はてなキーワード: 涌井紀夫とは
再来週は選挙なわけですが、それと同時に最高裁裁判官の国民審査も行われます。
普段はなにも考えずに無記入で投票してきた私ですが、今回は考えさせられる記事を幾つか目にしたため、考えを表明しておきます。
http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/politics/elex/gooeditor-20121205-01.html?pageIndex=2
簡単に抜粋。
今年、再審無罪となった東電OL殺害事件では、一審が「疑わしきは被告人の利益に」 という刑事裁判の鉄則に忠実に無罪判決を出したのに、東京高裁がそれをひっくり返 して有罪とし、最高裁がそれを追認した。このような明らかな誤判があっても、誰も 何の責任もとらないどころか、なぜ間違ったかという検証さえ行わない。誤判で無実 の人を刑務所に送り込んだ3人の裁判官のうち2人は今も現役で、出世街道を進み、 今は東京高裁と東京地裁の裁判長だ。 このような状況に対する批判も込めて、私は全ての裁判官に×をつけようと思う。10 人に×をつけるので、勝手にこれを「×10(バッテン)プロジェクト」と名付けてみ た。
これだけの記事であれば、
・そうかぁ「全部×」を入れる人ってこういう人たちなんだろうなぁ。。
・それって、単に妬ましいだけなんじゃないのかなぁ。。
・わざわざ他人を否定するために「×」を書くのってネガティブで気がひけるよなぁ。
というのが正直な感想。
なんだか性悪説に基づいているみたい。
それならばむしろ人を信じる意味でも「×」は書かないで信任したい。うん、立派な裁判官たちのはずだ、と思いたい。という気がします。
さすがマッキンゼー出身(と思われる)Chikirinさん、Q&A形式になっていてとても読みやすいし、論点もまとまっていて分かりやすいです。
下記の記事はできればリンクをクリックして全部読んでみてください。。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20121206
Q9.でも、過半数の不信任がないと罷免できないんだから、ちゃんと意思表示して も無駄なんじゃないの? そんな気もしますよね。でも、ちきりんは違う考え方を持っています。下記は前回の 国民審査の結果です。 <前回、2009年8月の国民審査の結果> 氏名(元職業) 罷免要求票数 率% 桜井龍子(行政官) 4,656,462 6.96 竹内行夫(行政官) 4,495,571 6.72 涌井紀夫(裁判官) 5,176,090 7.73★ 田原睦夫(弁護士) 4,364,116 6.52 金築誠志(裁判官) 4,311,693 6.44 那須弘平(弁護士) 4,988,562 7.45★ 竹崎博允(裁判官) 4,184,902 6.25 近藤崇晴(裁判官) 4,103,537 6.13 宮川光治(弁護士) 4,014,158 6.00 率のところに★記がある2名の裁判官は、この審査の前に、「一票の格差は憲法上問 題ない」というトンデモ判決に賛成していた2名です。ちゃんと不信任率が高いです よね。 さらに東京都や神奈川県などの都会部(一票の価値において非常に軽んぜられている 地域)では2人の罷免要求率が10%を超えるなど、より明確な結果が出ています。
むむ。
正直10名の名簿をみても誰が誰だがわからない、ってのも「×」を書きにくい一つの原因ではあるのですが、ただ、上記のように人によってブレがあるということは、見ている人は見ているんだなぁ、、という気もします。
ただ、国民審査では今まで罷免された人はおらず、最高でも15%程度しか行っていないとのこと。
ということは、見ている人が見ていても、ほとんどの票が白票(信任票)になっているため、見ている人の判断が活かされてない状態になっている、とも考えられます。
とするならば、全部「×」を書くという行動は、以下の考え方をすることもできないだろうか?と思いました。
・ネットで探すも、どうも意見が偏っているようで信じがたい側面もあるし。
・ただ、世の中で言われているように、一票の格差問題は合憲とかいっちゃう裁判官もいるし、検察の異常な取り締まりを放置している裁判官もいるのは事実。
(最近、偽装クリックで誤認逮捕されて、自白を共用された冤罪事件もありましたよね・・・。)
・でも、世の中にはちゃんと見ている人は必ずいます。結果にばらつきがあるのがなによりの証拠。
・であるならば、その人たちを信じて、判断を委ねてみるのはどうでしょう?
・具体的には、票に「全部×」を記入して、罷免要求率のベースを上げるのです。
・少なくとも、今の状態ではちゃんと見ていて投票している人が報われない仕組みになっています。
・そういう人たちを助けるために、罷免要求率(×)のベースを上げる取り組みの手助けをするのです。
決して他人を否定(罷免)するというようなネガティブな感覚から投票するのではなく、ちゃんと見ている人を信じて、その人たちを助けるために投票してみませんか?
という考えに傾いてきた時に、ダメ押しの記事。
あの"おだじまん"が柄にも無く関連記事を。(笑)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20121129/240317/?P=5
総選挙と並行して行われる最高裁判事の国民審査については、はっきりしている。 私は、こんなにバカげた制度は無いと思っている。 「×をつけなかった場合、承認したと見なす」 という設定が、そもそもどうかしている。 どこの商店でも、どんなお見合いでも、「選ぶ」「承認する」「賛成する」「結婚 する」という決断は、「棚から手に取る」「◯をつける」「クリックする」「レジに 持っていく」「プロポーズする」という、消費者ないしは選択者の側の「積極的な行 動」を待って成立することになっている。 「×をつけない以上承認する気持ちがあったはずだ」 という類推は、一種の詭弁だ。背理法。まるでたちの悪い法廷じゃないか。
まぁ確かに。(苦笑)
そんな制度は変えなくちゃですよね。