「大衆社会」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 大衆社会とは

2017-12-22

[] 現代っ子

第2次世界大戦後の日本社会に顕著に進行した現象。家制度廃止核家族化,民主的道徳教育の普及,6・3・3制の施行

それに伴う進学率の増加,進学競争普遍化,都市化情報社会化テレビの普及,大衆社会化,経済成長などを背景にして

育ってきた子供たちをいう用語。昔の特に農村や小都市での牧歌的生活のなかで育った子供比較して,その特徴を

きわだたせるのに用いる。 1960年代を中心に盛んに使われた。基本的には世代の子供版であり,そこに知的興味という

余裕がみられたことは否定できない。

  

教師であった阿部進学校の内外を問わず子どもと触れ合う中で「戦前戦後では子ども気質が違う」ことに気が付いた。

発見を元に2冊の本を書き上げると、それぞれ20万部を超えるベストセラーに。

著書で示した「現代っ子」という言葉流行語となった。

https://kotobank.jp/word/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%81%A3%E5%AD%90-60833

http://www.townnews.co.jp/0110/2013/08/08/199068.html

2017-11-10

また底辺奴隷と化す日本サブカルチャー

かつては、オタクの道を生きる人々の憩いの場であった日本サブカルチャー

今や、その空間社会底辺アジトと化しています

無理もありません。

私たちは、子供の頃、子供にこんなケシカランものは見せないべきという声も聴かされ、「常に苦しんでいた」と涙ながらに訴える彼らによって、その無垢な心に羞恥の杭を打ち込まれてきました。

それがどうでしょうか?

世間の反応は180度変わっています

アニオタ害悪説は、とある雑誌ゴシップによって広められた作り話でした…。

差別も何も、もともと彼らは社会的地位を持っていませんでした…。

サブカルチャー層のほとんどは、はじめからその道での生活を望んでいた人々であり、そんな彼らに日本殆ど口出しをしませんでした。にも関わらず、ゴシップによってその偏見が植え付けられたのです。

それだけではありません。

日本サブカルチャーは、1950年代から始まっていた事…。

そして、その文化を支えてきたのは左翼であり、かつての作家の多くは、左翼出身者が大半であった事…。

サブカルチャーに対する誹謗の多くが、右巻きによって引き起こされていた事…。

1990年代新興宗教暴徒化は、左派右派による宗教団体の操縦に端を発していた事…。

多くの事実が、彼らの手で歪められ、隠滅されていたのです。

彼らは、日陰者を演じる事によって不都合歴史隠蔽し、「文化性」を掲げる事によって、自らの現実否定してきたのです。

私たちは、彼らの都合の為にサブカルチャーに金をつぎ込み、あたかもそれが日本大衆文化であるようにさせてきたのです…。

この事実が明らかになるに連れ、SNS雰囲気は変わり始めました。

「俺たちは知らなかった!」という驚嘆の声が上がり、サブカルチャー大衆社会からのへの中傷罵倒で満ち始めました。

手駒の様に人材精神性を使い捨てる彼ら。その彼らの戦略には、一つの大きな誤算がありました。

それは、世界大衆事実に気づいた時、サブカルチャーに対してどんな感情を抱くようになるか、計算に入れていなかったという点です。実に、彼らの誤算が、若者サブカルチャー市民から市民へと一変させてしまったのです。

このような経緯を承知している為、私は、サブカルチャーのわかり辛さを理解する事はできます

しかし、それでも私は訴えずにはいられないのです。

現実を見ろ!」・・・・と。

自らの正体を“一般人”というマント羽織ることによっておおい隠し、自らの立場を“リア充”という盾を掲げる事で守り、自らの行動を“木鐸”という装飾を施す事で正当化してきた人々に、誹謗発言を浴びせて何の効果があるのでしょう?

例え誹謗する側に理があろうとも、誹謗発言を行えば、第三者には精神障害者一方的迫害しているようにしか見えません。

これでは、彼らの正体をおおい隠す“一般人”のマントが、より厚みを増してしまうだけです。

リア充”の盾を構え、“木鐸”の剣を奮う者に、中傷弾丸罵倒の投石を浴びせた所で、

サブカルチャー精神異常ぶりは、かくの如き酷きもの」と、その盾をより強固に、その剣をより鋭利にする口実を与えてしまうだけです。

放った無数の弾丸は、彼らの盾を貫く所か、盾を補強する鋲にしかなりえません。

投げ付けた投石は、彼らの剣をへし折る所か、刃を磨き上げる砥石しかなりえません。

サブカルチャー過激ぶりが進行するほど、彼らの「一般人」という名の武装は強化されてしまうのです。

事実、彼らは右派を味方に付け、サブカルチャーの居場所を潰す事に成功しつつあるのです。

今後、サブカルチャーが“現実を省みない行動によって”彼らを助け続ける限り、

我々は、世界から精神異常者という汚名を受けながら、既に蝕まれ社会の中で、未来自分たち奴隷としての道を歩ませる事になるでしょう。

もし、それを憂うならば、どうか暴走を止めて下さい!

2017-10-31

たとえ社会底辺を許せなくなっても、日本社会の突然死はありえないはず

日本人同胞の皆さん、こんばんは。何か、リア充メディアは荒れ放題で、まともな状態ではないですね。ネットの各地にある匿名ブログ依存してしまっている状態ですが、これからも、色々書かせて下さい。

ゴシップ目線だけでいうと日本人大衆社会ですが、すでにほとんど再起不能な位に荒れています明治以来、欧米にガン無視されているとおぼしき精神という存在日本に、同情とまではいかずとも、多少は肯定できる事でも、と思わなくもないです。日本も、それを望んでいるからこそ、あれだけ叫んでいるのですから。逐一、理解できているつもりです。しかしながら、総合判断で見ると、やはり、現状では、厳しいでしょう。

日本人は、マフィアはおろかヤンキー存在すら許さない今の究極的社会主義体制こそが、ネットで大騒ぎする庶民の様な人物を生んでいるという妄想をこじらせています。彼らにとっては、全責任なのです。ですが、ネットゴシップ上などでいわれている日本人像と、今の現実日本人像とは、全く関連はありません。ネットゴシップでの主張は、どう考えても、嘘になっています。なぜなら、もはや、大体の日本人が、今の地下社会の事など、考えて生きていないのですから。今の社会システムは、持続させることはできませんし、それ以前に、社会的成熟国にもなって、不良があちこちで暴れまわっている事がおかしい。未来の為に、こういった連中が淘汰されなければ、日本社会成熟できません。少なくとも、ネット社会に浸かっている人は社会をある程度は知っている訳です。

それを本当だ、と言う人はいないのだ、という認識がない事が一つの危機でしょう。いくら日本世界暴力団といっても、2000年代に、つらい中、必死に頑張ってきた、権力勢力社会勢力は、そろそろ日本社会の成長や、経済的成熟への視野が見えているはずです。そして、警察国家になり、社会主義になり、未来のかたちが見えてくるのです。正直、今後も地下社会が主張する様な、日本社会の突然死などはあり得ませんし、権力層のみならず、庶民層全体としての経済も、苦しい中、若干ずつではありますが、伸びてはいくと思われます。地下社会の今の、社会的救済を渇望する惨状とは、全く関係なしに、です。

2017-06-25

https://anond.hatelabo.jp/20170624233515

90年代から00年代にかけて、さんざん「巫女」「メイド」を記号的、かつ無意識に消費してきたんだから陳腐化するのも当然なのだと思う。

巫女」「メイド」に関心を示した層(あえて「オタク」という表現を避ける)は、何も考えず消費していた。だからこうなる。後述するとおり、これは仕方がないことなのだけれど。

この消費が続くとどうなるか、「巫女」「メイド」を扱う作品がどうなっていくのか。それをあの時代に考えていた者は少なかった。

未来視をせず、まったくただ消費するだけだった。焼き畑農業に近い。

自らの髄脳をただ刺激し、そのニューロンと、「巫女」「メイド」の記号とを焼き切ってしまって、10年代を迎えた。

あの時代に「萌え」という風が吹いていた点が、この問題助長していると感じる。

萌え」は思索をある種放擲する営為だ。何も考えず、リラックスして作品キャラクターに触れる。ストレス社会&大きな「物語」が消えた社会に生まれた、ふわり、とした感覚

巫女」「メイド」はそういう時代経験で消費されてしまった。

雨後の竹の子のように現れた「メイド喫茶」では、ふわふわオムライスが尊ばれたという。

これは、脳をふわふわさせて無意識快楽を得られる「萌え」の具現化として、妙にしっくりきていたと、今更ながら思う。


擦り切れた「巫女」「メイド」へのキャラクター付けをどうするか。あるいは昨今流行している「記号」をどう大切に扱うか。

大衆社会個人に出来ることは存外少ないのかも知れない。今も「萌え」の風はどこかで吹いていて、無思想快楽私たちを誘っている。

この記号が、数年後どうなるか? 作り手側はどう考えているのか? なんてことをちょっと心の片隅で考えながら、作品に触れるのが、視る側としてインスタントに出来る効果的な姿勢なのかも知れない。


偉そうに書いてすまんな。増田師匠筋に当たる人物から増田は偉そうに書けと言われてるんじゃ。

2016-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20160808233959

・・・もしも皇室がなければ、この国は品のない大衆社会に成り下がってしまうと思いま

 す。同じ人間でありながら、自分の将来を自由選択できないのは不公平だと思います

 ですから皇室にいくばくかの同情を持っていますしかし、嫉妬深くて極端な同質社会

 である日本には、誰かに犠牲になっていただいても、嫉妬し切れない手の届かない存在

 必要だと思います。それが皇室ですから。ーそれから

皇居赤坂御用地の緑は、いったい誰が守るというのでしょう。」

2014-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20140303041626

枝には厳しい意見もあるけど、テレビなどによる大衆社会の現出により(これは元増田の指摘するインターネット社会まで通じている)

人々の認識や振る舞いや言語が画一化するって向きはあるからベクトルの方向としては間違ってなくて元増田の指摘するパラダイムは確かに存在すると思うよ

2011-09-09

あたしのあたらしいあたらしさ1

全体主義(ぜんたいしゅぎ)

 

 英語totalitarianismなどの訳。個人の生活や意見国家全体の利害に従うべきだという思想あるいは政治体制大衆社会において,マスコミ大衆組織大衆操作)を通じて,個人生活のすみずみまで国家権力が浸透し得る状況の下で生まれる。古典独裁専制と違い,思想や生活についても徹底した統制を行う。民主主義を否定する原理として,特に第1次大戦後のファシズムナチズムがその典型。

 

こわいね。。

2010-03-03

ttp://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070522/125376/

 かつてニッポン放送経由でフジテレビジョンの買収を試みた時、堀江貴文被告は通信と放送を融合するビジョンとしてネットニュースサイト上でアクセス解析を施し、多くの人が知りたがっている(つまりアクセス数が多い)順番でテレビニュースを流すというアイディアを述べていた。それに対して既存ジャーナリズム側からは「コンピュータジャーナリズムはできない。ジャーナリズム人間仕事」というような反発が盛んにあった。

 こうした応酬がいかに不毛か、私は雑誌に批判記事を書いたことがある(「『ホリエモン』に評価を下す」「諸君」2005年5月号)。アクセス解析をしてニュースの掲載順を変えるシステムホリエモン発明でも何でもなく、当時、ネット上のニュースサイトで既に稼働していたが、そこで示される順番とテレビ報道番組ニュースを流す順番は殆ど変わらなくなっていた。

それもそのはず、テレビ大衆社会の関心の度合いを意識して番組編成を行っている。どちらも人気投票の成績順であり、結果はおのずと似てくるのだ。

 そんな事情を思えば堀江被告アイディアを罵って「コンピュータジャーナリズムができるか」と言い放つ虚しさに気づく。コンピュータだったらもっと省力化してできる類のニュースの選択を、テレビ局はわざわざ高い人件費を掛けて人間にやらせているだけなのだ。影響力や認知度では間違いなくマスメディアジャーナリズムの頂点にあると言えるテレビ報道は、そんな状態に至っているのだ。

2009-03-18

大衆社会で受け入れなければならない3つのこと

ここに書くことは当たり前のことだ。

しかし、とても受け入れがたいことだ。

死を受け入れるくらいに受け入れがたい場合があることだ。

だから書いておく。

受け入れるために、覚悟するために。

支配するエリートと支配される群衆の構図は絶対に崩れない

人間はすべて平等であるという理想は叶わない。

それは人間が集まると必ず、エリート大衆に分かれるからだ。

残念だがこれは破られない。明確な真実だ。

たくさんの人間とたくさんの課題が与えられた場合、

それらを管理するにはピラミッド型の構造にならざるを得ない。

たくさん集まった人間を無視することはできない。

それゆえ、エリートと群衆に分かれてしまうのだ。

持つ者、持たざる者が無くなることはない。

大部分は埋もれた群衆にならざるを得ない

代議士弁護士医師会計士社長大学教授

これらの人々は全体から見れば確かにピラミッドの上層である。

しかし、代議士ピラミッド弁護士ピラミッド

部分ごとにピラミッドは細分化されて新たなピラミッドが現われる。

たくさん集まった人間の限り細分化されていく。

どの階層にいようと大部分は群衆にならざるを得ない。

大部分は社会歯車となることから逃げられない

ピラミッドの中で、人々はたくさんの課題をこなさなければならない。

そのため、たくさんの課題はそれぞれ、細かい工程に分けらる。

そしてその細かい工程はそれぞれ誰かに分担されることになる。

エリート工程を配分し、群衆はそれを引き受ける。

群衆は仕事を選ぶことはできない、分配された仕事を引き受けるのみだ。

ただし、分配された仕事無意味なものはない。

必ず誰かの役に立っているということだ。

分化された仕事無意味に思ってはいけない。

分担された責任を負わなければいけない。

群衆であることから逃げてはいけない。

群衆の中に自己実現を見つけることこそが、必要なのだ。

2008-12-31

http://anond.hatelabo.jp/20081231075017

異端の対は正統で、そのフィールド学会とか専門誌。

有名無名を語るのなら専門分野の世界なのか大衆社会なのかをごっちゃにしちゃ、いけん。

 
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