はてなキーワード: 新興宗教とは
20代の頃から世間の笑いが分からないまま30代に入った俺からしたらおっさんはクソ雑魚すぎるよ
世間からの疎外感があるみたいだけど、そんなもん年取ったらみんな感じることだから
芸能人やお笑い芸人が面白いと感じなくなるのも全くもって普通だから
要は、蓄積なんだよ
おっさんは経験値が溜まりすぎたせいで感性がレベルアップしてんの
そうなると今度はもっと強い敵と戦わなきゃいけんわけ
選挙に行けば、母方からは公明党に入れろといわれ、父方には母親の言うことを聞かなくてもいいのよ、出来れば自民にいれれば。と言われてきた。
その反発もあってか、リベラル系や共産に人を選んで入れていたように思う。
母親の付き合いもあって、どうしても創価学会の人と飲みに行かないと行けないことがあって嫌々ながらも会社の飲み会の延長戦だと思って頑張って飲みに行った。
初めは気を使っていたけれども、酔うと大きくなる僕の悪い癖が出て、学生運動の話をしたんだ。
やっぱり、キツイ仕事は嫌だし、給料が低いのは嫌だって言ってた。だから労働組合の会長をやっていると。
きっと創価の家系だからそう思うんだとか、言われるんだろうけど、創価の子供ほどネットで創価学会を知って嫌になる子は多いよ。
久しぶりに遊んだ友人がちょいちょい気になる事を言うのでイライラした話。
話の流れで宗教の話になって「うち親が結構そういう偏見持ってる家で~」からの
新興宗教批判を始めておいおいおいおいまわりにその信者いたらどうするんだよと
焦って早々に話を切った。
細い道で前の人達が写真を撮るのに立ち止まってしまって、それを待っていたら
後ろのカップルから結構口汚く文句言われたそうで(直接ではなく後ろから聞こえるように言われた)
「前がつっかえていたからだし自分達のせいじゃないし。だからブスなんだよ」
とっさに「いや美人でも口汚いやつはいるし性格悪いのとブスなのとまじで関係ないから」と言ったのだが
10年以上の付き合いだけどそうやって容姿に結び付けて文句言うような人だと
立ち入り禁止のところに立ち入って記念撮影なぞしている人達を見て
(場所柄的にもわざわざ外国人がそんな大量に観光に訪れるような場所でもないし
そこに来るまで中国語も聞いてないし格好も今時の日本人ぽい服装だったので)
「いや、あれ多分日本人もいるよ」と言ったら「そうかな」と言いつつ、
「それ日本人でもみるやつだねー」と相槌をうってたら
その後親が子を抱えて立ち入り禁止のところに立たせて記念撮影していたのを見てまた
「あぁいうのやるのは中国人しかいない。本当に何考えているんだろうね危ない」
と言うので「いや、今のはまんま日本人親子だよ。めっちゃ流暢な日本語で『ほらここ立って!』て言ってたよ」
と言ったら「え、そうなの。聞こえなかった」と知らんふりするしで
色々出てくるなあ というわけで追加
Tatsuo Shibata
@tstateiwa
医学部出身のホラッチョ斉藤はMPUの素人に過ぎない。小保方事件の時もそう思ったが、問題は、政府がなぜ簡単に騙されてしまうのかということだ。
最近の産業界も学界もマスメディアも、インチキなモノが新興宗教のオカルトの如く跳梁跋扈するようになった。論文偽造・改竄は当たり前の時代だ。補助金詐欺や不正使用は後を他絶たない。量子コンピューター、AI、ビッグデータ、IoT、自動運転、電気自動車、反原子力、自然エネルギー発電、等々。
自分が無能で役立たずで意味のない人間のように思えてしまって死にたくもなったけど、結局それじゃあ三浦綾子がこの本で書いたことを無視することになるし、どうにかして生きるしかないと思った
キリスト教についてなにも知らなかったけど少なくとも悪いイメージではなくいいイメージとして知識を蓄えられたと思う
別にこれ読んでいますぐクリスチャンになりたい!とは思わなかったけれど、今までなんとなく怪しいと感じていた宗教観を持っている人のこと、少しわかったような気がした
日本人のクリスチャンは人口の1%だってあとで調べて知った時は、なんでそんなに少ないんだろうとは感じた
>よくよく考えた上で死にたくないという結論
に、なってしまうのが
老人になると今よりもずっと前頭葉は萎縮している。
よくよく考える精度も下がる。
そうなった以上はいくら考えたところで、
本来死に対する姿勢というのは25歳~35歳までの能力で決めておくべきことなんだ。
大抵の国民は宗教によって、またこれも洗脳ではあるが、決められている。
死をどうやって受け入れるかを考える機会を与えている。
しかし普段から宗教から離れている日本人たちは幼少から肉体的全盛期において
死について深く語ろうとしない、考えようとしない。
死について考えない限りは宗教にも関わることはできない。
新興宗教が流行りやすい土壌も、死について考える機会が日本人には圧倒的に欠けているからだ。
西洋人は日本人から宗教、死について考えることを徹底的に取り上げた。
戦時下の戦争に向かう日本人は死ねば靖国で会えるという単純でシンプルな答えがあった。
死は恐ろしいものではあるが、靖国で会うという合意と認識がされていた。
彼らは自分たち専用の宗教サークルを作って、そこで死に対してお互いを慰め合ってる。
色白でない人は女サボってるみたいな風潮で、
私みたいに日焼け止めに弱くてすぐ日焼けするのになかなか褪せない肌はどマイナーで受けないよ。
色白はいいよね。七難隠すとまで言われてるし。
相当頭が疲れてるんだろう。
ましてやこんな自分はダメだと考えること自体が疲れる行為だしな。
かなり鬱くさい。周りが病院にいけというが、俺もそう思う。
それすらもできないのなら、まずは、深呼吸と、頭の方に行く血流、脈動に意識を集中する習慣をつけろ。
あれは本質的に脳疲労の低減だと思う。
久賀谷亮「世界のエリートがやっている最高の休息法」がおすすめ。
ビタミンCのサプリをガバガバとれ。かむかむレモンとかだったら大体のスーパーでもうってると思う。
で、そうやって落ち着いてきたら病院だというのだが、どうでもいいところをどうでもいいと切り分けて、どうでもいいところはどうでもいいと思うように変えていくべき。
「こう思われたい」「こうでないとならない」というのは仏教で慢の感情と言って、それまた苦しむ要因なんだ。
特に今だいぶ頭が働かなくなって、体も動かない。こうあるべきとの差が大きくて苦しんでるんだろう。
人間そういうものだと思って、できるところからやっていったほうがいい。
最後に、今、霊感商法、新興宗教、自己啓発セミナーには絶対行くな。このへんのは本だけで十分だ。
むしろ、霊感商法などってのは上記の「こう思われたい」というのを全面的に認めておだてる。
あなたみたいな苦しんでる人は完全な鴨で、落とすマニュアルは完備している。
あなたは「一切何も」悪くない。先祖の霊障だとかを原因だという。金だけだして、その人の本質を全く変えない。
周りの嫌われる要素はそのままだ。
客の金を持ち逃げして破産宣告して返済踏み倒すフラグ立ってるようだ。わら。
「VR通貨」とか言っていればなんだか怪しい感じになるので被害者も少なかっただろうに。多分。
基本的に普通の常識があれば「ちょっと下調べすれば虚業の可能性が高い事がわかる」ので引っ掛かるほうが悪い懸案だが、コインチェック事件はテレビで大々的に宣伝していた最中での事なので、長い人生で悪人に出会った事の無い微温湯人生を送ってきた人と年金持て余す呆け老人は引っ掛かっても仕方がない悪質なものだ。多分これから露呈していくことになると思うがコインチェックのコアメンバーは相当黒い連中の筈だで、破綻して踏み倒すことも計算ずくだった筈だ。職業詐欺師の間ではマニュアルの1ページ目に書かれている事だからだ。コインチェックの背後に何者がいるのかで事件の深刻度は変わるかもしれない。
取引所の問題というより「仮想通貨という概念ビジネス」に不信感を抱かない被害者が問題と思う。
…仮に仮想通貨を「ゼニー」としよう。
ゼニーはネットゲームのRMT(リアルマネートレーディング)が出来ます。
…まぁネトゲ重課金ユーザーなら100万1000万出すのかもしれないけど(笑)。
仮想通貨はこれを貨幣価値が主張できる程度のシステムを整えただけのものだ。しかし概ね前例のなかったもので、あるとすれば出資金詐欺とか幸運を呼ぶ壺とか新興宗教のお布施とかだ。仮想通貨はそれらとは違うといったポーズを取っているだけのもので、現時点で合法なのも単に法整備が追い付いていないだけだ。
そういった仮想通貨は未完成ゆえに穴だらけだし、そういった新興事業に即座に手を出すのはチンピラかゴロだけだ。DMMだって元々はアダルトサイトだし、もちろんコインチェックのクソガキ社長も見るからにウェーイ系クズだ。
別に仮想通貨が悪いわけじゃない。スマホゲーのガチャだって別に悪くないんだし。
しかしこういった事件は、被害者が悪党に追い銭投げつけて文句言っているような、悪い奴がのさばる原因になる事なので、被害者の馬鹿さ加減には少々腹が立つ。
ボードゲームってなに?と聞いたら人生ゲームみたいなやつといわれ、
人生ゲーム大好きなので行ってみようと思った。
「人生ゲーム好きです、子ども増やして車に乗り切れなくなるの楽しい」
と言ったら怪訝な顔をされたけど、調べてわかった。
お金を稼ぐにはどうしたら良いかという仕組みを知るゲームだった。
有名な本を元に作られたゲームらしく。
(そのままお金にするとなんかアレだからチーズにしたのかな?)
に持っていきましょう、
まあ有名らしいから、知っている方も多いと思うんだけど。
(私は知らなかったけど)
自分の買った株や住居が何倍にもなったり、
一応ゴールできたしね。
多い人は5年くらいずっとやっているって。
少ない人も10回くらいやっているって。
毎月毎月このゲームのために集まるって謎。
「ネットワークビジネスの勧誘が多い」だった。
と思っていた。(ネットワークビジネスは嫌いです。)
でもそんなこともなかった。
一緒に来た人に、
「キャッシュフローゲームが好きってことは株とかFXとかやってるの?
それかなんか他の副収入あったりするの??」
って聞いても、
「やってないよー、現実だとなかなかね」ってそれだけ。
え、じゃあなんのためにやっているの????
毎月20人くらい集まってキャッシュフローゲームをやっていて、
ネットワークビジネスの勧誘もなく、個人で投資をやるわけでもなく、
では一体何のためにやっているんだ……謎。
「来月もこれる?」って聞かれたから、
それとも本当に純粋にこのゲームだけを楽しんでいるんだろうか?
ちなみに、その社会人サークル主催の大人数の飲み会も一回行った事あるけど、
お金をかけずに貧乏から金持ちへの成り上がりを疑似体験できるから楽しいの???
わからない。
健全そうに見えるけど、腹の底が見えないから全然健全に見えない。
そのサークルの人、本当にみんなめちゃくちゃ良い人なんだよ。
いつも笑顔で、気さくで、みんなで仲良くなろう、みたいな。
なんかの新興宗教がバックにいるのかな、とか、
つい思ってしまう私の心が汚れているのか。
今の日本は、貧しい人が増え、彼らは明日への希望を見出せないまま生きる。一方で、少しでも豊かで生活が安定している人間は、自分たちの安定した生活を守る事ばかりを考え、困っている人たちを助けようとする人間は少ない。
その結果、日本全体が保身的になり、より一層悪い方向に向かっている。
貧しい人も、豊かな人も、共通して言えるのは、未来に対する不安だ。
そんな日本を救うのは、聖徳太子の時代より日本に伝わる仏教経典である法華経であると、私は信じる。
法華経は、不安に満ちたこの世界こそ、釈尊のおられる浄土であると説く。
本当はもっと楽で、楽しみに満ちた世界に生まれる事もできたのだが、我々は、何の因果か、わざわざこの不安に満ちた境遇に生まれてきた。
なぜなら我々自身に与えられた不安、例えば家族の事とか、仕事の事とか、そう言った問題の一つ一つが、我々に自身に与えられた課題であり、その課題を解決するために我々はわざわざ好んでこの地に降り立ったのだ。
法華経によってそのような考えに至ってから、私は前よりも生き生きと暮らせるようになったし、そうしたら、気持ちの持ちようは実際の生活も変えさえて、以前は貧しかったけれど、どんどん暮らし向きも良くなって言った。
法華経は新興宗教も含めていろんな宗派が信じているから、時には胡散臭く思えるかもしれないけれど、この教えは何も奇跡を必要としない宗教だ。
別段仮想通貨が悪いとは思わないし、21世紀の新しい通貨体型であるとすれば私の考えは旧時代的で、遅れているものなのかもしれない。それならば、この投稿は滑稽極まりないものだろう。けれども、SNS(特にTwitter)上で見かける仮想通貨とその取り巻きの言行を見ていて、心底薄気味悪い感情を抱かずに、それを吐露せずにはいられなかった。
仮想通貨とは、国家の(法的な)保証がある法定通貨とは違い、それらがなく、国家に依存しない自由な通貨であるとされている。しかし、現状は決済手段としての通貨、というよりも資産運用のための、投機商品としての「通貨」という面が強いのではないだろうか。
普通の、法定通貨は国家がその価値を保証することによって、使用者である国民が信用し通用してしているわけだが、国家の保証を持たない仮想通貨の価値は、その当該仮想通貨に対する利用者の信用・信頼に依存しており、それゆえに仮想通貨の価値イコール仮想通貨への信用度ないしは期待値である。よって、期待値が上がれば高騰(騰貴)するが、今般の取引所の取り付け騒ぎのように、仮想通貨全体の信用を揺るがすようなことがあれば、また仮想通貨そのものに対する期待が下がれば、当然暴落(下落)する。
期待を集めれば、利用者が増えれば価値が上がる「通貨」の構造上、囲い込みが日夜繰り広げられており、その様相はさながら陣取りゲームのようである。通貨名については伏せるが、コミュニティ内において(抽選等によって)参加した数名に対して時には100万単位(日本円換算では10万円前後)でコインをばら撒く、「通貨」を手放さないようにコミュニティメンバーに対してホールドするように呼びかける、「通貨」が上場予定だからこの先も騰貴する可能性が高いと主張する、自己が所有する「通貨」の優位性(数ヶ月で10倍、100倍になったなど)をアピールする、などがコインをばら撒いているような大量保有者のみならず、少量の、始めたばかりと思しき人も行っており、陣営の上層部から末端に至るまで、「通貨」に対する勧誘、そして陣営の維持拡大がなされている。
傍から見る限りでは、宗教または連鎖販売取引の勧誘のように見えて仕方がない。この「通貨」を信じれば(ホールドして上場を待てば)貴方にはこんなにも利益が得られる、などとのたまうのは完全に新興宗教の勧誘そのものではないのか。それらをSNS上で目撃する度に、薄気味悪い感情を抱かずにはいられないのである。
勿論、「通貨」が上場してもっと多くの利用者が集まれば、利益そのものは出るかもしれない。嘘は言っていないのかもしれない。けれども、大幅に利益が出るのは初期に所有し始めたような大量保有者である。末端の利用者はたとえ数倍に騰貴したとしても自身が所有する――少量の――分しか利益は当然に出ないのである。
仮想通貨を持たない、参加しない人間の僻みやっかみであると認識されても結構であるのだが、少し仮想通貨に熱を上げ過ぎて、日々の生活が蝕まれていないのか、生活が仮想通貨と一体化していないか、仮想通貨で生活(人生)を賭けて半丁博打をなされている人間がとても心配である。
平安時代にお坊さんをやっていた記憶があるという話についてTwitterでの質問と回答
http://magurojuice.blog.shinobi.jp/Entry/19/
上記のやり取りや内容は特に面白くなかったのだけど、ブコメやツイッターでも評価が真っ二つで面白い。
「BIG FISH」という映画・小説は読んだことあるだろうか。
簡単に言えば「おとぎ話の様な人生はおくれないかもしれないが、人生をおとぎ話の様に語ることはできるよ」ってだけの話で
これが評価が両極端。
主人公は子供の頃から巨人男や狼男や魔女等が出てくる父親の創作話にうんざりしていたのだけど、父親が死にそうになって身辺整理をし始めたら魔女や狼男は出てこないにしても、似た様な人間が周りにたくさんいて父親は案外嘘つきではなかったのかもしれないな、と主人公が思う話。
息子側に感情移入すれば実際大人になった自分や親戚たちに自分のどうでもいい出来事をおとぎ話の様に喋られたら、息子としては「もう勘弁してくれ」と思うだろうし
おとぎ話を話続けた父親側に感情移入すれば、本当は語れる程何もなかった自分の人生を語らなければならない時に少しだけアクセントを加えてちょっとだけ面白くなる様に話をしただけ。
息子と父親、どちらが悪でどちらが善ではない。
父親を「夢ばかり見ていて大人になれなかったクズ」呼ばわりして評価する人もいれば、息子が冷酷すぎて父親がかわいそうだと評価する人もいる。
今回の前世の記憶がどうとかってのを楽しめない・ニセ科学や新興宗教を心配する人はきっと息子側で現実主義者なだけで別に間違ってはいないと思う。
楽しめる人は父親側で、自分の特に波のなかった人生を少しだけでも面白く語れる人なのかもしれない。
内容は違うのに、評価が少し似ているなと思った。
1,やたらに、人が多すぎ
2,駅前は、スーパーと量販店と商店街だけで、別に、他と変わらないよ
3,駅前の歓楽街の客引き、「お触りありますよ」「ガールズバーありますよ」、怖いよ。いつも、無視してるけど
4,マクドナルドの店員、外国人が多い。JR吉祥寺の近くの日高屋、深夜の店員、外国人バイトが多すぎ。ドン・キホーテも外国人バイト多いけどね
5,夜になると、駅ビル、キラリナの前で、胡散臭い新興宗教が、宣伝してるけど、気味悪く、怖いよ。
6,家のゴミを捨てる時、「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」「プラスティック」「びん・缶・古紙・古着・有害ごみ」って、ここまで分類する必要あるの?面倒臭い
先に断っておくが信者ではない。
本題に入ると、何がすごいってこの宗教の教えは自分の考える限り
を用いたメンタルケアをスピリチュアルな要素を織り交ぜて実行させていく。
※アドラー心理学については、嫌われる勇気 を読んで学んだくらいなのでご了承ください。
宗教 | メンタルケア |
---|---|
不安な時に心の中で言葉を唱える | 頭で考えなくさせるところがマインドフルネスに近い |
地域奉仕活動 | 人生のタスク |
家庭での役割の再認識と実践促進 | 人生のタスク |
他者・他宗教との和合奨励 | 人生のタスク |
身近なストレスに対処しつつ、長期的には共同体感覚を持つために仕向けているように思える。
更に言うと、自分からは嫌われる勇気などの自己啓発書を読まないような意識の高くない層も取り込んでいる。
そして、霊能などのスピリチュアルな要素を取り入れることで夢中で実践させる。
見ている感じ身ぐるみ剥がされるわけでもなさそう。
まあ、それ以外でも色々おせっかいすぎての人間トラブルがあったが。
著者は新興宗教に入っている人を親に持っている。だから、厄介な人、関わってはいけない人の線引がなかったと。(11話)
おれもまさにそのパターンだ。やっぱり、厄介な人、関わってはいけない人の線引がゆるい。
故に関わってはならんやつに関わって痛い目見てだわな。
「こうやったらうまくいくのに」を押し付けすぎる。自分自身も「こうしたらうまくいくのに」というアイデアがいろいろあって起業して頑張ってるという側面もあるが、今の世の中生きづらい。
うん。で、まあ、起業しているのはまあ、めんどくさいやつが多いので、周りも色々腫れ物に触るようにしてる感じはあるねwwww
他の起業しているやつに対する周りの反応を見ても。
日本では他人のプライドを傷つけないように、厄介なことにかかわらないのが最優先だ。そうして、自己愛暴走しているやつがところどころに村社会を作って、それを波風立てないように守る。
安全に生きるには嗅覚を持ってそういうヤバそうなところから離れられる。
そうして作られた日本は優しい社会ではあるし、厄介なものに対する嗅覚さえあれば幸せな社会なのだろうね。それがホワイト大企業になんとかして入って定年まで努めようという社会なんだろうね。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54011
エホバの証人では信者同士のことを「兄弟姉妹」と呼ぶのですが、
兄弟姉妹で集まって毎週集会を行い聖書の勉強をしたり、「奉仕」と呼ばれる布教活動を行ったりするくらいです。
争いや政治参加が禁止されているので、他の宗教団体と比べて派手な活動を行っていないし、有名な方もいないので、いたって地味な宗教です。
新興宗教には、メディアに厳しく目を光らせている団体も多いようですけれど、
エホバの証人ではそもそも争うことが禁じられているため、報道に対して、抗議することもありません。政治活動が禁止なので、どこかの政党を応援することもない。
信者をたくさん獲得しなさい、とか、いくらお金を収めなさい、とも言われないので、他の宗教とは違って社会問題にならず、「被害者の会」がないんです。
また、教祖はおらず、信者の集いというかたちです。正式名称が「ものみの塔聖書冊子協会」なのもその現れです。
小生、恥ずかしながらこの記事で初めてエホバの証人の実態を知ったのだけど、教えの内容はともかく、活動形態としては理想的な宗教団体なのかもと思ってしまった。