はてなキーワード: 政治力とは
社会は一層利便性を増し自由になっていくわけなので、1世代前、2世代前にあったような「不自由さを提供するサービス」というのはもうない。
お前はこの村社会に帰属しなければ飢え死にますよ、とか、一定の年齢になったのでお前はこの人と生殖しなさい反論は許しません、とか、お前はこの家の労働単位として一生働きなさい――みたいな「サービス」はどんどん無くなっていってる。だいたい日本では根絶されたのじゃ無かろうか?
僕たちはその代わりにコミュニティ参加の選択権や、自由恋愛や結婚の相手を選択する権利、職業の自由を手に入れた。ばんざーい。
しかしそこに現れるのは自己責任であり競争なのである。もはや僕たちは「どんなボンクラでも村システムの労働単位として悩み無く生きる」という選択肢をもっていない。全部自分で決めて、決めるのはまだ良いんだが、自己の能力で入手しないといけないのである。あるいは自己の能力においてお前は入手できなかったのだと罵倒されるしかない。
インターネットをはじめとしたIT技術によって巨大視野を入手した僕たちは、巨大なビルボードのなかで自分の現在ランクを常に再確認しながら、手持ちのカードをやりくりして様々な自由選択をし続けなければならないのであった。
ポイントはコミュ力。それがあると色々上手くいくらしいと風の噂で聞いた。まあとにかく意識の高い西東京ではそうだという話だ。
でもねコミュ力とかぼかした言い方いい加減やめましょうよ。それ政治力っすよ。集団の中で自分の意見を通すための技術、能力。それは政治力と呼ぶべきですよ。あるいはコミュ力と呼ばれているものは政治力の下位能力に過ぎませんよ。みんな本当は判っているくせに。
そして政治における低位の技術とは他の参加者を中傷してそのランキングを下げることなのだ(より上に行くとこのかぎりではない。中位では自他共栄戦略の方がなにかとメリットが大きい)。
ビルボードランキングにおいて一億総政治技術者時代を迎えた現代人は、早い時期からそれを学ぶのであった。たとえば小学校のクラスにおける派閥とイジメという形で。はっきり指摘しましょうぜ。イジメは、政治能力の格差によって起きるのだ。僕たちはこの自由が増大した社会において、政治能力が低いと生け贄にされるということをよく知っているはずではないか。
そしてそのサバイバルは小学校を卒業した後にもずっと続くのであった。恋愛という自分-あなたな1on1関係というのはもう完全に幻想で、そういう完結した一対のカップルというのは基本的にオタクの憧れでしかないのだ。通常、恋愛というのは、(多くの場合異性の)参加する一定サイズのコミュニティの中で発生する。友人関係10人とか、職場の同僚関係とか。そのコミュニティの中でお互いがお互いの政治力の照射として作り上げた居心地の良さに惹かれあい、上手くいけば結ばれる。いきなり天から美少女が振ってきて/鏡から女神が出てきて/お兄ちゃんと呼ぶ娘が同棲してきてと言うのはロマンチックだけど現実的ではない。恋人の前にまず友人。交友関係というのは大事。友だちの多い人ほど彼女が出来やすいのだ。やっぱり政治能力は何処までもついて回る。
事実としていまや全員がビルボード・サバイバーなんだから、その件については素直に見つめて、政治の季節に納得した方が良いと思う。特に日本の教育は奇妙に潔癖なので「正しければいい」とか子どもに教えがちだけど、実はあんまりそんな事はなく付け届けはいまでも有効な戦略だったりする(付け届けの種類を考えることそのものが政治センスだったりするんだが)。
ビルボードがあるかぎり、そこに勝者と敗者、強者と弱者が存在するのは避けえないけれど、でもだからといって、全体の平均レベルというものは存在する。敗者だからとふてくされて自棄になりテロじみた行為を繰り返してもランキングは上がらないのだった。
そういえば、社会人力とか、大人力なんてことばもあった。
偏差値が高いほどモラルが高く、偏差値が高いほど向上心が高い。偏差値が高いほど嫌な仕事でもするし、偏差値が高いほど努力を怠らない。
何をあたりまえのことを、と言われるかもしれないけど、人を採用するときや結婚相手を探すときは、このことを常に忘れないようにしたい。これまでに偏差値の低い人間に裏切られた事が、何度あったことか!
もちろん偏差値が低くてもモラルの高い人もいるし、偏差値が高くても努力をしない人間もいる。だからこれは相関関係というか、一般的な話。学力偏差値≒信用度偏差値、などと考えたほうがいいか。
なぜこのようなことを書くというと、自分がゲーム業界出身で、この業界は本当に学歴が様々な人間が集まるので、学歴による内面の違いをより感じたからだ。
東大・京大・筑波大・慶応・早稲田・ケンブリッジ・マーチ・・・から、高卒・中卒・アニメ専門学校卒・元ニート・・・など、本当に様々な経歴のるつぼなのだ。この業界は日本のトップ大学の人間が意外に多く、そしてありえない低学歴にもかかわらず社員になっている人間も意外に多い本当に特殊な環境だと思う。
普通の商社だと東大卒と中卒が同じ立場で働くとかそうそうないと思うが、ゲーム業界だと日常だし、むしろ高卒ディレクターが早稲田卒に指示出すことも普通。そういう環境の中で人と接していると、やはり学歴の差で育ちというか、モラルというか、努力というか、色々なその人自身の内面が学歴に表れているなぁ、と思った。例えば仕事ではズルとか政治力などで上に勝ち上がれるが、受験勉強だとなかなかできないので、偏差値はその人の努力と勤勉とモラルなどを判断する指標になると思う。
過激な釣りタイトルにしたが、学歴によるカーストわけって、ものすごく合理的な仕組みだと思った。・・・僕?もちろん高卒ですよ。ははっ。
https://www.facebook.com/kharagucih/posts/568157996536009
原口一博(公式) · 4,139人が「いいね!」と言っています 日曜日 10:44 · ..
朗らかであれば、その日は好日だ
昨日は、八女で講演をさせてもらって博多で友人が主催するタウン誌の取材を受けた。
(中略)
上京。
日米首脳会談の「冷え冷えとした雰囲気」も伝わってくる。
民主党政権が日米関係を壊したとして強固な日米関係修復を強調したい安倍首相の思惑は、大きく外れたようだ。
野田政権は、これまでにない蜜月政権だったという認識を米政権が持っているのは間違いない。
第一、聖域なき関税撤廃しかないのならばTPP交渉そのものが成り立たない。交渉の意味すらない。
その言葉で推薦をして自民党を大勝ちさせた勢力が、今更何と言おうと手遅れだ。
立場は私とは、違うが、 まだみんなの党の渡辺代表の方がはるかに正直だ。
強調は投稿者による。
開発力がなくなった理由であって、ドリルのような開発力があって資本力があった所は伸びている。という事だとおもう。
SAMUSNGに関してはSAMUSNG以外がひどくていま大問題だろ。あれを国が真似したらSAMUSNG以外が貧困化するということで、国策ではないだろ。
つまり、部品業に関しては伸びてきたが、パッケージ業については伸びて来なかった。パッケージ業が伸びなかった理由が、『行き過ぎた』護送船団方式で
実際に、護送船団方式じゃなかった、部品業はある海外売上が程度伸びてるだろ。
SAMSUNGが正しいと仮定するなら、護送船団方式をやるとその企業は伸びるが、競争力がなくなって、他に貧困が広がってデフレ化する。という事が起きるわけで。
いま起きてるんじゃね?
だって、護送船団方式って 政治力が強い企業守られて、政治力が強い人が出世して、そら研究開発が低下するんじゃね? で、他の小さな企業の市場を資本力で奪って、市場を衰退させるんじゃね?
こういう言い方は変だけど 新宿2丁目さんとも秋葉原地区としては 仲良く出来ると思うよの。中野地区さんとかも。
ただ、小選挙区制度は、俺達みたいに多数が偏在しているけれどもマイノリティという人種には土地で分断されてしまうので、政治家を送り出せない。という欠点がある。
究極な、同性愛の方と、2次元愛の方と、いろんな方と 集まってまとまればそれなりの政治力と、政治家を送り出す力はあると思うのですよ。
ただ,小選挙区制度ではそういう力が働かないし、比例では声が届かない。
非常にマイノリティにとって不利な選挙方式なのよね。でも、マイノリティーがんばってるでしょ?結局、マイノリティーの個性的な力は産業活動にとって商品力となって跳ね返るわけだから
そういう数は多いけど、偏在しているのが繋がったのがネットで、だから僕らが力を持ち始めている。選挙改革やるらしいけど、僕らだってちゃんと経済活動に というか 今現在かなり 貢献しているんだから
政治家も、僕らの声がもうすこし、とどくようにして下さいという感じ。 声といっても、マイノリティーでも日陰では生き残れるようにしてという声だけど。
なんというか、俺達自身が、表に出しちゃいけない俺達自身がいることは一番良く知っている、だが、同じ趣味同士なら日陰では生きさせてくれ!というのはいいだろ?
つのと、であるがゆえに たとえ同意できなくても、マイノリティーとは住み分けをして行かなければならず、
であるがゆえに、本質的には、韓国の方 中国の方とは その他の國籍の方とは マイノリティ同士という意味ではつながれるはずなのよと。
ま、安倍改革で、景気は少しは良くなるだろうから・・・構造改革は遅れるだろうが・・・ここをチャンスにちょっとは、オマエラ良くなってくれ><。中層の俺らはキツイ。という感じでした。お話聞いてくれてありがとう。
raitu
かのせさんレベルでないと、はてなサヨク案件には手を出せない。
はてサって、定義が曖昧な話を延々飽きることなく議論したふりしつつ
集団による相互スター政治力で押し切ろうとする面倒臭い人々というイメージ
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/kanose/20121201/hatesa
えっ
それって正にカノセとその周辺の村民のやってることじゃね?
当てこすったりもめ事を晒しあげたりする
↑
「はてサ」だけを切り離して外部化できると思っているのかねぇ。
”定義が曖昧な話を延々飽きることなく議論したふりしつつ集団による相互スター政治力で押し切ろうとする面倒臭さ”
とは、はてなムラ社会全体の醜悪な特徴であって、はてサはあくまでその「ごく一部」であるに過ぎないのにねぇ。
↑
「『はてな村』や『村長』なんて幻想だお。見えない敵と戦ってるんじゃないお!」って
ばっくれるんだろどうせ
↑
上小阿仁村と同等かそれ以上の黒さと言われるはてな村の村長認定されてるのに
なんでバカノセたんこんなに誇らしげなん?
関連記事
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20121129/hatesa_hashimoto
つかなぁ、 おごれる平家も久しからず という言葉があって 社会主義の崩壊があって 徳川幕府の崩壊があって フランス革命があって
歴史のどこを見ても 既得権益が幅を利かせて人事評価システムが腐った挙句、競走に負けて崩壊したetc,などの事例は事欠かない。
他方 既得権益が幅を利かせて長年持っているという事例は1つか2つぐらいしか無いし、あとどれだけ持つかというのと既得権益維持の努力はしてる。
なんだろう、政治力が競争原理を押し込め続けることができたっていう事例って そんなに多いのかね?
普通は自由競争の他の勢力が伸びて崩壊するか 産業事態が腐敗してなくなるか そんな事例ばかりだと思うんだが
なんかある?横並びとかそういうので上手く言った事例。
補論の補論のそのまた補論みたいな発言になってしまうが。
"体育会系"というネーミングを再考するべきかも、と思う。
あなたが言いたい"その種の人たち"を指し示すのに、長年使われているし、
なにより、おそらく他のどのネーミングよりも適切なイメージが沸くので、もったいないけど、
"体育会系"という言葉から、短絡的にバスケ、野球、サッカーを厳しくやっている集団の出身者、と
受け取る(あるいは、カラむために意図的に曲解する)人も居ると思う。
ひたすら良いパフォーマンスを追及している本当のスポーツマンは、プロ/アマ問わず、
もっと内省的だったり、オープンマインドだったり、個人主義者だったりする。
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ちなみに、演劇部とか吹奏楽部のクズ系クラブは、体育会系クズそのものだし、
あろうことかオタ系サークルでも、「俺たちは馴れ合いクラブじゃない!」とか
マジで標榜していて、イベントとか創作活動の段取りの良し悪しにダメ出しをして、
驚いたのは、MMORPGで、「仕事があるからログアウトしたい? 甘ったれんな!!!!!」
なんて発言が飛んでるって聞いたとき。
---
集団主義。精神主義。上下関係の押し付け。不合理な文化の固守。シゴキが大好き。
だからこそ序列を這い上がろうとして他人を蹴落とそうとする。
序列が下の人間を確保して囲っておこうとする。
自分なら、そうだな。"軍隊式"、"スパルタ式"、"旧日本軍式"とか。
どれもしっくりこないな。
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あと、ここまで飛び交った社会人の類型は体育会系、文系、理系の3つだけど、
群れる、シゴく、ハブる、侮辱する、みたいなコミュニケーション的な意味で迷惑。
文系が策謀をめぐらせる下で、その手先として体育会系が下士官というか鬼軍曹をやってる感じ。
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嫌がらせをしてくる感じ。
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ちなみに自分は理系のクズで、ただし最低限のルールというかモラルとして、
「理屈並べてねぇで、黙ってやれってんだよ!」とかドヤされたら、
「それをやると機械が止まりますけど、いいですか」とか注意を喚起しないで、実施しちゃう。
結果として大トラブルになったら、「ご指示に従ったまでですが、何か?」とか。
ヘルプ用アドレスにメールをよこさないで、「俺がやれってんだから、今すぐやれよ!」とか
椅子を蹴飛ばされたら、超最低限の応急処置だけして、問題がおきたら、
「いや、自分が何をしたか記録が残ってないんです。メールのやり取りがログを兼ねてるもので、
どんなレガシーシステムがあろうと、ブラックボックスがあろうと、
使い捨てのスクリプトが山ほどあろうとも、要求されただけの引継ぎだけして、
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……というわけで、最終的に何が言いたいかというと、
1)社会人だったら誰でも、1人の中に文系、理系、体育会系の要素が混在していて、
ただ、大抵はどれかが突出して表面に出ている。
2)どの系にもクズは居る。
クズと非クズの境界線は"対話の拒否"と"多様性を受け入れることの拒否"である。
3)そして、まことに残念なことに、部活動の段階からして、体育会系には
クズを育成、量産するシステムが制度として出来上がってしまっている。
---
こんなところかな。
>>現代の世界の企業において、従業員のリソースの約7割ほどが、誰が誰の上司であり、部署と部署の間の暗黙の上下関係、どのプロジェクトが誰の面子で遂行されているのか、などの確認作業に費やされている。そのために膨大な数のミーティングや、ニューヨーク―ロンドン―東京間の頻繁なカンファレンス・コールが実施されるのだ。残りの2割のリソースはコンプライアンス、すなわち監督当局の人間に対して、われわれ民間人は、あなたたち政府の選ばれた官僚よりも下位の身分ですよ、ということを絶え間なくアピールする行為に費消されるのである。残った、約1割のリソースで、ようやくモノやサービスを生産しているのだ。そして、これは一流のグローバル企業の話で、多くの企業では、わずか5%以下のリソースしか、モノやサービスの生産には割り当てられない。<<
金融日記からの引用だけど、これほど的を得た表現を私は知らない。
実際に成果を上げた人ではなく、上司が見に来たときだけしっかりやってるような演技が出来る人が出世する。
いうなればお侍だ。
あいつらは刀ぶらさげてチョンマゲこしらえてるだけで実際は何も出来ない。
http://anond.hatelabo.jp/20120601011200
への反応です。
確かにその原則仰るとおりだと思う。
だけど企業が直面する規制問題というか、企業の法務という考えだとそんな原理原則を言われてもどーにもならないよ。
しかも今回は後出しじゃんけんというか、サブマリン規制と言っても良いかもしれないけれど、すでにそこに法として存在する規制についてどうにかしなきゃならないから余計に。新たに作られる法律ならばいくらでもその手の議論はできるけれど、今回の場合それが可能な舞台はあるのだろうか?
通り魔に襲われて道に倒れている人物に必要なのは、救急医療と明日のパンをどうやって買うかであって、「通り魔の奴ら法を守らないなんて酷い!原理原則を守るべきだ」と話をする人でも、「通り魔に襲われても自衛できるための日頃の備えが必要。あなたはそれが足りなかった」と説教する人でもないよ。
すでに既得権的に規制がそこに存在してしまっている以上、その司法の方面からのみ何とかするには、結局裁判やらそこら辺に訴えるしか無いと言う事になっちゃうわけで。それは現実的では無いし、実際の問題は複合的に現実の現場で発生している問題に対しては解決になるだろうか。だから「法はこうあるべきだ」「正しい手続きはこのようになっているはずだ」という論ではなくてもっと泥臭い所から話をしないといけないと思う。
現実として裁判が行われ、既存の法律は違憲であると言う判断がくだり、立法府が動いて法改正に繋がった、なんて案件、日本でどれぐらいあるだろうか?
まして相手が警察・検察である場合、さらに、一般人に理解されにくい(と言うか正論の暴力的な「そんなことは無くても暮らしていける。犯罪に繋がるなら一切禁止すれば良い」と言った言動から発生する、リアルでは表だって賛成しにくい部分)話である場合、どれだけ動いているだろうか。
一方、厳しい法規制に対して業界が音を上げて、もっと現実的な規制にしてくれと働きかけて規制が変わると言うのはそれなりにある話だよ。(ただ、こう言う後で問題になりそうな細則は大抵政令によって定める事になってて法改正までは必要にならないことが多いようだけれど…)
経営の話で法律的ではない。そう思ってます。必要なのは司法の話じゃない、今ある状況をどう手当てして、どう先に進むかだよ。
ぶっちゃけ、法的には勝利を勝ち取ったが、経営的には破綻して潰れました、クラブがあった所にはペンペン草すら生えませんでした、では今いる人々の救いにはならないよ。
こう言う所だと、誤用とされる用法ではなく、本来の意味での「確信犯」的な外部の人が出てきて原理原則を突き通せ、正義はあなたにあるのだから戦い続けるんだよって話になりやすいんだけど、それって結局戦いに勝って勝負に負ける事が多いと思うんだけど。こういうのって
といったいわゆる昔から左翼運動の問題になりやすい部分で非常に多い。別にそれが悪いと言っているわけじゃ無いよ!こういう人がいるから世の中変わっていくし、問題が常に社会に提示され続けることで一定の歯止めになっている。
ただ実利を取るにはこれじゃだめだってこと。社会正義は果たされた、けど、みんな不幸になったで終わっちゃ困るでしょ。
あと、この方面で参考にするのならば
http://www.pot.co.jp/matsukuro/20120130_124823493926982.html
ここから始まる一連のエントリーじゃ無いかなと思いますがどうでしょうか。多分今回の運動の論拠にされている震源地の一つ。
今必要なのは今ある問題をどうするかであって、法律の話なんてその後でいい、そう思いますがどうだろう。
その上で、司法的な部分で勝負するにおいても、だけど、規制当局は規制の根拠を十分示してない、と言えるのだろうか?
自分が知る限りだと、一番まとまっているのはこれ
http://www.pot.co.jp/matsukuro/20120130_124823493926982.html
で、あとはこれをもっと硬い文体に直したり、弁護士名で違う言い方をしたりしているだけでだいたい同じことを言っている。その中身は過去の経緯と今は違う、規制が古いんだと言い続けているだけで、今法によって保護されている部分に対する手当がやっぱり出てこないのよ。
古かろうが新しかろうが、規制されていることで保護されている部分があって、実際裁判になって規制当局にどういう規制の意義があるのかと聞けばぞろっと資料を出してくるでしょうけれど、それに対して十分な反論できるであろう資料が無いの。規制当局が今、表だって資料を出していないのは、すでにある法律だからで法として存在する時点でその責任を果たしていると考えているからではないかな。(意地の悪い言い方をすると、現状維持で良いとする側はあえてそう言う努力をする必要が無い。原則論じゃ無くて、現実として)だけど、裁判になれば根拠をいくらでも持ち出して来ると思うよ。(規制に根拠があるか示せ、という請求をする方法が裁判しかないからこうなっちゃうわけだけれど)
もちろんそうじゃ無いんだ、と言う強弁はあちこちから聞こえてくるよ?だけど、それに具体的な内容が伴ったものがどれだけあるだろうか?
活動の中心的なサイトにすら、そう言う資料が全く出てこないの。これは何故なんだろうか。
この原理原則すら守れているかと言うと大いに疑問。この切り口で法律闘争に持ち込んだとして、何とか勝てるだろうか?
自分は大いに疑問なんだけれど。
結局司法でやり合うには無理があると思う。いくらみんなで原則はこうだ、と言い続けても、それで何か動いたというのあまり記憶に無いから。またこう言った問題で規制当局が地裁など手頃なレベルで手を引いたと言う話も聞いたことが無いので時間がかかる事は必至だと思う。
それが社会正義的に合っているかどうか、間違いだとかそういう話は別だよもちろん。
あるクラスタには法律の手続き論に見えるかもしれない。けど、実際はいろいろな問題が絡まっているから、法の手続きの問題じゃないよやっぱり。
そうなると立法府か行政を動かすしか無い。つまり政治力になる。政治を動かす一番手っ取り早い方法は大衆の共感を得ることで、それには文化で押し切るのではなくって、もっと通しやすい所から話を通さないと、と思うわけなんだけれど‥‥。
1.Politician
2.Expert
4.Entreprenuer
5.Missionary
1は(社内)政治家。新卒で入った会社の中で政治力を持って可能な限り権力に近づく。
根っからのエリート思考の人に向いていると思う。ただ、社長になれるかは100%運だろうし、たとえ運よく社長に成れたとしても経済的には普通のサラリーマンとそれほど変わらない。ま、住宅ローンとか子供の教育費には困らないだろうが。最も気持ちいいのは人を支配し、世の中に影響を及ぼす快感だろう。上り詰めれば財界の実力者として、政治家と対等に話すことも夢ではない。
2は職人的専門家。財務とかプログラミングとか法務とかアラビア語とか何でもいいから独り立ちできるような専門知識、難関資格を身につける。
人脈を築いて好条件でヘッドハンティングされるもよし、独立して事務所を持つもよし。会社のだるい柵(しがらみ)が嫌いな自由人タイプの人に向いていると思う。好きなことだけ出来る。ただ、自営業者になったり、会社のレールからは外れるからサラリーマン的な安定度は低くなる。経済面では税金とか報酬の面で有利です、少なくとも普通のリーマンよりかは。
3は国際人。何かしらの武器をぶら下げて海外に打って出る。2の亜種とも見れる。
絶対海外に行きたい、むしろ住みたいって人のタイプ。日本の将来に危機感を持っていたり、嫌悪感を抱いてる人、より広い世界を知りたい人、金髪が好きな人・・・など理由はどうあれ海外にあこがれている人が進むべき道。リスクもリターンも無限大!簡単に国を捨てることが出来る人なんていない。専門知識だけじゃなくて、文化適応能力や対人能力も試される。最悪の場合は寿司職人としてへいらっしゃい!ってやってるかもしれないけど、外人の配偶者と別荘と大型犬をゲット、たまに日本に帰ってかつての友人に死ぬほど妬まれる幸せをつかむかもしれない。
月給なんてくそ食らえ!自分でやって大金持ちって人。あるいは、より大きく社会に貢献する、という庶民からすれば胡散臭いセリフを真顔で言う人がなる。これも無限大のリスクとリターンと背中合わせ。松涛に家を建てることも可能です。専門家と違う部分は実務家ではなくなる、つまり、自分はプレーヤーとしてではなく仕組みを作ったり、資金を供給したりする役にまわるということ。そうなると自分の好きなことばかりやってられない。厭な役回りも柵もサラリーマン以上に多い。人を動かす力ほど難しいスキルはないのではないでしょうか。あ、IPOに掛かる税金は安いです。
5は伝道師。会社で得たことや経験から学んだことを講演、出版などで社会に提供する。
純粋に教えるのが好きで、その行為によって優越感に浸りたい人に向いている。もっと言えば、自己顕示欲が強くて、公共心が強い、名誉欲が強い、金は別にそこまでって人。資本は体のみのゼロ円ビジネスなので、リスクは非常に低い、別に会社をやめなくてもいいし。うまくいけばテレビや雑誌に連載をもったり、バラエティ番組でさんまさんと競演することも。
たらたらと書いたが、これらはお互いに重複する部分が多々ある。
なぜなら現代人が根本的に求める欲<権力欲、自由欲、変化欲、金銭欲、伝道欲>を無限大のベクトルで突き詰めた役割を書いただけだから。
つまり、欲は欲で型にはまってどれかを取捨選択する必要などまったくないのである。
俺だって自分の確固たる専門分野を持って好きなことだけしたい、海外にも住んでヨットを乗り回したい、会社も興して大金を稼ぎたい、大企業の社長として議員をあごで使いたい、ドラッカーも驚くような本も書きたい。
やっぱり自分のブログに投下する勇気がでないので初めて増田に投下してみる。
[コラム] 「好きを貫く」ことと大企業への就職 - http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070402
大企業で働くということ - GoTheDistance - http://d.hatena.ne.jp/gothedistance/20070503/1178198680
を読んで、概ねほんとそうだな〜って感じだけど、
多分これに直感的に全部当てはまる!って人も全然違う!って人もいないんじゃないのか。
人間ってどちらの側面も備えているものだと思うし、考え方が変わる人もいると思う。
とりあえず、大企業に勤めて8年目になる俺なりに、考えなおしてみた。
Yes.
悔しいことに今の会社に入ってから気づいたけど課題解決型の仕事は合ってると思う。
新規創造型の仕事をしたし、させてもらえるいいポジションではあるけれど、
やればやるほどセンスがないなぁ、無理だなぁと思う。
俺にはトップに立つ仕事は無理だけど、トップを横で支える仕事が向いてる。
どちらかというと Yes.
好き嫌いやこだわりが細かくないというか、全てのことに好奇心ありすぎなんだよ俺。
なので好き嫌いを考える前にとりあえず全部やりたいと思う。
だから人に対しても好き嫌いを感じるより前に、こんな考え方をする人がいるのかぁ、世界って広い!って思う。
苦手を克服するのは苦手だと思うけど、結局好奇心のほうが勝つのでなんとか頑張ってる。そんな感じだと思う。
学生時代なら全然Yes. 今は気持ちはYesだけど体力的にNo.
これはなんというか今の会社のワークスタイルに慣れてしまった感が本当に否めない。
持久力はなくなってしまったなぁ。。
他社とか行った友達見ると、死ぬなよ、、と思ってしまうと同時に俺の仕事超ぬるいなぁと思う。
No.
自分がとても頑張った仕事でも、名前が載ることはないに等しい。
あと大企業ならではだと思うけど、入社8年目にもなるのにプロジェクトリーダーとかやったことないぜ!
いつまでも下っ端。プロジェクトの舵取りは俺がやってても、リーダーは別の人。
あいつらリーディングじゃなくてコンヒュかけまくってるだけだぞ現場に。
他社の友人たちがどんどん肩書きとかもらって自分の裁量であれこれやっているのを見てると
羨ましいというのを通り越して、
他社に転職とかもう無理なんだろうなーと人生諦めてしまう感じがする。
すごく熱をいれてやったプロジェクトでも、
プレゼン自体は先輩がやる、とか
その後の経過は知らされない、とかしょっちゅう。
で、知らないうちに、自分が思い描いていたコンセプトと違う方向性に決まってて
そんなプロジェクトしらんわ!ってなる。
せっかく顔が繋がった他部署や外部の人との関係も、
プロジェクトが終わると続きづらい。
だって続くための仕事を発注する裁量がないし。もう慣れたけど。
なので、最近今後も何かしら続いておきたいという人とはSNSの連絡先を交換するようにしている。
名刺交換をする機会が多いのは、今の部署の特権なのかな。
政治的行動は好きではないし苦手だけど
責任感は強いほうだと思う。
昔だったらNo, 最近は居心地の良さに慣れてしまったんだろうYes.
昔だったら体力あったから短期決戦大好き!
今は、、ちょっと避けちゃうかも。
No.
大嫌い。
Yes.
No.
嫌いだけど、ルール作らないと効率的に仕事回らないから作る側に回らざるを得ない。
Yes.
仕事失敗してもきっと誰かがカバーしてくれるだろうし。(っていう気持ちで仕事したことはないけどな)
Yes.
うーん、いるにはいるかも。
それでも、何も考えなくてもっていうのは言い過ぎだとは思うが
専門外の職場に異動してもなんとかなるっていうのは大企業ならではなのかな。
意味はあるとおもうけど、無用の仕事を生み出しているとも思う。
なのに、本当に忙しい部署にはなぜか人がいないっていう。
Yes.
似たようなプロジェクトが他部署でもやってるなんてことはザラ。
同じ会社なんだからもっとオープンにしようよーと思うことしばしば。
明日には決めてほしい内容でも
平気で1週間とか待たされる。まじでふざけんな。
ペーパーワーク80%といっても過言ではない。
最高で8人の偉い人のハンコが必要な承認案件に関わったときはマジでアホかと思った。
これ書いてて思ったのは、入社当時とは明らかに考え方が変わってるな〜ということも確実にあって
そこについては、いいことなのか悪いことなのかまだ判りかねています。
染まってきちゃったのかなぁ。