はてなキーワード: 学位とは
ああ、わかるよ。
俺も医者にまったく興味を持てなかった部類だし、医者なんてくだらねーって思ってたよ。
元増田なら病院経営とか、新たな医療ビジネスとかに興味もつかなーって思ってちょっと強調しただけでした。
違ってたならすまん。
研究職も、ご存じかもしれないけど、最近は学位とったあとにポスドクって言って、年契約の非正規みたいな
待遇で研究室を渡り歩くっていう、言うなれば傭兵みたいなことをするのが一般的なんだよね。
で、そこから大学の先生のような公務員待遇の安泰なポジションになれる人はごく一握りなんだ。
元増田の話を聞いて思ったのは、経済活動の中で夢を持って生きていくってのは、一生保証のないポスドク生活を
続けるようなもんで、どうすりゃ 1% の側、つまり大学のパーマネント職になれるんかな、みたいな話に似てる
のかな、とちょっと思った。
そう考えると、安定なポジションが一定数用意されている研究者ってのは悪くないんかもねえ。
大漁船団作りたい気持ちもわかる。
男なら感じるロマンだよな。
俺も山中先生みたいになって、ビッグラボ持って、数百億の研究費配分したいとか思わんではない。
でも結婚してから、穏やかな平和も愛おしく思うようになったなあ。
人生って難しいなあ。
それと同じで、自分が居なければ生まれなかったビジネスってワクワクしない?
だからさ、こういう夢や野望があるならさ、叶わず砕け散っても、何かは残ると思うんだ。
違う道にいって違う形になっても、生かせる経験や努力や知識はいろいろあるとおもうんだよねー。
研究職志して、諦めて去って行った俺の周りの人たちを見ても、いまの姿見ると、
あの頃の努力は無駄ではなかったんだろうなって思うし、不幸には見えないよ。
神経すり減らしながらポスドクやってた身として、元増田の不安はすげえわかるけど、
未来はそんなわるくないよーへへっへーって言いながら生きてみるのも案外いいもんよ。
STAP論文問題で、「小保方さんはむしろ被害者だったのだ」と思うようになった。ここまでコピペが常田研で蔓延していたのを見ると。ランキングから分かるように、小保方さんは明らかに氷山の一角。
きっと、「論文とは、図画工作のように切り貼りして作るものだ」と、そういう文化の中で研究生活を送ってきたのだろう。小保方さんも高い学費を払って大学院に通っていたはず。それなのに、これまで、まともな指導を受ける機会がなかったのだろう。
STAP論文問題の中核は理化学研究所や笹井氏ではないと思う。博士を出した当該研究室の指導の問題。
もちろん、論文の広報をした理化学研究所や共著者の笹井氏の責任は、もちろん、ゼロではないと思う。しかし、博士の学位を持つ研究者に、ここまで豪快な剽窃や画像操作をする人が存在するとは誰も想像できないでしょう。当該研究室で博士課程院生の指導が普通に行われていたら今回のような不正も起こらなかった訳です。理化学研究所を集中的につるし上げるのは筋違いだろうと思います。
また、笹井氏は世界をリードする研究者であり、理化学研究所も世界をリードする研究機関なわけで、こんなことで研究が停滞すると日本(世界)の科学にとって大きな損失だろうと思います。
博士論文の画像はNature論文にも転用されているし、小保方さんに学位を出してしまった早稲田大学が、早く、今後の対応の方針だけでも発表すべきだと思う。「調査中」って何を調査しているんだろう。博士論文の剽窃については11jigenさんが既に徹底的に調べてくれていると思いますが。タイミングとしては、新しい学生たちが入学する前までではないでしょうか?対応が遅れれば遅れるほど、早稲田大の他の学部の学生・教員たちへの影響が出かねないし。
なお、小保方さんは、研究以外の世界では生きていけないと思うし、別の大学の大学院に入り直して鍛え直してもらったら良いと思う。日本では顔が知られすぎているから、海外の大学院が良いでしょう。ただし、バカンティ以外のところで。
ハーバード大のバカンティ教授が「小保方の博士論文、もらってないし読んでない」と言っていたという報道がありました。http://www.j-cast.com/2014/03/20199793.html?igred=on
しかし、バカンティさんは博士論文審査の副査だったはずですよね?バカンティさんの主張が本当だとすると「小保方氏博士論文の審査報告書は偽造」だ、ということになります。博士論文自体の剽窃の問題よりも遙かに大きな問題。早稲田大は直ぐにでも反論した方が良いと思いますが。
このエントリでは、11jigen氏のブログ http://stapcells.blogspot.jp/ の情報をもとに博士論文のコピペ量のランキングを作って掲載していました。しかし、11jigen氏自身が分かりやすいランキングを掲載なさっていて、ここに同じものを書く意味もないので、このエントリからは削除しました。
「オボる」=「剽窃する」と定着しそうな勢いの昨今ですが,
英語論文→英語論文への剽窃(コピペ)はかなり発覚しやすいものです。
特に隠す意図がない場合は,いま多くの人が暴かれているように簡単にわかります。
「自分は日本語で博論を書いているからOK」と思っている博士号取得者もいるはずですが,
他者の英語論文の序論を丸ごと日本語訳して序論としている博論はぜったいにあります。
正直なところ,その論文を引用していれば,「剽窃かどうか」はけっこう微妙な問題となると思いますが,
悪質な場合(悪意を持って行った場合)は,剽窃元の論文は引用されていないでしょう。
私自身,研究者のはしくれなので,論文を書く際にレビュー論文(まとめ記事の様に,これまでの研究の流れをまとめた論文)を大いに参考にします。
だいたいは,「Aはこういう結果で,Bはこういう結果である。したがって,○○は〜である(詳しくはレビューとしてXXを参照)。」と書きます。
A,Bについても大抵はレビュー論文(XX)に書いてあります。
面倒ですが,レビュー論文にも間違いがあるので,自分でもA,Bに一応目を通します。
結果的には,XXと似た様なニュアンスで記述することになってしまいますが…。
しかし,上記の書き方であれば,剽窃には当たらないと思います。まぁ,「XXをコピペして改変した」ように見えるんですけどね。
このように,剽窃する意図がない場合はレビュー論文と文章が似てしまうのは許容しつつも,レビュー論文を”ふつうは”引用します。
一方で,意図的に剽窃した(英語論文をまるまる日本語訳した)人がいるとすれば,元の論文を引用することはないでしょう。ばれたら困るから。
「日本語論文で英語論文を剽窃=元論文を引用しないにもかからず,内容が酷似している」と言えます。
ただ残念なことに,この種類の剽窃行為ってほとんどわからないんですよね。
博論を書ける人は英語が読める人なので,そのまま日本語訳されるとよっぽどのことがない限りはバレようがないです。
世の中には,博論の要件(査読論文数本)を満たせずに,なくなく学籍を残す人や,
苦労して,査読論文を書き,ちゃんと博論を書いて,博士号を取った人もいるのにかかわらず,
剽窃をして博士号を取得している人がいると思うと非常に悲しく,腹立たしいです。
ばれるばれないに関わらず,恥を知ってほしい。できれば,学位を返上してほしいですね。
http://stapcells.blogspot.jp/2014/03/blog-post_15.html
ここのコメント欄でもあるが,恐ろしい慣習がまかり通っている.
共通しているのは,
審査報告書については、差分が小さくても致し方ないかなと思う部分もあります。実態としては学位申請者たる学生本人が概要を書き、それを手直しして審査報告書を代筆し、最後に指導者に印鑑をもらうわけで。本当に審査委員が報告書を書いてるケースはあまりないんじゃないかな。もちろん、それはいけないことだと形式上言うことはできるけどね。全体からすると瑣末な問題だと思う。根本的な問題は学位論文以前の教育だと思います。
完全にクソPIと研究機関に洗脳されている.一方まともな意見も.
そんなことはありませんよ。我々のところでは、報告書はきちんと指導教員が書きます。そんなことあたりまえじゃないですか。忙しいなんていうのは何の理由にもなりません。
このような居員は忙しいから十分な指導ができないのでしょうね。グローバルスタンダードからすると明らかに学位審査員としては失格です。
ちなみにどこの研究科ですか?
この人も被洗脳者っぽい
グローバルスタンダードですか...単にそれぞれが狭い経験を語っているだけにみえますが。他にも2、3指摘があったことからも分かる通り、あり得ないというほど、現状で非常識なことではないと思いますよ。学生の書いた報告書に問題があるのであれば、承認せずに直させるか、あるいは教員自身が修正すればよいだけです。忙しいかどうかは別に問題にしていません。
もちろん、今回の審査報告書が杜撰でないとは言いませんし、審査委員が学位論文を読んでいないことは明らかで、責任重大であることは疑いの余地はありません。
そもそも審査委員の報告書を被審査者が書くなんてアカデミア以外の世界でありえるだろうか?
私の周りにもこういう事例はたくさんいて,最も多いのは
学振 (またはそれに類する奨学金) の推薦書を学生が下書きする
というものである.学生にとって学振の推薦書だのを書いてもらう権利は当然あるものであるし,書くのは指導教官の当然の義務である.ひどい研究室になると教授の発表パワーポイントスライドを作らされたりもするらしい.(論外)
私は某大学の院生であるが,「推薦書の下書きってしたほうがいいですか?」とM1の時言った時には,上記のように「教授の当然の義務である」云々としてかなり叱責された.推薦書を学生に書かせるような指導教官の推薦書は自然と効力が無くなってくる.これから研究室を決める若い学生の皆様に際しては教授のそうした面も見ることをアドバイスする次第である.
早大理工で教員(任期付き)と学生(学部から博士まで)の両方の経験がある者です。今は早稲田にはいません。男性です。
小保方博士の博士論文に関する一連の話と早稲田大学の学位に関する批判、
そしてこちらのお話を読んでわりと感情的になってしまい筆をとった次第です。
http://anond.hatelabo.jp/20140314233406
基本的にはこの日記での話は早稲田に絞ります。他大学のことは人づてに噂を聞く程度なので詳細な話はわかりません。
元記事、いいたいことは凄い良くわかります。大方の早稲田の学生のノリはこれでしょう。
ただ、全員がそうだとは思ってほしくない。
レポート・研究を汗水たらしてやっている学生もいる、学生の為を思い指導する教員もいる。
2-6-2の法則じゃないですか?そりゃ、やる気のない人もいますよ。
このような批判は普通は気にしませんが、なぜか理性的に考えられず感情的になってしまうのが研究と博士号に関する話。
「早稲田はコピペでも博士取れるんでしょ」とか言われると腹が立ちます。
客観的に見るとそんなこと気にしなくていいのでは?と思うでしょう。けど困ったことに本当に腹が立つんですよ。
それはおそらく博士号取得の過程が私の研究者としての原点で、自分が本当に頑張ったと恥ずかしげもなく言えるほど頑張ったからです。
「はいはい、頑張った自慢ですか?」という批判も気になりません。
そもそも博士課程は修士取得後3年間と言われていますが、基本的には何年いたかではなく成果が全てです。
産学連携プロジェクトで企業ともに数年かけて研究・開発を行いやっと出た成果。
論文を書くと先生に原稿が真っ黒になるほど直される、後輩にグチを言いながらも頑張って修正した論文は審査に落ちる(リジェクトされる)。
けど這いつくばってまた直して、審査に通り(アクセプトされる)、新たなテーマで似たようなことを繰り返す。
やっと博士論文をかけると思ったらは先生を殴りたくなるほど色々な議論があり(先生ごめんなさい)。ようやく学位授与式でガウンを着るのを許される。
そこには「あなたは4年間で130単位とったので学部卒業ですね」とは全く違う達成感・誇りがあります。
だって、宇宙の様に広い科学の研究分野の中の非常に狭い範囲を2ミリだけ、いや2ミリも広げたんですもの!
実際小保方博士がどのようなプロセスで博士号を取得されたのは今の段階ではわかりません。
コピペの件があるのでなんとも言えませんが、おそらく似たような経験をしてきたのではないかと思います。いや、思いたいです。
数ある疑惑はあるものの、根幹の部分ではウソをついてると思いたくないわけで、少なくとも今の段階ではSTAPの存在を信じたいのです。
最悪の場合、小保方さんとその指導教員が2-6-2の下の2になってしまう可能性はありますが...
はてブやTwitter等でコメント頂いた様で有難うございます。共感されるとの方もいて嬉しいです。いくつか補足です。
[補足]
「博士号=オメガの勲章説」は正しいです。よく言われるのが博士号は「足の裏の米粒」と言います。その心は「取りたくて気になって仕方がないが、取っても食えない」
「130単位とったらハイ卒業」は言い過ぎました。気を悪くした方ごめんなさい。ちなみに早稲田でも学部、修士でそれぞれ卒論・修論審査があります。
博士審査と大学について。この日記の話はたまっていた感情を吐き出した様なお話です。
「博士はコピペでOK何でしょ」に対して博士取得者として言われっぱなしは嫌だったので「博士号とるのはホント大変なんですよ」ということが言いたかったのです。
ただ、今回の問題で早稲田大学という学位を授与する機構への信用が揺らいでいることは間違いありません。
まずは真相を究明し、問題再発がないようにするべきです。
[補足2]
博士号をとる条件は分野により大きく異なります。基本的には学科ごとに規定があります。
私の所属していた学科のルールは論文に関しては「筆頭著者で国外の主要な国際会議(カンファレンス)1本+国内外のジャーナル1本」でした。
このルールに学科や指導教員の暗黙のルール(国際会議もう1本欲しいよね等)が加わることもあります。
そして、この条件を満たすと指導教員から「そろそろ博士論文書いて卒業するか?」というお達しが来るわけです。
この時は嬉しいことは嬉しいのですがとても複雑な心情です。その後教授会の議題に上がり、主に業績のチェックが行われ、承認されると博士論文の執筆を開始します。
論文完成後、公聴会(いわゆるPh.D Defense)で審査を受け、様々な会議体にかけられた後最終的に合否が決まります。
詳細なフローに興味がある方は以下をご覧ください。
http://www.sci.waseda.ac.jp/students/doctoralthesis/process/
当初私が小保方博士と早稲田を擁護するような記述をしたのこのようになチェック体制があるからなのです。
つまり、責任転嫁するわけではありませんが博士論文の審査を開始する前に利害関係にない第三者による審査(ジャーナルやカンファレンスの論文)があるわけです。
今回の件はずさんな論文でもNatureの査読が通ってしまったという話なのでもはや説得力がないかもしれませんが、
国際会議やジャーナルに筆頭著者で通しているということはその人の実力を客観的に示しているはずなんですよね..
ただ、本人が博士論文取り下げと言っている現状では、私も意見を変えざるを得ないかもしれません。
話は変わりますが、博士学生のあるあるネタが漫画になっているPh.D Comicsというのが有ります。良かったらみなさんも読んでみてください。
http://phdcomics.com/comics.php
まあ当たり前だが、論文でコピペなんて許されるわけがなく、修論で孫引き(引用の引用)をしただけでも教員に叱られた。
しかし当時を思い返してみれば、理系の学生の話を聞いていたら、論文だとか研究だとかの感覚が、自分の身の回りと違っていたな。早稲田で理系っていうと、理工か教育か、あと人科とスポ科だったけどね。よく覚えてないけど、理工か教育の学生がしていた話だったと思う。
そもそも、いわゆる理系と文系では、研究や論文のやりかたが根本的に違う気がする。法律学の論文では、自分で書くのは当たり前で、コピペなんてしたらぶん殴られるかもしれないな。卒論やレポートだとばれない可能性があるし、レポートごときだと基本書からコピペする奴はいるだろうけど。
いわゆるコピペは、倫理違反だし、多くは著作権侵害だ。引用はしてよいし、論文なら引用を基礎にして成り立つものだといって過言ではない。だが、引用元を明示して、区別して記載しないといけない。
まして博論は、修論に比べても、独自性が高くないといけない。そうでないと学位が出ない。私の感覚からすると、博論でコピペというのは信じがたい。
ありかなしかで言えば無しだし、そんな修士号に何も意味ないけど、
はっきりいって東大ですら、修士論文はその手のレベルの物もいくらでもある。
就職するってんで真面目に研究やらずに卒業させろよ、とかいって教授を脅すようなやつも実際にいるからね。
教授側もパワハラとか物凄く気をつけなきゃいけないし、勿論、博士に進む様な人や、修士で出てくにしても真面目にやってる子のは
徹底的に直してくれたりもするけど、
追い出すために仕方なく認めるケースも多々ある。
「修士」ってホントに別にそれ自体何の意味も持たないけど(だから実際問題どうでもいいっちゃどうでもいいんだけど)、
オボカタ女史が、論文を捏造した云々に関して上手い言い訳をキメられずに学位を剥奪されたうえで、(ついでに研究所から追放されたりして)
彼女のSTAP細胞の研究が実は非常に有意義なものであると後世の研究者達によって明らかにされた場合、
特例措置として彼女に学位モドキを与えて研究所に呼び戻す、そして研究を続けさせる。みたいなシナリオってあり得るのかな?
あったとしたらカッコ良いねってだけだけど
生物系の研究室に所属したものならわかると思うが、多くのラボで大なり小なりあの手の異常を経験してるだろう。
自分自身さすがにあそこまで酷いのは見たこと無いが、表に出てこないだけであのレベルは必ずある。
早稲田だからじゃないよ。東大にも京大にも旧帝大地方国立大どこにでもある。バレてないだけで。
だから、小保方はじめあいつらの罪は変わらないが、あいつらだけの問題ではない。構造的な問題が原因だ。
振り返ること1980年代。分子生物学による遺伝子クローニングが技術的に可能になった時代。ハードワークで遺伝子をクローニングすればCellやNatureに載った時代。
アメリカにわたったハードワークだけがとりえの脳なし研究者は華々しい成果をあげて凱旋帰国し、大学院重点化とあいまって次々とアカデミックポジションを獲得していった。
彼らはハードワークこそが研究だと微塵も疑わず科学倫理や科学論理を考慮していない。というかその本質を理解できていない。
ポスドク一万人計画によって生まれた大量の過剰ポスドクは団塊ジュニア世代なので今40前後であり、脳なし教授が帰国したころに学位をとってる。
なので、彼らはギリギリその上の世代のまともな教育を受けてきてる。なかには脳なしに感化されて脳なしになったのもいるが。
だが、脳なしが教授になってしまったら、その下につく准教授や助教は当然脳なしハードワーカーになる。ポスドクも学生も脳なしハードワーカーが好まれる。というかまともなのは淘汰されてしまう。ピペドという揶揄はこいつらのせいで生まれたとも言える。
つまり、現在35歳以下では、稀に存在する素晴らしい教授の下で教育を受けていないかぎり、脳筋ハードワーク病におかされておりCNS絶対教を狂信しているのだ。
そして盲目的な信仰によって病をこじらせていき、”要領”という名の不正をはじめる・・・。まじめにコツコツやっている学生やポスドクを「要領が悪い」とバッサリ切り捨てるのだ。では何をもって「要領がいい」とするのか?その答えがSTAP問題にあらわれている。
多くの人は、あの女がおかしかったんだ、と思ってるかもしれない。たしかにおかしいけども、おかしいのはあの女だけじゃないんだ。
今の日本の生物系は構造的に腐敗している。崩れ落ちるのを待つだけだ。
外の人は、いやいやそれでも日本を信じようって言うだろうし、信じて欲しいとも思う。自分も中の人だが信じていた。
でもね、この一連の状況を見て愕然としたし、本当に本当に日本の科学の終わりが始まってたんだなって。いや、終わりの始まりじゃなくて、すでに終わってた。
が、まあせっかくだからなんか書捨てておこう。
D論が取り下げになるのは確実だろう。
良くても書き直し、最悪だと学位取り消しだろう。
まあコピペ部分はイントロであって、それ以降に新規性のある結果が含まれてれば、
内容的はセーフ、書き方がアウトというわけで、書き直しで許してもらえるんじゃないかと予想。
ホントに新規性があればネ☆
Natureの論文の方も、取り下げか、最低でも大幅に下方修正が必要でしょうな。
大幅に論旨を変えた上でしょぼい雑誌に掲載というのが現実的かな。
まあそれまでにオボちゃんが研究者やめちゃったらお蔵入りになるかもだけど。
私の知りうる情報をまとめる限り、やっぱりいちばん悪いのは小保方だろう。
でもどうしても同情心も湧く。
共同研究って言っても実質一人で実験・論文執筆したんだろうしね。
その割には追試など手を動かす作業には参加してくれない、という伝統的形式がまずかったね。
理研を責める向きもあるが、それはちょっと違うんじゃないかな。
Natureに乗っちゃったって言われたらやっぱスゲー論文なんじゃないかと思うし、
そもそも今どきの研究なんてむちゃくちゃ細分化されてて同じ研究室でも
違うテーマで研究してたら何やってんだかよくわからんことも多いし、
ましてや広報とか一線引いた責任者のセンセーがその辺見抜けって言われても無理でしょ。
そう考えると、一度は撥ね付けた論文を、バカルディだかなんだか先生の
まあそうは言っても、最も研究に詳しかった小保方さん本人がその瑕疵に気づいていなかったとは思えないし、
言い出せないうちに周囲のヨイショが加わって、
二点ほど気づきました。
賭けに負けたらどうするんですかね?
20代という貴重な時期の,少なくない時間を費やすのだから,それなりの準備が必要でしょう。
人の伝たどったり,噂を集めたり,まあ可能な限り情報収集と根回しをしてください。
自主性を発揮して研究を遂行することがもちろん第一ですが,研究をブラックボックス化しても
良いことは一つもありません。ことあるごとに日々の進捗は報告していくと,アドバイスももらいやすいです。
投稿を読んだ感じ,この辺については大丈夫そうに思いましたが。進捗報告の習慣をやめると迷走しがちだと思う。
ちょっと楽観的すぎる面もあるけど,良く考えているなと思いました。研究向きかもしれません。
と
この辺一緒にしちゃうの?で、理物なの??乗っかてきた???ノーベル賞候補だった、ってお前だれのとこに居たんだよ。そんな居ないぞ、真面目にノーベル賞取るかどうかとか言われてた(る)人。
てか、最近でまともに考えられてた、つったらKEKだけど戸塚さんくらいだろ、東大関係者って広げたとしても。むかーしにまさか、戸塚さんのとこに居た人???神岡に居たん???
理物で学部時代から論文投稿、って言うと、とある研究室で4年生実験で論文出してる人は居たねえ。
でも、それよか、素論へいったやつのが変態的だったけど。いや、すごいけどね。
まさか理論で論文出してた、とか言わないよね?wwwその論文教えてくれよ、是非ともwww
後、
これ、ウケるw