「殺害現場写真を、(素人で強制徴用された)裁判員に提示してPTSDを発症させた」ことが司法界で問題になっている。
「殺害現場写真」を量刑判断の参考資料として法廷に提出するようになったのは、裁判員制度になってからじゃないか?
職業裁判官オンリー時代だと、「検察側が殺害現場写真を裁判官に提示する」ということは、あまりなかったんじゃないかと思う。
その前提には
「職業裁判官は、殺害の残虐性をあまり考慮せず、量刑相場に基づいて量刑を決定するものだ」から、
わざわざ殺害現場写真を提示する必要性も薄かったんじゃないか、と思う。
「裁判員には、残虐性に応じて、量刑を判断して欲しい、それが裁判員制度導入の趣旨」と検察側が「いらぬ期待」をして、
なので「わざわざ」残虐写真を提示するようになった、という気がする。
裁判員制度導入時には、この残虐写真PTSD問題は、あまり議論されてなかった気がする。
「検察側の法廷戦術変化を惹起してしまう、ということを、法曹関係者が見抜けなかった」ことも、要因では?
※因みに
「残虐写真耐性が無い人の裁判員辞退を認めてしまうと、裁判員がグロ写真愛好家に偏ってしまって、
『平均的市民による公平判断』という裁判員制度の清く正しき理想が崩壊してしまう、
だから残虐耐性ゼロな人にも、首に縄付けてでも動員すべきだ」という意見もある。
でも心配しなくても、『平均的市民による公平判断』という清く正しき理想は、かなり崩壊しているから大丈夫。
今「真面目に出頭要請に応じて、裁判員を引き受ける人」というのは、
「平均的市民より、マジメ度、大人しい度が高い人」に既に振れてしまっているから。
「ずる賢い人」は、
「過料規定はあるが、制度発足後、過料徴収の実績がない」ということを調べきって、
「出頭要請を無視しても、実際にペナルティがない」と踏んで、出頭要請を無視している。
「正直に出頭している母集団A」と「出頭しない母集団B」を比較したら、
Aの方がBよりも「真面目な人、気の弱い人」の比率は有意に高いと思う。
この段階で、制度が理想とする「全ての市民の平均像」からズレてきている。
その証拠に、覚醒剤密輸案件での無罪判決が相次いでいる。(法曹関係者が「マズイ」と思うレベル)
覚醒剤密輸案件は、被告人が無罪を主張することが大半で、「被告人の嘘をいかに見破るかがポイント」の事案。
恐らく、裁判員を素直に引き受ける「素直なA市民」は、「被告人の言い訳は、それなりに正しいと思う」を素直に判断するが、
「狡賢さが身についている、疑い深いB市民」が仮に裁判員になったら、「被告人は嘘ついてるじゃん」と判断する。
疑い深いB市民も裁判員になってもプロの裁判官ほど検察官を信頼しないから 裁判官のみでやるより有罪率低くなるのは変わりないと思うけど A市民は被告を信じやすいかもしれんが検...