はてなキーワード: 学位とは
http://d.hatena.ne.jp/next49/20131127/p2
私大のシミュレーション系の研究室の教員やってるんだがこれは同意。
願わくばちょっと研究室に居にくい雰囲気になってもせめて毎日どこかで顔出してほしい。
大学にいる時の荷物置き場でもいいし、バイトまでの時間つぶしでいい、授業合間の空き時間つぶしでもいいし、
研究室でただ座ってるだけでも、スマホいじってても、漫画読んでても、ニコ動見ててもいい。
ただ座ってるだけだと退屈だし苦痛だろうから何か研究に関する小さな仕事をお願いするけどね。
それがたまにしか来ないと長期的な大きな仕事として渡したくなってしまうし、
お互いお互いがわからないから疑心暗鬼になって冷たくなるのよ。
基本的に人間は害意なく自分の周りを日常的にうろつく人間を嫌いになったりしないし、
「そんなこと当然」とムチを振るう教授も、学生のレベルに慣れてくれば言い方を変えてくれる。
まあ度を超えて空気が悪いようなら然るべき相談先に行って研究室をかえてもらえばいい。
そもそもB4学生に学位を取らせなきゃならん義務は教員の方にあるのよ。
だから、きちんと毎日でてきて何か研究らしいことやった学生なら
たとえ研究が失敗したとしても学位は来る。
失敗の責任は教員の方にあって、
「学生の能力外の仕事を振った上にそれに対して適切な指導をしなかった」
って過失があるわけだし、
なにより「そこに何もないことが分かった」「こうやっても上手くいかないことがわかった」
ことだって学部生が出せる重要な成果なのだから。
教員サイドだって渋りたくない。留年とか色々手続きめんどくさいし。
それが欠席が常態化してるとか、結果何もやりませんでしたとなると、どうしても教員の責任外ってなっちゃうのよ。
とまあこう書いたわけだが、うちの研究室には今年一・二度しか顔見せてない留年生がいる。
残念なことにその一・二度でその子を救えるほどの器量は私にはなかった。
私は今の研究室についてまだ半年の新任なわけで彼と親分の間の確執を知るところではないが、
うちの親分ちょいと学生に対するムチが強すぎるん思うんだ。
「元気な良い子」はその「おかげ」か成果をだしてしまうのが悩ましいところで。
今から始めても本当はしんどいとこなんだけど、これからでも毎日来てくれれば学士の学位ならなんとかなり得るのにな、
とか思いつつここに書いてみたりして。
元増田です。
経過報告があれば、とあったので少し。
その途中、妻の高校時代の友人が出産した、という連絡があったらしい。
帰りにイオンに寄ったけど、その時はそれなりに機嫌良さそうにしてた。
帰宅すると、なんだかまた元気ない感じに。
友人の妊娠を全く知らなかったそうなのだが、どうやら他の友人は知っていたような気がする、
とか言ってどんどん落ち込んでいった。
私には友達がいない、もう子供に戻りたい、友人の赤ちゃんの写真見ても全然子供欲しいと思えなかった、とかなんとか。
いろいろご機嫌とったり、あそこいこっか? とか提案するけど、全く乗り気にならず。
僕はあなたを必要としているし大変感謝しているというようなことも伝えてみるけど対して反応もせず。
長引くようなら心療内科連れてこうか悩んできた。
ちなみに田舎にきた経緯なんだが。俺は大阪のど真ん中出身、お嫁さんは某地方の中心都市出身。
俺は研究者で、学位とった後、お嫁さんの住む都市でポスドクをしていた。
で、そこで出会って、結婚することになって、とにかくいろいろ公募に出しまくった結果、とてもレベルの低い研究機関だけども、
とにかくパーマネント職にありつけることになった。
場所は、お嫁さんの、というか今まで2人が住んでいた県の隣県。
俺はできれば関西に帰りたかったけども、とにかく定年まで働けるパーマネントだし、隣の県ならお嫁さんはすぐ実家にも帰れるし、
悪くない話だと思って引っ越してきた。
隣の県の、県庁所在地ならよかったんだけどね…
お嫁さんはもともとそんなに働きたくもなかったし、したい仕事もないらしい。
なんか収入を得たい気はしているけど、田舎なのでいい職もないし、したい仕事もないし、という感じで、行動には移せてない。
俺は、好きなようにしてれてかまわないと言っているのだけど、しなきゃいけない義務感と、したいと思えない自分の間で悩んでいるような気がする。
あと、実家の母親や妹との関係でも、いろいろ悩むところがあるようだ。
と言っても、してあげられることはそんなにないのだけどね。
まあなんか、いろいろいろいろ、考えちゃうみたいなんだなあ。
任期はあるけど、周りにいる人が優秀なため、とりあえずは自分が必死に研究すれば論文は書いていけそう。
研究者としての船出は上々だろう。
最近かえさなくてもいいのではないかとかそういう一部の人の意見がネットをにぎわしている。
僕は返さないと駄目だとは思っている。
借りたものは返す。当たり前だ。
今30歳手前。まだまだリスクをとって、頂を狙って生きたいのである。CNS(笑)ではなくあと10年くらいは本気でそういうところを目指したいと思っている。
もちろん、そのためには給与の保証のないベンチャーみたいなところに行くこともあるかもしれないし、まだもう少し誰でも知っているような研究室で勉強をすべきかもしれない。
払えないものは払えないと突っぱねて、自分のやりたいことをちゃんとやるべきなのか、はたまた、借りたものは借りたものとして、それは最小限の足かせとして生きていくべきなのか。
もちろん理由を言えば、まだましな理由なのかもしれないけど、結果払えなくなる可能性もあるわけで・・・。
今学部、修士のときに借りてきた奨学金は学生特例で支払いを待ってもらっている。
しかも今払い始めるとなれば金利も最低だ。(景気が上向いていなくて助かった。不幸中の幸い)
そういう焦げ付きも金利には想定してくれているのかな。
ちなみに論文提出は、今週末に控えている。
一
或春の日暮です。
とある大学の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の男性がありました。
男性は、元はとある大学院で学位を取得し、その後に海外へ留学し、帰国後別の大学の助手となりそこで三大誌に論文が掲載されて、元いた大学の助教授になったものでしたが、助教授就任後はこれといったデーターがなく、多数の大学院生やポスドクを採用したおかげで科研費が底をつき始め、今はその月の研究費にも困る位、あわれな状態になっているのです。
「日は暮れるし、腹は減るし、その上、学生やポスドクたちがデーターを出さないし。こんな思いをして生きている位なら、いっそ死んでしまった方がましかも知れない」
助教授はひとりさっきから、こんな取りとめもないことを思いめぐらしていたのです。
するとどこからやって来たか、突然彼の前へ足を止めた、白衣を着てメダルをぶらさげた老人があります。それが夕日の光を浴びて、大きな影を門へ落すと、じっと助教授の顔を見ながら、
「お前は何を考えているのだ」と、横柄に声をかけました。
「私ですか。私は研究のためのお金がなくなりつつあるので、どうしたものかと考えているのです」
老人の尋ね方が急でしたから、助教授はさすがに眼を伏せて、思わず正直な答をしました。
「そうか。それは可哀そうだな」
老人は暫く何事か考えているようでしたが、やがて、往来にさしている夕日の光を指さしながら、
「ではおれが好いことを一つ教えてやろう。今この夕日の中に立って、お前の影が地に映ったら、その頭に当る所を夜中に掘って見るが好い。きっと研究予算を獲得する手掛かりが埋まっている筈だから」
「ほんとうですか」
助教授は驚いて、伏せていた眼を挙げました。ところが更に不思議なことには、あの老人はどこへ行ったか、もうあたりにはそれらしい、影も形も見当りません。
二
助教授の研究課題は次の年に、科研費の中でも大型予算の研究課題に採択されました。あの老人の言葉通り、夕日に影を映して見て、その頭に当る所を、夜中にそっと掘って見たら、”Photoshopを用いてウェスタンブロットの非特異的バンドを消す方法”と書かれたメモが出て来たのです。彼には何のことだかわかりませんでしたが、とりあえずそれを研究室の助手に渡しました。するとその助手の書いた論文はScienceに掲載され、それによって次の年に大型予算の研究課題に採択されたというわけです。
そして教授へ昇進した男性は、すぐに研究所の横に立派なマウス小屋を作成して、よりたくさんのノックアウトマウスを飼育できる研究環境にしたのでした。実験器具に関しても全て使い捨てで、かつ高価な試薬や抗体を惜しげも無く購入したりなどと、その贅沢を一々書いていては、いつになってもこの話がおしまいにならない位です。
しかしいくら大型予算に採択されたと言っても、お金の額には限りがありますから、さすがの教授も、一年二年と経つ内には、だんだん不安になり出しました。そうすると研究はなかなか進まないもので、いままではデーターがたくさん出ていたのに、最近はどんなに学生やポスドクにプレッシャーをかけても全くデーターがでてきません。とうとう三年目になるとデーターが無いために論文が全く出なくなってしまいました。
そこで彼は或日の夕方、もう一度あの大学の西の門の下へ行って、ぼんやり空を眺めながら、途方に暮れて立っていました。するとやはり昔のように、老人が、どこからか姿を現して、
「お前は何を考えているのだ」と、声をかけるではありませんか。
教授は老人の顔を見ると、恥しそうに下を向いたまま、暫くは返事もしませんでした。が、老人はその日も親切そうに、同じ言葉を繰返しますから、こちらも前と同じように、
「私は最近論文がでないために、今の研究課題が終了する来年度以降の予算が獲得できなさそうなので、どうしたものかと考えているのです」と、恐る恐る返事をしました。
「そうか。それは可哀そうだな。ではおれが好いことを一つ教えてやろう。今この夕日の中に立って、お前の影が地に映ったら、その頭に当る所を夜中に掘って見るが好い。きっと予算への手掛かりが埋まっている筈だから」
老人はこう言ったと思うと、今度もまた人ごみの中へ、掻き消すように隠れてしまいました。
すると、教授の研究室の論文はまたハイインパクトな雑誌に掲載され、その翌年には前よりさらに大型予算の研究課題に採択されました。と同時に相変らず、仕放題な贅沢をし始めました。さらに多くなった部屋、さらに増えた学生やポスドク、多数の高価な試薬や抗体、すべてが昔の通り、否、昔以上なのです。
ですが、あれだけ長く続くように見えたその大型予算の研究課題も、又五年ばかり経つ内には、すっかりなくなってしまいました。
三
「お前は何を考えているのだ」
老人は、三度教授の前へ来て、同じことを問いかけました。勿論彼はその時も、大学の西の門の下に、ぼんやり佇んでいたのです。
「私は研究のための予算がまた無くなりそうなので、どうしたものかと考えているのです」
「そうか。それは可哀そうだな。ではおれが好いことを一つ教えてやろう。今この夕日の中に立って、お前の影が地に映ったら、その頭に当る所を夜中に掘って見るが好い。きっと予算への…….」
老人がここまで言いかけると、教授は急に手を挙げて、その言葉を遮りました。
「いや、期限付きの予算が欲しいのではないのです」
「期限付きの予算が欲しいのではない? ははあ、では研究室のトップとしての生活をするにはとうとう飽きてしまったと見えるな」
老人は審しそうな眼つきをしながら、じっと教授の顔を見つめました。
「何、研究室のトップの生活に飽きたのじゃありません。研究室の予算に限りがあることに愛想が尽きたのです」
教授は不平そうな顔をしながら、突慳貪にこう言いました。
「それは面白いな。どうして又、予算に限りがあることに愛想が尽きたのだ?」
「期限付きの研究予算は皆残酷です。私が科研費に採択された時にはいいですけど、一旦予算が切れて御覧なさい、多数のポスドクが無職になり、欲しい試薬や抗体が買えなくなるのですよ。そんなことを考えると、たといもう一度、科研費の大型予算に採択されたところで、何にもならないような気がするのです」
「そうか。いや、お前は若い者に似合わず、感心に物のわかる男だ。ではこれからは貧乏をしても、安らかに暮して行くつもりか」
博士はちょいとためらいました。が、すぐに思い切った眼を挙げると、訴えるように老人の顔を見ながら、
「それも今の私には出来ません、多数のポスドクや学生を抱えているし、最新の機材や多数の抗体を購入しなければならないので、永続的かつ多額の予算が必要なのです。ですから私はあなたの弟子になって、名誉教授になる修業をしたいと思うのです。いいえ、隠してはいけません。あなたが首からぶら下げているメダルはノーベル賞でしょう。ノーベル賞を受賞するくらいの名誉教授でなければ、私の研究課題を科研費の大型予算に採択することは出来ない筈です。名誉教授になれば私の在職中は使い切れないほどの研究予算が手に入るはずなのです。どうか私の先生になって、名誉教授になる術策を教えて下さい」
老人は眉をひそめたまま、暫くは黙って、何事か考えているようでしたが、やがて又にっこり笑いながら、
「いかにもおれはある有名大学に棲んでいる名誉教授だ、かつてノーベル賞を受賞したこともある。始めお前の顔を見た時、どこか物わかりが好さそうだったから、二度まで科研費の大型予算に採択してやったのだが、それ程名誉教授になりたければ、おれの弟子にとり立ててやろう」と、快く願を容れてくれました。
教授は喜んだの、喜ばないのではありません。老人の言葉がまだ終らない内に、彼は大地に額をつけて、何度も老人に御時宜をしました。
「いや、そう御礼などは言って貰うまい。いくらおれの弟子にしたところが、立派な名誉教授になれるかなれないかは、お前次第で決まることだからな。――が、ともかくもまずおれと一緒に、大学の奥へ来て見るが好い。」
四
「おれはしばらく隠居するので、お前はその間ここの研究室で、おれの戻るまで、ここで自分のしたい研究をし、好きに試薬を購入し、好きなだけポスドクを雇い、多数の大学院生を招くが好い。多分おれがいなくなると、いろいろな魔性が現れて、お前をたぶらかそうとするだろうが、たといどんなことが起ろうとも、決してハイインパクトな雑誌へ論文をだすことを止めるのではないぞ。もし一瞬でもハイインパクトな雑誌へ論文をだすことを止めたら、お前は到底名誉教授にはなれないものだと覚悟をしろ。好いか。天地が裂けても、ハイインパクトな雑誌へ論文を出し続けるのだぞ」と言いました。
「大丈夫です。決して研究を止めません。命がなくなっても、ハイインパクトな雑誌へ論文を出し続けます」
「そうか。それを聞いて、おれも安心した。ではおれは行って来るから」
その後教授は、いつも通りポスドクや学生に対して「三大誌もしくは姉妹紙に準ずる論文を出さないと、次のアカデミックポジションへ推薦しないぞ」「論文を出さない奴は、民間企業から内定をもらっても卒業させないぞ」と叱咤激励をしました。彼はこのように激励すれば、その人のデーターがある日突然ものすごく奇麗なデーターに早変わりすることをずっと経験していたからです。
五
ある日彼は、教授室のパソコンの前に坐って、論文投稿の準備をしていました。すると、突然、youtubeから「類似画像掲載論文について (うっかりミスか?偶然か?捏造・改竄・研究不正か?)」という動画が流れてきました。しかし教授は老人の教え通り、魔性に負けず研究を続けていました。
ところが又暫くすると、やはり同じようなウェブサイトが表れて、「研究不正防止を講釈してきた某教授の研究室で数多くの類似画像掲載論文投稿が相次ぎ浮上」と、教授を困惑させるのです。教授は勿論を無視しました。
と、どこから来たのか、ネットの匿名掲示板が表示されて「本当にあの論文のデーターは正しいのか、その研究は再現性が取れるのか」と書き込まれていました。のみならずそれと同時に、別の書き込みには、「あの研究室の論文はリトラクトするべきで、獲得した研究予算は返上すべきだ」とあったのです。
教授はしかし平然と、眉毛も動かさずに論文を執筆していました。
やがて匿名掲示板の住人達は様々な論文を罵り合い、そして互に隙でも窺うのか、暫くは睨合いの体でしたが、やがて誰が先ともなく一時に教授の悪口を書き込み始めました。が、大学へ正式な調査依頼が提出されたと同時に、匿名掲示板の住人達は霧の如く消え失せて、後にはまた静かな教授室が戻ってきたのです。しかし、教授はとうに息が絶えて、仰向けにそこへ倒れていました。
六
教授の体は研究室の机の上へ、仰向けに倒れていましたが、教授の魂は、静に体から抜け出して、地獄の底へ下りて行きました。
魂のみになっても論文を出さなければと考えていた教授ですが、地獄の鬼は、教授の姿を見るや否や、すぐにそのまわりを取り捲いて、階の前へ引き据えました。階の上には一人の王様が、まっ黒な袍に金の冠をかぶって、いかめしくあたりを睨んでいます。これは兼ねて噂に聞いた、閻魔大王に違いありません。 教授はどうなることかと思いながら、恐る恐るそこへ跪いていました。
「こら、その方はなぜ、地獄に来てまで論文を書き続けるのだ? 速に返答をすれば好し、さもなければ時を移さず、地獄の呵責に遇わせてくれるぞ」と、威丈高に罵りました。
教授は閻魔大王の雷のような声におののきましたが、ふと又思い出したのは、「決してハイインパクトな雑誌へ論文を出し続けるのを止めるな」という老人の戒めの言葉です。そこで森羅殿の床に英語のようなものを指で書きながら、論文の執筆をしていたのでした
。
閻魔大王は眉をひそめて、暫く思案に暮れていましたが、やがて何か思いついたと見えて、
「この教授の研究室の人は、ひどく惨めな生活をしている筈だから、この男にそのさまを見せつけてやれ」と、一匹の鬼に言いつけました。
鬼が何やら不思議な力を使うと、忽ちこの教授の研究室の人間たちの真夜中の姿が森羅殿に現れました。その二人を見た教授は、驚いたの驚かないのではありません。なぜかといえばそれは研究室の人間達たちは昼間見せないような疲れ果てた姿をして、パソコンの前で画像を編集して捏造データーを作成していたからです。
「こら、その方は何のために、ハイインパクトな雑誌へ論文を出し続けていたか、さっさと止めなければ、今度はその方の研究室の人間が痛い思いをするぞ」
教授はこう嚇されても、やはりハイインパクトな雑誌へ論文に投稿し続けようとしました。
「この不孝者めが。その方は学生やポスドクが苦しんでも、その方さえ都合が好ければ、好いと思っているのだな」
閻魔大王は森羅殿も崩れる程、凄じい声で喚きました。
「見よ。この不孝者め。研究室の人間がいかにその方のことで苦労してきたかを」
学生やポスドクたちは苦しそうに身を悶えて、眼には血の涙を浮べたまま、見てもいられない程辛い様子でパソコンの前で作業をしていました。
「どうだ。まだその方はハイインパクトな雑誌へ論文の投稿を止めないか」
閻魔大王はもう一度教授の答を促しました。もうその時には学生やポスドクたちは体がぼろぼろになって、息も絶え絶え倒れ伏していたのです。
教授は必死になって、老人の言葉を思い出しながら、かたく眼をつぶっていました。するとその時彼の耳には研究室の人たちの声が、ほとんど声とはいえない位、かすかな声が伝わって来ました。
「心配をおしでないでください。私たちはどうなっても、教授が幸せになれるのなら、それより結構なことはないのです。私たちは捏造を続けるので、周りがどう言ってもハイインパクトな雑誌に論文を出し続けてください。それより私たちには、次のアカデミックポジションを得るためには教授の推薦状が必要ですし、民間企業に就職するためには教授に卒業を認めてもらうことが必要なのです」
それはたしかに、研究室の人たちの声に違いありません。教授は思わず、目を見張りました。そうして学生やポスドクたちが、力なく地上に倒れたまま、悲しそうに彼の顔へ、じっと眼をやっているのを見ました。学生やポスドクたちは捏造したことにより心が痛んでいる中にも、教授の心を思いやって、教授が捏造を続ける原因となったことを怨む気色さえも見せないのです。何という有難い志でしょう。何という健気な決心でしょう。教授は老人の戒めも忘れて、転ぶようにその側へ走りよると、両手に半死の学生やポスドクを抱いて、はらはらと涙を落しながら、その人たちの名前を叫びました。…………
七
その声に気がついて見ると、教授はやはり夕日を浴びて、大学の西の門の下に、ぼんやり佇んでいるのでした。すべてがまだ前と同じことです。
「どうだな。おれの弟子になったところが、とても名誉教授にはなれはすまい」
老人は微笑を含みながら言いました。
「なれません。なれませんが、しかし私はなれなかったことも、反って嬉しい気がするのです」
「いくら名誉教授になれたところが、私はあの捏造をしている自分の研究室の人間を見ては、それを放っておく訳には行きません」
「もしお前が捏造を見過ごしていたら――」と老人は急に厳な顔になって、じっと教授を見つめました。
「もしお前が捏造をこのまま見過ごしていたら、おれは即座にお前の研究者生命を絶ってしまおうと思っていたのだ。――お前はもうノーベル賞が欲しいというのぞみも持っていまい。名誉教授になることは、元より愛想がつきた筈だ。ではお前はこれから後、何になったら好いと思うな」
「何になっても、研究者らしい、正直なデーターを出すよう、指導するつもりです」
「その言葉を忘れるなよ。ではおれは今日限り、二度とお前には遇わないから」
老人はこう言う内に、もう歩き出していましたが、急に又足を止めて、教授の方を振り返ると、
「おお、さいわい、今思い出したが、おれは近くの小さなボランティア団体にコネを持っている。そのボランティア団体での塾講師の仕事をお前に紹介してやるから、ほとぼりが冷めるまではそこで働くが好い。今頃は丁度子供たちはお前が教えてくれることを楽しみにしているだろう」と、さも愉快そうにつけ加えました。
21世紀という時代は基本的にモノをなんでも作ることができる時代だ。
たとえば、
誰が着ても格好よくなる服とか
みんながいいと思える音楽とか
プロダクトの視点でいえば、本当に基本的にモノがつくれる時代だと思っている。
だからこそ
プロダクトの伝え方であったり
それはさておき
お金は必要だが、時間的なものも含め、コストは大きく下がった。
人は見つけられる、質の高いものを少数人数で時間もお金もかけずにプロダクトを生み出すことができる。
大きく1つ疑問が残る。
突如として時代が大きく動く
そんなタイムパラドックスをとても楽しみにしている。
" 家は大きくなったが、家族は減った。
どんどん便利になったが、余暇は減った。
知識は増えたが、判断ができなくなった。
専門家が増えた分だけ、問題も増えた。
薬は増えたが、健康だと思う人は減った。
月まで行って帰ってくるが、向かいの人に会いに行くのに、
道を横断するのも大変になった。
量は増えたが、質は下がった。
背は高くなったが、気は短くなった。
大儲けはできたが、人間関係は疎遠になった。
窓にはたくさんのものが飾ってある時代だが、冷蔵庫は空っぽだ "
21世紀型のイノベーションは、21世紀育ちの僕たちにしかできない。
やろうね。
とくに最近はてブとかで人気の学歴関係のエントリを読んだわけじゃない。
自分は都内の大学院でドクターとって地方国立大で研究員やってる。
大学生がまわりにいつもいる状態。
出身大学とか学位の件で違和感や溝みたいな感覚を感じることはある。
親もだいたい似たようなガクレキ。
父親なんか無駄に海外でのポスドク経験なんかある。もっとも、かなり昔にアカデミアから去って会社員やってる。
「戦争でろくに学校なんか行けなかった」と言ってる祖母にしても師範学校出身だ。
で、ガクレキ的には良家? っぽい自分と両親だが、父親の実家はなんか違う。と、少なくともわりと有名な進学校に行き出したあたりから自分は思うようになった。
父方の祖父は中卒だが、なんとか全員大学に行かせたかったらしく、一応どんなにお勉強が不得意でもそれなりに行ける大学を探してきて放り込む、という考えだったらしい。
父方の祖母についてはわからない。
自分も「溝」を強く感じることはある。
東大はじめとした旧帝大出身の教授や準教授たち(自分は誰でも入れる大学から誰でも入れる大学院に行って学位取った)、海外での留学やポスドクをやってきた同世代の知り合い…といったように。
勉強だけは出来るタイプと言ってるけど、学部時代の成績はどうだったんだろうか?どの講義でも9割以上手堅く取れるタイプなら、メンタル的に参っていたとしても、また、それが他大だったとしても院試勉強で悩むことなんてないんじゃないかなあ。
あと、メンタル的な部分だけで言わせてもらうと、元増田は研究生活はあんまり向いていないと思う。勝手に判断するのは申し訳ないけど、劣等感を持ちやすいという元増田の特性は結構厄介だと思う。それが競争心にうまく転化できればよいのだけど、劣等感の克服自体が研究者になるためのモチベーションになっているのだとしたら、仮に学位が取れるところまで漕ぎ着けても仕事として続けていくのは辛いと思う。もちろん、研究する力はメンタル面だけではないので、論文をゼロから独力で仕上げることができる能力さえあれば研究を続けていくことは可能だがね。劣等感を持ちやすいとかクヨクヨしやすいみたいな性格的な問題点は、研究を遂行するための能力である程度はカバーできるから。
研究を続けるかどうかについては、定年まであるいは死ぬまでのライフワークとして考えた時に、本当に研究で良いのかどうか考えてみるのが良いと思う。これは、どの仕事にも言えることだけどね。
昔どうだったのか知らないけど、今は修士くらいまでだったら問題児でもとれてしまう。というか、問題児だと本当は無理でも修了させてしまう。
なぜなら問題児は教授にとってもやっかいで早いところ追っ払いたいからだ。もし学位をやらないともう一年、二年と居座られるかもしれない。
問題児を具体的に挙げると、やたら他人に突っかかったあげく被害妄想から研究どころではなくなってしまった学生とか、一切研究室に顔を出さないでサークル活動にいそしんでおりたまに来たとしても何もしたがらない学生とか、そんな感じの面々。
そういう学生に対して指導が行き届いていないというのもあるだろう。でも、それって学生とは言え大人に対して大学が手を出すことか?と言う気もする。
そしてそういう人たちに与えられる学位は一体何なのだろう。彼らはなんの呵責もなく「学士・修士取りました」というのだろうか。がんばって学位を取った人間は余計な努力をしてしまったのだろうか。もちろんがんばったことで得るものはあるだろうけど、がんばらなかった人と同じ学位とは思えない。なんだか納得いかない。
何の実務経験も専門的知識もない奴でもとりあえず「新卒」というだけで雇ってくれて、
大学で習った内容と無関係の業務でも、一通りできるようになるまで会社負担で育成してくれるんだから、
職務経験がない「既卒」が採用されないというけど、むしろ外国ではそれが当たり前で、
だからみんな自腹で大学院行ったり無給インターンで働いてるんだけど。
日本企業が学歴を軽視してるというのも、「新卒」を社内で育成するやり方に最適化されてるだけで、
「新卒」を採用するのやめればどの企業も学位や資格を重視して採用するようになるよ。
確実に今より若年失業率は上がるだろうけど。
私の出身中学も、女性教師が蹴られて退職したり、後輩が強盗で逮捕されるようなところだった
勉強と読書が好きで、小学校から成績が良かったのに、なぜか地元の中学に進学した私は
お互いに、集団からはみ出ていたので何となく気が合ったのだと思う。
30歳になって同窓会が催されたので行ってみたら、意外と面白かった。
地元で就職し、結婚して家庭を持ち、土方やサービス業や飲食店で働き、
焼肉屋やラーメン店で食事を楽しみ、地元最高と言いながら小さい世界で生きていた
(さすがにプチ犯罪はなかったが)。
だが、「最近どう?」と言いながら酒をついで、色々細かいことを聞き出してみると、
彼らなりの苦労があったり、商売の工夫があったり、人生楽しむコツがあったり、
興味深い話が色々出てくる。子育ての悩みについて「お前はかしこいから相談に乗ってくれ」と言われたり。
こっちが壁を作らずに、心開いて話してみれば、
30歳にもなればもう大人だからか、意外といけるもんだなと思った。
お互いに「うらやましい」とかそういう感じもなくなってくる。
人生の道がお互い違うのは当たり前ということが分かってくるから。
元増田も、まずは自分の生きる道をがんばって、それから同級生たちに会いに行けばいいと思う。
まぁもちろん話の合わない分野はいっぱいあるだろうけど、
お互いそういうもんだよね、という雰囲気も悪くないもんだ。
基本的に優秀な研究者が人格的にも優れているなんていうのはファンタジーで、教授なんてものはほとんど社会性が欠落しているから教員をやっているのであって、研究室選びは教官の人間性含めてしっかり事前調査すべきである。それでも学生の拘束時間は昔よりはだいぶマシにはなってると思うが。いまの学生は最先端の研究や設備より拘束時間や充実した学生生活を重視するので、あんまり厳しいと死ぬ気で留学して来たアジア系の留学生しか集まらなくなるし。
今回のブラックと批判されている件で特に悪辣だなぁと思うのは、薬学部のDを退学させた上で助手にして追い込んだ件である。色々厳しいといっても、基本学生は学費を払っている"お客様"なので労働を強制することはできないわけで、薄給で教員にしたあげくボロ雑巾のように扱き使うなど言語道断。雇用形態がどうだったか詳しくはわからないけれども、規定ではたしか助手は助教より更新任期が短くて3年更新だったはずである。いまは論博なんてほぼ通さないので助手をやりながら社会人Dコースに再入学して学位を取らないとキャリア的にも手詰まりだったはずである。
あと俺が色々問題だなぁと思うのは、労働にお金を払う文化がないんだよね。兵隊をギリギリまで扱き使って研究費は極力装置に回すみたいな。そのくせ企業からみたらまともな調達できてるとは言い難いし。元は税金だぜ・・・。
雑用だって仕事だし、学生の雑用にもRA扱いとかして金つけてやるべき。あとタイムカードぐらい本部が仕切って導入させろ。研究に対して口を挟むのは問題だが、労務管理なんて教授会が介入するマターじゃなくて本部が決めることだろ。
俺は東北大学を今年卒業した社会人だが、覚えてる範囲で概略をつらつら述べてこうと思う
俺がいたのは理学部のとある学科だ。そこでマスターまでとった。
修論を書いてる時は心労でマジで死ぬかと思った。何度か理学部にある総合棟から身を投げそうになった。
今から話す内容はあくまで一部の事である。特定を避けるためにあえて抽象的にしてある。すまない。
ブラック企業に選ばれた理由を理解してもらう一番簡単な方法は深夜、何時でもいいから東北大学のキャンパス、特に山の上と呼ばれる青葉山付近に来てみることだと思う。
いくつかの研究室に明かりがついている。しかも、決まって同じ部屋に。
東北大学のすべての研究室がブラックということではない。特定の研究室がブラックなのだ。
土日も来るのは当たり前、深夜12時を回っても帰る学生がいない。つまり、週七日フルで働くわけだ。
言葉で書くと簡単だが、実際にやってみると相当きつい。行方不明になる先輩を何人も見てきた。
体調が悪くなっても学校に出てくることはざら。休むとそこで実験がストップする。その影響で実験動物やサンプルが死んでしまうわけだ。そうするとさらに実験は後退する。
そうして体を壊してしまう人も何人もいる。
全体でみると8割から9割はそのまま卒業するが、残りの人たちはそういうブラック研究室に知らずに、もしくは夢を見て入ってしまい、大学を去らなければならなかった人たちだ。
当然彼らも同じような労働環境で働いている。(基本的に学生は教授らが帰ってからでないと帰れないが)
だが彼らは過酷な労働環境に対する耐性が強い。自分にできるのだから他の教員にも、学生にもできるという考え方を強く持っている。
その考え方と研究成果に対するプレッシャーがブラック研究室を生む。
研究室には進歩状況の発表がどこにでもあると思う。ブラック研究室はそれが圧倒的に厳しい。
そこで実験をしていないと思われる学生(つまり他の人と比べて早く帰っている学生)がつるしあげられる。
そこでまず実験能力について否定される。理学部を選んだ学生は大なり小なり研究者になりたいという夢を持っている。
それをまず徹底的に否定される。研究室においては先生方の言うことが絶対だ。
そして次に人格否定が入る。それを食らって心が折れない学生は少ない。
では実験をしていれば大丈夫かと言うと、そうでもない。研究成果が出なければつるしあげられる。
結局、運よく研究成果が出るまではつるしあげられるのだ。
俺は自分の大学しか知らないが、少なくとも、毎年一人、博士課程の学生が死んでいる。そして学部でも修士でも死ぬ人がいる。
それはほとんど報道されない。大学がもみ消すこともあるし、遺族が公表したくないということもある。
震災の後処理で死んだ人も結構たくさんいた。研究室だけではなくサークルでも。
人が死んでることは、ブラック研究室によって洗脳されている俺たちにとってはさほど大きく響かない。
それよりも研究成果を出さなければ自分が社会的に死ぬことが本能的に分かっているからだろうか。
次は自分かも。死への欲求は甘く、現実はあまりに辛い。そういう風に思っている人が結構いると思う。
そもそも今回の話が大きくなったのは働いている教員が亡くなったからだ。
大学内で自ら死を選ぶ学生については大きく取り上げられない。未来を担う人材とか言っておきながらだ。
大学にいたころに筑波大なども同じような状況だと聞いた。どうあっても逃げられないという感覚があるからだろう。
学生は学位を人質に取られている。教員でも自分の将来を人質に取られている。
そこに過酷な労働環境とプレッシャーが追い打ちをかける。この世はすべてが研究成果で測られる世界だと。
実際にそういうことはない。それはあくまで一部の価値観である。俺は社会に出て、そうではないと気付くことができた。
だがしかし、そこにいる学生や教員にはそうは思えない。なぜか。新興宗教の洗脳に近いことが日常的に行われているためだ。
大学の中ででき上がった(アカデミックに)優秀な学生は今度は教祖となり同じような行動を繰り返す。
そうするとどんどん似たような研究室になっていく。
当然今はまともな研究室のほうが多い。あくまで一部だ。
だが、俺は数十年後には日本にブラック研究室しかなくなっていると思う。
このような再生産が日常的に行われているためだ。しかもたちが悪いことに人より働く量が多いから成果も出て、優秀な人間だと思われる。
大学の教員は研究成果がすべてだ。教育能力について問われることはないし、「大学は自ら学ぶところ」という体の良いいいわけまである。
ブラック研究室にいるという自覚のある学生は速くそこから脱出したほうがいい。
教員は「博士にならないと十分じゃない」だとか「今ではむしろ博士のほうが就職がいい」だとか言ってくるだろうが、
命をはかりにまでかけて、とる価値のあるものなのかもう一度よく考えろ。
仮に俺に子供ができたとしたら、果たして理系の大学に進ませるだろうか。死んでしまうかもしれないリスクを冒してまで。
当然、研究の楽しさもある程度知っているつもりだ。だがそれとはたしてトレードオフしてもいいことだろうか?
俺には分からない。
そしておそらく、ブラック研究室の教員はこの文章を読んで鼻で笑うだろう。
追記 7・7
元増田です。
ここに書いたことには特定されない程度のフェイクを入れてあるが核となるような労働環境についてはうそを書いていない。
こういう事例を見たことがないというのはよほど幸せな環境にいたのだろう。これは実在する研究室群の話だ。
ブラック研究室ばかりになってしまうというのはとある研究室の門下がブラック研究室を生み出し、さらにそれがネズミ算的に増えているのを見たためだ。
この話では実験系を念頭に置いている。理論系でも似たような例はあるのかもしれないが、残念ながらそこには詳しくない。
理不尽さがないように攻めてくる研究室もある。トラックバックにガチガチの正しさだけで攻めるのが一番つらいと書いてあったが、まさにその通りだ。
そういう研究室も含めると数はもっと多くなる。おそらく教員は教育というものを何かはき違えているとしか思えない。
個人的には好きでやっている学生は好きな時間だけやればいいと思う。それを否定することはできない。
しかし、全員が好きであり続けることができるのだろうか?体を壊しても好きであり続けられるのか?
全員が研究を好きであるべきでそれに人生をかけるべきだという考え方を他人に押し付けるのが正しいのかどうか。そしてそういうことを正義として絶対視することはどうなのか。
そういうことをブラック研究室の人たちによく考えてほしいと思う。何かに専念することは美しいと思うが、それは他人に強制されるものではないと思う。
色々間違ってる。
駄目です。何研究したんだ?それが役に立つ仕事なのか?関係ない仕事だとしたら研究することで得た経験が生かせるのか?
なれんわ。修士取った時点で助手のポストについてまずは博士論文書いて博士号とらないと何にしろ上へは行けないのは今も昔も一緒。
今は課程博士を経ないで助手(助教)になれる様なことがめったにないだけ。
昔だってお前みたいな奴は非常勤すらなれなかったわ。昔のが大学院に進む奴は少なかったし、
そもそも行くのが大変だからお前みたいな奴は殆ど進めなかっただけだ。
ああ、何で大学院に進んだんだろう。
何で大学に進んだんだろう。
景気が回復しても僕の景気は不況のまま、これからもこの状況が続くんならいっそ人を殺して
刑務所に入った方が気が楽かもしれんね。
留年しとけばよかったんかなー
やりたい事をやるために大学院まで行ったのに
でも入社月10月を目前に控えた9月の頭にまさかの内定切りに遭う。
世の中は不況とか関係なく既卒より新卒が重用される現実を知った日だった。
仕方がないからインターンシップや派遣社員に逃げようと考えた。
日々のルーティンワークもさることながらきっちり8時間労働でハロワにも行けず
転職サイトも、選考日のズレで応募すら出来ず、結局5月まで身動きが取れなくなった。
ちょうど2月頃から既卒を含む就活ラッシュだったのにその波に乗る事が出来ず
結局5月以降のどこかの零細ばかりが目立つ就職説明会に参加する羽目になった。
何かおかしくなりそう。
なんでどうして大学院まで出たのにクチがないんだろう。
昔の人の話を聞くと修士から教授になった人の話なんていくらでもいるっていうのに
今は博士の学位を取っても非常勤にすらなれないというし、大学院の存在意義がなくなってきた気がしてならない。
ああ、何で大学院に進んだんだろう。
何で大学に進んだんだろう。
同期の友達が社会人として立派に仕事をやってるのを尻目に僕は毎日ハロワと就職サイトのルーティンワーク。
小学生の時、公園のベンチで疲れた顔してぼんやりするサラリーマンのおっちゃんを見て、こうはなりたくないって
思ったはずの僕も現状がこれじゃもう駄目だ。言いようのない社会への失望と責任転嫁を考える。
それなのに、心のどこかではこの状況に喜んでさえいる。
異常だ。
異常事態だ。
もう誰も頼れないし、自分の力じゃどうしようもないのが分かってるのに
何も考えたくない気持ちでいっぱいになってしまっている。
それなのに、もうこれでいいやって楽しんでる自分がいる
鬱ってなりたくてもなれないんだね。
人生に絶望して死にたいと思ってもいつか自分を認めてくれるという微かで当てのない希望的観測を抱き続けているのだから、
鬱になりようがないんだって。
僕を知り僕を欲しいと言ってくれる企業はどこかに必ずあるはず、だって既卒でも一年目は内定取れたじゃないか。
もしかしたら11卒や10卒で内定一社も取れない人がいるかもしれない。
そんな人にしょうもない優越感に浸ってる自分に気付いて僕もクズだなと実感する。
景気が回復しても僕の景気は不況のまま、これからもこの状況が続くんならいっそ人を殺して
刑務所に入った方が気が楽かもしれんね。
こんな業績じゃ勝負できねえよ、とか、あの先輩ですら困ってるのにおれなんかじゃできねえよ、とか。
こんなクソ教授のもとじゃ研究なんてできねえよ、とか、こんな環境じゃいい実験なんてできねえよ、とか。
でもさー。
それでも藁にもすがる思いで公募出すとさ、案外面接呼ばれることもあるんだよ。
たまーにだけどね。
それから、JREC-IN なんかに公表されないような内々の公募も、実際にあるから、声かけてもらうこともなくはないんだよね。
学会での人脈つくりとか、コネもってる先生のもとにポスドクとして売り込んだりさ、そういうのしてるうちにルートに乗れることもあるにはあるのよ。
俺もまじで死ぬのかなー、教採でも受けようかなー、結婚したいしなー、アカポスとか不可能だろうし、はやく何か考えないとなーとか思ってたけどさ。
博士取得後の2年をダメポスドクとして無駄にしたけど、なんでか公募通っていまは安定したよ。
言いたいことは2つかな。
・諦めるなんていつでもできるんだから、2年くらいは目についた公募に全部出すこと。
・運が向いたときにそれをつかんですぐに転身するためにはそれなりの準備が必要になります。
だから必ず良くなる、必ずチャンスが来る、という気持ちで生きていよう、ということ。
実際さ、俺の先輩、「来月からうちの助教で来れる? 電話切る前に今答えて」て言われて「いますぐは答えられません」って電話切ったから自動的に消滅したことあったもんな。
俺も10月から来てって言われたとき、3月まで学位取れませんって言ってぽしゃった話もあった。
そんな誘いもあるから、どうせダメだわーって言ってたらまじで対応できないよ。
だからさ、必ず良くなる前提で生きて準備してないと後悔するよ。
案外チャンスはくるもんさ。
まあがんばんなさい。
悲観したって何も得られないよ。
ま、そうは言ってもやる気が湧いてこないのはすごくすごく理解できるけど。
俺もそんなだったわ。
でもま、いまやるべきことをやっていきましょ。
案外なんとかなるんだよ。
ね。
日本での児童ポルノ規制法改正、アメリカでは児童ポルノ規制はどのように論じられているのでしょうか?
著名なシカゴ学派の経済学者であるミルトン・フリードマンの息子、
経済学者デイビッド・フリードマンのブログ、「Ideas」から、
2012年7月1日の記事、Are Child Sex and Child Porn Substitutes? を紹介します。
↓原文URL
http://daviddfriedman.blogspot.jp/2012/07/are-child-sex-and-child-porn.html
本文を読んでみると作者の提案に日本との一致もあったり.....。
個人的には、アメリカでのポルノ法規制の地域によっての違いや、
チェコでポルノ法が緩和されており、実際に性犯罪発生率が大幅に下がっているということがコメント欄からわかり、
ポルノと性犯罪の関係性の真実より、私たちはポルノを認めないというシグナルを出すほうが大切。”
というコメントがしっくりと来ました。
日本はわざわざ通らなくてもいい道を通ることになるのか・・・。
また、一度児童ポルノを法規制してしまうと、緩和を唱える政治家は現れないであろうということも問題ですね。
※抄訳です。
本文もコメント欄も面白いので原文で是非両方とも読んでください。
本文要旨
”私は最近ニュースで、児童性愛は(おそらく生物学に基づいた、そしてまたおそらく変更できないであろう)
子供を守りたければ、人々に児童性愛を持たせないようにするのではなく、
児童性愛の行動を起こさせないようにするのが明かな結論だろう。
一つの方法としては子供との性交を罰する、ほかの方法としては、
簡単に手に入る代わりの物を作ることだろう。
この世には、かわいい女の子とセックスできない若い男がたくさんいて、
インターネットからのポルノ視聴が増え、レイプの数が減っている証拠もある。
児童性愛者も児童ポルノを見ると、実際の行為に及ばなくなるのではないだろうか?
もしそうならば、今の厳しい児童ポルノ規制は、実際には子供の危険を減らすというよりはむしろ増やしているのではないか?
そのような法律の言い分としてはは児童ポルノの商品そのものが児童への性的虐待であるというものだ。
―だが必ずしもそうではない。
児童ポルノは実際の年よりものすごく若く見える女優をパソコンの技術の助けも使って作ればよい。
間違いなく、そういうポルノを合法化すると児童性愛好者(好みとしての)は増えるだろうがね。
まあ、私の見る限り、法案を提出する真剣な政治家は一人もいないようだけどね。
少なくとも、もしまた立候補するのを予定している政治家なら。”
むしろ、漫画やアニメで児童ポルノを見ている分、より先進的ですね。
また、児童性愛が先天的な特徴であるというのは十分に論理的であると思います。
児童性愛が先天的な特徴であると論じている人は僕は日本のニュースでは見たことはないですが。
これに対してのコメント(16件)は様々で、
いいアイデアだと思えないと言っている人が、
大麻の議論ととても似ているという風に感じてしまう自分の自由主義者の資格が危険だと言っていたり、
私は特に日本では普通だと思いますが、アメリカでこういった発言をブログでするのでさえ思い切ったことなのですね。
清教徒による性への規制にはうんざりだという意見もありました。
反対派の人は
児童性愛が普通と言うならば、あなたの子供を性的虐待で苦しませることに同意するのだろうな
という過激な意見もありました。
”博士の学位をとるために検閲とインターネットについての論文も出した身で言うと、
”児童ポルノ”の定義は州で違うし、町が違うだけでさえ異なる。
いくつかの地域では年齢表示のない写真は合法の年齢の人であっても児童ポルノとして検閲されるし、
ハリーポッターとドラコ・マルフォイのBL(文章のみ)が、子供の性交を描写しているからとして
検閲される。またほかのいくつかの地域では棒人形を書いて”5歳のヌード”とラベルを張ると逮捕される。
君の言うように、再選したい政治家はそういう法案を提出しないだろうね。”
また実際にアメリカではないですが、オーストラリアでは棒人形で逮捕されています。 ←誤り、追記にて訂正しています。
http://www.slate.com/blogs/humannature/2008/12/16/is_this_child_pornography.html
また、他のコメントでのチェコにおける性犯罪とポルノについての論文の引用では日本も挙げられています。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21116701 ←論文
”児童ポルノが手に入ることと、児童への性的虐待の発生率の低下が関連付けられている論文が少なくとも一つある。
「特筆すべきは(チェコのポルノ法規制緩和後)、デンマークや日本のように児童ポルノの所持が
違法ではない国と同じく児童への性的虐待の発生が大幅な減少が見られたことだ。」”
ポルノと性犯罪の関係性の真実より、私たちはポルノを認めないというシグナルを出すほうが大切。”
また、オハイオ州最高裁のCGによる児童ポルノ合法であるとする2007年の判決が引用されているコメントもあります。
http://www.dispatch.com/content/stories/local/2007/07/26/CHILDPORN.ART_ART_07-26-07_A1_SF7CML1.html
しかし、2008年には連邦の最高裁判所が2003年にできた法律、 ”Protect Act”を維持すると宣言しています。
http://www.nytimes.com/2008/05/20/washington/20scotus.html?_r=0
※Protect Actでは児童ポルノがパソコンで作られたCG、あるいは、人の写真をデジタル加工したものであると判明した場合でも違法となる。
実際には存在しない児童ポルノを嘘をついて提供とするといったときでさえ違法とする法律です。
――初はてな初増田ですので、読みにくい個所、変なところがあればご指摘お願いします。
この駄訳がこんなにも読まれているとは。少し戸惑っています。
日本での児童ポルノ規制法改正、アメリカでは児童ポルノ規制はどのように論じられているのでしょうか?
著名なシカゴ学派の経済学者であるミルトン・フリードマンの息子、
経済学者デイビッド・フリードマンのブログ、「Ideas」から、
2012年7月1日の記事、Are Child Sex and Child Porn Substitutes? の要旨、コメントを抄訳しました。
↓原文URL
http://daviddfriedman.blogspot.jp/2012/07/are-child-sex-and-child-porn.html
本文を読んでみると作者の提案に日本との一致もあったり.....。
個人的には、アメリカでのポルノ法規制の地域によっての違いや、
チェコでポルノ法が緩和されており、実際に性犯罪発生率が大幅に下がっているということがコメント欄からわかり、
ポルノと性犯罪の関係性の真実より、私たちはポルノを認めないというシグナルを出すほうが大切。”
というコメントがしっくりと来ました。
日本はわざわざ通らなくてもいい道を通ることになるのか・・・。
また、一度児童ポルノを法規制してしまうと、緩和を唱える政治家は現れないであろうということも問題ですね。
※抄訳です。
本文もコメント欄も面白いので原文で是非両方とも読んでください。
本文要旨
”私は最近ニュースで、児童性愛は(おそらく生物学に基づいた、そしてまたおそらく変更できないであろう)
子供を守りたければ、人々に児童性愛を持たせないようにするのではなく、
児童性愛の行動を起こさせないようにするのが明かな結論だろう。
一つの方法としては子供との性交を罰する、ほかの方法としては、
簡単に手に入る代わりの物を作ることだろう。
この世には、かわいい女の子とセックスできない若い男がたくさんいて、
インターネットからのポルノ視聴が増え、レイプの数が減っている?証拠※もある。
児童性愛者も児童ポルノを見ると、実際の行為に及ばなくなるのではないだろうか?
もしそうならば、今の厳しい児童ポルノ規制は、実際には子供の危険を減らすというよりはむしろ増やしているのではないか?
そのような法律の言い分としてはは児童ポルノの商品そのものが児童への性的虐待であるというものだ。
―だが必ずしもそうではない。
児童ポルノは実際の年よりものすごく若く見える女優をパソコンの技術の助けも使って作ればよい。
間違いなく、そういうポルノを合法化すると児童性愛好者(好みとしての)は増えるだろうがね。
まあ、私の見る限り、法案を提出する真剣な政治家は一人もいないようだけどね。
少なくとも、もしまた立候補するのを予定している政治家なら。”
むしろ、漫画やアニメで児童ポルノを見ている分、より先進的ですね。
また、児童性愛が先天的な特徴であるというのは十分に論理的であると思います。
児童性愛が先天的な特徴であると論じている人は僕は日本のニュースでは見たことはないですが。
これに対してのコメント(16件)は様々で、
いいアイデアだと思えないと言っている人が、
大麻の議論ととても似ているという風に感じてしまう自分の自由主義者の資格が危険だと言っていたり、
私は特に日本では普通だと思いますが、アメリカでこういった発言をブログでするのでさえ思い切ったことなのですね。
清教徒による性への規制にはうんざりだという意見もありました。
反対派の人は
児童性愛が普通と言うならば、あなたの子供を性的虐待で苦しませることに同意するのだろうな
という過激な意見もありました。
博士の学位をとるために検閲とインターネットについての論文も出した身で言うと、
”児童ポルノ”の定義は州で違うし、町が違うだけでさえ異なる。
いくつかの地域では年齢表示のない写真は合法の年齢の人であっても児童ポルノとして検閲されるし、
ハリーポッターとドラコ・マルフォイのBL(文章のみ)が、子供の性交を描写しているからとして
検閲される。またほかのいくつかの地域では棒人形を書いて”5歳のヌード”とラベルを張ると逮捕される。
君の言うように、再選したい政治家はそういう法案を提出しないだろうね。”
また実際にアメリカではないですが、オーストラリアでは棒人形で逮捕されています。
http://www.slate.com/blogs/humannature/2008/12/16/is_this_child_pornography.html
また、他のコメントでのチェコにおける性犯罪とポルノについての論文の引用では日本も挙げられています。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21116701
”児童ポルノが手に入ることと、児童への性的虐待の発生率の低下が関連付けられている論文が少なくとも一つある。
「特筆すべきは(チェコのポルノ法規制緩和後)、デンマークや日本のように児童ポルノの所持が
違法ではない国と同じく児童への性的虐待の発生が大幅な減少が見られたことだ。」”
ポルノと性犯罪の関係性の真実より、私たちはポルノを認めないというシグナルを出すほうが大切。”
また、オハイオ州最高裁のCGによる児童ポルノ合法であるとする2007年の判決が引用されているコメントもあります。
http://www.dispatch.com/content/stories/local/2007/07/26/CHILDPORN.ART_ART_07-26-07_A1_SF7CML1.html
しかし、2008年には連邦の最高裁判所が2003年にできた法律、 ”Protect Act”を維持すると宣言しています。
http://www.nytimes.com/2008/05/20/washington/20scotus.html?_r=0
学位を取得しポスドクとして働いて 8 年、順調にスタートアップと若手 (B) を 2 回とり、来年度にはおそらく基盤 (A) に採用され年研究費 1000 万円を超えそうと言う状態が今年の初め。
去年からかかわっていたプロジェクトが多忙を極め、家庭もうまくいかなくなり逃げるように心療内科に行ったところ軽度のうつと診断され即研究室を 3 か月ほど休むように言われた。
同じくらい忙しい状態は今までもあった。違っていたのは自分のやりたい研究ではなかったこと。だから本当の意味でのうつではなく、ボスの研究には意義が見いだせなかっただけかもしれない。
ただ、今回研究室を休んで気づいたことは、今の待遇、ポスドクで働いて自分でとった科研費が増えても自力で考えたテーマの研究成果はまったく比例していないということ。このまま研究室に戻って仕事を続ければ、今年度は難しいかもしれないが論文は 10 報を超えるしその先も狙えると思う。でもほんとにうまく行ってもポスドクは 40 歳くらいが限界だろう。でも年齢が上がった分、求められる実績と能力は増え、応募できる公募が減り、自分も追い詰められていく。
つまり、この先今のまま働き続けてもこの状況に加速がかかるだけ。
というか論文 10 報でも 35 歳では公募にだしてもたいして面接に呼ばれない。基盤 (A) をとれば PI になった気分で多少羽振りはよくなるが、結局物欲には限りがないし、若手 (B) の人に対して 2 倍の研究成果が出せるかというとそうではない。若手 (B) のポスドクが能力的・精神的余裕で勝っているのであれば総合的にも勝っている可能性が高い。
何が言いたいかというと、ここで人生のシフトチェンジをするべきだということ。
今からでも遅くない。ボスの出張のすきをうかがって、やりがいを持てて、今よりも研究結果を出せる確信を持てて、かつ一定数のコネ公募に送り込んでくれる教授のいる研究室に移らなければならない。