はてなキーワード: 新興宗教とは
2年ほど前の春に父親が病気で亡くなった。どんどん筋肉が無くなっていく病気だった。
私は母が心配だった。
1番下の娘(私)は県外の大学に進学したばかり、長年連れ添った夫とも死別し、母(私からするとおばあちゃん)も病気で、長女は(私の姉)精神障害で手がかかる。長男は仕事が忙しいようであまり家に帰らないしご飯もお家で食べることは少ない。ただ、次男は色々話してくれるし色々聞いてくれる。
こんな状況の母が心配だった。
本当は地元には帰るつもりはなかったけど、大学を卒業したら地元に帰った方がいいかもなと思った。
「お母さん、彼氏できたんだけどどう思う?」 私はびっくりした。正直少し複雑な気持ちだったけど、母が幸せなら良いと思った。ずっと心配だったから、そういう存在ができて良かったと思った。
そして4ヶ月ほど前、名字を私の旧姓に戻さないかという旨の電話が母からかかってきた。というのも、亡くなった父の遺品を整理していたところ浮気していた写真がいくつか出てきたらしい。父は旅行に行くのが好きだった。ほぼ年に1回は家族で国内旅行をしていたし、父一人で海外へ旅行に行くことも多かった。写真には中国人女性との写真が写っていたらしい。他にもいくつか写真が出てきたらしく、どうやら国内外問わずいくつかの場所にそういった女の人がいたらしいことがわかった。3年ほど病気の父の介護をしていた母。ずっと父を信じていた母。それなのに、こんな写真が見つかって辛かったと思う。
だから父の名字をもう名乗りたくないのだ、と私は思った。しかし、母が言った言葉は予想外のもので「あんたのお父さんはあんまり良くない人だった。お兄ちゃん(次男)も前からあまり良くない人だって気づいていたみたい。そして、おじさん(母の彼氏)は前世とか見える人で、この名字はあまり良くないと言っている。実際ルーツをたどっていくと昔戦争で何万人もの人を生き埋めにした人たちが先祖だった、この名字のままではあまり良くない、不幸が訪れる」といったニュアンスのものだった。
別に大昔の先祖がどうだったとか私にはどうでもいいし、それで不幸になるという意味がわからない、私は名字を変えない というような事を喧嘩腰で言ってその時は母も折れて電話を終えた。
あれからその話を持ち出されることはなかった。お金あるー?とか住民票を移したいとか事務的なメールが続いていた。
バイト中だったので最初は電話が取れず、その後メールで至急電話くださいとあり、何事かと折り返し電話をしたら名字を変えた方がいいという旨の電話だった。
「〇〇(私)の中学の頃の写真を見てたんだけど、おじさんがあんたの後ろに悪いものが4人いるって言ってた。お母さんもびっくりした。早く名字を変えないといけない」
というような話だった。すごく切羽詰まっている様子だった。そんなこと言われても私もどうしていいかわからない。“後ろに悪いものが4人”って何?ぴんとこない。おじさんにかわると言われて母親の彼氏に電話が代わった。
さっきと同じようなことをまた説明された。そして話が先祖が戦争の際生き埋めなど残虐な行為をした〜この名字は良くない、不幸になる云々といった下りにもなったときに「一つ疑問なんですけど、じゃあ私と同じ名字の人皆不幸になるってことですか?」と私は尋ねた。相手はすこしごもった様子にも聞こえたが「皆んなが皆ではない、ただこの先祖を辿っていた人は不幸になる」というような事を言われた。そして私はもう一つ言った。「私はあなたの名前も歳も、どうやってお母さんと出会ったのかも分からない それなのに急にそんな事言われても困る」というような事を話すと「あんたが知る必要はない」と言われた。
私が責め立てるような口調だったのも良くない。ただ、そんな言い方あるだろうか?
そもそも8月に帰省して会ったときにも特に挨拶も無しに馴れ馴れしく私の名前を呼ぶ貴方のことが気持ち悪いと思ったし、普通に常識が無いと思ったし、受け入れられなかった。今でも私はあなたの名前も知らない。
私は電話を一度切って、また電話をかけなおした、母が電話をでた「ごめんねさっき間違って切っちゃった。電車乗るからまた家に着いたら電話かけなおすね」と言った。
帰り道、電車の中で泣いた。
もうわけがわかんなかった。
家に着いて、話す内容を紙に整理して書いて電話をかけ直した。
泣きじゃくりながら話した。
お母さんのことをずっと心配してた、だからお母さんにそんな人ができて安心した。だけど誠意が感じられない。突然名前も何も知らない人に言われても混乱する、お母さんが私のことを心配してくれてるのはわかる。でも私の気持ちも考えて欲しい。さっきお母さんの彼氏に「あんたが知る必要はない」と言われた。
色々言ってる間にも話を遮って名字の下りの話をしようとしたから泣きながら今は私の話を聞いて欲しいと何回か言った。電話口の向こうからお金足りるか聞いてといったことを母の彼氏が2回ほど言っていた。
ここまで話してもお母さんがあの人のことも何も教えてくれないのはなんで?と聞くと元々高校の同級生だと教えてくれた。救世主のようなものだと言っていた。電話の向こうで代わるよ、俺が説明するという声が聞こえた。すると、「甘ったれは勝手にしたらいい、死ね」といわれ電話を切られた。
震えが止まらなかった。
お母さん、実の娘に死ねと言ってる人を見て何も思わないの??
泣きすぎて呼吸がうまくできなかった。
また電話がかかってきて、電話をとると母の彼氏だった。さっきはごめんというようなことを言ってる、 こわい。数秒で何があったの
タイトルに「母が新興宗教にハマり」とあるが元々母は霊波之光の信者だった。私が物心つく頃には良くお昼に何か唱えている母の姿があった。別に私は否定も肯定もしていない。それで母の気持ちが救われるなら、と思い干渉しなかった。
母の彼氏が新興宗教に関わっているかどうかは定かではない。ただ、人に相談した所それは新興宗教じゃないかと言われた。私は今客観的にこの状況をみることができない。ただ、私からするととても怖いのだ。母が恐ろしい、得体の知れないものにハマっているように見えて仕方がない。
これから私はどうしたらいいんだろう。
母は母の彼氏と一緒になってから悪い方向に進んでいるようにしか見えない。夏に帰省したときには再婚も考えてると話してた。母が救われるならそれでいい、でもあなたの実の娘に「死ね」という人をみて何も思わないのか、おかしいとおもわないのか疑問だし悲しくてやりきれないし、私にとって大好きな唯一無二の母親を返して欲しい。
でも母自身がこれが異常だと気づいたときの絶望を想像するとこのままの方がいいのかとも思う。
母はずっと専業主婦だ。父親の遺産は割とあるが母の彼氏に持っていかれたのではないか心配だ。私は春から大学4年生。学費も家賃も出してもらってる身分。でもそのお金は母の彼氏からきているのだろう。
私はどうしたらいいんだろう。
わからない。
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【追記】1/4 16:05(コメントくれた方にこれで通知はいくのでしょうか?)
たくさんのコメントありがとうございます。
正直、私一人ではどうしたらいいか分からない部分が多く色々意見が聞けてすごく参考になります。先ほどの文には無かったことも踏まえて追記させていただきます。
1.兄弟について
母親からの昨日の電話によると私以外の兄弟は皆名字を既に変えたそうです。本当かどうかは分かりません。
ただ、長女は精神疾患なのでまともに考えることはきっとできません。次男は昔から母寄りで実の父もあまり好きではなかった様子でした。私はそんな兄のことをマザコンキモいな位に思っていたのですが今考えると母に依存していると思います。兄は中学の時不登校だった過去があり正直友達も少なく周りと上手く関わることができていません。現在は仕事をしていますがきっと母親の信頼する母親の彼氏にもう取り込まれています。
長男は唯一普通だと思うのですが、もう彼も33歳位だし面倒なことには関わらないようにしているのではないかと私は予想しています。ただ、これは私の勝手な推測です。
そして兄弟仲はというと全然良くないです。もはや良い悪いの次元ではないです。私が小学生の頃以来全然話をした記憶もありせん。もちろん、連絡先も知りません。同じ家に住む他人のような存在でした。
2.遺産について
去年の夏に帰省した際に母親から父の遺産をお金でもらいたいか金塊で貰いたいかという話があり、私はなんとなく金塊で貰いたいと言いました。すると、「わかった。おじさんが今度金塊に変えてくるからね。」と母がいっていたのですがそれから特に音沙汰ありません。父は市役所に勤めていました。あとは自分が大家のアパートを持っていたりちょっとした土地も持っていた様です。父はよく旅行に行く人だったのでお金に苦労はしていないのかと思っていましたが、父が病気になり1年ほど県外の病院に入院したり、姉もたまに入院したり色々あった上に私が上京し、私立大学にも通ったことから正直お金がどこから出てくるのが分かりません。父親の遺産がどの程度だったのか、家計状況がどのようなものなのか分かりません。
3.これからについて
私はもうすぐ大学4年生です。なので就職活動も控えています。就活中はアルバイトもセーブして就活に専念しよう、就活はお金もかかるので多少親に金銭的に甘えることもあるかもなと考えていたのですが、今の状況だとどうしていいか分かりません。
きっとお金を振り込んでと言っても昨日の電話口で母の彼氏からお金はあるか聞いてということから考えるに、母の彼氏のお金がくるんだと思います。
それを考えるともう金銭的に助けてもらうことはしたくないのですが、学費や家賃(寮なので一気に払います)のことを考えると金銭的に援助してもらわないときっと卒業は厳しいです。
下手に動いて金銭的な援助が無くなり、学費も家賃も払ってもらえない状況になるのは避けたいです。他の人に相談したところ、アルバイトなりなんなりで学費も家賃も稼いで経済的にも自立するようアドバイスを貰いましたが、就職活動をしながらそういったことができるとは正直思えません。
金銭的な面も踏まえてどのように関わればいいのかまだわたしには分かりません。
母の彼氏という存在が母にどのような影響を与えるのか、異常だと知らせたいけどそれを知った時母は本当に孤独になるのではないか、無事私が来年東京で就職し、経済的に自立したとしてもどう実家と関わるべきか、連絡はこまめにとったほうがいいのか、わかりません。
昨日死ねと言われ電話を切られて、少しするとまた電話がきたのでとるとごめんというようなことを言われ、怖くて電話を切り(ここらへんは正直自分から電話を切ったのか何なのか覚えてません)、また電話がかかってきたのですがとりませんでした。ただ、数時間後メールで母に「さっきは電話とれなくてごめんね。急にお母さんの彼氏に〈甘ったれはいい加減にしろ、死ね〉と言われて電話切られて怖くてうまく呼吸ができなくてとても電話に出れそうにありませんでした。お母さんは辛くても人のことを悪く言わないし私にとって尊敬できる人です。でも何かあったらたまには私にも相談してね。今までいっぱいワガママを言ってごめんね」とメールしました。返事は返ってきてません。何でこんなメールを送ったのか私もわかりません。こんなこと言わなければよかったのかもしれない。
これからどうするべきなのでしょうか
久々に実家に帰省したら、父親の部屋の棚にでかくて分厚い嫌韓本が飾られてた。
さらには家族が普段使ってるダイニングテーブルに図書館で貸し出した嫌韓本が父親のスマホと共に置いてあった。
正直、普通に引いた。
父は昔からキムチが大っ嫌いで冷蔵庫に入ってるとくせーくせーと露骨に嫌悪感を示してた。
帰省して久々に家族揃って外食ってときも、たまたま近場にあった韓国料理屋にはいろうとしたら回れ右して逃げ出したし。(大人気なさ過ぎて母親も弟も呆れかえってた。結局ラーメン屋に変更した。中国はいいんだ)
料理が嫌いなだけだと思ってたから、まさか嫌韓本にまで手を出してるとは思わなかった。
亡くなった父方の祖母も生前はがっつり新興宗教にはまって高額な壷やネックレス買わされてたからまさか遺伝、、、?ってちょっと違うか。
いや、人それぞれ色んな思想をお持ちだと思うのでなるべく否定したくはないです。
正直8、9年前の嫌韓ブーム?の時はまとめ記事とか少し鵜呑みにしてたことはあったし。学生の頃ね。
まぁ、いいんだけど、、、、、、
せめて人の目に触れる場所にそういう本を置いてほしくない。
父親の部屋っていっても元々祖父母のリビング(二世帯で住んでた)だったから、今でも親戚が家に集うときはその部屋を利用することになってる。
え、私が東京にいる間も何度か集ってたよね。その時も嫌韓本でかでかと飾ってたの、、つかそれ以前に家族が普段利用するダイニングテーブルに平気で置いとくとかありえないんですけど。
私が神経質すぎるのか、一度通ったことある身だから過剰反応しちゃってるのか、、延々もやもやしてしまう。
解決策としては父親に「こういう本は片付けておいて」ってそれとなく諭せばいいんだけど、この話題に触れるのって同時に父の闇にも触れるようで、めちゃくちゃ怖い。というか、もう父とはなるべく関わりたくない。これ以上嫌いになりたくない。
父親とは小学校の高学年から社会人になるまでの長い間、反抗的な態度を取っていた。嫌いだったとこ挙げてくと、
ひどく無神経でありがた迷惑
私や弟の育児も都合が悪いと母に投げ出して逃げる
口が悪くいつもへらへらしながら人の悪口ばかり(運転中は荒くなって周りの車の愚痴吐きまくる。)
いつもその場しのぎの会話で内容もすぐ忘れる、興味が無いのか子どもの誕生日すら覚えられない
一応定年までサラリーマン(万年係長)してたし、露骨な暴力や浮気癖とかギャンブルとかそういうのはないけど、どこかうだつがあがらなくてクズな思考回路が尊敬できなくて同じ空間にいるのが苦痛で仕方なかった。(芸能人でいうと愛嬌も才能もない突き抜けてない蛭子さんって感じ。蛭子さんは好きだよ。)
そして何よりも、その人の血筋をがっつり受け継いでいることに対して嫌悪感がはんぱなかった。
自分にも当てはまってるんだろうなーと。父親も、そして自分も大嫌いだった。
、、これがただの反抗期と呼べるものなのは分からないんだけど、多感な時期で反抗期を迎えた子どもはこんな感情抱くものなのかな。ちょっと異常な気はしてるんだけど。
そんな反抗期らしき時期も、上京して離れて暮らして、ようやく落ち着いてきた。
もういい加減大人になった。多面的な部分も受け入れて嫌な部分はそっと見なかった事にする許容も生まれてきた。
最近はなるべく避けたりせず、最低限の会話は心掛けてる。
ちょっとさすがにきついから増田で吐き出して記憶にふたをすることにしました。
とりとめのない駄文でごめんなさい。文章におこすと気持ちが冷静になれていいですね。
いつか父も、自分のことも好きになれたら良いな。
>>家族がいたらいたで自分の思い通りにならない苛立ちを感じる。<<
>>自分の人生をコントロールできれば、<<
と書いてる通り、コントロールしたい、こうあってほしいと言う気持ちが強いんでしょ。
それこそが仏教用語で慢といって苦しむ要因。
逆に、どうなってもいい、あるがままを受け止めるようにすればよい。
どうにもならないのはかかわらないようにする。ということが答えですかね。
僕も完全にはできてないけど。
プラス、まずこううまくいかないとイライラする。イライラすると、いろいろ外的環境に反応しやすくなって余計にいらいらしやすくなる。
なので、一度考えないようにして休む時間をとる必要があるかと思います。それが瞑想。
慢については小池龍之介という人が多く取り扱っています。平常心のレッスンとかおすすめですかね。
また、瞑想は、最近はマインドフルネスという枠組みで問いあげられています。久賀谷亮『世界のエリートがやっている最高の休息法』あたりがおすすめですかね。
それから、新興宗教、質の悪い自己啓発セミナーはは、むしろイライラさせる不安を増やして依存させ、金を巻き上げるだけだからいってはなりません。
このあたりの本をもとにいろいろ読んでみたほうがいいです。てか、本で十分です。
ちょっと調べたけど「日本人は普段死を意識しないようにしているため宗教を持たない」という考察があった
あわててドッペルに連絡を入れる。
「もしもし」
「ドッペル、いまどこにいる?」
「家にいるよ。この時期になると親がなぜか外出させてくれなくて」
「よし、今日はそのまま家にいて、誰が来ても迎え入れるんじゃないぞ」
「サンタも?」
「サンタは訪ねるとき、わざわざ住人に尋ねたりしないんだよ。合法侵入なんだから」
「それもそっか」
ひとまず、これで時間は稼げる。
ツクヒを見つけだし、サンタの暴露話を思いとどまらせなければならない。
だが、そんなことができるのだろうか。
俺は少し冷静になって、“本当の意味で根本的な問題”について考えた。
『いずれドッペルも分かることだ、マスダ! 止められると思うなよ』
実際問題、ツクヒを止めたところで、ドッペルもいつかはサンタの存在に気づく日が来る。
その日がいつなら良いのか、誰も正確な答えは知らない。
仮に答えがあったとして、そこまでして隠す意義があるのか。
そもそも、サンタなんて虚構の存在を作り上げて、それで俺たち子供を騙して何の意味がある。
ただツクヒを無粋だからといって止めるのは、本当に正しいことなのか。
俺はその答えを出せない。
それでも心のどこかで、ツクヒを止めなければならないという思いが歩みを止めさせないでいた。
俺自身が迷っているのに、仲間たちを呼んで協力を仰ぐのは憚られた。
アテもなく、俺は一人でツクヒの捜索を始める。
別に悪いことをやっているわけじゃないけど、あいつがやってると何だかすごく胡散臭いな。
「おや、マスダくん。クリスマスだというのに浮かない顔ですね。プレゼントのアテが外れたとか?」
「そうじゃないよ。あんたこそ他宗教の文化に参加するなんて大丈夫なのか?」
「生活教は、他の宗教に寛容です。それが人々の生活を彩るものであれば、文化や風習においても同様なのです。だからクリスマスを祝っても何ら問題ありません」
「随分とフットワークが軽いんだな」
「まあここだけの話。新興宗教は歴史のある信仰や、科学などの体系と真っ向から戦うと排除される運命しかないので。柔軟剤入り洗剤のように、しなやかでクリーンであることに努めないとやっていけません」
好き勝手やっているように見えて、宗教って割と不自由なんだな。
俺は、それがまるでサンタみたいだと思った。
「俺たちのクリスマスには、主とかは出てこないけどさ。なんというか、サンタって信仰そのものだよな」
思わず吐露してしまったが、我ながら教祖相手に何を言っているんだか。
「ふーむ……確かに。サンタは、信じることの尊さを学ぶ上では大きな存在ですね」
だが教祖は意外にも真面目に答えた。
「時に虚構というものは、人々が何かを学ぶことに大きく貢献しています。基本的に嘘は良くないことですが、それでもサンタという存在を守ろうとするのは、そこに何か大事なものがあるからでは?」
「プレゼントとか?」
「まあ……それもあるでしょうけれども。私の立場では、そういったものに明確な答えを出すわけにはいかないので……」
たぶん、俺がツクヒを止めようとしているのも、そのためなんだ。
答えはまだ出ないけど、道筋は見えたような気がした。
「よし、クリスマスが過ぎるまでに何とかしないと」
ん、どういうことだ?
「クリスマスの時期は宗教によって異なるので、別にテキトーにやっても大丈夫です」
そうそう。
結婚式→日本では人前式が一般的なところ、キリスト教が神との契約であったため無理やり神前式を作り上げた
葬式→喪服は白。神道においては死は穢れであるため遠ざけられたところを、突然「英霊」という概念を持ち出した。靖国神社なんて神道的には邪道。
出雲大社もいきなりそうした従来神道と全く違った解釈を政治的に押し付けられたので、もともとの流派が一時期分岐して宗教を作ったので新興宗教扱いされていた。
同性愛や売春についてもキリスト教がそれを悪としてたから突然悪にされた。
そういうの知らないふりして何が伝統だか。
いやよく読めって、本題はそこじゃなくてその次
「自分が信仰もしていない宗教やその信者に一応敬意を払うのはなぜか?」って部分な
「自分も一応仏教とか神道とか信じてるから」とかであっさり済むような問題じゃねーぞ
イスラームで言ったら、世界的に信者も多いからあまりバカにするとまずいし、
最悪、悪魔の詩のアレみたいに、イランあたりから暗殺者が送り込まれたらマジでヤバいからだろ?
あるいは欧米で白人がそう決めたから、それに乗っかってただ無批判に従ってるだけというのもあるな
いずれにせよ重要なのは、決してあらゆる宗教に無条件で敬意が払われるわけではないという点だ
実際、これがマイナーな新興宗教だと、必ずしもそうじゃなくなる
例えば幸福の科学だったら、イタコ芸とか言って、みんな割と堂々とバカにしてるよね?
でも創価学会はタブーがあって、集団ストーキングしてくるかわからんからほどほどにしておくのか?
昔のオウム真理教みたいに、対立する人間をガチで殺しに来るような奴らだったら黙るのか?
もしアニメにもそんな狂信者がゴロゴロいて、ちょっとバカにしようものなら即炎上させて回り、
万一住所が漏れたら何されるかわかんなかったらどうする?
かりに、疑ってやるにしても、過度の不安でチャンスをつぶすということだ。
でも、霊感商法(ついでに悪い自己啓発セミナー)は不安が去ってしまえば金がとれないから次の不安を持ってくる。そもそも、問題解決してないのだから不安は消えない。
仏教には三毒六煩悩と言って、これがあると苦しむというのがある。
貪瞋痴慢疑邪見、怒り、欲望、迷い、自惚れ、疑い、刺激物を見る
不安は「疑」だね。毒までいかないが、過剰になるとやっぱり苦しめる。
苦しむと、それにとらわれて、事実を見れなくなる。
不安に囚われまくってる奴は、それが故に不幸になる。
ポジティブな人とネガティブな人に、新聞中の画像の数をカウントしろというテストをさせた。
だけど、実は、その途中のページにでかでかと「テストをやめてください。画像の数は何枚です。試験官に報告してください」と書いてあった。
ポジティブな人のほうがそれを見つけて報告しに行く率が高かった。ネガティブな人はそれに気づかなかった。
過度な不安は眼を曇らせ、チャンスに気づかなくさせる。
だけど、新興宗教は霊感商法であることが非常に多く、それはありもしない不安を煽るものであることが多い。
でも、不安にまみれているのは快感でもあるんだよね。だから、不幸な自分に酔って、依存させる。それが霊感商法。
身内にいるんだわ。
誰々の先祖の霊障がーみたいなものなんざ有りもしないと断言していいが。
新興宗教って大概霊がどうのこのうのの話だろ?
その前にお前捨てるものちゃんと捨てろ、片付けろ。そのための時間をとれと思うな。
だけど、それは当人ができないからさせない。それより、先祖の霊障のせいにして、あなたは頑張ってる。だが、もっと金を出して払わなくというのが霊感商法。
そいつへの反発でむしろ既存宗教(とくに仏教)に詳しくなったな。
もちろん、その上で形骸化している既存宗教と、書物はいっぱいあることがわかったから、今の時代宗教の教えは大量の本を読むのがいいという結論になってる。
今の時代でも正しい教えをとく人はいるが、それは大々的な宗教設備を構えている人ではなく淡々と書物を書く僧侶だと思う。
金も安いし。
創始者=神のタイプの宗教で、創始者が亡くなった後に、その宗教を信じ始める心情が理解出来ない。
創始者が数々の奇跡を起こしたと聖典に書いてあっても、それが真実だと担保するのは、布教者であり、神本人ではない。
例えば、どこかの詐欺師が、適当な聖典をでっち上げて、布教を始めたとしても、「本当に創始者=神だった宗教」の布教者と見分ける方法は、無い。
たとえ創始者=神の宗教があったとしても、宗教が生まれてから、長い年月が経過すれば、現在の教えが、創始者の教えと同一である保証は全くない。
「創始者が書いた聖典に従って生きれば大丈夫だ」という意見もあるだろう。しかし、その聖典が本物である証拠は、あるのだろうか?信者になる前に、考古学を究め、その聖典が本物だと確信してから、信者となるのだろうか?創始者が書いたことが確定しても、所詮は筆記記録でしかなく、大昔の御伽噺と区別する方法は、結局存在しない。
一方、創始者(=神)である宗教ならば、神本人が奇跡を起こせばいいし、教義の解釈に迷っても、神本人に聞けばいい。
歴史ある宗教でも、現代の指導者が奇跡を起こしているから、信じるに値するという意見もあるだろう。それは、否定しない。否定しないが、信じていいのは、その奇跡を直接目撃しかつ、それがトリックではないと確信に至った人だけであり、それ以外の人は、その宗教の広報を無根拠に盲信しているだけだ。
別に宗教を否定したいわけではない。人生の一つの道しるべとするのは、個人の自由だ。ただ、「歴史ある宗教は全て問題ないけど、新興宗教は全て胡散臭い」というのは、不公平なのは、間違いない。歴史の新旧だけで、宗教を語るのは、盲目的歴史信者だろう。
御成敗式目は「道理」と「先例」に基づいているというのは中学校とかで習うことだが、これに典型的に表れているのだが、日本では「思想を持たない」というのが思想であるわけだ。武士社会に通底する何等かの思想があってその思想を法律として表現したものではなかったわけで。
例えば過去中国ではあらゆる法律と制度が天命思想に基づいていることは当然のこととされていた。この為天命思想の確立に力添えをしてきた時代ごとの思想家たちが偉大な思想家として記憶されている。現代中国では天命思想は否定されている。しかし、思想に基づき国家が統治されるというのは今でも常識であり、だからこそこの前の党大会で習近平思想の扱いがどうなるかが注目されたわけだ。
では遠くヨーロッパを眺めてみればどうかと言えば、メルケルの発言を見てみればよい。
ヨーロッパがキリスト教クラブでないというのは正しい。しかしヨーロッパが人権と市民権を基本とするというのもまた事実です。そしてここドイツでは、人権と市民権をキリスト教的人間像に重ねているのです
ここでは明確にキリスト教という思想(思想と宗教を区別する人たちも世の中にはいるがあえて区別する必要はないと俺は思う)に基づいて統治が行われることが宣言されている。だいたいメルケルの政党の名前からして「キリスト教民主同盟」なわけで。
このような考え方があるため、ヨーロッパにおいても偉大な思想家というのが度々現れる。
思想とはもちろん政治思想だけを指すのではない。だが、個人の生き方という面でも日本では思想は明確に否定される。状況に応じて態度を切り替えられる人間が通常日本社会ではまともな人間として扱われるのであって、強固な信仰や思想に基づいて一貫性のある立場を取ろうとする人間はあまり高く評価されない。究極のプラグマティズムであり、究極の事大主義だ。
こうした社会においては「偉大な思想家」は存在し得ない。このような社会の状況を言論で表現する学者は過去様々に存在していたが、当然ながらそのような人たちは記憶されることもない。
一向宗や創価学会など政治的に大きな影響を振るった新興宗教もいくらかあったが、結局のところ日本社会の伝統に破れていった。石山合戦は織田信長の勝利に終わったし、公明党は池田思想を捨てて自民党の改憲、軍拡に追従する勢力となった。その自民党にしたところで明確な戦前回帰のような思想があるわけでもなく(故に日本会議のイデオローグたちは安倍政権に批判的である)たんに「アメリカに言われたから」とか「北朝鮮が」「中国が」などという状況に反射的に対応しているにすぎない。
かつては、オタクの道を生きる人々の憩いの場であった日本のサブカルチャー。
無理もありません。
私たちは、子供の頃、子供にこんなケシカランものは見せないべきという声も聴かされ、「常に苦しんでいた」と涙ながらに訴える彼らによって、その無垢な心に羞恥の杭を打ち込まれてきました。
それがどうでしょうか?
アニオタ害悪説は、とある雑誌のゴシップによって広められた作り話でした…。
差別も何も、もともと彼らは社会的地位を持っていませんでした…。
サブカルチャー層のほとんどは、はじめからその道での生活を望んでいた人々であり、そんな彼らに日本は殆ど口出しをしませんでした。にも関わらず、ゴシップによってその偏見が植え付けられたのです。
それだけではありません。
そして、その文化を支えてきたのは左翼であり、かつての作家の多くは、左翼出身者が大半であった事…。
サブカルチャーに対する誹謗の多くが、右巻きによって引き起こされていた事…。
1990年代の新興宗教の暴徒化は、左派や右派による宗教団体の操縦に端を発していた事…。
彼らは、日陰者を演じる事によって不都合な歴史を隠蔽し、「文化性」を掲げる事によって、自らの現実を否定してきたのです。
私たちは、彼らの都合の為にサブカルチャーに金をつぎ込み、あたかもそれが日本の大衆文化であるようにさせてきたのです…。
この事実が明らかになるに連れ、SNSの雰囲気は変わり始めました。
「俺たちは知らなかった!」という驚嘆の声が上がり、サブカルチャーは大衆社会からのへの中傷と罵倒で満ち始めました。
手駒の様に人材や精神性を使い捨てる彼ら。その彼らの戦略には、一つの大きな誤算がありました。
それは、世界の大衆が事実に気づいた時、サブカルチャーに対してどんな感情を抱くようになるか、計算に入れていなかったという点です。実に、彼らの誤算が、若者をサブカルチャー市民から非市民へと一変させてしまったのです。
このような経緯を承知している為、私は、サブカルチャーのわかり辛さを理解する事はできます。
自らの正体を“一般人”というマントを羽織ることによっておおい隠し、自らの立場を“リア充”という盾を掲げる事で守り、自らの行動を“木鐸”という装飾を施す事で正当化してきた人々に、誹謗発言を浴びせて何の効果があるのでしょう?
例え誹謗する側に理があろうとも、誹謗発言を行えば、第三者には精神障害者が一方的に迫害しているようにしか見えません。
これでは、彼らの正体をおおい隠す“一般人”のマントが、より厚みを増してしまうだけです。
“リア充”の盾を構え、“木鐸”の剣を奮う者に、中傷の弾丸や罵倒の投石を浴びせた所で、
「サブカルチャーの精神異常ぶりは、かくの如き酷きもの」と、その盾をより強固に、その剣をより鋭利にする口実を与えてしまうだけです。
放った無数の弾丸は、彼らの盾を貫く所か、盾を補強する鋲にしかなりえません。
投げ付けた投石は、彼らの剣をへし折る所か、刃を磨き上げる砥石にしかなりえません。
サブカルチャーの過激ぶりが進行するほど、彼らの「一般人」という名の武装は強化されてしまうのです。
事実、彼らは右派を味方に付け、サブカルチャーの居場所を潰す事に成功しつつあるのです。
今後、サブカルチャーが“現実を省みない行動によって”彼らを助け続ける限り、
我々は、世界から精神異常者という汚名を受けながら、既に蝕まれた社会の中で、未来の自分たちに奴隷としての道を歩ませる事になるでしょう。
もし、それを憂うならば、どうか暴走を止めて下さい!