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2021-06-13

anond:20210613172610

でも京アニガソリン撒いて火をつけたのは日本人だよね

インド人マレー人もそんなことしてないよ?

2021-02-24

anond:20210224204150

旅行したときマレー人女性まじでやる気のない専業主婦みたいなオーラしまくってたのはそういうことだったのか

マレーシア人種差別政策「ブミプトラ政策」について語ってみる

個人的感情人種差別と書いてしまったが、マレーシア政府からするとマレー人優遇政策らしい。が、正直人種差別だとしか思えないのでタイトルではそう書いた。

マレーシア人種構成について

マレーシア多民族国家である2018年データでは、マレー系69%、中華23%、インド系7%という人口構成比となっている。

中華マレーシア人は19世紀ごろに中国南部から渡ってきて定住している人たちや、植民地時代労働者としてヨーロッパ諸国に連れてこられた人たちの子である

今回は主にマレー系マレー人中華マレー人の断絶について語っていく。

マレー系中華系の断絶に関する個人的所感

あくまで全体的な傾向だが、マレー系の人は良くも悪くもおおらかである。細かいことは気にせず、10時に始まる授業が始まるのは11時だったり、12時だったり、15時だったりした。基本約束は守らず、お店の人はずっとスマホを見ていたように思う。

一方中華系の人は、勤勉な人たちが多かった。何事にも一生懸命留学したり、インターンをしたり、積極的な人が多かった。

全く違う性質を持つ2つの民族間の断絶は大きかったと思う。仲が悪いわけではないが、少なくとも私が住んでいたクラスの席は人種ごとに分かれ、ランチも、ショッピングも、人種が交わったグループで行われることはなかった。日本人の私は、マレー系の人からは「中華系の人たちは働きすぎて余裕がない。あんな働いてどうするんだろう」と、中華からは「マレー系の人たちはあんなに怠惰でひどい」とよく言われていた。

ブミプトラ政策の背景

こうしたことからまれるのは経済的格差であるマレーシア資本主義をとっているので、勤勉に働く人がお金を得られる。つまり、多くの経験をつみ、起業したり大企業で働く人の多くは中華である。こうしたことで、経済を回すのは中華系の人々で、マレー系の人々は農業などの一次産業従事するという構図が出来上がった。

さら政治的主導権も中華系が握りつつあった。

ここに待ったをかけたのがマレー系の人々で、マレー系の人々を優遇することで、マレー系地位を守ろうとした。そのための政策1971年にうまれたブミプトラ政策である

ブミプトラ政策の3つの

ブミプトラ政策つの柱は教育就職・減税である

教育は、日本で言えば高校入試において男女別に枠を設けているのと同じようなものだ。こうした場合性別ごとの最低合格点が異なることで不公平が生じることがある。マレーシア国立大学では人種ごとの合格枠の比がその人口比とかけ離れているため、優秀な中華系が大学に落ち、マレー系ばかりが合格するということが多発した。

就職は、中華系の人には職業選択の自由保障されていないということだ。中華系の人は、公務員にはまずなれない。もしなれても昇給などで不当な扱いを受ける。私の友人の中華マレーシア人も、子供の頃から警察官に憧れていたが、途中で自分はなれないことを知って、その時はとても悲しかったと言っていた。

減税はそのまま、マレー系の人たちは車や家に関する税がかなり優遇されている。低金利ローンや住宅購入時の割引などもある。また、会社マレー系の人が経営している場合はかなり税金優遇措置がある。(中華系の人は、無能マレー系人形としてトップとしておけばいい、なんてジョークをよく言っていた。)

ブミプトラ政策の今後について

国際的批判(マレーシア人種差別撤廃条約を批准していない)や、中華系(や、とばっちり差別されているインド系)の人たちの反発があり、ブミプトラ政策の緩和を推進する動きもある。

しかし、マレーシア民主主義国家であり、マレー系人口は全体の69%であることから、ブミプトラ政策の緩和という政策話題になっては消えるということを繰り返してきた。

最近では2019年選挙の結果首相となった93歳のマハティール氏の支持率は当初79%であったが、ブミプトラ政策を見直す姿勢を明らかにしてから下院議員州議会議員補選与党は3連敗し、支持率も39%まで低下し、デモも多発した。

もともとマハティール氏は昔も首相であったが、その際もブミプトラ政策見直しをしようとして野党に転落した。

こうした背景もあり、実際ブミプトラ政策撤廃は難しく、もし撤廃される日が来るとしてもそれはかなり先のことだろう。

感想

正直難しい問題である

マレーシアのことだから差別的だと思ってしまうが、他の国から来た何世とか言われる人たちが日本の富のほとんどを持っていて、政治的主導権も持ってたら、多分私もそれを良しとは心から思えないから。

2021-01-28

何のスキルもない状態でしたが熱量だけは買ってもらえ、マレーシアメディア業界で急速に成長しているM-townという企業営業に携われることになりました。

こうして、マレーシア飛び込み営業毎日が始まったのですが、1ヶ月経っても契約は獲得できませんでした。しかし、事業主中華系の割合が多いことに気が付き、中国語勉強してみることに。これが功を奏して、初めて中華レストランチェーンから契約を獲得することが出来ました。

この経験からマレーシア事業を作る為には中国語必須だ、という気付きを得て、1ヶ月後には北京にいました。現地大学短期コースに参加し、4ヶ月間中国語を学んだ後「これでマレーシア勝負できる」そんな自信を片手にマレーシアに戻りました。

転機が訪れたのは、それから2ヶ月ほど経った頃です。マレーシアでどんな事業を興すべきか考えた末、賃貸仲介に関する事業に決めたのですが、何から始めれば良いのか分かりませんでした。そこで、片端から話して周れば誰かが助けてくれるだろう、という安易結論に至り、その通りに動くことにしました。

しかし、ビジョンが大きいだけでビジネスモデルはめちゃくちゃ、白い目で見られることばかりでした。そんな中、横山さんは「すぐにやろう」と言って支援してくださり、気付けばマレーシア自分会社ができていました。あの時、何もない私の背中を押してくれた横山さんには頭があがりません。

会社が立ち上がった頃は、マレーシア賃貸問題解決できればこんな大きな事業になる、ついに起業家としての人生が始める、と期待に胸を膨らませていました。

しかし、事業自体は散々でした。

物件集めから始めるも、事業経験も人脈もない19歳を相手にしてくれる不動産企業マレーシア中探しても見つからず。それでも連絡し続けた結果、気の良い中華マレー人が条件付きで提携してくれることになり、事業スタートしかし、契約数が増えるにつれて、オンライン完結のサポートは難しく、スケール展望は見えませんでした。最終的には、コミッション支払いの期日、提携していたエージェントの連絡が途絶え、消息不明になる始末でした。

会社を立ち上げてからの5ヶ月間、一人で走り続けて残ったものは、挫折感と口座残高が家賃3ヶ月分(約13万円)だけでした。

当初描いた事業を作れる道筋は一向に立たず、それでもどうにか現状を突破しなければと必死で、常にイライラしている嫌なヤツだったと思います。この頃、カフェ横山さんと会う度に、何も良い報告が出来ない自分が情けなく、このままでは失望されるんじゃないか不安でたまりませんでした。

そんな人脈も資金もない時に見つけた唯一の活路が、クラウドファンディングでした。賃貸契約根本から変えるシステムの構築は難しくても、入り口となる場所世界中にあれば外国人の住居探し問題解決出来るのではないか。そう考え、1つ目のゲストハウスを作る為にクラウドファンディングの挑戦を決めました。

関連記事を読み漁り、成功した類似プロジェクト共通項を洗い出し、事業計画を練り、物件を探し、プロジェクトページの作成からPRまで。残された時間はあとわずかでした。一緒に奮闘してくれた当時の相方には本当に感謝しています

結果、幸いなことに178万円以上の支援いただきクアラルンプールの中心地にゲストハウスPotHubを作ることが出来ました。世界中で使われる事業を作る、という夢に近付いていると初めて実感した瞬間でした。

ゲストハウスには様々なゲストが行き来し、東南アジアノマドコミュニティーゲストハウスネットワークが広がっていきました。その後、2軒目もオープンし、事業は順調に進んでいる様に見えました。

しかし、実際はゲストハウス2軒の運営だけで手いっぱいとなり、思い通りに事業スケール出来ていないことに葛藤していました。目の前の自分を見つめて「こんな小さな事業を作る為にマレーシアに来たのか」そう悶々とする日々が続きました。

https://postalmuseum.si.edu/sites/default/files/webform/gratis-hd-los-croods-pelicula-completa-en-espanol-latino1.pdf

https://postalmuseum.si.edu/sites/default/files/webform/gratis-hd-mujer-maravilla-1984-pelicula-completa-en-espanol-latin.pdf

https://postalmuseum.si.edu/sites/default/files/webform/gratis-hd-soul-pelicula-completa-en-espanol-latin.pdf

https://postalmuseum.si.edu/sites/default/files/webform/gratis-hd-soul-pelicula-completa-en-espanol-latino.pdf

https://postalmuseum.si.edu/sites/default/files/webform/videa-hu-post-mortem-2020-teljes-film-online-indavideo-magyarul.pdf

https://postalmuseum.si.edu/sites/default/files/webform/gratis-hd-wonder-woman-pelicula-completa-en-espanol-latino2.pdf

2020-08-05

モチダヨウヘイさんへのお返事

id:bearcubです。一介のブクマカにお返事ありがとうございます

ブクマコメントでは文字数が足りないのでここに書かせていただきます

私のコメント、怒りに任せて書いたひどいものでしたがあえて再掲します。

この自称「やさしい」学者の方も数百人の「米国在住の『黒人』」と個人的交流を持ってみたらいいかもね。他人がまるで自分ゼミ学生のように格下だと思ってふるまう学者ってたまにいるよね。

先生は「交流を持っても意見は変わらないと思います」とのことですが、まったく同意です。

研究者としてそうあるべきと思います

私は先生の書いた文章に対して、違う位置から違う方向へ反応してしまいました。

自分は十代の頃、米軍基地で『黒人』の友人と二人で歩いていた時に、複数の『白人』の同世代少年達に囲まれて脅されたことがあります

その時に(リンチされかねない状況だったので)恐怖感で彼らに反撃などできるわけもなく、なんとか大事に至らず背中から暴言を受けながらも脱出し、その後友人と一緒にずっと悔しい思いをしながら無言で歩きました。(しかもこの時友人が「これはもう(暴力で)やるしかない」と私にささやいたものの、当時日本刑法適用対象年齢に達したばかりの私は、「そ、それはだめだよぅ~~」と怖気づいてしまって逃げるしかなかったのです。)

今回のジョージ・フロイドさんの動画を見て、真っ先に思ったのは、かつての友人の事です。

友人は今頃どうしているだろうか。少なくともこの動画を見て怒るか、あるいは恐怖を感じているのではなかろうかと。

浅沼さんの記事共感を感じたのも、「まあ、親しい人に『黒人』がいたら、こう考えるよね」というものでした。

一方、先生記事表現に反感を感じたのは、「ああ、なんであの怖い状況を、こういうある種反感を呼び起こす表現議論するかな」というもどかしさでした。

私の反応は議論とか意見とかではなく、あくまでも個人的体験に基づく感情的ものです。

そういう意味で、先生学者としてのもの見方は、これまでの文書の蓄積で解釈検証できるということや、学会での多数の議論に耐えられるということで成り立つものでしょうから、私やその他多くの方の個人的体験に影響を受けるべきではないのだろうと思いますし、そうであるからこそ価値があるのだろうと思います

ということで、要は私の反応は立場方向性もすれ違ったものであり、意見や「論」を示唆するものでもないということです。

先生はいくつかの論点提供した、自分は枝葉の表現感情的にかみついたという状況です。

ここから以下は自分の(特にまり多くの勉強調査にも裏打ちされていない)意見です。なんなら「なんとなくそう感じている」レベルのものです。

黒人』『白人さらには『黄色人種』のような言葉世界を切り取ること、その切り取り方(と、それで生み出される構造差別差別感情)を一層強めようとすることは自分も反対です。

しかし、これは差別に立ち向かう二つある方法のうちの一つだと思います。(これは自分があるマイノリティに属しているため日々痛感している個人的な考えです。)

一つは、先生のいうような「もの見方を変える」。それにより根本的に構造差別差別感情を解消することになると思います。これは哲学的戦いだと思います

もう一つは、まず差別によって生じている「実害をなくす」。それにより差別感情は残るものの、ひとまず当事者安全は確保されます。これは法の整備や、嫌な言葉で言えばいわゆる「ポリコレ」での強制だと思います

私は『黒人』ではありませんので、あくま自分マイノリティ属性立場から連想しか考えることができませんが、BLM運動後者の色合いが濃い状況で始まったと思います。(ここらへんは本当に素人考えなので、先生的にはツッコミどころもいろいろあろうかと思います。)

当事者としては両方が進んでほしいです、是が非でも。

しかし、ジョージロイドさんの動画を見せられたりしたら、どうしても後者の「実害をなくす」を優先したくなると思います

しか感情的にもなると思うし、浅はかな論を展開してしまうかもしれません。だって明日この差別によって自分や友人が死ぬかもしれないんだから

その時に学者の方々には浅はかな点はぜひ指摘してほしいし、暴走を止めてほしいし、前者の構造差別差別感情の解消への道を見つけてほしいと思っています。(学者の影響力は素晴らしいというのは4月コロナ封じで西浦先生を見て改めて思いました。)

そういう意味で今回、先生にあの記事を公開してもらって本当に感謝しています

黒人』でも『白人』でもない多くの人にとってBLMをきっかけに考えるべきことの多い良記事だと思います

特に今まで何の気なしに黒人白人黄色人種世界区分していた人に(枝葉の表現にとらわれず)ぜひ読んでほしいし、黒人というものがあるという前提で話しを進めがちなマスメディアにも目を通してもらって、できれば今後注意して用語を使ってもらいたいし、西洋中心主義とこれまたなぜか西洋で発展した脱・西洋中心主義から漏れて何かもどかしい感じがしている国に住んでいる自分にとっても良い論点提示していただきました。(例えば、華人マレー人を「人種」ととらえる社会があるというのは自分も知らない事実でした。知るべき事が多いことに驚くばかりです。)

今後もこのはてなから茶々を入れるとは思いますが、実は記事を期待しているはてなーも(私のように)多いと思います。暖かく見守っていただければ幸いです。

コメント後半の嫌味「格下だと思って振舞う」(←ひどいですね)これはすいません、冗談ステレオタイプてんこ盛りの中傷で返してしまいました。

2020-06-10

anond:20200610165741

うーん、シンガポール人で労働者階級の知り合いがいないからわからないが、シンガポール労働者階級というとインド人(系)とかマレー人で、彼らは見た感じ子沢山だと思う。なので、シンガポール政府が子供を産ませようとしてるアッパークラスが少子なのを改善するにはもっと金を配ればいいのかっていうとなんかそういうんでもない気がするんだよな、、、

2019-10-21

[]【2】2019 秋、マレーシアシンガポール

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anond:20191021083746




Day,2



2日目

多民族国家へようこそ


日本代表プール突破は嬉しいが、このまま頭がラグビーモードだと初めて訪れる国では差し障りがあろう、羽田深夜発の機内では眠りたかったが、毎度のごとく機内での不眠グセが顔を出し、結局一睡もできなかった。

今日は到着のクアラルンプールからいきなりバスで2時間ほどのマラッカに移動して、ホテルへのチェックインとなるので、こなすべきタスクが多い。

不安もないではないが、その不安自体について考えすぎるのも精神衛生上悪いので、あまりいかけないことにした。

現地時間午前6時に到着したクアラルンプール国際空港手荷物預かり時までモノレールで移動するという、日本ではちょっとお目にかかれない構造に軽く戸惑ったが、入国管理カードすら必要なく、拍子抜けするほどあっさりしたものだった。

空港内のコンビニで水を買い求めたりしたが、マレーシアの人は柔らかな笑顔で応対してくれる。

これは南国の気質なのか、旅人価値あるものとする、イスラムの教えなのか。

クアラルンプール国際空港から一旦、市内中心部のKL セントラルに向かうため、高速バス切符を買う。

バスチケットセンターのお姉さんんがちょっと硬い感じだったのと、スーツケースバスに積もうとトランクの近くにいたおじさんに声をかけたら客だったという小さなイベントはあったものの、ここでも概ね笑顔対応を受けた。

しかし、バスが走り出してすぐ、東南アジアあるあるの「異様に強い冷房」に遭遇。

日本からやや厚手のスウェットブルゾンを持ってきていたので、ジップを上げてなんとかしのぐが、これはなかなかの強さだ。

見ると、前の席のお兄さんはダクトに空港手荷物預かり証のシールを貼って塞いでいる。

そうか、その手があったか

KLセントラルに到着し、少し館内を散策する。

ここは交通ハブでもあり、観光客も多いのだろう。

でも、おそらく日常でここを使っている人たちの姿を見ると、その多彩さに驚く。

ヒジャブを被っている女性マレー系だろう。

長い髪も露わにひたいにビンディをつけてる女性がいる。

きっとタミル系だ。

カフェでは中華系の壮年男性が30台ほどに見える浅黒いマレー系男性ビジネストークをしている。

全く違う人種宗教の人々がここまで日常感を放ちながら共に暮らしている姿は、日本ではなかなか見ることができない。

セントラル地下には好レートの両替所があり、此処での目当てはそれだが、両替開店にはまだ早く、カフェ時間つぶし。

初めてのマレー飯、カヤトーストを食す。

トーストに挟まれた謎のスプレッドは色といい味といい、ランチパックピーナツクリーム連想させた。

開店した両替所でリンギットとついでに少額のシンガポールドルを手に入れたら、次は今日宿泊マラッカ行きの高速バスに乗るため、中央バスターミナルにかないといけない。

ここで、東南アジアUberといえるGRABを使って見ることにした。

アプリアカウントと支払い情報入力し、地図上で行き先にピンを指して配車すると、やがて銀の車がやってきた。

降りてきた男性中華系だった。

日本以外のアジアは「運転が荒い」という印象があり、事実マレーシアも聞くところによるとそうらしいのだが、GRABで配車されるタクシーアプリ評価システムが内在されているからか、実際に乗って見ると非常に安全運転だった。

ちゃんに礼を言い、中央バスターミナルTBSへ。

バスに乗ればマラッカまで2時間

乗り込む前に腹ごしらえすることにした。

フードコートで頼んだのはカレーラクサ。

ココナツカレー味のうどんのような麺でかなり辛い。

このラクサ中華マレー人の作る「ニョニャ料理」とされていて、それならばこれから向かうマラッカが本場なのだが、どうもマレー料理地域によってかなり味が違うようなので、クアラルンプールでも食べて見ることにした。

ココナツマイルドさとゴロゴロはいっている鳥の骨つき肉が味に厚みを与えているが、かなり辛い。

大汗をかきながら完食し、すぐマラッカへのバスに乗り込んだ。



古都マラッカ海鳥匂い


幸い先ほどよりも冷房がキツくなかったバスに揺られて2時間古都マラッカに到着した。

降りた瞬間に塩の匂いというか、海鳥匂いがする。

思った以上に海が近いらしい。

さっきの流れで慣れたので早速GRABでタクシーを呼び、今夜の宿、ダブルリーバイヒルトンマラッカへ。

ホテル世界最高レベルで安いと噂のマレーシアだが、通された部屋を見て驚いた。

広々としたリビングキングサイズのベッド、眼下にはマラッカの町並み。

ベトナムで泊まったホテルニューワールドにも驚いたが、1泊7,000円弱という値段を考えるとこちらの方が衝撃は大きい。

マレーシアなら東急イン以下の値段でラグジュアリーホテルに泊まることができる。

チェックインも済んだので、マラッカ旧市街に繰り出して食事でもしよう、そう思ってホテルを出たが、少しオランダ広場を見てから繁華街に向かうと、ほとんどの店が閉まっている。

おかしいな、祝日かな。

目当ての店もどれも閉店だ。

気になって調べて見ると、マラッカの街は夜が異様に早く、食事の店でも多くは18時、早い店だと16時には店が閉まってしまうらしい。

晩御飯を食べに出たら店はどこも開いていないというわけだ。

辛うじて空いていた中華系の店でローストダッグと空芯菜炒めをつまみながら、「これは世の中の常識定義全然違うなぁ」と思った。

ポストしたレビュー応援してくれるコメントも頂いたが、辛辣評価もついた。

寝不足で動き回る異国の地、曇天の空には海鳥の鳴き声が響きまくり、店は閉店、レビューにはお説教

うまくいかない日な気がしてきた。

まあ店が開いていないなら仕方がない、昨日からロクに寝ていないんだし、今日はさっさと寝て、朝早くからマラッカの街でニョニャ料理を楽しもう。


【3】2019 秋、マレーシア・シンガポール 3日目 |まぜこぜの国 へ >>

2016-04-17

http://anond.hatelabo.jp/touch/20160411082836

その後もやり取りをしてるんだけど、素直にそう思っただけみたい。改めてマレー人日本に行ったことある友人に「日本ってイスラムっぽい?」と聞いたら「日本は、人も建物もとてもイスラムっぽくて初めて行ったときは本当に驚いた」とのこと。どうやら似てるらしい。

2015-12-06

留学生のコーディネータ-やってたことがあるんだけどさ、中国人韓国人日本人がいたとするだろ

100%中国人韓国人が仲良くなって、日本人日本人が仲良くなるんだわ

韓国人マレー人日本人がいたとするだろ

100%韓国人マレー人が仲良くなって、日本人日本人が仲良くなるんだわ

あと、あいつはアラブのどこの国の奴だったか?忘れた。まあいいや。どことどこの組み合わせでもそんな感じ

これ何とかならないの?

 
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