はてなキーワード: クィアとは
エマとJKRの件、ファンほど辛かったですよね。女性内格差のようなものも感じるし。この件エマ・ワトソンに同情的なんですよ。上流家庭生まれ世界的子役、インテリ大卒ハリウッドセレブみたいな経歴の人に、公衆トイレで寝泊まりしなきゃいけない女のことなんかわからないですよ……。エマにとってはクィアな世界こそリアルなんだと思います
言ってしまえば「たかがセレブ」という立場なのにフェミニズムのリーダーとして売り出してるんだから、底辺で生きる女たちと意見がすれ違うのは当たり前で。その辺JKRは知識人としての言動をした、ということだと思います。経験値も知性も差がエグいし、二人を比べてエマを腐すのは気が引けるんですよ
もちろんJKRの洗練された知性と現実を見通す目、適切な時に適切なことを述べる賢さはさすが当代一の作家だと拍手を送りたくなりますし、私自身も彼女によって目を開かされた人間の一人ですが。なんというか、エマ・ワトソンもまた私たちの可能性の一つだったのだと忘れずにいたいと思うのです
その辺は単純じゃないんよな
これは米国ポチのネオリベだからであって、内容についてまともに考えてるわけではない
一方リベラルのトランスアライは同性愛者の人権問題と同じだと勘違いして支持してしまっているものが多い
実際には、同性愛は身体性別を否定しないが、トランスは身体性別を否定するのでむしろ女性差別的だ
だから多くの女性や騙されないリベラルはトランス思想に批判的になる
そしてネトウヨやウーマンヘイターは、女性やリベラルに嫌がらせができるのでトランス支持の姿勢をとる
そもそものトランスのなかには、トランスセクシャルといって身体違和があり治療のために手術をしたい人と、
トランスジェンダーと言って身体は変えずに異性の外見になりたい人がある
トランスセクシャルはいわゆる性同一性障害(GID)といわれるが、トランスジェンダーは身体を変えたくないので、
トランスセクシャルを敵視している
先日性犯罪で幹部が逮捕されたトランスジェンダージャパンは「くたばれGID」といってイベントをやっていた
この思想の元祖であるルービンやバトラーはペドフィリアを擁護しているので、ペド層もトランス支持になる
https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/2309953/
ジェンダーだのリベラルだのクィアベンディングだの、わざわざそう難しく考える話じゃないよな。
ただ、人が嫌がることはなるべくやめようね!ってだけの話じゃん。
しかも、人から好かれることで食ってる人気商売の人間ならなおさら。
だいたい、バーチャルYouTuberもカバーも、最初は何やってるか理解されなくて世間から雑に扱われて嫌な思いしてきたわけじゃん?(今もそうかもしれないけど)
それと何が違うんだよ。
自分達が人に嫌な思いさせる側になるかもしれないと疑うことってそんなに難しいか?
これをやる表現の自由を認めるべき!じゃないんだよ。
要するに、人が嫌がることを大した理由もなくやっていい社会が理想だって言ってんだよな?
仮にそんな社会が到来したとして、真っ先に血祭りにあげられるのは俺達みたいなバーチャルYouTuberのファンだろ。
バチャ豚だのチー牛だの言われても許容しなきゃならないんだぞ?
人が嫌がることやり放題なんだから。
でもそんなの嫌だろ?
結局、どいつもこいつも自分が嫌がることはNGで、他人が嫌がるけど自分はそうではないことはやってもいいと思ってんだろ?
俺は嫌な思いしてないから
それにお前らが嫌な思いをしようが俺の知った事ではないわ
大袈裟に言おうがお前らが死んでもなんとも思わん
つまりお前らに対しての情などない
まさにこれじゃん。
この考えが許されるって本当に思ってんの?
あれを批判せずなあなあで済ませるってことは、僕達は人に嫌がらせするのが大好きなクズ人間でーす!って大声で自己紹介してるようなもんなの。
これに数年前と今では違うって意見があるかもしれないけど
実際は女性V同士のクィアベイティングに文句を言ってた奴らが男性Vには普段から夢中な上に
【視点】お三方の鼎談の中で、「クィア」「当事者」という言葉がよく出てくるが、当然ながらクィアの当事者でも全く一枚岩ではなく、見る角度や目線はそれぞれ大きく異なるという点は指摘しておかなければならない。
私はいわゆるクィアの当事者の一人ではあるが、記事中の「当事者たちからの批判の声」とは全く違った感想を抱いている。
私は、この「怪物」という作品から、他の映画や作品では到底感じたことがないほどの深い慰めを受け、勇気を受け取った。
あまり予備知識なく初めてこの「怪物」を映画館で観て、大きな衝撃を受けたのは、昨年の夏。
それから残業の合間に幾度もレイトショーで深夜の映画館に足を運び、その度に打ちのめされ、そして不思議な勇気と自信を得て帰る、という経験を繰り返した。
だが、決して「クィア」や「LGBT」という明確な切り口から描いてはいないし、むしろ「普遍的な物語」として描きつつ、しかし当事者たちを取り巻く状況についての勘所は押さえた上で描かれていた。
今や私たちは、とにかく「LGBTQの人」といったカテゴライズをされがちだ。しかし、「LGBTQ」という言葉は、一方で当事者たちの連帯を生む概念でもあり、他方で、その外側からは安易なカテゴライズの道具として使われがちでもある。
だが、私たち個々の人生も生きざまも実に多様で、平凡で、そこにあるのは、普遍的な一人の人間像でしかない。
そして、とりわけ思春期以前の当事者にとってのそれは、LGBTQという言葉では言い表せない、「名前のない何か」だ。
「怪物」という作品は、そこに安易な名前を付けることなく「普遍的な何か」として描いたからこそ、私自身も子どもの頃に感じていた、得体の知れない怪物のような何かを生々しく描けたのだと思う。
私はむしろ、この作品が、クィアやLGBTQという要素を全面的に出してプロモーションしていたならば、かえってありがちな、陳腐なものになってしまったのではないかとすら思っている。
そしてラストシーンについても付け加えておきたい。
鼎談でも上がっているように、ラストシーンに「死」のニュアンスを感じ取った観客もいたようだが、私は全く逆で、自分を肯定できた子どもたちの「生」への祝福に感じられた。
そして、その後は描かれなくて正解だったろう。
その後の人生を作っていくのは、嵐を乗り越えて自己を肯定した当事者それぞれであり、私たちそれぞれだからだ。
私もかつて嵐のような何かを乗り越えて、今こうして生きていることを、「怪物」という作品は思い出させてくれた。これほど勇気と自信を与えてくれた作品は他にない。
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https://digital.asahi.com/sp/articles/ASS323PGSS2WULLI00F.html
好きなの選んでいいぞ
A:(大前提:神は男女の肉体と魂と役割をお作りなられた)神は間違いをおかさないから、男は男に生まれるし、女は女に生まれる。聖書を読むべき(増田の主張に近いやつ)
B:(大前提:神は男女の肉体と魂と役割をお作りなられた)すべての生き物は病気や障害で通常と異なった外見になることがある。神の定めた役割にあった外見にすることを消極的に認める
C:正直、聖書を読むに○○だと思う。しかし、神の意志を推し量ることはできても、それを知ることはできない。また、神が、私たちが人を愛し、赦し、助け合うようにと願っておられることは確かだ。人を裁いてはいけない(マタイ7章1節—6節)し、不用意な発言が信仰の妨げや(以下略)
トランスの大元の理論をつくった人類学者のゲイル・ルービンGayle S. Rubinの「性を考える セクシュアリティの政治に関するラディカルな理論のための覚書」(1984)を読めばすぐわかる。
1950年代の共産主義者や同性愛者のように、小児性愛者は汚名を着せられているため、彼らのエロティックな指向性はおろか、市民的自由の擁護者を見つけることも難しい。その結果、警察は彼らを食い物にしてきた。地方警察、FBI、そして監視役の郵便局検査官が加わり、小児性愛者たちのコミュニティを一掃することだけを目的とした巨大な組織を作り上げた。20年かそこらで煙がある程度晴れれば、こうした男たちが野蛮で分不相応な魔女狩りの犠牲者であったことを示すのは、ずっと容易になるだろう。多くの人々がこの迫害に協力したことを恥ずかしく思うだろうが、獄中で一生を過ごした男たちのために良いことをするには遅すぎるだろう。
原文はこちら。
https://bpb-us-e2.wpmucdn.com/sites.middlebury.edu/dist/2/3378/files/2015/01/Rubin-Thinking-Sex.pdf
ペドフィリアを擁護しまくって、同性愛と同等の位置に置いている。
まだ同人界隈でNL(ノーマルラブ)という言葉は同性愛差別だからやめろだの何だの言ってるのか。
ノーマルの意味って、私は「正常」じゃなくて「通常」だと思うんだけど。
例えば高校の普通科と工業科や商業科があるとして、普通科というネーミングにはそっちが正しいとか上だとかいう意味はないじゃん?
それと同じだと思うんだけど。
そもそもアブノーマルという言葉にネガティブな意味は一切感じないんだよ…
異性愛ノーマル、同性愛がアブノーマルで何が悪いの?って思うし。
大学卒業後に就職するのがノーマルで、大学院に行くのはアブノーマルだって言われても、別に大学院生差別にはならないのと同じ。
しかも不思議なのは、こうやって「NLは差別だ」といって言論統制している人達に限って、もっと酷い差別語である「クィア」は平気で使ってる事が多いって点も。
https://twitter.com/Cedrus21/status/1750053519602888745
この一件を受け、(マイノリティのアクションを受け)社会包摂がおこなわれるとき、より脆弱な存在がさらなる外縁化に晒される危険性を孕んでしまうクィア・ポリティクスの葛藤を記した清水晶子の『埋没した棘』を読み直した。
「うひょ~!そんなにハードル高いの?
あたしとか、チンコまたにはさんで『ちーっす』とかいって、女風呂はいってんのやけど、意識が低すぎ?
あと、急いでるときのトイレは男。立ちションの方が楽やからね。
なんか、そういうジグザグなジェンダーをXって使ってる。」
を盛大に擁護した『埋没した棘』をいまさら持ち出すとは恐れ入るなあ
さすがトランスアライやわ
https://kakuyomu.jp/works/16816927860040342257/episodes/16816927862806413606