はてなキーワード: 無味乾燥とは
1. はじめに
反出生主義は、昨今のインターネットにおいて注目を集めている思想の1つである。
この思想はしばしば誤解されがちで、「陰キャ非モテの妬み嫉みから産まれたルサンチマンの申し子」のごとく扱われる。しかし、大筋としては「現在生きている人が死ぬべきであるという主張」ではなく「産んでしまうこと自体が苦痛の押しつけである」という建付けのロジックとなっている。
その具体的な論法はそれなりに複雑で、論理展開自体も多くの批判を浴びてきた。それでも、未だにある種のバズワードとして、「反出生主義」はインターネットに巣食う若者の語彙に侵入している。
ただし、個人的な意見だが、思想というものはそれを実行する行動があってはじめて充足されるのだと思う。国会前で手作りのプラカードを抱えて珍走する路上の高齢者も、大人とつるんで政治的フレーズを口から出力する高校生大学生も、その点においては真摯な態度だ。TwitterでJAのイラストにケチをつける自称フェミニスト諸氏も、自らの思想との向き合いかたとしては評価できる部分もあるのだとは思う。少なくとも、2chやTwitterの匿名垢で独自理論を垂れ流しながら具体的には何の行動もしないオタクくんよりは遥かに好感を持てる。
では、反出生主義者を自負するインターネット戦士諸君に要求される「行動」とは何なのだろうか。
それは、ひとえに「女性の権利擁護」「性的マイノリティの権利擁護」「高齢者の権利擁護」の3本柱に集約される。
女性の権利擁護と表現すれば、一見するとTwitter-feministを想起させる危ないフレーズにうつる。しかし、女性の権利擁護、特に「産まない自由」や「独身を謳歌しバリバリ働く自由」を擁護することが肝心である。
これは、現代の価値観においては正しいとされる内容である。このことを口に出したところで、いわれなき批判を受ける機会はないと断言できる。だからこそ、反出生主義者にとっては格好の隠れ蓑かつ武器となる価値観であると確信している。
産まない自由を謳歌していただくことは、女性にとってもキャリアの中断(産休育休であれ、中断には変わりない)や育児コストを削減するのみならず、固定のパートナーに拘束されないことで気軽な恋愛を楽しめる期間が継続するという確固たるメリットが存在する。そして、反出生主義者にとっては言うまでもなく、思想の方向と合致する結末に繋がるルートである。そして、この自由を長く謳歌することは、生物学的束縛によって「産めない状態」へと繋がる。そこで不妊治療等を頑張ったところで、多くの場合は1人程度の子供を持つのみであるから頭数としては減らすことができる。仮に、ひたむきな努力の末に2名の子を授かることができたとしても、頭数は決して増加しない。その点でも、女性にそのプライベートやキャリアを追求していただくことは、反出生主義者にとって好都合である。
性的マイノリティ。古典的な統計としては、全人口の1割程度を占めるとも主張される存在である。そのカテゴリの人々においては(彼らとも彼女とも表現しづらいので、少なくとも合意が形成できるだろう点として人という表現を採用している:これは、自らを人以外の生物や物質であると主張する方々の権利を侵害する意図をもって行われている表現ではないということを断らせていただく)、子を為すことが現行のバイオテクノロジーによっては不可能である場合が多い。私は任意の2名が結婚という契約を結べるように社会体制を再構築することが急務であると心底確信している。個人的な思想としては、他人のカップルがどれだけセックスしようがどうでもいいし、結婚しようがどうでもいいのだ。興味がない。だからこそ、勝手にしてくれればいい(それによって私は一切困らない)。
ただ、これを反出生主義のポジションから眺めると、所謂クィア思想が普及し、子を為さないパートナーシップがますます増加していくことは、積極的に歓迎すべき事態であるといえる。社会的にこれらの思想を擁護することは、従来であれば「社会義務的に」子を為すことを強いられていた人々が、その苦痛を受けることなく、過ごすことができる。望まれて産まれてきたわけでもない子供の数を減らせるなど、喜ばしいことでしかない。虹のふもとには黄金のつぼなど存在しない。
高齢者とは、日本社会における最多数派であり、常に最大派閥の世代として生き永らえてきた階層である。彼らの医療・福祉に多額の金が流れ込んでいることは明らかであり、一方で次世代の教育への国家的投資がないがしろにされてきたという指摘は昔からよく為されていた。
労働者から徴収される諸々の金額総計は近年著しく増大している。消費税増税でガタガタ騒ぐ世間は、この部分についてはあまり取り上げないという印象が強い。また、既存の控除等が廃止することも注目されず、こうして現役世代からの集金システムは年々強化されてきている。
全サラリーマンの平均年収が400万円前後である一方で、都市部なら家賃含む生活費、地方部なら車の維持コストなどがベースとして重くのしかかる。子供を作れば一層の負担が追加される。出生に対し、経済的に大きなアドバンテージを与えられることもない。
若者が子供を持たない理由として一番挙げられているのは、経済的不安である。これは統計的事実として存在しており、逆にいえばこの不安が解消されることがある程度出生率の改善に寄与するだろうことは推察されうるわけだが、そうした抜本的な変革は未だ行われない。それは社会全体として出生をサポートする気がないし、高齢者の延命や生活環境の方が大事であるという強烈なメッセージ以外の何物でもない。
この事実は、出生をしたくてたまらないが大して金のない若者にとっては悲惨な現実である。しかし、反出生主義者にとっては、自らの望む結末を実現する上でこの上ない支援である。国家が自分たちの思想(から望まれる結末)をバックアップしてくれるなんて、滅多にありえないことである。
まだ産まれてきていない人のことより、もう産まれた人の権利を優先するというのはある程度理解できる。また、すでに産まれてしまったのポジショントークとしても、自分が老人になったときに優先されるのだ(実際はどうなるか全くわからないが)から、比較的取りやすいポジションだと思われる。別に子供など産まなければいいのだから......
そうして、出生数は減少し、反出生主義者の望む結末が得られる。
5. おわりに
反出生主義者は、そのことを表明するたびに、様々な誹謗中傷を受け取ることとなる。
ときには単なる逆張りとして、ときには嫉妬の表現として、嘲笑の下に処理されることも多い。
しかし、時代の流れとしては、反出生主義者の望む結末へと漸近しつつある。
そんな中で、反出生主義者らが取るべき行動とは、この方向性を後押しすることである。女性の権利擁護につとめ、性的マイノリティの人々の自由を願い、高齢者の方々が充実された余生を過ごせるよう陰ながら見守ることが求められている。その先に、必ずや人口の致命的な減少という結末が訪れると信じて、日々の無味乾燥とした生き地獄を生き抜いてほしい。(別に生きることを推奨しているわけではないので、自由にすればいいが)
決まった時間に起きる。
1日の活動のためのエネルギー補給を目的とした、朝食という名の飲食物を体内に取り込む作業をこなす。
休憩時間は限られるので、残りの仕事をこなすのに足りるだけのエネルギー補給を目的とした、昼食という名の飲食物を胃袋に詰め込む作業をこなす。
仕事が終わって家に帰ったら、夕食という名の飲食物を体内に取り込む作業をこなす。
翌日に差し支えないよう時間を最適に考慮して、就寝・睡眠という作業をこなす。
そしてまた決まった時間に起きて…が1週間繰り返される。
休日にやりたいことはあるが、昨今のコロナ禍を踏まえ、自粛せざるを得ないものもあり、十分とはいえない。
不完全燃焼のまま、また決まった時間に起きて…が再び1週間繰り返される。
人生とは特定または不特定の作業をひたすらこなし続けるだけのものだったのかといまさらながら気付かされた。
もっと刺激に満ち溢れた、喜怒哀楽に富んだものだと思い込んでいたが、単なる自分の希望的観測にすぎなかったようだ。
今はいち早くいかにしてこの無味乾燥でつまらない作業の連続に終止符を打つか、そればかりを考える毎日である。
生まれてからの20年間と、死ぬ直前の20年間はシンメトリーであると聞く
同じビデオを使っているように、成長と老化は進んでいく
何もかもが、自分の手の届かないところで動いていく
知れば知るほど、「しょうがない」「どうしようもない」が増えていく
知識や経験は、膨大な過去と未来を経過年数で除して無味乾燥な事実の羅列にしてしまう
感動のない人生だ
知識や経験を積み、地位や名誉を高め、財貨や権力を集めても、まだ足りない
そもそもが間違っている、何を間違えたのか
もはや生涯手に入らない、その精神性
手に入らないものだと気付いた時には、もう遅かったのだ
続いていくことの恐怖、恐怖すら退屈に変わり、いずれは退屈も感じなくなる
正直増田だとかネット上に何かしら書き込んだときの「お前がブスだからだろ?」「ブスなんだろうなあ」コメントがあまりにも無駄すぎてウザい。
まあ図星なことを言われるよりは傷つかないんだけど、図星な指摘の方がある意味勉強になっていいなとも思うんだよね。なんかに悩んでたりなんかが起きたりしたことを書き込んで、「そうなった原因はお前がブスなことにあるんだろ?」って言われたときの気持ちの無味乾燥さはヤバい。「どうせお前火星人なんだろ?」って言われてるくらい的外れ。
しかもなんか相手は「お前の現実を俺が暴いてやる」ってちょっとドヤってるのが字面から分かるじゃん。それが嫌だ。なんでてめえが見下ろす側だと思ってんの?
いや、書いてる途中で気づいたんだけどコメント主自身の容姿の醜さが人生におけるさまざまな出来事の敗因だったからこそ彼らは何かとブスブス言うのかな。その感覚が自分になかったから気づかなかった。つまりブスって言うやつはブスって小学生のセリフはある意味真理なのか。なんか入力しながら一人で納得しちゃった意味分からんよねごめん
TravisJapanの主演舞台が決まって、しかもそれが3年も続いてて、幸せなことだな、って思っています。本当にその気持ちは、嘘偽りなく、あって。「約束された現場があるありがたさ』、そのことには本当に感謝しています。
けどね、さすがにちょっとだけ、わがままも言いたくなってきました。人って贅沢なので。あと、普段、ジャニーズ舞台に愚痴をいうのは、時間の無駄だと思ってるので、ぼんやり見るように心がけてるのですが、
11/30締め切り案件(*1)があって寝不足なので、暗闇で眠くならないように、でもトイレも行きたくならないように、カフェインのタブレット飲んで行ったら、頭がさえちゃって、考えなくていいことを考えながら、舞台を見てしまった。
ということで、ここから2021年版の愚痴です。読みたくない方、ネタバレ踏みたくない方は、ここから先、読まないでください。
***
虎者に関する愚痴は、もう基本的に「脚本」もうちょっとなんとかならない????です。そこに尽きます。
2019年も、2020年も、そして2021年も、虎者の感想として「お芝居部分はショータイムを見るための、壮絶なじらしプレイ」として認識してました。だって、ショータイムの方が楽しいんだもん。どう考えても。
2021年は、お芝居シーンのラストで、「俺たちの育ての親の朱雀が闇の帝王だったなんて、とんだ災難だったよな。」と七五三掛龍也が言うセリフがあります。その時、客席で思ったのが、「そのとんでも設定の舞台、見せられてるこちらも、とんだ災難だけどね」ってことです。
でも、今日は頭が冴えてたので、これ、演じている方はもっと「とんだ災難」じゃない?ということに気がついてしましました。この、セリフがほとんどなく、うっすい内容の舞台の中で、Travis Japan もImpactors もすごく頑張ってるな、と気づかされる部分があります。(「のえる」と「かいと」以外は舞台中で役名がでてこないので、フルネームで記入します。)
例えば、松田元太は最初に「まだ力が足りない気がする」って言っていた通り、ずっとちょっと周りを警戒してるちょっとビビリな感じを出しているし、中村海人は、自分が「のえる」を置いていった判断をずっと引きずっているのを全面に渡ってだしています。2人とも、ちょっとしたセリフをきっかけにして、なんとかキャラを作ろうとしています。一見、セリフが多く、キャラクターを作りやすく思える「川島如恵留」と「宮近海斗」は、きっかけセリフを言わされすぎてて、実は逆にキャラクター作りづらそうだなぁと思ってみています。そもそも、一回完全に舞台上で死んでから、特に何の説明もなく復活するなんて役、やり易いわけないです。今回、川島如恵留は物語のひずみをすべて受けとめる役になっていますが、それをなるべく自然に見せようとすごく頑張っていると思います。
Impactorsでは、オオワシ(影山拓也)、ハヤブサ(佐藤新)が、もともとキャラクター性を与えられているのに加えて、武器も違うのが強いです。他はみんな、武器が刀だけれど、全幕、逆手で通してる基俊介も、キャラ立ちしてるな、って思います。逆手持ちは自分で決めたのでしょうか。すごい工夫です。せっかくならみんな武器を変えるだけで、バリエーションだせると思う。
そして、カゲロウ(松井リマ)、朱雀(長谷川純)の2人。カゲロウは、前半は虎者の敵のフリをしているが、実際には虎者を味方にしたいと考えていて、朱雀は前半は虎者のボスですが、実際には虎者を使い捨てようとしています。2回目以降の観劇でそれを知って見ると、2人とも、ものすごく密かに持っている本心の芝居をしていて見応えがあります。でも、初見だとその演技の意図がわからない。虎者ーNINJAPANーは、古典演目ではないので、さすがに初見では気がつけない演技を強いる脚本はどうなんだろうと思います。(*2)
クイズ番組で、クイズが「1+1=?」みたいなものだけだったら、どんなに知識のある人でも、ポンコツ回答できそうな人でも面白くならないと思います。舞台において、「脚本」はクイズ番組のクイズと同じ。「ホン」が不在に等しいこの舞台を、必死に面白くするように頑張ってる7人(+7人+1人+1人=16人)、の努力、ほんと凄まじいです。
お芝居の最後に、中村海人が、如恵留に対して、置いていったことを謝り、それに対して松倉海斗が「もういいじゃないか。2度はくどいぞ。」という箇所があります。東京公演では、ここのシーンにおいて、2人がアドリブで遊び始めたのですが、11/21くらいからかな、アドリブはなくなり、元に戻りました。想像ですが、きっと、「ここは、最後のシリアスなシーンとして演るべきでは」と大人からアドバイスがあったのだと思います。
確かに、お芝居全体からしたら、ここはシリアスに演じるべきかもしれない。でも、観客としては楽しみにしてたアドリブでした。だって、もう他に虎者同士の関係性がでる箇所が少ないから。
1人1人のキャラがなく、ということはキャラ同士の関係性もない虚無のお芝居のあとにある、ショータイム。ショータイムになった瞬間、重たい鎖かたびら脱いだ?ってくらい、自由にいきいきと踊り始めるTravis Japan。
2019年に屋良くんが教えてくれた通り、本当にたくさんアイコンタクトを取りながら、楽しそうに踊っていて、だから見ていて、とても楽しいです。虎者の無味乾燥な実体のない「役」を脱いで、本来のTravis Japanになったから、みえる関係性があるんですよね。はぁ全幕、ショータイムやってて欲しい。
***
とまぁ、ここまでツラツラ愚痴を書いてきたのは、単に憂さ晴らしをしたかったわけではなくて。あと、チケット代返せ、とか、もう観に行かないぞ、とかいう話でもなくて。来年以降も虎者があるとしたら、こういう要素ちょっと入れてくれたら嬉しいのにな、的な妄想話がしたかったからです。(*3)
2019年、2020年、2021年と毎年脚本が変わっているのは、しっくりきていない、という考え自体は共有されているのだと思います。私が2021年版で一番気に入っているところは、謎の家族設定がなくなったところ。でもそのせいで、物語が薄味になったのも事実だと思います。(設定なくしたら、足さないと)
舞台見ながら、考えていたのは2つ。(カフェインって怖い。こんなに普段ポンコツでも、頭の中がデュアルコアになる。)
1つは、せっかくTravisJapan と Impactorsが 7人同士なので、1人の人間の中の「善」と「悪」を描くスタイルにして、最後、清濁併せ吞んだ形の「真の虎者」になるタイプ。(Impactorsの名前が影虎軍団ならちょうどいい。)朱雀は父で、カゲロウは(魔法で年をとらない)母で、それぞれ戦っているみたいな感じ。
これだと、どういう悪の心と戦っているかで、ダンスバトルだったっり、殺陣だったり、戦いのバリエーションできそう。(去年のバトン対決のやつ、楽しかった。)
ちょうど7だし、「七つの大罪」とか、ちょうどいい具合にハマりそう。(日本だと、ほんとは、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八徳の方が、ハマりがいいような気もするので、朱雀とカゲロウ巻き込んでもよいかも?)
宮近海斗(赤):炎系の術を使う
川島如恵留(白):風系の術を使う
吉澤閑也(黄):毒術を使う
中村海人(緑):木の葉の技を使う
とか。
いま、適当に書いたので、ほんとはもっと良いのがあると思いますが、まぁそんな感じ。(『伊賀の影丸』読みたくなってきたな笑)
それぞれ、得意な術の情報とかあるだけでも、トランポリンとかトランポリンとかトランポリンとか、映像ももっと作りやすいと思うし、楽しめると思います。俊足の七五三掛!とかキャッチフレーズがあっても楽しいし、松松の分身の術もみたいです。(そろそろ、脳内で「千年メドレー」は踊れる気持ちになってきたので、分身の術も習得したいなと思ってます。)
もうね、ほんと素人の思いつきなんで、別にただ書いて、昇華したかっただけなのですが、できたら来年は、少ないセリフを手がかりになんとか舞台を成立させようと努力しているTravis Japanじゃなくて、
私が、普段、舞台を観に行くのが好きな理由は、「役者さんが自分自身をメディアにして、別の人物を表現するところ」です。器と中身のずれというか、隙間の所が、ゾクゾクします。役名と、実際の名前が一緒のジャニーズの舞台においては、少し変わる部分もあると思うけど、光一さんと「コウイチ」が同一ではないように、やっぱり「役」の仮面というのは存在するのだと思います。来年こそは、重たい鎧ではなく、つけるに足る仮面をつけた舞台がみたいです。
と、ここまで、全て、来年も虎者ーNINJAPANーがある前提で書いてきてますが、そして、今のところ、あると確信していますが、まず、ありますように!!!
*0:あえての〜を仕込んでみました。(言わなくていいことをいうスタイル)
ゴウジュンーッス
いつでも基本を思い出したり、原点に立ち返ることって大事だと思うんですけど
まぁだからってゼロの状態に戻せってんじゃなくて、ゼロの時自分はどういう気持ちで動き始めたのか、また活動方針を変えるときはどういう思いで活動方針を変えたのか、とかを考えた方が苦しい気持ちが少しは楽になるよね、って感じです。
なんせ人間いつでも五里霧中になってしまうし、だのに周囲は無味乾燥に思えてしまうこともしばしばな訳で、それじゃあ何を潤いとして生きてきたのか、何を指針として生きてきたのかということも死んでからもわからずに活動停止しちゃうんでしょう。
だからせめて縄が首にかかる手前ぐらい、そんなことを考え出す手前ぐらい、なんかややこしくなってきたな、きな臭くなってきたなという思考が巡ってきた時に自分はどの立場として胸を張ったり居直ったりして居られるかを考えて生きるのを考えるのもアリかもしれないです。
なんたらとは死ぬことと見つけたりとか思っちゃってるなら、それで後悔が無いなら仕方ないなぁとは思うんですけどね
でもそれは救いのないことなのだろうか、結局人が救われるのならばその結果何者かが地獄の業火にその魂を投げ込んだとしても、行為が過ちだったと業火の中で喘ぐ思いをしても、人間として生きて定めて死んだのならそれは
ということで本日は【安全目標の確認よいか】でいきたいと思います。
よく世間では「小手先の技術より本質が大事」とか言われるよな。
だけど俺は、どちらかと言うと馬鹿にされがちな、小手先の技術ばかり覚えていくつかの成功体験を得てきた。
人は自分に対して「そんなんじゃダメだ、もっと本質を学ぶべきだ」と言うけど、そういう人に限って実力は自分より低い。
そんなとき俺は、(けどあなた、自分より実力低いですよね?)と心で笑みを浮かべるのだが、一方で、(本当は、この人の言うことの方が正しくて、自分は将来大きな落とし穴にハマるかもしれない)という恐怖も正直覚える。
だからつい最近は、「本質」とやらをじっくり学んでみようと思い、彼らの言うことに従いながら新しいことに挑戦してみた。だけど結果は散々で、自分なりに奮闘したがぜんぜん身についた感じはしなかったんだよな。逆に、今まで通り小手先のやり方に戻ったら、急にめきめきと上達しはじめた。
小手先でしか上達できない自分もカッコ悪いと思うし、できれば「本質」とやらを体得して上達するほうがカッコいいよな。
世間でいう「本質」とやらは一体なんなんだろう。正直なところ、皆ウソをついて他の人間の成長を妨害しているんじゃないかと思うほどだ。
自分は「本質」とやらに一生縁がなく、小手先の努力をコツコツ積み重ね続けるだけしかできない、「間違ったやり方」でしか成長できないと思うと、人生が無味乾燥なものであるかのように感じる。
父親は気に入らないことがあるとすぐに手を出す性格で、幼少の頃は止めて入った母親まで殴られて一緒に泣いている記憶ばかりだった。
祖父から継いだ仕事で財産を築くも、それを自分の商才と勘違いした父親は引き継いだ仕事を辞めて趣味の延長である雀荘の経営を始めた。
母親も夕方から深夜まで手伝いに駆り出され、学校から帰ると家には誰もいなかった。
前の仕事で築き上げた財産で、家だけは無駄に広かったが、お化け屋敷に住んでいるみたいで落ち着かなかった。
両親は決まって夜中に酔っ払って帰ってきた。
今日の接客がどうだとか、作った料理がどうだとか、売上とか従業員の給料とかそんな話ばかりだった。
とにかく布団の中で聞かないふりをした。
たまに母親が泣きながら上がってきて、化粧と酒くさい顔を近づけて頭をなでながら何かをぶつぶつと言っていた。
その時もやっぱり寝たふりをしていた。
そのうち父親は朝方まで帰ってこなくなった。雀荘の営業時間を伸ばしたらしい。
家での両親の喧嘩は減ったが、夕方近くまで眠って明け方に帰ってくる父とは会話をすることがなくなった。
見栄で通わされた私立の小学校は家から遠く、地元の同級生たちと馴染めないままいつも一人遊びをしていた。
何か不自由を感じたことはなかったが、何かいつも足りないものを感じていた。
ある日公園で一人で砂場遊びをしているときに、近くの小学校に通う同級生たちに囲まれて砂場に首から下まで埋められたことがある。
砂まみれの自分に気がついたが、怒ることもしなかった代わりに、何かを聞かれることもなかった。
びちょびちょの洋服をそのまま洗濯機に投げ入れたが、そのことについても母親から何かを聞かれることはなかった。
毎日一生懸命に働いている母親を困らせるのは悪い子供がすることだ。
次の日に公園に向かうと、その時の同級生たちが野球ごっこで遊んでいた。
もう一度砂場に埋められるわけには行かない。そう思って、公園で遊ぶことはその日以来やめて、誰にも会わなそうな空き地や少し離れた河川敷で遊ぶようになった。
見栄で通わされた進学塾は、毎日終わり際にタイムカードだけを切りに行って、それ以外の時間は近くのゲームセンターに入り浸った。
夕食は塾の近くにあるファーストフードで食べなさいと、毎日500円をもらった。
そのうちの大半をゲームでつかった。
志望校は当然全て落ち、受験する3日前まで名前も聞いたことのないような私立中高一貫校に文字通り滑り込んだ。
小学生までは頑張って起きて朝の支度をしてくれた母親も、自分が中学生に上がると昼まで起きてこなくなった。
その代わりに、一日の昼食代500円が毎日テーブルに置かれるようになった。
途中にいくつかの繁華街がある駅を通るが、制服はゲームセンターに行くには邪魔だったおかげで、遅刻は常習犯ながらも、日中は流石にサボることはできなかった。
昼食は甘ったるい菓子パン1つと甘いジュースだけでしのいで、残りは放課後のゲームセンターで使った。
作りおきの夜食で栄養バランスをなんとか保ちつつも、それが理由かわからないが身長は165cmで止まった。
人付き合いというものをろくにしたことがなかったが、この頃一緒にゲームセンターで遊ぶ友人が何人かできた。
なんとなく、生まれてはじめて人間らしい営みを手にれた気がしたが、それも長くは続かなかった。
中2の初め頃、親が新しく始めた飲食店の手伝いのために、放課後は部活も許されず店にまっすぐ向かって日付が変わるまで無給で働かされることになった。
雇われた店長は父親の前だけへこへこして、溜め込んだ憎悪やストレスを自分にぶつけてきた。
裏表のある大人を間近に見てこんな大人になるくらいなら死んだほうがマシだと思った。
放課後を奪われた学校生活は無味乾燥そのもので、授業の大半を寝て過ごし、夜は脇目もふらずに仕事に向かう生活を繰り返した。
家族に内緒で行っていた父の株式投資の負債によって、雀荘や飲食店どころか家まで失うことになった。
荷物のほとんどを捨てて、親戚が管理人をしているワンルームのアパートに母親と引っ越した。
その時は住むところを失った悲しさよりも、店の手伝いから開放された嬉しさが勝った。
負債を家族に背負わせないために両親は離婚をして、その後父はどこにいったのかも聞かされなかった。
親族のうち、以前から換金所で働いている人間はたんまりとお金をもらっているのに、自分は足元を見られて少ししかお金をもらえていないと嘆いていた。
生活できるだけでもどれだけありがたいことか。母親の欲深さにうんざりした。
それでも贅沢はせず、母親は少なくとも高卒じゃなきゃ働き口なんてないという理由で、意地でもわたしを卒業させてくれた。
この頃、親戚のおじさんが相次いで自殺をした。バブル崩壊で抱えた借金で首が回らなくなったからだという。
父親は生きているのだろうか。どちらにしても、お金が原因で命を失うなんて馬鹿げていると思った。
お金様の何が偉いのか。そもそも人の幸せとは何か、そのときに眠れなくなるくらいに考えたことを覚えている。
相変わらず夜の帰りは遅いものの、交代制シフトで働くようになった母親は、朝に起きて夜に眠る生活に戻った。
この歳になって面と向かって甘えるなんてことは流石にないが、学校でのくだらない出来事や、一緒に見ているテレビの内容のことを話す機会が増えた。
小学生のときにできなかった時間を取り戻しているような気がして、毎日が楽しかった。
たまにお酒が入ると、母親は決まって過去のことと今のことをわたしに謝った。
仕事の忙しさを理由に全然世話をしてやれなかったこと、それなのに全ての財産を失って辛い生活を強いていることを、何度となく謝ってきた。
母親にそんなことを言わせてしまっている自分が申し訳なくなった。
今がどれだけ満たされているか、どれだけ言葉にしても母親は首を横にふるだけだった。
むしろ自分にしてみれば、お金があった時代のほうが不幸だったのではないかと思えた。
在日韓国人である自分にとって、この頃はたとえ大学を卒業したとしてもまともに就職できる企業なんてものはなかった。
だから、その時には当たり前のように大学進学はせずに働くものだと決めていた。
家から原付きで30分ほどの床も壁も筒抜けのボロアパートに引っ越しをした。
言葉の通じない相手に、いい年をした職人たちが代わる代わるいじめを繰り返していた。
在日韓国人であることを隠して働いていた自分は今で言うパワハラだけで済んだが、それこそ一歩間違えれば現場で死亡事故にでもなりかねないようなことも行われていた。
自分はいじめに加わることも助けることもできなかったが、できるだけ彼らの話に耳を傾けるようにした。
いじめについて聞いたこともあるが、ここで稼いだ仕送りで国で待つ家族が笑顔になることを考えれば何でもないと、全員が口を揃えていた。
外国人をいじめて楽しそうにしている職人と、いじめられても家族の幸せを思って幸せを感じている外国人とを見比べて、幸せとは何かを再び深く考えた。
とある事故をきっかけに、2年ばかりで建築会社は倒産してしまったが、使う当てもないままに親に仕送りをしながらも300万円くらいの貯金をすることができた。
実家(といっても親戚が管理人のアパートだが。)に戻ると、その貯金でまずはパソコンを買った。高校時代のゲーム仲間のパソコンが詳しい人間に教えてもらいつつ、当時出たばかりのインクジェットプリンターと併せて全部で100万円くらいかかったと思う。
教習所の短期コースに通いながら、一緒にもらった違法ソフトで本を読みながらウェブデザインを独学して、車の免許とウェブデザインの最低限の知識を2ヶ月位で詰め込んだ。
その後、貯金を切り崩しつつ就職活動をして、ソフトウェア開発の会社にアルバイトとして入社した。
もともと大手通信会社で勤めてから独立した社長がなかなかのやり手で、パソコンとサポートのセット販売や、当時はまだ珍しかった個人ホームページの制作代行など、次々と事業を拡大していった。
世にいう就職氷河期の頃だったが、当時、個人でパソコンを持つ人間はまだ少なく、また、車の免許や力仕事、職人に鍛えられた物怖じのなさが気に入られて、その会社で正社員として働けるようになった。
入社して数年、立場も順調に上がっていき、社宅手当をもらえるまでになったのをきっかけに、母親をつれて小さいながらマンションに引っ越すことができた。
これで母親に少しは惨めな思いをさせないで済む。そう思っていたが、母親はそうではなかった。
一度は財産を築いて豪邸(とはいっても本物の豪邸には程遠いが)に住んだ身にとって、マンション暮らしは惨めなのだという。
まだデザイナーズマンションだとか億ションだとかタワマンという言葉が生まれる前の話だ。
戸建てを買えなかった人間が、渋々住むのがマンションだという思い込みが強かったのだろう。
一度は地に落ちた生活をここまで取り返すことができたのだから喜ぶだろうと思っていたが、そうではないという母を見て、素直に可愛そうだとおもった。
社長の経営手腕のおかげで、今もその会社で、気がつけば重要な立場を任されるまでになった。
母親は別のマンションに住まわせ、自分は結婚して二人の子宝に恵まれた。
自分の親ガチャがあたりかはずれかなんて、今になってみればわからない。
羨ましいと思える親子関係も山のように見てきたし、両親がもっとまともだったら良かったと思うことなんていくらでもあった。
だけど、こんな親だったおかげで、自分は幸せとは、お金とは何かを考える切っ掛けがたくさんあったし、そのことについて世間に流されるようなこともなかった。
未だに大学進学までしておいて定職につけないままの同級生もたくさんいる中で、自分は、本当にたまたま運が良かっただけなのだろう。
そんな自分がいうのもなんだが、親ガチャなんて人生の数多くのガチャの一つでしかないし、その一部分だけ切り取って見たところで何の意味もないのだと思う。
ゲームみたく課金でやり直せるものでもないのだから、問題は、そのガチャの結果とどのように向かい合っていくのかなのだろう。
同じ野球チームやバンドのファンがすぐに友だちになれるように、酒のファンになれば同じ酒のファンとすぐ友だちになれる。
そして酒にはファンが沢山いるから酒のファンになっちゃうのは人生においてめっちゃ得なんだぞ。
とのこと。
無茶言うなと。
いつかは強くなると無理やり飲まされ続けたのもあって俺は見事に酒のアンチになった。
酒のアンチとしてその課長とは段々敵対していったし、それとは別に給料が残業時間に見合ってなかったので会社も辞めた。
そしてそれがメジャーであるほどにファンどもは加速度的に調子に乗って誰にでも布教するのが正しいと思いこむ。
鉄道オタクとかガンダムオタクとかアイドルオタクとか野球オタクとか特定宗教や政党のシンパ達……そういった厄介な信者の類ってのは結局そのジャンルを通して仲良くなった成功体験とかが変に積み上がりすぎた体なんだろうな。って
そしてそうやって甘やかされたファンほどアンチに対してやたら敏感だ。
だから俺は色んなものの悪口は言わなくなったし、アンチがどこにいるか分からんので無趣味を装うようになった。
結果として無味乾燥なヤベー奴として職場では扱われるけど、その分飲み会にも誘われにくくなって得してる。
あの自称酒のファンはマジでクソ野郎だったしその理論はたしかにクソだったけど、そのロジックそのものは俺の人生に糧をもたらした。
まさしく「敵の名言」であったよ。
そういうのあるかい?
念のために断りを入れておくが、この投稿はDV被害者の受けている実害を矮小化することを意図したものではない。
Vtuberの配信を少し見れば分かることだが、大半の配信は無味乾燥としてつまらない。
大多数のファンは、比較的面白い配信を取捨選択して視聴することによって、Vtuberから得られる満足度を高めるように努めている。
あるいは、つまらない配信は作業用BGMと割り切って聞き流すという人も多いだろう。
しかしながら、あまり面白くない配信も含めて網羅的に視聴しようと試みるファンも中には存在する。
そういった一部のファン層が、配信しているVtuberに恋していると錯覚することで、苦痛にさえ感じるようなつまらない配信を真剣に視聴する意義を見出そうとしているのではないだろうか。つまりは、ガチ恋しているから多くの配信を見るのではなく、多くの配信を見続けた結果としてガチ恋という精神状態に陥らねばこれ以上推し続けることが困難という状況まで追い詰められているのである。
この心理状況は、DVに対する反動形成によってDV彼氏に依存していく過程と共通項を見出せる。
増田を始めとして、ネット上においてVtuberへのガチ恋を嘲笑する書き込みが多数見られる。しかしながら、Vtuberにガチ恋している人が本当に必要としている言葉はそういった類のものではない。DV被害者と同様に優しい態度で彼らに接するよう心掛けるべきだ。
原始、女性は太陽だった。って誰の言葉でしたっけ。それはそうと昭和、中年男性はヒーローでした。現在令和に突入した日本ですが、平成の中頃から中年男性(以下おっさん)の存在価値が暴落した印象があります。さて、おっさんに何があったのでしょうか。これはもうすぐ50歳になるおっさんど真ん中の筆者が、おっさんの存在価値と生存戦略について真正面から向き合ったレポートです。
おっさんとは
さてまずおっさんとはどのくらいの年齢範囲でしょうか。ここではズバリ「35-60歳」と定義します。35は転職市場の実質上限、つまり「若者」と言えるギリギリってことです。60は定年とすると「お爺さん」と言って差し支えない歳ですね。真ん中は47.5歳。筆者は真ん中も過ぎた中堅おっさんなので、そろそろおっさんを語っても許されるでしょう。
そして現代のおっさんは「社会における苛烈な被差別階級のひとつ」と言えます。少なくとも日本ではそうです。そんなことないだろ?と思ったおっさんのあなた、まだ練度が足りません。例えば小売店のレディースデー。女性優遇の施策ですが、かつておっさんデーがあったことがありましたか?ありませんね。例えばおっさんが痴漢の被害者になったとします。あまりにレアなので笑い話にはなるかも知れませんが、誰が同情してくれますか?ほら、おっさんはおっさんというだけで無視され虐げられ、疎まれているんです。そんなことないだろ?まだ言いますか。そう思ってるのはあなただけかも知れませんよ。
男に生まれて35年も経つと、この被差別階級たる「おっさん」に強制編入されます。見た目は緩やかに老けていくだけですが、社会は突然突き放してきます。それは「人権剥奪」と言っても良いくらいの仕打ちですが、当の本人はそれに気づかず猛烈に困惑します。ルーキーおっさんの洗礼ですね。
まず転職。ほとんどの会社が35歳までとしています。つまりこれは「ゼロから教育するのに柔軟な脳を持った最後の歳の相場」なわけですね。もちろん40歳を過ぎても柔軟な脳を持った人だっていますが、そんな言い訳は通用せず転職市場からは脱落です。筆者も転職には苦労したクチなので、おっさんになった最初の実感はこれでした。
そして恋愛。35歳にもなると見た目も老けるので若々しさは失われかけますし、若い世代とは会話も合わなくなってきます。現実的には35歳前後の女性と付き合うのがベストなはずなのですが、さも当然であるかの如くおっさんは若い子を求めがちです。35歳のルーキーおっさんにはおっさんになった現実が見えていないので、こんな図々しい希望を持つのですね。なにより若い子がおっさんと付き合うメリットがありません。心身ともに若くて会話が弾んで体力もある、ついでにイケメンならそっちと付き合うに決まってます。
そんなおっさんが人権を保障される、つまり若者を含めた社会に参画するには「権力・経済力・名声(または一芸)」のどれかがなければなりません。権力がないと若者に意見できません。金がないと若者と付き合えません。名声(または一芸)がないと若者に尊敬されません。どれもないおっさんは「おっさん餓鬼界」に転落し、いないものとして扱われます。若者へ接近してもガン無視されるがウザがられるだけなので、せめて慎ましく生きましょう。
ということは、そのくらいしか取り柄のないおっさんが人権を必死に守ろうとした結果がこれまでの日本社会と会社形態であり、女性の社会進出を本能的に拒んで来たと考えると納得できます。しかし現在はその砦も陥落寸前であり、ますますおっさんの人権はなくなりそうな勢いで、お先は真っ暗です。
なるほど昔の人は言ってました。若いうちに一生働ける定職に就いて早目に結婚しろと。これらはおっさんになってからでは得られないことばかりです。気づいた頃には崖の下にいるってわけですね。とほほ。
ではなぜおっさんがこんなにもショボい存在になってしまったのかを考えます。冒頭にも述べましたが昭和時代、おっさんのヒーローはたくさんおりました。古くは鞍馬天狗に月光仮面、時代劇も刑事物もバラエティー番組の司会までおっさんのオンパレードでした。筆者も若い頃、いつかは三船敏郎さんや岡田真澄さんのようなカッコいいおっさんになることを夢見て来ましたが、全然なりませんでした。いやそれはさておき、平成に入ってから明らかにおっさんの需要は減り、メディアにおけるおっさんの比率はもはや消滅寸前です。まーかろうじておっさんのお笑い芸人や高齢ジャニーズが残っていますし全滅ではないのですが、とりわけ男臭いおっさんのドラマは全滅したと言って差し支えありません。
さてなぜおっさんは死んだのか。それはズバリ「インターネットの普及」にあると筆者は考えています。もう少し詳しく言うとSNSですね。これによってある意味神格化されていたおっさんのベールは剥ぎ取られ、尊敬できる存在ではないことがバレてしまったのです。とりわけTwitterによるおっさんへのダメージ(悪印象)は無視できません。近年高田純次さんは「おっさんの禁忌三箇条」に「説教・自慢話・昔話」という定義をしておられましたが、まさにこれしかツイートしていないおっさんが溢れ返っているなうです。ところが本人は良かれと思ってやっており、かくしてここに「教え魔」が誕生します。もちろん説得力を持たせるため偉い、金持ち、どっかでは有名などのアピールは欠かしません。が、頼んでもいないアドバイスほどウザいものもなく、またそれが知らないおっさんからならウザさも倍増です。おっさんはSNS禁止とまでは言いませんが、若者のツイートへのリプライは自重した方が確実に良い結果になるでしょう。
しかし自分だけ自重したところで教え魔のおっさんは後を絶たず、おっさんへのヘイトはますます溜まる一方です。そうでなくても昭和時代からセクハラパワハラし放題だった一部の悪代官のようなおっさんのお陰で潜在的なヘイトはあったというのに、事態は悪化の一途です。「自分だけはウザくないしおっさんじゃない」という勘違いが、その他大勢のおっさんを苦しめてるんですよ、ご同輩。
おっさんと性欲
ではなぜこんなにおっさんは必死なのでしょうか。それは「欲」の問題です。食欲、睡眠欲はまー健康の証で問題はありませんが、性欲はおっさんになったらとっとと捨てるべき劣悪な負債です。持ったままだと良い事は一つもありません。
女性の性欲は閉経という定年があるので、中年になっても男を漁るような行動をすることはごく稀です。しかしおっさんには閉精なんかないため、いくつになっても女漁りに暇がありません。まーこれは言い過ぎですが、少なくとも女性に興味がなくなることはほぼありません。いつかは衰退して楽になるものと筆者も待ってはいますが、残念ながら今のところピンピンしています。
おっさんの性欲はこの世でいちばんムダなエネルギーです。しかし埋蔵量は無限なため、上手く運用すると大きなお金が動かせます。風俗に水商売、アイドルに声優にアニメにゲーム。凡庸な商品も何かしら若い女性を絡めるだけで売上は数倍になるでしょう。これらは全ておっさんのエロエネルギーを採掘した結果です。もうおわかりですね。おっさんは「お金を払わないとエロにありつけない」のです。エロ産業から見ればおっさんはお金に付着したタンパク質であり、もはや人間ですらありません。嘘だ、と思ったらキャバ嬢や風俗嬢のツイートを覗いてみてください。その類のツイートが死ぬほど出てきます。
そこでおっさんは考えます。コスパ良くエロにありつきたい。ここに「教え魔×出会い厨」というハイブリッドモンスターが誕生します。上手くいけば若い子から尊敬されついでにオフパコまでできちゃう!…実におめでてえ最低野郎です。こいつらはネットインフルエンサー女子のリプ欄でよく見かけますが、上手くいった話はひとつも聞きません。
なるほど昔の人は言いました。辛抱しろと。性欲さえなければおっさんのウザい要素のほとんどは消えます。しかし消し方はほぼ自然消滅のみなのでそれまで辛抱しましょう。SNSはそれまでお預けでも良いかも知れませんね。
性欲の他にあと一つ、消し去るべき欲があります。それは「自己顕示欲」です。おっさんがおっさんのツイートにリプライする際に発生しがちです。「俺の方がすごいぞツイート」ですね。俺の方が悲惨だぞツイートなんかもありますが、いずれにしてもこの「マウント」がおっさんがおっさんを嫌う理由に充分なり得ます。そう、おっさんはおっさんからも嫌われているのです。同一カテゴリにいながらも連帯意識はほとんどなく、むしろ「コイツよりマシ、コイツよりは嫌われてない」と思い込みがちですが、全て幻想です。
教え魔も出会い厨もマウントもダメなら、おっさんはツイートする内容が非常に無味乾燥なものに限られます。正直つまらないのでSNSなんかやらないのが正解です。実際おっさんがいない方が平和なので、若者はおっさんに侵略されていない新し目のSNSを好む傾向にあります。いやー嫌われたものですね。
以上の見解から今後おっさんが復権というか若者にウザがられず社会参加するためには、おっさんというおっさん全員が足並みを揃え
自慢話
昔話
を禁止とする必要があると考えます。実際性欲と自己顕示欲の抜けたおっさんは、渋くて魅力的に映るでしょう。とりあえずそれを目指しましょう。そしてカッコいいお爺さんになりましょう。これでもなおダメならおっさんに明日はありません。辛抱ですよご同輩!
原作改変したことでアニメ版を見た身からも途中が飛んだことがはっきりわかる印象に。
ハードSFらしいかったるい説明と、学者だけで全て済ませてしまう展開はどっかの小説で見た印象。小説家が脚本を描くとSFを使ったサスペンスに終止してエンタメを考えない悪例として刻まれたと思う。基本有川と銘だけが事件を解決してゆく形式で、ほかがおまけ、という雑な配分もハードSF小説くさくて正直ある意味では小説の作法を無視しまくってる。都合の良い狂言回しの人間を使い捨てて無駄に字数を増やすのがハードSFの作法に見えて仕方がない。加藤侍とかいらんでしょ、狂言回しにすらなってないし。SFの解説をサスペンスに仕立て上げる、という手法は古典SFで見られる手法だけども、映像分野に合わないんですよ。ずーっと地味なやり取りが続くだけだから。
ゴジラじゃなくても成立しただろ、という印象を受けた人が少なからずいたはず。
個人的には好きです。オールマイトからエンデヴァーに移り変わったあとの一戦も熱く、オールマイト不在の隙間を埋めてくれましたし、潜入捜査しているホークスや隠された能力に目覚める未だ成長途中のデクくんなど普通に面白さが継続できてるのが良い。今期はきのこがかわいかった。
前回よりも惰性で作っちゃった感じ。過去に思いを残した人々が精算し、狭っ苦しくて制限だらけの今に戻るという普遍的なテーマ。
SFカテゴリで見ちゃだめです。少なくともはてなでは。ただし物語としてはリゼロの作者だけあって過去改変や世界の変容をテーマ化していて、タイムリープものとしては(同一人物と遭遇するシーンの記憶がないのでリープかな)まあまあだったんじゃないかと思う。この作者の肝は熱血と涙にあるので、そこを受け取りたかった人は刺さったと思う。筆者はおっさんだし壮大なヒロイズムに自己同一視できるほど夢は抱いていないので、若い人が感動してくれたら宜しいかと。こういうナウシカみたいな壮大な世界を一人で背負う、ってことに聖女性を見いだせません。だって増田だってクズばっかなのに人を救いたいと思いますかって話。
ちなみに物語的になんで人を救いたくならないかって、Vivyとその周辺にいるのがAIばっかだからです。AIに対する人権とか、Vivyが苦しかった際に救ってくれた人間とか、そういう感情移入させるシチュエーションがない。だからVivyやマツモト博士が勝手に一人で戦って死んだ話にしか見えない。物語を作る際に思い入れる「環境」を作れてない。Vivyが救うトァクのメンバーの実情もスピンオフにしなきゃならないほど語られない。そんな意味では24話構成にしてもいいくらいなんだけど、削りながらでももっと感情移入できるキャラを増やせたとは思う。トァクなんて敵対してただけなのに救いたくないですよね、あんなもん。感情移入と逆のことやってんですよ。
仕組みに振り切るのか、人間ドラマに振り切るのか作者も配分に頭を悩ませたんじゃないかな。
ぐちゃぐちゃ言ってますが悪感情はないんですよね。ただ佳作感しかないというか。
途中まで見て予約がかぶって潰れちゃったのでそのまま放置。このすばよりパワーダウンしてるので見逃してもいいかな感しかなかった。なんかぼんやり見てても頭に入ってくるタイプじゃなく、他のことしながら見てると頭に入らなかったのでそれもまずかったなと。要するにこのすばを期待した層をある意味で裏切った感じがするというか。ほんとよそ見しながらなので的はずれなこと言ってる可能性あり。
ダークホースじゃないか。とぼけたドラゴンと飄々とした魔王、アホの姫が物件を買い求めながらじんわりと旅する。騒がしすぎないのもいい。力を抜いて見られるコメディで、深夜アニメの本道だと思う。
単なる男子よしよしアニメかと思いきや、実は子育てアニメだった件。誰もが途中で「あーもういいからやっちゃえば?」と思っただろう。でも実のところ、このアニメは男のナイト気取り欲求を満たす効果を持っていて、安易なヒロイズムに酔いやすいやつがハマるアニメの一つだと思います。普通はあんな女子高生みたらヤバそうだから関わらないほうが良さそうだ、という思考が最適解として頭をよぎります。
ちなみに、ヒロインがエアーズロックもまっぷたつに割れるレベルのブスだったらどうするんでしょうか。これはもう無理でしょう。成立しません。何が成立しないかって、物語的にブスでも通用するかってこととルッキズムは別問題だからです。
国の上層部が作り出した金剛鉄兵と、別に組織された零機関。そして物語中に挿話される舞台、サロメなど。これらの話はキャラクターの背後にある一人の女の話に絡んでいて、デフロット君と前田義信の奇妙な縁など明らかになる。
丁寧な作りなんだけどいかんせん小粒な感じがある。サロメや他の挿話を十全に知らないと理解できない気もする。原作知ってる人なら言いたいことが山ほどあるんじゃないだろうか。
天スラはキャラが楽しいので日常系に耐えうるのもわかるものの、延々とやられると中だるみするんだなという話。
マインが司書やるあれの空気感をなんとなく感じつつ視聴。かなり王道少女漫画的で、イケメンのあれと仲良くなってゆく過程でうつむきながら逃げ回るなど、まあそりゃ受けやすいと思います。ただしひねくれた女子以外。イケメンに気に入られない自分と比べてしまって辛いらしいね。なんでそんなところに自分が登場するのか謎ですが。おっさん的にはありだと思います。
地味だけど今期で一番人情に振り切った作品じゃないかと。時代劇を意識した作り、子連れ狼などのモチーフ、復讐と許しの葛藤という普遍的テーマ、古典的ながら骨太だとは思います。ただ、名作かって言うとそうじゃなくて、今となってはなくなった形式を今やってみたという作品かと。
中身がニコニコ、旧2ch的。ヤンデレとクズ、陰謀家など嫌な感じのキャラをやり尽くしてんだけど、嫌な性格って実はテンプレ化しやすいな、という印象。話自体はおバカ系なんだけど、それ以外に感想は出てこない。エンディングの「だいだいだい好き」の部位はおそらく「Die」だと思います。
なんか良さげだと持って見始めたら、作者が炎上して延焼すらせず燃え尽きて終了した悲惨なアニメ。二次絵もどういうわけか自分の周辺では見ません。渋のランキングにもあまり見なかったような。中身も深みがありそうでなにもない作風で、原作の文体も正直うまいとは到底言えない文章力なので、「増田カブ」というふざけた二次創作がはかどりました。これは単なる雰囲気アニメでしょう。礼子と小熊がでかいカブを引っこ抜いて、や~ん大きい、などという下らない同人誌が出ることを期待しています。あと、恵庭が嫉妬のあまりコーヒーのプールを作って小熊の殺害を企てるエピソードも見てみたいですね。
うーん。安定しちゃったかな。はっちゃけてほしかったですね。メディアミックスとかスケベ心が出たんでしょうか。
普通です。面白いともつまらないとも言えない。リーゼントの回くらい毎回ふざけてほしかった。
見た。普通。例のヒールみたいにエロに振り切っちゃったほうがいいのでは。
メタネタやパロディが減りすぎててあんまり。もともと大人用じゃないのだな、という厳しい現実がのしかかる。
ロジックが画作りと構成に追いついてない。キャラ原案がありむー岸田メルなんだけどまるで原作絵を再現するつもりがない。やりたいことは明らかにまどマギ系やゆゆゆの類似品。駄作だったアサルトリリィ以下。こうなると何がやりたいのかわからない。低予算が透けて見えるのが悲しい。
この系は絵面さえ良ければだいたい面白いと相場が決まってんだけど、これは本当につまらない。前回の魔女の旅々を思い浮かべたり、その他日常系を思い浮かべるとその退屈さに驚く。退屈なのに驚くってどういうことなんですかね。
もう一つのVivy枠。作者に失礼なんだけど、多分原作の方はもっと悲壮感溢れる感じなんだろう。
日本人の大好きな悲観的なメロドラマで、みんなと心が通じてるのに世界のシステムが許さなくって、という内容。ちなみにこれを男女の恋愛に置き換えると不倫ものになりますし、断絶をボーイ・ミーツ・ガールに置き換える事もできます。ロミオとジュリエットがその原型です。そして断絶と死はとても相性がよく、実際レーナさんたちと86スピアヘッド部隊は出会えません。あとはそれにハマるかどうかという話です。
一話だけ。これは糞だなと思ったので取りやめに。SFとしても中途半端、少年漫画としても王道を履行しすぎてなにもない。
画作りがすごい作品。まあ、あの人監督なら当然でしょう。内容はびっちり西尾節なのでそれ以外に感想はない。やってることが怪異か普通の探偵かの違い。
新宿スワンの作者なのでヤンキーバリバリになるのはやむを得ないでしょう。ただ、キヨマサくんの本物感は声優ともどもよくできてんなと思います。他のヤンキーがいなさそうなのに、あれだけ田舎にいた感じというか。たちの悪そうなボス感もよく表現できてますね。マイキーくんは完全に創作です。あんなヤンキーもいるにはいますが可愛がられる立場で、トップはったりしません。せいぜいトップの腰巾着です。そして連絡係程度のチビは背後の権力を傘に来て偉そうな態度を取ります。なんでそんな事知ってるかって、もともと田舎者だからです。
タイムリープものというより、キャラものとして見るのが正しいかと。なぜなら彼女だけでなく、ドラケンとマイキーの二名に死んでほしくないタケミチ、というラインがしっかり描けているから。
原作よりわかりやすく、かつ原作を踏襲してるのでおすすめ感はあります。ただ原作は大作感のある無味乾燥とした物語なので、見続けることによって激しく感情を揺さぶられるとか、涙が流れすぎてトイレの便器から離れられないといった現象に見舞われることはありません。それはまあ、二期三期と続けてみればこの意味がはっきりわかると思います。作者が感動させに走ってないので。フシというサーガではなくフシという歴史を通した群像劇という立場なんでしょうね。
もうこういうのはいいかなと思ってさっさと切った話。一話目も覚えてない。むしろ見たつもりで見てないかもしれない。
まあこういうもんでしょう。だって他になんか言うことありますか?
単なる雰囲気アニメと言われた一期ですが、二期も割とそうです、ただし、音楽、美術センス、造形どれをとっても渋くて、昭和テイストを残しながら現代的という良い意味での線引を果たしている佳作だと思います。エンディングテーマのマリアッチを思わせる歌声は郷愁を誘います。OPのベンチャーズ的なギターサウンドも良い。肝心のボクシングシーンがしょっぱいと言われた前作ですが、少し改善してます。むしろボクシングを通したジョーの人生を描く作品なので、ボクシングシーンこそおまけかも知れません。
追記:NOMADはノマド以外に「俺はマトモさ」という意味が込められていると思います。
実は零と同じ轍を踏んでいる作品。要するにストーリーの骨組みはちゃんと考えてあるのに、舞台が同じ場所の繰り返しだったり、キャラが多い割に話に広がりがなくラスト二話程度で一挙に情報量が増えるという、昔のアニメにあった悪いパターンが戻ってきている印象です。舞台と勢力、そして敵と味方両方を映し出すだけでちょっとは面白くなったことでしょう。
視聴者をお舐めになってるのでしょうか。
久々に俺節風の人間ドラマが見られる傑作かなと思いきや、いきなりトーナメント化してしまい、某カルタ漫画か! と手に持ったバチを画面に投げつけた思い出。いえ、実際には投げつけてません。三味線持ってませんし。ハイセンスなお母様の全く方言が抜けきってないのはやりすぎじゃないだろうか。自分の音を鳴らせ、じっちゃんのコピーになるなで終わったので二期あるんですかね。
これですね、個人的に好きなんですけど増田でボッコボコだったのでまあいいかなと思って書きませんでした。個人的には見れば面白い類で、キャラに馴染みが必要なので1期からおすすめしたい感じ。トリックスター役の凜雪鴉(リンセツア・鬼鳥)の奇っ怪さが今作の面白さの一つだと思ってる。どうも虚淵玄って名前出すのがいかんらしいですね。
地方でAT-Xに入ってないんです。おわかりください。ちなみに超絶低速回線です。お察しください。
うーん。この手のいわゆる勘違い成り上がり系って80年代からあって、ある意味では普遍的なものなんだよね。でもこの入間くんはその古典芸を古典芸としてでしかやれてなくて、一期の一話目から俺は真顔で見ました。終始真顔でした。それでも頑張って一期の4話まで見たんだけど、どうしても真顔でした。これは二期も真顔に違いないと思ったので見ませんでした。
幼少期編……三浦先生も死んじゃったのにこっちも酷い扱いにしてはだめでしょう……。
中島かずきの脚本で、ガイナックスを忘れられなかった中村が再びガイナックスをやりたがった作品。この人のテーマ性はBNA以外、底辺の場所から天を目指す、という部分に集約されていて、そのモチベーションが「人の持つ無限の希望」にある、と本人の中で解釈されてんですね。しかしこれって彼の最も得意とするところなので、ある意味最も保守的な作品になっちゃった感じがします。細胞の一部っていう仕掛けもありきたりでもありますし。
用語が超わかりにくい。あとコンテの構成(シーン)がバンバン過去と現在を交差しまくるので今何が起こっているのか飲み込みにくい。カメラワークと効果音と演出などは映画風で大変高度だとは思うんだけど、とにかくわかりにくさで損をしている。メモ取らなかったのを後悔しました。絵は美しいし、中国がアニメの本拠地になりかねない別の意味での恐怖を感じさせる作品かと思います。
これ面白いんだけどアニメは知名度ゼロ過ぎて悲しい。基本的に作りは古いです。何しろポストアポなんちゃらで少女漫画のSF黎明期の匂いを強く残している。サバイバルといえばさいとうたかおのサバイバルや自殺島などでも既出なので新規性もありません。ただ、女性作者ならではの繊細な人間関係の描写や、ほんの些細な出来事から気づきを得て成長してゆく姿は、無人島生活ものと相性がよく飽きにくい構造かと思います。作者の目線に人間の身勝手さを越え、人間の暖かさを信じる気持ちが伝わってくる点も良いかと思ってます。
これ語っていいんだろうか。なぜなら1期見てないから。この期に限って言えば運営側の陰謀と陰謀に立ち向かいながらも自らのアスリートとしての矜持を貫こうとする女性たち、という組み立てで、よくよく考えると一番フェミ枠なんじゃあるまいかと。やんなくてもいいのに時代に機微な気がします。なぜならおそらく一期はそういう作品じゃなかったであろう予測がつくから。
ともかくね、尻がエロい。それだけですよ。尻のために全話見るのが正解です。
各所絶賛ばかりなので、日和って増田にて感想を書かせていただきます。
2.5の経験がほとんどないので、今まで見たことのある普通のお芝居と比べちゃうんですけど、どれもこんなもんなんですか?
とにかく見せたいシーン・必要なシーンの切り取りが続いていくだけなので、感情移入がしにくいです。
黒と黄色を基調としたスタイリッシュな世界観を貫いているのはよくわかったのですが、いくらなんでも無味乾燥としすぎてるやろ...。
感染症対策で公演時間を圧縮しなければならない都合もわかってます。
にしても、あまりにもシーンとシーンの間に間がなさすぎて、感情を落とし込む時間がないです。
皆さんよくご存知ですよね?脳内で補完してね?っていう。客の事前知識に頼りすぎじゃないか?っていう。
それは演劇としてはどうなんでしょうかね。
照明で工夫するか、持ち道具かセリフでわかりやすくすることできるはず。
まーでも説明的なセリフ入れたくないんですよね?わかりますけども。スタイリッシュにしたいですもんね。
スキップがアッシュにとって大事な存在であるという表現が全くないので、悲しくならないしどうしてそこまで怒るのかも伝わってこない。
ショーターも同じく...。
終始そんな感じが続きますので、そんなつもりで観に行ってください...
自分から前のめりに乗っかっていく感じで観てください。原作から感情を補完しながら観てください。そしたらいけると思う。
ていうか、役作り、アニメに寄せすぎじゃないですか?
みなさん頑張ってるのがよくよく伝わってくると同時に、技術が拙いかたの拙さがこれまたよーく伝わってきちゃって辛い。
早乙女友貴さん、新感線の舞台でお見かけするときはアクションもできて演技も良くて...なのですごく期待してたんです。
今作は滑舌もよくないですし、ちょっと一本調子でよくないです。演出家が違うとこうも差が出るのかと。
劇団☆新感線とチケット代同じですもん。(新感線のが安い場合ある)これじゃあいけないですよ。
2.5って顔なんでしょ?イケメンにお布施しにいくんでしょ?って言われちゃいますよ。
いや、本当に私、ものすっごく楽しみにしてたんですよ。
深みのある芝居を、生と死の手触りを感じる芝居を2.5に期待した自分がおかしかったんですかね。
イケメンを見てきゃーっていう、推しメンが3次元に降臨したことだけを喜ぶもんなんすかね。
弾着(銃で撃たれたほうの人の火薬が爆発する表現のこと)もなかったし、流血もなかったし、なんかずっとみんな綺麗なまま終わった。
最後の対決でアッシュのTシャツが徐々に赤く染まってくくらいの表現ないと死にそうなの全然伝わってこなかったです。
アッシュのTシャツ、マジでずっと真っ白だったよね???最後まで白すぎてびっくりした。
こういうの作ってる側の人の目に入ると落ち込むのわかってますけど、こちらもお金を払わせていただいたので絶賛する自由も批判する自由もあるよねということで書かせていただきました。
タイトル通り、本当に辛い時は大学の心理相談室なんかに電話せずに迷わず心療内科に電話するべきだ。という日記。
自分が鬱なんじゃないかという予感はなんとなくあって、病院に行きたいという気持ちもあった。
しかしその時の私はいわゆる躁鬱というもので、もう全然大丈夫元気100倍!な時期ともう駄目だ死にたい、の時期が交互に押し寄せてくるという面倒極まりない精神状態だった。
鬱が酷い、駄目だ、もう病院に行こう...と決意する頃になってカラッと躁になり病院に行く気が失せてしまうので、うだうだと1か月近く不安定な生活を送っていた。
しかしその日は本当に鬱が酷く、自分を放っておいたら勝手に地下鉄まで歩いて行ってそのまま線路にダイブしそうな恐怖があった。
これは駄目だ。ここで電話しないと詰む。
焦りを感じた私は、たすけてくれそうなもの...入学した際にオリエンテーションで名前だけ見た心理相談室に無我夢中で電話した。必死だった。
しかし、実際に電話の向こうから発せられたのは、「予約はしていますか?」という無機質な応答だった。
当然していない。
していません、と伝えると、それでは今日はお会いできないので後日改めて予約してください、と告げられた。
本当にびっくりした。こちとら今死にそうなのである。心理相談室ってそういうのを防ぐための機関じゃないの?
今本当に辛いのでどうしても今日がいいんですが、と粘って気持ちを伝えてみたが、すみませんの一言だった。
いや......今のところがたまたま忙しかったのかもしれない。
うちの大学はなにかわからんがそういうカウンセリング系の施設が名前を変え場所を変え4個も5個もあるのだ。
駄目だった。なんと全てに断られてしまったのだ。そんなことある?
とにかく予約が必要の一点張りで、私も断られるにつれて精神が不安定になり、最後の一棟にはとうとう自分でそこまで歩いて行って、受付に行って、本当に苦しいんです、どうしても話を聞いてはもらえないんでしょうか、と必死のていで頼み込んでみた。
駄目だった。
もう全然、無表情で、そんなのは管轄外だと言わんばかりにすげなく追い返されてしまった。
本当にショックで、ぽけーーーーーーーーーっとした顔でふらふらと施設の周りを彷徨っていたと思う。
そもそも予約が必要と言うけれど、自分が鬱になるタイミングがわかっていてそれを予め予約しておけるようなら鬱にはなっていないのである。
寧ろ予約予約でたらい回しにするのって一番こういう人にやっちゃ駄目なんじゃないの?
何のために4個も5個も同じような施設があるんだよ。目の前にいる私を助けてくれよ。
もう本当に地下鉄ダイブするしかないかもしれん...まで本気で思っていたのだが、最後の最後でもう1つの可能性を思い出した。
インターネットだ。
物心ついたときからインターネットの顔も知らぬ人々の言葉に何度も救われてきた。
よくわからんクソ施設を頼るよりも勝手知ったるこちらに頼るべきなのではないか。
インターネットに聞いてみて、そこで拒絶されたら潔く死のう。
そう思って、「鬱かわからんからアドバイスがほしい」など適当なタイトルでスレを立て、待った。
ものの数分でレスがつき、「悠長なこと言ってないで早く病院へ行け」「講義は休め」「薬を処方してもらえ」という信じられないくらい温かい言葉がたくさんもらえた。
もう泣きそうだった。
やはり頼るものはインターネットだ。大学のクソ相談室などではない。
さっきまでどん底で死にたかったのが、病院行っても治らなかったら死ねばいいか~~!くらいまで回復し、気持ちが変わらないうちに病院に電話して予約をとった。
同じ『予約』なのだが、病院の電話の方は電話した時点で既になんというかあなたを助けますという意思が伝わってきて嬉しかった。
具体的な症状とか今の気持ちとか聞いてくれるし、どうしても無理!今日診察を!と頼んだらとりあえず話くらいは聞いてくれそうな寛容さがあった。
数日後心療内科に行って、色々と話を聞いてもらい、薬を処方してもらった。
こんな小さい薬でこの感情の嵐が収まるのか半信半疑だったが、もう飲んだ瞬間翌日から驚くくらい冷静に生活できるようになった。
はやく病院行けとアドバイスしてくれた名も知らぬ人々には感謝してもしきれない。本当にありがとう。
未だ治療中の身だが、私と同じように鬱かな...鬱かも...と苦しんでいる人がいたら、間違っても大学を頼らず、まず病院に電話しよう。
うちの大学がクソなだけで他の大学はちゃんと話を聞いてくれるのかもしれないが、
https://anond.hatelabo.jp/20180728090909
このような増田もあることだし、なんとなく正式な医療機関以外のカウンセリングサービス、信用できなくないか?
たらい回しにされてショックを受けるリスクを負うくらいなら最初からちゃんとした病院に電話しよう。
当時貰ったレスの中でいちばん心に残っているのが「プリパラを観ろ」という一言だ。
プリパラは見たことないし、よく知らなかったが、死を前にして突然現れたかわいいアイドルアニメ、そしておそらくプリパラに何らかのネガティブな感情を救われたのであろうこの投稿者に、なんというかえも言われぬ共感を感じてしまったのだ。
私もオタクだし、好きなジャンルはたくさんあったし、なにかと救われてきた。
しかし鬱になってからはあんなに好きだったアニメがどれもこれも無味乾燥としてしまい、自分のジャンルに対する感情が、楽しさがわからなくなっていた。
でもそのレスを見た時、プリパラを観るまでもうちょっと頑張ってみようかな、と、すとんと、心からそう思えたのだ。
まだプリパラは見ていない。
この先もう一度鬱になって、なにもかもが駄目になってまた死にたくなった時に、残った最後の気力でプリパラを再生して、そして頑張って病院に電話をかけるつもりだ。
だから今鬱で苦しんでいるどこかの誰かがこれを読んでいるなら、変なサービスに頼る前にちゃんとした心療内科へ行って、プリパラを観ろ!
想像以上にお薦め紹介してもらいありがとう!驚きつつ感謝の気持ちとエモさに溢れてきたので追記。本当は一人一人にコメントしたいくらいだけど抜粋とまとめてですまん。報告だけどオードリー若林の本が手近に手に入ったので読み出した。ドライな感じも人や自分への観察深いのが共存してる雰囲気面白い。他のお薦め本も今後読んでいくよ。
「自分が世界に合ってない」みたいなコメント(うろ覚えすみません…)、こんなの読みたいと書いたことを言葉にしてくれた感じある。嬉しかった。
学びがない方がいい、は書きすぎだったかも。嫌いじゃないんだ。仕事で疲れてて、自分の本棚見た時にビジネス書や仕事関係の本ばっかりで薄っぺらいような気持ちに襲われたからその逆を行きたかった。ファインマン先生とか面白そうなのもあったなで、疲れが取れたら読む。お薦めから外してくれた人いたらごめん。今から追加も歓迎。
一部の推薦以外のコメントしてくれた人達に。何でこんなとこで聞くのかって?そりゃないぜブラザー。増田やハテブやってるお前らとは趣味が合いそうだなと思ったからここで聞きたかったんだぜ。
検索して探せという話もあるけど今時は無味乾燥なリストアップしてるだけのメディア多くて、もう昔とは違うんだなと感じること多い。そんな時代にここはみんなでガヤガヤしてる感じあって楽しかった。あと最初にカントおすすめみたいな豪速球投げられる感じも嫌いじゃないぞ。読むかは別として。
コロナ禍における今の状況が、第二次世界大戦末期の日本と変わらないという言論がありますよね。
ただ、今の方が、情報の質や量が圧倒的に良くて多いと思います。もちろんエビデンスの弱いものや無味乾燥の情報も多いですが。ただ、きっと昔は、情報源はラジオか新聞か噂話ぐらいですかね、それだけの中で真実を掴むのは庶民には難しいのではないかと。戦況が芳しくなくても、新聞は好戦と伝えるし、真実に近いことを伝えてくれるようなジャーナリストもいなければ、いたとしても伝える手段もない。そうなれば、新聞が「我慢すれば好転する」と伝えれば信じるしかないよなあ。
だから何だよって話ですが、今の我々は昔より恵まれているし、多くの情報の中からより真実に近いことを選んで行動ができるし、した方が自分たちのためかなと思う次第です。
ラッシュデュエルではない従来のOCGはイラストアドが低く、大味でつまらない。魔法・トラップカードはそこそこいいのがあるけど、なぜか主役であるモンスターカードのイラストはどれも酷い。
そうでない例はいっぱいある。意外と遊戯王はカード名に拘っているところはあって、ちゃんと世界観にマッチさせようとしている節は読み取れる。『海造賊』はそんな感じがする。
ただしそうでないものもメチャクチャ多い。というか良い例がわずかしかない。遊戯王はフレーバーテキストが通常モンスターにしかないためかストーリーラインをVジャンプやアニメの方で説明する傾向にある。よってカードは結構無味乾燥している。例外的に魔法・罠カードにはイラスト的なフレーバー要素が多く、そのカテゴリーの物語が魔法・罠イラストをみるとなんとなくわかることがある。ちょっと例外的にシャードールなどのように世界観先行なものはモンスターイラストにも反映されているが、そういう目につくもの以外はイラストに力がないと思う。
人気があるのは昔ながらの青眼の白竜のようなものだし、それもホログラフィックをつけたりちょっとイラストを修正しているだけ。MtGのように大胆に日本画風のイラストと枠に変更する特別バージョンにするとか、そういう取り組みは全くしない。そういうのをみると遊戯王の購買層ってのはイラストになんの価値観も抱いていないんだろうな、単に株券にしか見えていないんだろうな、と思う。