はてなキーワード: 読み聞かせとは
r/Trump より
(注:ここのサブレのルールはトランプ批判禁止。つまり支持者しかいません)
(スレ主)
生きている家族はもうあまり残っていないけど、残った家族も私に腹を立てて絶縁されちゃった。彼ら曰く、経済は悪化するし女性としての権利はなくなるって。とにかく参っているわ。私は「トランプに投票した」としか言っていないのに。
前回、トランプが大統領になったときは、ガソリンも食料品も買えた。ヴァージニアに住む余裕も今のところどこにもない。誰かがこのバイデンの引き起こした混乱を解決しなければならない。コンスタントに働いて自分でお金を稼ぐのが恋しいけど、今は娘が就学するまでは専業主婦よ。私たちのためにがむしゃらに頑張る夫を見続けるのはもう嫌なんです。週40時間以上働くなら本来そんなに苦しむ必要はないはずでしょ。育児にはお金がかかるし、あらゆることにお金がかかる。いつかより良いポジションで働けるように、学位取得を目指して働いているの
誰か、私がおかしいんじゃないって言ってよ!前回はもっと良かったんだよ。そうでしょ?ここが精神的な支えにふさわしいサブだと思ったんだ、笑
(+648)
私の娘と彼女の大学のルームメイトはトランプは軍隊を使って彼らを追い詰め、避妊を拒否し、ゲイの友人を監禁するつもりだと一日中部屋で泣いています。この狂気はどこから来るのだろう?彼女たちは皆来年には科学教育や数学の学位を優秀な成績で卒業する、とても知的な女性たちなんです。彼女たちが何をそんなに怯えているのか、誰か教えてください。
(+64)
返信:
もしトランプがそんなことをするつもりなら、どうして1期目でやらなかったんだ?
(+40)
(スレ主)
大人になり、これからの4年間を成長するため真のアメリカ人が立ち上がり、私の英雄トランプを選んでくれたことをとても嬉しく思います。これから経済はよくなりまた働きやすくなり、素晴らしい統一国家が樹立するでしょう。トランプに投票した真の愛国者の皆さん、私は投票できなかったので、感謝の気持ちでいっぱいです。あなたは私たち若者のために自分の役割を果たしてくれました。私の国、私の本当のアメリカを誇りに思います。
(+294)
私も同じです。17歳だけど国に未来があることを望んでいます。トランプは私たちに未来を与えてくれるでしょう。平和と繁栄の次の4年間を楽しみにしています 🇺🇸
(+8)
私たちは国境解放を望んでいない。私たちは何百万人もの不法入国者に蹂躙され、取って代わられることを望まない。外国人ギャングに町やアパートやホテルを乗っ取られたくない。インフレはごめんだ。バイデノミクスはいらない。子どもたちが学校や「メンタルヘルスの専門家」によって洗脳され、オッパイや性器を切り落とされるのもごめんだ。私たちはお前らのトランス・デタラメを望んでいない。代名詞もいらない(訳註:性的マイノリティは they/their といった代名詞をBioに記載します)。ドラッグクイーンが学校で読み聞かせをするのもいらない。女性スポーツ、ロッカールーム、バスルームに男性はいらない。言論の自由を抑圧されたくない。私たちはキャンセル文化を望まない。終わりのない戦争はいらない。ウクライナに何十億ドルも送りたくない。白人至上主義者やナチスと呼ばれたくない。多様性(DEI)の雇用も望まない。何百万人もの赤ん坊を殺せるようにしてほしくない。リベラルの戯言は一切いらない。
君らは異常者だ お前らは変人だ。お前たちは変人だ。お前たちはゴミだ。民主主義を脅かすのは、1票も得票しなかった候補者だ。トランプを投票から排除しようとするお前こそ民主主義への脅威だ。お前らは政敵を暗殺しようとし、トランプが生き残ると泣く。政敵を投獄しようとする。
我々はアメリカを取り戻し、再び偉大になるのだ ( WE TOOK AMERICA BACK AND WE WILL BE GREAT AGAIN.)
(スレ主)
- トランプはイスラエル首相に、就任までにガザでの戦争を終わらせたいと伝えた。
- ハマスは戦争の即時終結を要求
- 中国は米国との「平和的共存」を望んでいると述べた。「我々は米国民の選択を尊重する」
- プーチンは、ドナルド・トランプ次期大統領と交渉する用意があることを確認した。
これが彼を選んだ理由だ
今年、私は初めてトランプ氏に1票を投じた。私は生涯民主党に所属し「団結 」と 「国民のために働く 」という公約を信じていた。しかしここ数年のトランプを見てきて、彼が口先だけでなく実際にアメリカのために戦っている唯一の指導者であることは明らかだ。他の人たちが空疎な話に忙殺されている間に、トランプは雇用を取り戻し、国境を守り、中国に立ち向かい、アメリカの労働者を優先させるために大胆な行動を起こしている。たとえメディアやエリート、極左と対立することになったとしても、行動を起こすことを恐れない政治家を見るのは、正直言って新鮮だ。
一方、現実にカマラ・ハリスに取って代わられたたらどうだろう。完全に悪夢だ。彼女は急進的な共産主義イデオロギーにどっぷり浸かっており、彼女がリーダーシップの選択肢の1つだったと考えることさえ恐ろしい。カマラのビジョンは、過剰な規制、成功への罰、アメリカ経済の息の根を止める極左アジェンダを推し進めるという大失敗だっただろう。彼女のもとでは、私たちはお役所仕事に溺れ、政府の管理下で息苦しくなり、その一方で彼女は象牙の塔から私たちに説教するのに忙しくなるだろう。彼女は平均的なアメリカ人のことなど気にしていない。彼女が気にしているのは、急進的なエリートサークルと、アイデンティティ政治や社会主義的計画に執着する彼らのことなのだ。
トランプは、この国が築かれた価値観のために実際に立ち上がっている唯一の人物だ。彼は堂々としていて誇り高く、中国でも国連でもそして間違いなく急進的な左翼でもなく、アメリカが誰にも屈服することを拒否している。私は生まれて初めてトランプのおかげでこの国の未来に純粋な希望を抱くことができた。彼は権力や地位のためではなくすべてのアメリカ人のために戦い、その過程で誰を怒らせようとも気にしない。
今年トランプに投票したことは、アメリカへの投票であり、強さへの投票であり、自由への投票であり、常識への投票であると感じた。2024年、そしてその先も、私は皆さんとともに立ち、誇りを持って彼を支持します。
(スレ主)
やったぜ。そしてドナルド・トランプに投票した仲間の黒人たち。君たちを誇りに思うよ!民主党の奴隷プランテーションのメンタリティから抜け出したんだ💯 僕は君たちを信じていたよ❤️💕 ここからは上がるだけだ! (+2.3k)
ミシガン州の黒人女性がここにいるよ!私もめちゃ嬉しい!民主党のプランテーションから解放されて最高でしょ?お前らのクソ綿花はお前らで詰めよ
トランプに投票した皆さん、ありがとう。主流メディアの嘘に惑わされず、見出しを鵜呑みにせず、批判的な思考を持っていてくれてありがとう。今回の選挙は少数者の団結ではなく全員の団結を選ぶ、私たちの生涯で最も重要な選挙でした。民主党はよくやるように分裂キャンペーンを展開した。民主党の目には私たちは白人であり、黒人であり、ヒスパニックであり、トランスであり、ゲイであると映る。アメリカは左派と民主党によって分断され、LGBTや民族的アイデンティティと引き換えに、アメリカ人としてのアイデンティティを忘れさせられてしまった。私はアラブ系アメリカ人だが、民主党や左翼が何を言おうとも私はたまたまアメリカに住んでいるアラブ系ストレート男性に過ぎなかった。トランプのアメリカでは私はただのアメリカ人だ。彼らは私たちの団結を消し去り、アメリカ文化を消し去ろうとして失敗した。女と男、老人と若者、白人と黒人、ヒスパニックとアジア人、ゲイとストレート。民主党はレッテル貼りに執着し、私たちが皆違っていて共存できないかのように分断する。彼らは多数派を分断しようとしている。私たちの子どもたち、教室、政府を、分裂させるようなレッテルで汚染し、アメリカの結束を壊そうとしている。私たちは共存することができ、アメリカ人として団結している。肌の色、セクシュアリティ、宗教、民族に関係なく、私たちは皆、憲法に生きるアメリカ人であり、憲法と私たちの国を全力で守り続ける必要があるのです。アメリカ人のために投票した7400万人以上の皆さんに感謝します。
今年30になる成人女性なんだけど、映画や小説マンガアニメなどの創作物を幅広く自分のペースで楽しんでいる。二次創作もそれなりに嗜んでいる。
で、ふと「自分の性癖とか好みってどこから来てるんだろう?」と思った。自分のヘキの原点ってなんだ?と考えた時、刃牙のSAGAを思い出した。
実家にいた時、父親はそこらへんに漫画をぽいっと置くことが多かった。私は深く考えずに開いてしまったんだと思う。
(ちなみに最近帰省した時には『ヤクザVS透明人間』があって読んだ。どんな感情になればいいか分からなかったけど面白かった)
ちなみに両親は二人共読書や漫画を読むのが好きなので、小さい時から本や漫画を沢山読ませてくれたことには感謝してる。絵本なんて何冊も買ってくれて、読み聞かせしてくれたのも嬉しかった。漫画ならブラック・ジャックとか有閑倶楽部とか、あと横山光輝の作品もよく読んだ。全部今でも好き。
のだけれど、よりによって初めて「漫画」として認識して読んだのは刃牙だった。
表紙の時点で「なんか大人っぽい…?読んじゃいけないやつ…?」と思いつつも、読んじゃいけなそうなものを読みたくなるのが人の性である、まさに。
読んで単純にびっくりしたのと、普通に意味が分かってなかった。勃起の概念を取り込んでいなかったので、刃牙の股間が白くふんわりしてるのも「そういうものなんだなぁ」としか思ってなかった。女性器に男性器を突っ込むセックス、もしくは愛しあう者同士での行為という知識ゼロでのSAGAは、「なんで裸でギューッとしてるだけなのにこんなに苦しそうにするんだろう。苦しそうならどうしてやめないんだろう?あと何でこんなに叫んでるんだろう、ッッッが沢山あるのは何でだろう」と疑問いっぱいだった。
でも家族じゃない男女が裸で抱き合うのは普通じゃないとは分かっていたので、「これはとんでもない儀式なのでは」とは薄々勘づいていた。あと迫力も凄かった。梢江の肌が白くて柔らかそうなの良いよね。
あと勇次郎が最後に野次馬?してくるのも意味分からなかったが、これは今でも「ほんまやめてやれよ」としか言えない。
まぁ色々衝撃的だったけど、それでトラウマになるとかは特になかった。ただ、弊害はあった。
だってッッッと肌色が多いし、男同士だけど抱き合ったり触れ合ったりしてるじゃん。当時の私はSAGAと本編のエッチな違いが分からなくて、しばらくは「刃牙は子供が読んじゃいけないもの」という認識で生きてきた。まぁ未就学児向けではないことは確かだろう。でもガチでエロ漫画と同じタブーの意識を持ってた。
そしてすっかり大人になった今刃牙を読むと、エロ漫画ではないがエロスはむんむんだなー、とは思う。あと話がめちゃくちゃ面白い。同じ暴力なのにそれぞれのポリシーがあって、勝ったり負けたりするのは惹き込まれるものがある(相撲以降はちょっとノーコメントだけど…)。
刃牙って、暴力三昧なのに陰鬱な死の匂いがしないよね。刃牙よりおやすみプンプンとかうみべの女の子とか進撃の巨人を読む方が辛い。タコピーとか。
皆「俺が一番強い」っていう自信と生命のエネルギー(エロス)でぶつかりあっているからかな。あと死刑囚編で見たような不意打ち以外は、お互い「ステゴロで戦い合いましょう」っていう暗黙の合意形成して殴り合ってるから、あんまり不快さがない。
刃牙の登場人物たちは、自分が持ってるなにもかもを全身で、本気で表現して他者とコミュニケーションをとってる。実際それは本編とSAGAも同じなのかもなぁ、とぼんやり思った。セックスって本来は究極のコミュニケーションだし。深く読み込んでるわけじゃないから、違うかもしれないけどね。
そんなわけで、エロ漫画でも少年漫画でもなんでも「全力でぶつかる(できれば殴り合う)」「エロスを感じる」ものが好きだなぁと改めて思った。キルラキルとか大好き、手塚治虫作品も好き。まだ観てないけどブレイバーンも好きな部類だと思う。
でも登場人物が死ぬのは辛いから、ここ数年はもっぱらスポーツ漫画にハマることが多い。男性アイドル系の作品は面白くても「歌わないで殴り合ってくれないかなぁ」と思うのでなかなかハマるのは難しかった。
三つ子の魂百までと言うけど、私の魂にはあのエロスが刻まれてしまったみたいだ。
せっかくなので、良かったら私が好きそうな作品があったら是非教えてください。皆さんがエロスを感じる作品、お待ちしてます。ちなみにジョジョの2部はもう観てます。
(本増田では、ケーキの件の炎上とかには触れません。ご安心ください)
増田は参加歴もう5年ぐらいになり、毎年の「贈られた本ランキング」や現場の写真にも目を通してる。
その中で、そろそろ参加する皆様にお願いした方がいいのでは?でも公式はきっと言えないよね?と感じることがあるので、本当に余計なお世話だけど、言います。
選書が古すぎる。
確かに絵本や児童書は、古典的名作が何百版と刷られていつまでも書店に並ぶ、特殊ジャンルではある。
ブックサンタやってみようかなー、と数十年ぶりに児童書売り場を訪れて、子供の頃大好きだった絵本を見つけて嬉しくなっちゃうサンタさんの気持ち、増田もよーくわかる。
いい本だから、今の子にも読み継いでもらいたいよね。きっと好きになってもらえるよね…
ところで、公式もさんざん言ってるように、ブックサンタではいつも、小学校中学年〜高学年向けの本が不足しているそうです。
つまり、10歳ぐらいの、ご家庭に余裕のない子供が、唯一のクリスマスプレゼントとして本を待っている。
そこに、新品とはいえ、学校の図書館でも余程の本好きしか手に取らないような、えーと例えば岩波少年文庫とかが届くわけよ。
その辺をもう少し考えてほしい。
ご家庭での読み聞かせや学習フォローが難しく、読書の力や習慣が足りないお子さん、発達の遅れのあるお子さんも多いわけよ。
ブックサンタではご家庭の希望を考慮して本を届けてくれるそうなので、恐らく、現場ではかなりのミスマッチが生じてる。
半世紀前に書かれた超有名翻訳絵本が10冊ぐらい現場の書棚に並んでる写真も見た。あれらの引き取り手は現れるのか、たぶん児童施設とかに寄付されることもあるんじゃないかな…
プロジェクトを永続的成功に導くために、サンタさんひとりひとりが、望まれる本について考える時期が来てると思う。
偉そうに語った増田はどうしてるかというと、鉄道が好きなので、少し大きい子向けの鉄道の図鑑は毎年選ぶ。
女の子向けのキラキラした生活指南書みたいなものが最近よく売られてるから、これは需要あんねんな、とそれも選んでる。
総ルビの本しか選ばない。3年以内に出版された本しか選ばない。小説を選ぶ人が多そうだからその辺は避けて、生活に役立つか、違う世界のことを知れる本。なるべく説教臭さがなく、何度読んでも楽しい本を頑張って選んでる。
今年はみくのしんが走れメロスを読むやつ入れます。オモコロチャンネル好きでしょ小学生。
そして、増田の悩みも聞いてほしい。増田はゲームがわからない。マイクラの本、攻略書から冒険小説まで幅広くあって、小学生がどれを喜ぶのかわからない。マイクラじゃない方がいいのかも。
これを書いてから1年後。
妊娠が分かったのは1月の半ば。生理が遅れて、検査薬を試した。まさかの自然妊娠だった。元々卵巣機能が低く、第一子は不妊治療を経て出産し、その後いくつかのことを試したが結局授かることはなく。家族3人で楽しくやっていけばいいと完全に諦めていた矢先、妊娠したことが分かった。
最初は夫婦ともに戸惑った。子どもはもう5歳になって、生活に随分余裕ができた。夜は寝るし、言葉を話せて、気軽に旅行にも行ける。経済的にも子どもひとりなら安心して程良い生活ができる。そう高を括っていたところに0歳の存在が加わると。思い出される、寝ない、食べない、忍耐の日々。兄弟を望んだこともあったが、もはや5歳と0歳は多分一緒に遊ばない。仕事も責任のある立場になって、引き継ぎや調整にかかる労力は計り知れず、正直マジかという気持ちになった。
そもそもこれまでどんなに頑張っても妊娠しなかったポンコツの身体にぽっと出の命が宿ったとして、うまくいきっこないはずだ。最初はどうせ化学流産か子宮外妊娠が関の山だと思い込んだ。そうでないと、自然に授かれた喜びが爆発してしまいそうだったから。今さらマジかと思う一方、もう一度この手に赤ちゃんを抱けるかもしれないことが、子どもに弟か妹を産んであげられるかもしれないことが、本当は嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
初期の検診は毎回、あまり期待せずに通った。子宮内に胆嚢が確認できたとき、リングのような卵黄嚢がくっきりと美しく見えた時、力強い心拍の音が病室に響き渡った時。涙が出るほど嬉しかった。期待しないように、期待しないようにと言いながら、毎朝毎朝、アプリで週数日数ごとの胎児の様子を丁寧に読んだ。第二子で、次の検診までがあっという間だとか、うっかり存在を忘れるとか、そんな瞬間は一度もなかった。ずっとずっと心配だったし、いつも赤ちゃんのことを考えていた。
私の心配をよそに、赤ちゃんはすくすくと大きくなった。検診の度に週数以上の大きさで、何の異常もなく、胎動も痛いくらい力強くて。深夜に目が醒めて、お腹に少し合図すると、もこもこと蹴り返してくる存在が何よりも愛おしかった。どんどんお腹が大きくなって、腰が痛くて、苦しくて、上の子に優しくできずイライラしたり落ち込んだ日もあったけど、元気な胎動を感じながら過ごす毎日は満ち足りていて幸せで、幸せで仕方なかった。
7月、何とか仕事をやりきって、気持ちよく産休に入った。体質的に上の子は早産だったから、もしかしたら近日中に産まれてしまうかもなとは思った。検診では何も問題なかったが、体感的にそれくらい身体が限界で、8月を乗り越えられる気がしなかった。早産はいつも不安だったけど、28週を過ぎたあたりで、もう大丈夫だと思った。かかりつけは家から近く、NICUのある大学病院で、例え早産になったとしても何の問題もないはずだった。
その日。
前日も当日も暑くて外出はできず、家でゆったりと過ごした。夜になり、脇腹辺りに痛みを感じた。陣痛のように収縮するような波のある痛みではなくて、何かズキズキした痛み。食あたりを疑いつつ、どんどん増してくる痛みに違和感を覚えすぐに病院へ向かった。深夜の救急外来で、すぐにエコーを当てられたけど、いつもなら聞こえるはずの力強い心拍音がいつまで経っても聞こえない。ドッドッドッとうるさいくらいのあの音が。死ぬまでずっと覚えていたいと思った音がいくら探しても聞こえなかった。
腹痛を感じてから約45分、病院到着から約15分で帝王切開が始まった。にも関わらず、全身麻酔から目が覚めたとき、赤ちゃんは生きていなかった。診断名は子宮破裂、常位胎盤早期剥離、胎児機能不全、子宮筋腫核出後、子宮内膜症性嚢胞合併。要は子宮が15cm裂けていて、そこから胎盤が脱落し、赤ちゃんは仮死状態で生まれたものの、蘇生に反応しなかった。
産まれた姿は大きくて、体重が1950gもあった。まだ体毛がたくさんあって、眉毛が立派だったけど、私と、上の子が産まれたときにそっくりだった。手足はむっちりと太く、小さな指もそれぞれ5本ずつしっかりあった。小さなお口が三角形に開いていて、かわいくてかわいくてしかたなかった。目が開いたら、どんなお顔だったんだろう。どんな声で泣いたんだろう。何が好きで、何が嫌いだったんだろう。もう冷たくて、ところどころ固まって、点滴や機械の痕が痣になって痛々しくても、かわいくて愛おしくて悲しくて、泣きながら何度も何度も名前を呼んだ。
どんなに寝なくても、食べなくても、元気に生まれてくれたらそれでよかった。ふにゃふにゃの体で、息をして、目が合うだけで、どんなにかわいかっただろう。こんなことなら、1日でも早く、早産になればよかった。子宮が破裂する前に、お腹から出してあげたかった。3日前の検診では何の異常も無かったし、子宮破裂の可能性なんて考えさえしなかった。あかちゃんは私のせいで亡くなった。子宮さえ丈夫だったなら、元気に生まれてきたはずなのに。
手術から1週間後に退院して、夫の運転する車で家に帰った。信号待ちで車が止まると窓の向こうに、大きなお腹で上の子と手をつないで幸せそうに帰り道を歩く自分の姿が、お腹をおさえてふうふうと息をつきながら頑張って坂道をのぼる自分の姿が浮かんで涙が止まらなくなった。家についても、しばらく中に入れなかった。新生児用の抱っこ紐も、ベビーベッドも準備していた。上の子のおさがりも整理して、みんなで楽しみにしていた。名前もたくさん考えて、一番良い字画を選んでつけたのに。自分だけ家に帰ってきてしまったことが悔しくて悲しくて死にたいと思った。ごめんねといくら言っても言い足りなくて、自分に拳を叩きつけながら叫ぶように泣き続けた。
あれから2ヶ月が経った。納骨はせず、毎日お線香と小さな哺乳瓶でお水を供え、遺骨に話しかけて暮らしている。泣かずに過ごせる日が増えてきた一方で、妊婦さんや小さな赤ちゃんを見かけてはひどく落ち込む日もある。最初の数週間はとにかく出産前に戻りたい、戻りたいと思いながら過ごした。前日でも、当日の朝でも、何とか時間を巻き戻せたなら、先生に懇願してすぐにでも帝王切開をしてもらう。赤ちゃんはしばらくNICUで過ごすけど、上の子の時のように、きっと元気に退院できた。
1ヶ月くらい経つと、この悲しみが死ぬまでずっと続く気がして、妊娠前に戻りたいと思った。そもそも授からなくても、私達は十分幸せだったから。子どもは一人と納得していて、他人を妬ましく思う気持ちもなかった。大好きな夫と子どもがいて、決して不幸ではないはずなのに。失ったことが悲しくて、足りないものを嘆き続ける毎日ならば、授かる前に戻りたいと思った。
そして2ヶ月経った今、子宮破裂について考えることが増えた。子宮破裂は極めて予後が悪いもので、8割の赤ちゃんが亡くなり、例え救命できたとしても、寝たきりとなる可能性が高いそう。私は子どもに一生、経管栄養の寝たきりで意思の疎通が全くできなくても生きていてほしかったとは思わない。もちろん結果的にそうなったなら大事に世話して必死に生かそうとするに違いないけど、それが死よりベターだとも思わないから、唯一そういう意味では今回の結果に納得できる気もしている。
でもやっぱり、失った未来を想うと悲しくて、もう一度取り戻せないかと思ってしまう。もう一度妊娠できたなら、今度は無事に産むから。亡くなった子と新しく生まれる子を同一視してはいけないとか、そういう話はどうでもいい。ただただ、もう一度授かって、今度こそ元気な赤ちゃんを抱きたい。これはもう、女としての私のエゴだ。止血のために両側の卵管を結紮したから、自然妊娠はできない。また次の妊娠は医師から真剣に止められている。本来なら子宮摘出すべきところ、小腸と癒着して摘出できず、仕方なく残しているだけです。妊娠しても無事に産める確率は極めて低く、次もまた同じか、それ以上に悪いことが起こります。本当にお母さんと赤ちゃんの生命に関わります。そう言われても、じゃあもうきっぱり諦めて、次の子は二度と望みません、とは思えない。
赤ちゃんとたくさんお散歩がしたかった。上の子が絵本を読み聞かせる様子を動画に撮りたかった。寝顔を見て、上の子と同じ顔だねと夫と一緒に笑いたかった。泣き声に、イヤイヤ期にうんざりしても、熱が下がらなくて大変でも、くたくたになりながらもう一度家族で赤ちゃんを育てたかった。全部、あと少しだった。もう少しだったのに、全部失ってしまった。悔しくて悔しくて、このまま終わることができない。
何のために授かったのか。どうすれば失わずに済んだのか。
自分のエゴで家族に迷惑をかけてでも、もう一度リスクを承知で子どもを望むか。足るを知り、諦めて日常を受け入れるべきか。
どんなに答えが決まっていても。
迷うことをやめられません。
『よつばと!』でよつばが、絵本『しろくまちゃんのホットケーキ』をもとにホットケーキを作るシーンから。もちろん絵本も小さい頃から読み聞かせてた。娘で良かったと思った。
映画『クレイマー・クレイマー』で妻に逃げられた主人公が子供とフレンチトーストを作るが焦がすというエピソードから。
映画『激流』で、犯人にバレないように親子で意思疎通をするシーンから、子供と簡単な挨拶程度の手話を覚えた。学校の発表会の時などに手を振るだけじゃなくて少し意思疎通できるのはすごい特別感あるのでおすすめ。
みんなもなんかありますか?
https://anond.hatelabo.jp/20240926142041
つつぎ
だってさぁ、視聴者がなんかこう…「自分より弱そうな生物」を眺めて自分は底辺じゃないんだって
思ってそうなんだもん。
読み聞かせといい、体操といい、ルンルンも弱者男性を意識してるって感じあるし
本来だったらそれは親になって子供と一緒にやったり子供にしてあげるものじゃん…?
画面の前の動くモデルにしてもらったところでね
ルンルンは部屋の片付けが苦手らしいけどそれも
弱男が喜びそうなポイントだよね。多分、画面の前の弱男は散らかった部屋をバックに「片付けなんか苦手でいいんだよ〜ぉ♡ぬへへ」って
結局、弱男のやる事ってのは自分が変わる事より
自分がお布団みたいな安心出来るところにこうやって逃げていつまでも弱男のままなんだよだう
そのうちるんちょまが「よわよわにんげんのみなさ〜ん」と挨拶する日が来るかもね
自分に合うストレス解消法がなかなかなくて、ただ毎日気が張ってる。
37歳、医療職。3歳の子どもが一人。フルタイム勤務かつ管理職。夫はサラリーマン。私の両親は片道2時間程度、夫の両親は半日かかる距離に住んでいる。
毎日、子どもの世話はほぼ私。お願いすれば読み聞かせか歯磨きの仕上げくらいは夫がしてくれるけど、基本は全て私が担当。
子どもはイヤイヤ期がまた到来している。ご飯食べない、風呂入らない、寝ない、と主張するところをなんとか折れてもらうのに毎日戦っている。
この夏かなり体が参ってしまって、蕁麻疹がでたり咳喘息になったりとどこかしらの体調が悪い中で過ごしてきた。加えて仕事では人手が足りなくてプレイヤーとして必死で働いた後、自分の休憩時間を削ったり残業したり、自宅で仕事をするなどして働いてきた。
夫には家事育児の分担を見直したい、と何度も話し合うも、あまり伝わらず。分担はほぼ変わらず、食べたお膳すら下げてくれなかったり、子どもが寝る前にリビングで酒を飲んで寝落ちしている日も多い。仕事の話は聞きたくないと言うからしないようにしている。
仕事で動く量もかなり多いので、体がへとへとで、子どもが寝ついた後に好きなことをするということもできない。お酒が好きだったけど、子どもを一人で見ながら飲むお酒は落ち着かなくて、泣きたくなるくらいにゆっくりできないからお酒も飲む機会がほとんどとれない。楽しみを思いつく余力もない。夜は子どもと共に寝落ちしてしまうことがほとんど。
そんな生活してたら、最近自分が○ねば楽になるかな、とか、子どもを遺すのが可哀想だから一緒に逝けばいいかな、と思う日が出てきた。
実行はしない。子どもが一番可哀想なのはわかってるし、○のうとしてと私は意気地がないから完遂しきれないのが目に見えているから。
行政の預かり保育は、申し込みをして、預かってもらう前の打ち合わせをして、それでやっと数時間預かってくれる、という時間がかかるものだし、「今日はもう疲れすぎて一歩も動きたくない、部屋の隅で座っていたい」と言う日に助けを求められるものではないから、自○はいつでも自分のタイミングでできるしいいな、なんて思ってしまう。親にもヘルプを出せば来てくれるけど、毎週なんて迷惑だからお願いしない。
人と話をしたいけど、今は他の人の話は聞かず、自分のことだけ話したくなる。そんなわがままなことお願いできる友人はいない。
自分の時間が取れない、体力的な余裕がない、子どもがいるので遠出が難しい、という条件の中で良いストレス解消法がある人、よければ教えてほしい。現状がつらい。
読解力とは何か。
文章にできる表現は限りがある。限られた文字数で書かれた内容から、書かれた以上のものを読み取らなければいけないことが、コミュニケーションには往々にしてある。
しかし一方で、「勝手に行間を読まない力」も重要だったりする。
これが問われるのは主に大学入試以上の学術的な文章読解だ。論文やテクニカルなレポートは「行間」を読んではいけない。
曖昧に書かれた部分は曖昧なままに受けとり議論する能力をつけないと、高度な知的活動は行えない。
学術的な訓練を受けていない人間は、これができないのが社会人としては問題だったりもする。
ここで注目したいのは、人が「読む」ということを覚える過程は、どうしてもこの「行間を読む」→「読まない」という順番になると言うことだ。
何となれば、そもそも「読む」ことを訓練しだす子供の頃には、最初から長い文章を読むということはできない。
必然的に、「短い(文字数の少ない)」「内容の薄い」物語などから読む訓練を始める必要がある。
となればまた必然的に、「行間をフルに読んでいかないといけない」のが読書訓練の最初になるわけだ。
子供に本を読み聞かせるときには、「このときどう思ったかな?」「どうなったと思う?」などと想像を膨らませるような問いかけを推奨される。
これはつまりこの「行間を読む」能力を高めるためだ。行間を読む想像力を鍛えると、読書が面白くなり、本を読むことに抵抗がなくなる。
しかし、これが行き過ぎると、いい年して、業務文書にも「行間」ばかり読んで、ローコンテクスト(文字通り)の厳密なやりとりが苦手な大人になってしまう危険性を同時に孕んでいるのではないだろうか。
これも一種の「アンラーン(必要な忘却)」の問題なのではなかろうか。
人は「行間を読む」こととともに文章に慣れ親しんでいかなければならないが、いつかそれを捨てて「行間を読まない」文字通りのコミュニケーションができるようにならないと社会では使い物にならない。
寝る時読み聞かせしてあげようか?