はてなキーワード: 通勤とは
最近在宅勤務の機会が増えて気になったので、業務の休み時間に実家からの通いと今のアパートの生活のコストを比較。
割りとアパートの維持費に金が掛かることから、実家に帰った方が割安と出た。
ただ、通勤が長く運転し続けるのは疲れるので、やはり通勤が恒常的に週3回を切ったら実家に戻ることを考えよう…
コロナ禍で出勤時間が変わって地元の女子高の通勤時間とズレて悲しいことになっていたのだが
最近女子高も時差登校をするようになったのか通勤の時間にピッタリになった
目の保養になってとてもうれしい
マスクしなかったせいで試験も受けられねぇし飛行機も乗れねぇし従わなけりゃ逮捕までされるのかよ。
もう完全に犯罪者扱いじゃねぇか。
はっきり言ってな、こっちにはマスクつけるデメリットは腐る程あってもメリットなんかまるでねぇんだよ。
俺の年代ならどうせ感染しても死なないしな。重症化すらまずしねぇよ。
こういうこと言うと「いや若者でも死亡例が」とか「重症化したら後遺症に苦しむケースも」とかしたり顔で言ってくる連中も多いけどさ、
じゃあ逆に聞くけどよ、マスクしてれば100%絶対感染しないわけ??
マスクして自粛して大人しくしてさえいれば、何があっても絶対感染しないことを誰が保証してくれるわけ?
直前に誰が手に取ったかもわかんねぇようなコンビニ弁当食ってて、
生活費稼ぐためには結局電車乗って通勤しなくちゃいけねぇ俺が、
それで感染したら自粛警察達は腹切って詫びてでもくれるの???
いやわかってる。無理だよな? 不可能だよな?
多少可能性を減らす事はできても、100%感染しないなんて不可能に決まってる。
それくらい俺にでもわかる。
でもな!確率うんぬんの話するんならな!!!若者は最初っから十分リスク低いんだっての!!!!
0にできるってんならまだわかるぞ??
でもどうせどっかのタイミングで「この程度の確率はもう仕方ないなー」って諦めるんだろ??
少なくとも俺は普通の20代致死率の状況で十分妥協ライン入ってるんだよ!
大切な人を守るためか?
生憎俺には大切な人なんて誰もいねぇし、俺のことを大切な人も誰もいねぇよ。
じゃあ誰を守ればいいんだ? 会ったこともない老人か?
そいつらを生かして何になるんだ??
俺のなけなしの給料から年金と健康保険料むしり取っていくだけじゃねぇか。
なのに我慢してマスクして自粛しても、誰も感謝のひとつすらしやしねぇ。ブルーインパルスの一台も飛ばねぇ。
それどころか今やマスクしないだけで異常者扱いだ。
「他人の命を思いやれる良識的で温かい」連中が、この手の愚痴をあげつらって鬼の首取ったみたいにぶっ叩いてきやがる。
もしかして俺は本当に鬼なのか?
大手とかまともな企業に勤めてれば、テレワーク出来てるのにね。
通勤で本読んだり、東京駅界隈や有楽町・銀座・新橋で飲み歩くの好きだったけど、自宅楽すぎてもう通勤する奴とか馬鹿にしか見えない。
今回は両親がよくけんかをするので識者のご意見を頂戴したく投稿します。
そのイライラを愚痴として父に向けるので父ががまんできず怒鳴るのがパターンです。
母は月によってまちまちで5万円~8万円くらい出しているようです。私は全額没収されます。
支出は計21.5万円なのでそもそも足りませんが不足分は父が負担しているようです。
母に買ってこないように言っています。私は欲しいです。
ご意見等ありがとうございます。「両親の給与が少ないのが悪い」という意見が多かったようです。転職を提案してみます。
あとは「父がもっと家事を負担しろ」ですかね。こちらも父に提案してみます。
家事分担はルール化しているわけではないです。暮らしているうちになんとなく分かれてきました。
ご指摘にはあたりません。生まれてきた方が良かったに決まっています。
どっちが悪いか決めさせたい
こちらもご指摘にはあたりません。「私になにかできることはないですか?」が主題です。
イヤホンでもノイズキャンセリングとかいろいろ機能つけて単価あげてるけど、サイズの小ささは音質と両立はできない
彼は今のところ隣県勤務(全国転勤)
私は転職したい
正社員がいい、結婚したら子どもが欲しい、人混みと時間の無駄が大嫌いだからできれば職場の近く(か、せめて遠いけど通勤楽な範囲)に住みたい
これを現段階で叶えたとして(それも結構ハードルが高いが)彼が転勤になったら全部おじゃんなんだよな
でも自分が動かなきゃ結婚も何もないし、そもそも自分自身現職はもう嫌なので早く転職したい
けどどこに就職したらいいのか(どういう条件で探すべきか)わからない
結局彼の「今の事務所はあんまり転勤無いから」という言葉を信じて彼の勤務先近くで就職先探すしかないんだよな
それでも特に縛りなく好きなように就職活動して今の職場にたどり着いた彼がうらやましいし、私のこの苦悩も大してわかってなさそうなところにキーッとなってしまう
ちょっとー!!FM PORT停波してんじゃん!!半年前に!!何で誰も教えてくれなかったの!!
車に乗り始めた頃はラジオよくわからなくてiPadで好きな曲かけていたけどある日好きなアーティストが突然病気で亡くなった
それで曲聴くのがしんどくなってしまってなんとなくラジオをつけたのが聴き始め
数チャンネル回してしっくりきたのがFMPORTでした
多分聞いてたのは4〜5年しか聞いてないけど通勤時や嫁の迎えの時にずっと聞いてた
2019年に仕事の都合で新潟離れてしまって、最初の3か月ぐらいはradikoのエリアフリーで聞いてたけど自分は車運転中じゃないとラジオを聞かないことが分かったので解約、それからずっと離れてた
去年の4月1日に発表されたらしいじゃん、俺聞いてないよ!
TB1eは、ブリジストンから販売されている電動クロスバイク。
クロスバイクというは、ロードレーサーとママチャリの間にある、カジュアルにスポーティーな自転車のこと。
通勤通学などに推奨されている。
ここがいいよ!TB1e!
1.価格が安い
それなのにこのTB1eは最安値で14万円を切る。電動ママチャリと対して変わらない金額で買える。
2.ほどよくスポーティー
ここは賛否分かれるところだけど、まずタイヤがママチャリと同じで少し太い。
タイヤが太いということは最高速度が低下するデメリットがあるが、タイヤ自体が衝撃に強くなるので段差などで最徐行する必要がなくなる。
街中はむしろ車道歩道の行き来にストレスがないのでメリットのほうが大きいことに気づいた。
今まで乗っていたクロスバイクと比べると巡航速度は3km/hくらい落ちたけど、40kmの街中テスト走行では坂道と段差での減速が減った分トータル時間はほとんど差がなかった。
(距離や速度はサイクルコンピューターを別途取り付けて計測。)
ペダルを止めて惰性走行しているときとか、下り坂のときに充電してくれることによって、電池が長持ちするという仕組み。
ただ、よほどの長距離でなければ今の所そんなに必要とは思えない感じ。
バッテリー保護のために残量90%以下からしか機能しないのだけど、40km走っても85%残っていた。
まずハンドルの高さが3段階変えられる。高いほど姿勢が楽で、低いほど空気抵抗が減って最高速度が高くなる。一番低くしたところ、巡航速度で1km/h早くなった。
ハンドルグリップもデフォルトの筒状のものより、クッションのついた断面が卵型みたいなグリップに変えたほうが長時間乗るなら手のひらの負担が減って楽になる。
サドルも割とクッション強めのものが載ってるけど、amazonで2,000円くらいのに変えただけで全然変わる。先端が細いと漕ぐときの抵抗が減るので単純に速度維持が楽になる。
その結果、平地巡航速度は28km/hまで出せるようになった。
こうなるともともと載ってたクロスバイクと1~2km/hしか差がない。
なんでもOKは嘘。でも、原付免許で走れるキックボードとかに比べたら走れる場所の自由度はめちゃくちゃ高い。
もちろん法令遵守の上での話。
電動キックボードなのにナンバーつけないで違法走行してるの多すぎるし、違法モペットも本当に滅んでほしい。
前輪はパッドブレーキなので交換すると改善されるかも知れないけど、基本的には急ブレーキを必要としない運転を心がければそれほど問題はない。
歩道や見通しの悪いところではいたずらに加速しない。坂道も途中途中で減速するようにする。
電動アシストの良いところは再加速にストレスがないこと。それはつまりいつでも躊躇なく減速できるということで、結果的に運転が安全になるということがわかった。
もちろんその人に安全に運転する意識がないと歩道を暴走するような危険運転を生んでしまうものでもあるので、全てがそうというわけではない。
自転車好きだけど、年齢や体調的なもので半引退状態な人はまーじーでおすすめ。
そこそこ田舎の静岡県東部、東海道線のまわりは本当に住みやすいと思う。
日帰りで海も山も行けるし、もちろん泊まりでも、時間が有効に使える。伊豆も箱根も富士山周辺も、ゆっくり朝出れば昼にはつく。帰りも大和トンネルの渋滞関係ないし。
一戸建てもそこそこ余裕ある建て方できるから、春秋はバーベキュー、夏はプールをどこのうちでもやってる。別にやらなくてもいいけど。
冬は・・・あまり外にはでないけど、雪が降らないのがいい。本当に降らない。「冬型の天気です」とか、「日本海側では大雪です」なんて日はだいたい快晴。そんな日は富士山がよく見える。昼間は暖かいのと、車社会だから、ダウンコートいらない。なんならニットで買い物くらいなら行ける。
あと、都会が恋しくなったら、東京、横浜もそんなに遠くない。新幹線で通勤する人もいるから。終電まで飲むってなると早めだけどね。
子育てに関しては、都会での保育園争奪戦はなんだったかと思う。名古屋でしばらく住んでいたときは保育園は入れなかった。でも、この辺なら、一番近くにスムーズに入れた。三人目が産まれるときには保育園の先生から「いつからいれるの?」って産まれる前から聞いてもらえた。近所の公園もすいてるから、こどもとキャッチボールをしたり、サッカーしたりはいつでもできる。日曜日でもの昼前だと誰もいない。朝は老人がいる。大きな子のボールが、幼児に当たって・・・みたいなことは起きないくらいの密度。
田舎のしがらみっていうけど、町内のゴミの掃除とかその程度。自分たちみたいに新しく引っ越してきた人もいるし、昔からの農家の人もいる場所だけど。
子供と山登り、キャンプ、海水浴、釣り、なんでもすぐできる。大人だけなら、ゴルフやテニス、バイクのツーリングもいいし、マリンスポーツも近い。
家の物置きやガレージに趣味のものをたくさんおいてる人は結構いる。インドアの趣味も、ホームシアターや楽器も音をそんなに気にしなくてもいいし、趣味の部屋も作りやすい。本もたくさん置ける。
長いし、読む価値は無いので、読んでからガッカリしたとしても自己責任でお願いします。
子供の頃からなんとなく漠然と、自分の人生は二十歳で終わると思っていた。
高校受験、学校見学で魅力的な学校を見つけ、どうしても入りたくて、頑張った。
憧れた高校に入学して、そのあと何をしたらいいのか分からなくなった。
高校生活は何をすればいいのかわからなくて、とりあえず「それっぽい」ことをして終わった。
憧れた高校生活は、ほとんど何もせず、ただ好きな制服を着て、かっこいい校舎を彷徨くだけだった。
それで満足していたし、それ以上はなかった。
大学は行きたくなかった。
やりたい事はほぼなくて、勉強もできないし、将来の目標も無いから、行く意味が分からなかった。
小学生の頃の昼休み、友達に「絵が上手いから漫画家になればいいじゃん」と言われた。
その時からなんとなく漠然と、自分は漫画家になるんだ、と思っていたし、漫画家になるなら専門学校の方がいいと思っていた。
あとは、当時見た3D映画がかっこよくて、そういうのを作る人になりたいと漠然と思って、そういう専門学校も考えていた。
結局、絶対大学じゃなきゃダメだという両親に説得され、漫画も3Dも学べる大学に入った。
新設の学部だったし、入試説明会や案内には、漫画やアニメ…それこそ専門学校のようなラインナップが書かれていて、親が許さず専門学校ではなくこちらにきた、という人が私以外にも大勢いた。8割はそうだったと思う。
実際、入学前に散々確認した3Dのモデリングに関する知識のある講師は、入学後には存在しなかった。
かろうじて漫画の講義はあったが、ただのオタクおじさんが自分のロリ趣味を語って聞かせるだけで、そこに学べるもの(例えば、そのロリの魅力、なぜいいのか、どういうところがファンの心を掴むポイントなのか、などを話されればまだしも、ただ「かわいい」としか話されなかった)は無かった。
これは、このままここにいても意味がない。このままじゃ無駄な時間を過ごしすぎる。
二十歳まで残り2年、アルバイトを頑張って、大学在学中に夜間の漫画専門学校に通った。
それでも学校に行ったのは、私自身がそうしないと一作も描けない人間だったからだ。
つまり、この時点で気づくべきだった。
私に漫画は向いてない。
授業は週一、1年間。必死で稼いだバイト代のほとんどを注ぎ込んだ。最大限に有効活用して作品作りに役立てようと息巻いていた。
入学特典として、時間外でも個別相談で作品を見てもらえたので、入学2ヶ月後、早速初めてのネームを見てもらった。
ストーリーも何もかもボロボロで、とても酷いネームだったと思う。
それでも、丁寧に指導してもらえて、学ぶことがたくさんあって嬉しかった。
教えてもらった事を活かすために、早速新しいものを描いて、2週間後にまた持っていった。
「あなたのネームは長いし、見るのに時間がかかるからなぁ。僕、家が郊外で遠いし、嫁が家で待ってるから」
それ以来、週一の授業も休みがちになり、半年をこえた頃には専門学校は行かなくなった。
自分でなんとかしなきゃ。
とにかく、まずは一作。
そうして、専門学校卒業前に1人で作品を完成させ、初めての持ち込みに行った。
せっかく描いたし、なるべくたくさんの意見を聞いて次に活かしたい。
5個の編集部に持ち込みに行った。
うち2箇所で、二度と漫画を描くなと言われた。
そんなバカな、誇張が過ぎると思うでしょ?一箇所はあくまでやんわり、自分の担当作家と私との違いを長々と話した上で、向いてないと思うと言われた。
もう一箇所は誇張無しでハッキリと、「二度と描くな」だった。
でも、2度目を描くことも許されないとは思わなかった。
帰り道の足取りは重かった。
初めての単身上京、知らない街。
足を止めたら消えてなくなる気がしたから。
うち一つは、みんなの憧れで厳しいと言われる場所で、なんならそここそ絶対無理だと思っていた場所だ。持ち込み予約の電話時点で扱いが悪かったし、当日も約束の時間に行って、30分待たされて、待ってる間他の人が酷評されているのが聞こえて、怖くて途中で帰ろうかと思っていた。
でも、そこの編集者が1番優しくて、また見せてほしいと言われた。
でも結局、編集部の名前が凄すぎて恐れ多いし、なにより田舎者の自分はそう簡単に持ち込みに行けないので、もう1箇所の名刺をくれた人にネームを送るようになった。
結果から話すと、うまく行かなかった。
その頃には大学も卒業の年になり、最後の思い出のつもりで卒業制作を別の編集部に投稿した。
持ち込みの時にも行った編集部だが、持ち込みの反応はかなり悪かったし、きっと今回もダメだと思っていたが、卒業旅行中の魚市場で受賞の連絡を貰った。
漠然と、自分は漫画家になる、と思っていたから、就活はしていなかった。
元々していたアルバイトをフルタイムにして、漫画を描いていた。
しかしバイトがハードすぎて漫画を描く時間はなかった。休憩時間に事務所でトーン貼りしたりしてた。
鬱になった。
正確には鬱になったのは卒業制作中、同じゼミの子と比べられるプレッシャー、作品ができない焦り、バイトの繁忙期が重なってパンクした。
ある日突然、プツンと何かが切れるような感覚があって、それ以降、目の前で話しかけられても、音声として認識できても言葉として理解できなかった。
話を聞いているのに、聞き取れない。理解できない。
当時の店長に相談して、接客から裏方作業に切り替えてなんとか過ごしていたが、色々あって結局辞めた。
元々2年で辞めるつもりだったし、漫画もバイトもうまく行かなくて、就活を考えた。2年以内ならまだ第二新卒枠がある。
それでも雇ってくれるという会社があった。絵を描ける技術を買ってくれて、新しく雇用形態も増やして、漫画の夢を追いながらうちで働けるようにサポートしてくれる、と。
すごく嬉しかったが、断った。
雇ってくれるという会社は、夜の街に近かったし、それに隣接するお店も取引先になっていた。
両親はそれが心配だったらしい。
「周りの人に、そんなとこで働いてるって言えるの?」
私は働いた事がないから分からないけど、親が言うならそうなのかも、と思ってしまって、断った。
今思えば、あの時あの会社で働いていたのが、1番幸せな分岐だったのかもしれない。
面接をしては落ち、を繰り返している間にふと、どうせ働くなら漫画に近い場所の方がいいのでは?と、アシスタント先を探すことにした。
当時はまだアナログが主流で、どこも都内で通いの募集ばかり。田舎者の自分には不可能だった。
家から自転車で行ける場所、未経験者可、自分にとっては最高の条件。
早速応募して、面接。
そこで初めて、現役の漫画家さんと話した。
作家さんの仕事場はフルデジで、ワンルームに作家さんと私用のPCと液タブが、それぞれ壁を向いて設置されていた。他は何も無い。
お互いにコミュ障で、会話はあまり弾まなかった。それでも、ネームを見てもらったり、トーンの貼り方をなんとなく教わったりした(基本的には「いい感じにして」の指示だったので、ほとんどは独学だった)。
その作家さんは漫画業界の闇に触れすぎて疲れていたので、ほとんど話し相手の役割だったが(そもそも週刊と月刊の2本連載をほぼ1人で描く狂人だった)、私にとっては貴重な話がたくさん聞けた。
あと、その話を聞いてて、「漫画家なんてなるもんじゃないのかもしれないな」、とも思った。(作家さんが毎日のように辞めたいと言っていたから。そもそも異常な執筆量を1人でこなしてたし、そりゃ辞めたくもなるわな、と今は思う。)
そこで1年半すごし、作家さんの連載の終了と共に辞めた。
その頃は、何度か原稿を送って、1番小さい賞を何度か取っていた。しかし担当さんとはうまくいかないし、原稿送っても「悪くは無いけどよくもない」しか言われず、何をどうしていいか分からない状態だった。
そしてふと、自分は今まで一度も漫画を楽しく描いた事がないことに気づいた。
展開が、目線誘導が、読者の盛り上がりが…
初めて描いた時から、そんな事を気にしてばかりで、自分自身が楽しく漫画を描いたことがなかった。
アシスタントも無くなり、名実ともに無職になり、再度就活を始めた。
相変わらず履歴書を笑われて、嘘つきな採用担当に意味不明な事を言われながら、最後に自分の好きなものを描いてみようと思った。
何を描いても、誰にも何も言われない。
好きなように、楽しく。
結果的にやっぱり「読者の目が〜」とか「起承転結が〜」とかを気にしてしまい、完全には楽しくなかったけど、それでも、今までで1番気楽に描けた。
せっかく描いたし、SNSにあげてみた。
今まで私の漫画は学校の先生と、編集部の人くらいしか見たことがないし、反応をもらえた事はない。
いいねが1万件ついた。
びっくりした。
たった一晩で想像もしない人数が見てくれた。感想のコメントもいっぱいついた。
嬉しかった。
それから、就職が決まるまでの間…と、少しずつ好きな作品を描いた。
これで漫画は最後にしようと思っていたのに、やっぱり描きたくなった。
ほとんど返事はなかったが、1箇所だけ返ってきた。
そしてそこで、いきなり連載になった。
今までもらった事ない反応が続いて、ある種のハイ状態だった事もあり、その連載もうまくやれる気がしていた。
そして実際単行本も出した。
これだけ聞くと、SNSで人気出て連載、書籍化、すごく順調っぽい。
当時の自分もそう思っていた。
でも実際は違う。
話数が増えて、人気もちょっとずつ出て、物語にちょっと複雑な内容を追加した。
とはいえ、ただエロシーンが続くだけでは読者も飽きるし面白くない。何より話が続けられない。
そして元々少年漫画が描きたかった私は、エロだけを描くのは本意では無い。
今までは「いつか人気が出れば複雑な話も描けるから」と言われて頑張っていたが、その「いつか」が来ない。
担当にはっきりと、「絵がそこそこ描ければ話なんてどうでもいいから」と言われ、自分から打ち切りを申し出た。
今でも配信サイトのコメント欄には続きを望む声が書かれていて、非常に申し訳ない。
描けなかった。
今度こそ、きちんと、話で勝負できるように。
連載の経験もあるし、単行本も出てる。今までとは違う。採用にならなくても、作品を良くする話をしてもらえるはず。
「よくこれで本が出ましたね」
持っていったネームも単行本も、今までのどの持ち込みよりも酷い評価だった。
曲がりなりにも約2年、頑張って描いていたのはなんどったのか。
当たり前といえばそうかもしれない。
過去に2社で連載をしたが、その二つ共が作品の打ち合わせはほぼ無かった。
一社に関しては一応ネームチェックがあり、エロの量だけ指示された。
もう一社に関しては、企画段階で一度だけ電話があり、メールの内容の復唱だけして終わった。以降は何を送っても「いいですね!」何も良くない。こっちが頑張って、相談しても特に取りあわれず、返事は全て「いいですね!」
一応お金をもらっていたけど、やってる事はSNSの投稿漫画と同じ。
商業作品の魅せ方のノウハウはもちろん無く、作品作りの才能がない自分には、自分だけの力で読者を惹きつける漫画を描くことはできなかった。
3度目の、「もう漫画やめよう」が来た。
悔しいけど、やっぱり自分には描けない。
その漫画は、内容にアラは感じていたが、今までで1番楽しく描けた。
その作品を持って出張編集部に行って、そこでも2社声がかかった。
描けなかった。
私の中でイメージするキャラは持ち込みの時から変わっていない。けれど、いくらネームを描き直しても、担当さんからはキャラブレ、別人になってるという指摘をされた。
だんだん自分でもそのキャラがどんな子なのかわからなくなった。
しばらく練り直して、やはり変わらなくて。
諦めて別の話を描くことにした。
そこからは真っ暗闇だった。
どんな話を描いても、中身が全部同じと言われる。
下手に考えるより、自分の好きなものを好きなように描いて、それを膨らませる。
そう言う方法で描いた方がうまくいくタイプなのは自覚していたから、そのように描いていたつもりだ。
結局実力も追いついていなかったし、描きたいものも分からなくなってダメだった。
そんな事が2年近く続いた。
別の編集部の人に、考えている途中のネームを見せたこともある。
足りないのは実力じゃなくて話の一番の見せ所だ。あとちょっとでうまくいきそうだし是非頑張って。
それは、私が初めての持ち込みの時からずっと言われている事だった。
そろそろ30になる。
二十歳で死ぬと思っていたのに、10年もロスタイムを生きてしまった。
一番仲がいいと自分では思ってたし、昨日まで仲良く遊んでたのに。
突然クラスの男子からいじめに遭い、それを一番仲が良い友達に相談していた。
男子を使ったいじめの首謀者がその子だと気づいた時は目の前が真っ白になった。
はっきりと意思表示をした。思い直してくれることに期待した。
「別にいいし」
友達を作るのが怖くなった。
どんなに仲良くなっても、弱みを握られるだけだ。
ある程度損得が考えられる生徒が多かったから、いじめにはならなかった。
3年でようやくできた友達は、卒業と同時に「私たち高校の間だけの友達じゃん」と言われた。
友達って難しいな。
親には言えなかった。
友達に言うとまたいじめられるかもしれない。親なら相談に乗ってもらえるだろう。
そのまま卒業した。
そう言われ続けて卒業した。
何人か連絡先を交換して話したりした。
仲良くなった人もいる。
ちょうどアシスタントを始めた頃で、それまでバイトの都合で服装に制限があったし、オシャレはほぼした事がなかった。
ネイルと言うにはお粗末だが、100均の安いマニキュアを買ってなんとなく色をつけて喜んでいた。
100均のマニキュアを使った事がある人なら分かると思うが、乾くのが早い代わりに、木工用ボンドみたいにペロッと剥がす事ができたりする。
オシャレに無頓着な私はそれが何となく楽しくて、塗った後しばらくたって剥がれたマニキュアをめくったりもしていた。
ある日、LINEのやりとりで仲良くなった1人に食事に誘われた。
趣味の話とかゲームとか、そう言う楽しい話をしていた、異性で初めてできた友達の感覚だった。
自分の指先が、剥がし掛けのマニキュアでボロボロなのを完全に忘れて食事に行った。
向かい合った個室のテーブルで、その爪に気づいたその人に、「ネイルやってるの?見せて」と手を握られた。
そして、ボロボロの爪を見られた。
「オシャレだね」
怖くなった。
ボロボロにハゲた公園の遊具のペンキみたいな指先を綺麗と言ったのだ。
しかも、気持ち悪い笑顔を貼り付けて、視線は全く手を見ていなかった。
男女でただの友達になれるのは大学まで、そのあと仲良くなれるのは下心のある人だけらしい。
それがたまらなく怖かった。
その後も何度か友達までの付き合いの人はいたが、例えばふとした瞬間肩を触られたり、手を握られたり。
そう言うのが怖くて続かなかった。
そのままもうすぐ30だ。
家を出る能力がないので実家暮らし、毎日両親…特に母に怯えて生きている。
「家にいるんだから家事しなさい」「他の人は外に働きに出てるんだから」
少ないながらに在宅でアシスタントはしている。
両親の中で、外に通勤していない、在宅労働は「仕事」ではないらしい。
本当は拘束時間が長い職場だが、家事があるため作家さんに頼んで短くしてもらっている。
当然、その分給料は減る。
給料が少ないから、その分早く自分の原稿で稼げるために作品作りに励む。焦る。
それでもようやく希望が見えてきて、前向きに色々挑戦できそうになってきた。
真夜中に叩き起こされ、いつ結婚するのかと叱責された。
完全に寝ていたので、はじめ何を言われているのか分からなかった。
私の周りだと
・進学で遠方
・就職か転勤で遠方もしくは近くても交通の都合で時間がかかるようになる
・同棲
だったな。
逆にテレワークで会社に行かなくなったことで通勤のためのアパートは解約して実家に戻ったのすら居るけど。
あとは、ご両親とか兄弟との折り合いが悪い人ってのもあるか。
既にやってる人はそれなりにいるのかもしれないけど、実家に帰ろうと思ってる。
コロナ流行の状況からリモートワークを推進するようにという指示を受ける。
仕事が工業系で製品開発なので、技術的秘匿、デザイン的秘匿の面や評価する時の機器類の値段から自宅に持ち帰れることのできる仕事は大変限られる。
さらにもともと東京生まれ東京育ちで実家も東京にある。ただし今の仕事の場所が微妙に遠い。
高速代を会社が出してくれるなら実家から通えるが当時の会社の規定を厳格に適用され、それでも実家から通うとなんのために働いてるのか分からない状態になるので家賃補助を選んで近くにアパートを借りた。
しかしながら、その手当も年限により切られたので今は家賃は完全に持ち出し。
会社以外の人間関係が東京中心になるので、コロナ前や感染拡大が落ち着いていた頃は、実家に帰るかどうかは別にしても、毎週東京に行っていた。
正直な話、実家よりも不便なところに決して安くない家賃を払ってアパート借りて、光熱費払うというのは、ストレスになってるのは否定しないけど、業務内容的に仕方ないということはある。
(これは別の問題として今の仕事ずっと? はあるので転職も考えてる動いてはいるが)
ここで在宅勤務になるとなれば、毎朝毎晩の通勤の必要なくなるから、アパートを借りないといけない最大の原因が消える。
さらに今更ネットの固定回線も引きたくない。アパート借りた当初は当時の仕事が嫌いすぎてすぐ辞める予定でなるべく金をかけない方針だったし、在宅勤務しないならネットは当時のイーモバイルのルーター、そして今はUQWiMAXで事足りるが、一度やったら厳しかった。
そんなわけで実際にざっくり計算したら週に5日の所定勤務日のうち、完全在宅勤務が3日以上なったらアパートの方がコスパが悪いと出た。(通勤に使うクルマの走行距離も含めて)
もちろん実家に戻れば実家にいくらか金入れるけど、それを含めてのコスパ。
実際にそうなるのは大変難しいと思うけど、計算してのコスパ的にはそうなるし、通勤が週に2回までなら不便なところに金かけて部屋を維持するよりも片道1時間ちょっと高速飛ばしていく方がいいわ…となった。というだけの話。
私の周りはリモート大賛成の人が多いけど、「一等地の巨大ビルで働く」ということがモチベーションになっている層も一定数いるようで、テレワークでなく出勤したいという声も出てるらしい。交通費も出るし帰りにお買い物もできるしランチも美味しいとこ行けるし、そこに需要があるのも何となくわかる…
@yokumitarakao 確かにそうですよね‼OL時代のシャンとした服装、ヒールの靴、髪のセット、美味しいランチや大型ビルで働く自分が好きでちゃんとしてましたが、独立した今はもう何でもありで😅💦
くま@24歳惚気垢 @lion4989
これめちゃくちゃ分かる。私は丸の内OLになるために今の会社に入ったと言っても過言ではない。それなのに、この一年ずっとリモートだから、週に一回くらいは会社に行かせて欲しいと思ってしまっている。
らん @23ranOrchid
コロナは怖いけど完全にこれ。
𝐾🩰 @xkh48__xx
リモートが楽と思いながらなんだかんだ出勤するほうが髪もメイクもお洋服も気遣うから気分があがるし、、、ぶっちゃけ週4ぐらい出社でいい👶🏻
「セキュリティゲートがある高層ビル勤務」という軸で就活したのにかれこれ1年近く在宅だから意味なし😢
どれみ@婚活 @Ai75679484
去年の1月に本社に異動になって、仕事終わった後買い物して~💓美味しい物食べて~💓と色々妄想してルンルンだったけど、3月から完全にリモートになって定期も無くなったのでルンルンが一瞬で消え去った🥺
🍍 @equal_mecom
納得。つらいけど早起きしてパキッとメイクしてオフィスに通勤することが仕事するぞー!!ってゆう気合いになる
𝓶 @cjmyyy__
ほんっっっとにこれ!!!
エミリー @ezesfyCg1YDsSFv