はてなキーワード: 被告人とは
違う。
弁護人や検察官が証拠を隠滅(これには証拠の作出も含まれる)すれば犯罪。被告人が自ら証拠を隠滅した場合は、犯罪にはならないが、量刑では当然考慮される。
検察官を嘘をつくのは、その職務上の義務に反するし、もちろん懲戒の対象にもなる。
また、弁護人は自分から積極的に嘘をつくことが許される訳ではない。被告人の代弁者だから、被告人が法廷で無罪を主張したいというなら、法廷で無罪を主張する以外の選択肢が無いだけだ。
刑事弁護人は被告人に対して誠実義務を負い、秘密保持義務を負います。
これらの義務に背いてまで真実発見に協力することは、弁護士倫理に反するものです。
誠実義務を負いますから、被告人の意思・利益に反する行為はすることができません。
「自分がやったが無罪を主張して欲しい」と言われた場合、これに反する主張をすることは被告人の意思・利益に反します。
秘密保持義務を負いますから、被告人が弁護人にだけ打ち明けてくれた事実を、他人に教えることはできません。
「自分がやったが無罪を主張して欲しい」と言われた場合、弁護人は被告人に無断でこの事実を他人に教えてはいけません。
被告人にとって起訴された事件に関する最後の唯一の相談相手は弁護人です。
弁護人は被告人を裏切ってはいけません。秘密保持義務に反することはスパイ的行為であり許されません。
「自分がやったが無罪を主張して欲しい」の他にも、身代わり出頭で「自分はやっていないが有罪を主張して欲しい」というのもあります。
これを聞かされた弁護人がやるべきことは、
・まずは被告人に対して「自分の認識と異なる主張をすることはやめるべきだ」と諭すこと、
・これを聞き入れず、あくまで認識と反対の主張をするのであれば、それに従うこと、
・このような被告人の主張に従うことが自分の弁護士としての良心に反するのであれば辞任すること、
です。
ただ、被告人には弁護人による弁護を受けることができる権利が憲法上保障されていますから、最後は誰かが被告人を弁護しなければなりません。
そのため、辞任をするというのは、よほどの事情がない限り原則として避けなければなりません。
そもそも、刑事裁判で犯罪があったことを主張・立証するのは検察官の役目です。
立証責任は全て検察官にあります。刑事裁判における被告人・弁護人は、検察官の主張を潰すことが役割です。
被告人に不利な証拠、例えば有罪である証拠を弁護人が掴んでも、それを主張・立証する義務はありません。
一方で、被告人に有利な証拠を掴んだのなら、それを主張・立証するのは義務になります。
こうした刑事弁護倫理は現行の刑事訴訟法が制定されて以降、長きにわたって学者・実務者を含めて広く議論され続けています。
特に1950年から1970年ごろまでは、戦前の旧刑事訴訟法からの脱却を目指して議論が活発でした。
現在ではある程度の見解の一致をみており、最近では2004年に弁護士職務基本規程が制定されました。
ここでは旧々弁護士倫理(1955年)や旧弁護士倫理(1990年)以上に、被告人に対する誠実義務・秘密保持義務が強調されるようになっています。
興味があれば法曹倫理・弁護士倫理に関する本が多く出版されていますので読んでみるといいと思います。
日弁連が出している「解説『弁護士職務基本規程』」あたりが定番ですが、これは文字通り弁護士職務基本規程の解説なので、多少広がりには欠けます。
「プロブレムブック法曹の倫理と責任」という本が、参考論文や判例・懲戒例などを載せてあり、最近の学生の間でよく参照されているようです。
他にも色々な本がありますが、刑事弁護のみを扱う本は実践的な刑事弁護の話が多く、倫理に関するものはさわり程度しか書かれていないかもしれません。
これ、事実なの?
事実。
それは単に自分を守るため(有罪だと知っているのに無罪と主張してるというのがバレたら逆に懲戒を受けるから)とかだと思ってたんだけど違うの?
違う。
弁護人は被告人の代弁者なのだから,本人が「法廷で,自分は無実と主張したい」というなら,弁護人には,「法廷で無実と主張する」以外の選択肢はない。
被告人が実はやっていたと告白してきたとしても,守秘義務があるから,黙ってくれと言われれば,その事実を絶対に言ってはいけない。
そして,これはなんの法律にも反してない。
刑事裁判での偽証罪ってのは,証人だけに適用され,被告人にも弁護人にも検察官にも適用されない。(ちなみに,刑事裁判では「被告」「原告」という用語は使わないし,「証拠人」という用語は存在しない)
いや、だからさ、
「被告人は罪を認めてますが、状況証拠から言ってやってないと主張できる」
とかさ、それが弁護士側でもきちんとした証拠とかが出せれば良いよ?
「俺は有罪だけど無罪にしてくれ」と言われただけで、そうか、じゃあ有罪な、
って話じゃなくて、例えば、被告を弁護するにあたっては基本、被告の証言を元に証拠とかを取って行ったりするだろ?
それが、明らかに嘘だ、という証拠を被告人が示して確かめたらホントに嘘だったとか、
そういうのがわかった後でもそれを隠して嘘を突き通すのは正しいのか?と聞いてるんだが。
コレ書いてる弁護士はおそらくそこまで深く考えずに貴方と同じ様なレベルの話をしてるんだと思うけど、
こんな一般人をバカにしたような書き方をしてる以上、
その内容に思慮に欠ける部分があるとしたら問題だと思うけど。
この発言からは、ホントに「嘘つこうがなにしようが弁護士は罪には問われない」ということになるんだが、それは正しいのか?
http://www.bengo4.com/topics/1540/
その人は単にゆうちゃんの言うことを信じて頑張っただけだと思うしそれは弁護士として正しいと思うが
凶悪犯罪の被告人から、「真実の犯人は自分だが無罪を主張してくれ」と言われたときに、無罪主張に最善を尽くさなければならないのが刑事弁護の倫理です。有罪主張したら懲戒を受けます。
これは違うだろ。。。
これ、事実なの?
そんな過去の事例ってあるん?
確かに、ドラマとかだと、有罪なのを知った瞬間にそれを公表するでは無く単に辞める、ってのが多いとお思うけど、
それは単に自分を守るため(有罪だと知っているのに無罪と主張してるというのがバレたら逆に懲戒を受けるから)とかだと思ってたんだけど違うの?
つまり、弁護士は嘘をついてでも原告の言うとおりにやればいいの?それ、むしろ法律に反してないか?
おぼかたの弁護団みたいに小学生みたいな話で引っ掻き回すだけ引っ掻き回して逃げる、みたいなクソ戦法を取ったりするのを批判されるんだろ。
(それに関しては弁護士は馬鹿すぎて科学のことは全く理解してないみたいだけど、取り敢えず本人がそうだ、と言ってるのはあるんだろうけど、
後は、引き伸ばし作戦とか別の話に持って行ったりして逃げたり、まったくもって正攻法でない。
それによって相手には多大なる金と時間がかかる。
誰が得するのか?被告人?いや違う、そんな長いことかけて無駄に戦ったところで負けるのは見えてる。てか実際負けた。
得するのは弁護士だけだ。)
ひどいな、つまり、この人は公に、裁判で嘘八丁は当たり前、ハッタリ詭弁で相手をいい負かせてなんぼ、と言い切ってるわけだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.bengo4.com/topics/1540/
id:ncc1701 こういう弁護士をあざ笑い排斥していけば、いつか自分が本当に冤罪に巻き込まれた時、助けてくれる弁護士はこの世からいなくなっているだろう。本物の冤罪事件で何十年も被害者を支えているのはこういう人々。
いや、違うでしょ。冤罪で本人がホントにやってない、と主張し続けてるならそれ信じて証拠集めて反論するのは当たり前でしょう?
上で言ってるのは、例え、本人がやった、と言ったとしても無罪を勝ち取ってくれ、って話で。
いやいやいや、弁護士の力で黒が白になるのなんて正義どころか法治国家の概念すら危ぶまれるじゃん。
つまり、金持ちは悪いコトをしても罪にはならない、ということを公に認めるようなものじゃん?
白が黒にされるよりは良い、というのは、その白黒で被害者に対する直接的な償い(賠償)とかがない場合だけ。
そうでない時は、白が黒になったって大きな被害を受ける人も沢山居る。
徹底した自己開示と執拗な自己解釈による独演を社会に提示した喪服の死神。
幼少の個人的出来事からネット右翼、アベノミクスまで論じ上げた喪服の被告人意見陳述は、他者による分析を拒む防壁として構築されたが、ひとつだけ、さらりと流されて違和感を放つ、セクシャリティのカムアウト。
陳述で同性愛を告白し、ボーイスラブ系二次創作での人気に執心したことを事件の発端とするも、彼はセクシャリティに関してだけは、言及を拒む。
自分が「手に入れたくて手に入れられなかったもの」について列挙しておきますと、上智大学の学歴、バスケマンガでの成功、ボーイズラブ系二次創作での人気の3つになります。
…
31年前に同性愛に目覚め、同じ年に母親から「お前は汚い顔だ」と言われ、26前に「聖闘士星矢」のテレビアニメを見たいとお願いして父親に殴り飛ばされ、24年前にバスケのユニフォームに対して異常なフェチシズムを抱くようになり、22年前にボーイズラブ系の二次創作同人誌を知ったという積年の経緯があります。
…
自分に対して理不尽な罰を科した「何か」に復讐を遂げて、その後に自分の人生を終わらせたいと無意識に考えていたのです。ただ「何か」の正体が見当もつかず、仕方なく自殺だけをしようと考えていた時に、その「何か」の代わりになるものが見つかってしまったのです。それが「黒子のバスケ」の作者の藤巻氏だったのです。ですから厳密には「自分が欲しかったもの」云々の話は、藤巻氏を標的として定めるきっかけにはなりましたが、動機の全てかと言われると違うのです。
「手に入れたくて手に入れられなかったもの」「何か」「自分が欲しかったもの」。
執拗な自己解釈を行う喪服が、ひたすらに言及を拒む「何か」は、すなわち、セクシャリティの肯定である。
喪服のまとめサイト的な自己ツッコミは、非モテ的自意識には向けられて、彼は饒舌にウェブ上に氾濫する非モテキモオタの類型コピーを演じて見せるが、一方で、自らのセクシャリティたる同性愛については、まるで《安価》が付けられていない。
本来なら最も語られるはずの内心、セクシャリティが鎮座する位置は、自らを汚物とみる自意識に代替されている。
動機について申し上げます。一連の事件を起こす以前から、自分の人生は汚くて醜くて無惨であると感じていました。それは挽回の可能性が全くないとも認識していました。
汚くて醜くて無惨、自らを汚物と信じた喪服。
もし彼が自身と違う肉体を持つ他者に性欲を向けること、例えば空想の中でオークに成り代わり女騎士を犯すことで充足できるセクシャリティなら、あるいは始めから性的な身体をもつと社会的に扱われている性別なら、自らの身体性が「汚くて醜くて無惨である」と信じながらも、少なくともはじめの一歩を踏み出すことはできただろう。
ヘテロセクシズムに覆われた社会において、セクシャル・マイノリティは「自分はセクシャルな存在である」と現実世界に足を踏み出せない限り、または誰かが手をさしのべてくれない限り、それがマイノリティとして否定された経験だったとしても、はじめの一歩を得られなければ“セクシャリティあるもの”として存立できない。
彼の「本当のセクシャリティ」は否定すらされなかったかもしれない。喪服は何の理由もなく、つまり、ホモ、オカマと罵られたのではなく、身体的なものをあるがままに、母親に汚い顔だと罵られた過去を呪った。それは純粋な身体性の否定であってホモフォビアとの遭遇ですらない。
ホモフォビアとの遭遇は、「ホモと笑われるのが辛かった」と、その苦しみを語ることで、自らを疎外されたマイノリティとして位置づける。
喪服の空想におけるセクシャリティは、思春期にボーイズラブによって徹底的に肯定された一方で、彼の現実のセクシャリティ、喪服が“手に入れたくて手に入れられなかった”身体性の肯定は、同性愛の自認と同時期に行われた“汚い顔”と身体的否定によって抑圧される。
自らを汚物と信じた喪服は、現実のセクシャリティ、それによって他者と繋がる身体性を否定して、汚物は誰かを愛することもできないと、性愛を禁じてすらいる。
自分は愛する人を失ったのではなく、愛する人が初めからいないのです。ここ15年くらい殺人事件や交通事故の被害者遺族が、自分たちの苦しみや悲しみや怒りをメディア上で訴えているのをよく見かけますが、自分に言わせれば、その遺族たちは自分よりずっと幸せです。遺族たちは不幸にも愛する人を失ってしまいましたが、失う前には愛する人が存在したではありませんか。自分には愛する人を失うことすらできません。
LGBT当事者の書籍として頻繁に持ち出される「ボクの彼氏はどこにいる? - 石川大我」と比較すれば、タイトルに違いが現れている。
今ではオープンリーゲイを公言する政治家である石川大我が、自分は人を愛するに足る存在であると信じることができた一方で、喪服の語る言葉は「愛する人が初めからいないのです」である。
愛する人がはじめから喪われている、すなわち、自らの性愛が喪に服しているからこその喪服の死神であり、一文字で暗喩された「喪」とは非モテを示す。
2000年代、2ちゃんねるやはてななど、ウェブ上で隆盛した「非モテ」とは、自らの身体性あるいは性価値に対する自己否定、キモいと罵られた汚物のような人間は誰かを愛するにも不足するという絶望を、自らに対して自己否定のレッテルを貼り付けることで自己肯定に転嫁する、クィアにも似た試みであるが、やがて、彼らにはじめから内包されていた自己否定によって自壊した。
あくまで非モテと呼ばれたことで、モテるか否か、恋愛関係にあるか否かという状態や能力について論じられてしまった非モテだが、彼ら非モテ、あるいは非リアといった類似物も含めて、彼らは「そうであること」に価値を見いだすのでは無く「そうでないこと」によって存立し、非モテを成り立たせていた人々は状態や能力を求める人間ではなく、藁にもすがる思いで自己否定のレッテルに飛びついた人々である。
自分がどれだけ汚物か、気持ち悪いか、失敗しているか、誰かの指摘に先んじて自己開示をし、誰に言われる前に自らを否定する、終わりなき自己否定のスパイラルは、非モテの名の下に集った人々に、わずかばかりの肯定を与えた。
自己否定のレッテルにより肯定される彼らの自意識の中核にあるものは、唯一、自らをキモいと思い込まざるを得なかった幼少期の経験に由来している。
しかし「生まれたときから罰を受けている」という感覚はとてもよく分かるのです。自分としてはその罰として誰かを愛することも、努力することも、好きなものを好きになることも、自由に生きることも、自立して生きることも許されなかったという感覚なのです。
…
幼少期、まだ子供の非モテたちに向けられたキモいという言葉は、思春期、セクシャリティが開花する時期を真っ黒に塗り潰す。
汚物に等しい人間は誰かを愛するにも不足するという絶望は、彼らのセクシャリティを現実を生きる他者に伝えることを禁じて、彼らの性愛は空想へと向けられていく。
本来ならば健全なセクシャリティが鎮座する位置は、自らを汚物とする自意識に取って代わられ、歪な自意識は癒やされること無く成長と共に発展し、ウェブ上で隆盛したモテない男に由来する数々のミームに乗っ取られた怨執甚だしい精神構造を完成させた一方で、耽美な世界を描いたボーイズラブ系二次創作を愛した喪服の死神。
現実では“自分のような汚い顔のキモブサメン”と自嘲して、空想では女性の世界の性愛に耽溺している。
喪服のチグハグなセクシャリティの表出には、彼の現実と空想、性の繋がりを感じさせない。
「何か」が欠落してしまっていた。
ウェブ上での自己開示および匿名の対話者からの反応を慰撫とする行為は、今や誰もが行っており、本来なら十分にウェブの中で機能して、現実世界で怨執を露呈する必要はない。
だが、喪服の自意識の歯車は、ウェブの言論歯車と噛み合わなかった。
喪服の自己対話は精緻であって、他者の解釈に先回りして応答し、全体としては分析をさせる余地を与えないほど堅牢であるも、彼の脳内にインストールされたウェブ言論と、彼自身の対話においては、歯車の噛み合わないチグハグさが漏れ出している。
このチグハグさは、喪服が扱ったネット用語に明瞭に現れている。
さらに自分は生まれてから一度も恋人がいたことがありません。その道のプロにお金を払うという手段を含めても性交すらしたことがありません。恋人いない歴=童貞歴=年齢です。自分はネットスラングで言うところの「魔法使い」です。
喪服が自らの性について語る言葉は徹底してウェブ上の異性愛社会で用いられる言葉であって、セクシャル・マイノリティの為に用いられる言葉は現れない。
自らを異性愛者の視点から「同性愛者」と規定し、異性愛者の非モテが用いた造語で「キモメン童貞魔法使いw」と自嘲し、「ボーイズラブ系の二次創作」と腐女子の言葉で性指向を空想している。
喪服の自己対話には、セクシャル・マイノリティが自らをセクシャル・マイノリティとして規定する言葉が、どこにもない。
というより、喪服がウェブで本心を語ろうとも、それに噛み合う言論の歯車はあっただろうか。
非モテから同性愛者を斥けてミソジニーとホモソーシャルの産物と断罪するセクシャリティ論。
女性たちのホモソーシャルであるボーイズラブ系二次創作の世界。
最後だけは、本当に、ひとつだけ、自己否定のトンネルのなか視野狭窄した彼が自らのセクシャリティの本心を発露して、肯定されうる場を見たならば、思春期から愛し続けたボーイズラブ系二次創作を介した他者による肯定だったのかもしれない。
しかし、喪服が創作するには、表現の原動力たる空想の世界は耽美であるも、空想と同一の肉体を持つ彼の身体性は汚物であって、空想と現実を繋ぐ彼の言語空間はウェブ上で構成された非モテミームに乗っ取られており、格差は恨みを募らせていく。
喪服が、セクシャリティの肯定を得るために行わなければならなかった努力。
本当なら、とても近しい接触によってなされるセクシャリティの肯定は、喪服においては、女性たちが作る社会における創作の表現に対する賞賛という、とても遠い彼方からの肯定の可能性が、ただひとつ、自己否定のトンネルに差す光として見えるのみ。
もしも努力の果てに肯定が得られたとしても、彼に与えられるのは二次元のベールを通した、空疎であたたかみの無い接触である。
喪服は、呪っただろう。
喪服が手に入れたくて手に入れられなかったセクシャリティの肯定を、可能性として見いだしたボーイズラブ系二次創作の賞賛を得る者を。
空想における愛情は、現実における怨執へと置き換わり、耽美な世界で肥大化した自我は、現実世界の自己表現を求めて、自走する。
喪服が見た光の絶望的な遠さは、彼が呪いを向ける対象への距離に変わった。
喪服に残された肯定的な表現手段は、呪いを振りまく脅迫状の郵送に変わった。
喪服が望んだ「何か」、口にすることすら拒んだ人の暖かみによるセクシャリティの肯定は、自己否定の結末として、無機質な統治権力による罰として具現化する。
恐らく重度のネット依存だった喪服の実生活、喪服が生きた思い出の中にも、彼のセクシャリティを、わずかにも肯定した「何か」は存在しなかったはずだ。
喪服は、斑目晴信がオタク濃度を感じたように、キモオタが秋葉原に得るしっくりと来るさまを感じ取ることが出来ただろうか。
喪服は、ボーイスラブ系二次創作を手に取るとき、美しい男を愛する女性の為に作られた空間に踏み入れた、汚物に等しい男を見る目に、何を感じ取っただろうか。
喪服は、自覚することはなかっただろう。
喪服は、徹底して、自らのセクシャリティを、完膚なき自己対話によって、自己疎外した。
執拗に繰り替えされる自己解釈は、彼が求めた「何か」の中核を、自らに気付かせないための自己防壁として機能する。
自己疎外された人々が、自らに自己否定のレッテルを貼り付けることで、健全な精神をギリギリのところで保った非モテの論理。
2000年代に爆発的に流行し、2010年代の始まりと共に終わった非モテは、童貞を中心とするヘテロセクシズムであり、同性愛者の喪服を救わなかった。
喪服が愛したボーイズラブは、あくまで女性のホモソーシャルの世界であって、男の喪服を救わなかった。
セクシャリティを否定された者たちが、自らを疎外されたマイノリティと位置付けて語るLGBTは、セクシャリティのはじめの一歩を踏みだせた者たちのための論理であって、非モテの喪服を救わなかった。
《身長×体重×年齢》と、身体性をコード化して他者と繋がる様式を持つゲイ社会は、身体性を否定された喪服を救わなかった。
身体性を否定された喪服がセクシャリティ育むべき思春期に愛したものは、空想における同性愛であり、彼を耽美な世界に誘い込み、彼の自我を肥大させて、現実を呪った。
「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開1(篠田博之) - 個人 - Yahoo!ニュース
『人工知能』表紙問題。女性蔑視批判は口実でこの人達オタク差別したいだけだよね? - 政治・経済
なんか新しいものが見えてくる気がするんだ。
心に響く想いとして
今を歌って聴かせてくれよ。
今の人が聴かせてくれよ。
これに対して文章で応えている創作物として例をだしてみたんだよ。
↓
http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140315-00033576/
↓
http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140315-00033579/
音楽だけに限らず、昔は漫画や小説やそういう文化的創作物の世界はみんなそうだった。
貧乏や苦労が平気だった。
「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開1(篠田博之) - 個人 - Yahoo!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140315-00033576/
「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開2(篠田博之) - 個人 - Yahoo!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140315-00033579/
「黒子のバスケ」脅迫事件犯人の「自分語り」全文公開されたが、自重しない腐女子は黒バス脅迫犯を生んだ罪について真剣に考えた方が良い。
問題は彼がBLに入れ込みすぎた結果、脅迫を犯したという事実である。彼はこのように書いている。
31年前に同性愛に目覚め、同じ年に母親から「お前は汚い顔だ」と言われ、26前に「聖闘士星矢」のテレビアニメを見たいとお願いして父親に殴り飛ばされ、24年前にバスケのユニフォームに対して異常なフェチシズムを抱くようになり、22年前にボーイズラブ系の二次創作同人誌を知ったという積年の経緯があります。また、新宿につきましては、16年前に自殺をしようとしてJR新宿駅周辺を彷徨し、11年前にJR新大久保駅周辺を歩き回ったことがきっかけです。
喪服の死神は自らを同性愛者と語っているけども、これだって本当か疑わしい。おそらく自己愛性人格障害であって、同性愛というのはあくまで詐称か、BLに入れ込んだ自称腐男子程度のものではないだろうか。本当の同性愛者ならBLに入れ込むようなことはしないと思われる。
彼の自分語りから漏れ出る意識は肥大化して歪んだ自己愛であり、その結果として表れたのがBL愛好と詐称同性愛といったところか。
「22年前にボーイズラブ系の二次創作同人誌を知ったという積年の経緯」を記している。
いったい何の同人誌を知ったのか私には知る由もないが、ボーイズラブ系の二次創作同人誌の問題は、純粋に作品を楽しんでいる愛好者が、本来ならあり得ない視線(男性登場人物を性的に絡ませる)という嗜好にある。
一昔前までは腐女子の活動はアンダーグラウンドなものだった。検索避けや隠語を用いた隠れたやりとりをして、あくまで自分たちが特殊嗜好者であることを自覚した振る舞いをしていた、と記憶している。
ただ現在の腐女子はオープンにBL談義をすることも珍しくなくなったらしい。
この辺は「ゴキ腐リ」という言葉があるようで、pixiv百科事典なんかにも載っているようだ。
ゴキ腐リ (ごきぶり)とは【ピクシブ百科事典】 http://dic.pixiv.net/a/%E3%82%B4%E3%82%AD%E8%85%90%E3%83%AA
この解説でとくに興味深いのは、この項だ。
実際にはファンタジーであるBLは、『男性(もしくは元となる人物)の形状を模した異質なクリーチャー』を恋愛や性行に結びつけて楽しむ嗜好であり、現実の同性愛とは全く関係が無い。
まとめサイトでは、「同性愛者の為の作品」や「同性愛をテーマにした作品」は問題が無く、同性愛嫌悪の無い人や、実際の同性愛者の中にもBLを嫌う人がおり、BLを問題に感じる人もいることから、「BL=同性愛」ではない、『男性の形状を模した“何か”を当人達以外の人間が妄想の中で恋愛・性行に結び付けて楽しみ喜び興奮する嗜好』と解説されている。
BLは実際の同性愛とは違うし、同性愛者や、同性愛嫌悪のない人物にも気持ち悪がられている・・・とのことらしいが、この解説は直感的に正しいと理解できる。
喪服の死神が入れ込んでいたのはあくまでBLであって、本当の同性愛では無かった。一方で彼は自ら童貞やキモブサメンとオタク用語を使って自己解説している。
ここには非常に強い性愛のゆがみが見て取れる。
例えば純粋にバスケ漫画を好きで黒子のバスケを読んでいる人が、腐女子人気の増大により黒バスを読む際に同性愛者と思われるようになったら、通常なら強い憤りを感じる。
現在の腐女子がおおっぴらにBL談義をする風潮(ゴキ腐リと呼ぶらしいが・・・)が、喪服の死神のねじれを生み出したと。
彼が黒子のバスケをターゲットにしたのは、ボーイズラブ系二次創作が盛んだったからであり、実際の同性愛とは全く違う女の妄想を少年誌に持ち込む異常性が、喪服の死神の内面を作り上げた現実に対する文化的な自省について、腐女子たちは真剣に考えるべきだろう。
少なくとも日本の警察・検察・政府にとっては、「精神異常者の奇行」という線に抑えたいよね。
下手に「思想的背景」とか持ち出されると、話が在特会とか、ネトウヨとか、果ては百田長谷川籾井辺りまで広がりかねないから。
でも、イスラエル政府が「あれは一奇人の奇行です」という説明に、素直に納得するとは思えないが。
「日本政府は、歴史修正主義との正面対決を避けたいがために、犯人を精神異常者に仕立て上げている」と、イスラエルは疑念を抱くのでは?
思想犯を「精神異常者」にしちゃうのは、実は戦前にもあった手口で、「アカ」の思想犯を、正面から弾圧投獄せずに、
「あいつはアタマがイカレてしまった、かわいそうに」ということで、精神病院に強制収容しちゃう。
善意に解釈すれば「獄死させるには勿体ないアカの思想家を、生き延びさせるための高等テクニック」でもあるんだが・・・
で、「犯人」が精神異常じゃない、刑事能力あり、となった場合は刑事手続きに移行するのだが、
そうすると「犯人」は刑事法廷の中で「アンネの日記は偽書だ!」ということを主張するのかな?
(「アンネの日記の真贋が、量刑を左右する」のであれば、被告人側は真贋を主張するだろう)
→日本国内で「歴史裁判」が展開されることになり、それはそれで興味深いものがある。
というか、犯人の目的は、逮捕されることは承知の上で、「日本国内で、歴史裁判を提起したい」というのが真の目的なのではないか?
2ヵ月くらい前に某カードローンの返済を滞納させたとして裁判所に呼び出されたので、そのいきさつを書いてみる。
事の発端は、俺が某工場の自動車部品製造ライン(いわゆる孫請けってやつ)に転職し給料が減少したことにある。当時の俺は、カードローン・クレジットカード残高の支払いに追われていて、とても全ての支払いを賄いきれなかった。そしたら、ある日突然地元の裁判所から『訴状』が届いた。内容は、某カードローン会社が俺からの返済が滞っているとして裁判を起こした、というものだ。裁判所からの封書には訴状とともに異議申立書が入っていて、カードローン会社に異議を申し立てることができるとのことだったので、某テレビゲームよろしく「異議あり!!」「月○○円なら返済できます」と申立書に書いて、2100円分の切手とともに裁判所へ持って行った。
裁判所から指定された日に裁判所へ行くと、受付のお姉さんから3階の法廷へ行くよう案内された。法廷と言っても田舎の裁判所なので、傍聴席は20席ほどのこじんまりとしたものだ。入口には俺の他にも裁判を受ける人たちのリストが貼られていて、どうやらみんなまとめて裁判を片付けるつもりのようだ。
被告人たちは裁判所の職員から傍聴席に座るよう指示され、しばらくして裁判長が現れた。ちなみに原告は欠席である。一人ずつ職員から呼び出され、被告人席に座る。裁判長から今回の訴訟についての大まかな内容が説明され、俺からの異議を受けての和解内容を書かれたプリント1枚を渡された。原告側は俺の提示した月々の返済額よりも少なめの額でいいとのことだったので一安心だった(利子はたっぷりつけられたが)。ちなみに俺の他にも、若い兄ちゃんが三○東京U○Jからの5万円の返済を滞らせて裁判を受けていたのが印象的だった。
裁判はこれで終わりだった。職員から「終わった人は帰ってもいいですよ」と言われたので、そそくさと裁判所を後にした。
今回の訴訟をきっかけに他のクレジットカードの支払いも何とかしようと思い立ち、たまたまテレビCMで東京の某有名司法書士事務所が俺の地元に無料相談に来ることを知り、さっそく相談を予約した。会場に行くと30代くらいの男性職員2人が出迎えてくれ、クレジット残高の内訳や先日の裁判のことも全て話した。職員は終始穏やかな態度で接してくれ、相談料や今後の返済計画もスムーズに決まった。
職員の経験によると、モ○ットはSMBC系列の消費者金融で一番タチが悪いとのこと。返済が少しでも滞るとすぐに裁判を起こすらしい。あとラ○フカードも最悪だという(実際、ラ○フのサポセンの対応はクソだった)。一方、楽○カードは柔軟に対応してくれるという。職員から「今後は私たちがカード会社と話し合いを進めていくので、安心して仕事に集中してください」と言われ、俺は長年の足枷が外された気分になった。
弁護士・司法書士事務所選びについてはなるべく場数を踏んでいる事務所を選ぶべきだが、新聞やテレビに広告を出しているところはまず大丈夫と言っていいだろう。あと、相談料を何とかしたいという人には「法テラス」に相談するという手もあるので、参考までに。
「殺害現場写真を、(素人で強制徴用された)裁判員に提示してPTSDを発症させた」ことが司法界で問題になっている。
「殺害現場写真」を量刑判断の参考資料として法廷に提出するようになったのは、裁判員制度になってからじゃないか?
職業裁判官オンリー時代だと、「検察側が殺害現場写真を裁判官に提示する」ということは、あまりなかったんじゃないかと思う。
その前提には
「職業裁判官は、殺害の残虐性をあまり考慮せず、量刑相場に基づいて量刑を決定するものだ」から、
わざわざ殺害現場写真を提示する必要性も薄かったんじゃないか、と思う。
「裁判員には、残虐性に応じて、量刑を判断して欲しい、それが裁判員制度導入の趣旨」と検察側が「いらぬ期待」をして、
なので「わざわざ」残虐写真を提示するようになった、という気がする。
裁判員制度導入時には、この残虐写真PTSD問題は、あまり議論されてなかった気がする。
「検察側の法廷戦術変化を惹起してしまう、ということを、法曹関係者が見抜けなかった」ことも、要因では?
※因みに
「残虐写真耐性が無い人の裁判員辞退を認めてしまうと、裁判員がグロ写真愛好家に偏ってしまって、
『平均的市民による公平判断』という裁判員制度の清く正しき理想が崩壊してしまう、
だから残虐耐性ゼロな人にも、首に縄付けてでも動員すべきだ」という意見もある。
でも心配しなくても、『平均的市民による公平判断』という清く正しき理想は、かなり崩壊しているから大丈夫。
今「真面目に出頭要請に応じて、裁判員を引き受ける人」というのは、
「平均的市民より、マジメ度、大人しい度が高い人」に既に振れてしまっているから。
「ずる賢い人」は、
「過料規定はあるが、制度発足後、過料徴収の実績がない」ということを調べきって、
「出頭要請を無視しても、実際にペナルティがない」と踏んで、出頭要請を無視している。
「正直に出頭している母集団A」と「出頭しない母集団B」を比較したら、
Aの方がBよりも「真面目な人、気の弱い人」の比率は有意に高いと思う。
この段階で、制度が理想とする「全ての市民の平均像」からズレてきている。
その証拠に、覚醒剤密輸案件での無罪判決が相次いでいる。(法曹関係者が「マズイ」と思うレベル)
覚醒剤密輸案件は、被告人が無罪を主張することが大半で、「被告人の嘘をいかに見破るかがポイント」の事案。
恐らく、裁判員を素直に引き受ける「素直なA市民」は、「被告人の言い訳は、それなりに正しいと思う」を素直に判断するが、
「狡賢さが身についている、疑い深いB市民」が仮に裁判員になったら、「被告人は嘘ついてるじゃん」と判断する。
ブコメを読んでるとパスワードが本当に公開されているのか疑う声が多かったが、パスワードは確かに公開されている。
こちらの記事は400ブクマ近くついたのにみんな忘れてしまったのか?
●8/27
感染PCを遠隔操作して(プロバイダ名)メールのアカウントを一つ作成し、
これを使って4箇所にメール送信。
遠隔操作事件・真犯人と称する者からのメール全文 2012-10-21 - 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」
よって論点は、これが承諾にあたるか否か、ということになる。
自分は難しいと思うけど、法律の読み方はわからないので詳しい人に任せたい。
の2つがある。
上記のメールアドレスとパスワードはexciteのもので、朝日新聞記者がアクセスしたのもこちらだと思われる。
当該アクセスは、「真犯人」を名乗る人物が送信した犯行声明メールが実際に当該メールアカウントから送信されたものであるかどうか(第三者が犯人になりすまして送った形跡はないか)などを確認するために行った、正当な取材行為です。
報道機関の記者が正当な取材として行った行為は、仮に犯罪の構成要件に該当するとしても、正当な業務行為として違法性を欠き、処罰されないことは判例でも明確に示されています(いわゆる『西山記者事件』での最高裁1978年5月31日決定をご参照下さい)。
ということなので読んでみた。
六 報道機関が公務員に対し秘密を漏示するようにそそのかしたからといつて、直ちに当該行為の違法性が推定されるものではなく、それが真に報道の目的からでたものであり、その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、実質的に違法性を欠き正当な業務行為である。
確かに同じことが書いてある。
"違法性を欠き"というのは見た目上違法行為であっても違法性がなければ違法行為にはならない、ということだろうか。
報道の自由にはかなりの幅が許されていそうだ。
西山記者事件は次項の、はじめから文書を入手するつもりで既婚の女性事務官と強引に肉体関係を持ったことが悪質とされ、正当な行為ではないとされたようだ。
七 当初から秘密文書を入手するための手段として利用する意図で女性の公務員と肉体関係を持ち、同女が右関係のため被告人の依頼を拒み難い心理状態に陥つたことに乗じて秘密文書を持ち出させたなど取材対象者の人格を著しく蹂躪した本件取材行為(判文参照)は、正当な取材活動の範囲を逸脱するものである。
パスワードを入手するにあたってしたことは、自分に送られてきたメールを読んだだけ。
そしてそれを使って取材のためにexciteのサーバにアクセス。
この点が西山記者が女性を嵌めたこととは違うよ、と言いたいらしい。
そのため朝日新聞は以下の主張。
まして、当該アクセスは窃盗など不正な手段で当該識別符号を入手したものでも全くなく、正当な業務行為に該当することは明らかです。
パスワードを公開してまで自分がメールを送信したことを証明したがっている犯人。
そのメールアカウントへのアクセスが、"取材対象者の人格を著しく蹂躪"していると言えるかどうか……難しいのではと思う。
理屈は通っていそうだ。
裁判官は、AがBを殺したことは99%確かだろう、と考えた。
「99%確か」=「充分に確からしい」、であって、「疑わしい」ではない。「99%確か」は、普通に有罪。
そもそも100%の立証など、たとえ目撃者が100人いて現行犯逮捕であったとしても、あり得ない。
もし、増田の話を「立証が可能なレベルを100として考えたとき、あとそれに1足りない状況」を表現したかったのだと善意に解釈しても、下のような事情があればその「1」くらいは上積みされ得ると思うんだが、どうなの?
証人Cの身元を隠す努力が不可能な場合(たとえば目撃者が知人で、かつ犯人は目撃されたことを知っている、という状況)の話をしてるんだよね?
そうでなければ、証人の身元を隠すなんてのは当たり前すぎる話だからね。
で、この状況で「無罪」判決が出た場合、AがCに「暴行、殺人」するとすると、それは自白しているも同然だよね。そういう思いをAが抱いている時点で、それはAの犯人性を立証する格好の証拠でしかないよね。それが充分推測される状況で、かつ、Aを無罪とする理由は何なのか?
「Aを有罪とするに足る十分な証拠はないが、Aは目撃者Cに対して害意を抱いていると確実に推測できる」というような状況は、およそ現実的ではないと思うのだけれど、どうなんでしょうね。そんなことが「確実に推測できる」のは「Aに有罪判決が出る状況」以外には考えにくいよね。
それでも、頭のおかしい人というのはいるから…と言うのかもしれないけど、そんな状況で証人Cが証言に応じてくれるとは、これも思えない。たとえば、知り合いが頭のおかしい殺人者だったと気づいた(向こうにも気づかれた)状況で、「証言しないと自分は殺される」と思ったとか、そういう場合? で、その殺人者は
・「絶対に犯罪だと気づかれない方法で人を殺せる」のか? 暴行・殺人があって、背景を調べられたらそれ自体問題だよね。
・「事件から時間が経ち、無罪となった殺人者が周囲を含め疑われなくなった時点でゆっくりと報復をはじめる」ような場合? これも同上。
・Cは当然Aから距離を置いていると思うが、それを埋める時間と手間をかけて報復する? それは独力でやるの?
人を使うなら、それ自体がまた証拠になって隠滅すべき証拠や犯行を知る人間は雪だるま式に増えて本末転倒だよね。
・そして、そこまでする「頭のおかしい人」であることを、取り調べの警察官や他の周囲に一切気づかせない人間であり、なおかつ、裁判官だけは
それに気づいている、という状況? その裁判官はエスパーか何かなの?
…などなど、いろいろ設定が破綻すると思うんだけど、どうなんだろう。
まあそもそも「無罪の推定」というのは、必ずしも判決の際の基準の話だけをしているわけではなく、もう少し広い話です。また、判決の基準に用いる際にしても、それと証人の保護とは全然筋の違うことであって、最初から話のポイントが噛み合わないと思います。あなたの疑問は「疑わしきは被告人の利益にする」というのは「証人の不利益にする」という意味ですか、という質問なのだろうけど、「被告人の利益に」という原則は、そんなことについて一言も言ってないからね。普通に考えれば
だけであって、その二つが単純にバッティングしているからといってどちらかを引っ込めるという話にはならない。
結局、そういう疑問をもつのは原則への理解が不足しているせいだと思う。原則を誤解した上に、現実性のない奇妙な仮定を立てて疑問をもったところで、そりゃ答えはでないからね。
再来週は選挙なわけですが、それと同時に最高裁裁判官の国民審査も行われます。
普段はなにも考えずに無記入で投票してきた私ですが、今回は考えさせられる記事を幾つか目にしたため、考えを表明しておきます。
http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/politics/elex/gooeditor-20121205-01.html?pageIndex=2
簡単に抜粋。
今年、再審無罪となった東電OL殺害事件では、一審が「疑わしきは被告人の利益に」 という刑事裁判の鉄則に忠実に無罪判決を出したのに、東京高裁がそれをひっくり返 して有罪とし、最高裁がそれを追認した。このような明らかな誤判があっても、誰も 何の責任もとらないどころか、なぜ間違ったかという検証さえ行わない。誤判で無実 の人を刑務所に送り込んだ3人の裁判官のうち2人は今も現役で、出世街道を進み、 今は東京高裁と東京地裁の裁判長だ。 このような状況に対する批判も込めて、私は全ての裁判官に×をつけようと思う。10 人に×をつけるので、勝手にこれを「×10(バッテン)プロジェクト」と名付けてみ た。
これだけの記事であれば、
・そうかぁ「全部×」を入れる人ってこういう人たちなんだろうなぁ。。
・それって、単に妬ましいだけなんじゃないのかなぁ。。
・わざわざ他人を否定するために「×」を書くのってネガティブで気がひけるよなぁ。
というのが正直な感想。
なんだか性悪説に基づいているみたい。
それならばむしろ人を信じる意味でも「×」は書かないで信任したい。うん、立派な裁判官たちのはずだ、と思いたい。という気がします。
さすがマッキンゼー出身(と思われる)Chikirinさん、Q&A形式になっていてとても読みやすいし、論点もまとまっていて分かりやすいです。
下記の記事はできればリンクをクリックして全部読んでみてください。。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20121206
Q9.でも、過半数の不信任がないと罷免できないんだから、ちゃんと意思表示して も無駄なんじゃないの? そんな気もしますよね。でも、ちきりんは違う考え方を持っています。下記は前回の 国民審査の結果です。 <前回、2009年8月の国民審査の結果> 氏名(元職業) 罷免要求票数 率% 桜井龍子(行政官) 4,656,462 6.96 竹内行夫(行政官) 4,495,571 6.72 涌井紀夫(裁判官) 5,176,090 7.73★ 田原睦夫(弁護士) 4,364,116 6.52 金築誠志(裁判官) 4,311,693 6.44 那須弘平(弁護士) 4,988,562 7.45★ 竹崎博允(裁判官) 4,184,902 6.25 近藤崇晴(裁判官) 4,103,537 6.13 宮川光治(弁護士) 4,014,158 6.00 率のところに★記がある2名の裁判官は、この審査の前に、「一票の格差は憲法上問 題ない」というトンデモ判決に賛成していた2名です。ちゃんと不信任率が高いです よね。 さらに東京都や神奈川県などの都会部(一票の価値において非常に軽んぜられている 地域)では2人の罷免要求率が10%を超えるなど、より明確な結果が出ています。
むむ。
正直10名の名簿をみても誰が誰だがわからない、ってのも「×」を書きにくい一つの原因ではあるのですが、ただ、上記のように人によってブレがあるということは、見ている人は見ているんだなぁ、、という気もします。
ただ、国民審査では今まで罷免された人はおらず、最高でも15%程度しか行っていないとのこと。
ということは、見ている人が見ていても、ほとんどの票が白票(信任票)になっているため、見ている人の判断が活かされてない状態になっている、とも考えられます。
とするならば、全部「×」を書くという行動は、以下の考え方をすることもできないだろうか?と思いました。
・ネットで探すも、どうも意見が偏っているようで信じがたい側面もあるし。
・ただ、世の中で言われているように、一票の格差問題は合憲とかいっちゃう裁判官もいるし、検察の異常な取り締まりを放置している裁判官もいるのは事実。
(最近、偽装クリックで誤認逮捕されて、自白を共用された冤罪事件もありましたよね・・・。)
・でも、世の中にはちゃんと見ている人は必ずいます。結果にばらつきがあるのがなによりの証拠。
・であるならば、その人たちを信じて、判断を委ねてみるのはどうでしょう?
・具体的には、票に「全部×」を記入して、罷免要求率のベースを上げるのです。
・少なくとも、今の状態ではちゃんと見ていて投票している人が報われない仕組みになっています。
・そういう人たちを助けるために、罷免要求率(×)のベースを上げる取り組みの手助けをするのです。
決して他人を否定(罷免)するというようなネガティブな感覚から投票するのではなく、ちゃんと見ている人を信じて、その人たちを助けるために投票してみませんか?
という考えに傾いてきた時に、ダメ押しの記事。
あの"おだじまん"が柄にも無く関連記事を。(笑)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20121129/240317/?P=5
総選挙と並行して行われる最高裁判事の国民審査については、はっきりしている。 私は、こんなにバカげた制度は無いと思っている。 「×をつけなかった場合、承認したと見なす」 という設定が、そもそもどうかしている。 どこの商店でも、どんなお見合いでも、「選ぶ」「承認する」「賛成する」「結婚 する」という決断は、「棚から手に取る」「◯をつける」「クリックする」「レジに 持っていく」「プロポーズする」という、消費者ないしは選択者の側の「積極的な行 動」を待って成立することになっている。 「×をつけない以上承認する気持ちがあったはずだ」 という類推は、一種の詭弁だ。背理法。まるでたちの悪い法廷じゃないか。
まぁ確かに。(苦笑)
そんな制度は変えなくちゃですよね。