はてなキーワード: 男尊女卑とは
私はインターネット落書きマンで数年活動していました。フォロワーは男性向け5000、女性向け6000程度の底辺です。
元々男性向けで活動していましたが、1年前に女性向けに移動して活動しています。
そこで感じた違いを3点上げさせていただきます。
・前書きの注意が多い
・学級会が多い
前書きが多いことは以前から指摘されていましたが、○○注意、読むのは自己責任、○○というシチュがありますなど、とにかく読んだ人から批判が来ないようにする前置きが長いです。
なぜそんなめんどくさいことをするのか。それはお気持ち表明といった凸がくるからです。
最悪のパターンは注意書きが書いてあるのにも関わらず、文字も読めなかった馬鹿がマシュマロやお題箱、捨て垢で凸まできます。
地獄です。
一方で女性向けは「私が嫌な気持ちになるものを作る人は潰す!!許せない!」と凸したり嫌がらせしたりします。
合わなければ去るということが出来ない女性、同性としてとてもめんどくさいと思います。
今日も匿名で作風が嫌いです傷つきました、描くの辞めろとか届いてます。
はーーー匿名で他人を支配しようとする女ってマジめんどくせぇ。
《追記》
・性別かけとコメントで書いてありましたが当方は女です。下から3文めに、「同性として」と書いてありましたが分かりにくかったみたいで申し訳ないです。
・案の定フェミが湧いてましたが呼んでないです、帰ってください。
・男性向けでは確かにセクハラリプが送られてきました。しかしお気持ち凸といった悪意がひしひしと伝わってくるいじめのほうが私的には辛かったです。セクハラはブロックしたら大抵終わりますが、女性向けはブロックされたら粘着する傾向があると思いました。自分も経験したのでセクハラ問題を軽く見るつもりはないですが、女性向けのいじめはそれを凌駕するレベルで陰湿です。
マジレスすると、はなかっぱはサザエさんアンチと同じく「保守的で男尊女卑」として叩いてる人はたまに見かける。
あんま真剣に見てる訳ではないが、以前「はなかっぱとお父さんお爺さんが全く家事しないで家でゴロゴロしていて家事で忙しいお母さんがキレる」って話のオチが
「男性陣も家事をするようになった」ではなく「お母さんは家族を愛しているので現状のまま許した」ってものだったのを見て
今時これかよサザエだってこんなオチにはしないぞ(いや再放送だったかもしれないが。でもあれ10年前くらいからでそこまで古くないはずだけど)と思ったので
嫌がる人の気持ちも何となく分かる。ちゃんと見ていれば、もっと酷い話もあるのかもしれない。
そもそも主要キャラが男性ばかりだし、少ない女性キャラもそういう男に都合が良いタイプいないので。
たまーに主題歌歌詞の「かよわいレディ守るが正義」に引っ掛かってる人がいるくらいかな?
でもメイン女性キャラはかよわくないレディ(喧嘩っ早いヤンキーなすずとか、有能少女探偵のコアラちゃんとか)ばっかなんだよな、あれ。
ふとmeets系ラノベみたいなタイトル思い付いたので書くことにした。(自称)拗らせフェミ(私)が(年下)女装男子と出会ったら(勝手に救われた話)。
**拗らせた
所謂フェミニズム的な考え自体は中学生くらいの頃から持っていて、伝統的な考えを持つ父が「結婚して子供を産まなければ女は幸せになれない」と言うのに違和感を覚えるなどしていた。
中学生のときに社会学に興味があってフェミニズムについても色々と調べた時期があったけど、このときは男女比1:5~6くらいの部活で朝から晩まで音楽のことを考えていたのであまり自分の問題として捉えられず、「そりゃプリキュアも好きだけど仮面ライダーも観たいわな」くらいの気持ちだった。その後進学して男女比が13:1になっても多少不便はあるものの、学校では特に問題なく過ごしてた。
フェミニズムに向き合うきっかけになった出来事はいくつかあって、
①ある機械部品メーカーにインターンに男の子2人と私で行ったら現場/現場/事務の3コースあり、私は勝手に事務にされていた。男の子2人はそれぞれ好きなコースを選んで良くて、私も現場が良かったけれど言い出せなかった。
②自分が着るスーツにアイロンをかけていたら父に「将来は旦那のをやらなあかんからよう練習しとけよ」と声を掛けられた。
③重機メーカーのインターンに行って、後日その内容をポスターセッションで発表していたら「女の子は重機に興味ないでしょ」と繰り返し言われ話を聞いてもらえなかった
④祖母に「大学入ったらいい企業入るいい旦那さん探さなねぇ」と言われた。ややいい大学だったので喜んでくれているのは分かるが、私は私が勉強するために大学に行くのであって稼ぐ夫を見つけるために大学に入ったんじゃない、と思った。
そんなこんなあってTwitterで #metoo だとか#ツイッターでウィメンズマーチ だとかのタグを見るようになった。最近は見てないので分からないけど、当時の日本の#metooはミソジニーが女叩き、フェミ叩きをしているのが目立っていた。
実際、Twitterでフェミニストを名乗る人の中には過剰な女尊男卑を掲げる人もいるし、そういう人と一括りでフェミニストを丸ごと叩いている人は多くて、そういう人のお気持ちを素直に読んでしまったのが拗らせた原因だと思う。
私は元来所謂「女の子らしい」ものが好きな質で、レースやフリルのついた服、小さくて丸くてピンク色をした雑貨、高くて細いヒール、どれも好き。でも同時に「利便性こそ美しさ」という気持ちも持っていて、動きにくいスカート、使い所のない雑貨、機動の下がるヒール、という気もする。
ここにミソジニーが「女が着飾るのは男によく見られたいから」「男尊女卑やめろと言うくせに男に媚びるな」などと言っているのを見て「本来の好みは利便性のほうなのに男に媚びる気持ちから可愛いものを選んでいたのか…?」と思ってしまった。純粋かよ。
多感な時期だったので整ってもいない顔でオシャレをするのはみっともない、みたいな考えにも侵され、複合的に可愛らしい服装に苦手意識を持つようになり、友人にはよく「喪服」と言われてた。
**出会った
件の男の子とは2019年にあるイベントで会ってTwitterで繋がって、何となく仲良くなって数ヵ月後に2人で出掛けることになった。ここだけ聞くとすごい出会い厨っぽいな。
女装することを知ったのは何時だったか覚えてないけど一緒に出掛けたときにはもう知っていて、自然と服を買いに行くことに。
ちょっと都会のショッピングモールを一周して辿り着いたのがaxes femme。女の私ですら入るのを躊躇うというかここの服を着そうな格好してないよ今日、などとといいつつ(いつもの喪女スタイルだった)こそこそと入店。結局店員さんに捕まってしまいめちゃくちゃ良くして貰って2万ちょっとお買い上げしてるのを横で見ていた。
彼はシスジェンダーでヘテロの男の子でただ「可愛いもの」が好き。好きな服を着ていると楽しいし自分が可愛いと嬉しい。好きな服を選んだら女物だったとも言ってた。骨格やサイズ的に着られない服もあるし、1人では買いにいけないし、家族には隠しているし、それでも自分が楽しいから人にも見せないのにお金と時間をかけて家の中だけで着ている。
私は彼が女装していても男装?していても一緒に隣を歩くし、彼が楽しそうに服を選んでいるのを見るのが好き。
それなのに「可愛い服が男に媚びるためのもの」であるわけがあるだろうか、とふと気がついた。その気付きは劇的で、彼は全く意図していなかっただろうけど、私はすっかり救われてしまった。
女らしい格好をすることに対する強迫観念みたいなものがなくなって、好きな服だけを選んでいたらクローゼットは見事にワンピースだらけになった。
可愛らしいものと共に忌避していた女性性を受け入れられるようになり、生理不順を治療した。
「無意識に男性に媚びているかもしれない」という恐怖感がなくなって、自己主張もしやすくなった。父や祖父母とは衝突もするけど、前よりずっと生きやすい。
あんまり感情が大きいので彼にはあまり言わないけれど、本当に感謝してる。何をした訳でもないと思ってるだろうけど、君が君を貫いていてくれたお陰で、今わたしはわたしを貫いていられる。ありがとう。
のに。
婚活女が、男に「結婚したい」と思ってもらうためには。料理が好き、家事全般好き、経済観念もそこそこあります!の家庭的メリット女子力()アピールが必要らしかった。
(人気の婚活本、愛されテクニック系の書籍、ブログなどを読む限り)
実際プロポーズの決め手は料理好きなところと、ふるさと納税の申し込みなどをきちんとやってくれる所(経済観念?)だったらしいから。
だってどれも別にライフワークにするほど好きじゃない(=作業)から。
(清掃業者になるくらい掃除好きとか料理研究家になるくらい料理好きとかそういう仕事にするレベルで好きならいいかもね)
その論理で行くと、そう言う家庭的女に食いつく男性は年収も【低〜中の上】くらいで
女性はこうあるべき!女子力とは!家事育児はお前の仕事!とか言うモラハラ予備軍な人になってしまうだろう。
※余談:年収が高すぎる人は家事もプロに外注したりするし、嫁にそこまで求めない傾向がありそう。
例) 若い金持ちはモテるから遊ぶ=そもそも結婚先送りしがちで嫁いない。
若くない金持ちは金持ってなかったら釣り合わないような若い子をトロフィーワイフ的に求めるから家事より容姿を求めがち。もちろん本人の外見等で例外あり。
高年収の人は置いておいて、要は、自分のママみたいな人が欲しいんだよね。美味しいご飯作ってくれて、身の回りのお世話を献身的にしてくれて、無償の愛を捧げてくれて。
さらに自分の子を生んで育ててくれて、稼いでくれる俺に感謝と尊敬をしてくれる、優しくて褒め上手な可愛い嫁が欲しいんだよね。
経済的に旦那に寄りかかるなら、旦那のママ代わりで尽くす覚悟はある程度必要なのかも。
今の30代以上の人の育った家庭(主に首都圏)の親世代は専業主婦家庭が恐らくメジャーなのでそのママのような良妻賢母が当たり前に求められるのかも。
でも今はうちのように正社員二馬力で年収もほぼ変わらない家庭も多い。
そうなると完璧な旦那のママ(専業主婦)と同じクオリティの尽くしをするには限界がある。
ただ、私も女として育てられてきた過程で、
『彼氏や旦那様のために美味しい手料理を作る、綺麗好きで子ども好きでママのように女子力の高いのが良い』
のような、女の子はこうあるべき、男の人に愛されて尽くして、それが女の幸せ!
とテレビドラマや女性向け雑誌のモテ技コーナー、また学校教育の中で染み付けられ、思い込まされてきたと感じている。
だから料理もがんばったし、彼女らしく、奥さんらしく尽くせることに幸せを感じたりもした。それも思い込みで、束の間だったけど。
私の家は貧しい方なので、親世代の中では珍しく共働きで、母は父より稼いでいたけど、それでも父は台所に立ったことも食器を片付けたことも掃除をしているのも見たことがない。
「男の子だったら塾に通わせたいけど…女の子はどうせ嫁に行くしな」
とも言われる始末。
今となっては「お母さんより稼いでないお前はなぜテレビ見て横になってるの?作って貰ったのに皿くらい片付けろよ。」と思えるけど、その時は思わなかった。
だから旦那が友達の奥さんのことを「あんな奥さん理想だなぁ。三歩下がって主人を立てて。」って言ってたのもそういう教育の賜物なんだと思う。
男も、女も、誰も悪くない。そう摺り込まれ、教育でプログラムされただけなのだから。
当時はそうしなければならない経済的(社会的?)事情があったのかもしれないし。
結婚してみて気付いたことで、男の人がずるいと感じてしまうのは、
独身時代同様、仕事や趣味に全振りして、職場ではそれなりに評価され、順当に昇進していくこと。羨ましい。
女性のように出産で1人産むごとに1年以上キャリアに穴を開けることもなければ、子どもがいる人は避けよう、と飲み会に誘われなくなることもない。
就活の面接で「結婚願望はありますか?折角育てて立場を与えてもすぐに寿退社や産休を取られてはねぇ…」と言われて悲しくて泣いたこともあったから。
でも女はそういうものと教育をうけ、それに納得しておきながら、結婚を望み、子どもを望み、今の生活を選んだ以上、私に責任がある。
今自分が選んだこの世界の中で、ただ家に尽くすだけの愛され婚活本の中の古きよきテンプレ女性像を目指すのではなく、
私は私らしく仕事も趣味も自分の好きなことをもっと頑張ればいいし、そのためには尽くしすぎず頑張りすぎないことを頑張ろうかな。
男性のことも妬んだり嫌いになりたくないし、男だからこうではなく、この人だからこんな魅力がある、と思えて家族を愛せるようになれたらいいな。
自分のことを家事育児ロボット(生活費稼ぎ機能付き)と思い蔑まず、1人の人間として大切にしたら、きっと旦那や周囲から大切にしてもらえる気がする。
「男は得してる」そう思えばそれを言い訳に頑張らなくなるから。
むしろ家事育児完璧にこなして旦那を愛しつつ旦那より稼げるようになったらかっこいいじゃん。はー、体力つけなきゃ。
黒人vs白人論争を男尊女卑に置き換えて語る人もいるけど、男女間で憎みあってもお互い不幸なだけと思う。
女だからを言い訳にせず、諦めることをやめ、しあわせになりたい。
だからせめて自分の子どもには、男尊女卑の摺り込み教育はしない。女も男も等しく価値のある存在で仕事でも夫婦間でも対等なライバルであっていいんだよと言ってあげたい。
頭悪い美人は、男尊女卑社会が続けば一番恩恵を受ける層なんだから。
頭のいいブスは、その逆。
頭のいい美人はどっちに転んでもポジション取れるし(まぁ頭があるならそういう発想しないだろうけど)、頭の悪いブスはどっちに転ぼうがおそらく彼女たちの生き方はあまり変わらない。
わたしはバカも杓子も大声あげられるネット世論界隈が苦手で疎いからあなたの思い描く「頭の悪い美人」たちがどんな文脈でフェミニズムを語ってるかわからないけど、その意味をわかっていてやってるのでも、わかってないけどカッコイイからとやってるのでも、どちらでも構わないと思う。
頭の悪い人にまで届いてるのなら、それは限られた人だけの空論ではなくなってる証でもあるので。
個人的には、生物学的性別は男と女の二種類でそれが半数ずついるのだから宗教のくびきがない限り男女のパワーバランスは総合的にみると釣り合いとれているはずという考えなんだけど、それでも昨今のフェミニズム界は活発で悪くないと思ってる。
あなたが頭悪いと決めつけてる人たちが何故その考えに至ったか何故そう振る舞うのかを、一旦あなたの思いこみを捨ててリスペクトを持って想像してみるのもいいと思うよ。
最近のツイッター学級会といえばコロナか政治か差別問題ですよね。知らんけど
あんまり喧嘩は好きじゃないので参加はしませんが、実はバズっているツイートのリプ欄を見る趣味があるので、ついついその言い争いを見てしまいます。なんか大きい石ひっくり返してキモイ虫見てうわ〜て思うのにやめられない、ってのに似てるんですけど。ほんとにストレスたまるから辞めたいんですけどね。
コロナとか政治とかはあんまり私も詳しくないので何にも言いたくないなって感じなんですけど、性別に関する差別問題については、女性としての性を持って生まれたしまあ多少発言してもいいかなと思ってここに書くことにしました。
私はフェミニストでもないし男尊女卑でもないと自分では思い込んでます。でもまあ女性ゆえに生き辛いことが減ったらいいよね、くらいには思ってます。
でも、大抵インターネットで主張の強いフェミニストの方の意見やそれに批判する方の意見を見ると、ん??どっちもおかしくない??と思ってしまうのです。
女性代表で発言しているようなツイートの方が多く見られますが、それこそ女性個々の人権を無視してない?と思うのです。
例えば、おっぱいが大きいキャラクターのイラストに対して「気持ち悪い、ありえない」と言ってしまうのは胸が大きい女性に対する侮辱であるし、「女はみんな結婚したくない!働きたい!」などと主張する人のせいで、専業主婦に憧れることが逆に悪みたいに捉えられることもあります。
結局、自分が生き易く生きたいけど、自分がこうしたい!って主張じゃ誰も聞いてくれないから女性ってデカイ主語使ってんじゃない?と思ってます。
本当のフェミニストってもっとちゃんと女性一人一人の悩みに向き合ってくれる人のことを言うんじゃないのかなと思うのに、自分の不幸を全員の不幸のように言う方がフェミニストと呼ばれ、今では蔑称として使われているように思います。
それでは本当に全ての女性の味方になってくれるフェミニストの方まで馬鹿にされて、少なくなってしまう。主語がでかい女はもう主語がでかい女って呼ぶことにしたい。
フェミニスト叩きはここまでです。
まずさっきの話の続きですが、主語がでかい女性に対してそのまま主語がでかいまま批判する方がいます。例えば「全女性がムカついている」という文に対して「全男性も全女性にムカついている」と返す人だ。この場合多分本当に全女性の意見として受け取って、全女性に勝つためには全男性でいかなくては、とムキになっているタイプである。こうやって国同士の戦争って起こるのかな、とさえ思う。
こうやって全女性の意見として受け取って全女性に怒りを向ける人がいるから頼むからでかい主語は使わないでくれ…と思う。
私自身、インターネットの知らない人のでかい主張を間に受けた男性に「女の子ってこうなんでしょ?」って言われて嫌な思いしたことがある。
「私は」「僕は」「あなたは」に変えるだけの簡単なことです。本当に女性全員そう思ってるのか、男性全員そう思っているのか、よく考えてみてほしいなと思います。
ここでいう男尊女卑思考の人、というのはフェミニストの方のツイートに対して「お前はモテないから僻んでる」とか「美人になってからそういうことは言え」とかいう人のことです。
ツイート元の人が幾らおかしい事を言ってたとしても、こんなこと言っていいわけないと思います。余計フェミニストが男性嫌いになっちゃうじゃん、と思うのですが…
結局社会問題とか言って永遠に収束しない争いのように見えるけど、実は個々のコミュニケーションの問題じゃないかなあと思います。インターネット上ではね。
相手が嫌がることは絶対にしない、嫌な事をされたら嫌とはっきり言う。それが大事なんじゃないでしょうか。
こんなことここに書いてても学級会は治らんし安全地帯から何喚いてるのって感じだけど、だって私は関わりたくないですからね、他人に。他人に喧嘩売るその姿勢がよくわかりません
これは私の主張でしかないし、他の誰とも同じではないので、もしこれを読んでムカついてしまった人がいたとしても、たった一人ぽっちの人間の主張である事を忘れないでください。
コロナの大流行で現在進行形で世界の歴史が大きく動いている。日本に住む私達は政府から自粛を要請され生活様式が一変した。私の生活にも様々な変化があったが、そのうちのひとつが自炊する頻度が大幅に増えたためスーパーの野菜売り場で悩むことが多くなったことだ。そのときに私が感じ、考え、悩んでいることを書き残そうと思う。
私は関東の某県で医療に携っている。三次救急指定病院や大学病院に勤務していた時期があるので、様々な重症度の患者を診てきた。そのなかでも幾人かの忘れられない患者達がいる。外国人技能実習生だ。4年間で3人、それぞれ様々な疾患のために入院し治療に当たった。そして3人とも保険に入っておらず、退院直後に帰国する手筈を(多くの苦労のすえ)整えた。そのなかで技能実習生の送り出し機関や受け入れ企業の組合、大使館、入国管理局、保健所などと交渉する機会があった。また逃亡した技能実習生の横の繋がりや助け合いについても知る機会があった。詳細については記載できないが、本当にこの制度は許せない。これは絶対に続いてはいけない仕組みだ。そう確信させるような失望、交渉相手が信頼出来なくなるエピソードが何度もあった。私は今でもその担当した1人が救急外来で処置を受けながら「アッラーフアックバル、アッラーフアックバル!!」と叫んでいたこと、その後回診のときに仕送りをしないといけない家族が何人もいること、日本のアニメが好きだ、とはにかみながらTシャツに描かれたキャラの名前を教えてくれたことを忘れられない。彼らはいまどうしているだろうか。生きていてほしい、母国でも治療が続けられていてほしいと願う。
私が携った人のうち2人は農業に従事していた。私はこの県の農業に、少なくない人数の技能実習生が関わっていることを知っている。そして彼らが低賃金で、過酷な労働環境で、理不尽な契約で、無保険で働いているからこの野菜売り場の一部の野菜がこの価格で販売されていると想像する。コロナで多くの人達が困窮している、だから私は自分の手の届く範囲の人達の手をとりたい、応援したいと思っている。その一環として地元の野菜を買おうと手を伸ばすとき、(でもこの野菜は技能実習生の誰かの苦しみのうえにあるんじゃないか?この野菜を食べて応援することはその制度を維持することに力を貸すのでは?)と考えてしまう。
一方で、地元の農家の人々の顔も知っている。彼らの家庭環境や経済状況もほんの部分的にであるが知っている。あのおばあちゃん今年は桜見れたのかなぁ、と思い浮かぶ。しかし、その野菜が栽培された県や農家の写真はあっても私が知りたい情報である外国人技能実習生が酷使されて作られたものかどうかはスーパーの展示からはわからない。当たり前だ、私達は私達が生きることで踏みにじる命や人生を知らなかったことにして生きるほうが快適だからだ。
私は個人的な関心と決意から技能実習生制度は許せないと思っているが、例えばこの記事を打ち込んでいるiPhoneがどんな環境で作られたものかは知らない。知らないからこそ次の機種の買い替えを楽しみにしていたりする。多分調べれば多くの情報が出てくるだろうが、あまり調べる気になっていない。フェアでありたい、自分の倫理観に沿った選択をしたい、でも自分の知識と時間と預金に限界があることが歯痒い。
私はそういった葛藤を抱えて、どうかこの野菜が理不尽な苦しみのうえに存在するものではありませんように、と小さく祈りながら地元の野菜を選ぶ。国内フェアトレードの普及、そしてなにより技能実習生制度の一刻も早い改善を心から願う。
これは関連があるようなないような話であるが、私はヘテロセクシャルのアラサー独身男性であり、そして風俗にいかないことにしている。岡村隆史の発言で活発な議論が交わされているが、私は選択肢が大幅に狭められたにもかかわらず本人の自由意思による選択だから自己責任である、という論には与しない。様々な反論があるだろうが私は日本の社会が男尊女卑が根底にあると感じている。卑近な例で言えば医学部入試問題、女性医療従事者の産休育休問題、患者の女性医療従事者に対する風当たりなどについて思うところが大いにある。そういった社会のなかでもとから職業選択や経済的不利があり、世界的な不況でさらに苦境に立つ若い女性が本来選択するつもりがなかった職業として風俗というハイリスクな職業(感染症としても、また働いている最中/働いたあとのスティグマとしても)を選ばざるを得ない状況になることを社会的に成功した男性が心待ちにする姿勢を放送することは品性が欠片もないと感じる。深く恥じてほしい。私はそういった他人の苦しみを踏み台にして自分の性欲を解消したくないし、自身の、そして今後パートナーになりうるかもしれない人への感染防御のために風俗にいかないことにしている。正直にいうと私はモテない。パートナーは長くいないし、この5年で性交したのは2回だ。どうしようもなく孤独で寂しく、自暴自棄な気分になったときに風俗のサイトを開いたり体験談を読んだことは何度かある。それでもやはり現時点の日本で男性が風俗を利用することは男女間の権威勾配に胡座をかいているように私は感じる。私はこの社会構造に納得していないし、与したくない。セックスするならお互いの自由意思で、対等な関係でしたいと本当に願っている。
なぜこの話題を出したかというと、技能実習生制度と風俗はともに弱者に不公平な社会制度が前提としてあり、本人の自由意思による選択だから自己責任という体で存続しているアンフェアなものだと感じているが、両者に対する私の対応が一貫していないように感じたからだ。
私は地元の野菜を買う、風俗は利用しないという選択をしている。アンフェアネスに対する選択が違うのはなぜだろうか、と考えると、野菜を買うときは直接加害者にはならないが、風俗を利用するときは直接加害者になるからでは……?と気付いてしまった。もし野菜を買うときに小さく祈ることで一定確率で技能実習生の苦しみに寄与することが許されるなら、風俗を利用するときも対応してくれる風俗嬢が選択肢を狭められた結果ではなく、本人の自由意思で風俗に従事していますようにと小さく祈ればいいのでは?と。あるいは一貫性をもたせるために地元の野菜を一切買うべきではないのでは?と。
妄想と仮定のうえの思考実験で自己欺瞞かもしれないが、今は以下のような結論にしている。仮に地元の野菜を回避して別の県の野菜を買ったとして、どれだけ技能実習生の苦しみが減るか不明である。一方、私は野菜を食べたい、また地元の県の経済を少しでも回したい。都道府県別に技能実習生が生産に関わった野菜がわかるなら、より少ない県を選ぶ。そういった情報がない以上、小さく祈りながら地元の野菜を選ぶ。しかしもし今後よりよい買い方があればそれを選ぶ。風俗嬢がまったく経済的に不自由しておらず本人の自由意思で従事している可能性はゼロではないが限りなく低いと想像する。私が愛した女性が私をパートナーとして受け入れずひどく孤独であることと、私が風俗を利用するかどうかは別の問題であり、風俗にアンフェアネスがある限り私は利用しない。という結論になった。
勿論この考えは完璧ではないと思う。本当に技能実習生を憂うなら抗議デモに参加を考えるべきだし、風俗を利用しない選択が結果的に風俗嬢の経済的苦境を悪化させるかもしれないし、利用しないことが風俗が賎業であるという偏見を後押しするかもしれない。(もし私の友人や家族が風俗に従事したいと言い出したらまず止めるだろう、そしてそこに一部もスティグマがないかと言われると難しい)不十分な情報をもとにした不十分な選択かもしれないが、今の私はアンフェアネスに対してこういった選択をしている。
私は自分の考えを確かなものにしたいので、もっと他の人の意見を知りたいです。野菜のより良い買い方や風俗利用について、そして根本的にはアンフェアネスに対する選択について、是非意見を教えてもらえないでしょうか?参考文献も購入を検討するのでご教示いただければ嬉しいです。
18時48分 追記:ブクマ、レスありがとうございます。全部目を通します。あと参考文献を載せてくれた方、ありがとうございます。購入しました。のちほどいくつか返信できればと思います。
モテ男性と非モテ男性のヒエラルキー的構図の問題は、非モテ男性自身が戦いを挑まなければならない別の問題だ。
戦いを挑むべき先は女性ではなく、モテ男性と権力者だ。現状、権力者のほとんどは男性なので、結局男性同士での戦いになる。
「女性の有無だけで人を評価するな」「結婚しないだけで出世コースを外される人事評価制度はおかしい」と声を挙げることだ。
今回の件は、モテ男性(矢部)や権力者との戦いから逃げ続けた非モテ男性の1人(岡村)が、戦いを放棄し、自分より弱い立場の女性や風俗嬢でストレスを発散したり、男尊女卑発言を繰り返していたことに対する批判だ。風俗嬢や女性には、岡村に対して「八つ当たりするな」「自分の欲のために虐げるな」と怒る権利がある。
むしろ岡村ANNリスナーの非モテ男性達が、矢部の発言を肯定・擁護している理由がよくわからない。「非モテ男性全員を巻き込むな」「ただ性格的にやべぇ奴の話を、モテ非モテの問題にすり替えるな」と矢部や岡村に怒って良いし、声を挙げて良いんだよ。
女性は権力者に戦いを挑み続けて、参政権などの権利を少しずつ勝ち取り続けてきた。非モテ男性も権力者に対して戦いを挑むべきだ。
って感じの言葉を全く悪意なく男性から言われることが多い。たしかに女性であるために受けてる恩恵は大きいと思う。大体の男性は男性に厳しくても女性には甘いし、社会的にも女性の権利を、ポストを、って流れがあるから。
でも私としては、男性と同じ土俵で戦っていきたい。女性っていう性別だけで甘やかされたり、優遇されると、自分の性に負けた気がしてすごく悔しい。自分の能力で評価されたい。同じことをしてて、男の同輩が叱られてる横で、女の私がお咎めなしってめちゃくちゃ腹が立つ。
優遇されていいよね、っていう男性のたいていは本当に悪意が感じられなくて、女の子だから大切にしなきゃ守ってあげなきゃ、という意識が根底にあるのだと思う。それは嬉しいことだと思うし、だからそんな発言を聞いても、そうですね、と肯定するし、実際にその通りだとも思う。同時にそう思われているのも、そういう状態なのも嫌だなあと思うけど。
なんだろうなあ、家族とか恋人とかという関係の中で男性にそういう意識を向けられるのは嬉しいんだけど、人として関わっていく仕事の場でそういう意識を持ち出されるのはヤなんだよ。ワガママかな?ワガママって言われるんだろうな。
もはや女性という立場を利用してのし上がってやろうと強気な気持ちになるときもあるけど、すっごい虚しくなるのよね。正当な評価はされず、女性という下駄を常に履かされてるんだって。もちろん、性差として男性にしかできないこと(向いていること)、女性にしかできないことはあると思うし、それ故にその性別が優遇されたり讃えられたりするのはいいと思う。だけど私の境遇は性差全く関係ないからさ。
とにかく何が言いたいかというと、仕事という場で、女性というフィルターを通して私を見ないでくれ、ということだ。またその逆もしかり。男だからという理由で厳しく当たられているのを見るとモヤモヤする。
昨日男性に女性だから甘やかされていいよね、という旨のことを言われてもやったので吐き出し。酔ってるから変な文章かも。
最近フェミニスト?とかの活動もよく目にして、変な奴らはおいといて、それ自体はいいことだと思うけど(実際、男尊女卑は残ってると思う)、単に女性だからという理由で良いポストにつけるのはどうかと思う。余計なお世話だよ。男女関係なく能力で見るべき。それで男性のほうが優れている者が多いならそれでいいよ。無理に男女半々にする理由はない。でも、妊娠出産がディスアドバンテージになるならそれは悲しいな。あと、男性の育休ももっと気軽に取れる社会になればいいなと思う。ごめん、頭の中がぐちゃぐちゃで支離滅裂だこりゃ。