はてなキーワード: 1971年とは
安倍晋三暗殺事件をきっかけに統一教会(世界平和統一家庭連合)に注目が集まっているが、保守系(反リベラル、反ポリコレ、反中韓)に分類できる文化人のなかで、はっきりと統一教会批判を行なっているのが旧2ちゃんねる(5ちゃんねる)関係者のひろゆきと山本一郎なのは興味深い
一説によれば、旧2ちゃんねるは一時期、統一教会に乗っ取られかけたという噂がある。この点を抜きにしても、基本的に1970年代生まれ以下の世代は、保守や愛国を唱えていても頭の中は近代合理主義者で、土着的・伝統的な家族観とか道徳観はちっとも好きではないのだ。
東浩紀(1971年生)は統一教会を「カルトかどうか判断できないだけ」と述べてひんしゅくを買った。ただ、これは統一教会の擁護というより、スターリニズムや連合赤軍のような原理主義的なドグマに陥ることを恐れるあまり、「二項対立に囚われないように判断保留する」というポストモダンの思考を原理主義的なドグマにしてしまった模様。
一方、三浦璃麗(1980年生)は、何やら統一教会と利害関係があるらしい。
https://twitter.com/333_hill/status/1300961546693083137?s=12
http://japanhascomet.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-e4d640.html
東や三浦はさておいても、高度経済成長期以降に育ち、冷戦体制崩壊後に成人した団塊ジュニア以降の世代は、基本的に統一教会的なものが嫌いだろう。俺もな。
今では忘れ去られているが、2000~2006年ごろの2ちゃんねるでは、韓国、中国、民主党だけでなく、森喜朗に代表される体育会系、マッチョ価値観の自民党重鎮も不人気で、平然と皇室をコケにする書き込みだって多数あった。非合理的な宗教団体は嫌われ、前近代的な家制度の束縛とかブラック企業的な上下関係を肯定する主張は評判が悪かった。
かつて2ちゃんねるに大量にいたネトウヨことネット右翼は、なぜ韓国人や中国人を嫌悪したのか? 戦前戦中の日本に対する非難が自分個人への非難のように思えた点に加えて、韓国人や中国人の振る舞い(声が大きい、言動が粗暴、上下関係がきびしい等)に「前近代」の臭いを感じ取っていたからではないか。
ネットでは保守愛国を主張して戦前日本を賛美ながら、平然と「中国、韓国は儒教国家だからダメだ」と言う人間が少なくない。お笑い草である。戦前までの日本だって支配階級の基本思想は儒教だった。幕末に尊王攘夷運動が起きたのは江戸時代に朱子学が普及して、「幕府が天皇から権力を奪っているのは忠義に反する」という考え方が広まった結果だ。明治維新後も、明治天皇の教育係の元田永孚は西洋嫌いの儒学者で、名君の教科書として唐代の『貞観政要』を読ませたし、教育勅語は儒教的価値観の産物だ。
だが、どうやら団塊ジュニア世代以下のネトウヨの頭の中にある理想の日本は、最初から西洋的価値観の近代国家だったらしい。彼らには古代中世の日本の伝統的価値観を本気で学ぶ気などなく、和歌や能楽や歌舞伎や浄瑠璃より、漫画やアニメやゲームが好きなのが本音だろう。そういえば橋下徹も、平然と文楽の予算を削減しようとしてたな。
「保守・愛国を唱えながら近代合理主義で何が悪いの?」と言う人もいるだろう。世の中には、何も悪いことをしてない人間にも病や死や不幸が降りかかったり、不合理がいくらでもある。何でも理性で解決できると思い、現代人から見れば非合理な考え方に従っていた古代や中世の人間を愚かとしか見なさないのは、思い上がりだ。そうして過去の時代の人々という他者への想像力を持とうとせず、過去の世代が積み重ねてきた道徳観への敬意がなくなると、経済的な損得ばかりが最優先の価値観になる。「皇室の維持は国費の無駄だから天皇制反対」と言い出す者も出てくるかもしれない。
そうなれば、単に力(財力、権力、情報発信力)がある奴が勝ちだ。日本でもドナルド・トランプのような男が国家元首になるかもしれない、トランプならまだ人物的に面白味があるが、竹中平蔵やワタミが大統領になったら本当にイヤだぞ。
統一教会は2015年に世界平和統一家庭連合と改名した。団体名に「家庭」とつくのがポイントだ。自民党による憲法改正案で、第24条に加筆された「家族は、互いに助け合わなければならない」という一文は、統一教会の主張と同じだといわれる。また、「こども庁」の名称が「こども家庭庁」となったのは統一教会の影響という説もある。
https://twitter.com/izumi_akashi/status/1548537253018103808
つまり、統一教会はとにかく家族の重視を唱える。彼らの教義は、俗流キリスト教と、家父長の権威や先祖供養を重んじる東アジア的な儒教道徳の混合物で、教祖の故・文鮮明をお父様、その妻の韓鶴子をお母様と呼ぶ。このような教団組織という大きな家族への絶対服従を唱える思想が、皮肉にも結果的に山上徹也個人の家庭を破壊した。
『週刊文春』7月21日号では、橘玲が「リベラル化した社会に敗れた男の”絶望”が暴発した」と題して、安倍晋三を暗殺した山上徹也のことを論じている。現代は家制度の束縛などが機能しなくなった「自由」な社会だが、それゆえに自力で自己実現できなかった孤立した人間が増えているといった内容で、その極端な暴発例に2008年の秋葉原通り魔事件や、2019年の京アニ放火事件を挙げている。指摘自体はおおむね間違ってないだろうが、なぜそのような世の中になったかの説明が抜けている。
リベラル思想以前に、社会構造の変化がある。そもそも、伝統的な家族観、家父長の権威とか、早く結婚して何人も子供を産むのが良いことだという考え方は、近代以前の農村社会が前提だ。農家は個人経営で、家父長のもとで妻子が一緒に農作業し、働き手として子供の数は多い方が都合よいから多産が奨励された。そして、農地という生産手段を継承するために血統の存続が重視され、先祖からの連続性が意識されていた。漁村も商家も同様に家族経営が基本で、船や商材を継承するため家制度が重視された。
ところが、産業革命期以降になると、農村の余剰人口は都市に流れて工場労働者となり、先祖代々の土地と家から離れて生きるようになる。労働者はみんな家庭外で雇用され、子供は家族から切り離され、父親も母親も子供も(昔は各国で児童労働が横行していた)ばらばらに働くようになり、自宅の窯でパンを焼いたり時間をかけて食事することもできなくなった(『世界の歴史 第25巻』(中央公論社)270p)
統一教会のような反共主義者は、「左翼リベラル思想が伝統的な家族観を破壊した」と主張するが、この解釈は因果関係が逆転している。共産主義は、工業が発達して伝統的な家庭を成立させる農村社会から切り離された都市労働者が世にあふれた結果から生まれた思想だ。マルクスより先に、経済的利益のために伝統的共同体を解体して蒸気機関と工場労働者を世に広めた資本家がいたのである。
逆に、農村社会に戻れば前近代的な家父長制は復活するだろう。だったら、商工業を全否定して国民を農村に強制移住させたポル・ポトのカンボジアこそが理想かよ?
先進国では工業化社会がさらに進むと、世の中は第三次産業中心になり、庶民はみんな勤め人の都市生活者となっていった。これは産業社会の要請によるものだ。以前も書いたが、(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20170522/p1)高度経済成長期に中卒や高卒で都市の工場や商店に就職していった女性は、左翼リベラル思想に影響されて社会進出し勤め人は世襲の家業ではないから、妻子が家に従属する必要はない。リベラル思想に関係なく、前近代的な家制度の束縛が弱くなるのも当然だ。生まれた時からこういう環境に慣れきって育った世代が、家父長の強い権威やきびしい上下関係を嫌うのは必然だろう。
こう書いている自分も、会社員の家の次男坊で、実家に従属する義理はないから上京以来ろくに親元に帰らない。長男の長男だった兄まで、ついに生活のためやむなく父の墓がある土地を離れてしまった。先祖代々の土地や家業を持ってるのではないのだから仕方ない。
統一教会のような保守派は、家族が大事だと主張するけれど、口先の精神論ばかりで上記のような社会構造の問題にまったく踏み込めていない。
困ったことに、農村社会や家制度のような伝統的な中間共同体が力を失うと、その代替物として、一足飛びなナショナリズムかカルト的団体に帰属意識を求める者が増える。
エマニュエル・トッドは、『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』(文春新書)で、宗教的伝統が衰退すると代わりに排外的ナショナリズムが台頭すると述べていた。何でも、ドイツでは19世紀末から1930年代に昔ながらの教会を中心とした農村共同体が弱体化した代わりに反ユダヤ主義が台頭し、ナチス支持につながったという。
統一教会をめぐる報道で、山上徹也の母のように財産すべて差し出す信者の気持ちが理解できないという人は多い。しかしながら、外部から見ればいかに狂信的な団体でも、内部の信者には何らかの「魅力」がある。
先に述べたように、世の中にはいくらでも非合理的なことがある。それまで合理主義者だった人間が、病や死のような自分の力に直面していきなりオカルトや宗教に走った例は少なくない。帝国海軍の名参謀だった秋山真之や、アップルのスティーブ・ジョブスのような英才も、最期は近代医学に頼らず怪しげな方法に頼って病を治そうとして、かえって早死にした。こういう極端な思考に走らないためにも、世の中は理性で解決できないこともあると頭の片隅に置いて、非合理的なものへの免疫をつけておくこと必要だ。
そこまで追い詰められなくても、「大きなものにつながりたい願望」を抱く人間は多い。人には何かに帰属することによって得られる充実感というものがある。これは左派陣営の団体も同じだ。
こう書けば左翼リベラル派は激怒するだろうが、世の中には男尊女卑や家父長制に身をゆだねることに安心感を抱く者もいる(俺自身は嫌いだが)。いかに社会制度が近代化しても、誰もが自立した個人になれるわけではないのだ。
あの気持ち悪い集団結婚式にしても、なまじ自由恋愛の時代になると結局誰も選べずに結婚相手が決まらず、いっそ超越的な立場の第三者に一方的に決めてもらう方が安心、という人間も世の中には一定数いるのかもしれない。
これも以前に述べたが、カルト宗教などが行う洗脳とは、命令に従わせることではなく、被洗脳者が自発的に洗脳する側に忖度するように”誘導”することである(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20121101/p1)。
その手段として「場の空気」の力がものを言う。場の空気を使った洗脳はじつに簡単だ。こんな話がある、皆さんはカップ入りアイスクリームを食べるとき、どこから食べるだろうか? たいてい最初はカップの縁にスプーンを入れるだろう。あるとき数人の集団で、1人を除いた全員があらかじめ示し合わせて、みんなカップの真ん中にスプーンを入れて食べ、残った一人を「端っこから食べるなんてセコいなあ」と言ってからかった。仲間外れにされた1人は本気で、自分の方が異常で、アイスクリームは真ん中から食べるのが世間の常識だと錯覚したという。
これと同じように、閉鎖的な教団内では容易に「みんな多額の献金をしてるんだから、そうしない自分の方がおかしい」と思い込むように仕向けられる。宗教団体も、ネットワークビジネスも、会員制オンラインサロン商法も同じだ。
信者は教祖や教団幹部個人の命令に従っているというより、信者集団の「場の空気」によって献金しなければならない気になっている。周囲にいる人間が競い合って同じことをしているのに、自分だけそれをやらないと自分の方が変だと思い込んでしまうのだ。そりゃ「空気を読む」ことが至上の美徳という価値観で育った日本人なら従ってしまうだろう。
2022年現在の状況では、まだまだ自民党に対する統一教会の影響力は強そうだ。しかし、このまま上記に述べたような近代の社会構造が続くのであれば、20~50年ぐらいの長期スパンで見た場合、統一教会的なるもの――家父長制バンザイのカルト宗教は徐々に人気を失っていくだろうと考えられる。
実際、100~200年ぐらいの視野で見れば、左翼リベラル陣営はずっと勝利し続けている。世の中は、近代的な商工業が発達すればするほど、上下関係は緩くなり、男女は平等に近づき、セクハラやパワハラは嫌われ、体罰や理不尽な校則は廃止される方向に進んできた。
ただし、それは必ずしも自由平等人権といったリベラルイデオロギーの魅力による勝利ではない。単に文明の発展によって、人間が図々しくなっただけだ。
近代以前はあらゆる労働が筋力中心だったから、無条件に成人男性が一番偉くて、女子供は成人男性に従うものだった。しかし、そのような価値観は、スマホやコンビニやAIやドローンの普及と引き換えに後退しつつある。あるいは、汗臭い筋肉労働を人件費の安い海外にアウトソーシングしたり国内の視野から消し去っただけだ。外国人技能実習生の世界では、依然として日本人相手なら許されないパワハラが横行している。
いかに自由平等人権といったリベラルイデオロギーの字面が美しくても、思想だけで世の中は動かない。民主主義は古代ギリシャにもあったが、あらゆる労働が人力の時代だったから、ついぞ奴隷制は廃止されなかった。19世紀に入るとイギリスもアメリカも奴隷制を廃止したが、それはリベラルな人道主義者の主張より、奴隷を使うプランテーション農場と比較して工場経営のほうが儲かると判断されるようになった影響が大きい。
統一教会による霊感商法、巨額の献金要求は許しがたい犯罪行為で、自分もこういうカルト宗教は大嫌いだ。ただ、統一教会的なものを嫌悪する自分たちは、たまたま土着的な農村社会が崩壊して家制度の束縛が機能しなくなった時代に生まれ育ったから、統一教会的な家父長制価値観への Permalink | 記事への反応(1) | 23:06
というと、1971年から1978年のことか。まさに50年くらい前の話か。
ということは、元増田は50年も前の事を今ごろわざわざ持ち出しているのか。共産党系の市長の時代はとっくの昔に終わってるわけだろ? 駅前の再開発が遅れたとかって大昔の話じゃん。
もし小金井市のことだとすると、たぶん隣の市とは国分寺市で、誘致した新駅とは西国分寺駅で、小金井市の開かずの踏切とは武蔵小金井駅の近くの踏切だろう。
だけど、これもおかしな話であって、1973年の西国分寺駅の開業は武蔵野線の開通にともなって中央線と交差する場所に新駅ができただけのことで、国分寺市が頑張ったわけじゃないだろ。しかもこの駅は国分寺市内で二つ目の駅に過ぎない。
一方、小金井市内には当時既に二つの駅があった上に、1964年には三つ目の駅である東小金井駅ができている。西国分寺駅に先立つこと9年。こちらは地元が頑張って誘致した「日本初の請願駅」として知られている。
さらに、開かずの踏切問題は小金井市が怠けていて起こったわけではなくて、中央線沿線では国分寺市も含めてどこでも困っていたのであって、これまた解決は国分寺市が独自に行なったわけではなくて、東京都が事業主体となってJR東日本と沿線の六自治体(三鷹市・武蔵野市・小金井市・国分寺市・国立市・立川市)と共同で中央線の立体交差化を行なってやっと解消したのだよ。
元住民として言わせてもらうと、小金井市は住みやすかったよ。ジブリも国分寺市ではなくて小金井市を選んだのだよ。国分寺市を選んだのは駅前書店のオババくらいだったんじゃないの?
知名度、後世への影響、漫画史的意義などを独断と偏見で考慮した上でサブカルくそ野郎フィルターで濾した二番煎じを俺も作ってみたぞ増田ァ
シブサワコウさんも偉大だけど、奥さんもソフトの値下げをさせなかった点と、乙女ゲーというジャンルを創出したというエピソードがすごい。
あとコーエーを創業する前も主婦としてなんか地域コミュニティで成功した話もあったはず。
美大に通う知人から聞いたキャンパスライフへのあこがれがきっかけで多摩美術大学に入学するが、大学2年生の時に学生運動が起こり、授業が成り立たなくなる[13]。そこで、恵子は百貨店向けのPOPや子供向けテレビ番組向けのイラスト制作、そしてディスプレーの図面引きといったアルバイトで生計を立てる[13]。のちにこの経験がコーエーでの業務に役立つ。 そして恵子は1971年に多摩美術大学を卒業する[13]。
1978年、2児の母となっていた恵子は夫の襟川陽一とともに、彼の家業である染料問屋を立て直す目的で光栄を設立する[13]。 1980年、夫の30歳の誕生日プレゼントとしてパソコンを贈る[13]。 これがきっかけで、光栄はゲーム会社「コーエー」へと転身していく[13]。
この当時、コンピューターソフトの卸価格が「定価の20~30%」が業界の慣習だったのに対し、襟川は「定価の55%」を強く主張し、問屋との軋轢を生んだ。しかし襟川は「55%でも構わないというところが1社でも出れば、その会社からお店は仕入れるしかない。他の流通は得意先を取られるのでうちと取引せざるを得ない」と強気の交渉を行い、結局55%を受け入れる会社が現れたことで一律55%で卸すことに成功した。夫の作ったゲームの品質に自信を持っているが故の強気である。
また、恵子は1980年代から、自社も含めてコンピュータゲームのゲームの業界において戦争ものやシューティングゲームが席巻していることや、ゲームのプレイヤーが男性を占めていることを疑問視し、女性向けのゲームを作るべきだと考えていた[16][13]。そこで彼女は10年をかけて、女性プログラマの採用や、女性が働きやすい環境づくりを整えていき、1994年に『アンジェリーク』を発売する[16][13]。発売後、「女性向けゲーム」という新しいジャンルに少しずつ注目が集まり、最終的には女性のファンの獲得につながり、出演声優によるイベントも人気を博した[16][13]。
細谷 雄一(ほそや ゆういち、1971年8月13日- )は、日本の国際政治学者。慶應義塾大学法学部教授。(法学)立教大学法学部卒 慶應義塾大学大学院法学研究科修士・博士
伊勢崎 賢治(いせざき けんじ、1957年7月6日 - )は、平和学研究者。東京外国語大学総合国際学研究院(国際社会部門・国際研究系)教授 早稲田大学理工学部建築学科卒 ボンベイ大学大学院社会科学研究科博士前期課程修了(後期中退)早稲田大学大学院理工学研究科都市計画専攻修了
https://twitter.com/isezakikenji/status/1514555737267404801
”自分たちは戦うのは怖いから 武器だけあげてウクライナの人々に戦わせて これは代理戦争じゃない 国際秩序のための聖戦だって賞賛するの なんか自爆テロ犯を送り出す悪徳聖職者みたいだな そこの学者”
https://twitter.com/Yuichi_Hosoya/status/1514567243836932098
”開戦前に、ブリンケン国務長官が直前までロシア政府に、戦争に突き進まぬよう交渉をして説得していたのにもかかわらず、アメリカの「代理戦争」という陰謀論に固執する根拠を、大学教授という学識がある専門家である以上、きちんと一次資料を示してほしい。”
”そもそも学部時代の学位が建築学で、大学院の修士号が都市計画専攻と、学部でも大学院でも一切、学問的に国際政治学や平和学を研究した経験がない方が、なぜそこまで断定的に「陰謀論」を流布しておられるのか、なかなか理解が難しいのですが。もう少し専門家の知見から謙虚に学ぶ姿勢を示すべきでは。”
”そして、やくざじゃないので、大学教授が、「なんか自爆テロ犯を送り出す悪徳聖職者みたいだな そこの学者」という相手を煽るような言葉を使うべきではないのでは。私が「そこの学者」に該当するかどうかは興味ないですが。”
”そして、「自爆テロ犯を送り出す悪徳聖職者」って、おそらくはイスラム教聖職者を差していると思いますが、大変失礼な言葉ではないでしょうか。平和構築や和解を職業とする仕事をしていた方の言葉として、とても残念です。”
https://twitter.com/isezakikenji/status/1514613172480577543
””代理戦争”がお気に召さぬなら「史上最も卑怯な代理戦争」と言い直しましょう。既にNATOとは綻びが出始めております(↓)。まだ米国は頼られているようですから武器供与の停止を人参にバイデンが「停戦」に向けて動けばいいのです。オデッサが奪われ内陸国化する前に。”
”お。なんか声届いているんだね。よかった。”
身長差別(英: Height Discrimination)、あるいはハイティズム[1](英: Heightism)は、身長に基づいて個人を差別することをいう。原則として、身長がある集団内における通常の許容域に属さない個人に対して行われる差別的取り扱いに関する言葉である。
身長差別は、平均身長より大幅に背の低い男性に対して行われるのがもっとも一般的である。また、こういった差別は一般的に受け入れられ、無視されている[2][3]。高身長の女性の中には、身長を小さくするため、多量のエストロゲンを使う人もいる[4]。
研究によれば、人間の脳は身長を社会的ステータスや健康状態を見極める指標として用いている傾向が確認できる[5]。脳は自動的に身体のサイズを、リーダーとしてのポテンシャル、権力、強さ、知性と結びつけている。この効果は生後10ヶ月ほどの幼児にも見受けられた[5]。身長は、ある個人の栄養状態が良いことや、高い社会的ステータスを持っており、したがってリソースを幼児に供給してくれることを示す指標となっているからだと、進化心理学者[誰?]は理論づけている[5]。また、身長は他にも一般的な健康や身体的な強さをも示すが、後者は支配力を行使する上で有用になりうる[6]。前述の特徴と身長の自動的な連想は、女性を評価するときよりも、男性を評価するときに、より強くなると見られている[5][6][7]。
ある研究によれば、環境要因を排除した場合の身長の遺伝率は55.4%(標準誤差は4.4%)であるという[8]。
"ハイティズム"という用語は、社会学者であるSaul Feldmanが、「The presentation of shortness in everyday life—height and heightism in American society: Toward a sociology of stature」と題した論文で用いたのがはじまりである。この論文は1971年に開かれたアメリカ社会学会(英語版)で発表された[9][10]。ハイティズムという用語は『Second Barnhart Dictionary of New English』(1971年)にも掲載されており[11]、1971年発行のタイム誌に掲載されたFeldmanの論文によって広まったとされる[12]。この単語は、「接辞の変わった用法」を通じて新しい単語を提供するタイム誌の慣習の一つの例であるといえる[13]。ただし、タイム誌自身は、この単語が1991年版の『Random Webster's College Dictionary』に収録されるのに反対していた。彼らは、『ランダム・ウェブスター』を「読者の気分を害さないように必死で、良い用法だけをのせる」、「疑問符が浮かぶような数多くの用法に権威を与えるが、そのうちの多数はポリティカル・コレクトネスの考え方に染まっている」辞書の例としてあげている[14]。 ハイティズムという語句は、セクシズムという語の用法を模倣するような使い方、特に偏見や差別に関係した使い方が増加していることの一つの例として見ることができる[15]。
ハイティズムはデートでの選好においても一つの要素となる。身長が、性的魅力においてもっとも大事な要素だという人もいる。
高身長の男性の方がかなりの程度生殖に成功しやすいという事実は、高身長男性がより結婚しやすく、より子供を持つ可能性も高いことを示唆する研究により証明されていた。例外は、戦争などで著しく男性が少ない社会だけだ[29]。しかしながら、最近の研究では、この理論に疑問符をつけるものも多くなっており、身長と子供の数の間にはなんの関係もないことがわかっている[30]。さらに、脚の長さや脚と体の比率に関する研究では、高身長の配偶者に対して著しい選好がみられるという考え方と対立する結果が出ているという。2008年の研究では、高身長にしろ低身長にしろ、極端な場合は魅力が減るとの結果が出ており、2006年の研究では、脚と体の比率が低い男性と比率が高い女性は美的アピール度が増してみえることがわかっている[31][32]。進化生物学的観点からいうと、これらの発見は身長と健康に関するデータと一貫性があるといえる。したがって、生物学的論拠、もっと具体的に言えば、背の高い配偶者への選好に関する進化論的論拠は疑わしく、具体的なエヴィデンスを欠いている。また、Journal of Family Issuesに発表されたある研究では、高身長への選好は進化論的なバイアスというより、社会的期待によるものだと示唆する証拠も見つかっている[33]。
行動経済学者のダン・アリエリーの研究によれば、アメリカ人女性は高身長男性とデートすることに対して並々ならぬ選好をみせ、低身長の男性が魅力的と判断されるには、高身長男性よりもかなりの額を稼がなければならないという[34]。また、オンライン・デーティングを研究する社会科学者によれば、男性も身長の低い女性を好むとされ、実際に低身長の女性と高身長の男性はより多くメッセージを受け取る傾向にあった[33]。ただし、女性は高身長の男性を理想とするが、実際のヘテロカップル間の身長差は、理想の身長差ほどは開いていないこともわかっている[33]。
2012年に行われたある研究では、男性も女性もトレードオフの手法を用いて身長差について妥協しようとしていることがわかった。男性は妻よりも1%高い賃金を稼ぐことで、1.3BMI分を埋め合わせている可能性があり、女性は高等教育を1年多く受けることで、2BMI分を埋め合わせている可能性がある[35]。さらに、2015年の研究では、男性も女性も高身長の配偶者を持つことで、利益を得ていることがわかった。夫の側では、妻の身長と相互関係にある優れた点、たとえば教育知識などに起因する長所を得ることができる。妻の側でも身長の高い配偶者を求めているが、これは高身長者は高賃金を得やすいからである[35]。また、全米経済研究所の調査によれば身長の低い男性は、若いが著しく教育水準の低い女性と結婚する傾向にあったという[33]。
それでもなお、ポスト工業化社会における文化的レベルでは、身長と魅力の間の社会学的関係は存在するといえる。この文化的特徴は、一方で近代化した世界には適応することができるが、他方では超自然的な人間の本質というわけではない[36]。ヘテロ女性の出会い系サイトでの行動に関する定量的研究では、高身長男性に対する著しい選好が示され、女性の大部分は平均よりもかなり身長が低い男性を受け入れないことが示された[37]。フローニンゲン大学とバレンシア大学での研究では、魅力があり、肉体的に優位で、社会的に力を持つライヴァルに対してもっとも不安を感じていた男性は、自分たちの身長が高ければ高いほど、嫉妬を感じにくかった[38]。この研究では、ほとんどの女性は他の女性の身体的魅力に嫉妬を感じていたが、中ぐらいの身長の持ち主はほとんど嫉妬を感じにくかった[39]。オランダとスペインの研究者によって作成された報告では、平均的な身長の女性はもっとも繁殖力が強く健康的な傾向にあるから、似た特徴を持つ女性に対して脅威を感じにくい傾向にあったと述べられている[40]。
アメリカ精神医学会の公式月刊誌である『American Journal of Psychiatry』に発表された調査結果によれば、スウェーデン人男性では身長の高さと自殺率の高さに強い負の相関関係があることがわかった[48]。これは、成人男性の精神障害の原因に子供時代から晒されていることの重大さの表れかもしれないし、低身長の男性が成人になってから生活の中で直面するスティグマや差別を反映しているのかもしれない[48]。1,299,177人のスウェーデン人男性を18歳から、最大で49歳まで追跡し、出生、徴兵、死亡率、家族、戸籍などのデータのレコード・リンケージ(英語版)による研究を実施した[48]。すると、身長が2インチ(5cm)増加すると、自殺のリスクが9%低下することがわかった[48]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BA%AB%E9%95%B7%E5%B7%AE%E5%88%A5
今話題になっている、「米山隆一議員と仁藤夢乃氏と室井佑月氏のアレ」。
選挙後早々にリベラル界隈で内部紛争が勃発、ということで各方面から注目が集まっていますが、これまでも、
といった事例があり、この件に限らず、立憲・共産党とフェミニズム活動家は必ずしも一枚岩でないことがわかります。
そして、こうした話題を見ていて思い起こされるのが、ズバリ「部落解放同盟と、そして日本共産党との対立関係」です。
「社会的弱者や被害者の掘り起こし・組織化に熱心な共産党と、解同の仲が悪い」という事態は、この界隈をよく知らない人間にはなかなかイメージしづらいものがあります。
なので共産党も、あの手の運動には珍しく、真顔でディスっているというわけです。
なお、対立の理由は他にもあり、例えば1965年の「同和対策審議会」答申を巡る評価が解同と共産党で分かれたことも、その一因と言われています。
答申に一枚噛んでいる社会党に近い派閥が答申を評価する一方、共産党や解同共産党派は内閣諮問機関による答申を「毒まんじゅう」、つまり自民党との妥協であると批判。
なんだか「表現の自由」あたりでも散々聞いたような話ですね。
社会運動が自分の支配下である間はとりあえず優しいけど、ヨソが手を伸ばしてこようものなら即手の平返しちゃうと。
しかも、そんなこと言ってた共産党がこないだの選挙では自ら毒まんじゅう食わせる側に回ったのだから、まあなんとも皮肉な話です。
一方、解同側も社会党派を中心に共産党勢力の排除を進めていき、1971年には以下の理論を打ち出します。
その名も「朝田理論」。
半世紀も後のツイフェミの言動までもが全てこれで説明できてしまうなどと、いったいどこの誰が予想したでしょうか。ノストラダムスじゃねーんだぞ
しかし仲の悪い相手にはとことん手厳しい共産党、こちらについても「部落民以外はすべて差別者=部落排外主義」と批判を加えています。
米山先生おっしゃるところの「フェミニストイズム」も、これに当てはまるかもしれません。
それにしても「当事者・活動家至上主義と先鋭化が極まった結果、共産党のオルグすら拒んだ」というのは、いろいろと示唆に富むものがあります。
(まあ、「社会党vs共産党の争いで社会党側が勝った」と言ってしまえばそれまでなのですが)
様々なものを一方的に燃やされてばかりの男オタクの立場からは観測しづらいかもしれませんが、
実はそごうやルミネ、TOKYO女子けんこう部などの事例を振り返ると、むしろ「女性に媚びているはずの広告がなぜか炎上」したケースも結構多いことがわかります。
それも「『けんこう』が平仮名なのは女性をバカにしている!」などと、まさに令和最新版朝田理論の全力ブン回し。
いったい何が差別にあたるのか、もはや当事者と中国王朝の暴君以外に判別がつかないレベルです。
1000のうち1か2でも気に食わないことがあるとすぐ糾弾会をおっぱじめるバーサーカーぶりからは、やはり『血だるま剣法』的な何かを感じずにはいられません。
と、解同に対する批判の多くがなぜか現在のツイフェミにもブッ刺さる、というまことに面白い結果になったわけですが、
私は彼ら彼女らの暴力的な性格、先鋭化や偏狭さはともかく、運動のあり方自体を批判するつもりはありません。
社会運動は特定の党派の持ち物ではないし、自分の要望を実現してくれるなら誰と手を組んでもいい。
むしろ、リベラリズムからアベヤメロまでいちいち全部ワンパッケージにしなければ気が済まない風潮の方が、ぶっちゃけよほど不自然ではないでしょうか。
まあどうでもいいんだけど実父がホストで実母を捨てて
俺も産んだら捨てられて施設にぶちこまれたって感じだったらしい
父さん母さんは俺が傷つくのではと恐る恐る伝えてくれたが
俺がまず最初に、そして一番びっくりしたのは25年以上前からホストがあるのかよってこと
ネットで調べてみたらバブル世代あたりの1986年〜1991年くらいがホスト最盛期といわれており
伝説のホストと言われる人がホストになったのは1967年らしい
ええ…
今のホストっていうと髪ブリーチしてカラコン入れてメイクしてLINEしてSNSしてっていう感じで頑張ればそこそこいけるのかもしれないけど(めちゃくちゃ大変だろうが)
一体どうしてたのよ
医学生物学論文の70%以上が、再現できない! | Vol. 10 No. 11 | Nature ダイジェスト | Nature Publishing Group
心理学の研究結果、6割以上が再現不可能 検証調査 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
[B!] 足利事件菅家さんが刑事補償請求 再審無罪で8千万円 - 47NEWS(よんななニュース)
福島章教授が足利事件の精神鑑定録音テープを破棄した心理 : 少年犯罪データベースドア
松木 洋人
大貫 挙学
「所謂変質状態ノ基礎状態テアル生来性神経衰弱症」「表面柔和ニ見イナカラ内心即チ無意識界ニハ残忍性『サディスムス』的傾向ヲ包蔵シテ居リ両極性相反性ナル性格的傾向ヲ顕著ニ示ス」と鑑定した
1952年 5月31日 控訴審終了。Nに懲役15年の有罪判決。
1981年 4月27日 青森地裁弘前支部で一審終了。Nが部分勝訴。
事件あるところに法医学ありと、東大法医学教室の歴史の中で、数え切れないほどの鑑定書が作成され、法廷で証言がなされた。
松山事件、下山事件、財田川事件…。戦後の再審、無罪事件を中心に、東大法医学教室の事件簿から"恐るべき証人"の声を聞く。
第3章 下山事件
第7章 DNA鑑定
庵野が「シン・ウルトラマン」&「シン・仮面ライダー」が控えていることもあり、
かなり濃ゆい昭和特撮談義に花が咲いていて非常に興味深かった。
あの二人のクリエイティビティの源泉は昭和特撮だ、と言ってしまっても過言ではないと思う。
さてここで本題。
はてなに多い昭和50〜60年くらい生まれの世代の連中は学生時代に少年ジャンプが
全盛期だったせいか、とかくアニメと漫画ばかりを必要以上に過剰に持ち上げて、
当時洋画に押されて元気が無かった日本特撮を幼稚だショボいだとメタクソに貶す輩が多い。
この世代より生まれが5年以上早いと昭和特撮は本放送・再放送で目にしてることが多いし、
5年以上遅いと平成特撮をテレビなり劇場で見たり、あるいは昭和特撮を
レンタルで見てきた連中も多く、そこまでの拒絶感や蔑視はほとんど感じない。
最近の子供もサブスクで新旧作品が観られる分、日本特撮リベラルと言ってもいいと思う。
年寄り除くとこの限られた世代だけが日本特撮を取るに足らない低俗なモノとして、蛇蝎の如く嫌ってる。
その時期にノリダーとかゴレンジャイやってた悪影響もゼロじゃないけど、
それにしても嫌い方が酷推ぎてこの世代にあんまり近寄りたくないんだよな。
そのくせ日本特撮オタクのタランティーノやティム・バートン、最近なら
ジェームズ・ガンやギレルモ・デル・トロなんかの作品は神の如く崇めたりしちゃってさ。
それこそエヴァやシン・ゴジラもそう。お前らが好きなもんの構成成分に日本特撮は相当含まれているんだ。
一旦、色眼鏡を外して純粋に作品として楽しもうや...って言っても、もう無理だろな。彼ら既に中年に差し掛かってるから。
追記:
なんかワクチン打ちに行って一休みしてる間に思いの外、伸びてた。
脊髄反射で「ショボい」を連呼する輩たちがワラワラとさ。こいつらだよ、俺が糾弾したいのは。
なんつうか「特撮」と聞くと単に映像技術の事と捉えてるんだよな。
特殊技術が現代視点から見るとショボいという表層的な事で作品そもそもの価値や優劣が決まると信じ込んでる。
俺が言ってるのは撮影技術は勿論、緻密なデザイン・ストーリー、設定・世界観構築なども含めたトータルの話なわけ。
先の対談で松本が触れてたように、ウルトラセブンは地球人=善、宇宙人=悪という構図に常に疑問を投げかけてた。
すなわち「正義vs悪なんていうキリスト教的二元論はそもそも疑ってかかるべき」、という超リアリスティックなスタンスだった。
その思想の権化が「超兵器R1号」や「ノンマルトの使者」というエピソードだ。説明はめんどいからググってくれ。
そら今じゃその手の物はありふれてるだろうが、よく考えてみろよ?1967年製作の子供向け番組だぞ?めちゃくちゃ慧眼だろ。
次作の帰ってきたウルトラマンでは、宇宙人が聴覚障害者の無垢な少年に化けて侵略を企てる、というエピソードもある。
この宇宙人は、周囲の人間には聞き取れないテレパシーで主人公のウルトラマンを挑発し続ける。
「こいつが宇宙人だと叫んで私を引っ捕まえるか?止めとけ。周囲からきちがい扱いされるぞ。ははは。」とか嘲笑ってな。
良識ある大人たちは「聴覚障害者の無垢な少年」を疑って尋問するなんて真似は道義的にまずできない。その弱みを突いた。
ダークナイトのジョーカーも青ざめるような道徳ジレンマを容赦無く投げつけてくるわけ。これで1971年製作ね。
俺が見て欲しいのはこういう根っこや芯、いわば思想の部分である。上っ面でバカにしたり、貶すのはやめろ、って話だ。
あと、その時期には戦隊やメタルヒーロー、平成ゴジラがあっただろって指摘。これはごもっともだ。
でも、この辺を幼年期に熱心に見てたのにも関わらず、貶す奴が異様に多いんだよ。
追及してくと「あ、サンバルカンは見てたわ・・・」とか「ごめん、ギャバン好きだったかも・・・」とか白状するんだよね。
多分通過儀礼として特撮は「卒業」して、洋画やアニメに流れるっていうしきたりがあったのでは、と勝手に推測しているが。
俺の周囲だとガンダムとかリアルロボット好きな奴に多いんだよな。俺はガンダムも普通に好きだからその手の発言に出会う度に悲しくなる。
その時期のビデオ劇場オンリーのウルトラマンや仮面ライダー挙げてる奴いるが、流石にそれ系は観る人が相当限られてたと思うぞ。
俺も好きだけどね。パワードとかZOとかさ。でも悲しいけど、一般知名度は無いに等しいよ。誰も知らないよ、ケイン・コスギがウルトラマンだったなんて。
追記2:
一例として挙げたまでだよ。そんくらい分かるでしょ。俺だって話したいよ。
例えば大魔神のミニチュアの素晴らしさとかスペクトルマンの毒々しい怪獣デザインとか、
メタルダーの凱聖クールギンの常軌を逸した格好良さについてとかさ。
でもそんなマイナーなこと長々と書いても誰も見ないっしょ。
10年で区切った上に前後5年約20年間の世代を一括にしてバカにした上で
俺の周囲だと異様に多いって観測範囲も狭いし、全トラバ16個でブコメも超拡大解釈してもせいぜい悪く言ってるの10個そこらなのに
https://anond.hatelabo.jp/20210404105223
「絵やデザインが古すぎて見たくもねえわ」「ショボいしダサいし興味ない」
「でも幼稚だからな」その手のトラバやブコメはほぼほぼ見受けられないんだよな。
俺が指摘してるのはこの扱いの違い。印象だけの思考停止で否定する奴の多さよ。
俺がマイナス方面の問いかけをしたからマイナスの反応が返ってきたと言わんばかりだけど、
実際特撮が良い方面で話題になってもこれとさして変わらない反応が毎度の如く見受けられるからな。
他にも「そんな奴見たことねえよ」とか言ってる奴がいるが、ほら現に居るだろうがよ、って話。
戦力差が10倍以上のもののみ取り上げています。随時更新中 ★は(戦術的)勝者側
多くのコメント・ブクマありがとうございます。 コメントで私が知らなかった戦いについて教えてくださった方ありがとうございます。https://anond.hatelabo.jp/20210708183653こちらも参照ください
B.C.480 ペルシア戦争 ギリシア軍7000vs★ペルシア軍30万以下
スパルタ王レオニダス指揮下のギリシア連合軍がペルシア軍の大軍と激突した。狭い地形を活かし、3日間の激戦を繰り広げるが、背後から攻撃され敗北した。この戦いでギリシア軍は1000人、ペルシア軍は2万人の兵士を失った。
・彭城の戦い
漢軍が彭城を制圧した事を知った項羽は精鋭部隊を率いて漢軍を襲撃した。攻略に成功したことから油断し、酒宴に明け暮れた漢軍は突然の事態に太刀打ちできず20万人以上が戦死した。
23年 ★緑林軍1万vs新43万
劉秀率いる緑林軍が新軍に包囲される。劉秀は脱出し、外側から新軍を襲撃して壊滅させた。
ブーディカ女王率いるケルト人がローマの支配に対して反乱を起こした。ローマ軍は反乱軍を狭いワトリング街道に誘い込み、これを破った。ローマ軍の死傷者はわずか400人であったのに対し、反乱軍の死傷者は8万人であった。
・博望坡の戦い
劉備軍と曹操軍が宛で対峙する。劉備は撤退したと見せかけ、誘われた夏侯惇を撃破した。李典の援軍が来るとみた劉備は兵を引き、曹操軍も撤退した。
383年 五胡十六国時代 ★東晋軍8万5千vs前秦軍117万
華北統一に成功した前秦が東晋征服のために大軍を派遣する。前秦軍は敵軍を誘うため、先鋒を退却させる作戦をとるが、兵が混乱して退却を止めなかったため、そこを突かれて敗北した。
・チェラーミの戦い
アラブ人の支配下にあったシチリアにルッジェーロ1世率いるノルマン人が侵入、イスラム教徒を撃退した。アラブ軍は戦力の7割を失ったとされる。
・黄天蕩の戦い
韓世忠とその妻梁紅玉率いる南宋軍が金軍を打ち破り、2万5000人を討ち取った。
屋島で破れ、志度寺に立て籠もった平氏を源義経が追撃した。平氏は大軍が後に続くとみて敗走した。
・下赤坂城の戦い
楠木正成は下赤坂城に籠城し、幕府の包囲にゲリラ戦で1ヶ月以上抵抗した。城は陥落したものの、幕府は楠木正成と護良親王を討ち損ねた。
1333年 元弘の乱 ★楠木軍1000vs鎌倉幕府2万5000
千早城に立て籠もった楠木軍は幕府軍に包囲されるも、3ヶ月に渡って抵抗した。気が緩んだところを奇襲するなどの奇策で消耗した幕府軍は攻略を諦め、撤退した。
・船上山の戦い
1333年 元弘の乱 ★後醍醐天皇軍150vs鎌倉幕府3000
後醍醐天皇が隠岐の島から脱出すると伯耆国の武将名和長年が挙兵し、隠岐国守護佐々木氏を攻撃した。名和軍は数百の軍旗を見せつけて威嚇する、暴風雨に乗じて攻撃するなどの戦法で幕府軍を破った。
倭寇に悩まされた朝鮮はその本拠地と見なした対馬へ討伐軍を派遣するが、宗氏の抵抗に遭い撤退する。対馬側は100~200人、朝鮮軍は3000人ほどが戦死した。
・ビルスの戦い
1444年 旧チューリッヒ戦争 スイス軍1500vs★フランス軍3万~4万
スイス軍がチューリッヒを包囲したことにより、フランスと戦争に突入した。スイス軍は数で勝るフランス軍と死闘の末に壊滅するが、フランス軍は2000人の損害を被った。この戦いによりスイス人の勇敢さがヨーロッパ各地に知れ渡った。
・土木の変
1449年 ★オイラト軍3万vs明軍50万
明の正統帝は自ら大軍を率いて、オイラトの征伐に向かう。しかし、食料配達の困難や大雨により明軍は士気が低下しており、そこをオイラトに奇襲された。明軍はほぼ全滅し、皇帝も捕虜となった。
・九頭竜川の戦い
越前制圧を目論む一向宗と朝倉軍が九頭竜川を挟んで対峙、朝倉軍は夜襲により一向宗を撃退した。
・セントラの戦い
1519年 スペインのメキシコ征服 ★スペイン軍410vsマヤ軍1万~4万
征服者コルテス率いるスペイン軍がマヤの大軍と交戦。マヤ軍はスペイン人の軍馬に恐れをなして敗北した。スペイン軍の犠牲はわずか2名だが、マヤ軍は800の犠牲を出した。この戦いでコルテスは後の妻にして翻訳者としてアステカ征服に貢献するインディオの女性マリンチェを得た。
・オツンバの戦い
1520年 スペインのメキシコ征服 ★スペイン・トラスカラ連合軍 7~800人vsアステカ軍4万
アステカ軍はスペイン軍の侵略を一度退けることに成功した。その後、大軍を率いて追い打ちを試みる。しかし、初めて見る軍馬の威力に恐れ戦き、指揮官を含む大勢が戦死したため敗走した。この戦いの後コルテスはアステカを滅ぼした。
・プナの戦い
1531年 スペインのペルー征服 ★スペイン軍168vsプナ先住民3000
スペイン軍がインカ帝国征服へ向かう途中、プナ島で先住民と交戦するが、銃と馬の威力でこれを打ち破る。
・ディーウ包囲戦
1538年 オスマン・ポルトガル戦争 ★ポルトガル軍600vsオスマン・クジャラート連合軍2万2000
ポルトガル軍が連合軍に包囲されるも、3ヶ月の籠城戦の末にこれを退けた。ポルトガル軍の死傷者は40名に対し、連合軍の死傷者は3000名。
・スィゲトヴァール包囲戦
1566年 ハンガリー軍2000~3000vs★オスマン軍10万~30万
ウィーン遠征へ向かうトルコ軍がクロアチア総督ズリンスキ率いるハンガリー軍を包囲。1ヶ月にも及ぶ激戦の末に防衛軍はほとんど全滅したが、トルコ軍にも2万人の犠牲者が出た上、スレイマン1世が陣没したため、撤退を余儀なくされた。リシュリューはこの戦いを「文明が救われた戦い」と称えた。
・今山の戦い
1570年 戦国時代 ★龍造寺軍5000vs大友軍6万~8万
佐賀城に籠城した竜造寺隆信を大友宗麟率いる大軍が包囲する。攻防戦は4ヶ月にも及び、落城は目前に迫ったが、大友軍が勝利を確信して宴を催したところを奇襲し、これを破った。
・木崎原の戦い
島津軍は数で勝る伊東軍を伏兵に背後を突かせることで破った。島津軍は275人が犠牲となったが、伊東軍は指揮官の伊東祐安含む800人以上が戦死した。この戦いは後の島津軍の戦いにおいて参考にされ、九州制覇に貢献した。
信長は石山本願寺に味方する雑賀衆の討伐を試みるが、雑賀衆は1ヶ月にも及ぶゲリラ戦でこれを退け、両者の間に和睦が成立した。
・天目山の戦い
1582年 戦国時代・甲州征伐 武田軍43vs★織田軍3000~4000
織田軍に追い詰められた武田軍の最後の戦い。武田軍は奮戦虚しく壊滅し、武田勝頼は自害したが、織田軍にも900人近い死傷者が出た。
・沖田綴の戦い
1584年 戦国時代 ★島津・有馬連合軍6000vs龍造寺軍6万
連合軍は数で勝る龍造寺軍を釣り野伏せで破った。この戦いで総大将竜造寺隆信は戦死した。
・岩屋城の戦い
島津軍は筑前を攻めた際、高橋軍の籠城する岩屋城を攻略した。高橋軍は講話の提案にも応じず、激戦の末に全滅した。島津軍は4500以上の死傷者を出した。
・忍城の戦い
1590年 戦国時代・小田原攻め 成田軍2000vs★豊臣軍2万~5万
石田三成ら率いる大軍が忍城を包囲し、水攻めを行うも、成田軍はそれに耐え、北条氏が滅亡した後に降伏した。
・四川の戦い
1597年 慶長の役 ★島津軍2000vs明・朝鮮連合軍10万
島津義弘率いる日本軍が明軍に包囲されるも、これを返り討ちにした。日本軍の勝因として、鉄砲を使用したこと、明軍の食料庫を焼くことで短期決戦に持ち込んだこと、連合軍の統制がとれなかった上に圧倒的な兵力差故に慢心していたことが挙げられる。
田辺城に立て籠もった東軍を西軍が包囲するが、東軍には文化人細川幽斎が居たため、西軍は積極的な攻勢が出来ず、2ヶ月ほど釘付けになった。最後は後陽成天皇の命で開城したが、西軍は関ヶ原の戦いには間に合わなかった。
関ヶ原へ向かう徳川秀忠指揮下の東軍が真田昌幸率いる西軍と交戦した。足止めを食らった東軍は関ヶ原に間に合わなかった。
1762年 七年戦争 ★スペイン軍100vsイギリス軍2000
イギリス軍がニカラグアの処女降誕要塞を包囲するが、スペイン軍は19歳の少女ラファエラ・エレーラの指揮下で奮戦し、砦を守り抜いた。
・アラモの戦い
1836年 テキサス独立戦争 テキサス軍200vs★メキシコ軍4000
当時メキシコ領であったテキサスに移住したアメリカ人がメキシコに対して反乱を起こした。アラモ砦に籠城したテキサス軍はメキシコ軍の包囲に対し13日間持ちこたえた末に全滅した。
・雨花台攻略戦
湘軍によって要塞化された雨花台を太平天国軍が5ヶ月にわたって何度も攻撃するが、落とせず1万の兵力を失った後に攻略を諦めた。
サビーネ湖とメキシコ湾を繋ぐサビーネ・パスを防衛する南軍が北軍の攻撃を受けるも、これを撃退する。北軍は100名が死傷し、350名が捕らえられた。
・カマロンの戦い
1863年 ナポレオン三世のメキシコ出兵 フランス外国人部隊65vs★メキシコ軍2000
65名の外人部隊は現金300万フランを輸送する部隊の護衛を任されていた。メキシコ軍の大軍の前に破れ、43名が戦死、19名が捕虜となったが、輸送部隊は目的地へ現金を届ける事が出来た。
1879年 ズールー戦争 ★イギリス軍150vsズールー軍3000~4000
ロルクズ・ドリフトの伝道所跡に築かれたイギリス軍の砦をズールー族の大軍が襲う。イギリス軍は2日間の激戦に勝利し、ズールー軍は800名以上の死傷者を出した。
・アブ・クレアの戦い
1885年 マフディーの乱 ★イギリス軍1100vsマフディー軍1万2000
ゴードン将軍の救出に向かうイギリス軍とマフディー軍が激突し、マフディー軍は1100人の死傷者を出して敗北した。
・アブ・クルの戦い
1885年 マフディーの乱 ★イギリス軍1200vsマフディー軍1万4000
ゴードン将軍の救助に向かうイギリス軍がマフディー軍と交戦し、勝利した。マフディー軍の損失は明らかではないが甚大であるとされる。
盧溝橋付近で日本軍の夜間演習中に日本兵一人が行方不明になる。日本軍がこれを理由に中国軍を攻撃し、破った。この事件が熾烈な日中戦争のきっかけとなった。
・タラワの戦い
1943年 太平洋戦争 日本軍2600vs★アメリカ軍3万5000
タラワ環礁ベティオ島を防衛する海軍部隊とアメリカ海兵隊が激突した。島は3日で陥落し、守備隊は玉砕したが、米軍も3000人が死傷し、軍への志願率が一時的に減少した。
・拉孟の戦い
1944年 日中戦争 日本軍1300(うち傷病兵300)vs★中国軍2万
日本軍と中国軍が3ヶ月にわたって交戦し、日本軍が全滅した。中国軍は8000人が死傷した。
・騰越の戦い
日本軍と中国軍が3ヶ月にわたって交戦し、日本軍が全滅した。中国軍は2万人が死傷した。
・アンガウルの戦い
1944年 太平洋戦争 日本軍1250vs★アメリカ軍2万1000
日本軍歩兵第59連隊第1大隊が守備するアンガウル島をアメリカ軍第81歩兵師団が攻略した。1ヶ月以上にも及ぶ激戦の末に日本軍は玉砕したが、米軍も2000人死傷した。
・一江山島戦役
1955年 第二次国共内戦 国民党軍700vs★共産党軍7000
人民解放軍が一江山島に侵入、2日で占領した。台湾軍は全員が戦死するか、捕虜となったが、解放軍にも2000人の死傷者が出た。
・ロングタンの戦い
1966年 ベトナム戦争 ★オーストラリア軍108vsベトコン2500
ベトコンがオーストラリア軍を襲撃するも、撃退された。オーストラリア軍は42名、ベトコンは600名が死傷し、双方が勝利を主張した。
参考作品「デンジャー・クロース 極限着弾(クリフ・ステンダーズ監督)」
・ロンゲワラの戦い
1971年 第三次印パ戦争 ★インド軍120vsパキスタン軍2000
ラジャスタンのロンゲワラ村でパキスタン軍とインド軍守備隊が交戦。インド軍は航空機の支援を得て、パキスタン軍を破った。パキスタン軍の死者200名に対し、インド軍の死者は2名ほどであった
1993年 ソマリア内戦 ★多国籍軍160vsソマリア民兵2000
アメリカ、マレーシア、パキスタンからなる多国籍軍が、民兵のリーダーであるアイディード将軍の側近二人を逮捕すべく派遣され、民兵と交戦状態になった。民兵は数百人が死傷し、多国籍軍は目的を達成したが、100名以上が死傷した。
参考作品「ブラックホーク・ダウン(リドリー・スコット監督)」
オッカム擁護する人も批判する人も「オッカム個人の素朴な感想」が本当という点は疑ってなさそうだけど本当とは限らないから
ツイートではあっさり触れられているが、
というまあまあの量の情報を、それも「皆さん」のぶん手に入れたらしい。
https://www.issjp.com/tsuyaku/system
多分3、4人いたのだろう。それを全員分である。(2人しかいないなら"皆さん、専業主婦だった"とは普通言わないと思う)
現代ならネットがあるから後で通訳の名前で検索してブログ見つければいろいろわかるかもしれないが、
オッカムはhttps://twitter.com/oxomckoe/status/1397675703768731649 にあるとおり1971年生まれなので北大助手時代に通訳者の情報をネットで調べることは多分できなかっただろう。
通訳派遣業者が通訳の個人情報をホイホイ明かすわけはないから、オッカムは通訳者と直に会話してこの情報を手に入れたはずである。
せっかく世界中から同じ分野の人が集まっているのに、通訳とのおしゃべりに夢中になっている研究者など想像もできない。
通訳から似たような身の上話を聞いた研究者が大勢いるはずである。
もしいるならばオッカム嘘つきかもしれない説は完全に間違いなので取り下げて謝罪しようと思う。
オッカムが初対面の"高学歴と語学力でキャリア志向のない妻"と例外的に話を弾ませられる社交的な人ならば、"迎えることは想像もできな"いわけないだろう。
"一月に2〜3日しか太陽の出ない土地でガリ勉" "一回ゼロにしないと俺はもうこの世では浮かび上がれない"などといかにも内向的で暗い人間のように自己紹介するのはおかしい。
(太陽が出ないことと暗い人間かどうかは関係ないと思うがオッカム自身はこれを自分の暗さ不器用さを表すために使っているようだ。まるで葬式シーンで雨を降らせるように)
それともオッカムはふだんは内気で女とまともに話せないのに通訳とだけは積極的に話せたのだろうか? 絶対ありえないとは言わないが考えにくい。
「A君は栄養バランスのとれた健康的な食事をとっていました。なおプロテインの話は置いておきます」とか言ってる人がいたら完全に嘘だし、
「細いベルトをつけている人が多かった。なおファッションの話は置いておきます」でも嘘だし
「なんと、全員主婦でした。彼女らの旦那。妻を迎えられない。なおジェンダーの話は置いておきます。」も嘘だ。置くどころか積極的に取り上げている。
これが仮に
「Bさんは女性だったので薬を処方する前に妊娠しているかどうか確かめる必要があった。なおジェンダーの話は置いておきます」なら生物学上の性にのみ着目しているんだろうとわかるが
主婦とか旦那とか妻とか社会的な性を出してきてジェンダー置いておくは無い。
オッカム擁護する人は「オッカムは地方と東京の格差について語っているんだ。ジェンダー格差の話はしてないんだ」と言ってるみたいだけど、
連続ツイートhttps://togetter.com/li/1724936 で地方と東京の差について言及してるのは1,3,6ツイ目、ジェンダーについて言及してるのが2,3,4,5ツイ目だからジェンダーの方が重視されてるように見える。旦那だの妻だのは言うのに地方での学歴事情は説明しないツイが東京地方格差に着目してるなどと言われても困る。
あとオッカムがどれだけ地方東京格差に注目してるかどうか怪しい。前半の"北北海道の辺境出身の私にはあまりにもイカツイ学歴の持ち主"は確かに北北海道には高学歴が少ない、地方東京格差は存在するんだという主張とわかるが
後半のまとめ部分に位置する"高学歴と語学力でキャリア志向のない妻を迎えることは想像もできなかった"は東京(の男)と北海道(のオッカム)のどういう違いを指してるのか文章からでははっきりしない。北海道の平均的学歴はともかくオッカム個人は北大だから高学歴だし"研究者としては、彼女らの旦那(が研究者だった場合)を凌ぐことができるかも"とも言っているので学業面を指しているのではないことは明らかだ。
それなら別の面での格差かもしれないが、学業面以外の地方東京格差にオッカムは言及していない。だから"彼女らの旦那"とオッカムを隔てる"絶対に勝てない"壁が東京地方格差に由来すると主張しているとは読み取れないのだ。
ネットのトレンドはよく知らんが「学歴差別は差別ではない」なんて理論は聞いたことないな。そもそも、能力主義批判なんて左右ともにほとんどやってなくて、極レベルの低いものか、極レベルの高いものが散発的に現れてるだけだと思う。
自分の知っているもので言うとイヴァン・イリイチの『脱学校の社会』が1971年に出てる。「階級社会を放擲するために制度としての学校を排除せよ」という主張はあまりにラディカルすぎて、この議論はそれほど発展しなかった。もちろんイリイチはゴリゴリの左翼。
最近でも、中学生のYouTuberが登校拒否宣言して、批判したのは左右に限らなかったと思うので、状況はそれほど変わっていないんじゃないだろか。どちらかと言うと保守系の方が批判が苛烈だった気さえする。
個人的な感情で人種差別と書いてしまったが、マレーシア政府からするとマレー人優遇政策らしい。が、正直人種差別だとしか思えないのでタイトルではそう書いた。
マレーシアは多民族国家である。2018年のデータでは、マレー系69%、中華系23%、インド系7%という人口構成比となっている。
中華系マレーシア人は19世紀ごろに中国南部から渡ってきて定住している人たちや、植民地時代に労働者としてヨーロッパ諸国に連れてこられた人たちの子孫である。
今回は主にマレー系マレー人と中華系マレー人の断絶について語っていく。
あくまで全体的な傾向だが、マレー系の人は良くも悪くもおおらかである。細かいことは気にせず、10時に始まる授業が始まるのは11時だったり、12時だったり、15時だったりした。基本約束は守らず、お店の人はずっとスマホを見ていたように思う。
一方中華系の人は、勤勉な人たちが多かった。何事にも一生懸命、留学したり、インターンをしたり、積極的な人が多かった。
全く違う性質を持つ2つの民族間の断絶は大きかったと思う。仲が悪いわけではないが、少なくとも私が住んでいたクラスの席は人種ごとに分かれ、ランチも、ショッピングも、人種が交わったグループで行われることはなかった。日本人の私は、マレー系の人からは「中華系の人たちは働きすぎて余裕がない。あんな働いてどうするんだろう」と、中華系からは「マレー系の人たちはあんなに怠惰でひどい」とよく言われていた。
こうしたことから生まれるのは経済的格差である。マレーシアは資本主義をとっているので、勤勉に働く人がお金を得られる。つまり、多くの経験をつみ、起業したり大企業で働く人の多くは中華系である。こうしたことで、経済を回すのは中華系の人々で、マレー系の人々は農業などの一次産業に従事するという構図が出来上がった。
ここに待ったをかけたのがマレー系の人々で、マレー系の人々を優遇することで、マレー系の地位を守ろうとした。そのための政策が1971年にうまれたブミプトラ政策である。
教育は、日本で言えば高校入試において男女別に枠を設けているのと同じようなものだ。こうした場合、性別ごとの最低合格点が異なることで不公平が生じることがある。マレーシアの国立大学では人種ごとの合格枠の比がその人口比とかけ離れているため、優秀な中華系が大学に落ち、マレー系ばかりが合格するということが多発した。
就職は、中華系の人には職業選択の自由が保障されていないということだ。中華系の人は、公務員にはまずなれない。もしなれても昇給などで不当な扱いを受ける。私の友人の中華系マレーシア人も、子供の頃から警察官に憧れていたが、途中で自分はなれないことを知って、その時はとても悲しかったと言っていた。
減税はそのまま、マレー系の人たちは車や家に関する税がかなり優遇されている。低金利ローンや住宅購入時の割引などもある。また、会社もマレー系の人が経営している場合はかなり税金の優遇措置がある。(中華系の人は、無能はマレー系を人形としてトップとしておけばいい、なんてジョークをよく言っていた。)
国際的な批判(マレーシアは人種差別撤廃条約を批准していない)や、中華系(や、とばっちりで差別されているインド系)の人たちの反発があり、ブミプトラ政策の緩和を推進する動きもある。
しかし、マレーシアは民主主義国家であり、マレー系の人口は全体の69%であることから、ブミプトラ政策の緩和という政策は話題になっては消えるということを繰り返してきた。
最近では2019年に選挙の結果首相となった93歳のマハティール氏の支持率は当初79%であったが、ブミプトラ政策を見直す姿勢を明らかにしてから、下院議員や州議会議員の補選で与党は3連敗し、支持率も39%まで低下し、デモも多発した。
もともとマハティール氏は昔も首相であったが、その際もブミプトラ政策の見直しをしようとして野党に転落した。
こうした背景もあり、実際ブミプトラ政策の撤廃は難しく、もし撤廃される日が来るとしてもそれはかなり先のことだろう。
マレーシアのことだから差別的だと思ってしまうが、他の国から来た何世とか言われる人たちが日本の富のほとんどを持っていて、政治的主導権も持ってたら、多分私もそれを良しとは心から思えないから。
なんでそういうデマを広げるんですか?
リュート奏者の佐藤豊彦さんが最初のLPを出したのが1971年で、ハーグ王立音楽院教授に就任したのが1973年です。
そして、有田正広さんがブルージュ国際音楽コンクールのフラウト・トラヴェルソ部門でダントツで第1位を取って賞賛されたのが1975年ですよ。
同じ時に東京リコーダー・カルテットがリコーダーアンサンブル部門で優勝しました。山岡重治さんらのグループです。
有田正広さんは、その後70年代中からコレギウム・アウレウムのメンバーとなって活躍されてました。後には18世紀オーケストラなどにも参加。
また、オトテール・アンサンブルの活躍開始も70年代です。アルヒーフからレコードが出てましたね。(今はCD)
中世の音楽についても、皆川達夫さんの主催する中世音楽合唱団がありましたし、岡本一郎さん主催のダンスリー・ルネサンス合奏団の結成も70年代(1972年?)でした。
その後、主な団体だけでも、東京バッハ・モーツァルト・オーケストラの活動開始が80年代。バッハ・コレギウム・ジャパンの活躍開始が90年代、ヴォーカル・アンサンブル カペラの活動開始も90年代です。
1964年から1967年まで4年連続二桁勝利。スワローズ通算48勝。
1966年から1969年まで4年連続二桁勝利。スワローズ一筋で通算70勝。
V9を謳歌する巨人とは対照的に、1967年から1974年までの8年間で5回の最下位。
1965年に広島カープへ入団して、プロ初勝利がノーヒットノーラン。
1968年に21勝を挙げてエースとなると、1976年まで8回の二桁勝利を挙げる。
カープ一筋で通算131勝。キャリアで3回のノーヒットノーランを達成した。
1982年に12勝を挙げると、そこから6回の二桁勝利を挙げた。スワローズ一筋で通算112勝。
尾花と並ぶエースとして5回の二桁勝利。スワローズ一筋で通算85勝。
1997年に10勝して以降、ベイスターズ一筋で7度の二桁勝利。通算184勝。