバリューを有効活用した傑作」なのだ。
凄いんだよマジで。
ゴミ拾いや人助けを動画にするのと私人逮捕を狙うことの善悪の差がわからない
ゴミ拾いもやり方によっては迷惑になるというブコメがあるけど、その通りでやり方のコンプラの問題であって盗撮犯や痴漢を捕まえることには全く問題がないように思う
これが田舎の空き巣や盗賊じみた窃盗を捕まえようと追ったり事前に防ぐことを目指す企画だったら?
被害にあい続けて経営が苦しい商店の万引き犯の現場をおさえて通報するという企画だったら?
ていうか性犯罪に限らずネットで訴えられてる事件で警察が動いてない話が多すぎて普通に思ってるより被害者になったとき守られないんだなって不安になるわ
レジからお金を盗んでる動画をなんとか証拠としておさえたのに逮捕されないとか多数の人間が盗撮にあって証拠として動画があるのに現行犯じゃないと逮捕されないとか何事?
ビッグモーターのときも客から思いっきり窃盗をしてるのに経営体制の不正が暴かれるまで証拠がないから警察に相手されなかったとかさ、なんか嘘ついて働いてなくない?そんなわけないでしょ
どの程度の快適さをどれだけの時季に求めるかによって必要な初期投資が変わる。
冷房がいらない時期で、車中泊=原則寝るだけ、であれば、ちょっと工夫すれば後部座席~トランク部分をフラットにできる車ならそれでいいし、快適装備も別にいらない。
しかし、夏もやるんだとか、ちょっとした調理だとか、電化製品をバリバリ使いたいとかだとかでは思いっきり金がかかる。
ちなみに月見オナニーをできる場所=人目がほぼ無くて月がキレイな場所ということになるが、それはつまり虫がキツイ場所だぞ。
お察しのとおりというか良い感じに車中泊できる場所はかなり限られている。個人的には車中泊は「趣味の旅行における宿泊手段の一つ」とすべきだと思う。
例えば深夜高速移動はキツイが目的地にそれなりに早朝に着いている必要がある、みたいな場合でなら車中泊が有効なんだよね。
そんくらいならSAで寝ればいいし、そうでなくても駐車場広めのコンビニなら一晩くらいなら寝られるしね。
知り合いで趣味ってわけじゃないがちょいちょい特に理由もなくビジホ宿泊してる(日常のちょっとした贅沢?みたいな感じで)奴いるけど、そういう付き合い合い方なら良いと思うが、ビジホ巡りそのものを目的化するってなるとモチベが保てないのでは。
てか、元増田は趣味の旅行の主な宿泊手段を車中泊にするって意味なのか、車中泊orビジホそのものを趣味化するのかってのでけっこう話が変わるのでは……。
決算が民放のニュースになるぐらいのJTCに学部卒で就職し、管理職になる手前で外国企業の暇な日本事務所に転職した。
偉い人の無邪気な好奇心によって増殖していく資料作成だったり、誤字脱字の指摘に命を賭けている偉い人のために課全員で徹夜で誤字脱字を探す作業だったり、辛かったことは色々あるけど、JTCで一番辛かったのは競争を降りられないことだった。
管理職手前ぐらいの年齢になると、会社が将来出世させるつもりの人は工場で課長になる準備をしていたり、海外でMBAを取ってたりして、自分のような本社の資料作成マシンはほぼ出世の望みがないのに、上を目指すためのファイティングポーズを崩すことは許されなかった。
例えていうと、マラソンでトップと10km以上差がついて、優勝は狙えないから自分のペースで走りたいのに無理矢理トップを目指す走り方をさせられるような、あるいは、東大は無理そうだから早慶に狙いを下げたいのに東大を諦めるのを許されないような、そういう辛さ。
出向という形で会社が競争から降ろしてくれない限り、降りるにはメンタルを病んで一度休職するか、辞めるかしかなさそうだったので、辞めて思いっきり暇そうな会社に転職したけど、昼はのんびりランチ食べて散歩して増田をするぐらいの余裕があるから本当によかったと思う。
これ、「本筋に関係ない恋愛要素」って、だからそれって具体的にどの作品のどの話の事よ?って思って苛つく
特定の作品を挙げて具体的に話してくれれば賛同するなり反論するなり出来るのに、
ただ漠然と「本筋に関係ない恋愛要素」という藁人形叩きをされても…って思う
個人的には「本筋に関係ない」とされているものの多くが、いやそれ思いっきり本筋だろ!って反論したくなるものだと思っているが。
恋愛不要をやたらと叫ぶ人達って日本では本当によく見掛けるけれど、アメリカもなのか
なんでなんだろうな
具体的な作品に関して、このキャラクター、このカップルの恋愛はやめて欲しかったと言うならば、自分もそういう不満は沢山あるしよーーく分かるんだけど(例えば米に出てるゲーム・オブ・スローンズだとブライエニーやアリアのセックスシーンに関しては自分も嫌だと思った)
でもそうでなくて作品名も挙げずにただただ恋愛は不要だとだけ言われても反発しか感じない
恋愛が見たいなら恋愛ものを見るって言ってる人もやたら多いけれど、その理屈も意味不明なんだよね
だって、恋愛って生活の一部だろ…現実の人間だって勉強したり部活したり仕事したり家事したりしながら恋愛してるじゃん
他の事を一切しないで恋愛「だけ」している人なんて存在する?女王蜂と雄蜂の擬人化か?そうじゃなければあまりにも不自然では?
この手の言い分ってあまりにも、恋愛ものを馬鹿にし過ぎだと思うんだよなぁ…
天使なんかじゃないや君に届けでは、進路と恋愛で悩んで希望の進路に進む事を選んで遠距離恋愛を決意した女の子が描かれていたけれど、
恋愛ものが本当に恋愛「だけ」書いているならばこの種の描写はなかったでしょうに。
物語における恋愛ってキャラクターの行動の動機を分かりやすく示すものとして有用だろ
寧ろ思いっきり本筋な事が多くない?
どうしてそれを理解せずに簡単に「恋愛は不要」と言ってしまうのか
例えば天空の城ラピュタはパズーがシータを銀貨で軍に売ってめでたしめでたしになるし、ふしぎの海のナディアはノーチラス号まで辿り着かない、
スラムダンクはバスケを始めない不良漫画になるかバスケ部に入ってもしごきに耐えられずすぐに辞める、名探偵コナンは蘭の家にお世話にならないので眠りの小五郎が爆誕しない、
からくりサーカスはフェイスレスが誕生せずゾナハ病の脅威もなく、NARUTOはオビトがマダラに騙されないので無限月読計画が発動せず、
天気の子はあっさりヒロインよりも世界を選ぶ、東京リベンジャーズはうだつの上がらないフリーター生活を続ける、葬送のフリーレンは人間の仲間の事なんてすぐに忘れて陰遁生活、
ロード・オブ・ザ・リングは王の末裔が種族違いの恋で悩まない、ゲーム・オブ・スローンズは不義の子である主人公も三兄妹も生まれない、
そんな作品面白いか?まぁそれはそれで別のアプローチで面白く出来たかもしれないが、今ある作品とは完全に別物になるじゃん。
今ある作品で恋愛要素があるものは殆ど、それが作品に不可欠な要素として組み込まれていて、抜いたら別物になってしまうと思うんだが。
あと、「要らない」という表現の傲慢さ。恋愛要素が要るか要らないかは表現者が決める事であって視聴者が決める事ではない。
「嫌い」「苦手」「やめてほしい」「見たくない」なんかならあくまで個人の感想だし普通に共感するんだけど、なんでそう言わずに敢えて「要らない」って言うんだろう?
個人の意見である事を誤魔化したいという心理というか、すっげー卑怯さを感じる
不思議なのはこの手の意見を表明する奴等に限って何故か久保帯人の埃だけ食ってろ発言は称賛してそうなんだよな
個人の意見を個人の意見として尊ばないって点では共通してそうだが。
あと、この手の恋愛アンチって何故か友情ならOKな事が多いのがさらに不可解(唯一シン・ゴジラだけはそれも含めて「余計な人間ドラマがなくて良かった」って評価だったけど)
仕事上や偶然の成り行きで組まされたバディなんて、寧ろ恋愛以上に友情が成立する方が不自然じゃない?
フィクションだと特に、年齢や社会階層、時には人種も違ったりするし、そんな間柄で友情が成立するのも大分不自然だと思うんだけど何故かそういう指摘は全然見ない
例えばTIGERandBUNNYとか、そもそもおじさんなんて言わずに礼儀正しく表面上の付き合いだけして波風立てずに他人行儀な付き合いのまま終わるのが現実だよね
年齢や階層の異なる者同士が、仕事上の付き合いで本気で意見を戦わせるってフィクションならよく見掛けるけれど現実では全然なくない?って思うよ
男女バディならばさらにそう。男女だとそれだけで性差別により置かれた環境が異なる訳で、最初は反りの合わなかった男女バディが事件を経て固い友情で結ばれ~なんてあまりにもリアリティないよ
恋愛ならば性的魅力で説得力が出る場面も、友情だとお互い得もないのにどうして?と説得力がさらにダウンする
そういうの一切考えずに「恋愛は低俗!」「恋愛は要らない!」「男女バディ尊い!」だから苛つくんだよな
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2245145
https://note.com/masu868/n/nee9ac0a564b6
コロナ前に地元に来てた歌謡曲コンサート(注1)がやったやつを知っていれば、下には下があると思って納得してくれるのではないかと思い筆を執った。
三行でまとめると
場所は、文化会館。ワイの地元。東京から観光バスで2時間ぐらいのところ。日帰りできる絶妙な場所。周りは葡萄とか産地で、そのシーズンになるとかなり観光バスがくるけど、それ以外にあんまり観光資源の乏しいところ。
特産品として、大物国会議員を出荷しており、彼が金を引っ張ってきて、身分不相応な凄まじく広大な駐車場がある1300人クラスの文化会館が建設された。(注2)
コンサートはここで開かれる。
出演者を示すであろうポスターには、昔懐かしい昭和歌謡を彩った大物の名前がずらーっと並んでいて、映画のブロッコリーポスター ( こんなの → https://girlschannel.net/topics/3487192/ )みたいな感じでわさーっと実って豪華絢爛な感じ。
一番中心に据えられている大物歌手らは、現在も若い歌手と一緒に音楽活動をやるなど、本当に真の意味で本物の歌手である。こんな豪華メンバーのコンサートが地元で見れるなんて!すばらしい、と思うだろう。こんなにたくさんの人が出演するなんて、見なきゃ!って。
ところが、ポスターにはこう書いてある。
公演によって出演者は異なります
若手歌手なども出演します。おたのしみに!
ん?怪しいと思うだろうが、その感覚は全く正しい。
なんと最大一日3回公演。午前の部(10時~)、午後の部(14時~)、夜の部(18時~)である。それをなんと3週間にわたって、休日を中心にたぶん10日ぐらいやってた。この時点でなんだこれってなると思うだろうが、その感覚は全く正しい
一番安い席はなんと3000円から。当時としても安い。次が5000円、S席は8000円。ホールは10年もたってない現代の設計なので、少々安普請ではあるが、席によって見えにくい場所などはない。なので3000円でも良いと思ってワイは3000円を買った。
この判断は正しかった。実際にはガラガラで、3000円でも10列目ぐらいで見れたので。また、後で調べたら、観光バスの人たちは、追加で8000円出すとS席で見られると言う仕組みだったらしい。普通8000円の席はいくらガラガラでも前に詰めたりしないと思うんだけど、思いっきり詰めてたと思われる。
騙されなくて良かったと一安心。
当然、こんなキャパシティを地元民だけで埋まることはない。じゃあどうするかというと、観光会社と提携していて、首都圏や近隣県からのバスツアーをに組み込んでツアーにしているのだ。普段はガラガラの駐車場に、ずらーっとバスが並ぶのである。ちょっと、というかかなりびっくりする光景だった。
ただ、たぶんそれでも一杯になんてなってないと思う。ムダに広すぎる。 二階席はいつも閉鎖状態だったんじゃないかなあ。分からんけど。
一応地元民と思われる人もそれなりには、いた。
自分が入った時は、平日の夜公演で恐らく最も客が少なかったとき。なので一番安いチケット買ったのに、前から10列目ぐらいで見られた。
まず、最初になんだかよく分からない歌手が出てきて歌う。後で調べたら大昔に一曲だけプチヒットを出した歌手らしいが全然知らん。歌は聴いたことがあるかな?ないかな?と言う感じ。
いきなり出てきて歌って、何事かと思っていると、司会者が出てくる。漫才師が着るようなキンキラキンのスーツの上下にカラーアフロヘアという出で立ち(注3)。
そして歌手のことを国民的超大物歌手であるがごとく扱い、褒めまくる。降られた歌手の方も俺は凄いんだぜ的な感じで応答して、なんか凄い人の話をきけちゃった感を演出する。
そして次に現れるのが、なんだかよく分からない若手(注4)の歌手たち。3組ぐらいだったような。歌うのは自分の歌ではなく、懐かしのヒット曲。
ごく一部に自分のオリジナル曲を歌うのがいたけど、まぁ分からないよね。別日では、地元の県出身の歌手が応援に駆けつけました、みたいなこともあったらしいはらしい。
気の利いた歌手は、絶妙に地元ネタを入れるんだけど、その努力は認める。だってその努力もしない歌手が多いもんね。機械的に歌って。はは。
最終的に、某女性のド演歌を歌う歌手が出てくる。おお!本物や!と思うけど、ポスターの真ん中にいるメイン歌手ではない。
ブロッコリーで言う所の右側面後ろぐらいのポジ(注5)。
そして、おもむろに美空ひばりのヒット曲愛燦燦。
いや名曲だけどさ、自分の曲じゃないか無い!と突っ込みたいところだが、流石に迫力。
お金がない花火大会で、最初は小玉ばかりだったけど、最後に大玉ができて「これだよこれ」って思う感じの。そんな感動はちょっとある。
そして次に自身最大のヒット曲をガチで歌って、MC。うーんやっぱり人気のプロはちがうねえ。と思ったらこれで終わった。えっ。
そして最後にアンコールがある。と言うか帰り始めているのを司会者が拍手を煽ってアンコールさせる。
出演者が総出で出てきて、ここで北島三郎の祭を歌って、終わり。この時、何故か司会者も歌っていた。(それが結構上手いんだよなこれが)
合計2時間ぐらいだった。
世の中色々な商売がある。基本的に人気商売というのは、丁寧に対応して、ファンになってもらって、リピーターを集める、はずなんだけど、
これとは真っ向から対立すする焼き畑みたいな商売である。どうせ一回だからとチケット売り出して終わらせると言う様な。
地元でもプチ観光公害みたいなんがおきていて評判が悪く問題化。貸出料金も全館貸し切りで一日つかって正規料金10万円みたいなそもそもが激安設定なのだが、これを更に値切られており、稼働してない間も機材置きっぱなしだったがその間の金はとってないとか、後で揉めた模様。
おそらく、似たような奴が二度とここに来ることはないだろうが、似たような地方の箱物文化施設はいくらでもある。場所を変えて似たような商売やってるんじゃねーかな。コロナ禍でも生き残ってと思うよこう言う連中。生命力強そうだし。
ワイは3000円しか払ってないから勉強になったでいいけど、これでS席とか、首都圏から1万とか2万とか払ってきてたら頭にくるんじゃないかなあ。ああでも、他に観光地を回ったりするならこれでも良いのかも。
とにかく、世の中には下にはしたがあると言う事を知ってもらって、山崎まさよし氏のことは許して挙げてほしいという、そんな次第である。
注1:こう言われると絶対「夢グループ?」って言う人がいるので言っておくと、夢グループではないです。夢グループはたぶん通販の収益でコンサートやって歌手とその弟子らを養ってなるんだと思うよ。だって夢グループって母体となる通販会社が別にあるんだし。
注2:建設された場所は、優良な農地だった。担い手不足でもう無理だから工業団地にするんだーと言って指定地にしたものの、全く工場誘致が進まないと言う、日本中で大量にあるであろう工業団地予定地。埋まらない状況で、ここにいろんな補助金を活用してブチ建てたもんだから、土地を持ってた人はしっかりと金が出て、家の建て替えラッシュとかがあったらしい。文化会館はそんな経緯で建てられたので、交通の便が良いはずもなく。最寄りの駅から車で20分ぐらい、新幹線で来ると新幹線駅から在来乗り換えして40分ぐらいかかる場所で、どうしてこうなった感すごい。ただ、どこから騙して連れてきたかは知らないが、現在はまともな専門知識を持つ運営責任者(有期雇用の非正規職員)がいるので結構頑張っている。ただ、ホールの使用よりも、だだっ広い駐車場の方が利用価値高いみたいでそっちの方が活用されてるとか、微妙な感じ。 ネーミングライツは売ろうとして売れなかった。
注3:当然かつらで、ありがとうございました!みたく勢いよく頭を下げると、ぽろっと採れてステージを滑っていき、仲から真ん中だけ髪の毛が無い、いわゆる波平スタイルの頭が現れるという仕様。これを慌ててとりにいって笑いを誘う。前の歌手が微妙に固くて会場の雰囲気がかまってくるとこれを披露して会場を暖めるという。
注4:若手、と言っても年齢行ってると思う。アラフォーぐらいは普通にいたかと。
注5:日曜日の昼公演とかに行った人もポスターのメイン歌手は出てこなかったそうなんだが、本当に出演してんのかなあアレ。でもこういう商売なら連続何日も見る奴なんていないから、それでもいいんだろうな。よく考えられてる。
ルッキズムは人種差別とイコールなのでやめろってみんな言うだけやで
どうあっても白人とPoC(Person Of Color)に溝あるし、基本白人基準だからな
カマラ副大統領の自認は黒人だが?
https://www.google.com/search?q=%E3%82%AB%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%B9
統計ではアジアの国のバックグラウンドと自認を持つ人の人種分類はアジアンだけど、日常生活では肌色の濃い人はまとめて黒人扱いだぞ
ヨーロッパ系白人とアジア系の子どもは、自認はともかく、日常ではアジアン扱いだし、
ヨーロッパ系白人とアフリカ系黒人の子どもは、自認はともかく、日常では黒人扱いだし、
アフリカ系黒人とアジア系の子どもは、自認はともかく、日常では黒人扱い
(そもそもアフリカ大陸出身者に限定しても、ラテンアメリカ、スペイン・ポルトガルの旧植民地ほか、色んなところに子孫いる)
なお、青い瞳に白い肌とヨーロッパ系白人の特徴がモロに出た、自認はアフリカ系黒人のラッパーlogicは、日常生活では白人扱いされてた模様
ブス・ブ男がこっち見てんじゃねーくらいは言う
でも創業一家以外の役員になると国関係なくいっきにデブ減るけどな
基本強そうアピールする