はてなキーワード: 当の本人とは
お金は大好きだ。でも本当に好きなのかと聞かれると疑問がある。
誰かと生きるなら必要不可欠だ。より良い暮らしを目指すこと自体には精神安定効果がある。より良い暮らしを、より良い老後を、より良い人生を。考えもする、言葉にもする。
それに向かっている方が正しいと言われて育った。疑念を抱くことは異端者の発端だった。
孤独から一度でも離れてしまうと、また孤独に戻るのには多大な労力が必要だ。
心の全てを許せる人間を得てしまったが最後、前の自分には戻れない。
孤独と真摯に向き合い、身勝手でも一貫した理想を持ち、自分だけが生きる意味だったあの純真は失われてしまう。ただ若さと言い換えるには異論がある、あの感情のことだ。
あの感情のまま生きている人間は世に溢れている。まだ喪失を経験していないのか。
思ってもいないことを脳が書き出す。
話そうとするそのはじめには、まさしく自分の考えだ。
これまで得た理屈や合理、社会性が発言を正しい方に勝手に修正していく。
話している当の本人は一番矛盾を感じている。それでも脳味噌は付け加えていく。
気づいたらただの一般論になっている。思考は無修正では表出できない。
表に出せる思考はきっと脳の本質ではなくて、脳波は未だ文字にならない。
神話も伝承も都市伝説も、神秘は頭蓋骨を超えられない。本質の対義語にはなれない。
思考は総じて歪んで出てきたがる。不完全な記憶でも脳を出たがる。
よって語彙だけ頭に入れても何の意味もない。知識にもさしたる価値はない。
いわゆる物語小説は読まないし、自己啓発本でも「7つの習慣」といった世界的ベストセラーではなく、「頭のいい人は𓏸𓏸をする」のような量産型本ばかり読む。
自己啓発本を読んで実践している素振りも少しはあるが、本に書かれている事実を「自分はできているから偉い」「あの人はこれが出来てないからやっぱりダメなんだ」といった思想の補強に使っているように感じる。
配偶者から自己啓発本にこんな事が書かれていたと嬉しげに話されることもあるが、ここまで体系だてて理解してないまでも自明のことを言われているだけで苦痛である。
自己啓発本に本人がハマっている理由を私が考えるに、「ASDのような特性を強く持っており」「周囲とのコミニュケーションを円滑にとれない」でいるが「当の本人は自分が発達障害の傾向にあることを理解していない」から本に助けを求めているからだ。
(配偶者は勉強が出来るが学生時代より教師に嫌われ、研究室の教授と自分のみ折り合いが悪く、会社では過去複数の上司にストレスを感じていたらしい)
本人にASDやコミニュケーション不全の点を指摘すると、不快を隠さず否定をする(もしくは指摘された事実を記憶の底に葬る)ので、未だに自身の傾向を理解して貰えたことは無い。
この文章を見て分かるとおり、私は大の自己啓発本嫌いなのでストレスを感じてしまう。
諦めるしかないのだろうか。
人を一概に嫌うことは正直どうかと思う。
躁鬱の人はその人なりに苦しんでいるのだろうし、改善しようとしている、人もいる。
だから自分は、せめて嫌悪を表に出さないように、面倒だ嫌だと口に出さないように努めている。
ただ、自分と受け入れられない立場の人はどうしても居る。嫌だと思うに足ることもある。
だから、躁鬱の人が嫌いだと思うことを許して欲しい。
たまたま話をしている最中に話題に出たから知ったのだが家が近い。
だから時間が合えばご飯も行く、映画を見に行ったりショッピングしたりもするようになった。
こうして実際に対面して遊んでいる時は楽しいのだが、問題は繋がった理由でもあるTRPGをする時のことである。
(追記)
人によって症状が様々なものであり、類似した病気の症状や、友人の性格が重なって躁鬱の症状だけではないだろう、いうことは承知している。
以下に記載する具体例にもこれは躁鬱が理由ではないとなる箇所があるかもしれない。
書いている人のただの知識不足のため、不適切な文があればご指摘いただければと思う。
先に言っておくが、これを書いている人はCoC
・野良の人とやると、誰が聞いてもヤバい人によく当たる。セクハラとかダブルブッキングとか...
・上記のため、それなりに信頼できる人としかプレイしないようにしている。
である。
クラシックや野良勢とは毛色が違う、有り体に言えば最近よく見るTRPGプレイヤーの愚痴だと思って欲しい。
(以下、主語が大きくなりそうな箇所は『セッション』と記載する。全部のTRPGシステム、CoC卓でこんなふうになる訳ではないだろう。)
話は戻るが、この友人やたら踏ん切りがいい時がある。
多分躁の時...だと思う。詳しく知らなくてごめん。
この踏ん切りの良さで何かいい決断が出来ればいいのだが、「人と縁を切る」ということにこの潔さを使ってくる。
これをセッションをする際やられて何が嫌って、その縁切りで自分を含めた仲間内に亀裂が入ることだ。
私は先述した通りある程度信頼してる人としか遊ばない。そのためコミュニティも固まりやすい。
Aさん、Bさん、Cさん、自分で仲良くしていた
→AさんとBさんが喧嘩して絶交した
→Cさんと自分はA・Bそれぞれと仲が悪いわけではないからどうしたものか
という状況。
これが「遊びとしてやっているはず」の「ゲーム」を「一緒に遊んでいる仲間」でやられるのである。
生活の中、それこそ学生生活の中でやられたら今後のためにも話し合いなどが必要だろう。否が応でも顔を合わせるのだろうし。
遊びの範疇にある関係では話し合いは必須ではない。当の本人たちがもう連絡しない、とXなりdiscordなりをブロックすれば全て終わる。
つまり縁を切ったら最後、余程のことがない限りその関係の修復はほぼ無理だ。
そのためただただ周りの人間が困るだけなのでガチで迷惑行為である。
そしてこれに対して、悪いとは思ってるけどこれ以上耐えてたら自分が苦しくなる...どうしようもなかったから...と言ってくる。
縁を切りたくなる気持ちはぶっちゃけ分かるが、縁を切った原因などを聞いていると、そこまでしなくていいのではないかと思う。
遊びのスタンスとか性格が合わなかったからこれからは遊ばないかも、でも今までのは楽しかったから今までのことを話したりはするかもしれないね、とか言ってぼんやり自然消滅を待てばいい。
(今までのゲーム体験がまるで少しも楽しくなかったのであれば対処のしようがないが、そうでは無い様子のため今回は省く。)
そうすれば周りの人間は、過去のシナリオの思い出話について口を噤まずに済む。多少気は使うが、このあと自分たちどうする?と巻き込まれた人間たちで困惑するよりよっぽどマシだ。
地雷を踏まないように話すのも、自分の聞きたい話が聞けないのも、話したい話ができないのも、なんで遊びにこんなに労力を使っているのかと馬鹿らしくなってきてしまった。
そして他にもでてくるTRPG遊び方の話として、よくXなどでも話を見るが、遊ぶ日の話である。
ゲームの特性として話し合いなどで時間が変動する上、そもそもの話が長い(ものが多い、最近は...)せいで、予定を先に数日確保しないといけない。
まして自分は社会人なのだが、仕事の繁忙期で予定を入れられなかったり、帰省する予定を入れていたり、会社の付き合いがあったり...などの『外しづらい用事』がある。
それは数ヶ月前に言われるものではなく、良くて数週間、悪くて数日前に聞かされる。
セッションに関わる人が多いほどこの『外しづらい用事』がパズルのようになって予定が入れづらくなる。そのため先の日付を話し合って何日分も押える事になる。一朝一夕でこの日が偶然みんな空いているからそこで、と決められるのはまぁまぁ稀である。
今これを書いているのは3月だが、既に同年10月からしか予定が入れられないとのたまう人がいる界隈において、この『外しづらい用事』は何故か足枷になる。当たり前だと言うのに。
自身は『外しづらい用事』を除けばそれなりに日に空きがあるのに、他の人間がセッションの予定を詰めすぎているため、全員が合うところを探した結果セッション予定が何ヶ月も先になったりする。
話は戻り、その友人は気が乗っている時にすぐ先を先を、新しい予定を入れたがる。そして渡された情報(昨今は秘匿シナリオが多いため秘匿情報など)で、躁鬱で波打つ気を紛らわす。
ひとりで勝手に色々予定を入れるのは構わないが、ここでおおごとになるのが先程の『外しづらい用事』である。
この用事が入って先に決めていた日を少しずらして欲しい、という話を出した瞬間「前から決めてたよね」と言われ不機嫌になるのである。
そっちは実家に暮らしながら融通の効く仕事をして躁鬱をコントロールしているのだろうが、こっちは日々を生きるために仕事をしないといけないし、仕事でうまくやるために付き合いもしないといけない。
「急用なら仕方ないけど」と言われるが、そもそもの話そっちが自分の気を紛らわすために各所から予定を入れているせいで、自分の空きがこんなにあるにもかかわらず、先に予定を入れないといけなくなっているのである。
出来ることなら1・2ヶ月先に約束をするだけでありたいのに、4ヶ月ほど先を見据えないといけない。
(自分の場合数ヶ月他のプレイヤー同士の予定が合わなくて何も無かった月がある。)
配信だって見たいし、グッズの通販はサーバーが落ちる前に時間速攻で入って買いたい。
ただこういった版権の用事はセッションをするに都合がいい『土日祝日』『夜20時以降』などに入りやすい。
先述した『外しづらい用事』にさえ苛立ちを見せてくる人間にこの版権の用事で日をずらして欲しいなんて言ったらどうなるか、想像に難くない。
「自分が行きたいライブで、ほかの人たちと合わせた予定を潰すのか」「たかが配信、通販ごときで時間を遅らせるのか」と行ってくる。
だが、自分が仕事をしているのは日々の生活を送るためでもあるが、版権の趣味があるからこそでもある。
どちらかに重きを置くかは自分が決めるもので、他人にこっちを優先しろなんて指図されるいわれはない。
しかし他の人も巻き込むわけだから当然失礼だ申し訳ないなとは思う。だから代わりにたくさんある空いている日を出せるとも言っているし、全員の空いている日がわかっていれば代わりにこの日はどうかと提案もしている。
それで受け入れはするものの納得はせず、その挙句「自分の趣味で日をずらしてくる人の気が分からない」と言ってくるのが本当に嫌なところである。
おそらくこの友人の性格でもあるのだろうが、特定の人に依存しやすい。
この特定の人に依存しやすい人がいる複数人セッションは絶妙に楽しくない。
依存対象の人物がメンバー内にいる可能性が多いし、その人が作ったキャラクターに対して執着することが多いから。
この人が作ったキャラが好き、と無意識に関わりに行っているのをよく見る。
元からAとB、CとDで仲がいいと指定されているのであれば構わないが、そうではなく全員で仲がいいと言われてるものに何故か関係性を持ち込んでくる。そしてその2キャラが可愛いと猫可愛がりするわけだ。
そしてゲームシナリオ内で依存対象の人物以外のキャラと仲がいいと指定されると、その2キャラの組み合わせに対して特に何も言及しなくなる。
言わば学校などでペアを組む際に自分が組みたかった人と組めなくてペア行動にやる気がない、といった様子だ。
こっちは円滑に話を回すために仲がいい体で話をし、動いてくれるように機嫌をとらないといけない。そうしないと周囲に迷惑がかかるためだ。
何故そうまでしないといけないのか。
自分の作ったキャラがちやほやされないとやる気をなくすその友人の性質も相まって一つ一つの場面にいらない気を使わざるを得ないのがストレスで仕方ない。
病名がついている人に気を使わないとこちら側が悪い人になるのか?自分は何もしてないのに?ただ巻き込まれているだけだというのに?
この友人が他人と縁を切って巻き込まれるのも複数回経験している。なんでこんなに毎回私が嫌な思いをしないといけない?
その人が自分で自分の機嫌を取れなくて周りに迷惑をかけるのを、リードを引っ張る役目なんてない。
なんで遊びにおいてきょうだい児みたいなことをしないといけないのか。
ここまで読んだ人は恐らく「そんなに嫌なら縁切れば良くない?」「距離置けば良くない?」と思うかもしれない。
しかし先述したが縁を切るとほかの周囲に迷惑がかかる。自分が経験してるからこそ、そんな事はしたくない。それなら我慢してこうやって時々毒抜きをするだけの方が余程いい。
距離を置こうにも、その人に対して適切に対応が出来ていたのか「複数人で遊ぶならセッションに呼びたい」と判断されているせいで距離が置けない。
お誘いも断ればいいと言われそうだが、既に誘われているメンバーが自分と仲がいい友人だったりすると断れなくなる。自身の性格のせいかもしれないが、そこに好きな友人たちがいるなら1つの嫌な事情に目を瞑れば円滑に進む。
TRPGをしていて、今まで書いたきたことに少しでも心当たりがあるなら周囲のためにも少し自分の様子を見直して欲しい。
辞めろとは言わない。そんなことを言う権利はない。
だから、予定を見返してみたり、人様が言ったことに過剰に反撃してないかとか、そういうのを見てほしいなと思う。
躁鬱は盾にはならない。
画面の向こうにいるのは人で、自分のためにゲームをしてくれるCPUじゃない。
理不尽な事を言われれば腹が立つし、軽んじられれば情をなくす。それを忘れた時が縁の切れ目だと今一度自覚して欲しい。
毒抜きのためのものであり、もしこの長い文を読んでくれた人が居て、なにか反応があって、自分の中の認識が改められたらと思って書いたから。
気が済んだら元より消すつもりである。
ありがとうございました。
日曜の真っ昼間っから、本気でそう思ってる。
クソ毒親毒兄は当然ながら、小中学校動物園のクソ猿も、なんなら無関係の恵まれているやつも全員厳罰に処すべきだという感情が未だに消えん。不平等すぎる。
どうにか肥溜めから脱出した瞬間はよかったよ。マイナス100が0になったらそりゃね。しかし、世の中ってのは0の人間は出来損ないって思ってるらしい。まさか街の変わり者に自分がなるとは。
死ぬ前に私みたいなやつをどうにかフックアップしたい気持ちはなくはない。現状金には一切困らない状態にはあるが、誰かに助けてもらった記憶などないので、どう助けるかもわからん。能動的に調べるのもダルい。金を突っ込む以上のことをするほどのモチベーションはない。
ガソリン巻いて火をつける、なんてめちゃくちゃ簡単にデカすぎる被害を起こせてしまうし、車で暴走して群衆に突っ込むのも大して難しくない。それを起こさないで今まで真っ当に生きてるの、完全に偶然でしかない。なんの因果か知らないが、そういうことをしようとは全く思わない。それどころか仕事でめちゃくちゃ理不尽に私のせいにされたり、意味不明な当たりが強い人がいても、特段イラついたりしない(同僚いわく、「俺がアレ聞いてて凄く腹立ったのに、当の本人が全く気にしてなくて毒気抜かれた」とのこと)。そんなことより育ちが良いし性格も良い同僚のほうが私の精神にダメージ与えてるよ。
まあ、これからもそんな気は起こさないように、ひっそりと人間社会の末席を汚させていただきますわ。育ちも性格も良いって自負してる奴へ、お前を許さない。
四章 40万()のアクセサリー
「無いわね〜」
「何かなくしたんですか?」
「アクセサリーが入った袋がないのよ」
昨日はあったはずのアクセサリー類がまとめて見つからないのだという。身なりにこだわる祖母だ。アクセサリーもこの服にこれを!というものをあのギチギチのスーツケースに詰め込んできたらしい。
「あら、どうしようかしら〜……40万くらいするんだけど……」
パタパタと探してる最中の爆弾発言に思わず固まった。なんだって?
「あれ全部で40万くらいするはずなのよ!だから困るわ……💦💦」
困るって、そういう問題ではないだろう。祖母がそういうちょっとお高めのものを好む人物ということは知っていたが、具体的な値段とかは初めて聞いた。というか、なぜ旅行にそんなに値の張るものを持ってきているの?そんで、なんでそんなのを無くす?
「どうしようかしら!どこかで盗られたのかも……」
探しているところを見ていたが、ギチギチのスーツケースを撫でるように探すだけで「無いわ…」と言っているがまずその布しか入ってないスーツケースを全てひっくり返す方が先だろう。
でもこれは今の私だから言えることであって、当時その場にいた私はそれなりに焦っていた。ちょうど母方の祖父がインドで30万円をすられた話を聞いていたから、もしかしたら…の気持ちがぬぐえなかったのだ。
うちの親戚たちはなぜ旅行に行くのに数十万を迂闊に持ち運ぶのだろう。成金なの?それともマヌケ?まぁ、もうじいさんは死んでるから知りようもないが。かなしいかな、私たちはしっかり両方の間抜けの血を引いている。せめて他人に余計な迷惑をかけずに生きましょう。
とりあえず添乗員さんに知らせるとすごい必死で前日止まった宿に連絡してくれた。申し訳ない。
そんでもってその伝え方がまぁ"繁子(祖母)節"だったから聞いてもらおう。
「添乗員さん、あのね、全部で40万のアクセサリーの入った袋が無いのよ…」
「えぇ!」
「もしかしたら昨日の宿に置いてきちゃったのかもしれないから連絡してくれない?40万くらいのアクセサリーが入った黒い袋ね、盗られたのかもしれないわ…」
「わ…かりました。すぐに連絡致します。」
これを早口でまくし立てる。ポイントなのが、「40万」という金額を連呼すること。その単語いる?
可哀想な添乗員さんはすぐに宿を始めとする各所に連絡してくれた。
その間祖母は迷惑をかけたなんてさらさら思っておらず、わりと旅行を楽しんでいた。さらには昼食の席で一緒になったご婦人方に「40万くらいのアクセサリー類が無くなったのよ〜」と話していた。ご婦人方は心配してくれたが、傍から聞くと困りに見せかけた金持ち自慢にしか聞こえない。
さらに添乗員は休憩時間に入った時に「すみません、もうクリーニングが入っていて、そういった届けは無いようです…」と報告してくれた。ぜんっぜん悪くないのに「申し訳ございません」と述べる添乗員さんが哀れで祖母が迷惑をかけていたたまれなかった。
当の本人は「あら…。じゃあどうしようかしら…」と不安げな表情を浮かべたが、盗られた(仮定)ことには微塵の疑いもなく、金のイヤリングだのバカでかいカメオだの、アクセサリー類がどんなものだったかを説明していた。それを聞いてさらに添乗員さんの顔がますます曇る。そりゃ、自分が引率した客がすられたなんて良い話じゃないだろう。しかも祖母いわくかなりの高額商品。あるのかは知らないが保険とかそういう手続きだってある。添乗員さんの皮膚の見える頭頂部はこの心労で抜け毛が増えるんじゃなかろうか。
なんだってそんな高いもんを持ってきたんだ。見栄です。って、理由があまりにもしょうもないでしょ。
結局見つかりそうもないままホテルへ。荷解きをしている時祖母が声を上げた
「あ!あったわ!」
例のアクセサリーが見つかった。スーツケースのポケット部分に入っていたらしい。真っ先に探すべきところでは?そして、
「なんだ、こんなとこにあったのね。」
と一言。こういう時、普通の人ならば「よかった…」とか、「心配かけちゃったわね…」とかの反応をすると思うが、そこは祖母。他人に迷惑をかけたという発想がない。一日がかりで何人も余計な心配をかけたことに対する謝意とか、そういったことはこの人の頭には存在しないのだ。それに気づいて力が抜ける。
添乗員さんと昼のご婦人方はに無事見つかったことを伝えたが、その時も"繁子節"は圧倒的だった。以下はご婦人方に知らせた時の祖母だ。
「ほら、見てぇ〜!見つかったのよ〜!」
と言いながら早速見つかったブローチを胸元に付けたのを見せつけに行った。昼間に散々「盗まれたかも」とか言って心配してもらってた相手にできることじゃない。呆れを通り越して面の皮の厚さに天晴れだわ。その精神力があれば怖いものなんかないだろう。
こうして、40万アクセサリー紛失事件は添乗員さんに余計な苦労をかけただけで幕を閉じた。
余談だが、この話はリアルタイムでLINEで共有していたのだが、帰国してから父が「ほら見てぇ〜!」と言いながら胸元を指さすモノマネをしばしばやるようになった。こうしてネタにしてはいるが、もし、当時同行していたのが父だったら海外で最悪の親子喧嘩をして帰ってきていたと思う。
閑話・ボッティチェリに敬意を示して。
さて、前回無くしたアクセサリーが無事見つかったが、次の日はフィレンツェにあるウフィツィ美術館に向かう。ボッティチェリの「春」「ヴィーナス誕生」等某ゼリヤ店内で必ずと言っていいほど飾られている有名すぎる絵が見どころだ。
正直ヨーロッパのツアーだと1週間とかでいくつもの美術館を巡るから作品ひとつひとつの貴重さとかよりも人でごった返す中、はぐれないよう頑張ってついて行きーの作品チラ見して説明聞きーの写真撮りーのの繰り返しで鑑賞する風情もへったくれもあるもんじゃなかったけど、そんなもんなのか。
ツアー自体の目玉でもあるこの日、祖母は特にオシャレをして臨んだ。あのギッチギチのスーツケースからこの日に着る服を決めていたのだと思われる。毎日服を変えていた祖母のファッションショーを写真で残しておけばよかった。当時はそんな余裕もなかったが。
その日のコーデの主役は胸元に付けられたバカデカカメオ。5~6cm程のブローチにしてはかなり大きなそれは真偽は知らないが祖母曰くかなり高級なものらしい。そう、前日無くしたと騒ぎを起こしたあれだ。
同じツアーの客にブローチ素敵ねと声をかけられ祖母の鼻は高々。
「えぇ、ボッティチェリに敬意を示してね。ほら、プリマヴェーラの柄なのよ」
添乗員さんにまで聞かれてもないこだわりを披露する祖母。ああもう、添乗員もちょっと引いてるじゃないか。他人のフリをさせてくれ
この話、何がすごいって、祖母は別に美術に特段関心がある人でもないということ。美術が好きでボッティチェリの実物を見れるのが嬉しい!という人ならばまぁ、「ボッティチェリに敬意を示して」なんて言っても許されるが祖母は絵画の前を結構素通りするような人だから、余計に「んなこと言う!?」という気持ちが大きい。普通に生きててそんなの言う様な人は叶姉妹くらいしか思いつかないのだけど、祖母は普通の一般人じゃん、ハイソぶってるん?恥じゃん、そんで身内じゃん。勘弁してくれ。
しかしボッティチェリの実物を間近見てもまぁサイゼで見たのも同じだなぁという感想になった自分ももしかしたら祖母と似たような感性を持っているのかもしれない。血の繋がりに震える。しょぼい感想しか言えなくて情けなくなるが、貴重なものを鑑賞したこと自体は間違いなく良い経験になったと思いたい。小学2年生並の感想ではあるけど。
5章 ナポリと靴
青の洞窟に行く日、ついに私は限界を迎え、その日の観光を全てブッチして一日ホテルに留まる権利を獲得した。そして、ここまでで祖母の性格をなんとなく知っているならばこの権利を得るまでにも戦いがあったことも想像に難くないだろう。
この作戦はまず第一に私とおばあちゃんとの別行動が肝だ。というか、そのためだけに私はわざわざ観光の目玉ともいえる青の洞窟をキャンセルしたのだ。
朝食の時間から勝負は始まった。朝食会場に着くと同時に添乗員に駆け込み
「スミマセン、チョットタイチョウガワルイノデ今日の観光はホテルデヤスマセテイタダキタイデス」
間髪入れず飛んできた祖母(謎自信杖無し)の攻撃に、勘弁してくれ!!!と叫びたくなる。若干叫びが漏れてたかもしれない。
「大丈夫です!なのでおばあちゃんはぜひ行ってきてください!!!!!貴重な体験ですし!!!!!!」
ビックリマークの数は必死さの証。ここで折れたら全部ムダ。白刃戦の火花が散った。
「でも…」
押し問答を何回か繰り返し、半ば無理矢理一人の休暇を勝ち取った。勝ちました。人生は強引さが必要な時もあって、それは今だった。朝から何をやっているんだろう。
部屋でのことは特に書くともないけど、FGOの夏イベをやっていたことと、わりと階数の高い部屋で窓がやたら汚かったことぐらい。
私が一人時間を無為なソシャゲに費やしている間に事件は起こった。祖母は、ウン年前、下手したら二桁年前に買った慣れない靴を引っ張り出してきていたのだった。ツアーについていけなくなったあたりから「靴が悪いのよね!前の奴だから!」と旅行初日から怪しい声を聞いていたその靴が遂にぶっ壊れたという。
身体能力をごまかすような靴への悪態を聞くたびに普通に靴は古いし本人の体力も身体能力も落ちてますよ、の言葉を喉元で押しとどめていた。あたりまえ体操過ぎる。
帰ってきた祖母の第一声は「この靴ナポリで買ったの!」だった。足元にはメタリックな輝きを放つパープルの靴が光る。まずなんで洞窟を見に行った人の足元が新しくなって帰ってきてんの?
肝心の洞窟はと言うと「ああ、綺麗だったわよ、うん。」とホントに行った???と思うようなうっすい反応。
その後ろを添乗員さんが「すごかったですよおばあ様。店内でたくさん試し履きをされていて」と伝えてくれた。
すごい、見てないのに光景が目に浮かぶ。添乗員さんにお世話を丸投げしたようなもんだ。心なしかげっそりして見えて申し訳なさが募る。ごめん、でも限界だったんだ。
当の本人はケロッとしておニューの靴にご満悦なようだ。きっと気に入るものが出てくるまで沢山試着したのだろうと想像して頭が痛くなる。添乗員さんの様子を見るに多分現地の店員さんにも日本語で「もっと𓏸𓏸なのはないの!?」とかなんとか言ってたんだろうなあと思う。言葉の通じない異国の地で謎に自信に満ち溢れてる(そのくせ心配性な)のはなぜなんだ。
こうして、ぶっ壊れたウン10年前の靴はろくに使われずに外国のホテルに捨てられて行き、おばあちゃんの足元は新しく"ナポリで買った靴"で飾られ、その後の旅路を共にすることとなった。
今回の教訓:靴は履きなれたもの履いて行こう。
間違っても大事にしまい込んだ靴を久々に出すもんじゃないよ、旅先でぶっ壊れるからね。
クレーム:クレーム (クレイム、英語: customer complaint, consumer complaint)は、サービスに対する苦情や改善要求、契約あるいは法律上の権利請求を指す和製英語。ーWikipediaより
クレームを入れたことはあるだろうか。私はない。大体の人もそこまでのことがなければクレームを入れることは無いと思う。サービス側が悪いこともあるが、客側がかなり無茶苦茶をいうことがある。無茶苦茶なクレームを入れる人のことをクレーマーと呼び、さらにサービスだけでなく個人的な怒りも乗せてくるような輩は一段昇格して「モンスタークレーマー」と呼ばれる。こうなってくると、もうヒューマンじゃありません。ホモ・サピエンスから新しい生き物への変身だ。
コールセンターのアルバイトで実際にクレームを受けたことがあるが、その時は相手の「だいたいお宅はさあ!」との発言に(本当にこんなことを言う人がいるんだ!)と感動したものだ。今まで私が見てきた創作内のクレーマーが言ってたことそのまんまの言葉を受け取って、おお!と今までの答え合わせができた気分だった。まぁ、バイトの内容的に相手の氏名住所生年月日職業家族構成家族の情報も全部知っているという圧倒的に有利な立場だったから慌てなかったというのもある。
さて、クレーマーの対処には同じ気持ちになって怒ると有効というのがある。自分より起こってる人を見て逆にクレーマー側が冷静になるとか、自分の怒りが認められたと思うことによって満足するらしい。
膝の手術を3回受けた70代祖母が同行者の孫に無断でイタリア縦断超弾丸ツアーに申し込んだ話。
一章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
三章 こんなとこに住む人の気がしれませんよね
四章 40万()のアクセサリー
五章 ナポリと靴
七章 ローマの夕食
・激重スーツケース
・自慢話と夏の空
・ボッティチェリに敬意を示して。
・嵐ってすげぇや!
孫が中学三年になるのに合わせて祖母が海外旅行に行きたいと言い出した。
昔は海外によく行っており孫と一緒に行くのが夢だったんだそう。
そこで白羽の矢が立ったのが、2番目の孫で初の女の子のわたし。
おばあちゃんは息子しかいないから初めての女の子をかわいがって、よく自分の好みの服やらを買って着せられた。娘がいたらしたかったことを私にしてる感じ。
あとまぁ「孫と一緒に旅行!」ってのが老人にとってはステータスなんだね。「孫と海外旅行をするくらい仲が良くて金銭的にも裕福な家庭」みたいなさ。
「あらお孫さんと旅行?いいわね〜羨ましいわ〜」って言われたいのもあったと思う。そりゃあ孫連れて旅行してる人がいたらそういう反応しかないでしょ。
当時は何も知らんかったから旅行行くのに全然賛成で二つ返事でOKしたし海外行けんの楽しみにしてた。
祖母は膝が悪く何度か手術の経験もあるため、最初は膝のこともあるしバンクーバーあたりのひとつの都市に留まってゆっくりしようねって話してた。
それが5月のある日
って。ねぇ、あんた。
パンフレット見せてもらったらまぁイタリアを北から南まで大移動する8日間の超弾丸ツアー。母が「大丈夫なんですか?」と心配そうに聞いても「大丈夫よ〜!」で聞きゃしない。
身体に爆弾抱えてる人がどうしてそこまで自信満々になれるのか。謎です。
テンションの上がった人間は突拍子もないことを言い出すの典型を目の前で見た。
1章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
そして迎えた当日、前泊する為に祖母の家に行った私が「杖あります?」って聞いたら、自信満々に「無いわ!でも多分大丈夫だと思うから!☺️」
まって??
いやもう、「なんで??」の一言に尽きる。
だって言ったもん、「買う」って言ってたやんけ。母さんがおばあちゃんの膝を考慮して折りたたみ式の勧めたり口酸っぱくして杖を持っていけって言ってたから。そりゃあ買ってると思ってたし若くないんだから過信しないでくれ、たのむから。
ここで私が間違ったのは不安に思いながらもすぐそばのショッピングモールに走って杖を買いに行かなかったこと。これが後に解決できない大問題となる。
今なら過去の私をぶん殴ってでも杖買ってこっそり自分のスーツケースに突っ込む。もし声だけでも伝えられるなら夜とか関係なしに「杖を探しに走れ〜!!!!!」って叫ぶ。絶対に。
「何かあったら現地で買うわ!」って言ってたから大丈夫かと思ってた。
予想してたとおり毎日足が痛くなるくらい歩く超弾丸ツアー。15歳の私でそうなんだから70代の祖母はさぞ辛かったと思う。
でもね?普通に考えて膝にボルト埋まってて普段杖ついてんのに、どう見ても歩くツアーに杖の1本も持ってかないなんて、そんなことある?
現地について2日目くらいに高級店が並ぶ通りで杖を見つけた。べっ甲の持ち手のついたツヤツヤの杖だったからこれならおばあちゃんも満足だろうと思って「杖ありましたよ!」って声かけた。のに。
「でもね〜、ここ(現地)の人に合わせてあるからおっきいのよ」
現地で買うって?言ってませんでした????
ちょっとマジでよく分からないんだけどそんなん最初からお前わかってたの?つまり絶対買う気ないのに買うって言ってたんか?って。
既にツアーの列から遅れて添乗員さんに迷惑かけてんのに何言ってんの?って。
オシャレでプライドの高い祖母にとって杖を着いて歩くのは格好悪いと、ただそれだけだったのだ。
イタリアに着いて初日、夕方に到着したのでそこからバスに乗る。着く少し前に機内食が出たから夕飯は無し、この日はホテルに直行して寝るだけ、明日から観光が始まる。
10時間以上のフライトで腰は痛いしケツはもじょもじょするしで、10時間前に一瞬顔を合わせた人たちと一緒のバスに乗ってホテルへ向かう。
ホテルの部屋へ入り、荷物の整理をして、今すぐシャワーを浴びて寝たいところだが事は起こった。
シャワーが出ないのだ。
普通、コックを上下に動かせば水が出るし、それをひねれば温度調節ができる。少なくとも日本ではそうだ。
このシャワーはどうだろう。コックを上にあげると蛇口から水が出る。コックをひねって温度調節も可能だ。それでも蛇口から繋がるシャワーはうんともすんとも言わなかった。
困った。いちおう先進国なのに世界共通で必須のものの使い方がわからないなんてことある?私はある
長旅直後に知らない土地で使い方がわからなくてゆっくり風呂にも入れないなんて哀れだね。
しばらく考えて、海外経験の豊富なおばあちゃんなら知ってるかなと思って聞いてみたら、祖母はすぐに「フロントに連絡するわ!」と。
あんたも知らないんかーい
いやいいんだけど、知らないのは別に良いのだけどね、ここでフロントに連絡してもイタリア語なんてさっぱりだし、なんなら英語も怪しい祖母と孫で外人のスタッフとコミュニケーションが取れるなんて到底思えない。
それだけは勘弁してくれの一心で私はひたすらスマホで使い方を探した。
その間も祖母は3分に1回「やっぱりフロントに聞いた方が良いんじゃないかしら」と言ってきた。祖母なりに心配だったのだと思う。その自信はどこから来るのかだけ聞かせて欲しい。
型番を検索しても外国語のページが出るばかりで、祖母によるホテルスタッフ襲来の圧を受けながら色々いじくっていたら、ふとした拍子にシャワーから水は出た。
蛇口から水を出した状態で蛇口の先の部分を引っ張るとシャワーが出る仕組みだったらしい。初見殺しか?
なんでこんなとこで1人謎解きやってるのかさっぱり分からないが、ホテルスタッフを呼ばれる前に解決できたのはファインプレーだったと今も思っている。
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
歩く!歩く!歩く!
超弾丸ツアーはひたすら歩く。海外旅行に行く層なんて暇と金のある金持ちのじいさんばあさんが主なのに、旅行会社のツアーは「夢の🎶イタリア一周」だとか、「スペイン♡世界遺産ツアー」だとかの移動にかなり無理があるツアーばかりを組んでくる。
例に出したのは私が実際に祖母(父方 母方)と参加したツアーだ。そしてどちらも参加者の平均年齢が60を越していた。
老人、己の体力を過信するな。
もしかしたらゆったりしたツアーもあったかもしれないけど、私が知る前に祖母は申し込んでいたから知る由もない。そゆとこの報連相大事だと思うんだ!
数日で全部を回ろうなんてツアーでは大体の日程がメチャクチャ歩いてるか数時間バスに乗るかの2択になるが、直射日光を浴びて歩いたジジババばかりのバスなんて小学生の遠足帰りのバスより爆睡率が高い。
寝息の聞こえる静まり返ったバス内は幼稚園のお昼寝の時間と同じ空間だった。
日に当ててから涼しいとこでゆっくりさせるのはね、寝かしつけの方法なんよ。
私はイタリアに行ってまでソシャゲのガチャを引いて、推しが出ては「ありがとうイタリア…😭🙏」とTwitterにつぶやくだけになった。景色は飽きる
大体このガイドはやたら大声でハキハキと話す細身な40代くらいの女性が多い。あとなんかダサい旗持ってるよね、キティちゃんとか。
そんで、そのハキハキしたおばさんガイドはめちゃめちゃ歩くのが早かった。大股でズンドコ行くので必死で追いかけるが、配布のトランシーバーで早口で観光地の説明をするから忙しい。
実績解除のための観光だ。この現地ガイドにより観光はRTA(リアルタイムアタック)に様変わりした。
参加者も置いていかれないよう頑張って着いていくが、ここで忘れちゃいけないのが祖母だ。
観光は現地ガイドが先頭に立ち先導しつつ、はぐれる人がいないよう1番後ろを常勤のガイドで挟む姿勢を取る。
私が息切れしながら振り返ると、横にいたはずのおばあちゃんがいなかった。
前に言った通り祖母は膝が悪く、普段杖をついているくらいだから当然歩くのが遅い。それに杖無しというデバフ+でこぼこの石畳+傾斜が拍車をかけた。
「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
うん、まあ、なんだろう。同情できない。
列の1番後ろでガイドさんに付き添ってもらって悪態をつくって、どう???
ガイドさん、ごめんな。
杖があればどんなに楽だっただろうと今更ながら後悔したし、この旅行中頭の10%くらいでは常に杖のことを考えていた。ちなみに今でも百均で杖を見ると「この!クソ!!これがあれば!!」と思う。500円しないで買えるんだぜ?
閑話 クソ重スーツケース
表題の通りである。おばあちゃんのスーツケースがバカクソ重いって話。
おばあちゃんのスーツケースが重量制限心配になるくらいマジでバカ重かったんだけど、
「何も入ってないのよ〜このスーツケース古いから〜」って言ってたし、古いスーツケースの重さなんて知らんからそんなもんかなって思ってた。ハードケースだったし。
重量制限は23キロまでで、おばあちゃんのは20キロくらいだったはず。行きの時点でこれって土産のも買うはずだけど大丈夫????となったがホテルで開けて驚いた。
ナニモ…入って…ない…❓
スーツケースが古いとかそんな問題じゃねーよ。ギチギチに布詰めて「何も入ってない」なんて言える姿勢は逆にすげーよ。
ちょっと冷静になったけどこの後のお土産タイムで早速おばあちゃんが買ったワインは旅行中ずっと私のスーツケースに入れて運ばれた。たまにスーツケースから瓶が擦れて酒屋の音がした。
旅行の回数が多いだけの自称旅慣れてると本当の旅に慣れてる人というのは別物だ。
閑話3つ目である。ちなみに書いてあること全部まだ2日くらいで起こったことで、たかだか1週間程度の旅行でよくここまでネタがあるなとしみじみ思う。
一応海外旅行に行くからには大体のツアーには現地の有名料理が組み込まれている。Tボーンステーキもそれのうちの1回。2日目の夕飯だったかな。
ガイドさんがメニューを読み上げてなんかよくわからんサラダとか食べて、例のメインは来た。
ミスター味っ子で存在だけは知ってる料理だけあって私は若干テンションが上がっていた。
漫画の微かな記憶では左がヒレで右がサーロイン、さっぱりしたヒレを先に食べ脂の乗ったサーロインを味わうのが鉄板だと味っ子の顔のうるさい審査員が言っていた。
記憶のTボーンの比率は約1:2、出てきた肉の比率は1:5くらい。申し訳程度のヒレ肉に思わず笑ってしまった。これ、わざわざTボーンにする必要ある?
まぁそれは例によって外国なのでサーブされた人によって大きさも全然違っていた。海外に行ってまで日本のような画一化を求めるのが間違っているとも言える。日本が細かいのか、海外が雑なのか。
肉質にも差があって、同じテーブルのおじいさんは「固すぎて食べられない」と言っていた
私のは食べられないって程じゃなかったけど、先に言ったようにツアーの参加者は老人の方が大体だ。その人たちにこれは重いんじゃないかと思う。
そっかーとか思いつつ1人で黙々と食べてたら祖母が
「そうかしら?私のすっごく柔らかいのよ!ほら!」
と、見せつけるように肉を切っていた。肉が固いと言っていた人の目の前で。
何故。
嫌がらせか?と思ったが、別に祖母はそんなこと考えておらず、ただ思ったことを言っただけだ。それがナチュラルにマウントになる人なのだ。純粋培養のヤバ人(やばんちゅ)である。悪意は一切ない。
そしてその素直な性格がこの旅行を悲惨にした一番の原因である。
ただただ、いたたまれなかった。ここで私が「そういう意図はないんです!」なんてことは到底言えないし、言ったところで祖母は理解するような人じゃないし、わたしにできることと言ったら押し黙って肉を食うだけだった。
言われた同じテーブルの人たちは「人によって差があるのね〜」とかで流してくれた。大人だ。
3章 「こんなとこに住む人の気がしれませんよね」
イタリアといえばベネチア、水の都。今回のツアーももちろんベネチア観光が含まれていた。
こんなにネタがある時点ででお察しだとは思うが、祖母はかなり癖が強い。私と年代が違うから、というだけでなく単に人間としての癖が強すぎる。だから付き合うにはかなりコツなり話し方なりに工夫が必要だ。特殊食材?
祖母の特徴を端的に並べると
・謎の自信を持つ。
・反面、少々過剰に心配性な面もある。
・介護の息抜きに海外旅行へ行っていた。特にヨーロッパを中心に巡っていてイタリアにはもう何回も来たからもう飽きちゃったくらい!が旅の口癖だった。
謎の自信、杖の件はこれが遺憾なく発揮された結果だ。このエピソードで祖母の人間性が伝わったかと思う。決して悪い人ではないから逆にタチが悪いのだ。悪意じゃないから私もそんな強く言えないし、そもそも強く言えるような間柄でもないのがさらに状況の悪化に拍車をかけた。私は押しに弱い典型的な日本人であったから余計に。あの場にいたのがアメリカ人かもしくは私たちの母だったら「ダメよ!杖を持たないと出発しないから!」と断固拒否の姿勢を見せただろう。私も1人ストライキを決行すればよかった。
ここで問題なのが「イタリアにはもう何回も来て飽きちゃった!」の口癖だ。
わざわざ12時間飛行機に乗ってケツを酷使して見知らぬ土地に降り立って言うことがそれなの、普通にやばい。現地ディスしたい行動力の鬼なの?
修学旅行の同じ班に到着直後から「もう来すぎて飽きちゃった!」なんて言う奴がいたら、そいつ絶対回る友達いないでしょ。もし現地の京都人に聞かれて初手からぶぶ漬けを出されても文句は言えない。花輪くんでもそんなマウントは取らん。
しかし一番直近でも10年以上前、イタリアだって発展し続けるのだ。祖母は旅の間中も思い出のイタリア(思い出補正マシマシ)に浸り続けている。
ベネチアは陸から少し離れた場所にあり小さな船に乗って向かう。
海の水は綺麗ではないが、所狭しとゴンドラが並び、ヨーロッパの建築様式で作られたカラフルな屋根や壁に白い柱、窓の一つ一つまで細かな意匠が凝らされた建物がずらりと並び、それらが海の上に浮かぶ光景は圧巻だった。色んな作品の題材になるわけだ。これは日本では見れない、世界は綺麗なものがいっぱいあるなぁ、連れてきてもらってありがたいなと素直に感謝した。
水に浮かぶふかふかした地面の繋ぎ目を歩き、現地ガイドさんの説明を聞きツアーの皆さんもワクワクした目で街を見渡しているその時
「こんなとこに住む人の気がしれませんよね〜」
見れば祖母が隣の人になかなかの声量で話しかけていた。あえての悪意とかではなく井戸端会議で「や〜ね」とでも言うような表情で。
やめろや。思うのはまだ良いとして、百歩譲って話しかけるなや。瞬時に吹っ飛ぶ感謝。もっとありがたがらせてくれ。
隣の人はどんな反応をしたっけ。曖昧に相槌を打っていたっけ。でもこの場で言うべき言葉ではないことだけはわかる。
KY発言選手権があればこの発言はかなり上位に食い込む確信があるし、さらに現地で言ったことで芸術点も加算、相当な高得点を取れるはずだ。エピソードとして聞く分には良いのだけども。
これによって私は生涯ベネチアを思い出す際にはこの時の祖母の発言とあのいたたまれない気持ちを思い出すのだ。なんの呪いだよ。
以上、ベネチアでの思い出でした。
まぁこの後も絆創膏を探してドラッグストアの店員(イタリア人)に「Where is バンドエイド?」と英語で聞いたり(結局買えなくて私が持っていたのを渡した)自由時間で迷子になったり私が素敵な羽根ペン買ったら「お金あるわね〜」と本人にその気はなくても嫌味と取れる事を言われたりがありましたがエピソードとしては”弱”なので口頭で説明すれば良いかと思います。
四章 40万()のアクセサリー
「無いわね〜」
「何かなくしたんですか?」
「アクセサリーが入った袋がないのよ」
昨日はあったはずのアクセサリー類がまとめて見つからないのだという。身なりにこだわる祖母だ。アクセサリーもこの服にこれを!というものをあのギチギチのスーツケースに詰め込んできたらしい。
「あら、どうしようかしら〜……40万くらいするんだけど……」
パタパタと探してる最中の爆弾発言に思わず固まった。なんだって?
「あれ全部で40
膝の手術を3回受けた70代祖母が同行者の孫に無断でイタリア縦断超弾丸ツアーに申し込んだ話。
一章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
三章 こんなとこに住む人の気がしれませんよね
四章 40万()のアクセサリー
五章 ナポリと靴
七章 ローマの夕食
・激重スーツケース
・自慢話と夏の空
・ボッティチェリに敬意を示して。
・嵐ってすげぇや!
孫が中学三年になるのに合わせて祖母が海外旅行に行きたいと言い出した。
昔は海外によく行っており孫と一緒に行くのが夢だったんだそう。
そこで白羽の矢が立ったのが、2番目の孫で初の女の子のわたし。
おばあちゃんは息子しかいないから初めての女の子をかわいがって、よく自分の好みの服やらを買って着せられた。娘がいたらしたかったことを私にしてる感じ。
あとまぁ「孫と一緒に旅行!」ってのが老人にとってはステータスなんだね。「孫と海外旅行をするくらい仲が良くて金銭的にも裕福な家庭」みたいなさ。
「あらお孫さんと旅行?いいわね〜羨ましいわ〜」って言われたいのもあったと思う。そりゃあ孫連れて旅行してる人がいたらそういう反応しかないでしょ。
当時は何も知らんかったから旅行行くのに全然賛成で二つ返事でOKしたし海外行けんの楽しみにしてた。
祖母は膝が悪く何度か手術の経験もあるため、最初は膝のこともあるしバンクーバーあたりのひとつの都市に留まってゆっくりしようねって話してた。
それが5月のある日
って。ねぇ、あんた。
パンフレット見せてもらったらまぁイタリアを北から南まで大移動する8日間の超弾丸ツアー。母が「大丈夫なんですか?」と心配そうに聞いても「大丈夫よ〜!」で聞きゃしない。
身体に爆弾抱えてる人がどうしてそこまで自信満々になれるのか。謎です。
テンションの上がった人間は突拍子もないことを言い出すの典型を目の前で見た。
1章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
そして迎えた当日、前泊する為に祖母の家に行った私が「杖あります?」って聞いたら、自信満々に「無いわ!でも多分大丈夫だと思うから!☺️」
まって??
いやもう、「なんで??」の一言に尽きる。
だって言ったもん、「買う」って言ってたやんけ。母さんがおばあちゃんの膝を考慮して折りたたみ式の勧めたり口酸っぱくして杖を持っていけって言ってたから。そりゃあ買ってると思ってたし若くないんだから過信しないでくれ、たのむから。
ここで私が間違ったのは不安に思いながらもすぐそばのショッピングモールに走って杖を買いに行かなかったこと。これが後に解決できない大問題となる。
今なら過去の私をぶん殴ってでも杖買ってこっそり自分のスーツケースに突っ込む。もし声だけでも伝えられるなら夜とか関係なしに「杖を探しに走れ〜!!!!!」って叫ぶ。絶対に。
「何かあったら現地で買うわ!」って言ってたから大丈夫かと思ってた。
予想してたとおり毎日足が痛くなるくらい歩く超弾丸ツアー。15歳の私でそうなんだから70代の祖母はさぞ辛かったと思う。
でもね?普通に考えて膝にボルト埋まってて普段杖ついてんのに、どう見ても歩くツアーに杖の1本も持ってかないなんて、そんなことある?
現地について2日目くらいに高級店が並ぶ通りで杖を見つけた。べっ甲の持ち手のついたツヤツヤの杖だったからこれならおばあちゃんも満足だろうと思って「杖ありましたよ!」って声かけた。のに。
「でもね〜、ここ(現地)の人に合わせてあるからおっきいのよ」
現地で買うって?言ってませんでした????
ちょっとマジでよく分からないんだけどそんなん最初からお前わかってたの?つまり絶対買う気ないのに買うって言ってたんか?って。
既にツアーの列から遅れて添乗員さんに迷惑かけてんのに何言ってんの?って。
オシャレでプライドの高い祖母にとって杖を着いて歩くのは格好悪いと、ただそれだけだったのだ。
イタリアに着いて初日、夕方に到着したのでそこからバスに乗る。着く少し前に機内食が出たから夕飯は無し、この日はホテルに直行して寝るだけ、明日から観光が始まる。
10時間以上のフライトで腰は痛いしケツはもじょもじょするしで、10時間前に一瞬顔を合わせた人たちと一緒のバスに乗ってホテルへ向かう。
ホテルの部屋へ入り、荷物の整理をして、今すぐシャワーを浴びて寝たいところだが事は起こった。
シャワーが出ないのだ。
普通、コックを上下に動かせば水が出るし、それをひねれば温度調節ができる。少なくとも日本ではそうだ。
このシャワーはどうだろう。コックを上にあげると蛇口から水が出る。コックをひねって温度調節も可能だ。それでも蛇口から繋がるシャワーはうんともすんとも言わなかった。
困った。いちおう先進国なのに世界共通で必須のものの使い方がわからないなんてことある?私はある
長旅直後に知らない土地で使い方がわからなくてゆっくり風呂にも入れないなんて哀れだね。
しばらく考えて、海外経験の豊富なおばあちゃんなら知ってるかなと思って聞いてみたら、祖母はすぐに「フロントに連絡するわ!」と。
あんたも知らないんかーい
いやいいんだけど、知らないのは別に良いのだけどね、ここでフロントに連絡してもイタリア語なんてさっぱりだし、なんなら英語も怪しい祖母と孫で外人のスタッフとコミュニケーションが取れるなんて到底思えない。
それだけは勘弁してくれの一心で私はひたすらスマホで使い方を探した。
その間も祖母は3分に1回「やっぱりフロントに聞いた方が良いんじゃないかしら」と言ってきた。祖母なりに心配だったのだと思う。その自信はどこから来るのかだけ聞かせて欲しい。
型番を検索しても外国語のページが出るばかりで、祖母によるホテルスタッフ襲来の圧を受けながら色々いじくっていたら、ふとした拍子にシャワーから水は出た。
蛇口から水を出した状態で蛇口の先の部分を引っ張るとシャワーが出る仕組みだったらしい。初見殺しか?
なんでこんなとこで1人謎解きやってるのかさっぱり分からないが、ホテルスタッフを呼ばれる前に解決できたのはファインプレーだったと今も思っている。
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
歩く!歩く!歩く!
超弾丸ツアーはひたすら歩く。海外旅行に行く層なんて暇と金のある金持ちのじいさんばあさんが主なのに、旅行会社のツアーは「夢の🎶イタリア一周」だとか、「スペイン♡世界遺産ツアー」だとかの移動にかなり無理があるツアーばかりを組んでくる。
例に出したのは私が実際に祖母(父方 母方)と参加したツアーだ。そしてどちらも参加者の平均年齢が60を越していた。
老人、己の体力を過信するな。
もしかしたらゆったりしたツアーもあったかもしれないけど、私が知る前に祖母は申し込んでいたから知る由もない。そゆとこの報連相大事だと思うんだ!
数日で全部を回ろうなんてツアーでは大体の日程がメチャクチャ歩いてるか数時間バスに乗るかの2択になるが、直射日光を浴びて歩いたジジババばかりのバスなんて小学生の遠足帰りのバスより爆睡率が高い。
寝息の聞こえる静まり返ったバス内は幼稚園のお昼寝の時間と同じ空間だった。
日に当ててから涼しいとこでゆっくりさせるのはね、寝かしつけの方法なんよ。
私はイタリアに行ってまでソシャゲのガチャを引いて、推しが出ては「ありがとうイタリア…😭🙏」とTwitterにつぶやくだけになった。景色は飽きる
大体このガイドはやたら大声でハキハキと話す細身な40代くらいの女性が多い。あとなんかダサい旗持ってるよね、キティちゃんとか。
そんで、そのハキハキしたおばさんガイドはめちゃめちゃ歩くのが早かった。大股でズンドコ行くので必死で追いかけるが、配布のトランシーバーで早口で観光地の説明をするから忙しい。
実績解除のための観光だ。この現地ガイドにより観光はRTA(リアルタイムアタック)に様変わりした。
参加者も置いていかれないよう頑張って着いていくが、ここで忘れちゃいけないのが祖母だ。
観光は現地ガイドが先頭に立ち先導しつつ、はぐれる人がいないよう1番後ろを常勤のガイドで挟む姿勢を取る。
私が息切れしながら振り返ると、横にいたはずのおばあちゃんがいなかった。
前に言った通り祖母は膝が悪く、普段杖をついているくらいだから当然歩くのが遅い。それに杖無しというデバフ+でこぼこの石畳+傾斜が拍車をかけた。
「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
うん、まあ、なんだろう。同情できない。
列の1番後ろでガイドさんに付き添ってもらって悪態をつくって、どう???
ガイドさん、ごめんな。
杖があればどんなに楽だっただろうと今更ながら後悔したし、この旅行中頭の10%くらいでは常に杖のことを考えていた。ちなみに今でも百均で杖を見ると「この!クソ!!これがあれば!!」と思う。500円しないで買えるんだぜ?
閑話 クソ重スーツケース
表題の通りである。おばあちゃんのスーツケースがバカクソ重いって話。
おばあちゃんのスーツケースが重量制限心配になるくらいマジでバカ重かったんだけど、
「何も入ってないのよ〜このスーツケース古いから〜」って言ってたし、古いスーツケースの重さなんて知らんからそんなもんかなって思ってた。ハードケースだったし。
重量制限は23キロまでで、おばあちゃんのは20キロくらいだったはず。行きの時点でこれって土産のも買うはずだけど大丈夫????となったがホテルで開けて驚いた。
ナニモ…入って…ない…❓
スーツケースが古いとかそんな問題じゃねーよ。ギチギチに布詰めて「何も入ってない」なんて言える姿勢は逆にすげーよ。
ちょっと冷静になったけどこの後のお土産タイムで早速おばあちゃんが買ったワインは旅行中ずっと私のスーツケースに入れて運ばれた。たまにスーツケースから瓶が擦れて酒屋の音がした。
旅行の回数が多いだけの自称旅慣れてると本当の旅に慣れてる人というのは別物だ。
閑話3つ目である。ちなみに書いてあること全部まだ2日くらいで起こったことで、たかだか1週間程度の旅行でよくここまでネタがあるなとしみじみ思う。
一応海外旅行に行くからには大体のツアーには現地の有名料理が組み込まれている。Tボーンステーキもそれのうちの1回。2日目の夕飯だったかな。
ガイドさんがメニューを読み上げてなんかよくわからんサラダとか食べて、例のメインは来た。
ミスター味っ子で存在だけは知ってる料理だけあって私は若干テンションが上がっていた。
漫画の微かな記憶では左がヒレで右がサーロイン、さっぱりしたヒレを先に食べ脂の乗ったサーロインを味わうのが鉄板だと味っ子の顔のうるさい審査員が言っていた。
記憶のTボーンの比率は約1:2、出てきた肉の比率は1:5くらい。申し訳程度のヒレ肉に思わず笑ってしまった。これ、わざわざTボーンにする必要ある?
まぁそれは例によって外国なのでサーブされた人によって大きさも全然違っていた。海外に行ってまで日本のような画一化を求めるのが間違っているとも言える。日本が細かいのか、海外が雑なのか。
肉質にも差があって、同じテーブルのおじいさんは「固すぎて食べられない」と言っていた
私のは食べられないって程じゃなかったけど、先に言ったようにツアーの参加者は老人の方が大体だ。その人たちにこれは重いんじゃないかと思う。
そっかーとか思いつつ1人で黙々と食べてたら祖母が
「そうかしら?私のすっごく柔らかいのよ!ほら!」
と、見せつけるように肉を切っていた。肉が固いと言っていた人の目の前で。
何故。
嫌がらせか?と思ったが、別に祖母はそんなこと考えておらず、ただ思ったことを言っただけだ。それがナチュラルにマウントになる人なのだ。純粋培養のヤバ人(やばんちゅ)である。悪意は一切ない。
そしてその素直な性格がこの旅行を悲惨にした一番の原因である。
ただただ、いたたまれなかった。ここで私が「そういう意図はないんです!」なんてことは到底言えないし、言ったところで祖母は理解するような人じゃないし、わたしにできることと言ったら押し黙って肉を食うだけだった。
言われた同じテーブルの人たちは「人によって差があるのね〜」とかで流してくれた。大人だ。
3章 「こんなとこに住む人の気がしれませんよね」
イタリアといえばベネチア、水の都。今回のツアーももちろんベネチア観光が含まれていた。
こんなにネタがある時点ででお察しだとは思うが、祖母はかなり癖が強い。私と年代が違うから、というだけでなく単に人間としての癖が強すぎる。だから付き合うにはかなりコツなり話し方なりに工夫が必要だ。特殊食材?
祖母の特徴を端的に並べると
・謎の自信を持つ。
・反面、少々過剰に心配性な面もある。
・介護の息抜きに海外旅行へ行っていた。特にヨーロッパを中心に巡っていてイタリアにはもう何回も来たからもう飽きちゃったくらい!が旅の口癖だった。
謎の自信、杖の件はこれが遺憾なく発揮された結果だ。このエピソードで祖母の人間性が伝わったかと思う。決して悪い人ではないから逆にタチが悪いのだ。悪意じゃないから私もそんな強く言えないし、そもそも強く言えるような間柄でもないのがさらに状況の悪化に拍車をかけた。私は押しに弱い典型的な日本人であったから余計に。あの場にいたのがアメリカ人かもしくは私たちの母だったら「ダメよ!杖を持たないと出発しないから!」と断固拒否の姿勢を見せただろう。私も1人ストライキを決行すればよかった。
ここで問題なのが「イタリアにはもう何回も来て飽きちゃった!」の口癖だ。
わざわざ12時間飛行機に乗ってケツを酷使して見知らぬ土地に降り立って言うことがそれなの、普通にやばい。現地ディスしたい行動力の鬼なの?
修学旅行の同じ班に到着直後から「もう来すぎて飽きちゃった!」なんて言う奴がいたら、そいつ絶対回る友達いないでしょ。もし現地の京都人に聞かれて初手からぶぶ漬けを出されても文句は言えない。花輪くんでもそんなマウントは取らん。
しかし一番直近でも10年以上前、イタリアだって発展し続けるのだ。祖母は旅の間中も思い出のイタリア(思い出補正マシマシ)に浸り続けている。
ベネチアは陸から少し離れた場所にあり小さな船に乗って向かう。
海の水は綺麗ではないが、所狭しとゴンドラが並び、ヨーロッパの建築様式で作られたカラフルな屋根や壁に白い柱、窓の一つ一つまで細かな意匠が凝らされた建物がずらりと並び、それらが海の上に浮かぶ光景は圧巻だった。色んな作品の題材になるわけだ。これは日本では見れない、世界は綺麗なものがいっぱいあるなぁ、連れてきてもらってありがたいなと素直に感謝した。
水に浮かぶふかふかした地面の繋ぎ目を歩き、現地ガイドさんの説明を聞きツアーの皆さんもワクワクした目で街を見渡しているその時
「こんなとこに住む人の気がしれませんよね〜」
見れば祖母が隣の人になかなかの声量で話しかけていた。あえての悪意とかではなく井戸端会議で「や〜ね」とでも言うような表情で。
やめろや。思うのはまだ良いとして、百歩譲って話しかけるなや。瞬時に吹っ飛ぶ感謝。もっとありがたがらせてくれ。
隣の人はどんな反応をしたっけ。曖昧に相槌を打っていたっけ。でもこの場で言うべき言葉ではないことだけはわかる。
KY発言選手権があればこの発言はかなり上位に食い込む確信があるし、さらに現地で言ったことで芸術点も加算、相当な高得点を取れるはずだ。エピソードとして聞く分には良いのだけども。
これによって私は生涯ベネチアを思い出す際にはこの時の祖母の発言とあのいたたまれない気持ちを思い出すのだ。なんの呪いだよ。
以上、ベネチアでの思い出でした。
まぁこの後も絆創膏を探してドラッグストアの店員(イタリア人)に「Where is バンドエイド?」と英語で聞いたり(結局買えなくて私が持っていたのを渡した)自由時間で迷子になったり私が素敵な羽根ペン買ったら「お金あるわね〜」と本人にその気はなくても嫌味と取れる事を言われたりがありましたがエピソードとしては”弱”なので口頭で説明すれば良いかと思います。
四章 40万()のアクセサリー
「無いわね〜」
「何かなくしたんですか?」
「アクセサリーが入った袋がないのよ」
昨日はあったはずのアクセサリー類がまとめて見つからないのだという。身なりにこだわる祖母だ。アクセサリーもこの服にこれを!というものをあのギチギチのスーツケースに詰め込んできたらしい。
「あら、どうしようかしら〜……40万くらいするんだけど……」
パタパタと探してる最中の爆弾発言に思わず固まった。なんだって?
「あれ全部で40
上記増田の様な人間は本人も書いている様に「女性にありがち」なのだが、本当に女性は責任を取りたがらない側の性だと痛感する。
例えば上記の婚活増田だと、年収学歴が無理な時点で断るべきだったにも関わらず、数ヶ月相手の男性を試し行為し振り回した挙げ句、お断りした。
「年収と学歴なんて相談所なんだから最初から分かっていた筈だろ!」と言われるかも知れないが、それでも数回会った時点で増田側から断るべきだったのだ。
年収と学歴が希望条件と一致しない事を分かっていてマッチングしたのは増田なのだから。
(そして男性側も増田の希望とは合わないだけで一般的には問題の無いスペックだろう)
にも関わらず「責任」から逃げた結果、相手の男性の数ヶ月を無駄にさせてしまった。
女性もそうだが男性だって結婚するに辺り年齢は大いに関係ある。適齢期の数ヶ月は貴重だ。相談所であれば会費だってかかる。
それを、ただ責められたくない、責任を取りたくない、自分が「悪者」になりたくないという、年齢不相応の幼稚な自尊心を守る為に相手の時間と金を浪費させたのだ。
もし仮に早期に断っていれば相手の男性だって「最初から学歴・年収も分かっていただろうに…変な女にマッチングしてしまったよ」とは思うかも知れないがダメージは小さかった。
これでは相手の男性も金・時間のダメージも大きく、そして恐らく本当の理由すら伝わっていないだろう。
「こんなに長期間お付き合いして振られたのだから、自分の人格に問題があると判断されたのだろう…」と、男性側は少なからず精神的ダメージを負う羽目になっただろう。
婚活増田の年齢不相応な自尊心を満たす為だけに、男性はより深く傷つく羽目になったのだ。
にも関わらず当の本人の増田は「女性ならありがちで~…」などとほざき、その上被害者面までしている始末。
これでは真剣に交際しようとしていた男性も浮かばれないだろう。
こういった女性の責任の取りたくなさ、異常なまでの無責任、幼稚な自尊心、そして身勝手な他責性は、社会というより女性に多いありがちな特徴なのだろう。
社会経験の浅い人間では無く、高収入の社会的にはそれなりに経験を積んだ、社会的には女性ですらこうなのだ。一般女性が言わずもがな。
男性の場合、30前後にもなれば、例え自分が悪く無くても何かの為に「責任を取る」事をせざるを得ない経験を少なからずする人間が多い。
言ってしまえば「悪者」になる覚悟を不本意ながらもする事になったり、させられる事が多い。
社会が、女性に責任を負わせようとせず、男性にばかり負わせようとするから、良い歳して他責的な幼稚人間の女性になってしまうのだろう。
まさに「育ちが悪い」。しかしこれは女性のスタンダードなのだ。
幼稚なままで生きられる、「加害者」にならなくて済む性は羨ましいですね。
キルアオやウィッチウォッチは良くも悪くも全体にも個々の話にも一貫性があるんだが、グリーングリーングリーンズは何をしたいのかが明確な感じになってない。
要領よく生きてきた凡人が天才になって世界で活躍するという設定に対して、周囲のレベルがいきなり凄い高い。
凡人が天才に食らいついていくという物語は分かるんだが、当の本人がどういう人間なのかがイマイチ見えない。
正々堂々勝負したいのか、勝つためならハンディが欲しいのかも場面ごとにコロコロと変わる。
それが人間臭いテンパリとして描かれるならともかく、作品はさもそこに一貫性があるかのように語ってくる。
なんで?
今週の内容もなんだか、チグハグだ。
「凡人のくせに挑戦した結果、失敗した」という思い出が宿った写真を「変に冒険心を出さない戒め」と語りながらも、それを切り口に始めた話で「俺は本気でやって天才に勝つよ」と口にする。そして、最後には写真を消す。
一見すると話が繋がっているように見えるが、よく考えるとおかしい。
「戒め」の写真を消して冒険に挑むというのは確かに物語としてはそれっぽいのだが、実際にこの写真に写っているのは「凡人だけど挑戦してしまうという気持ちが昔から一貫していた」という部分なんじゃないのか?
100人の漫画家を集めたら95人は、この物語の終わりで「挑戦しちゃうんだよな。結構いい顔してるじゃん、俺」と言ってこの写真を大事にしまいなおす物語を描くだろう。
漫画なら絶対にやってしまう「主人公に一貫性をもたせる」を放棄している。
第三者の目で見ればおかしく見えるような公道を普通に主人公にさせるし、それがおかしいことを漫画の世界は自覚なく描く。
主人この目から見れば、一貫性のない行動に一貫性があることになっているという思い込みが世界を通して我々の目に飛び込んでくる。
漫画というものはどうしても「体を一貫させる*」ということを大事にしてしまう。
起承転結として正しい形を。
チェーホフの銃は撃たなければいけないし、燻製ニシンの虚偽はそれが分かる形にして終わるべきだとされる。
物語として納得の行く着地点を目指して、都合よく全てがトントン拍子に進まなければいけない。
何気ない食事一つから殺人事件のヒントを見つけ、怪しい動きをしていた子供は真犯人に口止めされていなければいけない。
凡人の癖に主人公が強いのは「めっちゃ努力する天才だから」で終わらされており、他の天才も滅茶苦茶努力しているはずなのに追い抜かれていく。
なんで主人公がゴルフを始めたのかの理由は驚くほど薄っぺらいし、主人公の自己認識も言ってることもしょっちゅうブレる。
枠組みに囚われた人間がついつい「これはこうあるべきですよ」と自縄自縛に陥ってしまう所をすり抜けていく。
これは、まるでAIによる出力だ。
人間が常識という壁によって気づかなかった可能性を、ブルートフォースアタックの総当たりで無理やり引っ張り出してくる。
将棋の世界はAIの力によって新手が無数に産まれ、新手を乱発する棋士はまるでAIのようだと評される。
ジャンプという動脈硬化を起こしきった雑誌に吹き込んだ新しい風だ。
皆、読んでくれ。
そして首を傾げてくれ。
「体を一貫させる」ことに囚われないリアルな高校生の無軌道さを楽しんで欲しい。
どうやらテレビ局だとか脚本家側の人たちに多いのが、亡くなった芦原氏が攻撃したくないって言ってんだから誰かを責めてはいけない、なんなら事件もSNSのせいだという論である。
だが実際のところ、怒りに打ち震えている視聴者側は、件の脚本家が「Instagramで先に口撃した」という点に憤りを感じている。
しかも謝罪もなく、アカウントを非公開にしてトンズラ。表立って批判しない人の中にも、ここにモヤモヤした感情を抱いている人は少なくないのではなかろうか。自分もそうだ。
もちろん、件の脚本家にだって、残された人生がある。今回のことは重荷として生涯のしかかるだろうし、仕事にも影響があるだろう。さらに一人を追い詰めるようなことは、あってはならない。
とはいえですよ。声をあげるテレビ関係者やら脚本家たちが、よりによって視聴者側の感情を逆撫でするような発言ばかりするんだよな。例のアレな削除動画もそうだし。
テレビという狭い世界で生きてきた人が、視聴者のことをプロデューサーや脚本家などの関係者の一つくらいに勘違いしている。番組が存在する理由そのものなのに。
脚本家の方々は、本当は自分たちだってオリジナルの作品が書きたいという。だけど、需要がないからやれない。そうでしょう?
漫画家とか小説家といった方達は、無名の頃の「誰からも必要とされない」時期を死ぬ気で乗り越えて、多くのファンを掴んでいった。その結果、ようやく生まれたのがメディア化するような作品なんだ。
その中で生き残ったのは、ごく一部の人たち。本当に珠玉のような才能なんだ。大衆から支持されるのと、番組の有力者から選ばれるのとでは、全くレベルが違う。前者の方が貴重なんだよ。視聴者側は、そのことをよく分かっている。
「業界」の人たちはそれが分からんだろうし、なんなら後者の方が上くらいに思ってそう。それが発言の節々に表れてて、いまだに多くの人たちの怒りを買っている。
今回の件でもっとも必要なのは、テレビ局側にいる人たちの歪な価値観にメスを入れることなのではないか。個人攻撃は実際に不健全だし、当の本人たちも理解はできないだろう。
第三者機関による調査と検証を行い、「あなた達の捉え方はおかしいですよ」と権威付けして伝えることこそが、必要なのではないかと思う。
https://en.wikipedia.org/wiki/Native_American_name_controversy
"In addition, some feel that the term has so absorbed negative and demeaning connotations through its historical usage as to render it objectionable in context."
このあたり?俺も詳しいわけじゃないから突っ込まれても答えられないけど、周りが勝手に使っちゃダメってして、当の本人たちは気にしてなかったり、そのままでよかったりってところ。もちろん気にしてる人もいるんだろうけど。