はてなキーワード: 新興宗教とは
何の気なしに訪問した家から出てきたのは、俺たちが知っている人物だった。
家の主は“生活教”とかいう、胡散臭い新興宗教の教祖だったのだ。
「勘弁してくれよ。こんなイベントに宗教家が出張ってくるとか」
「別に不思議でもないでしょう。そもそもハロウィンは魔を退けるための厳かな風習だったんですよ。日本で言えば盆みたいなものです」
なんで日本を例えに出した。
「ちゃんとした伝承に基づくものです。みんな発祥を知らないというだけで、この世で宗教が関係していたというものは意外と多いですよ。日本の謙虚なライフスタイルと通念は、とある仏教徒の唱えた説法の影響が大きいとされていますし」
なんで日本を例えに出した。
俺たちはあんたの話を聞きたいんじゃなくて、お菓子を貰いに来たんだ。
ウンザリした俺は、今回ばかりは弟がイタズラしてくれないものかと心の中で祈った。
「なんだって!? じゃあ、僕たちはハロウィンを間違ってやっているってことなのか。バカみたいじゃないか」
だが、意外にも弟がこれに食いついた。
なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ。
「いや……うーん……どう説明すればいいのやら……」
薀蓄程度のつもりで言ったから、そこまで食いついてくるとは思わなかったのだろう。
「私も詳しく知っているわけではないので滅多なことは言えませんよ……教義上、他宗教を否定はしないというだけで、すすんで調べるほど関心のある対象でもないので……」
「でも、今のハロウィンが本来の趣旨から外れているってことは確かなんでしょ?」
「まあ、それはそうなんですが、だからといってそれが悪いとは一概に……」
「それだけ分かれば十分だ。よし、今回のハロウィンは『お菓子祭り大作戦』じゃなく、『ハロウィンの真実キャンペーン』でいこう!」
おい、勘弁してくれよ。
これならまだイタズラで暴れてくれたほうが対処が楽で助かる。
「ああ、行ってしまった。じゃあ、お菓子はお兄さんに渡しておきますね」
「おい教祖よ。お前のせいで弟があんなことになったんだから、その始末をつけるべきじゃないか?」
「ええ? でも私は別に扇動したわけでも、洗脳したわけでもないですし……それに、これから来るであろう子供たちにお菓子をあげるため、家を離れるわけにも……」
「弟の行動力を甘く見るな。なまじイタズラとか諌めやすい行動じゃない分、なお性質が悪いことになるぞ」
西……さっき弟が走っていったのと逆方向だ。
あいつ、さては協力する気がないな。
俺は深くため息をつくと、袋をガサガサと鳴らしながら歩を進める。
こうして俺は、弟の捜索兼『ハロウィンの真実キャンペーン』の阻止とかいう、バカみたいな作戦をやる羽目になってしまうのであった。
アイドルにせよアニメにせよ、何かに没頭しているのは宗教と似ている。
好きなあの人を崇める。それがとても似ている。
更に、日本においては信仰は自由だ。どんな宗教を信仰していても本来は責められない。
それを踏まえても、「新しい地図」の活動やアプローチがとても新興宗教じみているように見える。
「新しい地図」「宗教」でツイッター検索しても同じようなことを考えている人が少なかったので、ここで吐き出す。
巨大な事務所から独立して、でも本当は一緒にやっていたマネージャーの会社に入って、
きっとその時できなかったSNSや発言をじゃんじゃんしている。
若い子だったら受け入れられるけど、40過ぎたおっさんがやっても、築きあげたブランドを少しずつそぎ落としているだけにみえる。
それに3人一緒って、それにずーーーーっと一緒にやってたマネージャーと一緒♡って子供かよw
それに「一緒に映画をつくりましょう!」「素敵な写真を送ってね!年間で一番を決めるよ!」って、
なんかすごい怖い。
そう、怖いんだ。
別に私が好きなグループの脅威になる気は全くしないんだけど(若さが違う)、そういう怖さじゃない。
ハーメルンの笛吹きみたいな怖さ。
盲目的に追いかけているファンを囲って、それだけのユートピアにしそうな感じ。
周りには高い塀を作って、自分たち【だけの】理想郷を作り上げちゃう。
やっていることが新興宗教。
教祖はだれだ?多分、彼らは広告塔で、教祖は全ての元凶のマネージャーだと思う。
だけど他のファンは、その彼女が若いグループの可能性を潰してきた無能マネージャーと言うのも知っている。
「差別的な戒律」って考え方自体が誰かが言ってたように西洋の一方的なものの見方なのでは。
人殺しとか社会に迷惑をかける新興宗教とかある程度のことは認められないから、
その部分についてはモスクだろうがなんだろうが介入するわけだけども
本質的には行かない自由が保証されている限り(参加するのが当たり前でない限り)
(もちろん無くしていこうという活動もあって、全体としてバランスを取るわけだがね)
ちょっとだけ危険だと思うのは、そういうちょっとした考え方のぶつかり合いや、
俺らの考え方が正しいのでそれをイスラムの人にまで信仰させようするのは
それはそれで何か違うと思うんだ。
たとえば、山の木を伐採しまくったとする。今でこそ科学的検証の積み重ねで、木の根の保水作業や、土壌保持能力が失ったと言われてるが、昔はそんなのわからない。
だから「山の神」というのを仮定して「それの意にそぐわないことをしたから怒った。木を大切にしないとならない。」という流れ。
対人関係も悪行ばかりしたことも、細かく分ければ、それぞれの個人が怒ったり、噂が流れて助けられるものが助けられなかったりで、
その結果、なにか不幸なことが起きたとして、「天罰」すなわち、神が罰を下した。と抽象的に取り扱うがゆえの存在。
ニュートンは近代科学の祖と言われるが、神学者でもあり「神が作ったこの世の理を明らかにする」という動機付けで行われている。
そして、科学的検証が行われて行って、科学的検証が馴染むようなものは科学の手に委ねてきた。しかし、要因が多く絡む要素。再現が苦手な要素については科学は苦手とする。
科学で立証しづらく立証されてないものはどうなるか?とすると、たとえば、根拠に基づく医療のエビデンスレベルで、
2a ランダム割付を伴わない同時コントロールを伴うコホート研究(前向き研究、prospective study, concurrent cohort studyなど
2b ランダム割付を伴わない過去のコントロールを伴うコホート研究(historical cohort study, retrospective cohort studyなど)
その道に詳しい人というのは昔の聖人と呼ばれる人。
西洋、イスラム圏だとみんなアブラハムの宗教で、その聖人たち。
特に幸福論とか、どういう生き方がよいかなんてのは科学に馴染まんから、まだ宗教の担当なだけ。
と言っても、儒教、仏教の開祖こと、孔子やブッダは「怪物乱心を語らず(孔子)」「毒矢の例え(ブッダ)」で挙げられるようにこの世に在らざるものに非常にドライ。
ただ、儒教や仏教がもともと「わからんものを取り扱うための手法」「先祖礼拝」の道教、ジャイナ教や神道と混ざって、この世に在らざるものを取り扱うようになった。
まあ、日本においてはGHQで道徳関連がみんな教育から消え去ったのもあったのが一回りしての新興宗教ブームだとは思うね。
本来あんな新興宗教に頼らなくても、良い生き方はそれ以前の書籍には数多く取り扱われてる。
と言ってもどうせ孔子もブッタもこの世にはいないんだ。今その教えを伝えてるという人も書籍によらざるをえないから、宗教団体に属する必要性はないね。
子供ができた。
産まれるのはまだ先なので、夫婦間で名づけについてはまだ話し合っていない。
というか、お互い牽制しあっているといったほうが正しい気がする。
なぜなら、自分は「字画なんてまったくもって興味なし。好きな名前を付けたらいい。」という考えに対し、
相手は「字画は重要。それに合わせて名前またはつかう漢字を考えるべき。」という考えだからだ。
以前、何気ない会話の中でこのお互いのスタンスを話した。
そのときはまだ子供を作ろうとしていなかったので、気軽にこういう話ができた。
ただ、お互い「へーぇ」と言いながら、心の中では引っかかる部分があったんだろう。
その後もたまに話したが、「字画なんてどうでもいい」「いや、字画は重要だ」の平行線だった。
でもそろそろこの問題に対して真面目に取り組まなくてはいけない。
あたりまえだけど、わざと悪い字画の名前を付けたいわけじゃない。
そもそも、字画の概念は誰が言い出したのか、根拠は何なのか、まったくわからないのが気に食わない。
(私の調査不足かもしれないけど)
私の中では、血液型占いや、荒唐無稽な新興宗教の教義と同レベルだ。
どこぞのオッサン(おばさんかも、じいさんかも、ねーちゃんかもしれないが)の根拠もない戯言に
なぜ我が子の、大切な、一生を共にする名前にケチをつけられなきゃいけない?
親(自分たち)の考えより、見ず知らずの赤の他人の、根拠も何もない言葉のほうが大切なのか?
この子は私たちの子だ。会ったこともない奴の謎理論がなぜ介入してくる。
昔は神社やお寺に行って名前をもらうこともあったとかいうのは知ってる。
だけどそれとこれとは別次元だ。
世の中には、字画を妄信して、他人の姓名判断までしてくる有難迷惑な奴がいるのもわかってる。
何よりも大切な我が子だ。
理由があろうがなかろうが「悪い」より「良い」方が良いに決まってる。
それでも、何から何まで「最高」にはできないのだよ。
字画のために、読みを、漢字の意味を、私たちの想いを犠牲にするのか?
私はそれが我慢ならない。
以前増田に「新興宗教がいかがわしいのは個人崇拝の色が残っているから」的な投稿がありました。
自分も同じ考えで、歴史の浅い宗教だと、とにかく教祖や何代目かが言うことは絶対になりがちです。
これの何が問題かというと、外から見た場合、向こうがどういう基準で動くかわからない、
なんせ上にいるやつの気分次第だから、これが実に厄介なわけです。
こういうことを考えるのは、そもそも自分が人間不信気味だからかもしれませんが、
人間のそれも感情に依存するシステムというのは、それだけでクソの極みだと思うのです。
名君というのは、どうにでも悪用できるシステムをうまく運用しただけで、
名君がいたからといって、システムまでいいということにはなりません。
そいつの息子がアホということも割とあるし、気まぐれで重税だの処刑だのやられちゃかなわん。
例えば自分は、同じ人の権利を抑えようとする勢力でも、今の日本でポリコレうるさい人に比べれば、
キリスト教保守とかイスラームとかの人らの方がまだマシだと思っています。
なぜかというと、少なくとも彼らには聖典というバックボーンがあって、
いざとなればそれをあたれば門外漢でも彼らの考えが少しは理解できるし、
もし言ってることと書いてることが食い違うようなら「お前それは違うだろ」と指摘もできる。
生物を作ったのは神で、進化論を否定しているから、ポケモンもダメということになる。
その結果は受け入れられないけど、そこに至る理屈はわからんでもない、となるわけです。
もちろん神学論争があるように、解釈を巡る争いがないわけがないのですが、
少なくともブラックボックスをブラックボックスのままブン回してくるよりはマシなわけです。
逆に言うと、ジャパニーズポリコレフリークの皆様のいかがわしさがどこにあるかというと、
とにかくそのバックボーンがふにゃふにゃであるという点に尽きます。
まず宗教がない。よその受け売りでしかない。元が感情で動いてるから理屈が毎回変わる。
小さい頃から変な姉だったけど
私に執着してムキになって勝とうとして来る
ありもしない陰口を叩いて来たり
「怖い怖い」とまるで姉が被害者かのように言ってるらしい
怖いと言われても、人としてやってはいけない事をされた時に
怒った事しかしていない
そして少しでも母が私を優先させるとギャーギャー騒いでいる
小さい頃は「私が一番可愛そうだった
何もしてもらえなかった」と愚痴を言う姉
近所中から嫌われ
私には下りて来なかった
新しい習字道具を買って貰った時はまた
新しく買った消しゴムも
脅されて取り上げられたのを良く覚えている
姉が何も買って貰えなかった訳ではない
むしろ私より遥かにいろんな物を与えられていた
常に自分を優先させて貰わないと癇癪を起こす
あの年になってもまだこう言ってくる
以前 私にこう言ってきた
「お姉さんと呼んでリスペクトしれない」と。