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2024-03-08

「泥のように眠る」の「泥」は生物ことなのか?

まず、土と水の混合物という意味での「泥」(以下「ドロ」と書く)ではない、生きものとしての「泥」(以下「デイ」と書く)については、中国の沈如筠が書いた『異物志』という書物で紹介されているという。

泥为虫名。无骨,在水则活,失水则醉,如一堆泥。

泥は虫の名である。骨がなく、水に在ればすなわち活き、水を失えばすなわち酔う、一堆の泥のごとし。

『能改斎漫録』『夜航船』などにも同様の記述がある。なぜ「水を失えば酔う」のかといえば、言い伝えによると「デイ」は身体から酒を分泌しているので、周囲に水が無くなると自分の酒で酔って、ドロのようになって死んでしまうかららしい(が、この言い伝えソース不明なので信用できるかどうか)。おそらくナマコクラゲのようなものを指しているのではないかと思われる。

「酔如泥(泥の如く酔う)」という表現の初出は『後漢書』の周沢伝だ……という説が一般的なのだが、現在の『後漢書』の原文にはそういった表現はない。この周沢はとても生真面目な人で、祭祀管理する「太常」という役職に就いてから毎日のように斎戒をしており、彼が病に倒れたときに妻が見舞いにくると「斎戒中に妻子と触れてはいけない」と言って妻を投獄してしまうほどだった。そこで人々は「生世不諧,作太常妻,一岁三百六十日,三百五十九日斎(この世に生まれて楽しくないのは太常の妻になることだ、1年360日のうち359日は斎戒しているからずっと会えない)」と歌ったのだった。

この「三百五十九日斎」のあとに「一日不斎酔如泥(残りの一日は斎戒せずに泥のように酔っている)」という文章がくっついていることがあるのだが、それがどうも後世に補われた部分らしい。正確には唐代注釈後漢書李賢注)に「『漢官儀』にそう書いてあった」と書かれているとのこと。

たとえば唐代詩人李白は、

三百六十日 日日酔如泥 雖為李白婦 何異太常妻

私は360毎日泥のように酔っているので、あなた李白の妻だと言っても太常の妻と変わらない

と周沢の逸話を踏まえた詩をよんでおり、その頃には「酔如泥」という言い回しが広まっていたことがわかる。周沢が1世紀の人なので、ざっと700年くらいが経っている計算になる。なお先述の『異物志』も唐代、『能改斎漫録』は南宋代、『夜航船』は明代書物である

で、この「酔如泥」の「泥」は実は「ドロ」ではなく「デイ」を指しているのだ!……という説はどうやら中国でも根付いているようで、古くは『能改斎漫録』や『夜航船』においても「デイ」の説明と周沢の逸話併記されている。だが併記されているだけで何か解説が述べられているわけではない。

現代中国ネット上でも「実はドロではなくデイのことなんだよ」という雑学ネタ散見されるが(ということは中国人の多くも「ドロ」のことだと思っているのだろう)、いずれの記事も「古い本のなかでデイという生物が紹介されてるよね」「昔から『酔如泥』という言い回しがあるよね」「だからこの泥というのはデイのことなんだよ」というちょっと怪しげな論法であり、やっぱりウソ雑学なんじゃねーのと疑う気持ちを抑えきれない。

ちなみに日本ではどのように受容されていたのかと思って検索してみたが、天保年間に出された『燕居雑話』のなかで、『能改斎漫録』などを引用しつつ「蟲名とせしもたしかなる所見なし」「さして難解ことにはあらぬを斯る迂遠なる説を本説とするも奇なることなり」などと書かれていたのを見つけたので、昔の人もそう思っていたんだなあと感慨を覚えるなどした。

ともあれ、本当に「酔如泥」の「泥」が「デイ」に由来するとしても、その「デイ」の名前は「ドロ」に由来するのだから、どちらにしても酔った人間を「ドロ」にたとえているのと変わらないのではないかと思う。

さて、「泥のように酔う」についてはいろいろとわかったが、「泥のように眠る」はどうなのか。

中国語で検索してみると近いのは「酣睡如泥」だろうか。「酣」は「宴もたけなわ」の「たけなわ」のことで「まっさかり」という意味。つまり「酣睡」は「熟睡」という意味になり、全体では「泥のように熟睡する」という言い回しになっている。しかし、こちらの表現については「この泥とはデイのことである」という言説は見つからなかった。おそらく「酔如泥」よりも遥かに歴史が浅い表現なので、あんまり語源が気にされていないというか、「デイ」にまつわる語源説明するなら「酔如泥」のほうが例に取りやすいということではないか

もちろん「泥のように酔うのがデイに由来するのだから眠るほうもデイに由来するのだろう」という類推は成り立つだろうが、逆に言えばそれ以上の根拠はないということだ。つまり「泥のように眠る」には「泥のように酔う」とは別の語源があってそちらのほうは根拠も確かなんだぞ、というミラクルはなさそうである

2024-01-15

世界遺産シルクロード展に行き、疲れた

福岡アジア美術館世界遺産シルクロード展に行ってきた

月曜日だったので人も少なく、わりとゆったり見れた

入口にドーンと今回の展示の関係者として池田大作言葉が飾ってあった

最初は意外に思ったが、長年シルクロード文化には興味を持っていたみたいなことが書いてあり、シルクロード仏教伝来の道でもあるし、仏教由来の宗教家としては関係性が深いものなのかと納得した

また最近亡くなった宗教家コネマネーのおかげの展示なのかと思うと複雑な気持ちになったが、シルクロード神秘から新興宗教までと幅広い展示なんだなと思うことにした

展示の一歩目から金持ちの好事家のおっさんコレクションを見に来たみたいな気持ちにもなり興がそがれたが、もともと古来の名品なんて好事家のおっさんの蔵リレーみたいなところありそうだし、そんなもんなんだろう

展示内容としてはもともとのシルクロード地域的な広さ、飾られた品の制作年代の広さ、関係する文化圏の多さも相まって、出土品や名品を見ながらなんとなくの歴史を追うだけでも大分理解が難しく、これ予習してから来るべきだったなと反省した

ただ、紀元前2世紀から唐代(8世紀くらい)までのシルクロード(6500kmくらいあるらしい。日本国土は3500kmだそう)関連品なので、もうこれより広いカテゴリの展示ってあるのかなとも思った

序盤で頭がついていかなくなったので、キラキラデザインを楽しむ方向で見ることにした

老齢の御夫婦トルコ石で飾られた金の器を見て「見てみ、金ぴかやー」と言っていて、みんなそんなレベルなのかもしれんとなんか安心した

デザインとして気になったものとしては後漢時代の『車馬儀仗隊』

青銅製の杖持った人と馬と荷車のフィギュアセットみたいな感じ

三列くらいに並んでいて、一番後ろの二頭の馬が荷車を引いていたんだけど、明らかに左右で荷車のクオリティが違っていた

向かって左の荷車は板も薄く、引き縄も細く、板同士の溶接部分も最低限で繊細に作られているのに対し、右の荷車は板も太いし、縄も太く反り方も少なく、溶接部もぼってりと盛られていた

そっか設計図とかきっちりしたものがあるわけでもないし、一個ずつがハンドメイドからよく見たら大分見た目が変わるんだなと思った

ただ左の荷車はその細い設計のせいか、荷車の後ろの板部分と馬のしっぽ辺りを釣り糸で結び強度アップしており、大量生産をするなら右の荷車を元に設計図を起こす方がいいのだろう

あとは『妙法蓮華経化城喩品 断簡』の文字が細いところと太いところのギャップが激しく、全体的に平体みたいにつぶれていて、あんまり見ない感じの書体だなと思った

こういう古書由来のフォントってあるのだろうかと思いつつ、漢字だけだし、日本だとあんまりフォントに起こしても使えねえなと思って見ていた

なんか最後日中友好の証として送られてきたらしいラクダはく製が二頭飾られていて、本当に何を見に来たのかわからん気持ちになった

わりと情報量につかれた後、川端通商店街を歩き、櫛田神社に行った

お参りをした後、振り返るといつの間にか拝殿への列に中国人韓国人らしき観光客20人くらい並んでいた

もう頭が疲れていて、アジア―!くらいしか思わんかった

2023-10-27

anond:20231027155454

薬屋のひとりごとモデルになった時代唐代中国ではグラマラスな体型の女性が好まれ、胸元を強調した服がよく描かれ、

中国ドラマなどでもこの時代美女表現するときには胸の大きな女性と胸元を強調した服装で登場させることが通例となっています

表現したい時代に照らし合わせて「おっぱいルッキズム」はむしろ適切なのでは?

解像度が粗い感じの人だと、「おっぱいルッキズム」で思考をやめてしまって、作品が取り扱う時代を調べようともしないようだけど

2023-02-27

anond:20210504195928

中央アジア舞台にした作品は他にもあります。例えば、以下のような作品があります

これらの作品はどれも中央アジアの魅力や多様性を伝える素晴らしい作品です。興味があればぜひ読んでみてください。

2022-07-20

我々はなぜ統一教会が嫌いなのか

近代合理主義者と化した保守

安倍晋三暗殺事件きっかけに統一教会世界平和統一家庭連合)に注目が集まっているが、保守系(反リベラル、反ポリコレ反中韓)に分類できる文化人のなかで、はっきりと統一教会批判を行なっているのが旧2ちゃんねる(5ちゃんねる)関係者ひろゆき山本一郎なのは興味深い

一説によれば、旧2ちゃんねるは一時期、統一教会に乗っ取られかけたという噂がある。この点を抜きにしても、基本的1970年代まれ以下の世代は、保守愛国を唱えていても頭の中は近代合理主義者で、土着的・伝統的な家族観とか道徳観はちっとも好きではないのだ。

無論、1970年代まれ以下の世代でも立場はさまざまだ。

東浩紀1971年生)は統一教会を「カルトかどうか判断できないだけ」と述べてひんしゅくを買った。ただ、これは統一教会擁護というより、スターリニズム連合赤軍のような原理主義的なドグマに陥ることを恐れるあまり、「二項対立に囚われないように判断保留する」というポストモダン思考原理主義的なドグマにしてしまった模様。

一方、三浦璃麗(1980年生)は、何やら統一教会利害関係があるらしい。

https://twitter.com/333_hill/status/1300961546693083137?s=12

http://japanhascomet.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-e4d640.html

東や三浦はさておいても、高度経済成長期以降に育ち、冷戦体制崩壊後に成人した団塊ジュニア以降の世代は、基本的統一教会的なものが嫌いだろう。俺もな。

今では忘れ去られているが、2000~2006年ごろの2ちゃんねるでは、韓国中国民主党だけでなく、森喜朗代表される体育会系マッチョ価値観自民党重鎮も不人気で、平然と皇室コケにする書き込みだって多数あった。非合理的宗教団体は嫌われ、前近代的な家制度の束縛とかブラック企業的な上下関係肯定する主張は評判が悪かった。

かつて2ちゃんねるに大量にいたネトウヨことネット右翼は、なぜ韓国人や中国人を嫌悪したのか? 戦前戦中の日本に対する非難自分個人への非難のように思えた点に加えて、韓国人や中国人の振る舞い(声が大きい、言動が粗暴、上下関係がきびしい等)に「前近代」の臭いを感じ取っていたからではないか

ネットでは保守愛国を主張して戦前日本を賛美ながら、平然と「中国韓国儒教国家からダメだ」と言う人間が少なくない。お笑いである戦前までの日本だって支配階級の基本思想儒教だった。幕末尊王攘夷運動が起きたのは江戸時代朱子学が普及して、「幕府天皇から権力を奪っているのは忠義に反する」という考え方が広まった結果だ。明治維新後も、明治天皇教育係の元田永孚西洋嫌いの儒学者で、名君の教科書として唐代の『貞観政要』を読ませたし、教育勅語は儒教価値観産物だ。

だが、どうやら団塊ジュニア世代以下のネトウヨの頭の中にある理想日本は、最初から西洋価値観近代国家だったらしい。彼らには古代中世日本伝統価値観を本気で学ぶ気などなく、和歌能楽歌舞伎浄瑠璃より、漫画アニメゲームが好きなのが本音だろう。そういえば橋下徹も、平然と文楽予算を削減しようとしてたな。

保守愛国を唱えながら近代合理主義何が悪いの?」と言う人もいるだろう。世の中には、何も悪いことをしてない人間にも病や死や不幸が降りかかったり、不合理がいくらでもある。何でも理性で解決できると思い、現代から見れば非合理な考え方に従っていた古代中世人間を愚かとしか見なさないのは、思い上がりだ。そうして過去時代の人々という他者への想像力を持とうとせず、過去世代が積み重ねてきた道徳観への敬意がなくなると、経済的な損得ばかりが最優先の価値観になる。「皇室の維持は国費の無駄から天皇制反対」と言い出す者も出てくるかもしれない。

そうなれば、単に力(財力、権力情報発信力)がある奴が勝ちだ。日本でもドナルド・トランプのような男が国家元首になるかもしれない、トランプならまだ人物的に面白味があるが、竹中平蔵ワタミ大統領になったら本当にイヤだぞ。

共産主義統一教会環境産物

統一教会2015年世界平和統一家庭連合改名した。団体名に「家庭」とつくのがポイントだ。自民党による憲法改正案で、第24条に加筆された「家族は、互いに助け合わなければならない」という一文は、統一教会の主張と同じだといわれる。また、「こども庁」の名称が「こども家庭庁」となったのは統一教会の影響という説もある。

https://twitter.com/izumi_akashi/status/1548537253018103808

まり統一教会はとにかく家族の重視を唱える。彼らの教義は、俗流キリスト教と、家父長の権威先祖供養を重んじる東アジア的な儒教道徳の混合物で、教祖の故・文鮮明をお父様、その妻の韓鶴子をお母様と呼ぶ。このような教団組織という大きな家族への絶対服従を唱える思想が、皮肉にも結果的山上徹也個人の家庭を破壊した。

週刊文春7月21日号では、橘玲が「リベラル化した社会に敗れた男の”絶望”が暴発した」と題して、安倍晋三暗殺した山上徹也のことを論じている。現代は家制度の束縛などが機能しなくなった「自由」な社会だが、それゆえに自力自己実現できなかった孤立した人間が増えているといった内容で、その極端な暴発例に2008年秋葉原通り魔事件や、2019年京アニ放火事件を挙げている。指摘自体はおおむね間違ってないだろうが、なぜそのような世の中になったか説明が抜けている。

リベラル思想以前に、社会構造の変化がある。そもそも伝統的な家族観、家父長の権威とか、早く結婚して何人も子供を産むのが良いことだという考え方は、近代以前の農村社会が前提だ。農家個人経営で、家父長のもとで妻子が一緒に農作業し、働き手として子供の数は多い方が都合よいから多産が奨励された。そして、農地という生産手段継承するために血統の存続が重視され、先祖から連続性が意識されていた。漁村商家も同様に家族経営が基本で、船や商材を継承するため家制度が重視された。

ところが、産業革命期以降になると、農村の余剰人口都市に流れて工場労働者となり、先祖代々の土地と家から離れて生きるようになる。労働者はみんな家庭外で雇用され、子供家族から切り離され、父親母親子供も(昔は各国で児童労働が横行していた)ばらばらに働くようになり、自宅の窯でパンを焼いたり時間をかけて食事することもできなくなった(『世界歴史 第25巻』(中央公論社)270p)

統一教会のような反共主義者は、「左翼リベラル思想伝統的な家族観破壊した」と主張するが、この解釈因果関係が逆転している。共産主義は、工業が発達して伝統的な家庭を成立させる農村社会から切り離された都市労働者が世にあふれた結果からまれ思想だ。マルクスより先に、経済的利益のために伝統共同体解体して蒸気機関工場労働者を世に広めた資本家がいたのである

逆に、農村社会に戻れば前近代的な家父長制は復活するだろう。だったら、商工業全否定して国民農村強制移住させたポル・ポトカンボジアこそが理想かよ?

先進国では工業社会さらに進むと、世の中は第三次産業中心になり、庶民はみんな勤め人の都市生活者となっていった。これは産業社会要請によるものだ。以前も書いたが、(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20170522/p1高度経済成長期に中卒や高卒都市工場商店就職していった女性は、左翼リベラル思想に影響されて社会進出し勤め人は世襲家業ではないから、妻子が家に従属する必要はない。リベラル思想関係なく、前近代的な家制度の束縛が弱くなるのも当然だ。生まれた時からこういう環境に慣れきって育った世代が、家父長の強い権威やきびしい上下関係を嫌うのは必然だろう。

こう書いている自分も、会社員の家の次男坊で、実家従属する義理はないか上京以来ろくに親元に帰らない。長男長男だった兄まで、ついに生活のためやむなく父の墓がある土地を離れてしまった。先祖代々の土地家業を持ってるのではないのだから仕方ない。

統一教会のような保守派は、家族大事だと主張するけれど、口先の精神論ばかりで上記のような社会構造問題にまったく踏み込めていない。

信者にとってのカルト宗教の魅力とは何か?

困ったことに、農村社会や家制度のような伝統的な中間共同体が力を失うと、その代替物として、一足飛びなナショナリズムカルト団体帰属意識を求める者が増える。

エマニュエル・トッドは、『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』(文春新書)で、宗教伝統が衰退すると代わりに排外的ナショナリズムが台頭すると述べていた。何でも、ドイツでは19世紀から1930年代昔ながらの教会を中心とした農村共同体が弱体化した代わりに反ユダヤ主義が台頭し、ナチス支持につながったという。

統一教会をめぐる報道で、山上徹也の母のように財産すべて差し出す信者気持ち理解できないという人は多い。しかしながら、外部から見ればいか狂信的な団体でも、内部の信者には何らかの「魅力」がある。

先に述べたように、世の中にはいくらでも非合理的なことがある。それまで合理主義者だった人間が、病や死のような自分の力に直面していきなりオカルト宗教に走った例は少なくない。帝国海軍の名参謀だった秋山真之や、アップルスティーブ・ジョブスのような英才も、最期近代医学に頼らず怪しげな方法に頼って病を治そうとして、かえって早死にした。こういう極端な思考に走らないためにも、世の中は理性で解決できないこともあると頭の片隅に置いて、合理的ものへの免疫をつけておくこと必要だ。

そこまで追い詰められなくても、「大きなものにつながりたい願望」を抱く人間は多い。人には何かに帰属することによって得られる充実感というものがある。これは左派陣営団体も同じだ。

こう書けば左翼リベラル派は激怒するだろうが、世の中には男尊女卑や家父長制に身をゆだねることに安心感を抱く者もいる(俺自身は嫌いだが)。いか社会制度近代化しても、誰もが自立した個人になれるわけではないのだ。

あの気持ち悪い集団結婚式にしても、なまじ自由恋愛の時代になると結局誰も選べずに結婚相手が決まらず、いっそ超越的な立場第三者一方的に決めてもらう方が安心、という人間も世の中には一定数いるのかもしれない。

これも以前に述べたが、カルト宗教などが行う洗脳とは、命令に従わせることではなく、被洗脳者が自発的洗脳する側に忖度するように”誘導”することであるhttps://gaikichi.hatenablog.com/entry/20121101/p1)。

その手段として「場の空気」の力がものを言う。場の空気を使った洗脳はじつに簡単だ。こんな話がある、皆さんはカップ入りアイスクリームを食べるとき、どこから食べるだろうか? たいてい最初カップの縁にスプーンを入れるだろう。あるとき数人の集団で、1人を除いた全員があらかじめ示し合わせて、みんなカップの真ん中にスプーンを入れて食べ、残った一人を「端っこから食べるなんてセコいなあ」と言ってからかった。仲間外れにされた1人は本気で、自分の方が異常で、アイスクリームは真ん中から食べるのが世間常識だと錯覚したという。

これと同じように、閉鎖的な教団内では容易に「みんな多額の献金をしてるんだから、そうしない自分の方がおかしい」と思い込むように仕向けられる。宗教団体も、ネットワークビジネスも、会員制オンラインサロン商法も同じだ。

信者教祖や教団幹部個人命令に従っているというより、信者集団の「場の空気」によって献金しなければならない気になっている。周囲にいる人間が競い合って同じことをしているのに、自分だけそれをやらないと自分の方が変だと思い込んでしまうのだ。そりゃ「空気を読む」ことが至上の美徳という価値観で育った日本人なら従ってしまうだろう。

思想だけで世の中は動かない

2022年現在の状況では、まだまだ自民党に対する統一教会の影響力は強そうだ。しかし、このまま上記に述べたような近代社会構造が続くのであれば、20~50年ぐらいの長期スパンで見た場合統一教会的なるもの――家父長制バンザイカルト宗教は徐々に人気を失っていくだろうと考えられる。

実際、100~200年ぐらいの視野で見れば、左翼リベラル陣営はずっと勝利し続けている。世の中は、近代的な商工業が発達すればするほど、上下関係は緩くなり、男女は平等に近づき、セクハラパワハラは嫌われ、体罰理不尽校則廃止される方向に進んできた。

ただし、それは必ずしも自由平等人権といったリベラルイデオロギーの魅力による勝利ではない。単に文明の発展によって、人間が図々しくなっただけだ。

近代以前はあらゆる労働が筋力中心だったから、無条件に成人男性が一番偉くて、女子供は成人男性に従うものだった。しかし、そのような価値観は、スマホコンビニAIドローンの普及と引き換えに後退しつつある。あるいは、汗臭い筋肉労働人件費の安い海外アウトソーシングしたり国内視野から消し去っただけだ。外国人技能実習生世界では、依然として日本相手なら許されないパワハラが横行している。

いか自由平等人権といったリベラルイデオロギー字面が美しくても、思想だけで世の中は動かない。民主主義古代ギリシャにもあったが、あらゆる労働が人力の時代だったから、ついぞ奴隷制廃止されなかった。19世紀に入るとイギリスアメリカ奴隷制廃止したが、それはリベラル人道主義者の主張より、奴隷を使うプランテーション農場比較して工場経営のほうが儲かると判断されるようになった影響が大きい。

統一教会による霊感商法、巨額の献金要求は許しがたい犯罪行為で、自分もこういうカルト宗教は大嫌いだ。ただ、統一教会的なもの嫌悪する自分たちは、たまたま土着的な農村社会崩壊して家制度の束縛が機能しなくなった時代に生まれ育ったから、統一教会的な家父長制価値観へのPermalink | 記事への反応(1) | 23:06

2021-09-06

anond:20210906022318

八世紀、唐王朝時代に「枕中記」を書いたヒト。沈既済という名らしい。



沈既済

【しんきせい】

(750 - 800年頃)

唐代歴史家小説家蘇州呉の人。歴史書『建中実録』10巻や、伝奇小説作品がある。

2019-02-14

anond:20190214183344

広東語

1=ヤッ

2=イー

3=サーム

4=セイ

5=ンー

6=ロッ

7=チャッ

8=パー

9=ガウ

10=サッ

近いような遠いような。

共通祖先唐代の数詞で、

それが伝わってそのまま引き継いだのが日本の数詞、

まだ強く影響が残っているのが広東語の数詞、

ぜんぜん影響が残ってないのが北京語現代中国語の数詞、

って感じなのか?

2019-02-06

anond:20190205222422

欧陽詢で思い出したが、

朝日新聞の題字ロゴ中国唐代書家である欧陽詢の筆跡から採った書体だが、当人直筆の「新」の字が無かったので「親」の左側と「柝」の右側から点を取り除いたものとを合成した捏造グリフである

これ豆なw

2018-10-04

anond:20181004123321

食用としては、中国唐代(BC700年頃)こんにゃく芋を灰汁で煮て食べた記録があり、

さら四川省湖北省等で栽培されていた記録がありますので

中国人かもよ。

2018-09-27

anond:20180925183624

麻婆焼きそば ×

1970年代前半に、仙台市内の中華料理店「まんみ」にて賄い料理として提供したのが始まり

//ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E7%84%BC%E3%81%9D%E3%81%B0

せり鍋 ○

河北新報の「仙台やすこ歩き」によると、

発案者が思いついたのが10年前と言っていたので、

2000年代の真ん中から広まったのではないでしょうか?

//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11156573366

ただし他にも元祖を名乗る店がある。

チーズタッカルビ

16年2月に「チーズタッカルビ」を発売

//www.itmedia.co.jp/business/articles/1802/20/news021.html

塩焼きそば ×

1959年 4月

清ちゃん1959年4/10開店となる!

ここから小松名物塩焼きそば伝説が産声をあげる!

//www.sio-yakisoba.com/

ツナマヨおにぎり ×

1983年(昭和58年)に「ツナマヨネーズおにぎり」を発売

//q.hatena.ne.jp/1256202677

パン

14〜15年前ですかね。パンって、夏は本当に売れないんですよ。暑いからみんなソーメンを食べたり、おやつスイカになったりしてね。なんとか夏に売れるパンができないかなぁと思って開発したのが、塩分補給もできる塩パンだったんです

//tabi-labo.com/287605/painmaison-yawatahama

2018年のインタビューなので2003年頃か。

ししゃもっこの軍艦

1970年代以降、シシャモ代用魚として輸入が急増

//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%B7%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%A2

寿司メニューになった時期は不明

豆乳鍋

当店が1991年に開発したオリジナル

//irori.owst.jp/foods

ただし他にも元祖を名乗る店がある。

おにぎらず

【第22巻・第213話】いま話題おにぎらずクッキングパパ発祥

//cookpad.com/recipe/2831394

第22巻は1991年発売。

フルーツグラノーラ

91年にフルーツを加えた「フルグラ」(当時のブランド名は「フルーツグラノーラ」)を発売

//www.cross-m.co.jp/column/insight/insight82/

恵方巻 ×

1970年代半ばからマスメディアに取り上げられるようになり、以降は再び定着するようになった。

//ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E6%96%B9%E5%B7%BB

ご存知のとおり発祥には諸説ある。

魚のカルパッチョ ×

落合「僕が帰って来たのが1981年で、前のお店を開けさせていただいたのが1982年ですから

(中略)

干場「実は、魚のカルパッチョを作ったのは落合さんなんですか!?

落合「実はそうですよ(笑)

//www.tfm.co.jp/cruise/index.php?itemid=91890

1982年に魚のカルパッチョを作ったとは語られていないが、近い時期であることが示唆されている。

塩麹 ×

古くは本朝食鑑の鱗部の巻「鰯」の箇所に「或有甘塩者有糟漬者有塩麹漬者号曰黒漬」という下りがあり、「塩麹漬」という文字列が見られる。

//ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E9%BA%B9

本朝食鑑は1697年刊行

レバ刺し ×

日本人はいから牛の生肉生レバーを食べるようになったのか。

焼き肉などの食文化に詳しい滋賀県立大鄭大聲(チョン・デ・ソン)名誉教授は「戦後在日韓国朝鮮人が家庭で食べていたもの焼き肉店で出すようになり広まったのではないか」という。

//sankei.jp.msn.com/life/news/120428/trd12042822020023-n1.htm

万葉集内臓生食示唆する歌があるとの話もあり。

魚介つけ麺

つけめん」が定着するきっかけとなったのは2000年頃からのことです。つけめんの考案者である東池袋大勝軒の店主 山岸 一雄氏のお弟子さん達が独立し始め、大勝軒系列の店が増えたこと、大勝軒常連から人気店になった「べんてん(高田)」、「道頓堀(成増)」といったお店が繁盛したこと、そして川越にある「頑者」が「自家製極太麺×魚粉×濃厚つけだれ」という新しいジャンルつけめんを生み出したことが影響し大きなエポックとなりました。

//web.archive.org/web/20130622095039///www.asahi.com/business/pressrelease/ATP201005190013.html

サーモン寿司 ×

プロジェクトが始まったのは86年。当初の計画では、輸出の要はカペリン(カラフトシシャモ)だった。しかし、その前年、時の漁業相らが日本を視察して方針が変わった。日本には生のサーモンを食べる文化がない。江戸前寿司にもない生サーモン握り寿司を考案し、試食会を重ねた。

//trendy.nikkeibp.co.jp/atcl/pickup/15/1008498/061500791/

ティラミス ×

日本イタリア料理史の中で、最大のブームとなったのは「ティラミス」と言って間違いありません。80年代半ばから評判を呼び、90年に雑誌Hanako」で特集が組まれるや、人気は最高潮に達します。

//www.metromin.net/feature/15133.html

アボカド ×

日本の輸入量は1970年代までは微々たるものだったが、1970年代後半から増え、1980年には479トン、1990年2163トン、2000年14070トン、2005年は28150トンと急増している。

//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9C%E3%82%AB%E3%83%89

オリーブオイル ×

1908年明治41年)、魚の油漬け加工に必要オリーブオイルの自給をはかるため、農商務省アメリカ合衆国から導入した苗木を三重県鹿児島県香川県試験的に植えた。香川県小豆島に植えたオリーブけが順調に育ち、大正時代の初めには搾油が出来るほどの実が収穫された。

//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AB

バターコーヒー

「朝はヨーグルトより、バターを食べる」

//www.amazon.co.jp/dp/4478039674

チキンタツタ

1991年4月期間限定商品として初登場

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単なる竜田揚げとして見れば×。

油そば ×

1952年昭和28年)に創業した国立市一橋大学そばの「三幸」が、のびたラーメンをヒントに昭和30年代前半頃から酒の肴として提供を開始したとする説や、同じく昭和30年代武蔵野市境の亜細亜大学そばの「珍々亭」が中国拌麺をヒントに油そばを発売したという2説が存在している。

//ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B9%E3%81%9D%E3%81%B0

火鍋 ×

火鍋唐代に普及

//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E9%8D%8B

日本のしゃぶしゃぶは火鍋をもとにして作られたとの説も。

発泡酒 ×

新規企業の太洋醸造が当時自由販売化していたイモとホップ使用したイモ・ビール試験醸造申請して認可され、1950年昭和25年)から新発売され、日本市販発泡酒第1号となった

//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BA%E6%B3%A1%E9%85%92

食べるラー油

垣島在住の夫婦(夫は中国陝西省西安出身の辺銀暁峰、妻は東京都出身愛理)が、具材を食べるタイプラー油を開発し、2000年(平成12年)、石垣島にて開催されたイベント販売したのが始まりである(ただし、具の入ったラー油のもの中国にて古くから存在している)。

//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E5%B3%B6%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%B2%B9

2017-11-09

ハヤカワFTの思い出を書く

そんな話題がでてたので、ファンタジーの中でもハヤカワFTのなかで印象深いものメモしてみる。

カメレオン呪文魔法の国ザンスシリーズ1)

ハヤカワFT031。ユーモアファンタジー魔法の国ザンスシリーズの1。ユーモアっていうか、ダジャレファンタジー。全編ダジャレ好きな人と嫌いな人がかなり別れる。とはいえ、ダジャレ韜晦で煙に巻きながら、少年少女の自立とか誠意式の芽生えと思いやりとか、結構ちゃんとしたテーマはそれはそれでそれなりにやっているのが偉い。

ハヤカワFT文庫は、文庫設立当時は、あちらで有名な基本的名作をポチポチ紹介してたんだけど(マキリップ、フィニィ、ダンセイニあたり)このザンスシリーズ辺りから複数巻にまたがるシリーズを紹介し始めて、おそらく収益的にも安定し始めたんじゃないかと思う。

妖魔の騎士

ハヤカワFT055。妖魔(他作品で言うところの精霊存在)の真の名を掴んで指輪に封じることで魔法を使う青年クレイ主人公とした上下巻。魔法不可思議さや、おとぎ話的な雰囲気がどこまでも魅力的な作品寓話的なストーリーあいまって、「ファンタジーモノの原点ってそういえばこんなだったなあ」感ある。ネバーエンディングストーリー的な意味で、読者はその世界の脅威に魅了されながら読むという今では廃れきったスタイルの佳作。

魔術師帝国リフトウォー・サーガ1)

ハヤカワFT055。やったー! みんな大好き俺TUEEE。序盤は地に足の着いた泥臭いファンタジーなのだが、異次元世界の魔術先進帝国から侵略きっかけに主人公少年が段々と魔術の才能を開花させて、無数の次元秘密に迫る大魔術師に成長する話です。能力的なインフレもするんだけど、世界観物語の構築がしっかりしているせいでご都合主義的な匂いはなくて、古代英雄譚な味わいになっていくのが面白い

予言守護者(ベルガリアード物語1)

FT106。大傑作大名作。指輪物語と同じような「グループが使命を果たすために旅をする物語」なのですが、読みやすさといい感情移入といい、こちらの方を押したい。メンバーが皆魅力的です。ウルフおじいさんとこそ泥王子シルクファンなっちゃますね。ぶっちゃけこのシリーズがあるだけでハヤカワFT黄金時代だったと思う。

このシリーズは「ベルガリアード物語」が全5巻、続編となる「マロリオン物語」が全10巻あるので、シリーズ好きな人にはたっぷり楽しめる。。

ルーフワールド

FT137。シリーズじゃなくて一冊読み切り現代(というか、今現在からするとちょい前?)くらいのロンドン舞台としたファンタジー高層ビル屋根屋根裏をすみかとして、ワイヤーとリールで空中を移動しながら生きている一族という、「現実世界にもファンタジーはひそんでいるんだぞ」設定がまず魅力的。子供夢想みたいなのを実力ある作家物語にしちゃったケースなので、読後の「もしそうだったらなー」というファンタジー特有酩酊みたいなのが味わえます

鳥姫伝

FT308。全五部作予定だったシリーズ最初の一巻。いろいろあって三巻までしかでなかったのだけど、話自体は一巻完結なので特に問題はない感じ。架空中国唐代舞台にしたチャイナファンタジーに、古典中国のアレヤコレヤを詰め込んだ、最高級の「ほら話」。文章には癖があり、何より密度がめちゃくちゃ高いので活字を読み慣れない人は体力を消耗しちゃいかねないんだけど、皮肉ブラックジョークの影に描かれた物語はびっくりするほど美しい。主人公コンビ、力持ちだけが特技の農村の垢抜けない青年十牛と、老賢者(というかイカサマ師)の李高老師は、ちっともヒーローらしくないデコボココンビなのだけど、迷宮幽霊過去因縁話、宮廷につきものスキャンダルをくぐり抜けていくと愛すべき人物だと気づく。ラストシーンは本当に素晴らしい。

2015-12-17

自演認定に寄せて

自演認定された。それはこの日本社会において抑圧された個人意識を少しでも開放すべく、何時間も何時間もかけて、推敲し、唐代詩人でも自分より知的な事は書けないであろうと。自身を持って書いた2行の文章だった。

正直ネットはそれほど詳しくない。今でもビクビクしながら書いているが自演認定された。それは人間性の否定であり、自分プライドはズタズタになってしまった。さようなら

2013-05-27

赤い糸(赤い縄)の元ネタ

赤い糸(赤い縄)の元ネタは「唐代伝奇」にある短編「定婚店」らしい。

韋固は早速、自分と潘家との縁談がまとまるかどうか尋ねた。しかし老人は首を振って言った。「お前の結婚相手は潘家の娘などではない。この店の北に住んでいる、野菜売りの陳婆さんの娘じゃ。その娘子は今は三歳だが、十七歳になったらお前さんに嫁いで来るはずじゃ。」更に老人は袋から赤い縄を取り出した。「わしの仕事は、この赤い縄を将来夫婦となるべき男女の足につなぎ合わせることなのじゃ。お前さんの足も、既に陳婆さんの娘と赤い縄で結ばれている。それ以外の者と結婚など出来ようはずもないわい!」

http://www.sun-inet.or.jp/usr/satoshin/koten/toudai/toudai5.htm

 
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