はてなキーワード: 無味乾燥とは
悪い報告は東リベ最終回を読んじまったってことだ
(上記から察することが出来ますが本エントリーは東京卍リベンジャーズに対しておおよそ肯定的とは言えないものです。ご了承下さい。)
あくまで私個人の意見だが、文句を言える作品は負の方向性であったとしてもそれだけ自分に響いたということなのである意味『受け取らせる力がある作品』だ、と私は思っている。
最新刊に追いつき、マガポケ単話購入で最新話に追い付き毎週読んでいた。
破竹の勢いで人が死ぬじゃん。
私は震えていた。
それでも彼等は彼等の成すべき事を成し遂げて、その積み重ねの果てにきっと彼等の信念や葛藤が報われる結末が見られる事を信じて読んでいた。
は?
それ以上でもそれ以下でもない。
視神経を通して脳に届いた東京卍リベンジャーズ最終回は、脳をそのまますり抜けていった。
文句さえ…出てこねぇ…。
あんなに魅力的だったストーリーもキャラクターも最終回ではスカスカのハリボテにしか見えない。
問題作でもなく、駄作でもなく、最終回を迎え幕を引いた東京卍リベンジャーズは私にとって『無』そのものになってしまった。
ロクな文句も出ないまま過ごしており、それ故にほぼ東京卍リベンジャーズという存在さえ忘れかけていた私はふと気がついた。
最初の頃、場地の親御さんはどれだけ嘆き悲しみ息子の様子を気にかけなかった自分を責めただろうと胸を痛めた。
ドラケンがこんな道を選ばず幸せに生きられるように養子に迎えてやれんか?とキモい庇護欲を湧かせていた。
要するに私は物語を楽しみつつも、彼等が未成年であることからどこか「保護者寄りの目線」で見ているところがあった。
キモいのは承知の上で私はみんなに幸せになって欲しかったし自分とは全く違う価値観で生きているみんなの幸せってどんなものだろうな、と悩んでいた。
ヤンチャして大人になって、物語としては旨味のない、数行のモノローグで説明できてしまうような人生を送って。
(勿論その全てに物語があるのは確かですが、東京卍リベンジャーズという作品が表現してきたものから逸れる内容ではあると思うのでこう表現しています)
私があの世界のみんなに望んでいた幸せをみんなは手に入れたんじゃないか?
伏線が回収されていなくても、武道とマイキーがやり直す前の世界であったことが無かったことになったとしても、私がみんなに望んでいたものをみんなは手に入れて、それを私は見届けることが出来たのに。
それを「無味乾燥」と一蹴してしまうって、なんか私って凄い無責任で冷たいやつじゃないか?
私は彼等を更生させる何かしらの人でもないしただ傍観しているだけの消費者なのだから、作品に対してどんな感想を持ったってそれは余程社会性を欠いていない限りは自由だ。
言ってしまえば「たかだか娯楽にそこまで真剣に向き合う必要無くない?」という話である。
でもさあ…素直に「みんなお疲れ様!おめでとう!先生もここまで描ききってくれてありがとう!この作品に出会えて良かった!」って言えないのほんと悲しいんだよ…自分が言ったことの責任も取らず、向き合う気にさえなれないのがめっちゃキツいんだよ…
http://yaraon-blog.com/archives/226804
胸が大きいと言うだけで性的に視られる社会はオカシイとかいう話
これだけだと一見それっぽい事を言ってる風に感じるかもしれない
けどさ
んじゃ、男が女に性的な視線を一切向けないという社会が出来たとして
お前ら女はそれを受け入れんのか?って話は絶対にされない
だからこの話は、「アテクシがそういう気分になった時だけアテクシに欲情することを許します」という話だ
これを律義に守ると、例えばバイト先に気になる人が居てちょっと気張ったコーデをしても
男は気にしちゃいけない
だって「女が自分のためにやってるだけのオシャレで勝手に欲情しちゃいけない」からだ
俺のためだなんて思ったら自意識過剰の痛い奴だ、それは客観的に分からんだろ?
どんなにそう思えても、男が勝手に誤解しちゃいけない
モテかわコーデ?
それがどうしたの、そんなの無味乾燥な物として、まるで木石の様に無視しなくちゃいけない
知った事かと
セクシーさの演出も含めて、相手がレスポンスするにはその記号を知っている必要があるが
男がそんな価値観を共有してリアクションし、女を性的に消費するのはNGなのだから
この話をすると
程度の問題、そういうのが分からないからキモい非モテ、みたいに切断すんだけどさ
細かく話していけば、大勢としては「お気持ち問題」に落ち込むような話
多分、ホッテントリ入りしたらば、「TPOの問題ってだけ」みたいなコメントが大量につく程度の話が
と展開されるんだよね
本当にこの話題はクソなんだよ
日本で力を得ようと思ったら、弱者を装うのが一番手っ取り早い。弱ければ弱いほどあらゆる逸脱行為は許され、担うべき義務は免除される。この国では弱者は力の象徴になった。
あなたのもとに金を集めたり暴力を集めたりすると、あらゆる機関が強者であるあなたの力をむしり取ろうとするだろう。だから、必ずあなた自身も無産階級出身の弱者を装った上で、特権を持った多くの弱者を集めるシステムを作ることがとても大事だ。
福祉国家ではQOLの向上に大きなリソースが割かれる。多くはほぼ直接税金をばらまくことで改善が図られるが、まず根本的な解決には至らない。多くの弱者は他人の力で尊厳を護持することができないからだ。だが、弱者には人権も選挙権も、無限に湧いてくる金銭的支援もある。国家は強者からむしりとった金を、弱者のもとへ日々おずおずと運んでくる。これを横流しして身を立てるのがよい。弱者保護では最低限の運転資金が容易に調達できる。そもそもこの国には貰うべき支援を貰っていない弱者が山のようにいて、あなたはそれを神妙な顔で申請してやるだけで、弱者はあなたに感謝する。あなたに依存し、あなたを支持する弱者は最大の人的資本だ。滅びゆくこの国に残された最後の金脈と言ってもいい。
弱者にはベンチャーキャピタルや銀行の融資担当者のような厳しい目は向けられない。資金調達に事業計画すら必要ない。請願にあたっては弱々しく申し述べ、貧困にあえぐ仲間を指差し、迫真の演技で、時には本物の行き倒れた死体を示す必要があるかもしれない。だが無知によって身を立てる弱者は本当に何も知らず、所有しないことで身を立てる弱者は自分の持ち物に興味がない。本物の弱者はみな本当に弱々しい。集めることさえできれば、手持ちの中から適したサンプルを差し出すだけでよい。群れをなした弱者はより多くの幅広い支援を受けることができる。弱者団体への支援行為は道徳に帰依するという意思表示であり、社会への帰属を表すアクセサリーにもなる。我々は真の弱者であり、支援をするならば、あなたの胸に赤い羽根をつけてあげましょう。人の道を歩きたいという欲求は永久になくなることはない。集まった者には資金調達窓口や広告塔、弱者モデルとしての役割を与えて所属欲求を満たし、一部を還元して生活水準を上げることができる。
弱者には初めから、戦うための無限の力が用意されている。自分で稼ぎ出さずとも、弱者が弱者でなくなるための戦いを、他人の金で続けることができる。幸い敵はいたるところにいる。弱者でないものの多くが弱者の敵だからだ。弱者は虐げられている、搾取され、養分になり、日々捕食されて死んでいる。この現実を形作ってきたものが、つまり社会そのものが弱者にとってのプレデターであり、弱者は定時連絡のような無味乾燥の革命を続けることで、密かに莫大な富をかすめ取ることができる。この国では、弱者は弱者であり続けたほうがよい。強者ですら、一刻も早く弱者を装うのがよい。戦い方を覚えた弱者の群れが、沈みかけた国家の裏からハシゴをかけて今や支配者に成り変わろうとしている。いつか、あなたが集めたお抱えの弱者の中から、大衆に祭り上げられて強者となる者があらわれる。すると、すぐさま国家は彼からむしり取り、あなたのもとへ金を運んでくる。
オケのオーボエでも吹奏楽のクラリネットでもいいけど、アマチュアの団体だと、チューニングの基準となる音がやたら無味乾燥で、とても楽曲では使えないような音だったりする。
そりゃチューナーとにらめっこして吹いているんだろうからピッチは正確なんだろう。
でも音色が全く受け付けないというか、音色に全く気を使っていないせいでピッチが合っているように聞こえない。
具体的にはヌラっとした音色で吹かれると自分の耳には低く聞こえるし、キンキンした音色で吹かれると高く聞こえるんだよね。
てか、なんでチューニング専用なんて、そんな口先だけみたいなイケてない音で吹くんだよ。
細野守監督作品はなんだかんだでテレビで観たり映画館で観たりサブスクで観たりで全部観てるんですけど過去一感想が「何!?」だった。
もちろん悪い意味で。
先にいいところだけ
①絵(マジで背景綺麗)
②OP(曲いいしMVとして良 ワクワク感ある。のちにミリも残さず消えるけど)
以上、終わり。オタクの中では③だけで全てを許した人もいるので③にピン!と来た人はそれだけで見る価値あるかも知れません。
なんていうかこう、過去一「納得のいく状況説明が下手すぎ!?」っていうのが一番の感想。全て理解できず消化不良で終わるので何も味わえないこれぞ無味乾燥。あとは「何!?誰!?」と「これで終わり!?ふざけるな!」で完!解散!
常にツッコミどころしかない上に「これからどうなるんだろう」という期待感とか「なるほどね〜!」という気持ちいい納得とかポジティブな感想が皆無なので「なんだろう。なんなんだろうこれは。え!?なんなんだ!?」ってなる。
映画館で観てなくて良かった本当に「ワカラナイ……ナニモ……オレニチカヅクナァ!カネヲカエセ!!」ってエンドロールで暴れる竜になってた。
以下ツッコミどころさん
・母の死のシーン
→どうして!?!?!?第一意味不明展開が早すぎる!!!周りに誰もいない状況でなかったにも関わらず泣いて止める我が子をふり切って見知らぬ子供のために濁流の川に軽装備(救命ベストオンリー)で命をシューーーーゥ!!超エキサイティング!!ガチでお亡くなり!!バカ野郎!!!!そら叩かれる!他の人と助け合え!サマーウォーズでそれがテーマだったじゃん!?せめて命綱つけていくとかさ……
その後濁流に突っ込んでく母の映像の回想何回か?(一回だけでしたっけ?)挟まるけどマジでドキュメンタリー番組のお馬鹿さんVTR繰り返しみたいなのにしか見えない。マジでお馬鹿さん。
周りに助けてくれそうな人が本当にいない。もしくは女の子が藁をも掴む!な状況で「後10秒で溺れ死ぬんじゃいます!助けて!なう!」の状況ならわかるんだけどそうでもないから本当に……何故……?
せめてお母さんがこっち岸に女の子を預けて助け出したところで足を取られて流されるみたいな描写あれば良かったんですけどそういうのも全くなく……女の子普通に救助隊の人に複数人で助けられるので……マジで無駄死に感がすごい……。南無……。
→学校一可愛い女子を「可愛い」というのをアピールするのに不自然な寒い会話でその女子を褒め称えるモブ怖い絶対そんなこと思ってないだろうな感がすごい(「〇〇ちゃんがいると周りも明るくなるってかんじ!」「わかる〜!!」みたいな会話をする。JK=中身のない会話するバカの製作陣のイメージが透けて見えてなんか嫌)
ちなみにここで唯一の後々伏線回収されるシーンがある(学校一美女ががカヌー男の存在に気付いてちょっと焦った表情をする)
→超絶天才的衣装センスと頭脳を持つ主人公に理解のある毒舌女子高生(馴れ初めとかどうして仲良いかは不明)こんなんいるわけないよ。
とはいえ口は悪いけど理解があっていい子だ……と思ってたのに最後の最後で「お前 船降りろ」な感想をこちらに抱かせる発言をする。
これまで主人公のやることをサポートする良き友人だったのに本当に最後の最後になって主人公の行動(竜に信用してもらって彼を救うためにバーチャル世界でアバター姿ではなく素顔を晒して歌う)を全力で否定し始めるので今までの彼女を見ていたこちらは「ええ!?」ってなる。「そこは背中を押すところじゃない???」と。
恐らく彼女がこんな急なキャラ変換された理由は『「真に主人公を理解し応援している主人公と(恐らく)相思相愛の幼馴染」の対比の見せ場の演出のために急に嫌なやつにされた。』だと思う。本当に可哀想。
→弱い。カラオケ店のシーンで急にクラスメイトの語気が強くなって大量のマイクを差し出されて発狂するみたいなシーン……これがそういう演出(主人公の現実を盛った思い込みの妄想)なのか現実ママに起こってるのか非常にわかりづらくて困惑する。結果的に「マイク多すぎ」の感想しかなくなる。現実ママだったらマイク多すぎ。
その後で無駄にリアルな嘔吐描写と合唱マダム達のシーンで歌うのを拒否するシーンはあれどその他にどうしてそこまで主人公は歌うのがトラウマになってるのか……みたいな深刻な状況説明がないので最後の方でも「あっ…えっ…そこまで歌うのトラウマだったんだね!おじさん知らなかったナ!😅」ってなる「竜かすつまらん」の感想の人の中でも最後のシーンだけは良かったみたいな人ちょこちょこ見かけたんですが(ツイッター調べ)個人的にクジラの潮吹きで何故か爆笑しちゃった。なんか滑稽で。エレクトリカルパレードみてえだなしか思わなかった。
→きたない 帰ってきたら顔洗え。せめて吹け。
→①学校一のイケメンと主人公は実は幼馴染かつそれなりに気にかけてもらっている。
②急に始めたSNSで才能が開花してバズって一気に人気者にのし上がる。地味ではあるが歌がめちゃくちゃ上手い。
③ 学校でイケメンと深い仲なのでは!?と疑われ妬まれ爪弾きされかけるも華麗に回避する。
きついよ〜!!
・なんなんだお前な人たち
①急に出てくる妙齢女性5人組合唱団とそれに所属してるらしい主人公のシーンが急に始まる。ほかに同年代らしき子がおらずマジでなんでか急に説明もなしに5人が出てくるので主人公との関係性が分からず困惑する。
最後の最後まで見て「亡くなった母の友達で亡くなった母の代わりの母代わりとして主人公を見守ってきた人たち」だったのねとわかるけどそれならそれで最後のシーンにますます納得がいかなくなる。未成年ひとりで田舎から東京行かせてだいじょばねんだわ……馬鹿がよ……。
②元歌姫。マジで誰。とりあえず主人公と同じ「普通の女の子」らしいのは本人が言うんですけどマジで中身がどこのどなたか存じ上げないまま終わる。そんなキャラだし途中自分より後出しの歌姫の主人公を「あんな子すぐ消えるわよ」的発言で小馬鹿にしてた上に一位の座をあっさり取られて「キーーー!やめてー!」ってやるにも関わらず最後の最後で急に主人公を熱く応援する。キャラが読めなすぎ。いる?このキャラ……
③主人公の彼氏(になるだろうマン)。マジでお前はなんなんだ……。ミスリード要員なんだと思うんですけど最後の最後で急にいいとことっていく感じのトンビ野郎。お母さん亡くなって落ち込んでる時こそ絡みに行けば良かったんじゃないのぉ〜〜!?ねぇ〜!?
④父。顔しかいいところがない。未成年の娘1人東京に行かすな止めろ!それかついていけ!馬鹿がよ。
・くどいラブコメシーン
→間が!!長え!!
尺を取りすぎなんじゃ!!それがなければ数少ない良いところにあげてたんじゃ!
→多分ここ一番同じ感想の人多いポイントだと思う。竜の中の人のおおよその住まいを特定して(東京の高級住宅街ぽいところ)主人公が単身夜に場所を完全には特定していないのにも関わらず向かうところで誰一人として止めないのおかしくない!!!?!?!?誰かついてけ!!?!?!?父は何冷静にメール返してんだ!?妻亡くした後一人大事に育てた娘だろ!?!?理解ある父……みたいな感じにしてんじゃねーぞ!?
わかるよ!竜の中の人と一対一(ではなかったが)のシーンをやりたいのはわかるけどそれなら東京みんなで行った後で「よし!手分けして探そう!」で良かったじゃん!?これはフォロワーのパクリですけど!
母の死に対して「無謀なお馬鹿さん」の印象しか持ってないので、母の勇姿を娘にもなぞらせてやらせる意図(見ず知らずのこどものために危険なところに飛び込んでいく)なのはわかったけど「蛙の子は蛙。無謀なお馬鹿さん」としか思えませんでしたわ……。
→「元ネタがわかるようにしてるならパクリじゃない!」ってツイッターで言ってる人いたけどこれはパクリ。わかる上でのパクリ。玄関ホールのデザインとか装飾とかダンスシーンとかまんますぎ。脈絡なく当たり前のように説明なしで竜を守ってる?AI家来とかさ……なんなん……。ディズニーの中で美女と野獣が一番好きな人いたら怒るレベル。私なんですけど。
→いや…前々から集まって活動してましたみたいな雰囲気出してるけど初集まりだよなあんたら……。
・竜の中の人
本当になんならしのぶくんだった方がまだマシなレベル。
虐待受けてるらしい割にはパソコンとか自由に使えてるっぽいしガリガリに痩せ細ってるとかでなく弟?とあわせて美ショタだしきったねえ荒れ放題な部屋にいるとかでなく綺麗な部屋をあてがわれてる感じなので正直そこまで可哀想……感がない……。背中のあざがアバター通りならエグいんだけど消えてたりする演出あったの見ると心因てきなものなのかな〜と思ったり……。わからない何も。
→なんでやねん。
・竜の中の子の「大好き」
・竜の中の子と弟?のその後
とりあえず主人公とはこれきりの可能性高いのは確か(合唱団シーンでマダムが高校生の時に中学2年生の子と結局何もなく終わったみたいな話するから多分これ主人公と竜も同じだよって事なんでしょ多分……)
まあ幸せに生きるといいね……お父さんと和解とかできたんか?家に無事帰ったでいいんだよな……?
エンドロールの後なんかあるかと思ったらなんもねえしよ……。
★★再追記
レンタルサーバは、自由度が低くてストレスになるからやらない。SQLでwith使いたいからMySQL8をって言ってもさくらレンタルサーバじゃ無理なんでしょ? あと同居利用者のせいで高負荷ってのも避けたい。そこを気にしない人はレンタルサーバでいいと思うよ。
あと LB $0.025/h だった。月2000円くらいか。
★追記
LBは独自ドメイン+自動更新無料SSL証明書のためね。Cloud Storageの無味乾燥なドメインでいいなら、SSL自動かつ無料でほんとに月数円。
-------
もうねめんどくさいんだわ。もちろん以前はそうやってたよ。
PHPだのApacheだのMySQLだのインストールしたり設定ファイル置いたり、
脆弱性対応したり、SSL証明書更新したり、一応落ちてないか無料監視サービス使ったり。
でも仕事ならともかく、趣味だからこそこんなことやりたくないじゃん。
なので、コンテンツは Cloud Storage に置く。
Cloud Load Balancing も使う (無料 SSL 証明書のために)。
動的部分は Cloud Functions で。
AWS なら S3+ALB+Cognito+Lambda だな。
そうしておけば、放置できる。自前で立てたマシンもインスタンスもないから落ちてるかどうかとか気にしなくてもいい。負荷も考えない。クラウド様がよきにはからってくれるさ。たまにクラウド障害あるかもしれないけど、Google なり AWS なりが頑張って直してくれる。
って感じ。
ちなみにこちらは 1日数十アクセスの過疎サイト。独自ドメイン+自動SSL証明書にするための Cloud Load Balancing に 4000円くらい払ってる。それがなければ月数円。
某氏が書いた記事から色々なところで似たようなことが記事になっている。
まぁ前からかかれていたのかもしれないけど、俺が若かったせいかどうかしらんけど、俺のアンテナには引っかかってなかった。
何かと注目度の高い某氏だから色んな人が読んで共感したというだけの話なのかもしれない。
僕は割とやりたいことは片っ端からやってきたので、この手の感情を抱くのも早かった気がする。
25歳くらいには楽しいことはやりたおした気がしたし、30歳くらいには人生あれくらいまでしかできないんだろうなとも思った。
それは息子がいるからということもあるかもしれないが、多分もうちょっと別の話。
前に何かで読んだことがあるけど、例えばミュージシャンなどは自分の限界を悟ると講師になりがちっていう話。
説教おじさんも似たようかな話かもしれないが、まぁマウントを取りながら自分以上の成果を上げる人を育てたいというのは、ある意味本能なのだろう。
そもそもなんだけど、右肩上がりの成長中のグラフであることは大事だし楽しい。
自分のあらゆるステータスを数値化するもよし、定性的にふわっと感じるもよし、それが実感できる状態であれば、生活は日々彩りを増す。
中年現象で無味乾燥を抱いている人の多くは、この成長を自分の中だけにしか向けていない気がする。
ゲームをやりこむなんてのもあるかもしれない。
ただ、若い頃から持たざるものは、そうやって誰かの、何かの成長に自分を重ねて生きているのではないかと思う。
自分が強い人ほど、自分の成長だけをみてきたひとほど、中年現象にぶち当たるのではないかと思う。
あんま細かく書いて自慢話やマウントと取られても嫌だけど、まぁだから中年現象が打ち消される。
結局のところ、色々できて頭が良くて好奇心があって行動力がある人が、その能力にかまけてふわっと生きてきて、それが充実した日々と感じ結婚なんか別にと思っていたことの限界でしょ。
長い思春期が終わっただけだよ。
うん。
でもゲーム、娯楽としての楽しさにおいてはプリグラが圧勝していた。
何が違うってキャラクターを集めるっていう楽しさの完成度が違う。
他のオートチェスのキャラはあくまで狙った構築を完成に近づけるためのパーツ集めとしての喜びしかない。
でもプリグラはどのキャラを買っても可愛い女の子を仲間にするという楽しさがある。
モーションも凝ってるし戦闘中のスキルもそれぞれに可愛らしい個性が出てる。
でも他のオートチェスは違う。
単なる有電源のボードゲームの駒以上のことをしてくれない。
それはまるで将棋のコマがそれぞれに定められた方向へと直進することしかしないような無味乾燥な機能だ。
その点においてプリグラは全く違った。
そもそもをして我々がテレビゲームに求めてやまなかったのはキャラクターだ。
いや、テレビゲーム以前から我々は、ドワーフやエルフや探検家やコズミックホラーや探偵に憧れてゲームの卓を囲っていた。
だがその憧れはいつからか冷めていき、気づけばそれぞれのキャラクター性はその駒の機能をビジュアルで表現するための機能だけを持つものになった。
筋骨隆々のドワーフの戦士はその耐久力を意味するだけのアイコンになり、人型の風光明媚といえるエルフの美女は高い魔法攻撃力を象徴するだけのモチーフと変わり果てた。
だがプリグラはそんな世界から我々を再びキャラクター遊びの喜びへと引き戻してくれた。
勝ち負けを通して自分の頭の良さを表現したいなら数学オリンピックにでも出ていればいい。
そしてプリグラにはオートチェスのチャンピオン達が集っている。
最高のオートチェスだ。
間違いなく
あまりに無味乾燥すぎる時期が度々くるので自分にはあまり向いてなかったな、と思う。
みんながみんなネットとかゲームとかで一人で生きていくの平気で、家族が甘やかしてくれるのならよいのだけど。
多くの人は、まずは家族等の目があるから仕方なく働くという選択肢を選びがち。(もちろん金銭的に余裕もない家庭が多いだろう)
増田もニート初期はネット関係の仕事してる(実際に多少はしてたけど平均したら月数千円の収入)と体裁を保ってた。
友達ととか元同僚ととか近所の飲み屋とかで飲んで喋る時も、昔はニートって自虐ネタにしつつも、ネット関係の副業的なのでたまたま稼げた月の話を繰り返して、完全ニートではないんだよとアピってた。
人と繋がるのにニートだと凄くメンタル強くないと難しい。開き直ってしまえば簡単なのかもしれないが、見放されたりしそうで怖かったりもした。未だにそうでもある。たまたま過去の仕事とかがネット上に転がってたりするから、初対面とかの人にはそういう系の仕事とかでぼやかしてる。(ちょっと詳しい人だと稼げてないのはすぐわかるだろうけど、ほとんど人は理解できてないから突っ込まれない)
なんだかんだで贅沢しないで暮らせるだけのお金は何もしなくても手に入るけど、優しく気前もよかったじいちゃんが亡くなって、ばあちゃんの世話になりだしてからは、ばあちゃんの便利屋みたいなポジションに収まりつつ、月に30時間ぐらいはなんだかんだと家業を手伝ったりするところで落ち着いた。
汗流して働いた後のビールが美味い。
一時もっと遊ぶお金が欲しかったし欲しいものもいっぱいあったから、日雇い的な仕事とかもやってみたけど、精神的にも体力的にも月に2~3日ぐらいしかできないし(仕事の前日とかめちゃくちゃ沈む)、短時間でも週5で働くのとか無理だし。ってことは、月に2~3万しか稼げないし、ってなったら、ちょっと節約したほうがいいって考えになった。
収入面で大きな不安もなく、仕事さぼってもばあちゃんの小言ぐらいで済むけど、それじゃあメリハリがないので、働いたふりをするのは重要だという考えで落ち着いてる。ノルマとか決まった出金時間とかがないと凄く気が楽だし。
回り見てて思うのは、金銭的、周囲の目等の問題から、働くことを強いられてるんだけど、日雇い的なのだとやはり人目が気になってしまうので、ブラックでも会社勤めに収まってるタイプが多い。
労働の負荷が、働かないことによるマイナスよりも小さいと感じてるんだろな。正社員が落ち着く
逆に、一人親方やったり、日雇いとか派遣とかで働いてる人達って、逆に変にプライド高かったり、自信自意識過剰だったり、メンタル無敵系の人が多い。サバイバル能力が高い人とか。
変な言い方だけど、ほとんどの人はリスクを背負って少し多めの報酬を狙うか、ほぼノーリスク(時間と体力と精神力だけすり減る)で安定した少な目の報酬を願うかだと後者になりそう。ってかなってる。
自分は、フリーターと言う名目の半ニートを経験して正社員なってまたニートに復帰して、また半ニートになったタイプだから、全期間ニートの人とは色々考え方が違うんだろうとも思う。
今高校不登校になってニート化しつつあった子の面倒もちょいちょい見てるけど、放置してると社会との繋がりが全く切れてしまって、
自分のように、成人してからの遊びとか知らぬまま、ゲームとネットで全て賄えてしまうようになっていく気配は感じた。
正直どっちが幸せなのかはわからない。(酒呑んだり、ガールズバー行くみたいなことぐらいだし。あとスーパー銭湯とか)
ただ、周りのニートに理解のない大人達はどう接していいのかわからず、無茶してキレさせたりしまくってるから、なんか仲裁役みたいなポジションになってしまった。
高校生とでも共通の話題多いし。アニメ漫画ゲーム等。これが半ニートオタクの強みだったりするっぽい。
寄り添いつつ、完全ニートじゃなくて半ニートぐらいに留まらせられたらな、と思ってるけど、その子も別に経済的に苦労しそうじゃないし、無理強いはする気がない。
ただ、早い段階で完全ニートと化してしまったら、後戻りできなくなるなぁ、そこで後悔してしまうと悲しいのでは? とは考えてしまうので、色んな機会や知識を自分の知ってる範囲だけでも伝えたいとおもってます。
長くなりましたが、
ただ多くの人は、それしか選択肢がないかそれ以下の選択肢しかないからそこに収まっているのだと思います。
あと、ニートにも色々あって、多くのニートって、閉じた世界にずっと居るから、金銭的に余裕があれば働く意味なんてないと考えてしまうんだろう。
自分は物欲が結構あったし、ゲームだけでは生きていけないタイプだったから、出来るだけ楽に金儲けできないか、とか承認欲求満たしたいとか考えてしまいがちだったけど、そこまで思考が至らないのも理解できる。(自分の経験だとそれは逃避でしかなかったし、この生活があと何十年も続くと考えると焦りというか不安を覚えた。そういうのを感じないでニート全ツッパできる人は多少羨ましい)
ぼんやりだけど、ネットでなんぼでも稼げる時代になってきたので、ニートさん達を単なる消費者から生産者(創作者等でも配信者でも)に多少でももってけたらなみたいな活動できたらなーとか考えてます。
1. はじめに
反出生主義は、昨今のインターネットにおいて注目を集めている思想の1つである。
この思想はしばしば誤解されがちで、「陰キャ非モテの妬み嫉みから産まれたルサンチマンの申し子」のごとく扱われる。しかし、大筋としては「現在生きている人が死ぬべきであるという主張」ではなく「産んでしまうこと自体が苦痛の押しつけである」という建付けのロジックとなっている。
その具体的な論法はそれなりに複雑で、論理展開自体も多くの批判を浴びてきた。それでも、未だにある種のバズワードとして、「反出生主義」はインターネットに巣食う若者の語彙に侵入している。
ただし、個人的な意見だが、思想というものはそれを実行する行動があってはじめて充足されるのだと思う。国会前で手作りのプラカードを抱えて珍走する路上の高齢者も、大人とつるんで政治的フレーズを口から出力する高校生大学生も、その点においては真摯な態度だ。TwitterでJAのイラストにケチをつける自称フェミニスト諸氏も、自らの思想との向き合いかたとしては評価できる部分もあるのだとは思う。少なくとも、2chやTwitterの匿名垢で独自理論を垂れ流しながら具体的には何の行動もしないオタクくんよりは遥かに好感を持てる。
では、反出生主義者を自負するインターネット戦士諸君に要求される「行動」とは何なのだろうか。
それは、ひとえに「女性の権利擁護」「性的マイノリティの権利擁護」「高齢者の権利擁護」の3本柱に集約される。
女性の権利擁護と表現すれば、一見するとTwitter-feministを想起させる危ないフレーズにうつる。しかし、女性の権利擁護、特に「産まない自由」や「独身を謳歌しバリバリ働く自由」を擁護することが肝心である。
これは、現代の価値観においては正しいとされる内容である。このことを口に出したところで、いわれなき批判を受ける機会はないと断言できる。だからこそ、反出生主義者にとっては格好の隠れ蓑かつ武器となる価値観であると確信している。
産まない自由を謳歌していただくことは、女性にとってもキャリアの中断(産休育休であれ、中断には変わりない)や育児コストを削減するのみならず、固定のパートナーに拘束されないことで気軽な恋愛を楽しめる期間が継続するという確固たるメリットが存在する。そして、反出生主義者にとっては言うまでもなく、思想の方向と合致する結末に繋がるルートである。そして、この自由を長く謳歌することは、生物学的束縛によって「産めない状態」へと繋がる。そこで不妊治療等を頑張ったところで、多くの場合は1人程度の子供を持つのみであるから頭数としては減らすことができる。仮に、ひたむきな努力の末に2名の子を授かることができたとしても、頭数は決して増加しない。その点でも、女性にそのプライベートやキャリアを追求していただくことは、反出生主義者にとって好都合である。
性的マイノリティ。古典的な統計としては、全人口の1割程度を占めるとも主張される存在である。そのカテゴリの人々においては(彼らとも彼女とも表現しづらいので、少なくとも合意が形成できるだろう点として人という表現を採用している:これは、自らを人以外の生物や物質であると主張する方々の権利を侵害する意図をもって行われている表現ではないということを断らせていただく)、子を為すことが現行のバイオテクノロジーによっては不可能である場合が多い。私は任意の2名が結婚という契約を結べるように社会体制を再構築することが急務であると心底確信している。個人的な思想としては、他人のカップルがどれだけセックスしようがどうでもいいし、結婚しようがどうでもいいのだ。興味がない。だからこそ、勝手にしてくれればいい(それによって私は一切困らない)。
ただ、これを反出生主義のポジションから眺めると、所謂クィア思想が普及し、子を為さないパートナーシップがますます増加していくことは、積極的に歓迎すべき事態であるといえる。社会的にこれらの思想を擁護することは、従来であれば「社会義務的に」子を為すことを強いられていた人々が、その苦痛を受けることなく、過ごすことができる。望まれて産まれてきたわけでもない子供の数を減らせるなど、喜ばしいことでしかない。虹のふもとには黄金のつぼなど存在しない。
高齢者とは、日本社会における最多数派であり、常に最大派閥の世代として生き永らえてきた階層である。彼らの医療・福祉に多額の金が流れ込んでいることは明らかであり、一方で次世代の教育への国家的投資がないがしろにされてきたという指摘は昔からよく為されていた。
労働者から徴収される諸々の金額総計は近年著しく増大している。消費税増税でガタガタ騒ぐ世間は、この部分についてはあまり取り上げないという印象が強い。また、既存の控除等が廃止することも注目されず、こうして現役世代からの集金システムは年々強化されてきている。
全サラリーマンの平均年収が400万円前後である一方で、都市部なら家賃含む生活費、地方部なら車の維持コストなどがベースとして重くのしかかる。子供を作れば一層の負担が追加される。出生に対し、経済的に大きなアドバンテージを与えられることもない。
若者が子供を持たない理由として一番挙げられているのは、経済的不安である。これは統計的事実として存在しており、逆にいえばこの不安が解消されることがある程度出生率の改善に寄与するだろうことは推察されうるわけだが、そうした抜本的な変革は未だ行われない。それは社会全体として出生をサポートする気がないし、高齢者の延命や生活環境の方が大事であるという強烈なメッセージ以外の何物でもない。
この事実は、出生をしたくてたまらないが大して金のない若者にとっては悲惨な現実である。しかし、反出生主義者にとっては、自らの望む結末を実現する上でこの上ない支援である。国家が自分たちの思想(から望まれる結末)をバックアップしてくれるなんて、滅多にありえないことである。
まだ産まれてきていない人のことより、もう産まれた人の権利を優先するというのはある程度理解できる。また、すでに産まれてしまったのポジショントークとしても、自分が老人になったときに優先されるのだ(実際はどうなるか全くわからないが)から、比較的取りやすいポジションだと思われる。別に子供など産まなければいいのだから......
そうして、出生数は減少し、反出生主義者の望む結末が得られる。
5. おわりに
反出生主義者は、そのことを表明するたびに、様々な誹謗中傷を受け取ることとなる。
ときには単なる逆張りとして、ときには嫉妬の表現として、嘲笑の下に処理されることも多い。
しかし、時代の流れとしては、反出生主義者の望む結末へと漸近しつつある。
そんな中で、反出生主義者らが取るべき行動とは、この方向性を後押しすることである。女性の権利擁護につとめ、性的マイノリティの人々の自由を願い、高齢者の方々が充実された余生を過ごせるよう陰ながら見守ることが求められている。その先に、必ずや人口の致命的な減少という結末が訪れると信じて、日々の無味乾燥とした生き地獄を生き抜いてほしい。(別に生きることを推奨しているわけではないので、自由にすればいいが)